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デジタル化の波 Signal-19

デジタル化の波 ~目次~

5年半前にもテレビ離れについて書いたが、各局が必死に視聴者を惹きつけようとする努力にもかかわらず視聴率の低迷、業績の低迷に歯止めがかからないでいる。

そもそも努力の仕方が間違っているので回復するはずもない。

インターネットの普及、スマートフォンの普及によって動画視聴が当たり前となり、いわゆる違法アップロードなどによってテレビ番組が不当に視聴されているというのがテレビ業界の認識で、それを打破しようと『民放公式テレビポータル』を立ち上げ、ユーザーをそちらに誘導して動画再生させ、動画広告の収入を得ようとしているが、ユーザーはそこまでして番組を見たいとは思っていないだろう。

これは音楽業界が音楽配信や違法アップロードによって CD販売が低迷していると主張していた十数年前に酷似している。

デジタル配信の普及によって、いわゆる版権や原盤権を持つレコード会社の利益は激減したかもしれないが、著作者に支払われる対価が不当に減っていない限りはビジネスモデルが大きく変化しただけのことであって、ネットの普及や違法行為が問題なのではない。

つまり、流通の中間マージンを省いた物品販売と同様に、今まではプロダクションやレコード会社を仲介し、さらには CDをプレスして製品に仕立てる業者、CDの卸業者まで仲介してCDショップに並んでいた楽曲が、作者の手からダイレクトにネット販売業者の手に渡るようになり、間に入る業者が一掃されたに過ぎない訳だ。

そして、音楽プレーヤーを持ち歩かなくてもスマホに何千曲も入る時代になっては、CDというメディアを必要としなくなるのは当然だろう。

そんな単純なことに気づかず、ただネット憎し、違法アップロード許すまじと叫んでいた業界は衰退して当然である。

話を元に戻してテレビ業界。

ネットが業績低迷を引き起こしているのではなく、ネット時代について行けていない業界の古い体質そのものが問題であることを認識したほうが良いだろう。

それはネットで番組を見られるようにするとか、ネット連動型のテレビ番組を制作するとか、そういう小手先の解決法では決してない。

もう番組作りそのものが古く、見る側にとって何の魅力もなくなってしまったことを自覚すべきだ。

良質なドラマ、良質な歌番組、良質なドキュメンタリーはまだテレビで放送すべきコンテンツだと思われるが、すでに解決したり、もうすでに発生している事件などを伝えるニュース番組はネットニュースを見ている人たちにとって何の価値もない。

アメリカの CNNやイギリスの BBC、カタールのアルジャジーラのように、24時間ニュースを追い続け、今起きていることをリアルタイムに伝えるようなメディアでなければ生き残るのは難しいのではないだろうか。

そもそも、今の時事にしても芸能ニュースにしても、ネットで話題になったり、芸能人がネットで発表したことを後追いで放送しているだけなので報道でも何でもない。

それの原稿を書き、定時になって放送する時には多くの人がすでに知っているのでニュースでも何でもないではないか。

今はまだネット難民と呼ばれる人が存在し、テレビやラジオのニュース、新聞でしか情報を得られないこともあるが、現在 40代以下の人たちは、ほぼ 100%がネットでの情報取得が可能だと思われるため、あと2-30年も経たないうちに後追いのニュースは必要なくなるものと思われる。

それまでに海外のように 24時間ニュースチャンネルを軌道に乗せておかなければ新聞社、テレビやラジオのニュース番組は壊滅状態になるのではないか。

それ以外のテレビ番組も実につまらない物が多いのに加え、昔ながらの手法で視聴者を惹きつけようとするものだから見ていて鬱陶しくて仕方がない。

よく使われるのが俗に言われる CMまたぎというやつだ。

最近は報道番組もバラエティー化が進んでいるため、事件を伝えている途中、
「犯人の心の闇に迫った」
とか
「はたして犯行の動機とは」
などと盛り上げておいて CMに行く。

そして、CDが明けると心の闇に迫るとか言っておきながら高校時代の知り合いに話しを聞いてみたり、小学校や中学校の卒業文集に犯人が書いていた内容を紹介する程度だったり、結局は犯行の動機など分かるはずもなく、近所に住む人が最近は少しイライラしていたみたいだという程度の情報でお茶を濁す。

そんなことの繰り返しなので、CM前にどんなに話しを盛り上げてもバカバカしさしか伝わってこない。

ましてネット世代は解を求めて検索し、できるだけ早く答えにたどり着こうとする。

そんな世代を相手に CMまたぎなどの手法で惹きつけようとするのは無理だろう。

早く知りたいのに気を持たせるようなことをされては反感しか覚えない。

スポーツニュースも同様で、そのスポーツに興味のあるネット世代であればすでに結果は知っている。

それなのにサッカーであればシュートを放った瞬間、野球であればピッチャーが投げた瞬間、またはバッターが打った瞬間に
「結果はどうなるーーっ!」
と CMに行かれても
「アホかっ!」
と思われるだけだろう。

