大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

酔っ払い

花見のシーズンはとうに終わってしまったが、毎年のように繰り広げられる酔っ払い軍団の痴態は今年も各所で見受けられ、それが映像となってテレビで放映されたりしたのだろうか。 引越しやら何やらで慌しかったこともあり、裸で踊り狂う馬鹿とか桜の木から池に飛び込む阿保が今年も出没したのか、それがニュースで伝えられていたのかさっぱり記憶がない。

今は交通機関を使っての通勤などしていないし、酒を飲みに出かけることもないので酔っ払いの姿を見ることがなくなってしまった。 見ていて楽しい酔っ払いもいることはいるが、その多くは見苦しく、腹立たしさを通り越して殺意すら覚えるくらいなのでお目にかからないほうが精神衛生上も好ましいことであり、今後二度と会わなくても何の差支えもないことではある。

自分の場合は度を越すほど飲まないようにしていることもあり、酒を飲んで記憶をなくしてしまったことなどなく、次の日になって何も覚えていないと言う人が不思議でたまらない。 自分がそういう体質であると自覚したら酒の量を控えればよいのであって、自制できないのであれば例え勧められたとしても最初から酒を飲まなければ良いのである。

酒癖の悪い奴に限って飲むのが好きで、後々のことを考えると一緒になど飲みたくないのだが周りが渋々ながら誘いに応じるというパターンが常であり、本人も少しは空気を読んで酒の誘いを自粛すれば良いものを空気が読めなかったり自覚が足りなかったりするゆえに顔面を引きつらせながら作り笑顔で誘いを断っているのを無視して強引に宴席を仕立て上げようとする。

以前の仕事仲間にもそういうタイプの奴がおり、酒が進めば気が大きくなるのと同時にデリカシーまで失い、人の嫌がることなどを言い放って傷つけたり、一人では帰宅すらできないほど泥酔するものだから誰かが送って行かなければならなかったり、海に落ちて死にかけたりしていた。 どれほど人に迷惑をかけたのかなど本人が記憶を失っているのでまるで自覚がない。

勝手に溺れ死ぬくらいなら自業自得というものだが、喧嘩して人を傷つけたり死なせてしまったりしては取り返しがつかない。 そこまで重大な事件、事故に至らずとも電車などで痴漢行為をはたらいたりする不届き者もいるわけであるからして、やはり酒の飲み方を考えるか最初から酒を飲まないくらいの自制行動は強く求められるのではないだろうか。

暴れたり痴漢をしたりして覚えていないなどもってのほかであるが、本当に記憶がないのか怪しい事例すらある。 酒のせいにしておけばある程度は罪が軽減されるとでも思っているのか、本当は記憶があり、単に気が大きくなってやらかしてしまっただけなのに 「酔って覚えていない」 と言い張る場合がそれだ。 以前の仕事仲間もそれに該当し、本当は毎回のように記憶をなくしている訳でないらしい。

そのくせ都合の悪いことは覚えていないと言い張る。 酒の席で暴言をはいたりくだを巻いたりしたことを翌日になって注意すると 「記憶がない」 と言い逃れするくせに、それ以降の出来事に話題が移るとちゃっかりと話に乗って調子を合わせてくる。 それどころか自ら昨夜の出来事に触れて会話を続ける。 「記憶がないんだろ?」 と突っ込むと、しどろもどろになって訳の分からないことを言う。

酒癖が悪い上に卑怯な性格の持ち主とは二度と酒など飲みたくない。 そいつとはもう何年も会っていないが、あの性格からすると今でも自制することなく酒を飲んでは人に迷惑をかけたり不快な思いをさせたりしながらも、都合の悪いことの記憶だけを失い、楽しい部分だけを誇張して顔を引きつらせている周りの空気を読まず、身勝手に酒の誘いを繰り返していることだろう。

マサルノコト scene 20

いよいよ中学生活も 3年目に入り、当然のことながらクラス替えが行われた。 それまで何をするのも一緒だったノブアキとは別のクラスになってしまい、教室も一階と二階に別れることになった。 それで疎遠になってしまったかと言うと決してそんなことはなく、休み時間にはお互いのクラスを行き来したり、放課後に一緒に遊ぶ生活が続いた。

