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本音

官僚が 『年越し派遣村』 に関して 「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」 と発言したことが問題となり、マスコミがギャーギャー騒いだ結果、謝罪するに至るという誠に日本的な結末になったのは実に浪花節的である。

しかし、官僚の言ったことには一理あり、少し言い方を間違えただけで 「まじめに働こうとしている人たち “だけ” が」 とすれば何の問題もなく、むしろ派遣村で起こっていた問題点を的確に世に知らしめる結果となって賞賛に値する内容だったのではないかとさえ思える。

集まった 500人とも 600人とも言われる人の全てが派遣切りの憂き目を見て不幸な環境におかれていたとは思えず、寝床と食料にありつけるという理由から、もともと働く気がないホームレスだって相当数が紛れ込んでいたと思われる。

1995年に発生した阪神・淡路大震災の時だってそうだったが、神戸に行けば少なくとも屋根のある避難場所で寝泊りでき、三食昼寝つきで一週間に一度くらいは入浴もできることが分かると、被災者でもないのに大勢の人が神戸に向かい、大阪のホームレスの数が激減した事実がある。

派遣切りに遭ったのは事実だろうが、何らかの事情で派遣契約しかできなかった人ばかりではなく、自由に転職でき、自由に働く期間を決められることを望んで派遣登録していた人も大勢いるはずであり、それを楽しんだり謳歌していたくせに、いざこのような事態になると態度を変え、派遣村に紛れ込んで 「けしからん」 とか 「自分は弱者だ」 と騒いでいる人もいるはずだ。

官僚が言った 「学生運動的な戦略のようなものが垣間見える」 との発言も、ある程度は的を得ていると納得できるシーン、それは、協力を要請されて厚労省が施設を緊急避難所として開放する決断を下した結果に対して 「感謝します」 ではなく 「評価する」 と言い放つ姿がテレビに映し出されていた件であり、何様のつもりかと胸ぐらをつかんで問いただしたくなってしまう。

その物言いは完全に学生運動的、政治活動家的なものであり、本人が否定したとて他人にそういう印象を持たれてもなんら不思議ではない発言、態度の人が主たる役割を果たして組織化され、派遣村が形成されていたとすれば 『学生運動的な戦略』 と見なされ、または警戒されるのは当然だ。

実際に派遣村でリーダー的な役割を果たしていた人の中には政治活動家も多くおり、貧困層に政治思想を植え付ける活動を行っていたという指摘も様々な方面で広く語られていた訳であるから、マスコミがその情報をキャッチできていないはずはなく、万が一キャッチできていない程度の情報収集能力であるとするならば 「報道なんかやめてしまえ」 と言いたい。

そんな事実すら勘案せずに (派遣村の住人 = 弱者) > ((派遣切り企業 + 政治)= 悪者) という図式を一方的に組み立て、弱者保護、間違った正義感丸出しに騒ぎ立てて世論をミスリードしているのは罪ではないのかとすら思えてくる。

人材派遣に関する規制緩和の行き過ぎ、小泉政権時代の負の遺産などとアホみたいに吠えているが、そうしなければ日本企業はグローバル市場で戦えなかったのは事実であり、もし製造業への派遣を規制しようものなら、過去のアメリカのように製造業が海外にシフトして日本国内から産業が消え失せ、結果的に大きく雇用を失う結果となるのは自明の理であろう。

問題視された官僚の発言は本音だったと思われるが、それが本当に問題だったのかどうか、マスコミは派遣村に集まった多くの人に取材して、なんちゃって弱者がいなかったのか、妙な思想家はいなかったのかを調べてから報道すべきだっただろう。

北の味覚

一昨年末までの出来事がまるで嘘であるかのように、昨年末にゆっくりと正月を迎える準備をすることができたのは、北海道に帰ってきて最初の年末年始であることから要領をつかむことができずに状況を静観していたことと、北海道で暮らしていた以前の記憶がさっぱりよみがえってこないことに加えて、『お買い物日記』 担当者の体調を考えて無理をしなかったことが要因だ。

いつもの年末、いくら大売出しがあろうとスーパーには普段より高い食材が並び、「どこが年末セールなんだ!」 と文句の一つも言いたくなるような価格設定に腹立たしさすら覚えたものであり、そういう事態を想定済みな 『お買い物日記』 担当者は事前に購入したカマボコなどを冷凍保存できないものかと試行錯誤したりしていたものである。

