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日本人の悪い癖

先週の雑感で日本人は世界から賞賛される国民性だと書いたが、今も余震に襲われている熊本県で空き巣や事務所荒らしが少なからず発生していることを後のニュースで知った。

すべてが善人ということではないのは確かだが、それでも発生件数は極めて低いし、水や食料を奪い合って争うこともなければ暴動が起こることもないのは、やはり誇れることだと思う。

だからと言って誰もが住み良い社会かと聞かれれば決してそんなことはないだろう。

日本人には古来から伝わる独特の『間(ま)』というものがあり、生まれながらにして日本で生活している人には自然に身についているであろうが、海外の人には理解できないことも多いに違いない。

例えば金銭に関して言えば冠婚葬祭で包む金額などは、年齢だったり立場だったり相手との関わり度合いだったり、様々な条件が加味されて導き出される。

若い人が、あまり関わり合いのない人のために大金を出すと思いっきり引かれるだろうし、一定の年齢で一定以上の立場にありながら包む金額が少ないとちょっと軽蔑されてしまう。

タクシー代や食事代など、払う払わない、ここは私が・・・などという会話もよく見られるが、その引き際も難しい。

やはり何度かの押し問答があって折れるタイミングを絶妙に見計らうことが暗に望まれ、
「ここは私が」
「ああ、そうですか」
という訳にはいかないという実に面倒な国民だ。

有名な話としては京都に古くから伝わる独特の作法、『ぶぶ漬け食べなはれ』がある。

他人の家を訪問した際に
「ぶぶ漬けでもいかがどすか」
と勧められたりした場合、たいていは暗にもうそろそろ帰ってほしいと帰宅を催促しているのであって、決して善意からではないので、そこで
「ありがとうございます、ちょうど腹が減ってきたところで」
などと言おうものなら先祖から孫子の代まで悪く言われること必至だ。

それらすべては
「空気読め」
という言葉に集約されるだろうが、海外の人には無理な話である。

そもそも空気を読み、察した状況判断に基づき行動できるのは日本人くらいなものだろう。

それゆえに海外の人から見ると意見をはっきり言わないと思われてしまう。

帰ってほしいとか、自分はやりたくないとか、そう言われると気分が悪いとか、相手にもっとこうしてほしいとか、それはしてほしくないなどなど、言ってしまうと
「ずけずけと物を言う人」
「自分勝手な人」
「自己主張の強い人」
「わがままな人」
などの評価をされてしまうのではないかと思ってしまう。

古来から、そういう自分を見せないのが美徳とされていたので急には変われないし、そもそも
「これからの日本人はそうしましょう」
と誰かが号令をかけて一斉に意識改革しないと一人だけ浮いてしまう危険性が高い。

これも日本人の悪い癖で、料理でも菓子でも大皿に残った最後の一個になかなか手を出さないものだ。

若いころ、そんな状況の時に
「はいはい、日本人の悪い癖!」
と言いながら必ず最後の一個を食べる友人がいたが、そんな彼を誰も疎ましく思わず、むしろ気まずい雰囲気を打破してくれると好感を持たれていた。

年間の外国人観光客数が 2000万人を突破するのが確実となった今、そんな些細な日本文化をも楽しんだりする人がいるかもしれないが、そろそろ日本人も変わる時なのかもしれない。

嗚呼日本人 12

嗚呼日本人 ~目次~

九州では初めてという大きな地震が発生し、余震は今でも続いている。

本震と同等クラスの余震が続くなどという事態にあっては、さぞかし不安も大きいことだろう。

『生きた心地がしない』というのは、こういう時に使う言葉なのだと思い知らされる。

阪神淡路大震災を経験した身としては、NHKのアナウンサーが繰り返していた
「お互いに声を掛け合って・・・」
「具合がわるい時は無理をせず・・・」
「この難局を、この災害を乗りきりましょう」
という言葉に胸が熱くなる。

こんな非常時でも日本人は実に規律的だ。

店で棚から商品が落ちたりしている映像も数多くあるが、誰もそれを盗もうとしない。

これが海外だとあっという間に商品は略奪され、店はもぬけの殻になってしまうことだろう。

みんな避難所に指定されている場所に行って静かに救援を待つ。

ペットを連れた男性が
「これ(犬)がいると迷惑になるから」
と言って外で夜を明かす。

泣き声が迷惑になってはいけないと、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが避難所の廊下にたたずむ。

