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札幌観光

本来のパターンであれば 08/23 の土曜日に雑感を書くはずだったのだが、08/21 に 『お買い物日記』 担当者が入院、その日のうちに検査などが終わったので翌日の 08/22 には早くも外泊許可が出されたものの 08/24 には病院に戻らなければならず、2泊 3日じゃ一旦帰宅するのも面倒なので札幌でダラダラしていることに決め、23日は市内観光をしていたので書くのをパスしてしまった。

このまま放っておいても良いのだが、せっかくパソコンの前に居る訳であるし、本当に何も書かなくて良いのかという強迫観念に襲われ、今の時間になって慌ててゴチャゴチャと書き始めたのだが、最近は 『お買い物日記』 担当者の病気のことと入院のこと、手術のことなどしか頭になく、何らかの考えをまとめる余力は残っていない。

そこで、ものすご~く安易に、札幌市内をウロウロした写真を掲載してものすご~く薄いお茶をにごすことにする。


lまずは診察のため 08/18 に札幌に行った際に撮影した時計台。 日本三大ガッカリ観光地にランキングされるほど周りはビルだらけで、ひっそりとたたずんでいる建築物。


08/23 の最初は札幌ドームへ。 旧大阪ドームに続き、2大ドームを制覇である。 今後、東京とか名古屋、福岡に行く予定はないのでドームは 2箇所で終わりか。


道庁赤レンガ庁舎は地下鉄駅に向かうために通っただけ。


テレビ塔も地下鉄への入り口から見えただけ。

結局、観光目的で行ったのは札幌ドームだけであり、あとはすべて通りすがり観光である。 JR札幌駅が新しくなって初めて足を踏み入れたり、住んでいた当時にはなかった店に寄ったりもしたが、普段から旅行などしないので観光のコツというものが分からない。

とりあえずはヘトヘトになり、その夜はぐっすりと眠った二人なのであった。

ジャッジ

多少のテロや暴動はあれど、今日のところまで北京オリンピックは順調に競技が進み、開催期間も競技数も残り半分くらいになった。 聖火ランナーの妨害に始まり、何だか波乱含みの大会となってしまい、中国での開催は時期尚早だったのではないかという意見まで飛び出しているが、東京オリンピックが開催された日本も当時は世界から同じことが言われていた。

従って中国のオリンピックも無事に終わってほしいと願うし、これをきっかけに発展していただきたいとも思うが、日本とは決定的な違いがある。 ひとつは民主主義が根付いた日本とは異なり中国共産党の一党支配が続く社会主義国である点と、もうひとつは公正な目と潔さに欠ける点である。

今大会では本番が始まる前からハンドボールでの 『中東の笛』 が問題となり、アジア予選が無効になるという事態にまで発展したが、大会が始まってみると中国よりのジャッジの何と多いことか。 もともと官僚腐敗が進んで不正と賄賂の授受が半ば公然と行われるような国で厳格な審査や公正を求めること自体が無理なのかもしれないが、あまにりも目に余るのではないだろうか。

男子バレーの日本 vs. 中国では思わず 「はぁ!?」 と言いたくなるようなラインズマンの判定が多発していた。 明らかに入っている日本側のボールをアウト判定したり、逆に明らかにアウトになっている中国側のボールをインと判定したりするのは序の口で、中国側のスパイクが外れると日本側にワンタッチがあったと判定したりと本当にメチャクチャだ。

それでも主審が偉い人で、そんな中国のラインズマンを信用しておらず、何度も何度も判定をくつがえす公正なジャッジに努めてくれていた。 それでもすべてをフォローできるはずもなく、おかしな判定がそのまま通ってしまうことも何度かあった。 結果的にどんなに公正なジャッジをしようとも日本が中国に負けていたとは思うが、何だか見ていて気分が悪くなってしまった。

その男子バレーは顕著な例だが、その他の競技でもかなり中国選手に有利な判定が散見される。 速さや高さ、飛距離を争う競技に不正が入り込む余地は少ないが、芸術点だの闘志だのと主観に左右されやすいポイントが重要になる競技では他国の選手が圧倒的に不利である。

