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ヒロシマナガサキ

いつもは広島と長崎なのに、この時期は急にカタカナのヒロシマとナガサキになってしまう。

急に遠い土地、遠い国になってしまうような妙な感覚だ。

正直なところ、いつも考えている訳ではないし、いつも心の中にある訳でもない。

日本に原爆が投下されたその日。

その悲惨さや、その後の苦しみは想像以上のものがあるだろう。

その被爆体験はこの時期にテレビなどを通して伝えられるので急激に身近なものとなり、その破壊力や恐ろしさ、その後の土地の荒廃や人心の荒廃、長く続く後遺症など、二度と起こってはいけないことだと実感できる。

本来であれば、一度たりとも起こってはいけないことが日本の広島と長崎で起こってしまったのは、とても不幸なことであるし残念なことである。

核廃絶を唯一の被爆国である日本が世界に向けて訴えなければいけないことも理解しているし、それができるのは日本しかないことも分かってはいる。

そして、世界に向けて核廃絶を訴えるのは広島や長崎の人だけではなく、日本人全員の共通認識となるのが望ましいだろう。

しかしこの時期、広島と長崎がヒロシマとナガサキになってしまう感がどうしても否めない。

それはマスコミにも責任があるのかもしれないが、その地に住む個人の回想をいくら取り上げてもあまり意味がないように思う。

愛する人、愛する家族、大切な友達、思い出の品々を失ってしまった悲しみは良く分かる。

しかし、それは原爆ではなくても喪うものであり、それが病気であっても事故であっても火災であっても悲しみに差がある訳ではない。

原爆ではなくても、あの戦争で命を奪われた人は大勢いる。

戦争が所詮は人の殺し合いである以上、原爆がどれほどの大量殺りく兵器であったとしても仕方のないことだ。

原爆の罪は多くの民間人を殺害したことと、何年間も大地や水を汚染して多くの人に健康被害を与えたこと。

争点を整理して情報を発信しなければ相手に伝わるはずがない。

父親を喪った、子供を喪った、家族すべてを喪ったという話が前面に出て、その後に式典を見せられても、どこか冷めた思いがしてしまうのは自分だけだろうか。

誤解を恐れずに論ずれば、隣の家の法要を見ているようで、どうしても他人事になってしまう。

当人は亡き家族を思い出したりして悲しみもわいてくるだろうが、故人と深い親交でもないかぎりは隣の家で法要がいとなまれていても悲しみを共有することはない。

もっと上手に話を伝え、理解を深めなければいけないのにヒロシマやナガサキの人たちが最後に必ず使う捨て台詞。
「ここで暮らしている者にしか分からない」
「体験した者でなければ分からない」

その意識を捨てなければ。

そして内向きの話ではなく、外に向かって話しをしなければ。

原爆の何が罪なのか私心を捨てて考え、問い直さなければ日本自体が一枚岩になれないような気がする。

こんな時期にこんなことを考えてしまう自分が間違っており、心が冷たいのだろうか。

老化の進行度合い

少し前の雑感に書いたように著しく老化は進行している。

最近はそれに益々加速度がついてきたようで、昨夜食べたものすらなかなか思い出せない。

どちらか一方だけの症状であれば今後に関して大きな不安を抱いたり、相手に対して腹が立ったりするかもしれないが、自分も 『お買い物日記』 担当者も同じなので二人でボケボケ状態になって暮らしている。

昨日の晩御飯であればまだ何とか思い出せるが、二日前、三日前となるともうダメだ。

二人そろって頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべてボ~っと一点を見つめたりしている。

最近は何を食べても美味しいので、きっとその時も
「うんまーーい!」
感嘆し、二人そろって
「おいしいね」
と言いながら食べているはずだ。

ところが、その美味しかったものが何なのかがハッキリしない。

頭の中に霧がかかったようにモヤモヤしており、それがイライラするのと同時に底知れぬ恐怖が襲いかかってくる。

「本格的にボケてきたのではないだろうか?」
「このまま記憶が薄れて何も思い出せなくなるのではないだろうか?」
「そもそも物事を記憶することができなくなるのではないだろうか?」

