大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

時事ネタ

ネタがない訳ではないのだが、まだ体が本調子ではなく、少し鼻がグシュグシュしていてあまり集中力もないので、ここは本来の意味である雑感に立ち返り、ツラツラと思ったり考えたりしていることを書いてみようかと。

まずは JR西日本の腹立たしい件だが、『JR福知山線脱線事故』 が発生したころは大阪に住んでいたこともあって今も深く記憶に刻まれているし、被害者やその家族ほどではないにせよ、事の重大さは十分に認識できた。

部外者である自分ですら重大性を認識できるというのに、その後の JRの対応、態度はいったい何だ。

どこまで真剣に考えているのか分からないが、のらりくらりとしたまま 4年も 5年も経過してしまったように思えてならない。

おまけに調査報告書が公表される前に裏から手を回して内容を調べたり、その報告書を取りまとめている有識者と呼ばれる旧国鉄OBに金を渡して裏工作したり、その報告書の前に作成された 『事実調査に関する報告書』 も裏から手を回して入手したりと好き勝手にやり放題だ。

その件について、いくら被害者に対して謝罪と説明会を行ったところで二度と信頼、信用されることなどないだろう。

愚行とも奇行とも言える組織運営しかできないのであれば、日本の政治と同じく役員から役職者までゴッソリ入れ替えるしか体質改善はなされないような気がする。

日本の政治といえば、先の衆院選で民主党が圧勝し、日本の政治が大きく変わろうとしている。

「大きく変わった」 と、まだ断言できない段階ではあるが、少なくとも変えようと、変わろうとしている意気込みだけは伝わってくるので、もうすこし様子を見てやっても良いのではないかと思う。

自民党は政党の活動を助成する目的で国庫から交付される資金、それは税金そのものでもある政党交付金を 40億円以上も使って民主党に対するネガティブ・キャンペーン、つまりは相手のイメージを落とすような宣伝、広告を打ちまくってまで敗北するという惨憺たる状況で、「金返せ」 と言いたくもなるが、あまりにも惨め過ぎて同情してしまう部分もある。

しかし、新総裁を選ぶ段になっても妖怪のような長老議員が幅を利かせて自民党自体は何も変わらない、変われないことを国民の目にさらけ出し、結果選ばれたのがジジイたちの奴隷のような谷垣という有り様を見るにつけ、民主党が余程のポカとしない限りはこれから先、何年もの間にわたって再度の政権交代は有り得ないだろうということが脳裏をよぎる。

数年後には自民党など影も形もないくらいに瓦解し、民主党が 2党に分離して、そっちで二大政党制となっている可能性だってある。

ここは本当に危機感を持って対処しなければいけないということを古い政治家は分かっていないのだろう。

ひるがえって民主党は旧政権である自民党が残した負の遺産が大きすぎて、なかなか思い描いていた通りの政治ができずに苦労しているようだが、ここは毅然とした態度で、まずは自民党が残した負の遺産の整理、腐った部分の除去を行い、その後に民主党が掲げる政治を実行して世の中を作り変えると宣言すべきで、マニフェストに書かれた時間軸が多少はズレて工程表に遅れが出ても仕方ないのではないかと思う。

分かりやすく説明さえしてくれたら国民は多少の時間を民主党に与えるだろう。

それでも少し前の雑感に書いたように、ある程度のスピード感をもって臨まなければ来年の参院選でゆり戻し的現象で大敗する危険性もあるので、あまり時間をかけられないという悲しい事実もあるにはあるのだが。

この難局を乗り越え、国が良くなってきたことを国民が実感できるようになれば、民主党の黄金時代は当面の間続くものと思われる。

似たもの

長いこと同じ環境で生活すると外見やら性格やらが似てくるものらしい。

それは人間同士でもそうだし、動物と人間にも同じことが言えるように思う。

我が家の場合も同様で、『お買い物日記』 担当者と自分は似ても似つかぬ顔をしていたはずなのに、大阪に住んでいた頃に
「二人はきょうだい?」
と聞かれたことがある。

それはどっちが年上に見られたのかなどという問題はさておき、似て見えたのが顔なのか雰囲気なのか。

長年連れ添った夫婦は顔も似てくるものなのかも知れないと思わされるのは楽天ゴールデンイーグルス現監督の野村克也夫妻。

人はどう思うか知らないが、自分の脳の中では二人の顔が完全に一致する。

監督の人相をとことん悪くして、思いっきり厚化粧をすれば見事な野村沙知代のできあがり。

恰幅の良い男性の横に線の細い女性がいて、それが夫婦ということもあれば、もの凄いパワフルなオバチャンの後ろからヤギのようなオッチャンがトボトボと付いていくような夫婦もいるので一概には言えないと思うが。

