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猛省

結論から先に書くと、昨日の夕方に発生したネット回線の不通の原因は我が家にあったことは間違いなく、IT業界の端っこに身をおく者として、あるまじき失態をさらしたばかりか NTTのオペレーターに対して嫌味たっぷりな態度をとってしまったことを深く反省し、どこのどなたかに不快感を与えてしまったことも猛省するとともに陳謝する次第である。

数週間前、同じくネット接続できなくなる状態になったことがあった。

同時に使用している IPフォンも不通になったことから、これは間違いなく NTTかプロバイダでトラブルが発生したものと思われ、もし長引くようであれば原因を究明しなければいけないと考えているうちに、小一時間ほどして復旧した。

その後、NTTのサイトを見ても、プロバイダのサイトを見ても障害の報告はなく、いったい原因はどこにあるのか不明なまま時が過ぎてしまったことが今回の件に関しても業者に不信感を持ってしまったことが根底にある。

昨日の夕方、『お買い物日記』 担当者が
「ネットが繋がらないみたい」
と言い、
「ブラウザを再起動してもダメ」
と救いを求めてきた。

自分のパソコンから試してみても繋がらない状態だったので、
「回線かプロバイダかもね」
と答え、
「一時間くらいしたら復旧するんじゃないかな?」
と伝えておいた。

前述したように、数週間前にも不通になることがあったので
「またか」
という程度にしか考えていなかったのである。

ところがその一時間後、パソコンを操作しても繋がらない。

それでも、長く不通になることはないだろうと考え放置を決め込んでいた。

晩御飯を食べ、テレビを見たり何だかんだと時間が過ぎた 21時、やっぱりネットは繋がらない。

前回の経験と同様に IPフォンも不通のままだ。

ためしにパソコンからルータの設定を確認すると、外部とのコネクションが 『切断』 状態のままになっている。

手動で接続を試みるも、何度トライしようが繋がらない。

そこでついに NTTへの接触を試みる。

その時の状況は 『管理人の独り言』 にある通り。

原因は NTTに違いないと信じ込んでしまっている自分は 113が 24時間対応ではないことに不満を持ち、116でも状況を打破できないことに腹を立て、ついついオペレーターのお姉さんに嫌味たっぷりな口をきいてしまった。

それでも就寝までに繋がるかもしれないとのん気にかまえていたが 22時になっても復旧しないので、この雑感の更新を諦め、パソコンの電源を切り、他で運用しているブログや管理人の独り言を携帯電話から更新した。

文字入力する親指に限界を感じ、そこそこで切り上げたのが 23:30。

そろそろ就寝しようかと立ち上がり、ルーターに目をやると光っている LEDの数も少なく、まだ繋がっていないことを物語っている。

次に何とはなしに光回線終端装置に目をやると、一切のライトに光が灯っていない。

・・・・・。

「NTTに問題があるんじゃなくて機器の故障か?」

・・・・・。

装置を手に取り、調べようとしたその時!!

電源コードがコンセントから抜けていて、ズルリと動く。

・・・・・・・・・・。

手にとってみると、間抜けにプランプラン揺れている。

・・・・・・・・・・。

愕然と、そして呆然と、さらには唖然としてしまい、宙を見つめたまま少しの間かたまっていた。

そして脳裏によぎる取説の文字。

============================================
故障かな?と思ったら
コンセントに正しく接続されていますか?
============================================

「そんな奴いないだろ!?」
と馬鹿にしていたものだが、その馬鹿がここにいた。

116のオペレーターを思い、天に向かって泣きながら謝ってみたが、その声が届くはずなどない。

あの時の
「申し訳ありませんが・・・」
という悲しそうな声。

その声を思い出しながら、当分は猛省の日々を送ろうと思う。

歯医者四軒目-後編-

過去に通った歯医者

先週の雑感に書いたように差し歯の一本がグラグラになっており、レントゲンを撮った結果、土台となっている自分の歯が割れてしまっていることが判明した。

土台がダメなのであれば何度歯を入れ直しても無駄というものであろうし、安定せずにグラグラした状態のままでは気になって前歯を使うこともできない。

もう 「かまわねぇ、ずっぽりと抜いてくんな」 的な江戸っ子ばりの覚悟をしたが、問題となっている歯を左右の歯に固定して支えるという技を駆使して治療する方針が示された。