給水車が来ても我先にと争うことなく整然と列をつくる。

子どもや高齢者を優先して支給された食べ物を配って歩く。

これこそが日本人の真の姿、世界から賞賛される国民性だ。

だからこそ、警察、消防、自衛隊は治安の悪化を心配することなく、暴動の鎮圧などに手を焼くこともなく、不明者の捜索や被災者の救出に専念することができる。

それらのことを伝えてくれるマスコミもある程度は重要だと思うが、ここの避難所では何が不足しているとか、あっちの避難所には何が足りないとか現状を把握しているのであれば、熊本城の瓦が落ちたとか山が崩れているとか上空からヘリコプターで撮影しているヒマがあったら不足している物資の一つも運べないものだろうか。

全局が同じような放送をしていないで、避難している人の要望を聞いて物資を調達するリアルタイム・ドキュメントでも放送したらどうだろう。

それはさておき、NHKでも繰り返して呼びかけていたように、せっかく命があって避難できたのだから、体調が少しでも悪ければ周りの人に助けを求めたり、赤ちゃんが泣きやまなければ経験豊富な先輩ママやお年寄りに助けてもらったりしながら互いに協力しあってこの難局を乗り切っていただきたいと切に願う。

詩的表現

最近の歌はメロディー重視で歌詞がなおざりにされている感が否めない。

よく読み込めば深い意味があるのかも知れないが、横文字を多用し、あちらこちらに散乱している文章は英単語の意味を知る必要があるし、英文を理解しなければならないので骨が折れる。

おまけに、そこまでしなければ理解できない文章など歌詞の意味を持たないのではないだろうか。

メロディーに乗せて耳から心にストンと落ちてくるのが良質な歌詞であり、良質な歌だと思うのだが。

だからと言って、詩である以上はそれなりの表現が必要だ。

最近の若い子が作る歌詞は好きだの愛してるだの悲しいだの寂しいだのとダイレクトに伝えるものが大半で、それを詩的に表現している文章にお目にかかったことがない。

同世代の心には届き、染み渡るのかも知れないが、若僧の書く日記に毛の生えたみたいな文章は年寄りの心には響かないし共感も感動もできない。

しかし、一青窈の『ハナミズキ』のように難解な詩だと、やはりその思いも伝わってこないが。

この『ハナミズキ』は 9.11 アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに生まれたらしい。

テロに対する怒りの連鎖がとまるようにと祈りをこめて作り、自分や家族、自分の好きな人の幸せだけを願うのではなく、「君」と「君の好きな人」が100年続きますようにとメッセージしたと言う。

それをどこぞのバンドやコブクロのように直接的な文字にするのではなく、詩的に表現したのだろうが、難解すぎても何も伝えられないという大きな欠点を持つものだ。

それほど大きなメッセージ性はなくても思いが込められた詩というのは存在する。

デビュー当時、その出で立ちとタイトルからコミックバンドのコミックソングに近い評価しかなかったサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』だが、よく読めば実に物悲しい。

冒頭の一文、

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて

これだけで夏の終わりを表現しているし、あの季節特有の寂しさが伝わってくる。

著作権があるので多くは引用できないが、全体的に夏の終わり、恋の終わりが表現されており、もっとも有名な歌詞へと繋がっていく

今 何時? そうねだいたいね

彼氏、または彼女が時間を気にするのが寂しいのだろう、それゆえにグズグズと答えない

今 何時? ちょっと待ってて

それゆえにグズグズと答えを引き延ばす

今 何時? まだ早い

まだそんなに遅い時間ではない、まだ帰りたくないと言いたいのか。

RCサクセションの代表曲『トランジスタ・ラジオ』も独特の世界観から楽しい歌だと思っている人が多いだろうが、詩を読み込めば失恋ソングだと気づく。

ポカポカ陽気の中、授業をサボって屋上で寝転びながらタバコをふかし、音楽なんかを聴いたりしている自分。

授業中 あくびしてたら 口がでっかく なっちまった
居眠りばかり してたら もう目が少さく なっちまった

そんなだらしなく、口が大きくて目も小さい容姿がさえない自分だから、真面目に授業を受けている彼女とは釣り合いが取れないと。

Ah 君の知らない メロディー 聞いたことのない ヒット曲

ヒット曲というからには何度も流れてくる曲なのだろうが、彼女が聞いたこともないということは一度も一緒にラジオを聞いていないのだろうから、失恋ソングというというより片想いソングなのかもしれない。