そしてマサルとの腐れ縁は三年生になっても同じクラスになることで続き、その一年間はいつも席が近かった。 進級したからと言って自分は何も変わらなかったが、周りの同級生たちは明らかに高校受験を意識し始め、一緒に授業をサボっていた奴も寝てばかりいた奴も少し真面目に授業を受けるようになってしまった。

そうなると一人で遊んでいてもつまらないので、寝ている以外は必然的に授業を聞くことになる。 前の席に座っているマサルにちょっかいを出してみても 「うるさい!」 と叱られるだけだし、田舎町なので人通りも少なく、ボ~っと外を見ていても変化がなくてつまらない。

何となく授業を聞いているうちに少しずつ内容を理解し始め、それまで白紙で提出していたテストにも答えを記入するようになった。 今は順位をつけると親が大騒ぎして教育委員会をも巻き込む大問題へと発展するが、当時はテスト結果を廊下に貼り出されたり、点数順に答案用紙を返されたりするのは日常茶飯事だったものである。

今思い出しても不思議なのは、全教科を白紙で提出していたにもかかわらず成績がビリではなかったことだ。 同学年は 300人近くいたと記憶しているが、必ず自分より下に 2-3人の名前がある。 同じ 0点だった場合、あいうえお順にでも並んでいるのかと思ったが、それとは明らかに異なる。 それではクラス順なのかと言えばそれとも違う。 あの結果だけは今でも謎だ。

そんなことはさておき、ビリから数人目だった成績は少しずつ良くなり、それまで 「高校に行けなかったらどうするんだ!」 と言われ続けてきたが、親からも教師からも何も言われなくなった。 実際のところは高校進学などどうでも良く、受験のために勉強をしている訳でもなく、いままで何もしていない上にテストを白紙で提出していたのが授業を聞いて答えを書いているのに過ぎなかった。

自分では何も変わっていないつもりだったが、二年生のときに付き合いのあった不良仲間とはだんだん疎遠になり、マサルとかノブアキのような優等生と一緒にいる時間が長くなった。 結果的に少しずつ更生の道を歩み、決して優等生などではないが、普通の生徒として中学を卒業することとなる。

卒業後しばらくしてマサルから本当のことを聞かされた。 三年生に進級する際、二年生のときの担任だった教師からマサルは呼び出され、三年になってもマサルと自分は同じクラスになることを事前に知らされたらしい。 そして、その教師から 「あいつのことを頼む」 と言われたのだと。 その指示をマサルは忠実に守り、自分のことを卒業するまで面倒をみてくれたのである。

以前に書いた転校していく友達を授業を抜け出して見送ったのに、それを本気で叱らなかった担任、本気で叱り、時には殴られもしたが、小さなことには目をつぶってくれた担任、そして自分を見守り面倒を見てくれたマサルには、前回の最後にも書いたように感謝しているし、ある意味の恩人であるからして足を向けて寝られない。

しかし、二人がどっちの方角で暮らしているのか良く分かっていないので、何も気にすることなくゴロゴロしたり就寝したりしている今の自分だったりするのである。

ビーズクッション

先週の続きになってしまうが、家でリラックスするのに欠かせないのがビーズクッションである。 これはもう、10年以上も使っているので体の一部のようになっており、普段の生活に欠くことのできない重要なアイテムだ。 その重要かつ便利なアイテムを引越しの際に廃棄してしまった。

大阪で使っていたものは、それこそ 10年以上も前のものであり、側は薄汚れているわ、タバコ臭くなっているわ、中のビーズもしぼんで小さくなっているわの惨憺たる状況だったので、北海道までの大移動を断念せざるを得なかったのである。

引っ越してきてからはテーブルとソファがあったので、それほどの必要性を感じていなかったのだが、04/27 の独り言に書いたように家具がなくなると、どうにも落ち着かない。 ここはやっぱりビーズクッションしかないと思い、早々に買いに出かけた。