しかし、ペットに関しては間違いなく飼い主に似ると思われる。

一説によると飼っている間に似るのではなく、飼い主が自分に似たペットを選んでしまうということもあるらしい。

そう言えば千里丘に暮らしていた頃に近所で飼われていたお気に入りの黒い犬はとても大人しい犬だったが、飼い主であるお父さんもとても静かな人だった。

いつも元気な五郎くんのお母さんもとても元気な人だった。

線路沿いのお宅で飼われていたパグのお父さんは失礼ながらパグにそっくりな顔をしていた。

過去を思い起こしても友達の家で飼われていた犬たちは、それぞれ何となく性格だったり顔だったりが友達に似ていたように思う。

猫を飼っている人は何となく雰囲気が犬系よりも猫系だったようにも思う。

現在、隣のお宅で飼われている犬は狸顔で何となく奥さんと似ているような気がしないでもない。

そして、千里丘で住んでいた借家の斜め向かいの家には実に変わった性格の人が住んでいたのだが、そこで飼われている犬も本当に性格が悪かった。

何度顔を合わせても慣れずに吠え続ける奴で、それも飼い主の足元に隠れるようにしながら卑屈な顔をして吠えている。

今までの様々な実体験からも、ペットは飼い主に似る、または飼い主は自分に似たペットを選んでしまうという説には心から共感できる。

子供の頃、実家で飼っていた犬は言うことを聞かず落ち着きがなく、しょっちゅう脱走して 2-3日は帰ってこないという駄犬を絵に描いたようなバカ犬だったが、あれは誰に似たのだろう・・・。

マサルノコト scene 24

思い出そうとしても、それがどういう理由だったのか定かではないのだが、マサルとノブアキの二人が自分の住むアパートを訪ねてきたことがあった。

三人とも暮らす場所はバラバラだったのに、どうしてマサルとノブアキがその町で合流したのか、そして、何の用事があって尋ねてきたのか。

とにかく何だか良く分からないが久々に三人が集まったのである。

最初は思い出話や近況など報告しあい、話しに花を咲かせていたのであるが、なにせ男同士なのでペチャクチャと話すこともそれほど続かない。

ましてや尋ねてきたのが昼間であり、酒が入っているわけでもないので余計に話が盛り上がるはずなどないのである。

そこで何となく家庭用ゲーム機で遊び始めたのが間違いの始まりだったのかもしれない。

選んだソフトはプロレスのゲーム。

無類のプロレス好きであるマサルは目の色を変えて遊びに没頭し始めた。

自分はゲーム制作会社に身を置いていたのでテレビゲームなど毎日目にしていたが、普段はゲームなどしないマサルとノブアキにとっては新鮮だったようで、どんどんゲームの世界にのめり込み、必死になって戦いを繰り広げている。

その戦いは終わることを知らず、どちらが勝っても負けても
「もう一回!」
と、どんどん深みにはまっていくようだ。

時間はどんどん経過して、ついにあたりが暗くなり始めた。

その日、我が家で少し遊んだ後はマサルの運転する車にノブアキを乗せて、三人共通の故郷まで帰省する予定でいたのだが、すっかりゲームに夢中になってしまった二人は予定を変更して泊まっていくと言い出した。

そのころの我が家には常に誰か彼か友達が遊びに来ており、夜を徹して遊ぶことなどざらだったので二人が泊まっていくのに何の支障もない。

とりあえず晩御飯がてら居酒屋に行き、しこたま食べて飲んで語り明かした。

帰宅後は再び戦いが始まり、それは深夜にまで及んだので翌朝早くに出発できるはずがない。

何となくテレビゲーム機の電源を入れ、戦いが始まるともうだめだ。

「もう一回!」
が部屋にこだまし、エンドレスに戦いは続く。

結局、マサルとノブアキが何泊したのか、どうやって帰省したのか、はたまた本当に帰省したのか今となっては思い出せもしないが、それからしばらくの間、マサルの母親から
「君と遊んでばかりでさっぱり家に帰ってこない」
と責められたものだった。

