大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

何も思いつかない時は

パソコンの前に座ってキーボードに手をのせるのだが、何もネタが思い浮かばない。

それどころか仕事のことで気になる点を思い出したりして技術的なことをネットで調べたりしてしまうことを繰り返している。

席についてからすでに30分以上が経過しているが、状況は好転しない。

好転しないどころか、今こうしてキーボードを打っている間も他のことが気になっている。

そして、意味もないことをツラツラと書いているうちにネタ的なことを思いついた。

そう、こうやって一つのことに集中できないのは子どもの頃からだったという事実だ。

通信簿にいつも教師が書くのは
「落ち着きがない」
の一言である。

子どもの頃から妙に落ち着き払っているやつなどいないと思うのだが、それでもなお書かざるをえないということは、他の生徒と比較して気になるほど落ち着きがなかったのだろう。

しかし、教師のそのような評価を親としては素直に受け入れられなかったらしい。

なぜなら、粘土細工をしたり、絵を書いたりすると異常なほどの集中力を発揮し、周りが見えなくなったり音すら聞こえなくなるほどだったからだ。

今から考えると、それは好きなことをやっているからであり、面白くもない学校の授業だと集中力のカケラもなかったに違いない。

今でもそれは変わらず、好きなことは時間を忘れてやるくせに気乗りしないことをしていると注意力が極端に散漫になってしまう。

仕事をしていても、デザイン系のことは異様なほど集中して時間も忘れ、いつも流れている音楽すら耳に入らない。

ところがデザインが終わり、Webサイトに表示する文字列の入力とかの作業になると途端に集中力が欠如し、誤字脱字の雨あられになることが常だ。

こんなことではいけないと気を取り直し、イスに座り直して姿勢を正し、画面に向かって集中しようとするのだが、数分もしないうちに意識は他のことに飛び、次に着手するサイトのデザインを考えてみたり、流れているラジオの話しに耳を傾けたりしてしまう。

三つ子の魂百までというが、これはもう治すことのできない習性に違いない。

真性雑感 第十七版

真性雑感 ~目次~

■ 世界大戦

中東および周辺国がきな臭い。

ロシア軍機をトルコ軍が撃ち落としたことが大きな話題になっているが、この混乱に乗じてIS(Islamic State(イスラム国))が体制を立て直し、再び行動を活発化させないかが懸念される。

そして、シリアの扱いをめぐって世界が二分し、第三次世界大戦に突入するのではないかという不安も机上の空論ではなく現実問題として囁かれ始めた。

安倍政権が進める安全保障関連法によって日本の立場はどうなるのか。

万が一、事が起これば日本は中東に自衛隊を派遣するのか。

前回の第十六版でも書いたように、イスラム国と敵対関係にある国を金で支援しただけで人質となっていた日本人が殺害されてしまったのだから、中東に自衛隊を送り込んだらどうなるか分からない。

何か行動を起こすには相当な覚悟が必要だ。

■ ユニクロ

その中東の混乱によって多くの人が難民となって周辺国に流入している。

そんな中、ユニクロが国内外の店舗で、難民約100人を雇用する方針を明らかにした。

2011年から日本で難民認定を受けた人とその家族をインターンとして受け入れ、現在国内のユニクロ店舗で計13人を雇用し、うち2人は正社員として働いているとのことだ。

「国や国連に頼って解決を待つだけでなく、民間企業と個人が(支援に)取り組むべきだ」
と偉そうに語るのは社長の柳井社長だが、その外面(そとづら)の良さには嘔吐感すら覚える。

お買い物日記』 担当者の旧友がつい最近までユニクロで働いていたのだが、その話しを聞くと今で言うところのブラック企業だとしか思えない。

3年以内の離職率が50%の上場企業など聞いたこともないし他に類を見ないだろう。

それだけ社員は疲弊し、仕事をやめざるを得ない状況に追い込まれているということだ。

難民救済も結構だが、まずは自社の仕事環境の改善に務めるのが経営者ではないだろうか。

■ エディー・ジョーンズ氏

ラグビーのワールドカップ、イングランド大会で日本代表を南アフリカ戦勝利など3勝に導いたエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチが企業から引っ張りだこだ。

個性豊かな選手を束ね、目標をクリアしていく手腕から経営のヒントをつかもうと講演会が各所で開催されている。

彼が一貫して言うのは自主性。

自分で考え行動する力をいかに浸透させるかということである。

その考えを定着させ、選手を育てたからこそ南アフリカ戦での名場面が生まれた。

29-32の後半 40分過ぎに相手ゴール前で反則を獲得した日本。

キックで同点にするか、負け覚悟で攻めるかの判断を迫られた時、エディー・ジョーンズ氏の指示はキックだったが、選手たちは攻めて逆転勝利をおさめた。

選手たちが自分たちで考えて行動した結果だが、大前提となったのは仮にそれが失敗に終わったとしてもエディー・ジョーンズ氏は責めない、選手に責任を負わせないと分かっていたからだろう。