ところが、どの店を探しても見つからない。 お気に入りのものが見つからないのではなく、ビーズクッションそのものが売られていないのである。 大阪では生活雑貨を扱っているイズミヤでも目にしたし、苦労せずに手に入れることができたはずなのに何かがおかしい。

北海道人はビーズクッションを使う習慣がないのだろうか。 それとも北海道まで流通していないのか。 いや、そんなはずはない。 廃棄したのは北海道で購入したものだ。 ん? ということは、13年以上も使い続けたということなのか? いや、今はそんなことを考えている場合ではない。 何とか愛しのビーズクッションを入手しなければ。

という訳で、店で売っていないのであれば仕方がない。 ネット通販で購入だ。 あちらこちらの有名な通販サイトを探してみたが見つからない。 おかしい。 もしかしたらビーズクッションなど超時代遅れで、今はどこにも売っていないかもしれないという不安が胸をよぎる。

それでも必死になって検索しまくり、やっとの思いで見つけたものの、種類は極端に少なく、デザイン的にも選択肢が限られる。 もしかしたら時代錯誤もはなはだしく、今時は誰もビーズクッションを欲しがらないのに必死になって探していたのだろうか。 何せ廃棄してきたものは 10年以上前に購入したものと思われる。 時は流れ、今や存在価値すら失ってしまったのだろうか。

少ない種類の中からではあったが、それでも何とか妥協できるものを探し出して注文した。 現在は届いたビーズクッションを時にはソファ代わりに、時には座椅子のように、時にはマクラ代わりにと十二分に活用して充実した生活を送っている。

どんなに時代が変わろうと、これだからビーズクッションはやめられない。

動線

二月下旬にこの家に住むようになってから三カ月、やっと体が馴染んできたような気がする。 大阪で暮らした十三年間、一度も引越しをしなかったので、その家の構造に体が馴染んでしまっており、頭で考えなくても行動することができたが、この家ではそうはいかず、何をするにも頭を使う必要があったので感じない程度のストレスが蓄積されていたのではないかと思う。

当たり前のことではあるが、玄関を入ってからリビングまで、キッチンの位置、トイレ、風呂、寝室の配置が違う。 そこまで異なれば意識して動くので問題はないが、小さなことで多くの戸惑いを覚えてしまうのである。 たとえばトイレのドア。 大阪で暮らしていた家とは開け方が左右逆だ。 大阪では右手でドアノブを回していたが、ここでは左手で開けることになる。

最初はどうしても右手でドアノブを回してしまい、トイレに入るには左手に持ち替えるか体を一回転させなければならない。 毎回トイレの前でクルクル回っているわけにもいかないので 「左手で開けなくちゃ」 と、トイレの前で一瞬考える。 風呂の入り口も左右逆だ。 こちらの場合も裸でクルクルしている場合ではないので浴室に入る前に 「左手で開けなくちゃ」 と立ち止まって考える。

洗顔のコツも最近になってやっとつかめてきたところである。 十三年間も使い続けてきた洗面台とは、その高さ、大きさ、奥行き、蛇口の長さまで違うので、顔面の泡を洗い流すために身をかがめて蛇口にデコをぶつけたりしていた。 最近では目を閉じたままでもスムーズに洗顔できるようになったが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかったのである。

こうなるまでに何度蛇口に頭をぶつけたり、手をぶつけたり、洗面台にヒジをぶつけたりして顔を洗うのも大騒ぎだったことか。 泡を洗い流す際の体の角度はどの程度が適切であり、ヒジを伝って水が床に落ちないようになるのか。 そのあたりの細かいことがやっと頭にインプットされたようで、最近になって無意識に動くことができるようになった訳だ。

起床してからトイレ、洗面所を使って散歩のために家を出るまでの一連の動作も、いちいち頭で考えずに行動できるようになった。 最初は 『お買い物日記』 担当者と正面衝突しそうになったりするので、右に避けるべきか、それとも左か、はたまた順番を変えるべきかなどと考えたりしていたが、今ではスムーズに行動して家を出ることができる。