他のバラエティー番組でもそうだが、盛り上げに盛り上げておいて CMまたぎという手法は今の世代には通用しないし、逆効果だということに早く気づいたほうが良い。

パソコン、スマホを駆使する世代は途中経過など無視してでも早く結論にたどり着きたいのである。

そういうことを理解した上で、どのような番組作りをすべきか検討すべきだと進言しておくことにしようと思う。

ファン

酒井法子しかり、その他の芸能人もしかりだが、たとえ法を犯しても芸能活動を再開できるのはファンの存在があるからだろう。

今回の騒動で SMAPが解散危機を乗り切ったのもファンの力が大きいものと思われる。

元プロ野球選手の清原が薬物所持で逮捕された。

以前から良からぬうわさ話が聞こえてきては消え、消えては聞こえということを繰り返していたが、とうとう逮捕されることになってしまった訳だ。

特に清原のファンだった訳ではないが、彼が高校生の頃からずっと見てきただけに少なからず心が揺れる。

清原ファンも多かっただけに実に残念なことではあるが、彼の場合はもう業界復帰は無理なのではないだろうか。

高校球児の頃からの付き合いである桑田真澄氏はテレビのインタビューで
「人生でも逆転満塁アーチを」
と応えているが、それは無理な話しだろう。

音楽関係の芸能活動をしていれば、これから先も大ヒット曲を生み出して一発当てることも不可能ではないし、芝居関係であれば大ヒット映画、ドラマの主役を務めて演技を評価されることもあるかもしれないが、彼のように野球解説、たまのバラエティー番組出演というポジションでは一発当てようがない。

ましてやオリンピックの代表監督、ワールド・ベースボール・クラシックの代表監督など依頼されるはずもないので、スポーツ関連で一発当てるのも無理だと思われる。

そして、アスリートだった彼のファンはいても、バラエティー番組に出演している彼、野球解説をしている彼のファンは多くないであろうから、これから先の人生で逆転満塁アーチを打つことは不可能だろうし、芸能界への復帰すら極めて困難なのではないだろうか。

少なからずいるであろう彼のファンがいくら望んだとしても、今後は報道以外でテレビ画面に登場することはないものと思われる。

BSE問題でアメリカ産牛肉の輸入が全面禁止になった時、吉野家は牛丼の販売を中断する決定を下したが、ファンは再開されるまで待ち続けた。

ペヤングソースやきそばにゴキブリが混入してしまった件にしても、ファンは販売の再開を望み、再開を待ち、再開されると売り切れの店が出るほど買い求める客がいたらしい。

それに引きかえマクドナルドの凋落ぶりは目を覆わんばかりだ。

中国の食品工場を舞台とする鶏肉の扱いが問題となり、その対応に追われ、その渦中にでさえ次々に異物混入が発覚したことによって食の安全に関わる信頼を失ってしまい、マクドナルドがいくら安全を宣言しても、いくら新メニューを投入しても、一向に客足は戻らない。

ついにはアメリカのマクドナルド本社が日本マクドナルドの持ち株を売却し、外部の力による再生を期待する事態にまで発展している。

離れてしまった客が戻らないのはハンバーガーを食べようとする際、それがマクドナルドである必要がないからだろう。

ハンバーガー業界のトップに君臨していたのはファンの支持ではなく、単に安いことと店舗数が多いことだけだったのか。

我家の場合は、もう何年も前から大好物だと書き続けている通り、ハンバーガーを食べるのならモスバーガーと決めている。

この街のショップは朝モスを実施していないので、ごく稀に朝の散歩の途中でマクドナルドに寄って朝マックすることはあったが、昼食、夕食代わりにマクドナルドのハンバーガーを食べることはなかった。

たまに無性に食べたくなってケンタッキーフライドチキンに行き、ついでにハンバーガーを買って食べることもあれば、札幌に行った際にはこの街にはないロッテリアで食べたりすることもあるが、年に一度程度の朝マック以外はマクドナルドが選択肢に入ることすらない。

そして、やはり我が家も世間と同じで、あの一件以来マクドナルドには一度も行っておらず、つい最近になって始まったアホみたいに長い仮名の商品が発売になろうと一切の興味を失ったままだ。

それでもマクドナルドが進める改革の閉鎖対象になっていないところをみると、この街の店舗は極端な不採算店ではないのだろうか。

すぐ近くに学校があり、その店には学生客が多いので何とかやって行けているのかもしれない。

学生にとっては価格が優先であり、過去の一件に関しても気にしていないのだろうが、子の体を心配する親たちの心境はいかばかりであろう。

経済っぽいこと

もちろん経済など学んだことはないので面倒な話しはできない。

そこで、以前から何となく思っていることをツラツラと。

まずは以前から不思議に思っていることになるが、それはアメリカと日本の株価の動きである。

日本では平均株価が 1日で 500円も値下がりしようものなら株価暴落などとマスコミが騒ぐ。

しかし、アメリカでは500ドルの値下がりなど日常茶飯事だ。

500ドル、同じ500でも円とは大きく違い、今日現在の為替レート 1ドル 121円だと6万500円になる。

ダウ平均株価は16,466ドル(1,992,386円(日経平均は17,518円)いずれも今日(2016/01/30)現在)と、圧倒的に母数が異なるとは言え、平気で 6万円も上下するのだから経済のダイナミズムの違いを思い知らされる。