昨年末、北海道の場合は年末に近づくに従って食材の価格が高くなるのか、ハッキリした記憶がないまま 「今年は勉強」 と割り切り、事前の買いだめや準備をしないまま年末セールを迎えたのだが、その価格は一部の製品を除いて普段よりむしろ安くなっており、あの大阪での出来事はいったい何だったのかと大きなクエスチョンマークが頭上でボヨンボヨン揺れることとなった。

誰もが必要とし、消費期限の短いカマボコなどは年末ギリギリに買い求めるしか方法はなく、だとすればスポット的にその期間だけ価格を上げても消費者は諦めて泣く泣く購入せざるを得ない状況に追い込まれ、店側の思う壺であることは分かっていても 「まあ、せっかくの正月だから少々高くても」 という理由にも後押しされて財布の紐を緩めてしまう。

商売としてはそれが王道、定石なのであろうし、店側もそれで普段より大きな利益を得て楽しい正月を迎えることができるのであろうから、ある意味において仕方のないことだとも思えるが、北海道の場合は全く逆で、普段よりも安い価格で提供されることに多少の驚きを感じつつも、年末になって必死にやりくりする必要がないのは何とありがたいことかと感謝すらしてしまう。

きっと関西は商売優先、北海道は商売よりも 「みんなで正月を楽しみましょう」 的雰囲気が優先されるものと思われ、その点においては故郷である北海道の方が自分たちに合っていると、しみじみと感慨にふけったりした年末だった。

売られているものは肉、魚、野菜とも圧倒的に地元のものが多く、地元のものがなくても北海道産、それがなくても国産、それがなくてやっと輸入物という割合で、さすがに自給率 200%の土地柄だと感心してしまうのと同時に、全国的にブランドとなっている北海道の食材を新鮮なうちに、さらには安価で手に入れられることに対して感謝すらしたい気分である。

化学の味が嫌いなのでお節料理もなるべく手作りにしている我が家だが、作るのが超面倒だったりするものは既製品に頼っており、今回久々に地場産業の既製品を食べてみたところ、その味付けはやはり体に合っているらしく、もちろん関西風の味付けや京風の味付けも美味しかったのは事実としても、体に染み渡り、遠い記憶を呼び覚まされるような懐かしい味わいは最高だ。

空気や水、食材や味が体に合うか合わないかは最低限なことでもあるが、日々積み重なっていくものであるから最高水準の条件であったりするので、今のところはきっかけが何であったにせよ、北海道に帰ってきて本当に良かったと 『お買い物日記』 担当者と二人、心から喜んでいるところである。

2008年の終わりに

いよいよ今年になって 51回目の雑感であり、今年最後の雑感である訳だが、あまりにも色々なことがあり過ぎであり、若者風に書けば有り杉であり、とてつもなく長い一年だったような、あまりにも早い一年だったようにも感じる、誠に特殊な出来事が積み重なった年だった。

世の中的にも激動の一年で、春先までは大手各社とも過去最高益を更新する決算発表でまさに我が世の春を謳歌し、世界経済も膨張を続けているゆえにエネルギーや資源が不足するだろうという憶測からウランや原油はもちろん、希少金属(レアメタル)から鉄やパルプ、果ては小麦から海産物、乳製品に至るまで、ありとあらゆる資源が高騰してハイパーインフレ時代への突入が危惧されていた。

ところがアメリカ発のサブプライムローンに端を発する金融危機から世界経済は真っ逆さまな下降線をたどり、今となっては大幅な減収減益、赤字決算も視野に入ったことから非正規雇用者をかわきりにリストラが加速し始め、新卒者の内定取り消し、正社員のリストラまで事態は悪化するに至り、やっと退治したと思われていたデフレという悪魔の影が再び日本や世界に忍び寄ろうとしている。

独り言』 に何度となく書いたが、数カ月前から世界のあちらこちらで予兆はあり、危ういバランスの上で経済が成り立っていることくらいは十分に分かりきっていたものと思われるのに、株で生計を立てている、セミプロであるはずのデイトレーダーや本当にプロでなければいけない金融機関はどうして投資を中止し、資金を引き上げることができなかったのか不思議でならない。