就寝の際もトイレを経由して寝室と洗面所が直結している右のドアから入るべきか、リビングと続いている左のドアから入るべきか。 読み終えた本は枕元に置くべきか体の横に置くべきか。 ことほど左様に、ちょっとしたことではあるものの、いちいち頭で考えなくてはならないというのは思いのほか疲れ、小さなストレスとなっていたのではないかと思う。

小さなことが積み重さなり、今では頭で考える必要がなくなって自身の動作や二人の家の中での動線が決まってきた。 とってもささいなことではあるが、これが生活の慣れであり、微妙なストレスが解消され、この家が最も落ち着ける場所になってきたように思う今日このごろである。

犬や猫のいる風景 2008年春

こちらに引っ越してきてから最終的な散歩ルートが確定するまで様々な道を歩き、近所に飼い犬が多いことに初めて気が付いた。 どの犬も性格がおとなしいのか、しつけが行き届いているのか、普段の生活では 「ワン」 とも吠えず、これほど多くの犬がいるなんて気づきもしなかった。

あまりにも吠えまくる犬は近所迷惑になってしまうが、こんなに静かだと果たして番犬の役目を全うできているのかいささか疑問である。 飼い主としては普段はおとなしくても知らない人が近づいてきたり、不審者が家に入ろうとしたときくらいは激しく吠え立てて知らせてほしいだろう。

散歩中に自分たちに向かって吠えてきた犬は一匹だけであり、それ以外の犬は興味深そうにこちらを眺めていたり、吠えずに近づいてきたりするだけだ。 なかには遊んでほしそうにモソモソと近寄ってくるやつまでおり、ますます番犬が務まっているのか心配になってしまう。

毎朝の散歩コースにしている公園にも多くの犬がいる。 以前の独り言にも書いたように遠くから車に乗って散歩に来る犬もいるくらいだ。 その中に、片方の前足を失ってしまった犬がいる。 最初は気づかず、遠くから見ていて 「ずいぶんノロノロと動く犬だな~」 などと思っていたのだが、近づいてみると右前足がなく、三本の足で必死に歩いていたのだった。

しかし、その犬の顔は穏やかであり、毛艶も良く、愛情たっぷりに飼われていることが分かる。 飼い主である男性は無理にリードを引くこともなく、犬の歩行速度にあわせて歩き、犬が何かに興味を持って立ち止まったら、満足して犬が再び歩き出すまで待ってあげている。 足を失った原因は病気なのか事故なのか分からないが、いつまでも長生きしてもらいたいものである。

近所に小学生の住む家が続けて二軒あり、毎朝さそいあって登校している。 その向かいにある家には犬が飼われており、小学生が楽しそうにしているのを毎朝のように羨ましそうに見ている。 一緒に遊びたいのか、尻尾をふって必死に愛想をふりまいている姿が可笑しい。 子供たちが学校に向かってしまった後、うつむいてしょんぼりしている姿を見たときには声を出して笑ってしまった。

散歩帰りに通る薬屋さんで飼われてる犬はとても寝坊で、起きている姿など 10日に一度くらいしか見ることができない。 昼間でも寝ていることが多く、犬小屋から離れた庭の木陰で丸くなっていたり、犬小屋から後頭部だけを見せて寝ているのが常だ。 先日、珍しく起きているときに家の横を通ったら、のそのそと近づいてきてこちらを見ていた。 やっぱり番犬には向かないらしい。

タイトルには 『犬や猫の・・・』 と書いたが、実は猫の姿を見かけることは極端に少ない。 千里丘周辺は特に猫が多く、野良猫が問題にすらなっていたので近所をウロウロすれば必ず何匹かの猫の姿を見ることができた。 しかし、この街に住んでから猫を見たのは一度くらいしかないのではないだろうか。

猫は犬と違って勝手に家を出入りする。 夜中に遊びに出かけて近所を走り回ったり集会を開いたりするものであるが、ここは北国。 万が一でも冬季に家から閉め出されたならば、生命の危機に直面することになるだろう。 それ故に外出する猫が少ないのか、そもそも飼い猫自体が少ないのか。

