大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

占有率

北海道に帰ってきて少しの間はスーパーに買い物に行くだけで地元産の食材に目を奪われ、テンションも上がりまくってついつい余計なものまで買いそうになったり実際に買ってしまったりしていたが、最近は落ち着いて 『お買い物日記』 担当者の後ろを静かに歩けるようになった。

落ち着いてスーパーの棚を眺めてみると大阪のそれとはずいぶん差があることに気がつく。

まずはインスタントラーメンの棚だが大阪では日清食品が圧倒的な占有率を誇り、『一平ちゃん』 シリーズの明星食品、『赤いきつね』 や 『緑のたぬき』 を有するマルちゃんでお馴染みの東洋水産などは端の方でこっそり売られていた感があるが、こちらではカップ麺、袋麺とも東洋水産が 70%近い圧倒的なシェアを確保して棚に並べられている。

次に加工肉だが、これは何と言っても北海道ということで地元球団もある日本ハムが 80%くらいを占めているものと思われ、伊藤ハムとか丸大ハムの製品は人気があって需要のある一部のものしか取り扱われていない。

精肉に関しては大阪の売り場より圧倒的に牛肉のコーナーが狭く、豚肉、鶏肉に次ぐ三番目の広さしかないのは食文化の違いで、今は牛肉も多く消費されるようになったと思うが以前まではスキ焼も肉じゃがも豚肉、カレーも豚肉だったので牛肉の需要は多くなかった名残であろうし、北海道にはジンギスカンを代表とする羊肉の需要もあるので牛肉の棚はますます狭くなってしまうのである。

そして豚肉にしても鶏肉にしても、この町には養豚場やブロイラーの工場があるので国産どろか地元産の肉が多く売られており、産地偽装などの心配せずに口にすることができる。

魚は圧倒的に地元、そうではなくても北海道で水揚げされたもので溢れており、北海道では獲れないものは他府県産のものが並んでいたり、よほど季節はずれの魚介類は海外からの輸入品に頼っていたりするが、高級店に行かなくても産地偽装などしなくても北海道産の新鮮なものが安く売られている。

野菜も事情は同じで、一番多く売られているのは地元で採れた新鮮な物、次に北海道内の違う町で採れた物、そして北海道で採れない国内物の野菜があって、それでも足りないのは輸入物となっている。

大阪で暮らしていた頃はスーパーで開催される 『北海道フェア』 で少し高くても美味しい野菜や魚を買っていたが、今は毎日が北海道フェアであり、数分歩けば山のような食材が売っているので、テンションが上がらないほうがおかしいくらいであり、帰ってきた当初は冷静さを欠いていたのも我ながら理解できる。

これからも綺麗な空気と美味しい水、新鮮な食材に囲まれてコロコロと太っていくのだろう。

運命

昨夜の独り言にも書いたように世界経済は混迷の度を深め、一気にシュリンクしてしまいそうな気配バリバリな訳であるが、そこで大きな損害をこうむってしまうか否かは商才だったり嗅覚によるところも大きなウエートを占めるのであろうことは十二分に理解しつつも、やはり運、不運も多少は関わっているのではないかと思えてしまう。

韓国経済が相当にマズそうなのは 2007年から分かっていたことであるし、中国バブルがいつ弾けてもおかしくないことも同じ時期に懸念されていたことであるから、調子に乗って投資していたにも関わらず引き際を見誤った人は自業自得で 「ざまあみろ」 状態であっても、投資会社に資産を預けて運用を任せていた人にとってはババをつかまされたのも同然であって納得できない部分が大きいだろう。

証券会社や信託銀行に文句の一つも言いたくなるだろうが、資産の運用は自己責任が原則である以上、話は聞いてくれても絶対に金など返してくれるはずがないのであって、日本のバブルが弾けた当時にあったような損失補填などという夢のようなシステムを個人相手に起動してくれる奇特な会社や銀行など皆無であろうから、数日間は涙にむせぶしかないと断言できる。

自己に責任がないにも関わらず不況の波をまともにくらって全身びしょ濡れ状態になりつつあるのが就職活動中の学生たちであり、その光景を目の当たりにして日本経済のバブルが弾けた 90年代のことを鮮明に思い出してしまった。

バブル華やかりし頃に各企業は莫大な金額を投じて保養施設という名目の娯楽施設を建造したり、高級ホテルと見間違うほどの独身寮を完備したり、研修という名の海外観光旅行まで用意して人材確保に躍起になっており、超売り手市場だった学生は、よりどりみどりの中から就職先を 「選んでやっている」 意識が強く、さほどの苦労をせずとも簡単に入社することができた。