そんな焦りを感じつつも、必死になって思い出そうとする。

人によって記憶を掘り起こすプロセスは異なるだろうが、自分の場合はボンヤリとした色が手がかりになることが多い。

黄色っぽいイメージであれば、卵焼き、オムレツ、オムライス。

赤っぽいイメージであればケチャップを使った料理。

ところが、この歳になると食べ物全般が茶色っぽい。

赤とか緑とかの華々しい色彩はサラダで食べる生野菜くらいなもので、そんな記憶をたどっても主菜にはたどりつかない。

茶色のイメージを増幅させてもなかなか食べたものにたどり着かず、煮物、煮魚、キンピラ、炒り煮とか漠然とした感じで脳が空回りする。

それでも食い意地が張っているのか、食べ物に関しては思い出すのを断念したことはなく、回転の鈍い脳を酷使して何とか思い出すに至るところまでは事態が進む。

問題なのは芸能人、それもカタカナ交じりだったりすると限りなくお手上げ状態だ。

『お買い物日記』 担当者との会話で誰かの名前を言おうとして思い出せず、話を中断して考えるのだが、二人とも 「う~む」 と腕組みしたまま固まっている時間が長い。

しばしの間、あーでもない、こーでもないと二人で手がかりを探し、やっとの思いで脳の奥底からひねり出したときには万歳三唱したくなるほどの喜びだ。

ところが、どこをどうやってひねっても、逆立ちして頭を振っても思い出せないこともある。

途中で思い出すのを諦め、思考も停止しているはずなのに、トイレの中、歯磨きの最中、入浴中など、2-3日後にひょんなタイミングで思い出したりすることもあるのが不思議だ。

しかし残念ながら、それを思い出したときには、もともと何の会話をしていたのか忘れている・・・。

なんだか惨憺たる状況であり、このまま脳がスカスカになってしまいそうではあるが、その進行が同じペースであって二人同時にボケたら介護に追われることもないと思われるので、ある意味では幸せなことなのかもしれないなどと思ったりしている今日この頃である。

味の違い

義姉に言われて思い出したのだが、こちらの牛乳は味が濃い。

同じ脂肪分のものでも大阪で飲んでいたものとは不思議に味が異なり、こちらの方がコクがあって美味しいような気がする。

もう何年も前のことになるが、父方の親戚が北海道を訪れ、ホテルの朝食で出された牛乳があまりにも美味しく、それまで嫌いで飲まなかった小学生の息子までもが何杯もおかわりをし、親としてはそれが恥ずかしいやら好き嫌いが直ったのが嬉しいやらで、とても複雑な思いがすると話していたのを思い出す。

東京に帰ってからも市販の牛乳を飲むようにはなったが、どうしても北海道の味が忘れられないと、普通にスーパーで売っている市販の牛乳をわざわざ宅配のクール便で送ったことも何度かあったという。

同じメーカーで同じブランド、同じ脂肪分であれば何も変わりようがないと思うのだが、北海道の工場から出荷されて店に並んでいる牛乳はなぜか美味しいのは間違いないと思われる。

味が違うのはビールも同じだ。

ビール党ではないので偉そうには語れないし、微妙な味の差など理解できない自分だが、居酒屋で飲む生ジョッキの味は明らかに異なることを以前、大阪から北海道に出張し、夜の街に繰り出したときに如実に感じたものだ。

たぶん缶ビールとかであれば味に大きな差はないのだろうが、ジョッキで出されるそれはビールに詳しくない自分が飲んでも濃さ、香り、コクの違いがハッキリと分かるくらいに味が違う。

加工品だけではなく食材の味も確実に違う。

魚介類でいえばホタテ貝やイカ、サーモンにタラ、サンマもサケも味も濃い。

野菜の味でいえばアスパラにジャガイモ、ニンジンにナスにキュウリ、カボチャやホウレン草まで何でもしっかり味がする。

これだけ食材の味がしっかりとしていれば、さほど調味料を使わなくても美味しく食べられるというものだが、なぜだか北国の味付けは濃い。

北海道に限らず味が濃いのは田舎料理の特徴ではあるが、これだけ素材が美味しいのだから、その素材の味を十分に生かす調理をすれば良いのに地元の人は何も考えずに調理しているのだから贅沢なことである。

自分たちも一度北海道を離れて戻ってきたから余計に実感しているだけで、ずっと住み続けていたら食材の美味しさを実感することもなかっただろうし、何も考えずに調理もしていたに違いない。