審判といえども人の子、他国より自国の選手を有利にしたくなる気持ちは分からないでもないが、あまりにも露骨すぎると国民性はおろか、国家の品格までを全世界に疑われてしまう。 目に余るような行き過ぎた行為は止めておいたほうが良いと思うのだが、個人主義の塊である中国という国家に対しては他国への配慮とか協調などはおろか、公正な判断すら望むのは難しいのかもしれない。

日本国民は真面目すぎるくらいに真面目で、自国で開催される競技では世界に恥じぬ厳格なまでの公正さを求める余り、かえって自国の選手に対して厳しく不利な判定をしてしまうくらいなので日本の選手は大変だと思うし、他国の審判のジャッジに納得できないことも多いと思うが、日本人であることを誇りに思っていただきたい。

残り半分の競技においても偏った判定を中国が続けた場合、中国でオリンピックが開催されたことに対して、またはその後の中国や中国国民に対して世界はどういうジャッジを下すのだろう。

前言撤回

結論から先に書くと禁煙している。 7月28日(月)から始めたので今日で 13日目だ。 2000年2003年2005年と 『絶対禁煙なんかしない宣言』 をしてきた。 医者から止められようがタバコ税が上がって 1,000円になろうが、かたくなに禁煙を拒否して人類最後の喫煙者になってやろうと心に決めていた。 自分のことだけだったら今でも気持ちは変わらない。

実は 『お買い物日記』 担当者も喫煙者であり、二人そろっての愛煙家であったので一方の喫煙によって健康被害を与えるとかそういう心配がなく、それぞれが自己責任でリスクを負っていた訳である。 ところが 『お買い物日記』 担当者にちょっとした事情があって 7月24日あたりからタバコを吸わなくなった。 ところが、ずっと我慢していたのに 26日に一本だけ火をつけた。

タバコを止める気などさらさらなかったが、喫煙の欲求に耐えている人の目の前でブカブカ煙を出すほど無神経ではない。 3mm 程度のデリカシーのカケラくらいは持ち合わせているのでタバコを吸うのが申し訳なく感じるようになり、一人で禁煙するのも辛かろうと、一緒に止めることにしたのである。

電車に乗っている 1-2時間、飛行機の乗っている 3時間、海外渡航の 10時間、あれほどタバコを我慢するのが辛かったのに、今回は思いのほか簡単にタバコ断ちができている。 以前の独り言に書いたように最近は喫煙量が激減し、依存度が低下していたので止めるのも楽なのか。

それでも中毒であった事実に変わりはなく、それを断ち切るにはそこそこの努力と精神的苦痛を伴う。「ガルルル」 と野性に返り、「タバコをくれ~」 と言うほどひどい禁断症状はないが、最初の 2-3日はついついタバコに手が伸びそうになった。 実は何が何でも絶対禁煙という強い意志で始めた訳ではないので灰皿もタバコもいつのも場所に置いたままにしていたのである。

辛くて耐えられなくなったらいつでも中止することが可能な、ゆる~い気持ちで始めたのが逆に良かったのか、変に気負うこともなく過度のプレッシャーを感じることもなく、それゆえにイライラすることもなく過ごすことができている。 気持ちが落ち着いているから喫煙の欲求も少ないという好循環になっているのかもしれない。

それでも始めた当初はたまに吸いたくなる気持ちを抑えるために、ボトル入りのガムを購入して朝から晩まで噛んでいた。 こんなに咀嚼運動をしたことがあっただろうかと思うくらいアゴを動かしていると、こめかみに近い変な部分が筋肉痛になってしまった。 そしてタバコの変わりにガム中毒になるのではないかと心配になるくらいガムに依存するようになった。

開始から 10日以上経過した今ではガムへの依存度も低下し、一日に一度くらい口に入れるかどうかというところである。 吸いたいと思う間隔もどんどん長くなり、当初は毎時間おきだったものが数時間おきになり、それが食後だけになり、今は何かのタイミングでふと気が緩んだときだけになった。 そて今日、「もう大丈夫だよね?」 と言いながら 『お買い物日記』 担当者が残っていたタバコを捨てた。