玉塚元一氏に社長の座を譲り、経営を任せたはずだったのに業績に陰りが見えると慌てて社長に復帰したユニクロの柳井氏とは大違いだ。

エディー・ジョーンズ氏の爪の垢でも煎じて237杯ほど飲ませてやりたい気分である。

簡略化

先月末の雑感に書いた結論を先に述べることに加え、情報の簡略化も重要だ。

先の道がAとBの二股に別れ、どちらに進むべきかを問われた場合、
「Aである」
または
「Bである」
と明確に答え、それ以上の補足を加えない方が良い。

たとえば
「正解はAである」
と答えた後で
「もしBに進んだ場合は行き止まりどころか危険な崖っぷちに立たされることになり、命さえ危ぶまれる事になりかねない」
などと言おうものなら、むしろ進路Bの方が強烈に印象付けられてしまうからだ。

いざ問題の二股で立ち止まった場合、正解はAであるにも関わらず、余計な情報をインプットしてしまい、さらに強烈な印象を与えられてしまったなら進路Bを意識から切り捨てることは難しくなってしまう。

家まで、または会社までの道順を訊かれた場合が顕著である。

「コンビニのある交差点を右に曲がって300メートルのところです」
と教えたら済むのところを
「左に曲がると神社がありますが、そちらではありません」
などと余計な情報を加えると、いざコンビニのある交差点に立った際、右に曲がるという情報しかインプットしていなければ何も迷うことなく右に進むが、
「左は神社だっけ?」
などと考えてしまい、結果的に混乱させる要因となる可能性がある。

手短に、かつ的確に情報を伝えるためには余計な部分をそぎ落として最低限の内容だけ伝えるべきだ。

今年から我が母ショウコの年賀状の宛名印刷をしてやることにした。

帰省した際、年賀状書きの季節になると憂鬱だ、曇って暗い日は書けない、最近は手が震えるようになった、年末まで1日5枚と決めて書かなくてはならないなどなどと愚痴を言いまくる母を見かね、『お買い物日記』 担当者がパソコンで印刷すると申し出たのである。

先日、去年受け取った年賀状と、宛名印刷すべき年賀ハガキが送られてきた。

その中に『引っ越しました』の挨拶状があったのだが、その人から送られたはずの年賀状は入っていない。

年賀状がないので 『お買い物日記』 担当者は不思議そうにしていたが、似たDNAを持つ自分はすぐに理解できた。

引っ越しの知らせがあったのだから住所が変わった訳であり、そうであれば旧住所が書かれている年賀状は必要ないと判断したからだろう。

必要のない情報は与えない、必要のないハガキは送るだけ無駄、無駄なことはしないという合理主義はやはり血筋なのか。

たったそれだけの出来事ではあったが、妙に面白かったのでここに記しておく。

そして、10/31の記事と同様、この雑感も文章を結ぶまで紆余曲折し、様々な無駄な情報をばら撒いているので決して偉そうに言えたことではないことも加えておくことにしようと思う。

無鉄砲

最近は何かを始める前に色々と考えたりするようにはなった。

考えるというより、準備や情報収集しておかなければ落ち着かず、何の考えもなしに行動できていた若い頃が懐かしい。

今は明日の天気、数日後の天気も気になるし、外出の際は数時間後の天気すら気になる。

しかし、若い頃は今みたいにスマホでいつでも天気の確認ができる訳でもないのに天気予報など見もせず、傘を持つべきかどうかなども考えもせず外出していた。

それでも大雨に降られて帰宅できなかったことなどなかったように思う。

それは単に運が良かったのか、忘れているだけで雨が止むのを待って帰宅していたのか。

友だちと飲みに行く約束をする際も、明日は海に行こうとか遠出してどこかに行こうと話す際も、天気のことなど一切気にしていなかったように思う。

子どもの頃も、どんなに曇り空だろうと雨が降ることなど考えもしないで遊びに行っていたし、雨に濡れるなどと思いもしないで遠くまで出かけていた。

ところが今は、朝の散歩が日課になっていることがあるにせよ、前の晩は翌日の天気が気になって仕方なく、朝になっても一日の天気が気になって仕方がない。

いつも書いているように徹底したインドア派なので外出する予定などないのだから、天気がどうであろうと関係ないというのにである。

天気に関することだけではない。

今は体力的なことを考慮して、連休であっても最後の一日くらいは家でゆっくりとするリハビリ期間を設けなければならないと意識しているが、若い頃はそんなことは一切お構いなしで、前日どころか当日の早朝に帰宅して仮眠をとって仕事に向かうというようなこともしていた。

かなり以前の雑感にも書いたような気がするが、酒を飲みに行っても次の日のことなどあまり考えずに飲みまくり、朝の 3時とか 4時に帰宅して少し眠って二日酔いどころかまだ酔ったままの状態の良い気分で職場に向かったこともある。

若いエネルギーを持て余し、目的地も決めずに車を走らせ、とにかく目に入った道路標識に書かれている街まで進み、その街に到着したらまた道路標識を探して書かれている街を目指すという目的のない旅をしたことも一度や二度ではないことも過去の雑感に書いた。

当時はレギュラーガソリンが 80円台という安値だったこともあり、とにかく進んで疲れたら車中泊、また進んで車中泊ということを繰り返し、何の目的もなく北海道内をただひたすら走り回って気づいたら明日が仕事という状況に愕然として、泣きながら何百キロも離れた場所から帰ってくるという計画性のかけらもない状態だったのである。