食べ物が美味しいことを実感できるので一度この地を離れ、遠くで暮らすことができたことにも感謝しなければいけないだろう。

最大の難点、それは何でも美味しくてバクバク食べてしまい、体重が増加してもなかなか抑制が効かないことくらいか。

カモの親子がいた風景

それは 7月 2日の朝のこと。

散歩の途中、公園内を流れる小川の淵をあるいていると、遠くにカモの泳ぐ姿があった。

その公園の中央にある池、散歩の第二コースにしている桜並木の横を流れる小川、水車のある散策路と平行する小川、そして家から徒歩 2分くらいのところにある小川と、あちらこちらにカモの姿があるので実はそれほど珍しいことではなく、単に
「ああ、カモがいるな」
くらいにしか思っていなかったのだが、何やら小さくてホワホワしたものが周りをチョロチョロしているような気がする。

数年前まで視力 2.0を誇った我が眼球も、老化の影響からか、はたまた若いころより酷使したツケがまわってきてしまったのか、最近になって悪化の一途をたどっており、今では乱視混じりの 0.5くらいになってしまっているため、何か動いているような気はするものの、それが何であるかハッキリ見てとることができない。

そこでメガネをかけたら自分よりも良く見える 『お買い物日記』 担当者に
「カモの周りに何かいるのは子ガモかな?」
と聞いてみると、しばし川面をじっと見つめ、
「本当だ!子ガモだ!」
と嬉しそうに指差している。

慌てて近づき驚かせてはいけないと、はやる気持ちを抑えて普段どおりの歩幅で先に進む。

いよいよ近づいて子ガモたちの姿がハッキリ見えるようになると、その可愛らしさに思わず頬が緩んでしまい、二人そろってニタ~っとしたまま立ち止まり、しばしその姿を眺めていた。

その姿は実に愛くるしく、絵やぬいぐるみでは表現できないであろう温かみと情緒にあふれ、ただ泳いでいる姿を見るだけで自然に笑顔が込み上げて来る。

それが 10羽も集まって親ガモの後ろに連なり、時には親を追い越してみたり、時には川べりの草をつついてみたりして集団から遅れてしまい、慌てて追いかけたりする姿が実に微笑ましい。

まだ朝食をとる前の散歩であり、仕事を始めなければいけないこともあって、後ろ髪を引かれるような思いはあったが、それを断ち切るようにして帰宅したものの、頭の中は子ガモのことで一杯になり、ときどき手を休めては朝の光景を思い出してニンマリしたりしていたが、とうとう我慢できず夕方になってから買い物ついでに公園へ

朝見たときは下流に向かって進んでいたので、公園の川の最下流から上流に向かって探してみたが、朝の場所まで行っても見当たらない。

いくら小さな川とはいえ、途中には落差 4-50センチの滝もあり、あの小さな子ガモが登っていけるはずがない。

どこに行ってしまったのだろうと思いつつも上流に向かって進むと、ずいぶん上のほうにカモの一家を発見した。

あの小さな体でよくもこんな所まで来れたものだと感心し、爺さんが孫にでも接するように子ガモたちを褒め称えてやりたくなったりしながら元気に動き回る姿をじーっと眺め、できれば何も考えずいつまでもそのまま見ていたかったのだが、夕方からのタイムサービス目当てで買い物に出たことを思い出し、またまた引かれる後ろ髪をバッサリと断ち切って公園を後にした。

翌日、カモの親子と再会できるかもしれないと、期待に胸を膨らませて散歩に出かけたが残念ながら姿を確認することはできなかった。

そして、その日の夕方、『お買い物日記』 担当者に誘われて再び公園へ。

例によって下流から見てみようと近づくと、ビデオカメラを持ったオッサンが大声で
「カモだ!ほら!カモの親子がいるよー!」
と子供を呼び寄せ、
「早く!ほらカモだ!」
と自分の母親らしき人も呼ぶのだが、彼女は足が悪そうで、杖をつきながらゆっくり歩いて近づこうとしているのに
「早く!早く!」
と手招きまでして実にうるさい。

野生のカモなのだから遠くからそっと見守ってやればいいのに川のすぐわきまで行くものだから、カモの親子は迷惑そうに上流にむかったり下流に向かったりと右往左往している。

ひとしきりギャーギャー騒いだ人間の一家はカモを見るのにも飽きたようで、その場を立ち去ったことでやっと平穏なときが訪れた。

カモたちも安心したようで、川から草むらに上がって親ガモは毛づくろいをし、子ガモたちはおのおのが勝手に、それでも親ガモからあまり遠く離れないところで元気に動き回っていたのだが、その動きがだんだん鈍くなり、一羽、また一羽と動かなくなっていく。