本当にもう大丈夫なのか分からないが、二人で叱咤激励しながら続ければ禁煙は成功するかもしれない。

気象条件

今日から始まった夏の甲子園、第90回目の大会となる高校野球を今まで観ていた。 第一試合は北海道勢である駒大の試合で、中盤までに大量 8点もの差がついたので安心しながら他チャンネルのテレビを見ながら昼食なんぞをいただき、余裕を持って雑感を書こうと思ったら何だか雲行きが怪しく、2点差まで追い上げられたうえにまだ満塁のピンチを迎えている。

これはのん気に雑感など書いている場合ではないとの判断に至り、とりあえずは最後まで試合を見ていたが、どうやら最大のピンチもしのいで一回戦を突破することができた。 今回出場している駒大 (=駒澤大学附属高校) は、現在プロ野球 (楽天) で活躍している田中将大 (マーくん) の出身である苫小牧校とは異なる岩見沢校だ。

しかし北海道の野球チームもなかなか強くなったものだ。 少し前までは一回戦、二回戦での敗退が常であり、優勝旗が津軽海峡を渡るなど自分が生きている間に起こるはずがないと思っていた。 それが駒大苫小牧のおかげで二回も見ることができたのだから実に喜ばしいことである。

北海道勢が勝てるはずがないと思っていた第一の理由は気象条件にある。 今日の岩見沢市の最高気温は 22度で湿度が 60%前後、一方の甲子園球場は 32度で湿度 72%だ。 今日なんかまだマシなほうであり、これで 35度にも 36度にもなったら地獄である。

いくら若さがあるとはいえ、慣れない気象条件下で数日間を過ごすのも、ましてや激しい運動をするのも相当なストレスを感じながらのことだろう。 あのジメジメでムシムシな環境は道産子の生息に適さないのである。 中学生の頃、北海道を離れて二週間くらい生活したことがあるが、見事なくらいの夏バテになってしまい、食事がのどを通らなかったことがある。

今は宿泊先のスタッフが気を遣い、夏バテにならないような食事を用意してくれているのか、それとも選手たちの体に暑さに対する耐性が備わったのか。 いや、10度以上の気温差、10%以上の湿度の差を簡単に克服できるはずがない。 楽天に行った田中選手にしても、兵庫県の出身であり生粋の道産子ではない。 そうだそうだ。 道産子があの環境で生きられるはずがない。

そんな中、13年以上も大阪で暮らした自分たちって 「何て偉いんだろう」 などと褒めてみる。

遺伝

本当に遺伝というものがあるもので、『お買い物日記』 担当者は上二人の兄とよく似ている。 長兄は母上の遺伝子を、次兄と 『お買い物日記』 担当者は父上の遺伝子を多く受け継いだ顔立ちなので、とくに次兄と 『お買い物日記』 担当者は良く似ており、社内旅行の現地で次兄と再会した際、誰にもそのことを伝えていないのに 「お兄さんが来てるよ」 と言われたという逸話があるくらいだ。

長兄と次兄の顔はそっくりというほどではないが、きっと骨格は極めて類似しているのだろう。 ある夜、テレビを見ていて何かのタイミングで長兄が笑ったのだが、その笑い方、笑い声とも次兄にそっくりで驚いてしまったことがある。 骨格が似ているため声も似ているものと思われる。

そして、その三人は寝姿がまるで一緒だ。 両手を挙げてバンザイしながら眠っている。 次兄のことは詳しくないが、長兄も 『お買い物日記』 担当者も、片方の手を下ろしてやると自動的に反対の手も下ろすという特性を持つ。 さすがに真冬の寒い時期に手を上げて寝ることはないが、少し暖かくなってくると自然に手が上がるという季節要因も併せ持つ。

まだ深夜から朝方にかけては寒い時期、ふと目を覚ますと 『お買い物日記』 担当者の両手が上がっている。 触ってみると冷た~くなっていることも多く、布団に入れてやろうと静かに手を下ろすと、やっぱり反対側の手も連動して静かに下りてくる。 夜中に笑いをこらえるのは大変だ。

