雑感 なんとなく感じたこと 最終稿

突然ではあるが、本日の更新をもって雑感を終了する。

2000年の 9月から始め、この 8月で丸 17年となった。

いつまで続くか、いつまで続けるかと思っていたが、今月で丸 17年という節目でもあることだし、その他にも理由があって色々と考えた結果、本日の投稿をもって雑感の更新を終了することにしたのである。

最大の理由は優先順位だ。

管理人の独り言、そしてこの雑感の他にも複数のサイトを運営しており、あちらこちらで文章を書いているのだが、その中の一つで母親のこと、叔母のことを書いているため、この雑感に書いていたショウコノコトレイコノコトとも内容が完全に重複してしまう。

あっちで書いたことをこっちで書く気にはならないし、コピペするのは SEO的によろしくない。

普段の生活で思うことや感じることは別のブログにも書いているし、独り言でも触れている。

つまり、雑感に書くことが限定され、最近は過去の文章の続きであったり補足であったり、まるでハリウッド映画や日本のテレビドラマのように続編に次ぐ続編となってしまって書いていても新鮮味がない。

他のサイトでネタを使い切ってしまっているため雑感に書くことがないのが現状で、土曜の午後に悪い頭をフル回転させ、無い知恵をしぼってネタを絞り出すことが困難になってしまった。

しかし 17年間もよく続いたものだと我ながら感心する。

大阪から北海道に引っ越す際の混乱の中でも休まず、義兄が亡くなった直後も、『お買い物日記』 担当者が大病で入院している最中も、母親が入院し、その後この町に移り住むことになったゴタゴタの日々の中でも休むことなく続けてきたのは、たとえ悲しいことや腹立たしいことでも文章化し、書き殴ることによってストレスを発散していたからだと思う。

ところが今、他にストレスのはけ口があるので雑感を書くことは解消にならず、むしろそれがストレスとなることが多くなってきた。

これからは、他のサイトであまり気負うことなくダラダラと文章を書いていこうと思う。

 

自分本意な意見、超主観的な思いの詰まった単なる駄文を読んでいただいた方々には心から感謝を申し上げる。

 

最後に、いつも誤字脱字をチェックし、指摘してくれた義姉には深い感謝を申し上げるとともに、心からお礼を申し上げたい。

海外ドラマ

この連休中、狂ったように海外ドラマを観ていた。

些細な事も見逃すまいと、真剣に画面を見つめ、一語一句見逃すまいと字幕を真剣に読んでドラマの世界にどっぷりと浸る毎日。

ついには夢にまでドラマの中の人物が登場し、ペラペラと英語で会話しているのだが、テレビと違って字幕がないので何を言っているのかさっぱり分からない。

これだけ長く英語に触れていればスピードラーニングのような効果で日常会話くらいペラペラになっても良さそうなものだが、今でも知っている単語を何とか聞き取れるくらいなもので字幕がなければチンプンカンプンである。

今はあまり話題にならなくなったが、一時期は Winny(ウィニー)を代表とするファイル共有ソフトが流行し、そこで違法なファイル交換が行われて音楽や映画などのコンテンツが不正に拡散してしまっていた。

その中に聞き流す英会話教材でおなじみのスピードラーニングも不正に公開され、多くの人が無償でダウンロードするという事態になったことがある。

それだけ多くの人が興味を持っていたということだろうが、テレビやラジオ、雑誌などで紹介しているように聞くだけで英語が分かるようになり、まして話せるようにまでなるのか疑問で高いお金を払ってまで購入する気にならないが、どんなものか一応は試してみたいという人も多かったのだろう。

実際、『スピードラーニング 評価』とか『スピードラーニング 口コミ』などで検索してみると、恨みでもあるのかと思うぐらい徹底的に叩いているサイトが圧倒的多数なのが分かる。

まともに購入すれば 16巻セットで 6万円弱、おまけに返品不可という一か八か、清水の舞台から飛び降りる思いの決断を迫られる商品であるだけに、効果を実感できなかった人の恨みは計り知れないのだろう。

やはり楽して英語が身につくはずもなく、それなりの努力は必要ということだ。

そんなことはさておき海外ドラマの件であるが、『お買い物日記』 担当者と 2人で入れ込んでいるドラマがあり、それを観続けている毎日なのである。

韓流ブームの火付け役、冬のソナタのヨン様の声を吹替ではなく原語で聞き、その意味を理解したいと韓国語を勉強する人が多く現れた 2004年、今はその時のおば様たちと似たような感覚で、ドラマの中のセリフを英語で理解したいという思いは少なからずあり、それからの連想でスピードラーニングのことを思い出したので書いてみた訳だ。