これだからアメリカには株長者が存在し、株価の変動で一喜一憂するのだろう。

ひるがえって日本。

500円程度の変動で一喜一憂するのが馬鹿らしくならないのだろうか。

世界第二位の経済大国という地位も中国にあっさりと抜き去られ、アジアにおける発言力も何も失ってしまった日本は、これから益々アジアの隅っこに追いやられてしまうことだろう。

海外から安価に輸入していた肉や魚、野菜などは中国の台頭によって国際市場で買い負け、輸入量が激減しているので国内市場では値上がりが続いている。

日銀や政府がインフレ目標を設定し、ゆるやかな物価上昇になるようにコントロールしようとしているが、賃金上昇との組み合わせによる健全なインフレではなく、このままでは単に日本の国力低下による値上がりになってしまう。

鶏や豚、牛の餌となる飼料も輸入品が主であるため高騰し、国産肉の価格も上昇、輸入肉も値上がりとあっては、とても健全なインフレとは言えない。

コーヒー豆からカカオ豆、砂糖やバターに小麦、ありとあらゆるものの国際価格が高騰しているため企業努力だけでは吸収しきれず、じわりじわりと値上がりが続く。

今はまだジワジワという感じなので、健全ではないにせよ政府はインフレ目標に向かった動向と主張しているが、実は政府や日銀なんぞではコントロールできない次元で値上げ圧力が強まっているだけなのではないだろうか。

そして、いつかどこかでバランスが崩れた時、ハイパーインフレとなって物価が10倍、100倍と歯止めがかからなくなる危険性をはらんでいるような気がしてならない。

また、全く逆のシナリオで世界同時デフレの兆候も見られる。

以前の雑感にも書いたように、デフレ克服には最低でも何十年、長ければ百年のスパンを必要とするらしい。

そして、全世界がデフレになるかも知れないという懸念がある中、日本だけがデフレ脱却などと声高に叫んでいるのは恥ずかしくもあり、滑稽ですらある。

景気の気は気持ちの気と言うので、何となくデフレ克服、景気浮揚と連呼していればみんながその気になって経済が上向くと思っているのだろうか。

そんな馬鹿らしいことに付き合っているヒマなど、忙しい日本人にあるはずがないのだが・・・。

規制

どういう訳か、飛行機事故が発生すると各地、各国でも同じような事故が起きる。

地震や火山噴火であれば同じ地殻で連鎖するのは当然だと思うが、なぜ事故も連鎖するのだろう。

ここのところ続いているバス事故も同様だ。

北海道において JRの事故が多発したのは単にJR北海道の体質や管理体制が腐っていただけだったが、今回のバス事故は一社によるものではない。

昔の人は、こういう時に何かのたたりとか、何かに呪われているとか思ったりしたのだろう。

しかし、そのような現象などあるはずがないと現代科学は答えをだしている。

しかし、しかし、なぜ事故が連鎖するのかは現代科学をもってしても答えを導き出せていない。

それはさておき、このような事故が頻発すると、知識人と呼ばれる人たちは過度な規制緩和がもたらした結果であるため、やはり一定の規制は必要だと言い始める。

数年前、タクシー料金の自由化、参入障壁の撤廃が進んだ結果、過度な価格競争と過重労働、運転手の賃金低下を招いたとして再び規制が復活してしまったが、それは果たして正常なことだろうか。

あのまま続ければ一時的な痛みはあるにせよ、競争原理が働き、自然淘汰が進めば業界は落ち着きを取り戻したに違いない。

そして、適正な料金に落ち着き、それを基に労働時間、賃金が導き出されるようになったことだろう。

それを待たずして、ちょっと問題が出たからといってすぐに規制を強化するのはいかがなものか。

価格競争にさらされ、合理化を進め、それでも一定の労働条件と賃金を維持している業界は山ほどある。

熾烈なシェア争いをしている携帯電話キャリアも然り、インターネット・プロバイダーも然りだ。

今回のバス事故の多発によって、また規制は強化されるだろう。

しかし、タクシー業界のように自由参加の機会まで奪うような規制はやめてほしい。

日本の官僚は、業者が平身低頭で足繁く通ってくるのを偉そうな態度で接することに優越感を覚え、その状況を続けたいからなのか、厳しい態度で処分すると言いながら行政処分にとどまる。