どうやら遊び疲れたのと暖かい初夏の日差しが気持ち良いのとで眠気を我慢できないらしい。

すべての子ガモが眠ったのを確認すると、親ガモまで丸くなって眠ってしまった。

動き回っているカモであれば何時間でも見ていられるが、さすがに眠って動かないカモを見ていても仕方ないので、起こさないようにそーっとその場を後にした。

しかし、残念ながらその姿を見たのはそれが最後になってしまった。

あれからずっと悪天候が続き、散歩に出かけられる日も少なかったが、公園を通るたびにカモの姿を探しているのに一度も会えていない。

「変な二人がじーっと見てて気持ち悪い」
と、引っ越したのでなければ良いが・・・。

野生の生き物の成長は早い。

もう子ガモは成鳥と見分けがつかないくらいになっているだろうが、決して変な二人じゃないので来年もこの地に来て、孫ガモを見せてほしいとできれば会ってお願いしておきたいと思っている。

不遇の時代

小学校の何年生だったか忘れてしまったが、ある動きをすると胸に激痛が走る日が続いた。

普段の生活に大きな支障はないとはいえ、飛び跳ねたりしたときの着地、手の上げ下ろし動作の下ろすとき、あとはどんなときだったか思い出せないが、何かの拍子に右胸あたりがズキン!とくるので運動量が激しく暴れまくっていた子供時代においては、なかなか不自由な思いをしたものである。

今から思えば、簡単に折れて知らぬまに治ることで有名な肋骨、いわゆるアバラ骨にヒビでも入っていたのではないかと推測されるが、子供にそんなことが分かるはずもなく、少しくらい怪我をしたり、どこかが痛かったりしても、ちょっとやそっとのことじゃ親に言わなかったこともあって、その状態は半年以上も続いたように記憶している。

それがずっと痛い訳ではなく、ちょっとしたタイミングや体勢によるものなのが面倒であり、余計なトラブルを生む元凶ともなる。

その年の体育の授業で走り高跳びがあったのだが、胸に激痛が走るためなかなか上手に飛ぶことができない。

決して運動神経は悪くなく、むしろクラスでは能力に優れている方なのを知っている教師からは
「真面目にやれ!」
と叱られるのだが、踏みきって体を伸ばした瞬間に痛みが走るので、それが怖くて思い切って飛べなかったり、ヤケクソになって飛んだとしても痛みが走って空中で体が丸まってしまい、そのままボテッと落下してしまう。

とうとうシビレを切らした教師は耳を引っ張って
「どうして真面目にやらないんだ!」
と鬼のような顔をして怒る。

そこでやっと胸が痛いことを
「実は・・・」
と切り出すのだが、休み時間とかには元気に走り回っている姿を見ている教師は、引っ張った耳をグリグリひねって
「嘘をつくな嘘を」
と憎々しげに言う。

高跳びであれば、まだ飛び上がった瞬間だけ痛みに耐えれば良かったが、体育の授業にはさらなる地獄が待ち構えており、その思い出すのもおぞましい、生き地獄とも言えるほど苦しんだ内容とは縄跳びであったりする訳だが、一度のジャンプですら激痛を感じる身をもってして何度も何度も飛べるはずなどないのである。

いつもであれば縄跳びなど何の苦もなくすることができ、二重跳び、三重跳びまで友達に披露していた自分なのに、どんなに耐えたとしてもゆっくり三回ほど跳ぶのが限度で、それ以上は続けることができない。

そんな姿を見てツカツカと近寄ってくるのは例の教師で、怖い顔をしながら耳を引っ張って
「お前はどうして真剣にできないんだ!」
と叱られ、胸が痛いことを言っても
「ふざけるな!」
と一喝されるだけだった。

もともと運動が得意なことも、縄跳びができることも知っているのだから、それができないのは異常なことであると気づいてくれても良さそうなものだと大人になった今からであれば思ったりもするのだが、子供の頭ではそんなことに考えも及ばず、ただくやしい思いをしていた。

水泳の授業でもクロールは何とかなるのだが、平泳ぎの手の動作がダメだったようで、痛くて 2-3回しか水をかくことができない。

そこでも教師は容赦なく叱りつけ、胸が痛いという主張を最後まで信じてもらうことはできず、それまで何があっても図工と体育の成績だけは良かったのに、その学期では初めて通知表に 1をつけられた。