他にもRCサクセションの忌野清志郎が書く詩には悲しいものが多く、『雨あがりの夜空に』は車に置き換えているだけで彼女と別れたか喧嘩した夜の情景だろう。

スローバラード』はとても短い詩だが泣けてくる。

あの娘のねごとを聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ

別の人の名前だったのか、きっと聞きたくなかった言葉が彼女の口からもれたのだろう。

ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を

今までの時間は二人で見た夢に過ぎず、朝になれば終わりを迎えてしまうに違いない。

好みは人それぞれ、直接的な表現が好きな人もいるだろうが、冒頭でも触れたように詩である以上は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式(Wikipedia)でなければいけないと思うのが、どうだろう。

真性雑感 第十九版

真性雑感 ~目次~

■ 衆参同日選挙

同日選挙の可能性がささやかれているが、マスコミが嗅ぎつけたということは可能性が無きにしもあらずといったところなのだろう。

間違いなく実施される今年夏の参院選が18歳選挙権が適用される初の選挙だと言われていたが、もしマスコミの予想が当たれば人生で初の国政選挙が衆参同日ということになるのだから対象の若者たちは責任重大である。

ここで政治参加の機運が高まり、若者たちが声を上げて行動に移せば世の中も少しは変わるかもしれない。

今までのように自分の意志と思考を投票行動に移すのが年寄りばかりだと政治と税金の使い方は年寄り優先になってしまうが、若者の意志が少なからず当落に影響すると分かれば政治家も考えを改める可能性がある。

以前にも書いたような気はするが、自分はもう年寄りの仲間入りを果たした。

だから年金だの高齢者医療費だのその他の福祉だのに興味が無い訳ではないが、そっちの充実より若者に対して税金を投入すべきだと本気で思っている。

老い先短い爺さんや婆さんへの福祉を充実させるより、貧困層でも公平な教育を受けられるように授業料や給食費は無料にすべきだと思うし、大学の奨学金制度も貸付ではなく返済の義務がない給付制にすべきだと思う。

もっと小さい子供に関しては、保育施設を充実させて待機児童数を限りなくゼロにすべきだ。

『保育園落ちた日本死ね!!!』と題したブログ記事が話題になり、国会で取り上げられた際に与党側から耳を疑うような野次が飛ばされたことが更なる騒ぎとなった上に、夏の参院選で自民党から出馬する予定の山田宏氏がブログ記事に対して
「まぁ、落書きですね。」
「生んだのはあなたでしょう。(育児は)親の責任でしょ、まずは。」
などと言ったりしたものだから主婦層から総スカン、マスコミの集中砲火を浴びる結果となった。

雨降って地固まると言うか、災いを転じて福となすと言うか、怪我の功名と言うべきか、その火消しに安倍政権は必死で、待機児童問題を解決すべく有識者を集めて議論したり保育園の規制緩和を進めようとしている。

待機児童対策に6200億円の予算を投じるというが、訳の分からない社団法人や財団法人を経由して訳の分からない業者を肥えさせる結果になりはしないかと心配してしまう。

実際、前回は5000億円もの税金を使って待機児童をわずか7万人しか減らすことができなかった。

(予算5000億円)÷ (待機児童減7万人)= 一人あたり約715万円であり、もの凄い膨大なコストをかけたことになるのは、途中で訳の分からない業者に吸い上げられているからではないのか。

それならば既存の保育園に直接予算をバラ撒き、施設の増改築、保育士の所得増、保育士の増員を義務付けて児童の受け入れ数を増加させたほうが手っ取り早いだろう。

話しは横道にそれたが、保育園児など幼い子を持つ層も含め、選挙権を持つようになる18歳からの若い世代が政治に参加し、これからの自分たちが住み良い世界を構築してくれるのなら、先の長くない爺さん婆さんは死なない程度に最低限の暮らしさえできたら良い。

■ アメリカ大統領選挙

まだ予備選挙の段階ではあるが、実業家ドナルド・トランプ氏の勢いが止まらない。

彼が共和党の候補者となって本当に大統領に選ばれたらどうなるのかと世界各国が戦々恐々となっている。

しかし、トランプ氏が大統領になることを本当に懸念し、恐れているのは北朝鮮なのではないだろうか。

トランプ氏いわく
「金正恩は頭がおかしい。頭がおかしいか天才か、どちらかだ」
「北朝鮮問題を解決しないなら、中国を潰してしまえ」
「中国に圧力をかけて、北朝鮮問題の処理に着手させる」
とのことなので、北朝鮮サイドとしては由々しき問題だ。

■ TPP

大統領にトランプ氏が選ばれようと、ヒラリー・クリントン氏が選ばれようと、その他の候補者になろうと、誰もが TPPに難色を示しているので暗礁に乗り上げる可能性も否定できない。