そんな行政指導だの処分だのをちんたらやっていないで、大きな問題を起こした会社は市場から退場させるべきだ。

問題の多い業者は実名を公表した上で世の中から抹殺する。

つまり、法人格に対する死刑判決、死刑執行を行えるようにすれば良い。

とんでもない原子力事故を引き起こした東電など死刑宣告した上で一時的にでも国有企業とし、今回の電力自由化で希望者に売却すれば良かったのである。

訳の分からない勝手なことをやっていた化血研にしても、30日間の業務停止命令など甘すぎるではないか。

こんな組織は死刑にして一時国有化し、営業権を他社に売却したら良い。

あるいはアメリカやヨーロッパのように10兆円くらいの課徴金や追徴金の支払いを命じ、それが払えずに倒産するなら勝手にどうぞという姿勢で臨むべきだ。

そうすれば業界に緊張感が生まれ、アホなことをする会社も減るのではないだろうか。

特定の業界の参入障壁を高くしたり、経営や業務の自由度を奪うような規制ばかり強化していないで、労働基準法に違反したり不正を働いたり、人命を奪うような大問題を起こした場合の制裁強化のほうがより効果的だと思うのだが、どうだろう。

真性雑感 第十八版

真性雑感 ~目次~

■ SMAP

たかが芸能人、もう中年となった元アイドルグループが分裂の危機にあるとかないとかで世の中は大騒ぎしている。

割りと身近である台湾が中国の軍門に下ってしまう道を選ぶのか、あくまでも独立を目指すのかを決める重要な選挙があったり、ついにアジアもISによるテロ攻撃の標的になってしまったとか、様々な重要な案件を吹き飛ばすほどの勢い、重要性が高い国民の関心事がSMAPとは、日本がつくづく平和だと思い知らされた。

自分にとってSMAPなどどうでも良く、事務所を移籍しようが解散しようが関係もなければ何の問題にもならないし、まったく気にならない。

どこかの経済専門家に言わせると、SMAPが一年間に生み出す経済効果は 6百数十億円であり、それは阪神が優勝した場合の効果に匹敵しているため、それを失うとなると日本にとって経済的損失は計り知れないということだ。

例えそうであったとしても、いつまでもSMAPが存続するとは限らないし、今後何十年も人気を持続できるか未知数であることから、恒久財源であり得るはずがないではないか。

■ ベッキー

SMAP騒動で話題がそれたのはベッキーにとってラッキーだったか。

今まで浮いた噂の一つもなく、芸能人の間でも業界関係者の間でも評判がよく、一般人からの好感度も高かったのに初スキャンダルが不倫とは。

最近、たまたまベッキーのお相手である『ゲスの極み乙女。』をテレビで見る機会があり、川谷絵音の異才ぶりに驚いたところだったので少なからず興味を持って、いや、SMAPの件より高い興味を持って報道を見ていた。

現在伝えられていることが本当で、結婚半年で離婚危機 → 元カノとの一悶着 → ベッキーとの不倫が事実なのであるとすれば、それはもう突き抜けており、昔の歌舞伎役者、若かりし頃の石田純一、火野正平と同レベルだと思えるので嫌悪感どころか実に愉快な人物に思えてくる。

昔から『浮気は男の甲斐性』というが、彼らにはその甲斐性があるのだろう。

補足になるが、この言葉の意味を取り違えている人が多い。

浮気をするのが男の甲斐性であると。

それはまったくの逆であり、甲斐性のある男が浮気できるのである。

つまり、甲斐性のある男にのみ浮気をする権利があり、甲斐性なしは浮気などしてはいけない。

だから自分は浮気をしないし、浮気などできないし、浮気などしてはいけないのだ。

■ テレ東化

以前の雑感に我が家では見る番組の 90%がテレビ東京系だと書いたが、そのテレ東が好業績を収めている。

以前は釣り番組と旅番組しかないなどと他局から嘲笑されていた同局が個性的なヒット番組を連発した結果、小馬鹿にしていた他局の平均視聴率を上回り、その独創的な番組内容からスポンサーも獲得しやすく、視聴者の満足度も高いことから業績低迷にあえぐ他局を尻目に一人勝ちになっている。

恥も外聞もないのがテレ東をあざ笑っていた他局だ。

吉本興業やらジャニーズ事務所、その他の番組制作会社が持ち込む企画に依存しすぎて自局での企画能力を失ってしまったため打開策すら出せずにいる。

その結果、あれだけ笑いものにしていたテレ東の番組を丸パクリし始めた。

外国人、職人、日本の技術、旅先での人とのふれあいというテレ東が得意とするキーワードを詰め込み、職人さんの手によって生み出される日本の技術力の結晶を外国人に見せて驚いている様を放送したり、今までは寄り付きもしなかった地方の街をぶらり旅してみたりと全局がテレ東化してきている。