しかしバブルがパチンと弾けると世の中は一転し、就職氷河期と呼ばれる学生にとっては暗黒の時代に突入してしまった。

それと同様の歴史が今まさに繰り返されようとしており、サブプライム問題に端を発する世界同時不況の影がチラつく現在は一気に就職氷河期時代に突入してしまうのではないかという気配が色濃く漂ってきている。

たった一年、生まれるのが遅いのか早いのか・・・、いや、3月生まれか 4月生まれかという数日の違いだけで卒業年度が異なり、経済環境が大きく変化してしまったことで就職活動に多大な影響をこうむってしまうことは、不運以外の何ものでもないような気がする。

生年月日による占いなど信じていないが、これだけ多くの人数が一気に不幸になるのを目の当たりにすると、多少なりとも関係があるのではないかと微妙に心が揺れ動いてしまう自分がここにいたりする。

ネットの明日

どこかの大学の何とかいう先生が言っていた。

ネットに未来はないと。

これはインターネットという産業、またはその技術、その可能性を否定したものではない。

論点は、すでに文章化され情報化されてしまっているものはすべて過去のものであり、そこに未来など存在しないということで、つまりはネット上でいくら検索しまくっても、どれだけ時間を費やしても未来を知ることなどできないということである。

確かにそれはその通りであり、ネット上には何らかの予定なども掲載されているが、それらはすでに決定していることであって、テキスト化されてネット上にアップロードされた段階で過去に決定したことを公開しているのに過ぎない。

そして、そこからは、その予定が天災、人災によって中止されることなく無事に始まり、無事に終わるのかまで知ることはできず、仮にその予定が無事に始まり滞りなく終了したとして、それがいったい何になるのか、参加した人に何をもたらすのかなど知るよしもない。

一寸先は闇であり、ネットに限らず未来を知ることなどできないのは世の常であって、そんなものは至極あたりまえのことであるが、ネットには未来がありそうで、バーチャルな空間を漂っていれば未来を見通せるのではないかという錯覚に陥りやすいのが危険なのである。

今後、どれだけコンピュータの性能が向上して処理速度が速くなろうと、世の中の Web ページが 1億ページ、1兆ページ、1京ページ、いや、漢字文化圏における最大単位である無量大数というページが作成されたとしても未来を知ることはできないだろう。

従って、未来のことが知りたくてネット空間をさまようのは時間の無駄でしかない。

シェーバー

先週の金曜日のことになるが、シェーバーを新調した。

木曜日の夜にヒゲを剃っていると肌にジャリジャリした感覚と多少の痛みがあるような気がしていたが、無視してジョリジョリしていたところ左頬に激痛が走ったので慌てて鏡を覗き込むと、浅くはあるが縦一直線に傷ができて少しだけ血がにじんでいる。

手にしているシェーバーを良く見てみるとネットの一部が欠落して小さな穴が開いている上に内部の刃の根元もグラグラしている。

動作が怪しいと少し前から思っており部品交換する必要を感じてはいたりしたのだが、以前の雑感に書いたようにヒゲは濃くないどころか情けない状態であるため、シェーバーなんぞどうだって良いとの思いから (そのうちに) などと余裕の構えでいたのが失敗だったのかもしれない。

危険をかえりみず顔面に傷を負ってまで我慢して使い続けることもなかろうと思い、部品を購入しようと家電量販店に行ったのだが、それがビックリするほど高額であり、ネットと替刃を合計すると軽く 4000円を超えてしまうことが判明した。

そんなに高いのであれば新しくシェーバーを買っても一緒なのではないかと売り場を物色すると、下は 2000円くらいから中には数万円もするような高価なものまでピンキリの品揃えなのが心を迷わせ、ろくにヒゲも生えないくせに自動洗浄・充電機能付きの商品を手に取ったりしてみた。

しかし、どう考えても自分には不釣合いで宝の持ち腐れ状態になってしまうことは自明の理であり、何だったら最低ランクである 2000円程度のもので十分なのではないかと予想される。

高価なシェーバーを陳列棚に戻そうと手を伸ばしているときに店員さんと目が合ってしまい、ひょっとしたら面倒なことになるのではないかという野生の勘がこんな時だけ見事に的中してしまったようで、店員さんはにこやかな表情を保ちつつこちらに向かってくる。

慌ててシェーバーを元の位置に戻してツツツーっと低額商品が並んでいる棚にカニ歩きで移動し、2980円とかの商品を手にとって 「う~む」 と難しい顔なんか作ってみたりしながら横目で店員さんを確認すると棚に戻した超高額シェーバーを手に近づいて来た。