それは今から考えると子どもの頃から変わらぬ行動だった。

まるで神風特攻隊が片道だけの燃料で出撃するように、体力の限界、帰り道、帰宅時間など一切考慮せずに行けるところまで行ってしまう。

車がすれ違えないほどの細い道を自転車で山奥まで入っていったり、家の近くにある川はどこから流れてきているのか気になって上流へ、上流へと進んでみたり、何となく行けるような気がして何十キロも離れた街を目指したりと、計画性も何もあったものではない。

子どもの頃はそれで良くても大人になってまで似たようなことをしていたのだから、三つ子の魂百までというのが本当なのか、自分が単なるアホなのか。

それでも年齢とともに少しは先を考えられるようになるものである。

いつも独り言などに書いているように、連休の外出や帰省などでも仕事が始まる 2日前には帰宅するように心がけているし、朝の 3時 4時まで酒を飲むこともなくなった。

外出や旅行前には天気予報を確認し、出先で雨に降られそうな場合は折りたたみの傘を準備する。

翌日のことを考えて深酒をすることもなくなった。

そして、どこかに行くにしても事前に計画をたて、何を準備すべきかも考える。

昔のように家の鍵と金とタバコさえ持って出れば何とかなるなどという無謀なことはしなくなった。

しかし、色々と計画したり準備したりしていると面倒になってしまい、最終的には 「なんとかなる」 と開き直ったりしてしまうあたり、やっぱり自分は無鉄砲だったりするのかもしれない。

最近の若い者は 6

最近の若い者は ~目次~

平成生まれの社会人が現れたときにも少なからず心がざわついたが、あと4-5年もすれば 21世紀生まれの社会人が登場することになるだろうし、もうすでに芸能界で活躍するアイドルの中に少なからず 21世紀生まれがいるのであろうと想像すると、隔世の感を禁じ得なかったりしてしまう。

もちろん自分にだって若い頃はあり、当時の大人たちからは新人類とか呼ばれたりしたもので、妙に鼻っ柱が強く、先輩を先輩とも、上司を上司とも思わず、必要以上に尖っていて周りの人を傷つけたり先輩や上司に疎ましがられていたものと思われる。

決してそれが良いことだとは思わないが、それにしても最近の若い者は妙に良い子すぎて気持ち悪さを感じないでもない。

古くはゴルフでプロデビューしたてだった石川遼、最近ではフィギュア・スケートの羽生結弦などがそうだが、インタビューの答えが優等生過ぎて若さを感じないほどだ。

今年、就任一年目にして福岡ソフトバンクホークスをプロ野球日本一に導いた工藤公康監督も、新人の頃は当時の若者らしくハチャメチャな言動で諸先輩方を困らせたり呆れさせたりしていたが、最近のプロ野球の新人選手はインタビューにもそつなく答えて波風を立てることもない。

そんな若者たちを見て世のお母様がたは
「なんて良い子なんでしょ」
とか
「んまぁ~、うちの子にしたいくらいだわぁ~」
などと、うっとりした表情で見たりしているが、根ががさつで根性のひん曲がった自分などは
「なんじゃそりゃ」
とか
「判で押したような答えしかできんのか」
などと文句の一つも言ってやりたくなってしまう。

しかし、それは今の時代の子であり、昔とは何かが明らかに異なっているようだ。

高校野球でインタビューを受ける選手も実にしっかりとした受け答えをしている。

自分が同じ年の頃など大人から何を聞かれても反抗していたし、そもそもボキャブラリーが乏しくて自分の思いを正確に言葉で表現することなどできなかった。

今は中学生であっても、小学生であってもテレビでマイクを向けられると驚くほど流暢に話し、敬語を使いこなしたりしている。

自分が小学生の頃など何か聞かれたとしても
「はい」
という返事くらいしか出来なかっただろうし、どう思うか聞かれても何をどう話して良いのか分からず、ただもじもじしていたに違いない。

それほど言葉巧みに自分の意思を伝えることができたり何かを表現したりできるのに、人とのコミュニケーションを図るのが苦手な若者が多いのが不思議だ。

ただし、決して自分の殻にとじこもっている訳でも対人関係が面倒な訳でもないらしい。

昔は会社での人付き合いが面倒で、歓送迎会や忘・新年会などもお断り、上司と飲みに行くなどまっぴら、社内旅行などもってのほかという若者が多かったが、今は逆に社内旅行、社内運動会などに参加したがる子が増えており、先輩や上司とも積極的に飲みに行ったりするらしい。

自分が若いころなど人と関わるのが面倒で、近所付き合い、地域ネットワーク、コミュニティなどに一切の興味はなく、アパートやマンションの隣の部屋に誰が住んでいるのかすら知らなかった。

それは、自分だけがそうだった訳ではなく、社会全体がそういう傾向にあり、コミュニティの崩壊とか地域のつながりの希薄化などと言われていたものである。

ところが今では下宿、寮生活、シェアハウスなどといった共同生活を好む若者が増えているらしい。

初めての一人暮らしをする際、親は下宿を勧めたが、他人との共同生活など考えられず、自由気ままに暮らせるアパート暮らししか頭になかった自分とは大違いだ。

いや、自分だけではなく少なくとも20数年前、バブル期からバブル崩壊後にかけての若者は、みなが一様に他人との深い関わりを嫌う傾向にあった。

それから今までの間に何があったのだろう。

長期的な経済の低迷、デフレ期で子どもにかける費用の減少によって、以前のように車を買ったり身分不相応のファッションに身を包んだりできなくなり、低家賃の借家に住みながら学費の足しに働く学生が増え、それなりに社会との繋がりが多くなって価値観に変化をもたらしたのか。

