想い出の居酒屋 其の漆

想い出の居酒屋 おしながき

そこは 20人も入れば満席となり、人を掻き分けなければトイレにも行けないという本当に狭くて小さい店だった。

当時、すでにバブル経済は崩壊していたものの人はまだ華やかなりし頃の余韻に浸っており、消費もひどくは落ち込んでおらず、毎週末のように訪れる店はいつも満員御礼状態で、ただでさえ狭くて息苦しい店内は絶え間なく焼かれる肉や魚の香りと煙、揚げ物の油とタバコの匂いと煙、我々を含めた酔っ払いが放出する酒臭い息で充満し、窒息しかねない状況だった。

それが証拠に数十分に一度は外に出て、新鮮な空気を吸いながら再び飲み食いするというのがその店では常識となっており、夏は休憩を兼ねて花火などを楽しむといった誠に風情のある遊びに興じていたものである。

それでも狭いながらもカウンターや小上がりで飲食できるのはまだマシなほうで、店の奥の奥にある通称 『座敷』 と呼ばれる場所ではもっと大変ことになった。

座敷とは名ばかりの物置を改造して作られたような空間に 10人近くも押し込められ、身動きすらとれない状態で手だけを動かして飲んだり食べたりしなければならず、誰かがトイレに行こうとしようものなら約半数の 5-6人は立ち上がって通路を確保しなければならないほどだ。

ある日、店に行くことを事前に電話で知らせておいたにも関わらず満員で入れなかったことがあり、店の外でブーブー文句を言っていたならば、ママが鍵を持って出てきたかと思うと店の入り口の横にあるドアを開けて 「入って入って」 と勧められ、何ごとかと不審に思いながらも中に入ると通された先は何と大将とママが暮らす部屋だった。

猫が飼われているその部屋に 5-6人が通され、所帯くささが溢れる部屋でコタツに入りながらテレビを観たり猫にちょっかいを出したりしながら、まるで自宅にでもいるような時間を過ごし、腹一杯になるまで食べて飲んだりしたが、料金だけはキッチリと正規の値段で請求された。

いつもいつも賑やかで、お客さんで一杯だったその店も、ごく稀に何かのタイミングで誰もおらず、我々の貸切り状態になることがあったのだが、そんな時はいつもと雰囲気が異なるので逆に落ち着かなかったりするもので、会話が途切れると店内の静けさが妙に際立って寂しくなるので適当に歌など歌って紛らわしていた。

酔ったからといってカラオケ以外で歌を歌うことなどないので何をどうしていいのか分からず、洋楽を適当な英語もどきで歌って笑いを誘ったりしていたがネタが続かなくなり、何だか意味不明ではあるが全員で日立グループのCMソングである 『この木なんの木』 を歌ってみたりしたが、「この~木なんの木、気になる木になる木ぃ~~~~~~・・・・・」 ・・・・・。 ・・・・・。 誰もメインを歌わなかった。

「全員でコーラスしてどうするっ!」「だれかメインを歌わんかいっ!」 という怒号が飛び交う中、グラスをひっくり返してテーブルを濡らす奴がいたり、トイレに行こうと立ち上がってよろける奴がいたりと酔っ払いたちの狂宴は深夜近くの閉店時間まで延々と続くのであった。