なぜなら字幕版を見ても吹き替え版を見ても、微妙なニュアンスが伝わってこないことがあり、ドラマを見終わって 「はぁ?」 と思うこともしばしばなので、きっと翻訳の段階で意味が変わってしまって物語の本質からズレてしまっているのだろうと思う。

また、字幕版でドラマを見ていると、英語レベルが極端に低い自分であっても明らかに言っていることと字幕が異なるのが分かることもある。

ひどい時にはセリフが噛み合っていない場面すら目にすることもあった。

そんな時に心から思うのである。
「あ~こんな時、英語ができたらなぁ~」
と。

英語教育改革の成果が現れるであろう数年後、字幕など見なくても映画や海外ドラマを楽しめる世代が登場するに違いない。

そんな世代のことを本気で羨ましいと思う。

この歳になってしまえば今さら英語を学ぶ気にはならないし、そもそも社会人が気軽に通える英会話教室などこの町にはない。

ネットでの学習など自分には続かないと分かっているし、スピードラーニングは信用できないとなると、海外に引っ越して否が応でも英語を聞いて話さなければいけない状況にでもならない限りは原語の習得は難しそうである。

日本の映画字幕翻訳家で最も有名な戸田 奈津子さんが言っていた。

英語をそのまま訳すと、字幕の表示時間では読みきれないほどの文章量になってしまうと。

したがって、限りなくセリフの意味に近い短い日本語を代用するのだと。

『レイダース/失われたアーク』の 1シーンでは、直訳すれば
「俺は俺のやり方でやった。あんたが気に入らなくても仕方がない。これからはお互いに助け合っていこう。」
というセリフを
「昔の事は水に流して力になってくれ」
という一行に収めたという。

映画全体の流れとすればセリフの一部が簡略化されていても問題ないだろうが、我が家が好んで見ている海外ドラマは事件物、犯罪を捜査するドラマであるため、捜査過程だったり主人公の推理だったり、犯罪者の言い訳だったり犯行動機などなどを割愛して訳されてはたまらない。

しかし、残念ながら、たまにそういうことが起こってしまうのである。

そして、やっぱり思う。
「あ~こんな時、英語ができたらなぁ~」
と。

どこかの天才が寝ているだけで英語がマスターできる画期的な教材を発明してくれないだろうかと、なまけものの自分は切に願ったりしているのである。

夏季休暇に思う

お盆休みだというのにこうやって雑感などを書いたりしている訳で、それはつまり毎度のパターンで特に出かける予定もなく、ただひたすらにダラダラと過ごしているからに他ならず、休みが終わった際に何の思い出も残らないこと請け合いだ。

しかし夏季休暇といえば、どこに行っても混んでいるのが分かっており、たとえ出かけたとしても疲れるだけなのも分かりきっているので観光地など行く気にもならない。

昨年まではまだ故郷というものがあって実家というものも存在したが、ショウコがこちらに移り住んだことによって家も処分してしまったので、もう帰省するということもなくなった。

自分は車の運転をしないので、帰省の際には高速バスを利用していたが、ガーガー寝ていれば勝手に目的地まで運んでくれるという実にありがたい乗り物であり、ずいぶん楽をさせてもらったと思う。

北海道の高速道路など混んでいたとしても驚くほどの大渋滞にはならないが、何十キロも渋滞するような道のりを運転しなければならない人は大変だろう。

若い頃、海水浴の帰りにたった数キロの渋滞にあっただけでうんざりしたのを覚えており、それが延々と何時間も続くなど考えたくもない。

いつも言われることだが、いくら政府が休日の分散化を提唱しても一向に足並みが揃う気配がないのは、やはりそれには少なからず理由があるのだろう。

まずは偉そうに言っている自分だってそうだ。

お客さんありきの仕事をしていると、自分が休めるのはお客さんが休んでいるときである。

相手が仕事をしている時に休んでいては、急にお客さんのパソコンの調子が悪くなるとか、急に何らかのサポートを必要とされても対処することができない。

時代は大きく変化し、どこにいてもネットにさえつながれば様々なことはできるようになった。

事実、パソコンを遠隔操作できるようにしてからは、急なトラブルの際にも現地に行かず、家のパソコンから相手のパソコンを操作して問題を解決することが多くなっている。

その作業は使いにくさはあるものの、タブレットやスマートフォンからでもできるので、ソフト的なことであれば例え札幌にいようと大阪にいようと何とかなるという時代だ。

しかし、やはり現地に行かなければ解決しないトラブルもある。

実は先日の木曜日もお客さんのところに行って作業をしてきた。

社員の全員がアクセスするサーバーと呼ばれるパソコンのハードディスクに物理的な障害が発生し、そのまま使い続けると近い将来、間違いなく故障してしまうという状態になってしまっていたので購入したドライブと交換してきたのである。