まったく、彼らは恥というものを知らないのだろうか。

ショウコトレイコノコト 3

我が母ショウコが一人暮らしを続けることを断念したのは昨年10月のこと

ついては施設を探してほしいとのことだった。

この街の自治体に連絡し、窓口で説明を受けて地域包括支援センターの存在を知り、早々に連絡してみたところ、対象者、つまりショウコが現在どういう状態であるかを確定する必要があるとのことだった。

その状態とは、支援が必要か、介護が必要か、そして必要な場合はどの程度かという、いわゆるランクのようなものである。

数年前にショウコは『要支援 1』だと認定されているが、骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折を機に右下半身の痛みで歩行に支障をきたし、行動範囲が狭まって運動不足におちいり、ますます筋力が低下するという負のスパイラルが続いていたので、ランクは上がっていると予想された。

また、施設への受け入れは介護度が高い人ほど優先されるので、『要支援 1』では受け入れ先が極めて少ない。

そこで昨年の 10月に故郷の自治体に連絡し、要介護認定の申請をして審査が実施されたのが 11月。

結果がでるまで 3カ月程度と聞いていたので今年の 1月下旬か 2月になるだろと予想された。

昨年末に帰省した際、結果は 1月中に届きそうか確認したところ、
「もう来てるよ」
などとツラっと言ってのけるショウコだ。

あれだけ真剣に話し、ショウコの住む街の担当者ともやりとりしたのだから、結果が届いたなら何をおいても真っ先に知らせるのが筋というものではないだろうか。

さすがに母子だけあって、自分と同じように合理主義的なところがあるショウコにしてみれば、どうせ年末になれば会って話せるのだから電話連絡する必要はないと思ったのかもしれないが、それにしても何か一言くらいあっても良いだろうなどと腸が煮えくり返るような思いを抑えつつ封筒から取り出した書類に記載されていたのは『要支援 2』の文字。

以前と比較するとあれだけ弱っており、様々な病歴も増えてまともに歩けなくなってしまったので当然の事ながら『要介護』になるものと思っていただけに大きな戸惑いを覚えた。

それだけ元気な証拠と喜ぶべきなのかもしれないが、一段階ランクが上がったとは言え『要支援』では受け入れてくれる施設が一箇所しかなく、昨年末に確認したところその施設は入居待ちが 26人という状況だ。

それだけの順番を待つとなると間違いなく年単位の時間が必要となるだろう。

もう一人暮らしはしたくないというショウコをいつまでも待たせる訳にはいかない。

そうなると施設を予約しつつこの街に呼び寄せて入居できるまでの間、同居という選択肢はないのでサ高住と言われるサービス付き高齢者向け住宅にでも入居させるしかないものと思われる。

しかし、そのサ高住ですら入居待ちになっている可能性が高いので不動産屋さんに問い合わせなければならない。

その前に地域包括支援センターにショウコが『要支援 2』と認定されたことを伝え、ショウコの年収(年金受給額)などを加味した上で入居可能な施設を絞り込んでもらい、空き状況によっては順番待ちのリストに加えてもらうという作業も必要だ。

頭では理解しているのだが、正月早々にやることでもあるまいと今週はずっと放置していたが、来週になったら少しずつでも行動しなければならないだろう。

この話と関連するもう一つの懸案事項。

帰省の際に叔母のレイコの家にも遊びに行き、ショウコが街を出た後のことについて話をしてきた。

耳鳴りがひどくなってきたのか、会話をするには以前よりも大きな声をださなければならなくなってしまったが、それ以外に大きな問題もなく達者に暮らしている。

股関節が痛いと言った時にはさすがに足に来たかと思ったが、実は数日前に屋根の雪下ろしを何時間もやったとのことで、相変わらずのスーパー婆さんぶりを発揮しているようだ。

そして、いつものように一緒の街で暮らそうと言ってみたが、
「私は人の世話をするのには慣れているけど、人の世話になるのには慣れていないのよ」
などと言って首を縦に振らない。

「嫌だったら世話なんかしてやらないから」
と言おうと
「とりあえずはすぐに会える距離に住んでくれたら安心なんだけど」
と説得しても聞く耳をもたいレイコだ。

それでも今回、同じ街に住むことを提案しているのが自分たちだけではないということを知り、少しだけ安心することができた。

ショウコやレイコのきょうだいの息子や娘、つまりはレイコにとっての甥や姪が同じようにレイコを心配し、こっちに来ないかと声をかけているという。

レイコと違う籍を持つ自分より、同じ籍を持つ甥や姪のほうが遠慮も少ないだろうし、レイコがそれを選ぶなら仕方がないとは思う。

しかし、以前の雑感に何度となく書いたように、幼い頃から世話になったレイコにはひとかたならぬ恩義を感じているし、幾度となく自分を助けてくれたことに深く感謝している。