こんな時くらいはしっかりしてほしい政治も混迷の度を深めているが、福田氏の後で誰が総理になろうと自民党に関心が向いて支持率が上がるはずもなく、簡単に総選挙に打って出れないことくらいは容易に想像できたことであり、何を今さら KY 空気読めないとか KY 漢字読めないとかで騒いでいるのかと実にアホらしくなってしまうが、とりあえず一人造反した渡辺喜美氏はちょっと面白いなと。

世の中のことはさておき自分の身の周りにも重大な出来事が山積した一年で、まずは年初の義兄重病の知らせから始まり、東京での診察、余命の宣告を受けて引越しの決断、怒涛の作業を終えての引越し、努力も虚しく訪れた義兄の死、それにも関わらずこの町への定住の決断、絶対に止めない宣言をしていたにも関わらず禁煙を始め、『お買い物日記』 担当者の重病発覚、今も続く治療。

通常は何年もかけて身に降りかかることが一度に襲ってきた感じであり、体力、精神のバランスを保つのがやっとな一年だったと心の底から思えるのと同時に、北海道に帰ってきたことが結果的に幸いしているものと思われ、以前の雑感にも書いたように、すべては義兄が導いてくれたのではないかとさえ思えたりする。

『お買い物日記』 担当者が大病を患ったのは不幸なことだが、あのまま大阪で暮らしていたら病院など行かず、結果的に手遅れになったであろう事は容易に想像することができ、また、全国的に産科医が不足する昨今において、この町の日本赤十字病院は医師を確保して 7月から産婦人科を再開したばかりというタイミングの良さも味方してくれた。

また、良い病院で治療を受けられるのも北海道に住む叔母の紹介があったからであり、入院患者との交流や看護師さんとのふれあいも、生まれ育った北海道の人柄、言葉に触れていられることは心穏やかに、安心して入院したり治療を続けられる大きな要因になっているものと思われ、長期間の闘病生活にとって言葉で表せないようなプラス作用があるだろう。

世の中もプライベートも本当に色々あったし、世の中は来年も大変なことになるのは間違いないだろうが、ちょっと利己主義であるのは自覚しつつも今は他人のことまで思いやる心の余裕がなく、自分たちと、その周りの身内、ごく一部の人たちが幸せであることだけが望みだ。

そんな小さな幸せを願いつつ、今年の雑感を終わろうと思う。

しっぺ返し

まだまだ 『派遣切り』 は終わりそうもなく、年の瀬だというのに職を失い、住む場所まで奪われる人がいるのは誠に気の毒だとは思うが、やっぱり今の報道は偏向し過ぎており、必ず弱者に皺寄せという話になる。

3月末までの契約だった人が年末に契約解除されて路頭に迷ってしまうのは分からないでもないが、だからと言ってあと三カ月、正規に契約が切れるまで雇用を継続したからといって何か幸せな、バラ色の未来でも待っているのかといえば決してそんなことがあるはずもなく、三カ月後に景気が回復しているはずがない以上は、2009年の春に起こることが前倒しで 2008年の末に起こっているだけのことだ。

内定取り消しも問題視されているが、心情はどうあれ雇用契約を結んでいない以上は決して違法ではなく、また、ここでもめて内定の取り消しを撤回させたとしても、特に不動産関連は来年の三月まで会社が存在する保証はないだろうし、内定を取り消さざるを得ないということは相当にヤバくなっている証拠なのだから、ここは素直に別の就職先を探すか、大学を留年して来期に賭けた方が良いのではないか。

そうは言っても会社側に問題がないのかと問われれば決してそんなことはなく、半年ほど前まで、労働人口の減少による人手不足から、日本も移民を受け入れるべきだと大騒ぎしていたのは何だったのかという話であり、ここにきて外国人労働者を真っ先に雇用契約解除の対象にしているのはどういうことかと小一時間くらい問い詰めたくなってしまう。

街に職のない外国人が溢れ出し、治安が乱れるかもしれないという事態を想定した上で移民のことを考えたり、選挙権の問題や老後、社会保障の問題まで、移民者に対してどう対処すべきか考えた上で発言していたとは思えず、単に安い賃金で 3K と言われる 『きつい』『汚い』『危険』 な職業や、新3K と言われる 『きつい』『帰れない』『給料安い』 仕事をさせるのが狙いだったのではないか。