その辺は深い謎であるが、もし飼い猫がいるのであれば暖かくなったこの季節、散歩中に猫に会えることもあるかもしれないと、すこし期待している。

想い出の居酒屋 其の伍

想い出の居酒屋 おしながき

其の肆を書いてから実に一年半ぶりの続編になるが、これだけ間隔が長いと言うことは実はたいした想い出などないのではないかという疑問も出たり引っ込んだりしており、実のところはいかがなものかと自問自答してみれば、溢れる想い出は確実にあるのだが、いつも同じようなメンバーで同じような料理を食べ、同じ酒を飲んで同じような時間を過ごしていたので大きな場面展開がないのである。

毎週とまではいかないが、二週間に一回、いや、それ以上のペースで飲んで騒いでいたのは、それが楽しく、自ら進んで店に通っていたのも勿論だが、仕事が忙しくて何週間か行けない日が続くと 「最近どうした?」 などと会社にまで電話がかかってきたり、中元だの歳暮だのを持ってきては 「よろしくね」 と言われてしまうので仕方なしに通っていた部分も大きい。

いつも代わり映えしない時間を過ごしていたが、たまには小さなイベントもある。 メンバーが 十数人もいれば月に一度や二度は誰かしらの誕生日だったりするもので、当時は大多数が独身であり、なおかつ彼女も彼氏もいないという誠に若者らしからぬ悲しい集団であったため、その居酒屋で祝ってやったりしたものである。

そんな時に気を利かせて何かサービスするとか料金を安くするとかいうことをすれば、感謝の言葉のひとつもかけて、また来ようという気にもなろうかというものであるが、単に 「おめでとう」 の一言で終わらせるという憎々しさ滲み出る店であり、「二度と来るか!」 という捨てぜりふを投げつけてやりたくはなるものの、とても居心地が良くて安い店だったのでついつい通ってしまう。

書いていて急に思い出した。 「朝早く市場で仕入れたイカで自家製の塩辛を造ったから食べさせてやる」 とか 「上物のクジラのベーコンが入ったから食べるか?」 などと言いながら店のメニューにない物を出してくれたり、さんざん飲んだ後に 「締めにソウメンでも食べるか?」 などと言っては次から次に自分たちが喜ぶ物を出してくれるのは良いが、きっちり料金をとりやがったのである。

大半が独身族のこちらも無茶を言って、「普段から野菜不足だからキャベツの千切りが食べたい」 などとメニューにないものを注文し、「えっ!?」 と固まる大将に 「いいから黙ってキャベツの千切り山盛りにマヨネーズをくれ!」 と言い、大皿に溢れんばかりに盛られたキャベツの千切りに、一緒に出された大きな業務用マヨネーズのチューブを思いっきり絞ってワシャワシャと食べたりしていた。

「お前らはキリギリスか」 などと呆れ顔で見ていた大将だったが、何度も注文するうちに、そのキャベツの千切りにまで値段を付けるようになった。 負けてはならじと、飲み放題の日に注文した冷奴などは 「噛まずに飲むからタダにしろ!」 と無茶な交渉をしては 「ふざけるな」 と一言で玉砕させられていた。

それでも今から思うと若さと強靭な胃袋を持つ大食漢ばかりのメンバーに気を使い、一品一品の量が多かったのではないだろうか。 それほどの品数は注文していないのに、いつも腹一杯になって店を出た。 何本もの焼酎ビンを空にして、腹も十分に満たされたのに割り勘にすると一人 3千数百円程度で済んでいた。 食道楽の街、大阪の居酒屋の料理が少ないとさえ思った。

今となっては定かではないが、もし料理を大盛にしていてくれたのであれば、若い胃袋を満たしてくれたことに感謝せねばなるまい。

報道の光と影

4月 27日、福田政権発足後初の国政選挙となった衆院山口2区補欠選挙で民主党が勝利した。 自民党の敗因は 『ガソリン税』 の暫定税率復活と 『後期高齢者(長寿)医療制度』 が 『うば捨て山』 制度と批判されていることだとされているが、どちらもマスコミのミスリードがあったのではないかと思わざるを得ない。