できることであれば、この街でレイコが余生を過ごしてくれることを願ってやまないが、いったいどうなることだろう。

旅の途中

14年ぶりに年末年始を故郷で過ごした。

母親も叔母も相変わらずだったが、今日は時間がないのでその話は後ほど。

今回は移動中に目にしたこと、思ったことをつらつらと。

まずは帰省のため実家に向かうバスの件。

この街から札幌に向かうバス、札幌で乗り継いで故郷に向かうバス。

冬期間は時間通りに運行するのかがとても気がかりだ。

札幌での乗り継ぎは待ち時間が 30分程度しかない。

吹雪や大雪で高速道路が通行止めになったり速度規制になりでもしたら次のバスに間に合わないという緊迫した状況だ。

今回は事前の天気予報はハズレて好天に恵まれたため問題なく乗り継げた。

札幌から故郷に向かうバスでは乗客の何人かが風邪をひいているらしく、ゲホゲホと咳き込む人、グシュグシュと鼻をすする人、くしゃみを連発する人などがおり、我が体内がウィスルに侵食されないか気が気でならなかった。

到着してから知ったのだが、前日の 28日は悪天候のため高速バスが運休になったらしい。

そんな影響もなく順調に帰省できたのは晴れ男の異名を持つ自分のパワーか。

29日の午後から今日まで実家で過ごし、今度は帰路の話し。

いつもは空席が目立つ札幌行きのバスなのだが、さすがに帰宅ラッシュのピークといわれる 2日だけあって、何とバスが 2台停まっていた。

実家で過ごした数日間の疲れがどっと出てウトウトしているうちに札幌に到着。

バスの乗り継ぎまで 2時間ほどあるので、いつもなら色々な店をめぐって時間をつぶすのだが、果てしなく疲れていたのでベンチに座ったままじっと時間が経つのを待っていた。

バスを降りてからの移動、ベンチに座っている間、何組かの家族の同じような光景を目にする。

それは一様に小さな子どもを連れた家族なのだが、買い物に飽きて疲れてしまった子どもが
「家に帰りたぁい」
とグズっていた。

そこで思ったのだが、子どもが欲しがる物、例えば玩具でもお菓子でも良いのだが、それは最後の最後に買ってやるべきだろう。

大人の買い物の途中でグズりだしたなら
「もう少ししたら買ってあげるからね」
と説得できるだろうし、それでもグズグズ言うようなら
「じゃあ買うのをやめて帰る?」
と選択肢を与えることが可能だ。

そこで『待つ』を子どもが選択したなら少しは大人しくなるだろうし、『帰る』を選択したなら出費を抑えることができる。

そんなことを何となく思ったりスマホでゲームなどしているうちに時間となって、札幌から我が街までのバスは出発。

本当に直前まで・・・降車する 3分前まで雨混じりの雪が降っていたため、濡れて帰宅することを覚悟していたのだが、バスを降りるとすっかり雨は止んでいた。

ここでも晴れ男の面目躍如で濡れることなく帰宅できたのは実は幸いなことである。

2015年の終わりに

今年も一年が終わろうとしている。

北海道への引っ越し義兄の急逝、『お買い物日記』 担当者の大病と続いた2008年以降は平穏な日々を過ごしていたが、今年はちょっと忙しかった。

母親が背骨の圧迫骨折に伴う腰痛がひどいというので、まだ真冬並みに寒い2月の帰省に始まって 4月、6月、9月と 2-3カ月おきに行くことになり、最初は気力で頑張っていた母親も次第に気弱になってしまい、とうとうこれ以上は一人暮らしを続ける自信がないとギブアップする事態に・・・。

それも仕方なかろうと、今はこの街に呼び寄せるため施設探しを始めようとしているところだ。

本心は故郷に戻って一緒に住んでほしいと思っているだろうが、迷惑をかけまいと思っているのか自分から施設を探すようにと口にするあたりが我が母の偉いところである。

そう指示されたら息子としては気が楽なもので、本人にも周りにも遠慮することなく準備を進めることができるからだ。

実は今年、9月に帰省した際に母親が、年賀状の季節が近づいて憂鬱だ、暗くなると見えないので昼間の明るい時間しか宛名を書けない、手が震えるようになったので書くのも大変だ、疲れるから 1日に 5枚くらいしか書けないなどとブツブツ言いまくるのを見かねた 『お買い物日記』 担当者が、パソコンによる宛名の印刷を申し出てくれた。

我が家は共稼ぎだったので父親も母親も人付き合いが多く、子どもころは何百枚という年賀状のやりとりがあったが、すでに父親も他界して 20年以上が過ぎ、母親も年老いたということは必然的に知り合いも高齢化しているため天寿をまっとうする人も多いらしく、住所録作成のためにあずかった年賀状の枚数は驚くほど少ない。