外国人労働者を狙い撃ちして切り捨てるようなことを続けていたら、彼らが本国に帰った際に悪評をばら撒かれ、自社のブランドが傷つき自社製品が売れなくなるというしっぺ返しを喰らう可能性も少なからずあることを肝に銘じておくべきであり、派遣切りや雇用調整をしている大企業は、庶民が生活の不安、将来の不安を覚えて消費が縮み、自社の製品が売れなくなるというしっぺ返しを覚悟しておくことだ。

そしてますます業績が悪化し、正社員のリストラにまで手を付け、それは社会不安にまで発展し、さらに消費が冷え込んで物が売れなくなるという負のスパイラルに陥り、価格を下げなければ売れず、価格を下げることによって利益が細り、賃金カットを進めて消費者の財布の紐がさらに固くなるというデフレスパイラルにまで発展していくかもしれない。

企業は社会の公器と言われ、事実それはパナソニックの経営理念でもあり、オムロンの企業理念でもあり、その他多くの会社も理念として掲げているが、今はその公(おおやけ)の器(うつわ)が壊れてしまい、不安や不満があふれ出してしまっている状態で、そんな不安を世の中に与えていることは、将来、大きなしっぺ返しとなって企業に降りかかってくるものと思われる。

資本主義の末路

『派遣切り』 と言われる非正規雇用者の契約解除が続いている。 ある評論家が息巻いていた。 必要なときに人材を確保し、経済が悪化したとたんに切り捨てて良いのであれば、会社経営なんぞ誰でもできると。 しかし、そういう経営を評価していたのが株式市場である。

まだ赤字に転落しておらず、内部保留も相当な額が積みあがっており、株主配当も続ける余裕さえある企業がどうして人員整理をするのかと、さも庶民の味方のふりをして語る司会者。 それじゃあ、おまえの儲かっている個人事務所で 100人ほど雇ったらどうだ? と言ってやりたくなる。

派遣切りを止めさせたいのであれば株主至上主義を是正すべきだ。 そうしたら、どこかのオッサンがしたり顔で言うだろう。 アメリカ型資本主義を持ち込んだ小泉政治の負の遺産だと。 しかし、そんなアホの言うことを聞く必要などない。 ある程度は資本の理論を持ち込まなければ日本企業は世界で戦えないのは事実だったのだから。

確かに古き良き時代はあった。 年功序列、終身雇用が原則で、余程のことがない限りは会社をクビになることもなく、年齢と共に所得が上がり、会社は擬似家族として存在する。 社内旅行や社内運動会があり、小さな部署単位、課の単位、個人単位で飲み会が開催されてコミュニケーションが図られる。

多くの株は持ち合いで流動性がなく、株価は一定水準で乱高下もせず、もの言わぬ安定株主ばかりなので経営の自由度が高くて多くの株主配当を出す必要もない。 その分だけ社員に分配する余裕があるし、数年間の赤字が続こうが固定費に占める人件費の割合が高かろうが誰からも文句を言われず、全社一丸となって不況が去るまで耐え忍ぶ。

それら全てのことに対して NO を突きつけたのは株主であり、社員そのものである。 会社への忠誠心などなく、「スキルアップのため」 などと綺麗ごとを言いつつも報酬の高い仕事へ転職を繰り返し、上司、同僚からの酒の誘いもうとましく思ってコミュニケーションを図ろうともせず、旅行、会社行事などの団体行動はダサいから参加しない。

アメリカ型の経営に傾注し、会社が実力主義を重んじた成果報酬型の給与体系を進んで導入した経緯はあるにせよ、それを是とした個人がおり、むしろそれを好んだ社員がいる。 その際にそんな個人や社員をいましめることもなく、むしろ人材の流動化という謳い文句で容認し、『年収数億円を稼ぐスーパー社員』 などと持ち上げた伝え方をしていたのはマスコミだ。

そして、日経平均株価が上がっただの下がっただのと一喜一憂し、大騒ぎするのもマスコミであり、外国人投資家が日本株を買い越しただの売り越しただのと気にするのもマスコミだ。 現在は人員削減を問題視しているが、今なんの対策もせず、日本の市場から投資家が離れ、トヨタやソニーの株が暴落して外資に買い叩かれたら日本に税金が落ちなくなるのが分かっているのか。