阪神・淡路大震災、新潟県中越沖地震、そしてまだ記憶に新しい東日本大震災を経験し、家族の絆、地域コミュニティの重要性を思い知り、大切さを身をもって実感した当時の若者達が親となり、当時の子どもが大人になって風潮が大きく変化したのかもしれない。

しかし、中には常識では考えられない罪を犯す輩がいたり、人に注意されると極端に機嫌を損ねる何の価値もない極薄のプライドの持ち主がいたり、外界との交流を一切遮断して引きこもる子も確実に増えていることを考えると、二極化が進んでいるような気がする。

それがなぜなのかも含め、最近の若い者のことは良く分からなかったりするのだが・・・。

話し方

ヴィクトル・ユーゴーと出版社のやりとりが世界で一番短い手紙だといわれている。
「?」(ユーゴーより「本は売れているか?」という意味の一文字)
「!」(出版社から「それはもう、びっくりするほど!」)
このたった二文字で互いに意味を理解し、意思の疎通ができているのだからすごい。

我が日本では徳川家康の家臣だった本多作左衛門重次が戦場から妻に送った手紙、
「一筆啓上。火の用心。おせん泣かすな。馬肥やせ。」
これが広く知られており、簡潔にして要を得たこの文は手紙文の手本として今日でもよく紹介されている。

手紙に限らずメールでも会話でも、言いたいことを過不足なく伝えることは意外に難しいものだ。

とくに仕事関連で、お客さんから、または上司からの質問に対する回答であれば記述式でいうところの『結論』を先に述べるのが常識とされている。

質問に対して、まずは『 YES 』か『 NO 』か、または『 A は B である』などだ。

もし理由を問われたなら結論の次に根拠を述べる。

「なぜかと言えば」
で始まり、
「 A には C という要素があり、D を加味した結果 B だと結論付けた」
などなどだ。

この順序を間違えると顧客や上司を苛立たせたり呆れられたりしてしまう危険性が高い。

「実は、コレコレという観点からアッチ方面に問い合わせてソレを加味してみましたが、色よい返答が得られず、仕方がないのでナニを簡略化した上でソッチにも問い合わせましたが、結局は分からず仕舞いでして・・・」
などとやると、長話しを聞かされるわ、結論はないわ、答えが分からないわで
「なぁーんじゃそりゃぁーー!!」
と鬼のように突っ込まれることになるのは必至だ。

以前に勤めていた会社にも話しが長く、結論を言うまでにえらく時間のかかる社員がおり、上司はおろか同僚からも避けられていた。

本人にその自覚がなく、
「だれも俺の話を聞いてくれない」
と憤慨していたが、それは人の忠告を無視した結果であり、自業自得というやつだ。

彼が何かを話し始めるとイライラするので
「で?何が言いたいの?」
とか
「で?結論は?」
と促すのだが、
「いや、最後まで話しを聞いて」
などと言って話しをやめようとしない。

お客さんから問い合わせの電話があり、自分には分からなかったので電話を保留し、彼に
「◯◯の件って分かる?」
と聞くと、
「なぜ?」
と聞き返してくる。

お客さんを待たせているのだから理由はどうあれ、まずは分かるのか分からないのか答えるべきだ。

あれをこうして、なにをそうしたところ、これこれ、こういう訳であんなことになってしまったからお客さんが困っているんだけど、この件に関して答えを持っているか否かなどと長々話しているヒマはない。

社会人になった際に上司、または先輩から話し方の基礎を教わらなかったのか、人の教えなど無視しているのか分からないが、社内ですらそうなのだから社外の人にはもっと評判が悪く、担当を変えてほしいとお客さんからクレームがきたこともあった。

今、その彼が何をしているか知らないが、相変わらず長話をして人から嫌がられているに違いない。

以前はそんなことはなかったのに、最近は我が母ショウコもそういう傾向が顕著になってきた。

足が悪くなってから杖をついて歩いているのだが、デイサービスに行った時、その杖の先の滑り止めの樹脂が減っていて危険だと言われたという話しを長々と聞かされた。

やっと話が終わったと思ったら、そこで始めて
「どこそこの店では杖の先を交換してくれるらしくて・・・」
と言い出し、おまけにその最後の
「らしくて・・・」
以降はだまっている。

だから交換してきてほしいということで、それを察してほしいのだろうが、そういう話し方をされるのがとても嫌いだ。

そもそもショウコはそういうことは言わず、何かしてほしかったらハッキリ言うほうだった。

年老いて体が不自由になり、何度も帰省してくる息子に気を使ったのか、遠慮したのかもしれないが、はっきり意思表示しなくなったことが腹立たしかったり寂しかったりする。

しかし、それは一定の年齢を過ぎるとみんな同じようなものなのか、あれほど明快な物言いをしていたレイコでさえそうだった。

以前の雑感にも書いた、レースのカーテンの洗濯の件がそうだったのだが、来客があるので少し汚れのあるレースのカーテンを洗濯せよと指示すれば済むものを訳の分からない話からジワジワと結論を導き出そうとする。