こちらとしても痛い思いをして抜かれるより少しでも楽な方法があるのであれば大歓迎であるので、その方針に素直に従い、結果的に歯が抜かれることはなく治療が終わった。

前の歯医者では親知らずを三本も抜いていたが、とうとう左下に最後の一本が姿を現した。

そいつがとてもひねくれた奴で、もの凄く斜めに生えてきたものだから途中で奥歯と接触して進路を阻まれ、中途半端に顔を出したまま成長を阻害されている。

またその角度が微妙な具合で、とても高い確率で食べ物が挟まってしまい、食事のたびに爪楊枝のお世話にならなければならず、相当なストレスを感じていたのだが、親知らずなんていうものは生えてきたら抜かれることが多く、ましてや変な生え方をしているのだから当然の事ながら抜かれるものと思われた。

今度こそは 「かまわねぇ、ずっぽりと抜いてくんな」 と覚悟して相談したが、食べ物が挟まる場所を埋めることで対処し、やっぱり抜かれることはなかった。

その治療方針は自分としても精神的苦痛、外的苦痛を受けることがないので好感が持てたが、実は先生が血を見るのが嫌いだったのではないかとちょっと疑ったりしている。

真相がたとえどうであれ、歯を抜かれることもなく、そして以降に何の問題もないのであればわざわざ痛い思いをしてまで抜歯してもらう必要などないだろう。

お買い物日記』 担当者に歯医者さんがとても優しく、あえて大規模工事のような治療をせず、必要最低限の治療をしてくれることを伝え、それからは二人で通うようになった。

『お買い物日記』 担当者も先生のことが気に入り、その的確な治療方法、すぐに抜くことはしない治療方針を二人で褒め称え、紹介してくれたご近所さんに感謝したものだ。

それからは二人で半年に一度、何も問題が起きていなくても検査を受けに行くことにしていた。

自分では気づかない小さな虫歯ができていないか、歯石がついていないかなどを診てもらい、最後に歯をクリーニングしてもらう。

たまに極々小さな虫歯が発見されることもあったが、本当の初期であるため簡単な治療で終わるので何度も通う必要がなく、また、痛い思いをするほどの治療にもならない。

医者と患者の良好な関係を保ちつつ長年お世話になった歯医者さんだったが、遥か北の大地に引越しすることになっては二度と通うことができない。

大阪を旅立つ日、JRの駅に向かう途中で歯医者さんを訪ねて長年お世話になったお礼を言い、引越しする旨を告げてから千里丘を後にしたのであった。

歯医者四軒目-前編-

過去に通った歯医者

久々に歯の治療を始め、以前はボロボロになって歯が抜けようと折れようと歯医者さんに行かずに放置しておいたところ、口内が荒れ放題に荒れた廃屋のごとき状態になってしまったことを思い出している。

以前勤めていた会社の社長に脅され、なだめすかされて、やっと治療に行った歯医者さんが最悪で・・・というのが前回までの流れだった。

もう二度と歯医者さんで怖い思いをするのは嫌だったので、それからの自分は生まれ変わったように定期的に検査を受け、ちょっとでも悪くなっていれば早目に治療してもらうように心がけるようになったのである。

先週の雑感にも書いたが医者と患者には縁とか相性というものがあり、いくら腕が良くても人柄が好きになれなかったりしたら長くは続かない。

何回か通っておこなう治療にしても、何年間にもわたって定期的に訪れて検査をしてもらうにしても、相性がよくて信頼関係が構築されていなければ難しいだろう。

だれでも同じだと思うが、大阪に行って最初に歯医者さんに行く必要に迫られたとき、近所の人とかに評判を聞いて回ったものである。

当時は今ほどネットが普及していなかったことと、掲示板やブログなどで情報収集する手段を持ち合わせていなかったこともあり、頼れるのは土地に古くから住んでおられる人達によるフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションで得られる情報のみだ。