おまけに備考欄には 『体育の授業を真面目に受けない』 的なコメントがなされており、親からもこっぴどく叱られる羽目になってしまったが、大人には胸が痛いことを信じてもらえないと思い込んでしまった自分は、言い訳することもなくただ黙って説教を聞いていたのである。

まさにあの時は教師や親からは叱られ、友達に馬鹿にされるという不遇の時代だった。

鳥たちのいる風景

去年の今ごろは隣家の換気口に住みついたスズメの夫婦に夢中だったが、子供たちが巣立ってからもしばらく暮らしていた夫婦は冬を前に姿を消してしまい、それ以来は姿を見せることがなくなってしまったので少し寂しい思いをしているものの、自然が豊かなこの町に暮らしているとあちらこちらでペアのスズメを見ることができるし、散歩コースにある公園にはいくつもの巣があるので随分と楽しませてもらったりもしている。

数羽の群れをなしているのは子供たちだと思うが、まだオスもメスもなく団体行動で空を飛んだり木に止まったり、芝生の上をチョコマカと動き回ってエサを食べている。

やがてその群れは数を減らし、一羽のメスを数羽のオスが取り合ったりするようになり、最終的に一組のペアができあがる。

かなり以前の独り言でスズメは一夫一妻制であるとネットで調べた結果を書いているが、二羽のスズメが寄り添い、本当にピッタリとくっついているのを見ると思わず頬がゆるんでしまい、とっても幸せな気分になれる。

スズメのほっぺたに黒くて丸い模様があるのも可愛いし、首には白いラインがあってマフラーを巻いているように見えるのもまた可愛らしく、その小さくて丸々した体つきと相まって可愛さ倍増であり、色は地味だがインコやカナリヤより可愛いかもしれない。

田舎のスズメは基本的に警戒心がないのか人が近づいてもあまり逃げず、2メートルや 1メートルの距離など当たり前で、中には数十センチの至近距離まで近づいても逃げない場合があり、とくに枯れ草や土の上だと保護色っぽくなっているのでいることに気付かず、踏み潰してしまうのではないかとドキドキすることも多い。

公園には毎年ツバメもやってくるが、これがまた人を警戒していないのか、何羽ものツバメが目の前やすぐ横をヒュンヒュンと飛び回り、びっくりする人間をからかっているかのようだ。

一カ月くらい前のことになるが、散歩していて公園の中央にある池のそばに行くと、黒い物体がいく筋もの弧を描いて池の上を旋回しているのが見えたので、さらに近づいて見てみたら、それは何羽ものツバメがエサを獲る練習をしているところだった。

上空から池に向かって急降下し、水面スレスレで旋回して再び上昇するのだが、その際に口ばしか足で虫を捕獲しようとしているらしく、水面には綺麗な波紋が広がる。

みんな上手に練習にはげむ中、そのうちの一羽がどうにもこうにもヘタクソで、水面ギリギリで旋回することができずに 「ジャブブ」 と水没しそうになっている。

何度も何度も練習するが、そのたびに 「ドブン」 とか 「ズブブ」 などと鈍い音を出し、危なく池に沈みそうになっては慌てて羽ばたき、やっとの思いで上空にいる仲間と合流したりしていた。

最初は 『お買い物日記』 担当者と笑って見ていたのだが、だんだん心配になり、あのツバメはちゃんとエサを獲れるようになっただろうかと今でも思い出して話したりしているところだ。

管理人の独り言で最近は話題を独占しているカモの親子に関しては、そのうちにまとめて雑感のネタにしようと思うので多くは語らないが、とくにかく、ただひたすらに、とっても、もの凄く可愛いらしく、なんとも表現が難しいくらいだ。

野生の生き物はすぐに育ってしまうので、子ガモと親ガモと見分けがつかなくなるも数日のことだと思われるが、それまでは暖かく見守っていこうと思っている。

公園にはその他にもヒバリやウグイス、クマゲラにアオジ、海鳥のカモメ、いまだに名前の分からない鳥など相当な種類と数がおり、いつも綺麗な声で歌のように鳴いてくれるのだが、不思議なことにそこにハトの姿がない。

ハトは平和のシンボルなれど、いっぱいいると鬱陶しいし、糞害もあるので良かったり悪かったりするものではあるが、木立の中でごくまれに野鳩特有の 「ほ~ほ、っほっほ~」 という声がする程度であり、群れをなして空を飛んだりオポオポと首を振って歩いている姿を見たことがない。