叔母いわく、数日前にショウコのレントゲン写真を見たところ脱臼と思われる箇所があったので、病院に写真を持って行って医者に確認しようとしたら写真が違って見え、ショウコが間違って持ってきたのかとも思ったが、そうではなく実は実家の部屋が薄暗くてよく見えていなかったものと思われ、それはレースのカーテンが汚れているのが原因ではなかろうかということだ。

話しにイライラしながら
「ふーん」
と適当な返事をしていると、最後になって
「だからカーテンを洗濯しておいたほうがいいと思うんだけど」
と、やっと結論を言ってくる。

そもそも太陽光をさえぎって部屋の中が暗くなるほど汚れてなどいないのだから、ちょっと気になるから洗濯してほしいと言えば済む程度の話しを大袈裟に言う理由が分からない。

そういう察してほしい的な言い方をされた場合は、以前から、それが叔母や母親でなくても、会社の上司であっても誰であっても完全に無視することにしている。

気の利かない奴と思われようと、優しくないと言われようと、そういう回りくどい言い方をする奴が悪いのであって、そんな面倒な話しになど付き合っていられない。

政治家は地元の様々な人の話しを聞いて取りまとめ、それを中央に上げるのが基本的な仕事だ。

それなのに人の話しを途中でさえぎってまで自分の意見を通そうとするし、その意見すらも何を言っているのか良く分からないことが多い。

おまけに回りくどいだけではなく、回ったまま本筋に話しが帰ってこないことすら多々ある。

2017年に消費税を10%に引き上げるのかという問いに対し、景気動向を十分に鑑み・・・と始まって景気浮揚策がどうした、中国の成長率鈍化で景気減速がどうの、中東情勢の不安定化など総合的に考慮した上で日本国内のインフレ率、賃金上昇率があれだから・・・。

などなどと延々と続いた挙句、結果的にどうするのか、どうしたいのか、どうしなければならないのかという点には一切触れない。

そんな決断力もなく、将来のビジョンもない政治家ごときに日本の未来を託して良いのだろうか。

そして、そんな回りくどい長話しかできず、結論にたどり着かない奴らばかりが集まって国策を議論させておいて良いのだろうか。

・・・。

この雑感もダラダラとした長文であり、結論に至らないことも少なからずあるので、あまり偉そうには言えなかったりするのだが・・・。

ショウコトレイコノコト 2

とうとうこの日が来てしまった。

我が母ショウコがついにギブアップしてしまったのである。

まだまだ元気で見かけも気も若いと書いたのは昨年 9月のこと。

まさかたった一年で、ここまで悪化するとは思わなかった。

受けた白内障の手術は成功し、視力も問題なく回復したのだが、圧迫骨折が原因で右足に痛みが走り、まともに歩行できなくなったと連絡を受けたのは今年の2月のことだった。

しかし、その時もまだまだ気力十分で、歩けないのは一時的なものだと本人も息子である自分も思っていたが、4月になっても 6月になっても 9月になっても足の痛みは良くならず、ただでさえ弱っているところだというのに今月の 1日、今度は血便が出たので病院に行くと大腸炎と診断され、そのまま緊急入院となってしまったという。

本来であれば駆け付けなければならないところだろうが、その日から数日は北海道を爆弾低気圧が通過しており、各交通機関が運転を中止しているところだったので身動きがとれない。

そして予定通りに10日後の退院となったのだが、その時は北海道を台風が通過中で帰省は難しかった。

そこで、7月に大喧嘩をして3カ月間ほど冷戦状態とはなってはいるが、これを機に少しは雪解けになるかもしれないと叔母のレイコに退院手続きやら何やらを頼んだ。

ショウコは10日間の入院生活で朝から晩までの点滴でベットに寝てばかりいたので、ただでさえ筋力が弱っていたのに輪をかけて弱まってしまい、部屋の中を移動するのにも時間がかかるようになってしまったという。

そんなショウコの状態を見たレイコは、これ以上の一人暮らしは無理だろうと心配して電話をかけてきたが、当の本人がまだ生まれ育った街を離れる気になっていないので引き取るのは難しいということを伝えた。

そして、その時が来たらレイコも一緒に来るようにと再度の申し出をしてみたが、相変わらず世話にはならないの一点張りだ。

そんな会話をして間もない一週間後、レイコからの電話。

ショウコのところに町内会費を集金に行った人が、歩行もままならない姿を見て
「そんなことで生活していけるはずがない」
「素直に息子さんの世話になったほうが良い」
とショウコに言ったらしい。

身内がどれだけ言っても聞く耳を持たなかったショウコも、他人の客観的な目にも自分は一人暮らしが無理な状態に映るのだと悟ったらしく、張り詰めていた緊張感、張っていた意地が一気に崩れ、大きな不安に襲われるようになったらしく、もうこれ以上は一人で暮らせないと言い出したという。