「こちらの商品は切れ味も良く、深剃りもできますのでとても評判が良いんですよ」 との説明に対して 「いえ、ヒゲが薄いから深剃りなんかできなくていいんです」 と応えたが、“敵” はひるむことなく 「使い終わったらこちらにセットするだけでアルコール洗浄しますからとても清潔で…」 と続けてくるので 「そんな機能は必要ないんで」 とぶった切ってやる。

残念そうに商品を棚に戻す店員さんを尻目に棚を見ていると、少しテンションは下がったものの高い方へ高い方へと誘導しようと試みる積極的な攻勢をかけてきたので、「本当にヒゲが生えないんで剃れるだけで十分なんですよ」 と伝えると 「でも少しおヒゲが伸びてきてますよ」 と言うので 「これは二日前に剃ったきりなんです」 と応えたら 「えっ」 と言ったまま絶句してしまった。

結局、最低ランクではないものの部品交換するための金額に少し色をつけた程度の価格で新しいシェーバーを購入し、すっかり意気消沈している店員さんに別れを告げて帰宅したのであった。

禁煙の道

世の中には禁煙を補助するための薬やらグッズやらが溢れているが、なぜそれが必要であり、それを求める人が多くいるのかが分かった。

恐ろしいことに禁煙から約 70日が経過した今も喫煙の要求に襲われることがある。

08/09 の雑感にも書いたが、禁断症状は暴れだしたりもがき苦しんだりするほど過激なものではないのだが、軽い禁断症状がとにかく断続的に何回も、そしていつまでも襲ってくるもので、なかなか終わりが見えないのが困りものであり、小さな気の緩みからついついタバコに手を伸ばしたくなってしまう。

ひどい禁断症状ではないことと、割と苦しまずに何週間も吸わないでいられるので、その気になればいつでも止めることができるのではないかという変な安心感と妙な自信から、いま一本くらい吸ってもまた禁煙を続ければ問題ないのではないかという悪魔の声が左耳の奥から聞こえたりすることがある。

過去に禁煙を試みて失敗した人の話を聞くと一本吸ったが最後で元のもくあみになってしまい、タバコを吸う本数は以前と変わらなくなってしまうものらしく、ここが我慢のしどころであって、ここで我慢できるかどうかが禁煙の成否を分けるものらしい。

確かにそんなことを考えたり迷ったり、左耳から悪魔の囁きが聞こえたりすること自体、まだ中毒から脱しきれていない証拠であろうし、ここでフラフラとタバコに火をつけてしまおうものなら全てが台無しになってしまうので、右耳の三半規管付近から聞こえる 「いま吸っちゃダメだよ」 という天使の声に全面的に従うことにしている。

数十分に一度、数時間に一度、一日に一度と喫煙要求の間隔は広がり、今は数日に一度くらいの割合になっているが、この雑感を書いているときは確実にタバコが吸いたくなるのには閉口している。

以前まで、まるで売れない小説家のように雑感を書きながらバカスカとタバコを吸っており、それのクセが残っているものと思われるのだが、今でも数分に一度の割合でタバコが吸いたくなってしまう。

禁煙を完全なる成功に導くためには雑感を書くのを中止したほうが確実性が高まるのであるが、ここまで続けてきて半ば習慣と化していることを中断するのは余り気持ちが良くないし、この作業中にタバコが吸いたくなるのもセットで習慣化しているのが根本の原因であるものと思われ、禁煙状態が続けば潜在意識の中からも消える時が訪れて雑感を書くことと喫煙の要求が結びつかなくなる日が来るのではないかと期待している。

お買い物日記』 担当者の担当医に禁煙していることを告げ、それが一カ月程度であることを伝えると鼻で笑われてしまったので、そんなものは禁煙のうちには入らないのだろう。

喫煙によって汚れた肺は二度と元通りにはならず、ある程度まで綺麗になるのに 5年くらいはかかると言われているので一カ月や二カ月など、やっと緒に就いたばかりのところであってはじめの一歩に過ぎないのか。

これからも一歩、また一歩と進み、『お買い物日記』 担当者と一緒に肺を綺麗しようと思う。

禁煙の訳

08/09 の雑感に書いたように禁煙を始めたわけだが、今日でそれが 2カ月に達した。

禁煙を試みている 『お買い物日記』 担当者の目の前でブカブカと煙を吐くのは心苦しかったので 「それならば一緒に止めてしまえ」 という付き合い禁煙として開始されたものであり、それはゆる~い動機とも言えるので一般的にはいつ挫折してもおかしくない状況ではあった。