中でも向かいに住んでおられたお年寄り夫婦とそのご子息、さらにはその子供という親子三代にわたって通っているという歯医者さんに魅力を感じ、近くの商店街にあるその歯医者さんに通うことに決定した。

最後に治療を受けた歯医者さんがとんでもないところで、さらには引越し前の突貫工事が災いしたのか、あるいは極端に腕が悪かったのか、入れてもらった差し歯がポロリと抜け、次に別の前歯も抜け、それからは年に一度くらいの割合で右や左の歯がポロリポロリと抜けていた。

そのたびに歯医者さんに行って治してもらっていたのだが、その先生は一度たりとも以前通っていた歯医者さんを悪く言わなかった。

よく抜ける一本は型が合っておらず、中に空間ができているので噛む圧力によって微妙に動き、せっかくセメントで固定しても少しずつ弱くなって抜けてしまう。

同じく抜けやすいもう一本は、土台となる本物の歯を削りすぎて薄くなっていたために噛む力に耐え切れず、割れてしまっていて何度入れなおそうと固定させるのは難しい。

いわば前回の歯医者さんの技術が劣っていたと言えるだろうが、決してそのことは口にしない。

営業職でも同じことが言えるが、他社(他者)を悪く言って自社(自分)を良く見せようというのは最低の手法であるにも関わらず、その手を使ってしまう人が実に多い。

しかし、その先生はそういうことを口にせず、作り直したほうが良いとも言わず、抜けた差し歯を何度も持って行ったが、その度に淡々と治療してくれた。

その人柄に加え、とてもおだやかな口調で話してくれたり説明してくれるところが好きで、大阪に住んでいる間は最後までお世話になることになったのである。

~ つづく ~

闘いの終焉

2月13日、医師の口からガン細胞の転移がないことが告げられた。

半年間に及ぶ病魔との闘いに終りがきた瞬間だ。

お買い物日記』 担当者と二人、いままでで一番深いため息をついた。

あまり深くは触れていなかったが、その始まりは深く、そして重いものだった。

病気が発覚してから治療を終えるまで、『お買い物日記』 担当者はどれくらい泣いただろう。

長くは生きられないと思い込んでしまった絶望の涙。

その恐怖に負けそうな苦しみの涙。

人生が終わってしまうかもしれない悲しみの涙。

手術だけでガン細胞を取りきれず、治療が必要だと知って流した涙。

女性の象徴である髪が抜け落ちてしまって流した涙。

退院できた時、完治したと分かった時、入院中にお世話になった看護師さんに挨拶に行った時。

要所要所で流れた涙はペットボトル 2本分くらいになったかもしれない。

病気のことを知らされた去年の夏。

ガンの疑いがあるというより、ほぼガンであろうという医師のみたて。

それからやっと落ち着くことができた先週の土曜日までを一気に駆け抜けた気分だ。

今回のことでつくづく良かった感じたことが何点かある。

一点目は自分は一人暮らしの経験が長く、炊事、洗濯など家事がさほど苦にならなかったこと。

『お買い物日記』 担当者の病気仲間の話では、それぞれの旦那さんは何かと苦労している。

ちゃんと毎日炊事をしているか、証拠写真を撮って携帯電話のメールで報告することを義務付けられたりして必死に頑張っている人もいた。

二点目は自分がサラリーマンではなかったこと。

最初は知り合いもおらず、心細そうにしている 『お買い物日記』 担当者を毎日見舞うこともできたし、洗濯物だなんだと世話をしてやることもできた。

これが勤め人だとそうはいかず、病気をした本人が苦労するか、親戚縁者の世話になってものすごく気を使うことになってしまっただろう。

三点目はしっかりと生命保険に加入していたこと。

かなりの長期間かつ高額な医療費になるので国(社保庁)の高額療養費制度を受けられるが、それでも保険金を得られるのは精神的にも大きく安心できる。