思わず声を出して笑ってしまったのは、三人がそろって両手を上げて寝ているのを目撃したときだ。 全員が同じ姿勢、同じ角度に手を上げてスヤスヤと眠っている。 長兄の奥さんである義姉とそれを見て腹の底から笑ってしまった。

自分の場合は過去にも書いたように白髪が多いのは母親ゆずり、姿勢が悪いのと骨格は父親ゆずりだ。 そして床にゴロンと横になり、くつろぐ体勢も完全に父親ゆずりであり、両手を頭の後ろで組み、ひざを立てて足も組む。 まったく意識も自覚もしていなかったのだが、リラックスすると体がその体勢を望むようだ。 何年かぶりで帰省した際に父親が同じ体勢でくつろいでいたので驚いたことがある。

背丈も体型も骨格も父親と似ているが、父親の死後何年かして残されていた服を着てみたら、どれも小さすぎて体に合わない。 残っている記憶では身長も同じくらいだったはずなのに、実際には自分より小さかったのが少し悲しく思えた。

残念ながら着られなかった洋服だが、今は 『お買い物日記』 担当者の体を温めている。 背も体も小さいのに、なぜだかサイズがピッタリだ。 父親もまさか自分の残した服を息子の嫁が着ることになろうとは思わなかっただろうが、きっと遠くで照れ笑いしながら見ていることだろう。

文字に触れて

活字離れが叫ばれて久しいが、厳密に言うと活字とは活版印刷された文字のことなので、電子写植が100%近い現代では活字など存在しない。 とりあえず、世の慣習に従って活字と呼ぶことにするが、自分の場合その活字に触れる機会は割と多い。 以前の雑感や独り言にも書いたが、定期購読している雑誌があるので毎日かならず目を通す。 それが読み終われば何冊かの小説を読みながら次週の雑誌が届くのを待つ。

独り言を毎日書いたり雑感を書いたりしているので文章を書くのが好きなのかと問われることもあるが、実際はひどく苦手だった。 小学生のころから作文、感想文などは大の苦手で、頭の中にあることをどうやって文章にしたら良いのかさっぱり分からなかった。 それは基本的に文章を読まなかったからであり、基本的なことが何も分からないから苦手だったのだと思う。

もの心ついて初めて触れた文字はグリム童話だったか何だか忘れたが絵本だった。 それがとても面白ければ本を読むのが好きになったのだろうが、その内容は刺激に乏しく、テレビでアニメやヒーロー物を観るほうがはるかに楽しかったので読書量が増えるはずがない。

それ以来、教科書以外は文字に触れることもなく、初めて文庫本を買ったのは中学二年生のときだった。 友人のマサルが本好きだったのでその影響を色濃く受けてしまったことが事の始まりだ。 最初は推理小説から始まり、歴史物、ノンフィクション、エッセーなど手当たりしだいに読むようになった。

時には理解できるはずもない不確定性原理なる本や、宇宙物理学の本まで買ってできの悪い頭から煙を噴出しそうになったりしていた。 海外の小説は登場人物の名前を覚えられないという欠点があったが、それでも推理小説に始まり、ツルゲーネフ、カフカ、ヘミングウェイなどなど、およそ自分のキャラクターに似合わないものまで読んだ。

いくら読んだとはいえ、それが何も身に付いていないのが自分の情けないところで、教養になった訳でもなく、人生訓を得られた訳でもなく、それによって文章を書くのが上手になった訳でもない。 少なからず良かった点は漢字を覚えたことくらいで、少し面倒な漢字も何とか読むことができる程度か。

で、話を元に戻せば今でも文章を書いたりするのは決して得意ではなく、書き出しと結末に整合性がなかったり、言葉遣いが変だったり、誤字脱字の嵐だったりして文章の体をなしていない場合が多い。 それでも書き続けている理由は何だろうと自問自答を試みても明確な答えが見つからない。

少なくともこの雑感は自ら課した義務のように捉えているし、独り言は日記のようなものであり、過去の記憶があやふやになった際に読み返せば解を得られるというまことに便利なツールであると理解している。 そして何より上手ではなくても文章を書くのが嫌いではないのだろう。