過去に何度か書いているように、会社は株主のものなんかであるはずがないと思っているので、株主至上主義が良いことだと思わないし、むしろ間違っていると考えている。 しかし、世界を相手にビジネスをするのであれば、資本主義は受け入れなければならず、日本に持ち込むことは必要だっただろう。 問題は、ただ持ち込んだだけで日本流に消化しきれていないことである。

なんでもかんでもアメリカが正しい訳ではないことが今の世界金融危機で証明されたのだから、日本式企業経営のあり方や日本流の資本主義を加味して新しい資本主義を構築するチャンスなのではないかと思うのだが。

マサルノコト scene 21

マサルは図体も大きく、ホンジャマカ石塚みたいな体型と、彼と同じような小さい目をしており、手だってグローブのように大きくてゴツイのだが、どういう訳かもの凄く手先が器用で、大きな体を丸めてチマチマとした細かい作業をするのがとても得意なのである。

ある日、我が家に遊びに来ていたマサルが粘土を見つけ、チマチマと何かを作り始めた。 自分は絵を描いたり造形物を作ったりするのが好きだったので絵の道具やら粘土やらは部屋のあちらこちらに置いてある。 それを見つけて何やら作り出したらしいのだが、そんなことは気にせずにノブアキと馬鹿な話をして笑っていた。 しばらくするとマサルは 「ほれ」 とできあがったものを机の上に置いた。

そこには体長 5cm くらいの躍動感あふれるゴモラの姿があった。 ご存知、ウルトラマンシリーズに登場する怪獣なのだが、それが精巧にできているのなんの、たった 5cm しかないのに今にも歩き出しそうな感じすらするリアルさであり、説明などされなくても、どこからどうみたって立派なゴモラでしかなく、それはそれは素晴らしい出来栄えだ。

ノブアキと二人で 「すげぇ~」 と褒め称えると、ただでさえ大きなマサルの体はますます膨らみ、胸が反り返って後ろに倒れそうな勢いで大威張りしていた。

そしてマサルは絵も上手く、美術の時間に描いたものの多くは貼り出されたりもしていた。 自分も絵を描くことは好きだったし、ある程度の自信もあったので同じように貼り出されることも多かったが、なにせまともに授業を受けなかったのでマサルのほうが成績も良かったに違いない。

マサルも自分も何も考えていなかったのに、美術の教師が市が主催する何かのコンクールみたいなやつに勝手に二人の絵を出品したことがあった。 そんなことは何も聞かされていなかったのに、ある日の全校集会で賞状の授与式が始まった。 何が何だか分からないまま話を聞いているとマサルが金賞を受賞したとかで体育館の壇上に呼ばれ、賑々しく賞状なんか受け取っている。

「すげ~」 と思う半面、絵には少なからず自信があったので悔しい思いもしていたのだが、実は授与式はまだ続き、金賞より上の 『何とか教育長賞』 という訳の分からない立派な賞が自分に与えられた。 それはとても嬉しいことだったが、人前で褒められたり賞状を受け取るのが照れくさい不良は不貞腐れた風を装い、笑いを必死にこらえながら壇上に立ったりしたものだった。

そんな自分やマサルとは異なり、ノブアキには絵のセンスや造形美術のセンスは 1ミリのカケラもなく、作り上げたもので大きな笑いを振りまいていた。 ある日の美術の授業は厚紙で型をつくり、そこに石膏を流し込んで固め、置物というか飾り物を作る内容だった。

そこでノブアキが作ったものは、何だか得体の知れないものだったのでマサルと二人、「それは何ぞ」 と尋ねると、ノブアキは胸を張って 「天馬だ!」 と答えた。 どこからどう見ても小学生が描く恐竜のような生き物で、長い首に太くて短い四本足、短い尻尾で背中に小さな羽まで生えている。 それが天馬だとぬかすのだから、マサルと呼吸困難になるほど笑い転げた。