保険に関しては 『お買い物日記』 担当者にすべてを一任しているので偉そうにはいえないが、やはり良い保険を選び、良い担当者に付いてもらったほうが良い。

こちらはあくまでもお客さんなので、気が合い、仕事のできるしっかりした担当者にめぐり会うまで安易に契約しないことだ。

病院で携帯電話が使えるエリアに座っていると、日に何度も保険会社に電話し、もの凄い剣幕でまくし立てている人がいた。

きっとうまく連絡がつかなかったり、保険の手続きがスムーズに進まなかったり、しまいには保険金が出るか出ないかで大もめにもめていたのだろう。

その点、我が家では数回の E-mail 送受信、一度の電話による直接会話だけで手続きはスムーズに進行した。

誰しも入院してまでストレスを感じたり神経をすり減らしたり、もめ事を起こしたくなく、治療や療養に専念したいものである。

そういう意味からも保険には加入すべきだと思うし、しっかりした担当者を見つけるべきだと思う。

そして最後に、やはり病院(医師)に恵まれたこと。

いくら最新の設備が整っていようと、腕が良いと評判であっても、長期入院と治療をする場合は医師と患者、病院と患者の相性が大切だ。

『お買い物日記』 担当者の場合、もちろん治療には副作用もともなうので辛かったと思うが、病院に行くこと自体、入院すること自体は苦にしておらず、むしろ仲間もできて楽しく過ごすことができたのではないかと思う。

看護師さんも良い人ばかりで嫌な人などおらず、担当医は沈着冷静、淡々としたなかにも人情味のある人だった。

今は昔と違い、複数の医者に診断してもらうセカンド・オピニオンも定着してきているので、複数の病院で診てもらい、自分と相性の良い病院、医師を見つけるのも重要なのではないだろうか。

とにかく我が家における病気との闘いは終わった。

一度発症してしまった以上、また、遺伝学的にも新たなガンを発症するリスクは残念ながら普通の人より高い。

それでも早期発見、早期治療をすれば現代におけるガンは不治の病ではないことを身を持って知った。

もし万が一にでも発症することがあったとしても、その都度やっつけてやれば良い。

これからも定期的な検査を怠らず、真面目に病院通いさせようと思う。

任命責任

もう KO 寸前でフラフラと足がもつれながら、やっとの思いでかろうじて立っている麻生政権。

本来であればセコンドについている身内がしっかりとアドバイスしたり支えたりしなければならないのに、それが酔っ払いときたもんだ。

中川昭一財務・金融担当相がヘロヘロ状態で記者会見して全世界に醜態をさらした件で引責辞任に追い込まれ、麻生総理の任命責任が問われている。

すでに顔を見るのも腹立たしい麻生総理をかばう気など毛頭ない。

しかし、本音を言えば 「酒癖悪いの知ってたけど、あそこまでアホだとは思わんかった」 ってとこだろう。

実際に酒癖の悪い奴はいる。

酒に酔って海に落ち、危なく命を落としそうになった奴。

普段は紳士を気取っているくせに酒が入るとドSの本性むき出しに女子社員をいじめる奴。

下ネタ連呼で周りから完全に引かれる奴。

記憶をなくす奴。

自分が一定以上の酒を飲むと記憶がなくなることを知っていて、それを言い訳にする馬鹿もいた。

酒の勢いで散々悪態をついて、途中までそれを自覚しているくせに知らぬ存ぜぬ記憶がないと逃げまくる。

しかしその男、与えられた以上の仕事はできる。

したがって、仕事の重要な位置を占めるポジションを与えてやりたい。

ちょっとドキドキしながらも
「責任ある仕事を自覚せよ」
と言い渡して任に着かせる。

その仕事ぶりを見て
「なかなか張り切ってやっておるわい」
と目を細めているとクライアントとの酒の席で醜態さらして大問題。

身内に酒癖が悪いのを見せることはあっても、自分もそれを自覚しているのだから大事な場面では酒を飲まないとか、一定量でやめておくとか大人な対応ができて当然であって、そういう行動をとるものだとこちらだって期待している。