『ガソリン税』 に関しては、確かに道路族議員の暗躍やら何やらで良い印象はなく、必要もない道路を造っているという批判はあるし、もの凄い田舎にもの凄い立派な道路ができて、ろくに車も走らない光景がテレビに映し出される。 たしかにそういう道路は存在するだろう。 しかし、北海道に帰ってきて思ったり話を聞いたりすると、やはり本当に必要な道路はあるようだ。

地方には国道が一本しか通っておらず、天災などがあって道路が寸断されると陸の孤島になってしまい、救援も救助もままならない町や村、集落などが五万とある。 1リットル当たり約 25円の税金が必要か否かは議論の余地があるだろうが、本当にガソリン税によって道路が造られているのだとすれば、必要としている人達は確実にいる。

これは北海道に限らず、大都市以外の地域、地方では同じ問題を抱えているのではないだろうか。 マスコミは畑のど真ん中を立派な舗装道路が貫き、一台の車も走っていない光景を映し伝えるだけではなく、本当に必要としている人の意見も放送しただろうか。 そして、自民党も 「すでに予算が組んであるから」 という理由だけでなく、困っている地域のことを説明しただろうか。

仮に自民党が説明しているにもかかわらず、それが報道されないのだとすれば大きな問題だ。 政策や自民党のやり方を批判するだけではなく、国交省が管轄しているファミリー企業の無駄や箱物にまで道路特定財源が使われている無駄を省き、それでも必要とされている道路を造るのにどれだけの予算が必要で、そのためには何円のガソリン税が適当なのかを伝えてほしい。

『長寿医療制度』 に関しても、やれ 「うば捨て山」 だとか 「年寄りは死ねと言っているのか」 などという話ばかりがクローズアップされ、テレビには困っているお年寄りの姿が映し出される。 しかし、その制度を良く見れば一定以上の収入がある高齢者の負担は増えるが、基礎年金や平均的な厚生年金だけで暮らしておられる方の負担は軽減されることになっている。

それで負担が軽減され、喜んでおられるお年寄りの姿は伝えずに腹を立てて文句を言っているお年寄りや、悲しそうな表情で困惑しているお年寄りの姿ばかりをテレビ画面に映し出すことが公平、公正なことなのだろうか。 マスコミは自民党が負けることを望み、そうなるような報道をしたのではないかと疑いたくもなってしまうし、それに対して愚痴を言う自民党のことも理解できる。

確かに次の衆議院選挙でも民主党が躍進して政権交代が起こったら 1993年の細川内閣の時のように歴史的なことであり、マスコミもお祭り騒ぎになるだろう。 テレビの報道番組の視聴率も上がり、新聞や週刊誌も売れるかもしれない。 何よりもマスコミ自身が楽しくて仕方ないだろう。 しかし、そんなものに付き合うために国民は生活しているのではなく、そんなものに付き合っているヒマもない。

どんなことであれ、すべてにおいて完璧なことなどない。 必ずと言って良いほど光の部分と影の部分は存在する。 それの双方を伝えず、影の部分にのみ焦点を合わせるのはいかがなものかと思う。 自民党が良いとは言わないし、民主党が悪いとも言わないが、マスコミに踊らされることなく冷静に判断する大人の目線が一般市民に求められているのだろうと強く思う。

生態

いいかげん、オッサンであるからして、たいがいのことは知っている。 いや、知った気になっていたりするのであるが、実際のところは無知であり、何にも知らないことを思い知らされたりする。 自分が無知であることすら知らないのだから、実におめでたい根っからの阿保だったりするのかもしれない。

以前の雑感に書いたように、大人になるまでどれが薬指なのか正確に把握していなかったし、たまに 『独り言』 に書くように日本語の語源を知って感心することも多い。 自分は世の中のどれだけのことを知っているのだろう、実は何も知らないのではないかと不安になることもあるが、だからといって勉強する気になどならないという体たらくぶりだ。