公園は鳥の楽園と化しており、たまにカラスが乱入して気が滅入ることもあるにせよ、いつでも鳥たちの可愛らしい姿を見て綺麗な鳴き声を聞くことができるので、ハトなど放つ必要がないだけなのかも知れない。

北国の夏

千里丘に住んでいるみんなには申し訳ない気分だが、こちらは実に過ごしやすい。

『独り言』 に何度も書いているが、あまりの気持ち良さに体も脳もグンニャリとしてしまい、思考能力は限りなくゼロに近づく。

ましてやそれが食事の後、コーヒーの一杯でも飲んでゴロリと横になると、体が溶けて床の絨毯に染み込んでいくのではないかと心配になってしまうほどだ。

北海道に帰ってきてから二度目の夏なので、そんなに感激することもなかろうと自分でも思うのだが、去年は 2月の引越し直後に義兄に先立たれ、お寺さんが七日ごとのお参りに来てくれるし四十九日がどうしたとか初盆がどうだとか言っているうちに 『お買い物日記』 担当者の病気が発覚して入院、そして手術。

物理的にも精神的にも落ち着かず、ドタバタ、セカセカ、ハラハラ、アクセクしていたので事実上は北海道に帰ってきて、そしてこの町でシーズンを通して夏を過ごすのは初めてなのである。

確か去年は大阪から “無事生還” したばかりで皮膚感覚が寒冷地仕様に戻っておらず、みんなが暑いと言う中、平然と、そして悠々と過ごし、一滴の汗も流すことなく秋になった。

北海道の夏だって 30度になることはあるが、それはひと夏で 5日間もあるかないかであり、たとえ 30度を超えたとしても湿気はとても少なくて湿度が 40数パーセントなどという日が多い。

日が当たればジリジリと肌が焦げそうな暑さを感じるが、日陰に入れば実に心地よく、そのままポワワ~ンとしていたくなる。

昼間は暑くても日が傾けば涼しくなり、快適な夜がやって来る。

『夕涼み』 とは、そういう状態において現される言葉であって、大阪のように夜になっても気温が 30度近くあり、湿度も軽く 60%を超えているような状態では外に出てウロウロしたところでちっとも涼めず、むしろ歩いた分だけ運動になって暑さが増してしまう結果を招く。

夜も寝苦しいどころか暑くて眠れず、冷凍庫でキンキンに凍らせたアイスノンを枕にエアコンを点けっぱなしで布団に入ったものだが、それでも汗が止まることはなく、5分おきくらいに体勢を変えなければ自分の体温で布団が熱くなり、睡眠をとるどころか体力を一方的に消耗する結果となってしまったものだが、北海道で過ごした去年の夏、一度もアイスノンを使うことはなく、扇風機も 10日間ほど使ったかどうかという程度である。

いくらシャワーで汗を流しても、浴室から出て体を拭いている最中からすでに汗が吹き出て、何のためにシャワーを浴びたのか分からないことになってしまう大阪と異なり、こちらの湯上りは実に気持ちが良い。

大阪に暮らしていた頃は汗が滝のように流れて額から首筋、胸や背中をつたったもので、汗もがプチプチできて体が痒く、そがまた睡眠を妨げるという悪循環になっていた。

ところがこちらで過ごした夏は、暑い日になればジンワリと汗は出てくるものの、それが流れることなく乾いた空気で蒸発してしまう。

額とか首、背中や胸をツツーッと汗が伝う、あの感覚をすっかり忘れそうになっているくらいだ。

去年の夏のことはあまりにもドタバタしすぎて正確な記憶が残っていないが、『お買い物日記』 担当者もすっかり元気になったことだし、今年は二人で短い北海道の夏を満喫しようと思う。

となりのお店

管理人の独り言』 に何度か書いているように我が家のとなりは理美容室である。

北海道の場合は土地が広いのと雪との関係から家と家は最低でも 2-3m は離れており、大阪のように壁のペンキはどうやって塗ったのか不思議に思えるほど密接はしておらず、さらにとなりの店は駐車場を確保しているため 10歩ほど歩かなくてはならないが、家に向かって左隣、本当の意味でのお隣さんが店舗兼住居の建物になっている。