日本の農家、酪農家、JAを筆頭にそれを期待する向きもあろうが、どうにも納得できないのはマスコミの態度である。

TPPの内容がまとまり、調印式が行われたのを境に態度が一変したように思う。

それまでは農業に壊滅的なダメージがあるだの何だのと世間をあおっていたくせに、調印後は TPPのメリットを強調し始めた。

そして今、もしアメリカが履行しなかった場合、日本にどれだけのデメリットがあるか語りだし、まるで TPP推進派の代表であるかのような論調だ。

どうやら日本のマスコミに確固たる信念というものはなさそうである。

海外ドラマを見るのが大変だった件

3月13日の独り言に書いたドタバタに関してである。

事の発端は録画していた海外ドラマが 1話抜けていたことだ。

割と面白く見ていたドラマの最終回が気になり、『お買い物日記』 担当者と先のストーリーを予想したりしていたのだが、どうにも会話が噛み合わない。

自分は最終回が 6話目だという前提で話しているが、『お買い物日記』 担当者は 5話目が最終話だと思っていたのである。

その差を生んだのが第 5話目の撮り忘れだ。

自分は一覧表示の最終話のタイトルを見て第 6話と言っていたが、『お買い物日記』 担当者はリストに 5個しか表示されていないので最終話 = 5話目だと思い込んでいた。

その時点で自分たちのミスに気づき、録画できていない 5話目を見ようと必死になったのが 3月13日という訳だ。

まずは手軽に YouTubeなどで公開されていないか探したが、正式にも違法にもアップロードされていなかった。

次に動画配信サービスを検索してみると、U-NEXTで公開されていることが判明したため、31日間無料で視聴できる無料トライアルを申し込んだ。

パソコンでは間違いなく再生できることを確認したが、二人でパソコン画面に向かってドラマを見るというのも何だか間抜けな光景であるし、ドラマはゴロンと横になって見たい。

そこで、タブレットをテレビに接続して再生することを試みた。

以前にhuluというサービスを利用したことがあり、その時は実に簡単、実に快適に見られたので今回もチャチャッと繋いでゆっくり見ようと思ったのだが、タブレットで再生しようとすると
「お使いのデバイスでは再生することができません」
というエラーが表示されてしまう。

よく調べてみると、タブレットやスマホでの視聴には専用アプリが必要とのことで、それは以前のhuluも同じである。

なんだ、そんなことだったのかと専用アプリをダウンロードしようと探してみたが、そのアプリが見つからない。

実は、我が家で使っているタブレットは iPadでも普通の Android端末でもなく、Amazon で購入した Kindleという製品で、OSは Androidなのだが Amazonが独自にカスタマイズしているため Google playで提供されている普通のアプリがインストールできないのである。

つまり、我が家のタブレットでは U-NEXTで公開されている動画を見られないということだ。

それならばと帰省の際などに重宝していたネットブックと呼ばれる小型パソコンを起動してテレビ画面に接続してモニターを切り替え、それで再生しようと思ったが、OSが Windows XPでブラウザが古いものしか動作せず、そのバージョンでは動画再生できないことが判明。

ならばと古いノートPCでの視聴を試みたところ、Windows Vistaで動作するブラウザでも何とか見られることが分かった。

これでやっと 5話目が見られると安心し、その前にまだ見ていなかった 4話目をブルーレイ・プレーヤーで再生し、いよいよ 5話目を視聴しようとパソコンに向かってみたが、どこをどう探しても見つからない。

そんなはずはない、そんなことがあってなるものか、1時間前まで確かにリスト表示され、冒頭の 10秒ほど確認のため再生してみたのだから、どこかにあるはずだ。

必死にサイト内を検索したり、あちこちクリックしたりしてみたが、5話目どころかタイトルそのものがサイトから消えている。

念のため Googleで検索してみると間違いなく結果は表示されるのだが、それをクリックしても
「ページがありません」
となってしまう。

動画配信サービスでは、定期的に作品が入れ替えられる。

見ようとしていたドラマは、その1時間というわずかな間に消え去り、いざ見ようと思った時には別の作品と入れ替わってしまっていた。

万事休すかと思われたその時、『お買い物日記』 担当者がスカパーのビデオ・オン・デマンドで見逃したドラマを見ることができるサービスがあるのを見つけ、一縷の望みを残す。

ブラウザに必要なプラグインをインストールし、再生してみたところ、どうも映像がカクカクして目が疲れる。

どうやら古いノートPCでは処理能力が低いため、滑らかな再生が困難なようだ。

ならば『お買い物日記』 担当者が使っている Windows 7や自分が使っている Windows 10の PCで再生するかとも考えたが、双方ともデスクトップPCで移動は困難、ケーブルが短くてテレビ画面との接続も不可能。

