指 指
唐突ではあるが、指は偉い。世の中にあるどんな道具よりも便利である。右手と左手の指はバラバラに動かすことができるし一本ずつ違う動きも可能だ。そのおかけで人はピアノ、ギターなどの楽器も演奏できるし、こうやってパソコンのキーボードだって打てる。人間に指がなければ編物もできないから未だに全裸の生活をしていたかもしれないし、知能も文明も、これ程までには発達しなかったに違いない。
実はとても恥ずかしい話だが、いい歳になるまで指の名称を完全には把握していなかった。なんと薬指というのは小指のことだと思っていたのである。なぜそのようにインプットされてしまったのかは不明だが、子供の頃から成人しても 『薬指 = 小指』 なのだと信じて疑わなかった。それが誤りだと気付いたのは知り合いの結婚式に主席し、指輪の交換を見たときである。
結婚式の二次会でその話をすると、友人から 「じゃあ薬指のことを何と呼んでいたのだ」 と聞かれ、「・・・お姉さん指」 と答えると腹を抱え、涙を流して大笑いされてしまった。親指から始まって人差し指 → 中指 → お姉さん指 → 小指、そして小指には薬指という別称まであってズルイと思っていたと説明すると、「このバカが」 と罵られ、それを肴に酒は進み二次会はたいそう盛り上がったのだった。
そんな間抜けな話はさておき、やっぱり指はえらいと思うのである。精密機械の回転部分を支えるボールベアリングという部品には 1mm 以下の小さな球体が入れられているが、回転を円滑にするためには完全球体に限りなく近いボールが必要になる。それを製造する工程で最後に検査するのは人の指だ。1000分の 1以下の歪みも指は感知することができる。
職人技までいかなくてもツルツルの板の表面に落ちている髪の毛くらいは普通の人だって感知できる。肌に触れればスベスベしているか、ザラザラしているかなどの判断だってできるし、髪に触れればサラサラしているか、ぱさついているか、ゴワゴワしているか等の微妙な感覚だって分かる。指は作業をするときの便利さだけではなく、触感センサーとしても優れた能力を持っていると思う。
以前は器用に動いた我が指なのだが、最近は細かい作業をしなくなったせいか動きの繊細さに欠けるような気がする。子供の頃は 5mm 四方の紙で折り鶴だってできたのに今は奇麗に作る自信がない。ぐちゃぐちゃに絡まったヒモや糸を解こうとすると 「イー!」 っとなるし、しまいには CD の表面にあるキャラメル包装を剥がすのにも手間取ってしまうくらいだ。
若い子が携帯のメールを作成している時の指の動きを見ていると、「器用に動くな〜」 と感心してしまう。慣れれば動くようになるのだろうが、おっさんは慣れる程にメール交換をすることもない。少し長めの文書になるとパソコンのキーボードを打った方が速いので余計に携帯でメールは作成しない。キーボードは見なくても打てるのだが、携帯も慣れればキーを見ずに打てるようになるらしい。
今年になって誘拐(拉致?)された女の子が、携帯のメールで助けを求めて無事に保護されるという事件が二件ほどあった。彼女らは犯人の目を盗み、画面を見ずにメールを作成して送信したのだという。そういう場面を想定すると、おっさんだからと言ってボ〜っとしているのではなく、携帯でメールを作成する練習をしておいた方が良いのかもしれないが、基本的におっさんは誘拐などされないものと思われる。
不器用になったような気がするのは、細かい作業をしなくなったのが原因なのか、年齢が原因なのか分からないが、今でも小さな紙で折り鶴ができるのか、そのうちに試してみようと思ったりしているのである。
2003 / 10 / 05 (日) ¦ 固定リンク