入り口はひとつだが、そのドアを開けて右にあるもうひとつの扉が理容、左の扉が美容室になっており、まるで男湯と女湯に別れている銭湯のような雰囲気だ。

理容室を担当するのはお父さんと息子さん、美容室を担当するのはお母さんと娘さんで、親子二代で商売をされており、最初は息子さんと娘さんを夫婦だと思っていたが、それはお兄ちゃんと妹ちゃんが正解で、それぞれが理容と美容を継いだことになる。

お父さんとお母さんは、そろそろリタイアする準備に入ったようで、普段はお兄ちゃんと妹ちゃんに店を任せて買い物に行ったり天気の良い日は庭の手入れをしたりしているようだ。

こんな田舎町の繁華街からはずれた立地だが店は繁盛しているようで、駐車場にはいつも車が停まっており、お客さんが多くなってくると親子そろって店に立つ。

それ以外にもお客さんによって担当が決まっている場合もあるらしく、古くからのお馴染みさんでお年を召された人はお母さん、お父さんが髪を切り、ある程度年齢が若い人はお兄ちゃんと妹ちゃんの担当になる。

自分の担当はお兄ちゃんなので、ギリギリながら若者組みに入れてもらえたようだ。

以前にも独り言に書いたが、となりの店の仕事はとても丁寧でサービスも素晴らしい。

大阪での散髪は顔剃り、シャンプーを含めて 30分強くらいで終わったが、となりの店はすべて終わるまで 90分以上もかかる。

髪を切るのは丁寧であるもののそれほど時間がかかるわけではないが、シャンプーをすれば頭皮マッサージまでしてくれるし、それが終われば長い時間をかけて肩や首のマッサージもしてくれてそれが実に気持ち良い。

顔剃りが終わればオイルを使ってのクレンジング、その後にパックまでしてくれて男のくせにお肌しっとりの仕上がり状態であり、あまりにも気持ちよくて眠ってしまうこともしばしばだ。

美容室の妹ちゃんは天性の商売人で、パッと明るくて会話にもよどみがなく、そのうえ気遣いもそつがない誰からも好かれるような人柄で、お客さんを惹きつける何かを持っている。

お買い物日記』 担当者は病気の治療の副作用で頭髪が抜けてしまったため美容室に行く必要はなかったが、店がすいている時間に遊びに行って話し込んでくるほど仲良くしてもらっている。

髪が生え始めて今は 『えなりかずき』 くらいの長さになったので、もう少ししたら毛先を揃えてもらいに行けるかも知れない。

妹ちゃんには現在中学生の娘さんがいるのだが、その娘さんが数年後に美容師なることがあるならば、三代そろって店に立つ姿をみることができる。

そうなればコギャルから老婆まで幅広い客層に対応できるハイパー美容室になることだろう。

想い出の居酒屋 其の捌

想い出の居酒屋 おしながき

以前の店から数えると、ママと知り合って 7年くらいは経過しただろうか。

貪欲な胃袋を満たし、金のないときは安い料金でたらふく食べさせてもらい(其の参照)、会社を辞めるために辞表を書いたのもその店だった(其の参照)。

仕事の話は一切せず、いつも楽しく酒を飲んだ(其の参照)。

店が変わってからも毎週のように通い続け(其の参照)、注文していないものやメニューにないものまで食べさせてもらった(其の参照)。

訳の分からない話で盛り上がり(其の参照)、時には謎の歌を歌ったり店主の自室で飲んだりもした(其の参照)。

まだ若かったこともあるが、その時はこれから先も何も変わらず、いつまでも似たような時間が流れるように思っており、それが終わりを告げることになろうとは夢にも思っていなかった。