いや、期待というよりも、それはあまりにも当然のことだ。

人間としてできない方がおかしい。

任命責任を問われても、一般常識がない人物だとは思わなかったのだから仕方がないだろう。

いや、国の命運を左右するほど重要なポストには 1%でもヤバい可能性がある人物を就けてはいけないと思われるので、やっぱり任命した責任は負うべきか。

いろいろな波乱と笑いを振りまいてくれた本件ではあるが、G7が開催されていたローマがあるイタリアのメディアの記事は洒落ていた。

「ここイタリアには、眠気覚ましにいいエスプレッソ・コーヒーがある」

“で” と “が” で大違い

日本語は難しいもので、ほんの少しの言い回しや言葉の使い方、選び方で相手に与える影響が大きく異なったり、良い印象を与えたり逆に悪かったり、時には伝わる意味まで異なってしまう場合があるので注意が必要だ。

アメリカ大統領に就任したオバマ氏の演説が好評を博し、関連本が発売されたり英語の教材として取り上げられたりしているが、これは日本の総理大臣にこそ勉強して頂きたいものであり、見習って頂きたいものであり、言葉の持つ力と言うのは極めて重大であって、逆に言えばマイナス効果というのも時によって計り知れない場合があるので注意が必要だと認識していただきたい。

我々庶民においても注意を必要とする場合がある。

仮に取引先のお偉いさんと会食の場なんぞ設けられたと仮定する。

相手にとっては行きつけの店であってもこっちにとっては初めての店。

何が美味しいのか何がお薦めなのかも分からない。

相手より高額なものを注文する訳にもいかず、かと言ってあまり低額なのも何である。

ここで陥りやすい間違いは、相手が注文したものに合わせて
「私もそれでいいです」
などと言ってしまうこと。

「それでいい」 とは何だ 「それで」 とは!?

考えるのが面倒だから 「それでいい」 のか、どれもこれもパッとしない料理だから適当に 「それでいい」 と答えているのか。

相手と同じものを食べたい、美味しそうだから自分もそれを食べたい。

そう思っているのなら、そんな時は
「私もそれ “が” いいです」
が正解だろう。

もっと言えば
「私も同じものが食べたいです」
であり、「それ “で”」 と 「それ “が”」 では大違いなのである。

テレビ、映画、漫画、何でも良いのだが、恋愛ドラマ系のセリフも同様だ。

「君はそのままでいい」
などと言った日には、もう諦めてどうでもよくなっているのかと受け止められかねなく、一歩間違えると百年の恋も一気に冷め、一瞬にして奈落の底に叩き落される危険性をはらんでいる。

相手に変わらずにいてほしいことを表現、伝えたいのであれば
「君はそのまま “が” いい」
が正解であろう。

ことほど左様に “で” と “が” では大違いな場合があるが、大多数の人にとって
「君はそのままがいい」
などというくっさいセリフを吐くシーンなど、そうそう訪れるものではないので気に留める必要もないのかもしれない。

輿論と世論

輿論 (よろん) と世論 (せろん) は似て非なるものである。 単なる世論調査でしかないくせに、ことのほか重要なデータであるかのように取り上げるマスコミは問題だ。 また、世論(せろん)は 【よろん】 とも読めるが故に混同されやすいのも事実ではある。

人々が考えて回答したものを集約した公的意見が 『輿論(よろん)』 であり、世の中のムードや好き嫌いのようなボンヤリしたものが『世論(せろん)』 であるにも関わらず、世論調査の結果が国民の声や意志であるかのように判断するのは危険だろう。

あくまでも世の中の雰囲気でしかない世論が国政に影響を与えるような重要な問題を尋ねる調査で簡単に使われているのもどうかと思う。 一般人は政治のことを深く考え、理解し、確固たる信念を持ち、自分の意見として回答している訳ではないだろう。

自民党がアホだとか民主党は幼稚だとか、麻生太郎がバカだとか小沢一郎の顔が怖いとか雰囲気や好き嫌いだけで回答しているのが大多数だと思われるし、そもそも世論調査では実施する側に有利な回答が導き出されやすく、誘導された結果が出て利用されやすい。

以前は対面調査で調査員と回答者が実際に会い、30分くらいかけて実施していたので、真面目に答えているのかも目を見れば判断できたし、回答する側も考える時間があったが、今は電話調査が主流になり、面倒だから早く切りたいという意識も働き、深く考えずに答えることが多いものと思われる。 かなり以前のことになるが TBS系の地方テレビ局から世論調査の電話を受けた自分もそうだった。