時は流れて全員が大人になり、帰省した際に集まっては、毎度のように 『天馬』 を肴にノブアキをいじめながら酒を酌み交わしたものである。

世界同時不況

日本が再びデフレになってしまうとか、アメリカでさえもデフレの警戒水準を超えたとか言われており、一貫して拡大を続けてきた世界経済が歴史上はじめて縮小に向かうのではないかと警告を発するアナリストやら調査機関やらがにわかに騒がしくなってきた。

アメリカ経済とのデカップリング(非連動)論とリカップリング(連動)論があるが、少し前まで中国をはじめとする新興勢力である BRICs が新しく経済を牽引するのでアメリカ経済がダメージを受けても世界への波及は少ないとされるデカップリング論が大勢を占めていた。

しかしそんなことはなく、結局は中国にせよアメリカ経済への依存度が大きいのでアメリカが不調になれば連動して経済が停滞するリカップリング論が正しかったということが証明された訳だから、今回の不況はサブプライムローン問題に端を発する金融危機が問題であり、証券化された金融商品が世界中に流通していたことが最大の引き金だとか言い訳せずに 「間違っていました」 と過去の総括、清算をしてからアナリストたちは今後のデフレじゃ何じゃと騒いでいただきたい。

そして、世界中を混乱させた金融機関と、その横暴を放置したアメリカ当局にも責任を取ってもらうのが筋であり、世界に支援や協力を求める前にブッシュ大統領以下、金融の責任者、関係会社のトップは頭を丸めてホワイトハウスの前で土下座すべきであるのに、「アメリカの混乱が続けば世界経済に大きなダメージを与える」 などという脅し文句ともとれる文言を並べ、「ゆえに協力せよ」 ユスリのような態度をとるとは何ごとか。

証券化という名のもとに、いつ回収不能になるか分からない劣悪な債権まで混ぜ込んでパッケージ化して販売するなどということは詐欺まがいの行為であり、リスクの分散などというテクニカルな話ではないだろう。

『きらら397』 と 『あきた小町』 と 『コシヒカリ』 のブレンド米に日本人があまり好まない 『タイ米』 をブレンドして 「ちょっと味が落ちるリスクがあります」 と、そして 「そのリスクをみんなでカバーするためにブレンド米として広く販売します」 というのなら少々は我慢できるが、そのブレンド米に 『タイ米』 ではなく少し前に世間を騒がせた 『事故米』 を入れて流通させていたのがアメリカの金融機関のやったことだ。

味が落ちるかもしれない程度ならリスク商品と言えるだろうが、食べて病気になるかもしれないものは回収対象であって、決して商品などと呼べるものではなく、それを販売していた金融機関は詐欺集団であり、見逃していたアメリカ政府や官僚はグルだとみなされても文句は言えまい。

まあ、儲け話に乗って腐った商品を買った世界中の金融機関もアホなのであって本当にプロなのかと首を傾げたくなるほど悲惨な有様であるが、まずはアメリカが謝罪して 「他国の皆さん、助けていただけませんでしょうか?」 というのが本筋で、それほど世界に与えた影響が大いのであり、日本のバブルのようにアホ丸出しで 「わーい!」 とはしゃいで勝手に 「ぱんっ!」 自爆したのと訳が違う。

なにはともあれ今となっては何もかもが手遅れであろうから、このまま世界経済が闇に包まれてしまうのは避けられないものと思われる。

想い出の居酒屋 其の漆

想い出の居酒屋 おしながき

そこは 20人も入れば満席となり、人を掻き分けなければトイレにも行けないという本当に狭くて小さい店だった。

当時、すでにバブル経済は崩壊していたものの人はまだ華やかなりし頃の余韻に浸っており、消費もひどくは落ち込んでおらず、毎週末のように訪れる店はいつも満員御礼状態で、ただでさえ狭くて息苦しい店内は絶え間なく焼かれる肉や魚の香りと煙、揚げ物の油とタバコの匂いと煙、我々を含めた酔っ払いが放出する酒臭い息で充満し、窒息しかねない状況だった。

それが証拠に数十分に一度は外に出て、新鮮な空気を吸いながら再び飲み食いするというのがその店では常識となっており、夏は休憩を兼ねて花火などを楽しむといった誠に風情のある遊びに興じていたものである。