であれば、間抜けな姿ではあっても誰に見られる訳じゃなし、二人でパソコンの前に座って視聴しようかとも考えないではなかったが、それまでの数時間の作業で疲れ果ててしまい、そこまでする元気も残っていなかった。

もう面倒になったので 5話目を見ずに最終の 6話だけ見てみたが、何とかつじつまも合ってストーリーを理解することができた。

だとすれば、最初から無駄な努力などしなければ良かったと思わないでもないが、あの苦労した数時間はきっと無駄ではなかった、いつかきっと何かの役に立つに違いないと思うように努めている。

ただし、海外ドラマを見るための努力など仕事には役立ちそうにもなかったりするが・・・。

主観的ランキング

テレビで春夏秋冬の中でどれが好きかという話題になっていたので、自分なりに考えてみると以下のようなランキングになった。

1. 秋
2. 春
3. 冬
4. 夏

秋は少し物悲しくもあり、これから寒い冬がやって来るという思いもないではないが、あの空気感がなんとも言えず心地良いし、暑い夏を乗り切ったという安堵感、開放感もあって気持ちも落ち着くような気がするので一番好きな季節だ。

2位の春は、厳しい寒さを乗り切ってポカポカと暖かく、草木も色づき花も咲き乱れ、生命の息吹をも感じることができるのと同時に華やかな気分になれるのが良い。

3位の冬と 4位の夏は実に僅差であって甲乙つけがたい。

つい先日の名古屋ウィメンズマラソンは 42.195キロも走ったのに 1位と 2位の差が 1秒しかなかったが、年単位で比較しても自分における冬と夏の差は 1ナノメートルほどしかないような気がする。

北海道の冬は寒さ厳しく、雪に閉ざされるので行動範囲も狭まってしまうのは確かだが、夏の暑さと比較した場合、どうしても寒いほうがマシだと思えてしまう。

寒さには重ね着をするなり抵抗手段があるが、暑さに対しては脱ぐにも限度があるし、抵抗のしようがないのが腹立たしい。

寒すぎて腹が立つことはないが、暑いとイライラして腹が立ってくる。

暑くて眠れないことはあっても寒くて眠れないことはない。

暑くて食欲がなくなることはあっても寒さによる食欲減退はない。

暑いからといって食べる冷たい料理よりも寒い時期に食べる熱々料理のほうがレパートリーが多い。

夏の散歩は汗だくになってしまうが、冬の散歩は最初寒くても体が温まる。

そんなこんなで、様々なことを比較検討した結果、本当に微妙な差ではあるものの冬に軍配が上がった訳だ。

ついでに東西南北のランキング。

1. 南
2. 東
3. 西
4. 北

上述した春夏秋冬とは明らかな矛盾が生ずるが、南は南国、南の島、南風など暖かい印象が強いし、成田空港の南ウィングも何となく洗練されているように思う。

東は太陽が昇る方角であるし、日出ずる国に暮らす以上、やはり東という方角には特別な思いがある。

で、西と北は微妙で、極わずかな差しかない。

しいて言うならトライアスロンのアイアンマン・ディスタンスで 3.8キロ泳ぎ、自転車で 180キロ走行して 42.195キロのマラソンをしたのに差が 1センチもなかったくらいの僅差だ。

逃亡者はなぜか北に向かう。

北へ帰る人の群れは誰も無口だと作詞家の三木たかしには書かれるし、古くから映画や小説に登場する北の旅人はワケありであって決して楽しい旅行者ではないし、成田空港の北ウィングも南ウィングに比べると乗り入れている航空会社も地味で行き先にも華々しさがない。

なんだかんだで北にはマイナスイメージが多いのだが、西には何もなさすぎる。

夏の西日は暑くて嫌だというイメージくらいなもので、それ以外に西と言われても何も思い当たらないという誠にイメージ希薄な方角だ。

そんな訳でどっちもどっちなのだが、やはりマイナス点が少ない分だけちょっとだけ西のほうがマシな気がする。

・・・。

普段から何のためにも一切ならず、実にくだらないことを書いていたりするが、今回の雑感ほど無意味なものはないかもしれない。

今まで書いてきたものの中で最低ランクではないだろうか。

扱いの差

先週と同じように報道関係のことになってしまうが、毎日の報道を見ていて不思議に思うことがある。

消防庁のまとめによると、平成26年(おととし)の総出火件数は 43,632件であり、1日あたり 120件、12分間に 1件の割合で発生しているとのことで、放火や自殺者を除く住宅火災による死者は 1,000人を超えるらしい。