実はこのサイト意外にも複数のブログサイトなどを運営しており、毎日複数の場所で駄文を垂れ流している。 大変だと思う日もあるが、それほどネタに詰まることなく長続きしていることからも基本的に嫌いじゃないことが伺われる。 要は相変わらず自分で自分のことが良く分かっていなかったりするだけなのだが、負担に感じていないからにはもう少し続けていくことができそうだ。

想い出の居酒屋 其の陸

想い出の居酒屋 おしながき

例の通り、仕事の話禁止令が発動される中、ただひたすらにくだらない話で盛り上がり、酒と料理で胃袋を満たす日々。 それが何年も続くとさすがに話題にも事欠き、同じ話を何度も繰り返す事態に発展してくる場合も多い。

それは酔いのせいもないことはないが、ほとんどの場合は漫才や落語のネタのように毎度おなじみのパターンであり、水戸黄門でいつも決まった時間帯に助さんや格さんが印籠を出すのにも似た偉大なるマンネリズムのようなものだ。 第一、しらふであっても仕事以外はくだらない話に終始していた。

グリコ森永事件が世間を震撼させていた頃、店でチョコレートを指差し、「気をつけろ!このチョコに毒が入っているぞ」 とネタをふり、「それイチゴ(苺)って読むんです」 という会話も常態化していたし、「港(みなと)じゃ有名な話だ」 などと巷(ちまた)をわざと読み違えたりもする。 そんなグダグダな仲間が酒を飲むと、もっとグダグダになってしまうのは言うまでもない。

条件反射の代名詞として 『パブロフの犬』 という実験がある。 必ず犬に餌を与える前に鈴を鳴らしていると、犬は鈴の音を聞いただけで唾液を分泌するようになるというものだが、いつも決まったパターンの会話を続けていると、ツッコミもパターン化しており、「お前はパブロフの人間か」 と攻めると 「あ~、あの犬が餌食っているの見ると鈴鳴らしたくなるやつ」 という返しのボケまでパターンに組み込まれる。

たまにボケではなく本当に間違えることもある。 月面への第一歩を踏み出したのはアームストロング船長だが、それを 「ルイ・アームストロング船長」 と言って大笑いされたやつがいる。 実に惜しい。 正確にはニール・アームストロング船長であり、ルイ・アームストロングはサッチモと呼ばれた 20世紀のポピュラー音楽における偉大ななミュージシャンである。

その間違いが縁で彼はルイ・アームストロングの CD を購入し、愛聴することになったが、そこまでを 1セットとして酒を飲みながら長く語り継がれることになった。 『ツーと言えばカー』 という言葉があるが、我々の間では 『ツーと言えばヨヒョウ』 というのが定番だった。 ご存知、『夕鶴(鶴の恩返し)』 という物語の主人公で、鶴の化身である 『つう』 と夫の 『与ひょう』 からきたものだ。

とにかく一時が万事、まともとは思えず、普段から酔ったような会話を続けており、そこに酒が入ると訳が分からなくなる。 店の大将も呆れ顔で見ていたが、そんな若者たちをよく面倒見てくれたものだ。 店の売り上げにもある程度は貢献していたと思うが、一週間の疲れを笑って吹き飛ばすため、その店では週末の夜に果てしなき狂宴が長く続けられることになったのであった。

年金問題

消えた年金問題も収束しないうちから、新たな火種となるデータ消失問題まで発覚して社保庁は対応に追われているようだ。 まだ年金を受け取っていない現役世代に影響がある記録は約 300万件にもなるそうだ。 我が家にはまだ届いていないが、現役世代に対する 『ねんきん特別便』 の発送も開始された。

この問題で国会が紛糾し、参議院選挙で自民党が大敗を記した際も、どこか現実味がなく自分の年金について考えることもしなかった。 今まで支払いを拒否したことなどないが、積極的に支払った記憶もない。 いったい自分の年金がどうなっているのかさっぱり分からないし、むしろ興味すらなかった。

若い頃は年金に無関心であったし、受け取る年齢に達するのはまだまだ先のことなので今も切迫感がない。 こんな人は少なくなかっただろうし、お年よりは自ら行動しなくても自動的に支払われると安心していたはずだ。 国民の関心が寄せられたという点においては騒ぎになったのも悪くはなかっただろう。 だたし、それは無事にすべてが解決できればの話である。

