動線

二月下旬にこの家に住むようになってから三カ月、やっと体が馴染んできたような気がする。 大阪で暮らした十三年間、一度も引越しをしなかったので、その家の構造に体が馴染んでしまっており、頭で考えなくても行動することができたが、この家ではそうはいかず、何をするにも頭を使う必要があったので感じない程度のストレスが蓄積されていたのではないかと思う。

当たり前のことではあるが、玄関を入ってからリビングまで、キッチンの位置、トイレ、風呂、寝室の配置が違う。 そこまで異なれば意識して動くので問題はないが、小さなことで多くの戸惑いを覚えてしまうのである。 たとえばトイレのドア。 大阪で暮らしていた家とは開け方が左右逆だ。 大阪では右手でドアノブを回していたが、ここでは左手で開けることになる。

最初はどうしても右手でドアノブを回してしまい、トイレに入るには左手に持ち替えるか体を一回転させなければならない。 毎回トイレの前でクルクル回っているわけにもいかないので 「左手で開けなくちゃ」 と、トイレの前で一瞬考える。 風呂の入り口も左右逆だ。 こちらの場合も裸でクルクルしている場合ではないので浴室に入る前に 「左手で開けなくちゃ」 と立ち止まって考える。

洗顔のコツも最近になってやっとつかめてきたところである。 十三年間も使い続けてきた洗面台とは、その高さ、大きさ、奥行き、蛇口の長さまで違うので、顔面の泡を洗い流すために身をかがめて蛇口にデコをぶつけたりしていた。 最近では目を閉じたままでもスムーズに洗顔できるようになったが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかったのである。

こうなるまでに何度蛇口に頭をぶつけたり、手をぶつけたり、洗面台にヒジをぶつけたりして顔を洗うのも大騒ぎだったことか。 泡を洗い流す際の体の角度はどの程度が適切であり、ヒジを伝って水が床に落ちないようになるのか。 そのあたりの細かいことがやっと頭にインプットされたようで、最近になって無意識に動くことができるようになった訳だ。

起床してからトイレ、洗面所を使って散歩のために家を出るまでの一連の動作も、いちいち頭で考えずに行動できるようになった。 最初は 『お買い物日記』 担当者と正面衝突しそうになったりするので、右に避けるべきか、それとも左か、はたまた順番を変えるべきかなどと考えたりしていたが、今ではスムーズに行動して家を出ることができる。

就寝の際もトイレを経由して寝室と洗面所が直結している右のドアから入るべきか、リビングと続いている左のドアから入るべきか。 読み終えた本は枕元に置くべきか体の横に置くべきか。 ことほど左様に、ちょっとしたことではあるものの、いちいち頭で考えなくてはならないというのは思いのほか疲れ、小さなストレスとなっていたのではないかと思う。

小さなことが積み重さなり、今では頭で考える必要がなくなって自身の動作や二人の家の中での動線が決まってきた。 とってもささいなことではあるが、これが生活の慣れであり、微妙なストレスが解消され、この家が最も落ち着ける場所になってきたように思う今日このごろである。