それでも狭いながらもカウンターや小上がりで飲食できるのはまだマシなほうで、店の奥の奥にある通称 『座敷』 と呼ばれる場所ではもっと大変ことになった。

座敷とは名ばかりの物置を改造して作られたような空間に 10人近くも押し込められ、身動きすらとれない状態で手だけを動かして飲んだり食べたりしなければならず、誰かがトイレに行こうとしようものなら約半数の 5-6人は立ち上がって通路を確保しなければならないほどだ。

ある日、店に行くことを事前に電話で知らせておいたにも関わらず満員で入れなかったことがあり、店の外でブーブー文句を言っていたならば、ママが鍵を持って出てきたかと思うと店の入り口の横にあるドアを開けて 「入って入って」 と勧められ、何ごとかと不審に思いながらも中に入ると通された先は何と大将とママが暮らす部屋だった。

猫が飼われているその部屋に 5-6人が通され、所帯くささが溢れる部屋でコタツに入りながらテレビを観たり猫にちょっかいを出したりしながら、まるで自宅にでもいるような時間を過ごし、腹一杯になるまで食べて飲んだりしたが、料金だけはキッチリと正規の値段で請求された。

いつもいつも賑やかで、お客さんで一杯だったその店も、ごく稀に何かのタイミングで誰もおらず、我々の貸切り状態になることがあったのだが、そんな時はいつもと雰囲気が異なるので逆に落ち着かなかったりするもので、会話が途切れると店内の静けさが妙に際立って寂しくなるので適当に歌など歌って紛らわしていた。

酔ったからといってカラオケ以外で歌を歌うことなどないので何をどうしていいのか分からず、洋楽を適当な英語もどきで歌って笑いを誘ったりしていたがネタが続かなくなり、何だか意味不明ではあるが全員で日立グループのCMソングである 『この木なんの木』 を歌ってみたりしたが、「この~木なんの木、気になる木になる木ぃ~~~~~~・・・・・」 ・・・・・。 ・・・・・。 誰もメインを歌わなかった。

「全員でコーラスしてどうするっ!」「だれかメインを歌わんかいっ!」 という怒号が飛び交う中、グラスをひっくり返してテーブルを濡らす奴がいたり、トイレに行こうと立ち上がってよろける奴がいたりと酔っ払いたちの狂宴は深夜近くの閉店時間まで延々と続くのであった。

際限なく丸まってきてる件

やはり空気が美味しいからか、それとも水が合っているのが原因なのか・・・北海道に帰ってきてからというもの、食べ物が美味しいものだからついついバクバクと食べてしまい、太った自覚はあったのだが実際に計測してみると、以前のバランスボール生活での最終計測日と比較して 8kg も増加しているではないか!

慌ててチェックしてみたところ、BMI指数=23、肥満度=4%と、どちらも標準という結果で少し安心したが、このまま際限なくコロコロに丸まってしまえば心臓やらヒザやらに負担がかかったりして大変なことになってしまうのではないだろうかという一抹の不安が胸をよぎる。

そもそもどうして太りだしたのか、その原因を突き止めなければ体重のコントロールは非常に困難を極めるのではないかと思うに至り、あれこれ心当たりを一つずつ吟味することにしてみた。

まず最初に考えられるのは、入院していた 『お買い物日記』 担当者と行動を共にして 08/21 から 09/16 までの 26日間、毎朝の散歩もしなければ例の体操もせず、極度の運動不足になっていたことに加えて普段は多くを口にしない肉やら油物がたっぷり含まれたコンビニ弁当を主食としていたために、生活のリズムと栄養のバランスが崩壊してしまったことだ。

しかし、この一時的な要因は解消され、通常の生活に戻って二カ月が経過しようとしているので、今でも体重が増加傾向にあることの理由にはならない。

次に考えられるのが大阪で続けていたバランスボール生活を北海道への引越しを機に止めてしまったことだが、最終計測日のデータでは開始前から 1.7kg しか減っていないので、それほど大きな効果があったとも思えず、今ここで復活させたからといって体重が減少傾向に転じるなどという過度な期待は抱かないほうが賢明である。

そして次に考えられるのは冒頭にも書いたように、とにかく北海道の食べ物、食材が罪なくらい美味しいので、ついつい食べ過ぎてしまうという点だったが、引っ越してきてから 9カ月が経過しようとしている今となっては北海道食材にテンションが上がりまくることもなくなり、食べる量は大阪に住んでいた頃と大きな違いはないものと思われる。