それなのに、テレビ番組で取り上げられる火事のニュースは数日に 1件か 2件といった感じだ。

43,000件以上の火災で 1,000人を超える人が亡くなっているのに、どうしてニュースで伝えられるものと、そうでないものがあるか。

警察庁のまとめによると、平成26年の交通事故による死者(発生から24時間以内)は 4,113人で 1日あたり約 11人、約 2時間に 1人の割合で亡くなっている。

それなのに、テレビ番組で取り上げられる事故のニュースは火事と同様、数日に 1件か 2件といった感じだ。

573,465件以上の事故で 4,000人を超える人が亡くなっているというのに、どうしてニュースで伝えられるものと、そうでないものがあるか。

大火災や大事故が発生して死者が増えれば全国ニュースで大きく扱われるが、それ以外にも一般住宅の火事で焼け跡から 1名の焼死体が発見されたとか、自動車の正面衝突で 1名が死亡などというニュースもあるので規模の差だけではないようだ。

もちろん、テレビ放送の時間は限られているし、新聞紙面のスペースも限られているのですべての火事や事故を報じることはできないだろうが、扱いに差がでる理由が分からない。

過去の独り言にも書いたように、NHKは 10分くらいの短いニュースで新しく始まる朝ドラの宣伝をしたりするが、そんなくだらないことを取り上げるくらいなら、毎日どこかで必ず発生しているであろう火事や事故を伝えるべきではないだろうか。

小規模な死亡事故や死者を伴う火事など、いちいち取り上げる時間がないというなら、それらのニュースは一切伝えなければ良い。

伝えられるものと伝えられないものがある理由が分からないし、納得できないのである。

今日の今現在、都道府県別に何件の火事、事故が発生し、何人が亡くなり、今年に入ってからの累計がどうなっているかだけでも伝え、数値が高くなってきているから事故に気をつけよとか、火事に気をつけよと警告だけするようにしたら良いのではないだろうか。

殺人事件にしても被害者数は 1955(昭和30)年の 2,119人をピークに減り続けているとはいえ、2012 (平成24)年現在で 383人が被害にあっている。

それはつまり、1日に 1人以上ということになるが、報道されるのは半分以下なのではないだろうか。

猟奇的殺人とか連続殺人、幼児殺害などセンセーショナルに扱われる事件の陰で何人もの人が犯罪者の手によって命を奪われている。

そこに何か釈然としないものを感じる自分がおかしいのだろうか。

たしかに、毎日、毎日、今日は事故で何人、火事で何人、殺人で何人が亡くなったと知らされても気が滅入り、暗い気分になるだけかもしれないが・・・。

短絡的

先月の25日に大阪の繁華街で発生した 11人が死傷するという不幸な暴走事故。

運転手が心臓付近の大動脈解離を起こして急死したのが原因だが、その運転手は学生時代ラグビー部に所属して体力には自信があり、1月には 10キロマラソンも完走していたという。

ただ、友人たちとラーメン部なる集まりを作り、知人から食べ過ぎじゃないのかと心配されるほど頻繁に食べていたらしい。

テレビなどではそのラーメン好きがたたり、今回の件はラーメンの食べ過ぎが原因かと思わせる報道があったが、なんと短絡的な発想なのだろう。

酒を飲んでの運転など論外だが、大好きなラーメンを思う存分食べまくっている人も運転してはいけないとでも言いたいのだろうか。

不幸にして最悪のタイミングで大動脈解離を起こしてしまった運転手も、巻き添えで命を落としてしまって人も怪我をしてしまった人も、ラーメンの食べ過ぎに注意しましょう的なまとめで浮かばれるはずがない。

老人ホームでの虐待、殺人が発覚し、介護職員が逮捕された事件でも低賃金が問題、長時間勤務が問題などという報道が目立ったが、本質はそこではないだろう。

低賃金の長時間勤務が問題だというなら、自分が若かりし頃のプログラマーはほぼ全員が誰かしら殺していても不思議ではない。

人手不足の今と異なり、当時は技術者が掃いて捨てるほどいたので低賃金が当たり前で、納期の厳しい仕事ばかりで残業なども当たり前、残業どころか一カ月とか二カ月という単位で会社に泊まり込みで仕事をするのも当たり前だった。

一カ月の残業が 200時間で過労死だの自殺だのという報道があるが、毎日 4-5時間の仮眠と 1食 20分程度の休憩のみ与えられ、缶詰状態で働かされていた我々の残業は月に300時間を軽く超えていたと思われる。