それはまだ橋本龍太郎総理大臣のときだったが、消費税率を 3%から 5%に引き上げたことによってバブル景気崩壊後、緩やかに回復軌道に乗りつつあった日本経済の足を引っ張る結果になったこともあって相当な批判を浴びていた時期であったことと、当時は政治に対してそれほどの興味を持っていなかったこともあって、世の中の流れに沿って橋龍批判をした記憶がある。

それも最初はちょっと真剣に答えていたのだが、質問項目が多くて面倒になってしまい、深く考えもせずに回答して早く電話を切ろうとしたのも事実であり、そうだったのは自分だけではないと十分に推測されることから、やっぱりそれは世論でしかなく、決して輿論などという高尚なものではないだろう。

これから益々ネットが普及し、そこで世論調査が行われる機会も増えるものと思われるが、そうなれば益々ボンヤリとした雰囲気だけの結果になるのではないだろうか。 無機質な文字データが並び、「はい」 「いいえ」 のラジオボタンが並んだ画面の前で人が真剣に考え、血の通った意見を導き出せるとは思えないし、そもそも 「はい」 「いいえ」 は決して意見ではないし、回答とすら呼べないようにも思う。

小泉首相が好きとか嫌いとかに関わらず郵政民営化は必要だと思っていたので政策を支持していた。 消費税なくしては今の日本は語れず、国は財政破綻を来たしていただろうから竹下首相があそこまで悪く言われる必要があっただろうか。 過去において、世論と自分の考えが同じ時期もあれば異なる時期もあった。

しかし、麻生首相に関しては褒めるべきところ、良いところが顕微鏡で探しても見つからないので、支持率を含めた世論調査の結果は、むしろ輿論に近いのかもしれないと思ったりしている。

先祖返り

企画から生産、販売までを一体化して手がける業態を SPA と呼ぶ。 SPAは Speciality store retailer of Private label Apparel の略で、Apparel(アパレル)というからには衣料品関連のことであり、80年代に米国のカジュアル衣料ショップ 『GAP(ギャップ)』 が提唱して消費者の支持を集め、日本では 90年代の半ばから 『ユニクロ』 や 『無印良品』 がその手法を取り入れている。

ただし、現在ではアパレル業界に限らず、素材調達、企画、開発、製造、物流、販売、在庫管理、店舗企画などすべての工程を 1つの流れとするビジネスモデルのことと定義されおり、つまりは自分で作ったものを自分で売っていれば何でも SPA というビジネスモデルでくくられる。

最近では大手スーパーに限らず、コンビニ各社まで PB(プライベート・ブランド)を取り揃えるようになったが、あれも SPAの変形、亜種と言えるかも知れない。 製造工場こそ委託しているかも知れないが、自社で企画したものを自社の物流網に乗せて店頭に並べ、自ら在庫管理して販売するのだからビジネスモデル的には SPAと同じである。

それはさておき、この SPAというビジネスモデル、何がメリットなのかと言えば販売する際に顧客の要望などを的確にキャッチできたり売れ行きを早期に判断できるため、情報ネットワークを通じて製造段階にフィードバックすることができ、製造サイドではその情報を基に生産調整をして在庫を減らしたり、人気商品の増産をすることが可能になる。

さらには顧客の意見を反映した商品を開発し、すぐに生産を開始したりもできるので世の中のニーズを的確に捉えることもできるという、誠に企業にとって都合の良い仕組みでるのと同時に、在庫軽減、大量生産を両立させることによるコスト削減効果で単価を低く抑えることができるので安く販売することが可能となり、結果的に顧客の利益にもなる。

ここまで優れたビジネスモデルであれば無敵のようにも思えるが、果たしてそうなのだろうか? 自分で作ったものを自分で売る。 自分で採った野菜を自分で売る。 自分で獲った魚や動物の肉を自分で売る。 これらはすべて経験済みのことであり、その昔はどんな業種の人もそうやって商売をしていた。

それが効率を求めた結果、作る人(生産)、それを運ぶ人(流通)、それの在庫を調整する人(卸売り)、それを売る人(販売)に別れ、それぞれが専門特化したのであり、それを否定してすべてを自社でまかなうということは商売、ビジネスモデルの先祖返りに他ならないのではないだろうか。 昔の何が悪くて業務が細分化されたのか、そして今、それの何が悪くて元に戻ろうとしているのか。