しかし、『お買い物日記』 担当者は何が何でも禁煙せねばならず、それを成功させるためには心が折れるような状況を生み出すような行為は控えるべきであって、欲求に耐えている本人の前で喫煙することなど、砂漠で倒れている人の前で冷たい水をがぶ飲みするに等しい悪鬼のごとき行為であり、そのような事態を避けるためには自分も禁煙を成功させねばならない。

管理人の独り言』 で何度も触れているように 『お買い物日記』 担当者は大きな病を抱えてしまい、それの発覚がタバコを止めるきっかけとなったのであり、単なる思い付きやタバコ税が鬼のように高くなりそうだからなどという理由とは異なって切実な問題だった。

結果、2カ月経った今でも続いているので禁煙は成功したのかもしれないが、2カ月も経過した今でさえ何かの拍子に喫煙の欲求が頭をもたげることがあることに驚き、ニコチン中毒の根深さや恐ろしさを身をもって思い知らされ、これからも気を緩めることも許すこともせずにしなければならないと心に誓ったりしているところではあるが、これがいつまで続くのかというゲッソリ感も同時に味わっている。

禁煙したことは 『お買い物日記』 担当者に良い結果をもたらした。

手術の際に施される麻酔はなぜ人体に効くのか科学的には証明されておらず、麻酔薬を体内に注入した後にどのような副作用が起こるのかも人によって様々で、手足の麻痺、痺れ、ひどい頭痛を発症することなどが想定される中、喫煙者に最も多いのはタンが絡んで咳が止まらなくなる症状だという。

実際、同じ日に手術を受けた人は入院前日までタバコを吸っていたとかで、ノドがゴロゴロいって咳を連発し、「ゲホン!」 とするたびに手術の傷がメリメリと開きそうになり、その痛みにのた打ち回って 「あ゛ー」 とか 「うががぁあ~」 などと奇声を発していたが、手術の一カ月前からタバコを断っていた 『お買い物日記』 担当者に同様の症状が現れることはなかったのである。

何らかの努力しておけば結果は報われるものであり、将来的にもっと良いことがあるのではないかと密かに期待しつつこれからも禁煙を続けていこうと考えているところである。

化学の味わい・・・の続き

先週は携帯電話からの更新に失敗したのでその続き。

気分を変えてスーパーの惣菜コーナーをうろつき、卯の花とポテトサラダを購入してみたが、これが科学の味に加えてもの凄く甘い。

いや、特に卯の花は甘いなんていう生易しいものではなく、どうやって調理すればこれだけ甘くなるのかと責任者を呼んで問い詰めたくなるほどの代物であり、なぜ、なにゆえにポテトサラダよりも甘い卯の花を食さねばならぬのかという怒りがふつふつと体の奥底から込み上げ、怒髪天を突く 3秒前からのカウントダウンが開始され、それが 0 になった瞬間に卯の花はゴミ箱へと放物線を描いて落下することになった。

食べ物を粗末にしない教育を受けてきたので、捨てることなど病気で食べられないとき以外は考えられないのだが、この、あまりにも甘く気持ちの悪い卯の花を食べることは自分にとって不可能であり、無理に食べるくらいであれば火責め水責めの拷問を受けたほうがマシなのではないかと思えるほどだ。

次の日の朝、ポテトサラダは食パンに挟んで食べたが、まるで菓子パンのように甘く、コーヒーで流し込むように胃に収めるのが精一杯だった。

既製品の科学の味にとことんダメージを受けたので、遅まきながら自炊生活を送ることにした。

過去にも何度か書いているように包丁は使えるのだから最初から自分で調理すればよいのであって、何も我慢したり辛い思いをしてまで既製品を購入することはないのである。

仮住まいでしかない宿泊施設に調味料類を一から揃える訳にはいかないので必要最小限のものしか用意しなかったが、それでも自分好みに味付けをして食べるのが一番美味しい。

炊飯器は用意されていたので自分で米を炊き、単に魚を焼いたり肉を焼いたり、極々簡単な料理を作って食べるだけだったが、何とかそれで生き抜いた。

もし、あのまま既製品を食べ続けたならば、『お買い物日記』 担当者だけではなく、自分まで病気になっていたかもしれない。

化学の味わい

『お買い物日記』 担当者の入院によって一時期はコンビニ弁当中心の食生活になってしまった。

すでに入院期間は 20日間を越えたが、弁当を食べ続けることができたのは最初の一週間くらいだ。

揚げ物中心のおかずと化学調味料の味を体が受け付けなくなり、腹が減っているのに箸が進まなくなってしまった。

若い頃は例外なく毎日、昼も夜もコンビニ弁当か外食という生活を何年も続けることができたのに今はそれが続かない。

口に入れた化学調味料と油まみれの食べ物をなかなか飲み込むことができず、弁当ひとつ食べるのに一時間もかかってしまう。

ここ数年というもの揚げ物どころか動物性脂肪の摂取すら 『お買い物日記』 担当者の手によって控えられていたので、食べたそばから胃にもたれるやら胸やけするやらの大騒ぎであり、どんどん食欲が失せてくる。