心は荒廃し、人間関係もギスギスすることだってあったが、それでも殺人の罪を犯す社員は一人もいなかった。

あまりにも疲れ切っていて人を殺すエネルギーさえ残っていなかったこともあるが・・・。

とにかく、虐待や殺人は許されないと前置きしながらも、低賃金や長時間勤務、過酷な労働現場にスポットを当てるということは、そんな状況ではイライラして御老人を虐待することもあるかもしれない、つい殺しちゃうことも・・・と暗に認めたり少なからず犯人に同情したりしているのではないかと思ってしまう。

性犯罪があれば、すぐに過激なアダルトビデオが影響しているのではないかと言い出すし、少年による暴力事件があればゲームが問題視され、幼女への性的暴行事件では同人ヲタ界隈が酷評されることになる。

何でも短絡的に結びつけ、本当に権威があるのか分からない専門家なる人物が登場し、その業界の専門用語を微妙に散りばめながら解説してそれなりの番組を仕上げて茶を濁す。

話しが途中でねじ曲がってあさっての方向に進み、論点ズレズレながら無理矢理ハードランディングさせた話題でも、視聴者は何となく分かった気になって見ているが、世の中そんな単純なものではないだろう。

本当にそれらが問題なら、ラーメンもアダルトビデオもゲームも同人誌もそんなに危険極まりないものならば、それぞれ国家が管理して、どこかの公益社団法人がマイナンバーを基に購入しても良い国民を管理し、それらを販売できる店や企業も厚生労働省あたりがライセンス制にして厳重に管理すべきだろう。

そういう議論にならないのは残念でならないが、それはつまり、報道している側も本気でそうは思っていないということではないのか。

きっと薄っぺらで短絡的に、なんとなく伝えているに違いない。

そんなものを偉そうに報道などと言ってほしくないと思うのだが、どうだろう。

記憶 Memory-18

過去の記憶

あれはいったい誰だったのだろう?

自宅から小学校を通り過ぎて反対側に住んでいた友達。

いや、本当に友達だったのだろうか?

彼とは夏の思い出しかなく、寒い時期に遊んだ記憶が皆無だ。

頭に浮かぶのは、いつも半ズボンに白いランニングシャツの姿。

キッチョと呼ばれていたが、その意味は分からない。

苗字が木村とか木下とか、名前が公章とか公彦など、とにかくどこかに『き』が含まれていたのかもしれないが、彼の本名を知らないので実のところは分からないままだ。

あの暑い夏の日、材木置場で朽ち果てた木の中からクワガタムシやカブトムシを掘り出すのに誰もが必死になっていた。

あまりにも真剣だったので楽しく会話をした覚えもないが、彼はなぜかそこでは輝く存在だったのである。

もちろん虫を探していない時は話しもしたし、一緒に原っぱを駆けまわって遊んだ。

ヘトヘトに疲れて家に遊びに行くと、彼のお母さんがオレンジジュースを飲ませてくれた。

小学生の一時期、とても仲良く過ごしたが、今から考えるとあれは誰だったのか。

同じクラスでもなければ他のクラスにもいなかったので同級生でないことだけは確かだ。

下級生だったのか、上級生だったのか。

いや、もしかすると、かなり遠くまで遊びに行っていたので他校の生徒だったのかも知れない。

子供同士というのは、たとえ初対面であっても最初のうちは警戒したり様子を見あったりするものの、小一時間もしないうちに距離が狭まり、打ち解けて仲良く遊んだりできるものである。

実際、学区内とは程遠い公園で見ず知らずの子供同士で遊んだりしていたし、同じ学校だったとしても同学年だけではなく、上級生や下級生が入り乱れて遊んでいた。

今から思えば、あの時の経験で上下関係を学んだりコミュニケーションの方法を学んだりしたと思う。

中学では足の速さを買われてスカウトされ、一応は入部したものの一週間も経たないうちに練習が面倒になって部活動に参加しなくなった典型的な幽霊部員で、高校時代は何にも属さずにいたので体育会系の厳しい上下関係を学んだことはない。