このまま進めばそれぞれの業種が SPA化し、自分の作ったものを自分の店舗で売るようにってスーパーや百貨店などに売ってもらう必要がなくなり、昔ながらの商店街みたいのが復活したりするのだろうか。 そこには人情味あふれる店主と顧客の会話があり、顧客はパック詰めされたものより自分の必要なものを必要な分だけ買う、量り売りも復活するかもしれない。

それが続くと、また一箇所で全てのものが買えたら便利だということになってスーパーや百貨店が出現し・・・・・。 そうやって時代は繰り返されるのかもしれない。

マサルノコト scene 22

世の中は受験シーズン真っ盛りで合格祈願グッズやら食べ物で店は溢れかえっているが、当時のマサルや自分にも当然のことながら受験はやってきた訳であり、それはマサルとの付き合いが一番濃密で楽しかった中学校生活にも、そろそろ終わりに近づいてきたことを意味していた。

中学校二年のときの担任とマサルのおかげですっかり更生して学力も向上し、テスト結果も上位に名を連ねるようになり、地元では成績優秀な生徒が集まる進学校への入学も不可能ではないことを教師から告げられていたが、自分は高校へ進学する気などさらさらなかった。

ずっと絵を描くのが好きで絵の勉強をし、絵で生計を立てるのが目標であったのだが、絵を専門に教えてくれる高校など皆無であり、美術系の大学に進むためにも高校には行かなければならないなどという親の説得にはリアリティーを感じることができず、単に世間体を気にして 「高校だけは行ってくれ」 と言われているような気がしたので反抗心すら抱いていた。

それでも担任の教師やら親やら、挙げ句の果てには叔母までもが進学せよと迫るので、仕方なく地元の工業高校の建築科を、単に電気課とか機械科よりも設計図を描く分だけ少しは絵に近いかもしれないという理由だけで受験することにした。

自分としてはそれだけで 「どうだ!」 的な思いだったにも関わらず、一応は滑り止めも兼ねて少し離れた町にある、ちょっとランクの低い私立高校も受験しておくべきだなどと周りが勝手に騒ぎ出し、一校を受験するだけで十分だと思っていた自分は面倒だからと強硬に反対したのだが、あーもこーもなく周りの大人たちに押し切られるかたちで受験する羽目になってしまった。

次の日、マサルにブツブツと文句を言うと 「俺もそこ受けるぞ」 と教えられ、まあ、それならそれで修学旅行気分になって楽しく受験するのも悪くないかもしれないと思い直していたのだが、入試日の前日になって高熱を発し、マサルや他のみんなと一緒に前日に現地入りすることができなかった。

母親はオロオロし、心配するやら 「そんなに受験が嫌なのか!」 と怒り出すやら、熱で頭がボ~っとするやら体調が悪いのでイライラするやらで、家に居ても落ち着かなかったり大喧嘩に発展することは必至であるため、熱があるのにも関わらず父親に頼んで入試会場のある町まで送ってもらい、みんなと同様に前日から現地入りして一泊することにした。

不思議なもので宿泊先に到着すると体調が悪いのも忘れて腹一杯に飯を喰らい、受験前日だというのにマクラ投げをしたり布団の上で暴れたりと、修学旅行と変わらぬ夜を過ごし、おまけに夜更かしまでしたものだから発熱との相乗効果でフラフラになりながら試験会場に向かった記憶がある。

しかし、記憶しているのはそこまでであり、実際に受験する高校に着いた記憶も校内に入った記憶も試験を受けた記憶も、はたまたどんな問題がでたのかなどという記憶もすっかり抜け落ちており、それが終わった記憶も学校を出た記憶も何もなく、次に記憶が繋がるのは国鉄(現JR)の駅にみんなで集まり、帰るシーンになってからである。

とにかく発熱で疲れ、前日の大騒ぎで疲れ切っており、フラフラの状態だったので記憶力も低下していたのだと思われるが、もしかしたら試験会場では入試問題を解かずに寝ていたのかもしれないと不安になるほど見事に記憶が飛んでしまっていて、だからといって何もする気にならないほどの疲労感でマサルと何か会話したのかすら覚えていなかった。