それなら揚げ物が極力少なく、あっさりした弁当を選択すればよろしいのではないかと、きのこの炊き込み御飯などという誠に季節感漂う弁当を買ってみたが、その御飯が化学の風味バリバリで、とても食べられたものではない。

それでも米は捨てられず、海苔を千切って入れるなどしてやっとの思いで胃に収めた。

気分を変えてスーパーの惣菜

… 携帯電話の限界
データ送信時に切れたようだ。
面倒なのでこのまま放置

BMの怪

1F、2F は一階、二階であり、B1、B2 は地下一階、地下二階。

そんなことは常識として知っている。

しかし、この病院には BM という階がある。

最初はエレベーターの表示がおかしくなっていると思っていたのだが、決してそのようなことはなく、地下一階と二階の間に確実にそれは存在するらしい。

BM の M はミドルの M なのではないかと想像しているが、まだ確証が得られずにいる。

それというのも、まだこの目で BM を見たことがないからだ。

病院の案内図を見ても BM とは記されておらず、エレベーターの操作ボタンにも BM という二文字が見当たらない。

それなのに、どうしてエレベーターは BM に止まるのか。

『お買い物日記』 担当者と二人、この目で BM を確かめようと、階段で地下へと進んでみた。

ソロリソロリと階段を下りると他のフロアとは異なる薄暗い廊下があり、鉄の扉が行く手を阻む。

どうするべきか迷っていると音も立てずに鉄の扉が開き、中から白髪の男性が姿を表した。

少し戸惑いながら扉のカギをしめ、「どちらに行かれるんですか?ここから先には進めませんよ」 と声をかけてくる。

「いえ、地下二階の散髪屋が、あの、その〜」 とドギマギしながら応えると、「ここは違います、ご案内します」 と、その場を追い立てるように階段を上らされる。

地下一階の廊下に出ると、遠くを指差し 「あちらの階段から地下二階に下りてください」 と言って、ジッとこちらを見る。

仕方なく言われた階段に進み、下に降りると患者用の大浴場や散髪屋さんがあり、さっきとは異なる明るい雰囲気のフロアだ。

その階段の途中に BM という階はなく、B1 の次は B2 だった。

そこで探検は中止となってしまったので、まだ BM 階にはたどり着けていないのである。

BM には解剖室とか霊安室があるのではないかと勝手に 『お買い物日記』 担当者と話していたのだが、それらは地下一階にあった。

最近になって 5台あるエレベーターのうちの、主に患者さんを運ぶ 1台に B2M というボタンがあることに気がついた。

しかし、そのボタンは他のものと明らかに色が異なり、押してくれるなオーラを思いっきり漂わせている。

そのボタンを押せば BM に行ける可能性が極めて高いことは分かっているが、誰かに見つかって叱られるのではないかと思い、指をのばすことができずにいる。

あと少し、あと数センチ指をのばせば…。

ほんの少しだけの勇気があれば……。

(携帯電話より)

人間模様

『お買い物日記』 担当者が入院しているのは婦人科病棟なので、当然のことながら入院患者は女性しかいない。

各階で唯一携帯電話の使用が許されているエレベーターホールにいると、様々な会話が耳に入ってくる。

家に残してきた小さな我が子の声を聞き、涙声で話しかける若い母親。 典型的な猫なで声を出していたのに 「パパと代わって」 と言ったあとは声が 1オクターブ低くなり、「明日はゴミの日だからねっ」 などと手厳しい。

「今は会わないほうが良いかも」 などと、意味深で危うげな会話もあれば、「なんでお義母さんが来るのよっ!」 と旦那さんに文句を言っている人もいる。

そんな人間味あふれる会話の中、「お疲れ様です、例の件ですが」 とか 「○日に提出した書類の 12ページの…」 などと仕事の話しも聞こえてくる。

それだけ女性の社会進出が進み、出産や病気で会社を休みやすくなっているのだろう。

また、産後や病後の社会復帰も容易になっているものと思われ、少なからず問題はあるにせよ、女性が働く環境は数年前より格段に向上しているものと思われる。

このエレベーターホールにいると、いろんな人間模様や社会を見ることができるような気がする。

携帯電話より