それをパソコンに入力して出来上がったデータベースは、そう遠くはない将来に必ずやって来るであろう、母親の訃報を知らせるべき人たちの住所録でもある。

急にその時が来ても慌てることがないであろうから、宛名印刷を申し出てくれ、住所録を作成してくれた 『お買い物日記』 担当者に感謝しなければなるまい。

例年になくバタバタしていたのは言い訳にならないが、昨年も、その前の年も、その前からも、2011年からずっと年末の雑感に書き続けているホテルでの昼食バイキングは今年も実現しなかった。

そのホテルは徒歩 10分程度のところにあるので、その気になればいつでも行ける。

いつでも行けると思うのが結果的に良くないのか、食べに行ってみようかと話題にのぼってから早くも 5年。

会員になれば割引になるというものにメンバー登録し、週替りのメニューをチェックしていた時期もあったが、今はその Webサイトをチェックすることも、話題にのぼることもなくなってしまった。

そして、週替りだったメニューはいつしか 2周間に一度になっていたことを最近になって知る程度の興味しかなくなってしまっているが、来年こそ一度くらいは行ってみようと思っている。

仕事に関しては大躍進するようなこともなく、相変わらずのペースで続けているが、少なからずスキルは向上しているはずだ。

もう歳なので物覚えは悪くなってしまったが、時代に取り残されないよう必死にもがいている。

Webページを表示するための記述も HTMLから XMLを経て、今は HTML5でスマホにも対応できているし、画面をデザインするのも CSSから CSS2、CSS3という変化に何とかついて行っており、操作性を向上させるため PHPというプログラムや jQueryというプログラムを駆使するようになった。

来年も様々な技術革新があるだろう。

その波に乗り遅れないよう、今より必死について行こうと思いつつ、今年の雑感を終わろうと思う。

想い出の居酒屋 其の拾壱

想い出の居酒屋 おしながき

北海道に帰ってきてからまた通うようになった居酒屋。

今まで一年に一度、実家への帰省の際に札幌に一泊して夜は店で過ごしていたが、今後は店に顔を出す機会が極端に少なくなってしまうものと思われる。

第一に、母親がギブアップしたので実家での一人暮らしではなくなる日も近く、そうなれば帰省することもなくなるので札幌に宿泊する必要性が失われてしまう。

第二に、宿泊する可能性があるのは 『お買い物日記』 担当者の通院に付き合って札幌に行くときくらいなものだが、札幌に限らず外国人観光客が日本に大挙して押しかけている状況下にある昨今、何カ月も前でなければ宿泊先の予約をとるのが難しいため、たまには札幌で一泊して買い物や食事など・・・と、安易にできないようになってしまった。

そんなこんなで店への足は遠のいてしまうだろうが、これからも可能であれば一年に一度くらいは行ってみたいと思っている。

昨年、居酒屋のママがくも膜下出血で倒れ、緊急入院したのは前回の雑感に書いたとおりだが、そんな生きるか死ぬかの状況だったのにも関わらず、退院した帰りの車の中でマスターに向かって
「タバコちょうだい」
と言ったというのだから大したものだ。

しかし、体力はすっかり落ちてしまい、もう店に出るのは辛いということで今は半隠居生活を送っていて、店が極端に忙しい時にのみ手伝っているという。

それでも去年も今年も店に行けば住まいである二階から降りてきて話しをしてくれる。

実はママ、昔からガリガリに痩せており、体は丈夫そうじゃないと思っていたが、『お買い物日記』 担当者が大病をする少し前には大腸がんで生死の境をさまよい、子どものころには骨髄炎で苦しんだのだそうだ。

今でこそ抗生物質が発達しているが、昔は骨髄炎を発症すると死亡リスクも高く、後遺障害が大きな問題でもあったらしいのだが、その時もママは後遺症を残すことなく完治したというのだから運は強いのだろう。

そんな訳で、たとえ店には出ていなくても年に一度くらいはママの様子も見てみたいと思っている。

かなり以前に書いたように、ママとマスターは部屋で猫を飼っていたのだが、その猫は 18年生きて、つい最近まで飼っていたというから驚きだ。

猫の死があまりにも辛かったので、もう飼うまいと思っていたらしいのだが、最近になってまた猫を飼ったという。

以前に飼っていた猫は人見知りが激しく、以前に何人かで交代しながら 3時間以上も猫じゃらしを振り続けたものの、まったく近寄って来なかったという筋金入りだったが、今度の猫は人懐っこくて警戒心も薄く、手に乗せたエサを食べる。

店の近所で建て壊しになったアパートで飼われていたらしいのだが、飼い主が猫をおいて行ってしまったらしく、野良となったその猫に何度かエサを与えていたところ、定時にやってくるようになったという。

猫も賢いもので、何時頃にあの店に行けば食べ物をくれると学習したのだろう。

そして、猫好きな夫婦にもう一押しすれば飼ってもらえると考えたのかもしれない。

とにかく夕方 5時頃、夏に開け放っていた店の入口できちんとお座りをして、食べ物が貰えるまで待つようになったのだそうだ。

前の飼い主のしつけが良かったのか、良い子にしていれば家族の一員にしてもらえると踏んだのか、猫は勝手に店に入るようなことをせず、ただじっと座って待っている。

その姿が可愛かったり健気に思えたりして、ついつい脂ののった刺し身だの季節の魚だのを焼いて食べさせているうちに毛艶が良くなり、どんどん情も移ってきてしまい、とうとう飼うことになってしまったのだそうだ。