こういうハード的なトラブルを解消するのは遠隔操作では不可能だ。

そして、そういうトラブルはいつ発生するか分からない。

したがって、自分が仕事を休めるのは、やはりお客さんが休んでいる時ということになり、時期をずらしてはなかなかゆっくりと休めないのが現実である。

そのような例は世の中に五万とあり、そうやって世の中が回っているのだから休日の分散化は難しいだろう。

そんなこんなで、混み混みの道路を運転しなければならない方々、混み混みの交通機関で移動しなければならないご家族様におかれましては、大変お疲れ様でございますと言っておくことにする。

嗚呼日本人 13

嗚呼日本人 ~目次~

世界から日本を訪れる観光客が大幅に増加し、昨年(2016)は約 2,500万人、今年は現時点ですでに 2,000万人を突破しており、年間を通じては 2,800万人を超えると予想されている。

この 10年で観光客が 3倍以上となっている背景には、観光立国を『国家百年の計』として重要な国家戦略の一つに位置づけ、政府が観光立国推進基本法を成立させてまで観光客誘致に力を入れてきたこともあるだろうが、アニメ、マンガ、ゲーム、音楽、ファッションなどの日本カルチャーが世界中で受け入れられるようになったことと、世界中で和食ブームとなっているという神風が吹いたのも大きいだろう。

今となっては日本に憧れ、日本文化を愛し、一度は日本に行ってみたい、なんなら日本に住んでみたいという外国人が急増している。

それは日本の文化が世界的に見ても独特であり、また、その価値観が認められたということだ。

しかし、これまた日本人独特の感性ではあるが、にわかにはそれを信じず、なかなか受け入れられない多くの人がいる。

日本の街、観光地はゴミもなくて綺麗だと褒められても、完璧主義の日本人はタバコの吸殻 1本、空き缶がひとつでもあれば、それを理由に決して綺麗ではないと否定してしまう。

しかし、他の国の観光地や町中と比べればゴミは 1/10、いや、1/100しかないのではないだろうか。

夜の繁華街を女性が独り歩きしても犯罪に巻き込まれることがないほど安全だと褒められれば、いやいや最近は治安が悪いなどと言ってしまう。

飛行機も他国から比べれば定刻に発着するし、電車などの乗り物は時間に正確だと褒められても、雪や風ですぐ止まるなどと言って肯定しない。

寿司が美味しいと褒められても、単に海が近くて魚が新鮮だからと答えたりする。

それは、取りも直さず日本人の育ち方や文化が特殊だからではないだろうか。

陶芸で少しでも色ムラがあったり歪みがあれば、地面に叩きつけて作品を壊してしまう日本人、ちょっとのキズや曲がりがあれば野菜や果物を規格外品としてしまう日本人、ちょっとでも気に入らない部分があればクソゲーとランク付けしてしまう日本人、とにかくラフな部分が少なく完璧を求めてしまう。

そして、日本人は謙虚であり、自画自賛しないで抑制的なのである。

たとえ個人が褒められても「周りにはもっとすごい人がいるので自分なんかはまだまだです。」と言うのが日本人だ。

いかに自分が優れているか、そうなるためにどれだけの努力をしてきたかを堂々と話す個人主義な国とは違い、徒弟制度だった時代が長く、職人気質で完璧主義な日本人は死ぬまで勉強、人生が終わるまで修行中という意識が強い人が多い。

時代は変わって国民性、個人の考えも変わりつつあるが、謙虚な人はまだまだ多くいるし、謙譲の美徳(謙遜し、へりくだることこそ褒めるべき心のあり方)を地で行く人こそが本物であると見られる傾向も根強く残っている。

バリバリ昭和生まれの自分も、どちらかと言えばそういう人が好きだし、自分もそうありたいと思っている一人だ。

これからオリンピック・イヤーである 2020年まで外国人観光客は増え続けることだろう。

富士山周辺や京都、奈良など、いかにも日本的な地域だけではなく、これから日本国内のアチコチに外国人が足を踏み入れると思われる。

「こんな田舎に来て何が楽しいんだろう」
「こんな所に来たって見るものなんかないのに」
「ここに来ても名物の食べ物もないし」
などなど、自信を持てない地方の町が圧倒的だが、映画のロケ地、マンガやアニメの舞台などになって一気に観光客が押し寄せる可能性だって否定できない。

何もなく、名物などなくてもその土地の素朴な料理を食べ、ゆっくりと過ごしたいという需要も決して少なくはないのだから、無理をせずに来る者を拒まなければ良いのである。

そして、日本人は世界がカルチャーや文化を認め、憧れまで抱いている人もいるということに、もう少しだけ自信を持って良いのではないだろうか。