翌日になって電話してみると、すっかり弱気になっており、もうこの冬を越す自信がないなどと言い出す。

いちいち言うことが極端なのである。

先月までは治る気満々で足が痛くなくなったらあれをするとかこれをするとか言っており、一緒の街で暮らそうと提案しても嫌だと言い張っていたのに、今になって急に弱音を吐かれても困ってしまう。

それでもショウコには相変わらずドライな面があり、
「一緒に暮らせないのは分かっているからそっちで施設を探してほしい」
と淡々とした声で言ってのける。

以前から一つ屋根の下で暮らすのは難しいとは伝えてあったのは確かだ。

ショウコは夜の7時になればウトウトし始め、8時には就寝してしまう。

7時といえば仕事がやっと終わる頃であり、8時は我が家にとって晩御飯の時間である。

早寝したショウコは夜中の2時3時に目を覚まし、そのままラジオ放送など聞きながら夜が明けるのを待つという生活だが、やっと深い眠りについた時間にゴソゴソされ、ラジオの音まで聞こえてこようものなら目を覚ましてしまい、安眠できない日が続くのは火を見るより明らかだ。

相手のあることなので、仕事を早い時間に終わらせて生活サイクルをショウコに合わせることは不可能だし、ショウコを深夜まで寝かせないのもいかがなものかと思う。

つまりは一緒には暮らせないという結論なのだが、素直にそれに従って施設に入るというのだからこちらとしては助かる。

そして、過去の雑感にも書いたとおり物に執着せず、あっさりと物を捨てて過去と決別してしまうのが自分とショウコの共通点であり、そうと決まったら行動が早いのも共通点だ。

電話でレイコも心配していたが、こちらの受け入れ体制が整わないうちから勝手に家や家財道具の処分とか行政への事務手続きなど済ませてしまいそうな気配だったので、こっちの準備が整って “良し” と号令するまで一切動いてはならないと釘を差しておいた。

そんなこんなで冒頭に書いたように我が母ショウコはついにギブアップ、とうとうこの日が来てしまった。

そして、以前からの懸案事項であったレイコのことである。

今回の話しが持ち上がった時点で再度レイコに一緒の街で暮らそうと言ってみた。

答えは相変わらず世話にはならないの一点張り。

子供の頃は札幌に住んでいて土地勘もあるので引っ越して一人で暮らすと言う。

レイコの子ども時代など半世紀以上も前のことであり、その間に札幌は様変わりしてるので土地勘も何もあったものではない。

おまけに除雪をしないで済む物件を探すと言っているが、雪深い札幌の場合はアパートなりマンションなりの住人が当番制で除雪をするのは常識であり、それが必要のない物件ともなれば高額家賃に決まっている。

今は元気でいるが、ショウコのように何かのきっかけでガタガタと急激に弱ることも十分にあり得る訳で、そうなった場合に都会では施設の空きもなく不自由なまま何カ月も何年も順番待ちになる可能性が高い。

面倒を見るとは言わないが、せめて近くに住んでいれば少しは助けになるのだから素直に引っ越してくれば良いのである。

ショウコのことに関しては、もう事を進めるしかなくなった。

残る問題はレイコのことである。

あの頑固なスーパー婆さんを説得できるかどうか。

我が家にとって、それが喫緊の課題なのである。

ショック

福山雅治の結婚に大きなショックを受けた女性が多いと聞く。

俗に福山ロス、またはマシャロスと言われる症状だが、彼の結婚で打ちひしがれて放心状態となったり、精神的ダメージから無気力となり学校や会社を休んでしまう人が続出したらしい。

過去の雑感に何度も書いているように、子どもの頃から特定の芸能人に思い入れを抱いたりしない性分だったので、そこまでのショックを受ける心理構造がイマイチ理解できない。

確かに芸能人が一般人に与える影響は小さくはないので、ファンでなくとも少なからずショックを受けたり心が波立つことはあった。

古くは岡田有希子の自殺。

現役アイドルの自殺など考えられないことであり、実際にそれが起こったのが事実であっても衝撃のほうが大きく実感が湧かなかったものである。

北野武(ビートたけし)の事故からの復帰会見。

事故を起こし、生死の境をさまよったことすら衝撃だったが、まだ顔面が麻痺したまま、整復手術もまだの状態で開いた記者会見は、我が目を疑うほど悲惨な状況に映った。

あの会見を開いて良かったのか否かは本人が判断することだろうが、長い年月を経た今でも見てはいけないものを見てしまったという意識が強い。

宮沢りえのヘアヌード写真集。

これも世間に衝撃を与えた一件で、天真爛漫な一面は見せていたものの役者としての立ち位置としては、まだ子役から女優への転換期を脱し切っていない時期だっただけに青少年からオッサンまで右往左往したものである。

青少年と言えば、自分が青年期だった当時はまだ高性能な携帯端末もパソコンもなければ家庭用ビデオすら普及していなかったため、ピンク産業と言えばポルノ映画劇場やストリップ劇場くらいなものしかなかった。

悪い先輩に連れられて生まれて初めてポルノ映画を見た時、同じく生まれて初めてストリップを見た時、なぜだかとっても暗い気持ちになってしまったのと同時に罪悪感と嫌悪感と空虚感が複雑に入り乱れた結果、どういう訳か日本はこのままで良いのかという極端な思いに駆られた記憶がある。