それでも社会に出てから先輩後輩、上司と部下の立場をわきまえることができていたのは小学校時代の経験と、不良時代の経験が大きく影響したものと思われる。

不良などやらない方がマシだが、幼少期に様々な年齢を相手に遊ぶのは大切なことなのではないだろうか。

現代っ子は外で遊ぶ機会もなく、小学校低学年から塾に通い、きょうだいもなく温室で大切に育てられるので広い年齢層と一緒に過ごす機会に乏しい。

それゆえにコミュニケーションの方法を知らず、上下関係に疎い、社会人としては実に欠陥の多い人種が量産されることになってしまっているような気がする。

話しを元に戻せば子供時代の夏の思い出に欠かせないキッチョというアダ名の彼。

帰省の際、買い物に行くタクシーの中からあの頃の風景を探してみたが、そこにあったはずの材木置場は見当たらなかった。

立ち並ぶ家も変わり、あったはずの原っぱも見つからない。

あれは誰だったのだろう。

キッチョと呼ばれていた彼は今頃どうしているだろう。

自分解体新書 - 23 -

自分解体新書 ~目次~

■ 毛髪 その4

白髪化の進行に歯止めがかからない。

そりゃあ、ここまで白髪頭になってから黒くなるなどとは思っていないが、加速度的に進行していて今は全体の 65%ほどが白いものと思われる。

後頭部は黒さをある程度は維持しており、それは前頭部から頭頂部に密集しているため、正面から見ると 80%以上が白髪という訳だ。

何カ月か前の事になるが、長兄夫妻と一緒に買い物にでかけ、屋外駐車場から店まで歩いている時、店舗の良く磨かれたガラスに映った自分の姿を見て愕然とした。

それは思っていた以上、自覚していた以上に髪が白く、それはすでに『真っ白』と言って過言ではないほど太陽光を見事に反射していたのである。

家の洗面所で見る鏡、散髪の際に見る店の鏡でも、そこまで白く見えてはいない。

屋内の照明の下で見え方と、屋外の太陽光に照らされた際の見え方がこんなに違うとは。

そして、白髪化によって余計に地肌が目立つということもあるが、確実に本数も減って薄毛化も進行中だ。

となりの店のお兄ちゃんは
「まだ大丈夫だよ」
と言ってくれるが、散髪後にシャンプーしてもらって濡れた頭を見ると、以前よりも確実に地肌が露出しているように思えてならない。

以前から、ハゲたら変に隠さず、思い切って短髪にしてやろうと思っており、それはお兄ちゃんにも伝えてある。

散髪中に
「そろそろ短くする?」
と、いつ言われるのかドキドキするお年頃になってしまった。

■ まつ毛 その7

白髪化はまつ毛でも進行している。

以前までは 3-4年に 1度くらいの割合で白いまつ毛が生えてきたが、それが年に 1本、数カ月に 1本と徐々に間隔が短くなり、今では常に生えるようになってしまった。

右目の端、左目の端、どういう訳か左右対称の同じような場所にそれぞれ 1本ずつある。

今のところは 1本だが、それが 2本、3本と増え、そのうちに頭髪と変わらぬ白さになるのではないかと思わないでもないが、まつ毛が真っ白な人など見たことがないので、そこまでには至らないであろうと信じているところだ。

■ 指 その3

以前にも書いた、硬くなってボコボコになっていた指だが、もう少しで完治というところまで改善してきた。

何にでも効くと信じてやまないオロナインH軟膏を塗り、綿手袋をして就寝してみても期待したほどの効果は得られなかったが、それならばと昨年の 5月に 『お買い物日記』 担当者が皮膚科に行って処方してもらった塗り薬を試してみたところ 2日目の朝には効果を実感でき、そのまま続けていたところ今は人差し指と中指の先の先、本当に極一部に硬さは残っているものの、それ以外は綺麗に治っている。

中途半端にしてぶり返すと困るので、このまま完全に治りきるまで薬を使い続けるつもりだ。

■ 脚

ここ数年、ずっと左足が痛い。

正確には左の腰から尻、太ももに膝裏、ふくらはぎの横を通って足先に至るまで、ピリッと電気が走るように痛いこともあればジンジンと鈍痛を感じることもある。

ぶつけた覚えもひねった覚えもなく、まして怪我をした覚えもないので加齢による現象だろうと放っておいたのだが、ある日テレビを見ているとファイザー製薬の CMで武田鉄矢氏が登場し、語り始めた症状がまさにピッタリだった。

同サイトによると、日本では『痛みを我慢するのが美徳』とされてきたが、我慢することで痛みが慢性化してしまうこともあれば、我慢できなくなるほど痛みが強くなってからの治療だと薬の量が多くなってしまうと書かれている。

しかし、痛みを感じはじめて早くも 2年、痛みが増しているかと言えばそうでもなく、変な意味で安定的な痛みが続いているので悪化はしていないのではないだろうか。

それだけに、病院で診てもらうほどのことなのか判断が難しかったりするのであった。