そう、会社から大阪本社への転勤を命ぜられるまでは。

前の会社から通して 10年も付き合っている仕事仲間たちと別れるのは辛く、長年に渡って通い慣れたその店で、食べ慣れたものを味わえなくなるのも辛かった。

しかし、そこは悲しきサラリーマン。

会社の命令には逆らえず、途中まで進んでいた歯の治療も突貫工事で終わらせて、転勤の準備を開始した。

そして、気の合う仲間と最後の食事をしたのはもちろんこの店だ。

他部署の人間も集まって開いてくれた送別会は別の店だったが、やっぱり最後に本当に心から楽しめるのは、いつもの仲間といつもの店だ。

自分も店の大将もママも、しんみりするのは好きじゃないので相変わらずの大笑い、大騒ぎしながらその店で最後の夜を過ごした。

そしてそれから数日後、楽しかった店、愉快な仲間、住みなれた町に別れを告げて乗り込んだ飛行機の機首は西へ。

翌年、出張で元の職場を訪れて二泊目の夜に店に顔を出したが、仲間のみんなとではなかったのでイマイチ盛り上がりに欠けた。

その翌年、さらに次の年と、帰省の途中で寄っては見たものの、いつもタイミングが悪くて定休日の曜日ばかり。

店の前まで行ってはみたが、店の戸は固く閉ざされ中には灯りもない。

とりあえずは寄ったという証にメモを入れておいた。

そのうちに帰省に利用する空港を変えたため、その店のある昔住み慣れた町を通過することさえなくなってしまった。

そして、店は記憶の中で当時のまま時が止まり、想い出の居酒屋となってしまったのである。

香りの記憶

食べ物の匂いには敏感なので嗅覚がにぶい訳ではないのだろうが、記憶に残っている匂いというものがない。

母親は子供のころから同じメーカーの化粧品を使っていたが、その匂いがどんなものか思い出せないし、匂いを感じたとしても、それがそうだと気付かず、母親を思い出すこともないだろう。

以前に交際していた女性、いわゆる元カノがどんな匂いだったかもまったく記憶がない。

したがって、同じ化粧品を使っている人がいても何も思い出すこともないのは家庭円満、家内安全のためには誠に好ましいことであろう。

ただし、『お買い物日記』 担当者と同じ化粧品を使っている人がいても、それにすら気付かない可能性が濃厚なので本当に好ましいことなのか疑問をぬぐいきれない面もあるが。

畳の匂や木の香りにはどこか懐かしさを感じ、緑の匂いや潮の香りに癒されることはあるので、まったく無関心でもないのだろうが、香りと思い出が直結することがないのである。

出張で何日も家を留守にして久々に帰ってきた時。

そして、久々に自分の布団に入ったときは何となく自分の匂いがして
「あ~帰ってきたんだな~」
とか思うこともあるが、それも一瞬のことである。

さすがに加齢臭を漂わせる歳になったとは思うのだが、今でも体臭がするとか足が臭いとか言われないところをみると自分はもともと微香性なのかもしれない。

冒頭にも書いたが、食べ物の匂いにだけは敏感で、毎朝の散歩の途中、朝食の準備をしているらしい香りに理性を失いかけることも多い。

緑が多いこの町は、朝の空気も澄んでいて、ほのかに樹や緑の匂いがする。

そんな中、どこからともなく魚を焼く良い匂いが漂って来たりして
「ああ、あの家の朝食は焼き魚に御飯なんだなぁ」
などと思ったり、卵やベーコンの焼ける匂いがすれば
「この家の朝食はパンにコーヒーか」
などと想像できる。

朝から揚げ物の匂いを漂わせている家もあり、
「高校生くらいの子供がいて弁当を作っているんだな」
と思いをめぐらせたりしている。

そうこうしているうちに腹の虫が
「ガルルル・・・」
と野獣化し、空腹を我慢できなくなって家路を急ぐ。

他の匂いには鈍感なくせに、食べ物の匂いに敏感なのは食い意地がはっているからだろうか。

ただし、食べ物の匂いであっても、それを元に昔を思い出すことはない。

しかし、食べ物の場合は香りではなく味が記憶に刻まれているので当然といえば当然か。

そんなこんなで香りの記憶に乏しく、匂いによって何かを思い出したり懐かしんだりすることなど皆無なのだが、ひとつだけ懐かしく思うことがある。

それは約 10カ月前にやめたタバコの香りだ。

あまり多くは触れていないが、今のところ禁煙は見事に成功しており、あれから一度もタバコに火をつけずに暮らせている。

もうすぐ一年が経過しようとしているが、タバコを吸っている夢を見たり、何かの拍子にふとタバコが吸いたくなってしまうので完全なるタバコ断ち、いわゆる 『断煙』 には至っていないのだろう。

人によっては禁煙したとたんに極端な嫌煙家になってタバコから逃げ回る場合もあるが、自分の場合は決して嫌いになった訳ではない。

たまに荷物の配達をしてくれる人が車の中でタバコを吸っていたらしく、応対に出ると体からプンプンと香りを漂わせたりしている場合があるが、その匂いに嫌悪感はなく、むしろ懐かしさを感じるほどだ。

そのタバコが自分にある唯一の香りの記憶かもしれない。