最近になって義姉から 「タンポポは夜や雨天の日は花を閉じる」 と教えてもらった。 タンポポは子供の頃から良く見る花であり、確かに花が開いているのもあれば、たまに花を閉じているのもあるのは知っていた。 ただそれは、まだ開花前のタンポポなのだろうとしか思っておらず、一度咲いたタンポポが花を開いたり閉じたりしているなど考えもしなかった。

日が沈み、暗くなるまで外で遊んでいたのに昼間咲いていたタンポポが花を閉じていることを意識すらしなかったし、雨の日に花が咲いていないことにも気づかなかった。 子供の頃は花をめでることなどしないので、知らなくても気にしなくても当然かもしれないが、この歳になるまで知らなかったのは恥ずかしい。 そんなことは常識であり、知らなかったことを人に言えば笑われるかもしれない。

北海道もやっと本格的な春らしくなってきたので朝の散歩中にも多くのタンポポを見かけるが、見る目は以前と異なり、日陰になっているタンポポが花を閉じていることも雨の日は花を開いているタンポポが極端に少ないことも十分に意識したり確認しながら歩くようになった。

その散歩中、クルミなどの木の実が落ちていることがあるのだが、その中に人間でも困難であろうと思われるほど綺麗な真っ二つに割られたものも落ちている。 クルミ割り人形があるくらいなので、簡単に殻を割ることはできないし、道具を使って割ったとしても、あれほど見事な真っ二つにすることはできないのではないかと思われる。

いったい誰の仕業だろうと不思議に思っていたのだが、先日のテレビで動物の生態を放送しており、その中でリスがクルミを真っ二つにしているシーンがあった。 そう、04/17 の独り言に書いたリスたちが食べたものなのだろう。 テレビでは様々な動物を紹介しており、リスについて詳しく教えてはもらえなかったが、生態についてもっと知りたくなってしまった。

広く大きな公園に生息する鳥や動物、植物などの生態についていろいろ調べてみたいという欲求が頭をもたげてはいるのだが、以前にもスズメの生態を少し調べただけで、季節ごとに渡ってくる鳥などに興味を持ちつつも詳しく調べることなどしていない有様である。

やはり勉強など自分には向かないようなので、生態についてもの凄く気になったときだけネットでチョコチョコっと調べることにしようと思う。

時の流れ

今日は 2月に他界した義兄の納骨がとり行われた。

無理な延命処置はしないと事前に医師と話し合いはしていたが、数時間かけて徐々に低くなる血圧、徐々に弱くなる呼吸、そして徐々に遅くなる心拍数を見ているのは本当に辛かった。

臨終と告げられても実感はなく、ただ呆然とたたずんでいる病室は、狭い空間でしかないはずであり、そこに家族や病院関係者が入っているのだから息切れすら感じてしまうほどの圧迫感があって然るべきなのにやけに広く感じた。

これ以上の悲しみはないのではないかと思われるほど悲しく、ただ辛く、まだ四十代の若さで逝ってしまった義兄を想うと胸が張り裂けそうになった。

家族葬で送ることにしたのが残された者にとって良かったのか、それとも逆だったのか、通夜、告別式とも弔問客がある訳でもなく、慌しさで気がまぎれることもないまま、ただただ深く、底が知れないくらいに深い悲しみに包まれた。

迎えた初七日、お寺さんのお経を聞いている間も元気だった頃の義兄の姿が思い出され、目頭が熱くなる。

七日ごとの御参りで少しずつ悲しみが和らぎ、あれだけ大きかった心の波が小さく小さく、さざ波のように穏やかなものへと変わる。

そして四十九日と納骨。

小さな骨になってしまった義兄が、それでも今日まで一緒に家にいた義兄が墓に入り、この家から居なくなってしまうという寂しさはあるものの、胸を突き上げるような、心の奥底から湧き上がるような悲しみに包まれることはなく、静かに、あくまでも静かに納骨を済ませることができた。