そんなことはさておき、芸能界で言えば酒井法子、飛鳥涼(CHAGE and ASKA)の違法薬物使用も衝撃的だった。

いかにもぶっ飛んでおり、クスリや葉っぱ関連で逮捕されたと聞いても驚かないタイプの芸能人もいるが、そんなイメージはなかっただけに第一報を聴いた時は何かの間違いではないかと思ったほどだ。

事件や事故では 9.11 アメリカ同時多発テロ事件も衝撃は大きかった。

最初は単なる飛行機事故として伝わって来たが、テレビ中継の途中で再び飛行機がビルに突っ込んで大爆発が起こった時には映画を観ているような感覚だったし、世界貿易センターの超高層ビルが崩壊していくシーンなども特撮CG映画を観ているような感覚だったことを覚えている。

しかし、それがテロ事件だと分かると底知れぬ恐怖と怒りが湧き起こってきた。

あの事件は世界中に衝撃を与え、多くの人がショックを受けたことだろう。

3.11 東日本大震災の衝撃も大きかった。

津波が押し寄せ、車や建物を飲み込んでいく様は超スペクタクル映画を観ているようで実感が湧かなかったが、その波が引いた後の惨状、それに伴う原子力発電所の事故を目の当たりにすると急に現実を突きつけられたような気がしたものだ。

世界テロ組織 ISによる日本人人質殺害もショックだったし、彼らの手による遺跡破壊は胸が苦しくなるほどで見ているのが辛い。

色々とショックなことがあるものだが、人生で最も大きな衝撃を受けた出来事は子どもの頃の経験だ。

今から思えば、それは実に他愛もないことであり、人から失笑されるに違いないことではある。

それでも視野が狭く、純真さを保っていた子どもには大きなできごとであり・・・。

・・・。

それは、ウルトラマンの最終回。

初代ウルトラマンがゼットンとの戦いに敗れ倒されてしまった時、しばし呆然としたのち、心の底から怒りと悲しみが湧いてきて抑えることができなかった。

正義の味方が敵に倒されるなどということがあって良いのだろうか。

みんなのヒーローが負けるなどということが許されるのだろうか。

そんなことがあって良い訳がないだろう。

あの日、あの時、ショックを受けた子どもは自分だけではないはずだ。

日本全国の茶の間から響いた悲鳴と泣き声は、福山結婚を知って泣いた女性の数を上回っていたに違いない。

慣れ

慣れとは恐ろしいもので、このまま生きていけるだろうかという不安を覚えた大阪の夏の暑さもいつしか受け入れることができたし、忘れていた北海道の冬の寒さにも体は順応した。

何度も同じことを繰り返すことで感覚が麻痺してしまうのだろう。

本当は慣れない方が良い、慣れてはいけないことにまで人は慣れてしまう。

一日で一カ月分に匹敵する過去最高の雨量に達する事例が頻発しているが、ここまで続けば異常気象とは言えなくなり、日本のどこかで毎年のように必ず起こる事態であればそれが通例となってしまうだろう。

夏の暑さもどんどんひどくなり、以前は存在しなかった猛暑日という気象用語まで出来てしまうのだから恐ろしい。

しかし、過去最高気温という記録もどんどん塗り替えられ、それに慣れてそれが日常となってしまう日が来るかもしれない。

「明日の最高気温は 41.3℃、平年並みです」
などと天気予報で伝えるようになったらどうしようと思ってしまう。

そんな日が来ても、人間は少しずつ順応して平気で暮らせるのだろうか。

増水や津波などによる水害、火山噴火などによる災害も数年、または数十年に一度のことであれば指示に従って避難もするだろうが、あまりにも頻繁に避難勧告、避難指示などが出ていると感覚が麻痺して慣れてしまい、
「また始まった」
とか
「どうせ今回も空振りだろう」
などという心理が働いてしまって実際に避難行動を起こす人が減ってしまう。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災がまさにそうで、多くの人が発せられている警告に耳を貸さなかったことから被害がより大きくなってしまった。

それを教訓に気象庁や自治体は
「これまでに経験したことのないような大雨」
「重大な危険が差し迫った異常事態」
などという表現で早期の避難を促すようになったが、今は危機感をいだいていても慣れてしまったら
「また始まった」
「どうせ空振りだろう」
となってしまわないだろうか。

高層マンションで生まれ育った子どもが高いところが平気になってしまい、感覚が麻痺して恐怖心さえも覚えないことを俗に高所平気症というが、これも実に危険なことだ。

事実、何年かに一度くらい子どもが誤って落下する事故がある。

高いところは危険であり、落ちてしまったら大怪我をするか最悪の場合は命を落としてしまうと認識している身分としては、どうして子どもがベランダを乗り越えたりするのかと不思議でたまらないが、感覚が麻痺しているのなら仕方ないのかもしれない。

しかし、それは決して良いことではないので何とかならないものかとは思う。

それほど深刻な問題でもないが、臭いにも慣れてしまうのを実感したことがある。

禁煙を開始してから 7年と 3カ月、今ではすっかりタバコを吸わない生活に慣れた。

自分が吸わないと人から漂ってくるタバコの臭いには敏感になるものだ。

それどころか過去にタバコの煙にさらされていたものに臭いが染み付いているもので、引っ越してきてから一度も手を付けていなかったものを開封したり、棚の奥にしまっていたものを出したりすると、ひどくタバコ臭かったりする。