最後に思い当たるのは以前の雑感でも触れているように 07/28 から禁煙していることだ。

禁煙すると 「食べ物が美味しく感じるので食べ過ぎてしまう」 とか、「喫煙の欲求をごまかすために何か食べ物を口に入れてしまう」 などの理由から 『禁煙太り』 すると言われるが、北海道に帰ってきたときから食べ物が美味しくて食べまくっていたので、それは自分に該当しない。

しかし、原因はそれだけではなく、ニコチンの抗肥満作用が禁煙によって解除されることと、身体がニコチンやタールを解毒する必要がなくなり、必然的に今までよりもエネルギーの消費が少なくなるので 60%くらいの人が太ってしまうものらしい。

つまりは禁煙をやめて再び喫煙すれば体重が減るものと推測され、これはちょっと魅力的ではないかと心が揺らがないでもないが、せっかく始めて今日まで 110日間も続けることができている禁煙なのだから体重の増加くらいで中止するのは愚かな行為であろうし、ましてや 『太りぎみ』 とか 『太りすぎ』 になっている訳でもないのだからここでの中止は愚の骨頂である。

そして、禁煙による体重の増加は一時的なものであり、時間の経過とともに自分の適性体重に落ち着いていくものらしいので、今が禁煙太りだとしても放っておけば元に戻るものらしい。

べつに太っていようが痩せていようが気にする性格ではないし、このまま際限なく丸まり続けて病気になったり心臓やヒザに負担がかかったりすることもないのだとすれば、禁煙に体が慣れて勝手に適正体重に戻るのを待つことにしようと思う。

時事ネタでも

たまには時事ネタでも。

小室プロデューサーがやらかしちゃった件

そこはかとない寂しさと、わびしさと、物悲しさを感じて溢れ出る涙を禁じえない。

彼が全盛期だった頃、80年代ユーロビートの焼き直しでしかないとか、単なる POP歌謡などと悪口を言っていたが、それが世に広く受け入れられると察知する感性とか嗅覚が優れており、メロディーを量産する才能にも恵まれていたのは確かだろうし、様々なシンガーやユニットを世に送り出したのだからプロデューサーとしても高い実力を持っていたのだろう。

事件の一報を聞いたときは周りの悪人に小室氏が踊らされていただけだろうと思っていたが、自ら積極的に加担していたと自供しているらしいので余計に虚しさを覚えてしまう。

さみ~し~さと♪ わび~し~さと♪ もの~がな~しさと~~♪ (music ©小室哲哉)

小学生(9歳)が父親の車を勝手に運転しちゃった件

とってもイケない子だけどある意味天才なのではないかと。

父親が運転するのを見てある程度のことを覚え、テレビゲームでその感覚を養い、実践してみたところ 3km も事故らずに走行したうえ、コンビニの駐車場にちゃんと停車できていたのだから中途半端なペーパードライバーよりマシな運転だったのではないだろうか。

前航空幕僚長が墜落しちゃった件

そりゃあどんな思想を持とうが個人の自由である。

ただし、それを発表できる立場にあるか否かくらいの判断はしていただきたかったと思うが、判断できないから発表しちゃって大問題になって事実上のクビになってしまったのであり、定年退職扱いになったとは言え事実上のクビに違いないのだから退職金返せってことになる。

「一言も反論できないなら北朝鮮と同じだ」 と言うのも論点がズレており、誰も考え方が間違っているとは言っておらず、「あんたの立場で言うことじゃないよ」 と諭しているだけなのであるから、素直に 「そうですね、考えは間違っているとは思いませんが、現職の、しかも航空幕僚長である間は発言を控えた方が良かったですね」 と言えば良いのである。

初雪が降っちゃった件

道内各所で初雪が観測され、いよいよ冬本番なんだな~と。

11月になると本格的に雪が降り、来年の春まで雪に埋もれる地方も多いが、この町は積雪が少なく割と暖かいので大阪から帰還して初めて越す冬でも割と過ごしやすいのではないかと期待している。

世界同時不況の不安から原油先物も下落基調にあり、灯油の価格も下がってきたので少しは暖かい冬を過ごせるのではないかと思うが、我が家はオール電化なので関係なかったりする。