10年ほど前、勤めていた会社が倒産した際に年金、健康保険などの手続きなどを自分でやらなければならなくなった。 その年は空梅雨で、6月だというのに異常なまでに暑い中を様々な手続きをするため大阪市内を駆けずり回った。

失業保険の手続きをするためにハローワークにも行ったりしたが、どこの役所でもヒマそうにしているオッサンとかネエチャンがおり、汗を流しながらバタバタと動き回っているこちらをよそに、冷房の効いた館内で一点を見つめながらボワ~としている奴もいれば、訪れる人を眺めながら印刷物を一枚一枚、それはそれはゆっくりと折り、ときどき薄ら笑いをうかべている奴もいた。

その時も人の税金で給料をもらっているくせに何という態度かと思っていたが、そんな奴らが単純な作業すらまともにできていないと分かったのだから余計に腹が立つ。 組織には、優秀な人が 2割、普通の人が 6割、パッとしない人が 2割という構成になりやすい 2:6:2の法則があるが、あの官庁は 1:1:8 くらいの構成ではないだろうかと疑いたくもなってくる。

もっと合理化し、コンピュータ化も進めば人員を半分にしたところで何の問題もないことだろう。 いや、税金の無駄遣いでしかないのだから訳の分からない奴は即刻クビにすべきである。 『全国健康保険協会』 とか 『日本年金機構』 などという新しい公法人を設立したところで中の人間が同じであれば何も変わらないに違いない。

インターネットで自身の年金加入記録をいつでも閲覧できる 『年金個人情報提供サービス』 などを慌てて開始してご機嫌とりをするヒマがあったら、さっさと記録の整合性を保ち、問題の解決に全力を傾けていただきたいものである。

で、自分の年金であるが、20歳を過ぎても学生をしていたりフラフラしていた時期もあり、最初の会社は契約社員として働いていたので、まともに年金を納めだしたのは人よりかなり遅いと自覚しており、受取額が低くなってしまうことを覚悟していた。

ところが最近になって年金手帳を確認してみたところ、若い頃から支払われていることが分かった。 仕事をする以前は親が、契約社員として働いていた会社も年金だけは払っていてくれたみたいだ。 この先どうなるか分からないし、支給額だって思いっきり引き下げられる可能性も大きいが、とりあえずは人並みに受け取れることになりそうである。

今は親と最初に勤めた会社に感謝しなければなるまい。

革命とテロと暴動とクーデター

北海道洞爺湖サミットがいよいよ目の前まで近づき、各種交通機関や主要道路などは厳重な警戒態勢になろうとしている。 上空には頻繁にヘリコプターが旋回し、不振な動きを見逃すまいとしている。 それもこれも各国要人をテロから守るためなのだろうが、ふと (テロとは何ぞや) という疑問が頭に浮かぶ。

テロリズムとは 「一般に恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段を指す。」 とあるが、革命との違いは何なのだろう。 革命とは 「主として民衆・被支配階級が意図を持って非合法的な手段によって国家・政府(支配階級)を倒し、国家体制を変更させること」 とあり、頭が悪いからか、そこに大きな違いを読み取れない。

暴力的行為に及ぶのがテロだとするならば、革命だって群集心理から暴力にまで発展することはある。 数日前に大阪の西成区あいりん地区であった暴動も、中には祭り気分だった馬鹿もいたようだし、逮捕された活動家が扇動したのだとしても、元をただせば労働者たちに大きな不満が渦巻いていたからだろう。 それに対する抗議活動がエスカレートした場合は単に 『暴動』 という言葉でくくられてしまうのか。

無血革命など稀であり、テロにしても暴動にしても血が流れて誰かが命を落とすのが常だ。 どこからどこまでが革命であり、テロであり、暴動であるのか。 そんなことは有り得ないが、仮に西成の暴動で抗議された警察が 「私達が悪うございました、今後は体制を入れ替えます」 と言ったら暴動は革命とみなされるのだろうか。 世界各地で起こっているテロもその政治的目的が達せられた場合、テロリストたちは革命家と呼ばれるようになるのだろうか。