電車に乗り込むと車内は溢れんばかりの人で座れる席などまったくなく、立ったまま 1時間以上の移動をしなければいけない状態だったが、とにかく疲れていた自分はマサルを誘ってグリーン車に行き、「車掌さんが来たら席を立つか追加料金を払えばいい」 と相談して空いている席に並んで座り、シートを少し倒したとたんに再び記憶を失った。

それはマサルも同様で二人そろって一瞬にして眠りに落ち、そのまま爆睡してしまったらしく、次に記憶がよみがえったのは電車が自分の住む町に到着したところなのだが、果たして車掌さんは来なかったのか、実際は来たのに気持ち良さそうに眠っている二人の中学生を起こさなかったのか、入試の帰りだと分かっていて、あえて無視してくれたのか。

結局、一応は志望した工業高校に合格したので滑り止めだった私立高校のことなどどうでも良いのだが、自分はまともに試験を受けたのか、果たして合格していたのか、当時は何の興味もなかったので合否を調べもしなかった自分も悪いが、その点についてはいまだに謎に包まれたままなのであった。

泡沫の夢

お買い物日記』 担当者は今でも定期的に入院しているが、それは抗がん剤治療を受けるための入院であって決して体の具合が悪くて入退院を繰り返している状況ではなく、副作用には苦しめられるものの、退院する頃には普段と変わらぬ元気な状態になっている。

それでも前日までは食欲もなく、あまりたくさんの量を食べていないので、退院当日の昼食は胃の慣らし運転の意味も含めてうどんを食べるのが定番化しており、そのうどんも天ぷらや油揚げ、肉などがトッピングされていない 『すうどん』、いわゆる 『かけうどん』 が望ましいことから、本格的なうどん屋さんに入る必要もないので駅地下にある 『なか卯』 を利用している。

吉野家に松屋、そしてなか卯といえば少し前まで男のオアシスであり、小遣いを減らされたサラリーマン、あまり金を持たない学生の心のよりどころ、スタミナの供給源であって店内に女性の姿を見ることなど皆無と言っても過言ではなかったのだが、退院のたびに立ち寄るなか卯では若いカップル、女性だけのグループ、中には若い女性が一人で牛丼をかき込んだりする姿が見受けられ、そこに大きな時代の変化を感じてしまう。

1980年代の後半、日本全土がバブル経済に酔いしれ、その余波は金など持っているはずのない学生や若者の懐までを潤し、高級ブランドの洋服で身を固め、高級ブランドのバッグを持ち、高級車を乗り回して高級レストランで食事をするのが当たり前にすらなり、安さが売り物の外食チェーン店など女性から見向きもされていなかった。

女王様のように着飾った女性たちはアッシー君(死語)に高級レストランまで送らせ、メッシー君(死語)と食事を共にし、タクシーで夜の街に繰り出して狂喜乱舞し、鼻の下を伸ばした不動産屋のオッサンに高級アクセサリーや金を貰い、再びアッシー君に迎えに来させて分不相応な高家賃マンションに帰るという生活を当時は続けていたはずである。

最近の若者は堅実で贅沢をせず、それ相応の楽しみ方を知っているので無駄な出費もせず、自分専用の自家用車など望みもせず、むしろ必要性すら感じず、高級な場所で食事をする必要性も必然性も感じないから、味さえ良ければ低価格な外食チェーンであろうと人目を気にすることなく入店するのだろう。

そもそも人の目とは、その時代や経済状況によって容易に変質し、移ろいやすいものであるから、バブル期における見栄やプライド最優先の価値観とは明らかに異なっており、そういう店で食事をしている人を見て 「フフン」 と鼻で笑う人も今となってはいないのであろう。

そう、20年前のあの時、日本は狂っていたのであり、その後に大きな代償を払い、10年間以上も苦しむなどとは誰も気づかず、バブル(泡)が壊れやすいことも忘れて泡沫(うたかた)の夢に酔いしれていただけで、今が正常な世の中なのだろう。