大阪で暮らした借家は壁も天井も煙草の煙でいぶされて茶色く変色していたが、自分たちがタバコを吸って生活している分にはまったく気にならなかった臭いが染み付いていたに違いない。

ごく稀に来客があったりしたが、さぞかしタバコの臭いに苦しんでおられたことだろう。

大阪から越してきて、この街に住むのも慣れた。

生まれて始めて購入したメガネにも慣れた。

キーボードやマウスが変わると最初は扱いにくいが、2-3日もすれば慣れる。

最初はこのまま停止してしまうのではないかと恐怖心すら覚えた不整脈も今は
「また脈が飛んだな」
程度にしか思わないほど慣れた。

神経的な問題かもしれないが、背中の一部が毎日 24時間、ここ一年間ほどずっと痒い。

最初はポリポリと掻いていたが、今では気にしないことにしている。

その気になれば人間は痒みにも慣れることができるらしい。

グローバル化

我々が学生だった頃と違い、まともな英語教育を受けた世代が少しずつ多くなってきた。

中学で最低 3年、高校も合わせて 6年、大学まで進めば 10年間も学ぶのに身につく人はごく一部という実に情けない英語教育を受けた世代と異なり、最近は小さな頃から英語に慣れ親しみ、小学校からネイティブ英語教師の授業を受けるようになってきたので、あと 4-5年もすれば日常会話に困らない程度の語学力を身につけた社会人が世に出てくることだろう。

日本の第二カ国語が英語となり、ヨーロッパとまではいかないが、せめてシンガポールや韓国程度までの語学力を備えた場合、ビジネスにおいても旅行などの娯楽においても言葉の壁は一気に崩れることになる。

そうなった時、英語教室や英語教材をビジネスとしている業者はどうなってしまうだろう。

一気に需要が激減して経営が成り立たなくなってしまわないだろうか。

そして、英語を話すのが普通になった時、最も大きな影響を受けるのは音楽業界ではないかと思う。

今でさえ業界は衰退していて改善の兆しが見えないが、それは似たような皿ばかりプレスして個性も何もないアーティストもどきを量産しているのだから自業自得だと思われる。

その音楽の世界にグローバル化の波が押し寄せたなら、どの程度のアーティスト、レコード会社、プロダクションが生き残れることだろう。

英語を理解し、英語を話せて英語で歌える世代が社会の中心となれば洋楽と邦楽の垣根は崩れ去る。

実力や運、独創性や個性を兼ね備えたアーティストが英語で歌えば全世界で売れるだろうからチャンスが広がるのは確かだ。

日本であれば歴史的な大ヒットを飛ばしても CDセールスは 4-500万枚が限度だが、世界的なヒットとなれば桁が違って億の単位になってくる。

そうなれば印税だって億の単位から100億の単位に跳ね上がり、一発当てたら孫の代まで遊んで暮らせるようになるだろう。

しかし、それは極々一部の才能の持ち主に限られたことであり、中途半端なアーティストは今よりも厳しい環境に身を置き、世に出るチャンスは一段と狭まるに違いない。

難なく英語を使う人が増えたら曲の歌詞は日本語である必要はなく、そうなれば、邦楽と洋楽が同じ土俵で闘うことになる。

そうなった場合、どれだけの日本のアーティストが生き残れるのか。

売れる曲は海外勢が圧倒的で、歌われるカラオケも洋楽が中心となり、日本のアーティストや作詞・作曲家には印税が落ちてこなくなることも大いに考えられる。

実力のないアーティストは葬られ、世界の中で強いものだけが生き残るに違いない。

印刷物も英語のままで良いのだから、今までのように日本のレコード会社が洋楽の版権を得て日本語の解説とか歌詞カードなどを作成する必要がなくなる。

そもそもネットでの音楽配信が主流になった今、そんなものを必要としない人が多いだろう。

直輸入の CDで事が足りるようになり、国境を超えて海外の音楽がデジタル配信されると日本で機能している著作権、版権、原盤権などの面倒な権利関係も吹き飛び、アーティスト自身が権利を得てそれを管理する仕組みになるかも知れない。

そうなったらレコード会社やプロダクションの存在意義はあるのだろうか。

ラジオやテレビ番組もすべて日本語である必要はなくなる日が来るかも知れず、そうなったら海外の番組をそのまま放送すれば良いことになる。

MTVなどの音楽番組、CNNなどの報道番組に字幕や副音声が必要なくなる時代がくれば、番組制作会社に存在意義はあるだろうか。

映画の字幕が不要になれば戸田奈津子さんは生活に困りはしないだろうか。

吹き替えも必要なくなったら声優はアニメ需要しかなくなるのではないだろうか。

・・・。

グローバル化が進むと海外に打って出るチャンスも広がるが、日本国内だからこそ成り立っている産業は窮地に立たされることになるだろう。

少子高齢化、人口減少を見すえ、観光立国を標榜するビジネス展開ばかり注目されるが、実のところ、これから先はローカルビジネスからの転換が最も大切だっりするのかも知れない。