敬虔な仏教徒ではなく、普段はバチ当たりな ”なんちゃって仏教徒” である自分だが、七日ごとの御参りで少しずつ悲しみが和らぎ、四十九日になると人の心は落ち着き、故人が墓に入るのが当然であり、それで故人も落ち着くに違いないなどと思えるようになるのだから、よく考えられた日数だと感心する。

四十九日も経てば・・・というのが統計学的に導き出されたものなのか、お釈迦様の教えであるのかは不勉強であり、なんちゃって仏教徒なので分からないが、時が流れて悲しみが心に染み込み、溢れ出すことがなくなるのに十分な日数であることをつくづく実感した一日である。

マサルノコト scene 19

突然ではあるが、マサルは目が細い。 体型はコロコロしている。 お笑いコンビ 『ホンジャマカ』 の石塚英彦、最近では 「まいう~」 でおなじみの彼を想像すると分かりやすい。 キャラ的に似ていることをマサル本人も嫌がってはいないようで、数年前まで届いていた年賀状にはホンジャマカ石塚の顔がプリントされたりしていたものである。

そのマサルの細い目が、常人と比較してどこまで視野が狭いのか気になって計測したことがある。 それはよくある測定方法で、ある一点を見つめたまま、上下左右どこまでの範囲で他の物体を捕捉できるかというものだ。

まずは左右を試してみたが、180度を越えるところまで見えているようなので一般人と変わりはない。 目が細いといっても小さい訳ではなく、横幅は差がないので見えて当然か。 次に上下を計測してみたところ、明らかに常人より視野が狭い。 普通であれば下はアゴのあたりから上は眉毛のあたりまで見えるはずなのに、その範囲が異常に狭いのである。

そんなマサルを馬鹿にして笑い転げていたが、大人だったマサルは 「うるせー」 などとは言うものの、本気になって怒るわけでもなく、一緒になって笑ったりしていた。 ずいぶんと長い付き合いになるが、今まで一度も喧嘩をしたことがないのはマサルが大人で、自分が勝手なことやワガママなことをしても我慢したり許してくれていたからだろう。

scene 13 に書いたように風紀委員長をしていたマサルは鬼の検査官でもあった。 今の中学校の校則がどのようなものか分からないが、同時は人権蹂躙もはなはだしく、服装から髪型まで事細かに規定されており、規定以上に髪を伸ばそうものならハサミを手に生徒を追いかけ回すような、現在であれば大問題に発展しそうな教師までいたくらいだ。

抜き打ちで持ち物検査をしたり、髪形の検査などもあったが、そんな時に率先して働かなければならないのもマサルの仕事だ。 当時、校則なんかくそ喰らえで髪を伸ばし、良からぬ物を隠し持っていた自分だが、カバンの中からコソコソと見つかってはならぬ物を制服のポケットに忍ばせ、伸びた横髪を耳にかけ、後ろ髪を制服の襟の中に隠して斜め上を見ながら嵐が去るのをじっと待っていた。

誰がどう見ても怪しい雰囲気をプンプンに振りまきながら息を潜めているのだが、髪の長さを計る定規を手にしたマサルは自分のところだけは適当に検査しながら、小声で 「おまえ、ええかんにせーよ」 と言って立ち去っていく。 当然、他の生徒たちからは 「きったねー」 とか 「ずるーい」 などと罵声を浴びせられるが、「うるせー」 などと言って毎回のように見逃してもらっていた。

教師もそれに気づいてはいるものの、「しょうがないなー」 とでも言いたげに苦笑いしながら見てみぬふりをしていてくれる。 もちろん、本格的に悪いことをすると教師に呼び出されて何時間も説教をされたし、時には思いっきり殴られもしたが、少々のことには目をつぶって見逃してくれる度量があり、「あなたのクラスの、あの生徒は・・・」 などと他の教師から言われても意に介さずにいてくれた。

勝手気まま、自由な中学校生活を送れたのは、マサルも含めた周りの大人たちの度量と、優しさによって守られていたからであると今になって思う。