ここにクーデターの概念が加わるともう分からない。 結果的に成功を収めたことからロシア革命だとかカーネーション革命などと呼ばれているが、失敗していたなら単なるクーデターとして片付けられていたであろう歴史的事例も多い。 革命とテロ、クーデター、暴動の間には何が存在するのか分からない。 単に成功すれば革命、失敗すればその他でしかないのか。

いろいろと考えていると頭が痛くなってくるので今回は早めに切り上げることにしようと思うが、国の威信もかかっているのだから、近く始まるサミットでは何事もなく無事に終わってくれることを祈るばかりである。

プルキニエ現象

人間の視覚のクセをプルキニエ現象と呼ぶことを初めて知った。 明るいところでは赤をはっきり認識できるのに暗いところでは認識しづらく、逆に明るいところで暗く見える青が暗いところでは遠くからでも認識しやすい。 これらは網膜の視細胞の働きによるものらしいのだが、そういう理由で交通標識に青が多く使われているのかと納得してしまった。

色は人間の心理にも大きな影響を与えるようで、太陽が赤く見える夕焼けに心がときめいたり、ざわめいたりするのも同現象が原因なのだという。 光の量や色が刻々と変化する夕暮れには心が不安定になりやすいもので、事故や犯罪もおきやすく、さらには衝動買いをしやすくなったりもする。 店がタイムセールをするのも在庫処理だけが理由ではなく心理を利用しているというから大したものだ。

赤は人間の生理作用に強く働きかける色で、興奮作用を起こす神経が刺激されて血圧や体温を上げ、気分を高揚させる働きがあるということだ。 実際に、赤いサイフと他のサイフを持ち比べると赤のほうが支出が多くなったという実験結果も出ているという。 そうなると夕焼けが綺麗な時間に赤い財布を持って出かけると、とんでもない事態を引き起こす可能性がある訳だ。

必要もないものを大量に購入してしまう危険性が高いと思われるので、決して 100円均一の店などに行ってはいけない。 ましてや赤を基調とした色で内装されている店などには足を踏み入れてはいけないのである。 それを逆手に取るならば、店を赤い内装にして夕方にタイムサービスを実施すれば売上げが伸びるかもしれない。

しかし、赤には憎しみ、怒り、恨みなどのネガティブなイメージもあり、他者にとって攻撃的になる色という一面を持っているので何でも赤くすれば良いと言うものでもない。 かなり以前に住んでいたアパートの近くに壁から椅子まで赤いファミレスがあったが、味も悪くなく値段も手ごろだったのに一年も経たず閉店に追い込まれたのは赤が持つ負の力が作用してしまったからか。

逆に青色には人の副交感神経に作用して落ち着かせる鎮静効果と心理的に人を冷静にさせる傾向があり、スコットランドでは景観改善のためにオレンジ色の街路灯を青色に変えたところ、犯罪が減少する副次効果が現れたという報告がある。 青色を見ると血圧が下がったり脈拍数が減少するというような事が起こるらしいので、本当に人を落ち着かせる効果があるのかもしれない。

だとすれば店内を青基調の内装にすれば売り上げが減るのかという疑問が浮かぶが、そんな店を見たことがないので何とも言えない。 いや、青基調の店がない、または極端に少ないこと自体、青が商売に向かないことの証明であるかもしれない。 青は食欲を落とす色とも言われ、青い照明を使ったダイエット法まであるので飲食店などは特に注意が必要だ。

色が人間の心理に大きな影響を与えるのは分かった。 だとしたら、どうなんだ日本サッカー。 青基調のユニフォームを着る日本代表が、赤基調の韓国代表に毎回のように苦戦を強いられるのはサムライブルーが原因なのではないか。 スポーツをするのに、ましてや死闘を繰り広げているのに鎮静効果で落ち着いちゃってどうする。

冷静さは必要だが、なかなか士気が上がらなかったり攻撃的な面が抑制されたりする悪い作用が働いてしまわないかと、少し心配になってきたりもする。