今年の 9月に行った時には猫も店に顔をだし、カウンターのお客さんから刺し身をもらって食べていた。

やはり教育が行き届いているのか、決して小上がりの畳の上に上がったりしない。

そんな猫、病気がちのママ、いつも明るくしているマスター。

やはりたまには会って様子を見たいし話もしたい。

母親が故郷を出たあと、何の名目で札幌での夜を過ごすことができるだろうか。

記憶 Memory-17

過去の記憶

ここ数日は妙に暖かい日が続いているが、それが終われば冬本番、北海道内各所でスキー場がオープンすることだろう。

生まれ育った街は四方を山に囲まれた盆地であり、とても雪深い極寒の地だったのでウインタースポーツが盛んだった。

市営のスケートリンクもあれば、各学校では校庭に水をまいてリンクを作っていたので誰もがみなスケート靴を持っており、冬は体育の授業でもスケートの時間があったほどの土地柄だ。

周りが山ばかりなのでスキー場が 3箇所もあり、超々初心者からプロまで誰もが楽しむことができる。

リフトや売店などなく、設備は整っていなくてもスキーを楽しめる斜面は街のあちらこちらにあったので、多くの子どもがスキーやソリ遊びをしたり、ただ斜面を転がって遊んだりしていた。

おまけに豪雪地帯であるため、学校のグラウンドに除雪車が雪を積み上げて巨大なスロープを作り、体育の授業でスキーをしたり授業が終わってから遊んだりしていたものである。

子どもの頃からスキー、スケートに馴染み、体育の授業にまでなっていたのだから、余程の運動音痴でもない限りは誰もがスキーもスケートも滑ることができた。

もちろん自分もそうだったので、今でも頭の中ではスケートも滑ることができるしスキーだって見事に乗りこなせる。

ただし、もう何十年という単位でウィンタースポーツから離れているので筋力、体力がついて行かないであろうし、体型も見事に変わってしまったので頭の中にあるイメージとは大きくかけ離れ、実際には無様な姿をさらすことになってしまうことだろう。

子どもの頃は学校が終わるとそのまま校庭のスケートリンクで遊んだりしたし、家から徒歩20分くらいの山に行ってスキーをしたりして冬を過ごした。

その山は管理された場所ではないのでリフトもなく、10分も20分もかけて斜面を登らなければならないのに、滑り降りるのは一瞬で終わってしまう。

設備の整ったスキー場は車で 10-15分の場所なので一人で行くことはできないし、リフト代もばかにならないので毎日は通えない。

それでも冬になれば 1シーズンに何度もスキー場に行っていた。

親に送り迎えしてもらうこともあったが、多くの場合はバス代とリフト代をもらって一人でスキーをしに行く。

行きはバスに乗るのだが、スキー場に着くと楽しくて仕方なく、帰りのバス代まで使ってリフトに乗ってしまい、泣きながら 2時間近くかけて家に帰ってきたことが何度もある。

まだ体力が残っている時は歩いて帰るが、遊び疲れてヘトヘトになってしまい、重いスキー靴をはいたままスキーをかついで歩くのが面倒な時は、ヒッチハイクをして帰ってきたりもした。

狙い目は自家用車よりも大型トラックで、日も傾いた夕暮れ時に幼い子供がぐったりした様子で手を挙げれば心配して停車してくれる。

運転席から降りてきて
「どうした?」
と声をかけてくれたら
「家に帰りたいけどバスに乗るお金がない」
と情に訴えかける目で答えれば間違いなくトラックに乗せてもらえたものだ。

家のすぐ近くで降ろしてもらい、元気いっぱいに家のドアを開ける。

ヒッチハイクして帰ってきたなどと知らぬ親はいつもの調子で
「おかえり」
と言うだけだ。

スキーであれスケートであれ、何不自由なくできる環境にあったにも関わらず、有名なプロスキーヤーもプロスケーターも排出できず、オリンピック選手も皆無な街も珍しいのではないだろうか。

自分の場合は人より上手になりたいという向上心がなく、ただ楽しく遊んでいただけなので一定以上のレベルに達する訳などないが、同級生の中にはリフト乗り放題のシーズンパスを親に買ってもらって毎日のようにスキー場に通っていたやつも何人かいたし、鬼のように速くスケートを滑るやつも、フィギュアスケートで氷上をクルクル回る女子もいたのに誰もオリンピックを目指さなかった。

きっと人と競い合うことが苦手だったり、たゆまぬ努力をするのが苦手だったりする、ぼんやりした土地柄だったのだろう。