自分の場合もそうだが、帰省して親の小言を聞いているより友達と遊んでいるほうが楽しいに決まっている。

そんな訳で帰省のたびに三人で会い、酒を酌み交わす日々はまだまだ続いていくのであった。

ところ変われば

北海道に帰ってきて 1年と 7カ月が経過したが、今でも時々は大阪に住んでいるような感覚を覚えることがある。

それがどういうタイミングで感じるのか定かではないが、例えば買い物をしているときなど周りの買い物客の会話が耳に入ってくることがあり、その言葉を聴いたときに関西弁ではないのを不思議に思う瞬間があるのである。

ここは北海道であり、大阪から帰ってきたのだと実感できる瞬間だ。

この町にも様々な土地からやってくる人があり、稀にではあるが関西弁で話す夫婦もおられるので、その会話を聞いてひどく懐かしく感じたりもしている。

一般的な生活をしていると関西弁に触れる機会などそうあるものではないが、テレビを見るとそこには関西の言葉が溢れている。

テレビ局自身が番組制作能力を失い、ジャニーズ事務所やら吉本興業が企画制作する機会が多いので、おのずと関西人の露出が多くなる。

おまけに以前の独り言にも書いたように北海道では多くの関西ローカル番組を見ることができるので、ここでも関西弁を聞くことができる。

そして極めつけは日本ハムファイターズの野球中継、ファイターズにまつわるテレビ番組だ。

北海道に帰ってきて驚いたのだが、ファイターズの扱いが関西における阪神タイガースの扱いとほぼ同等であり、デーゲーム、ナイターを問わず試合があればテレビ中継されることが多く、その結果を伝えるファイターズのためのテレビ番組もあり、北海道ローカルのワイドショー、バラエティ番組にはファイターズのコーナーもあるし、深夜には録画の試合を放送していたりする。

「こんなことになっていたのか」 と愕然とすると同時にもう一つ驚いたのが、2006年に現役を引退して阪神を退団した片岡篤史がシーズンの間、ほぼ北海道に常駐してテレビに出まくっている。

さらに大阪府八尾市出身でバリバリの関西人である岩本勉も片岡以上に北海道に入り浸り、テレビでの露出度は極めて高い。

二人ともファイターズ出身であるとは言え、すっかり北海道に根付いてレギュラー番組まで持つ超有名人となっているのは驚きだ。

大阪に住んでいたころ片岡は阪神タイガースで現役だったし、2005年に引退するまで岩本の姿もテレビで良く見ていた。

そんな二人を北海道に帰ってきてまで見ることになろうとは、誰が想像し得ただろうか。

昔から 「ところ変われば品変わる」 と言い、土地が違えば、それに従って風俗、習慣、言語などが違うものであるし、水も空気も食べ物も変わるものである。

食べ物に関しては少し前の雑感に書いたように味の違いを実感しているが、近所づきあいも少なく家にこもりっ放しで会話も少ない自分には言葉の違いを実感する機会が少なく、テレビから流れてくる言語は圧倒的に関西のものが多いので、いまだに北海道で暮らしていることを忘れる瞬間があるのだろう。

それにしても関西人恐るべしである。

記憶 Memory-01

先月、9年ぶりに帰省して母親と会ってきたが、実は久々の再会を楽しみにするより、ちょっとした恐怖心というか若干の抵抗というものがあった。

何せ会うのが 9年ぶりのことであり、ということは当たり前のことながら、お互いに 9年の歳を重ねたということであり、いったいどれだけ老け込んでしまっているのかと思えば顔を見るのがちょっと怖くもあり、憂鬱でもあったり。

しかし、長いこと顔を見せない親不孝をしていたのは自分であるからして、たとえどれだけ老け込んでヨボヨボの婆さんになっていようと現実として受け止めなければならないのであり、今さら帰省を取りやめることなどできるはずもないのだからと覚悟を決めて実家に乗り込んだ。

実際に会ってみると見た目は以前とさして変わらず、さすがに多少は老けた顔をしているものの、覚悟していたような老け込み方はしていなかったので少し安心したり拍子抜けしたりした。

見かけはさほど老化は進んでいたなかったものの、悲しいかな確実に老化は進んでいるようで、帰るたびに同じ話を何度も聞かされるのは仕方のないことか。

そこで 「それは前に聞いた」 とか 「何回も同じ話をするな」 と言うから喧嘩になるのであって、とりあえず聞いているふりをしていれば丸く収まるということを最近になって学習した自分は聞き役を 『お買い物日記』 担当者に任せてテレビを見たり持参したパソコンに向かったりしていた。

それでも時々は聞こえてくる会話に耳を傾けると自分が子供の頃、赤ん坊の頃のことにまで話が及んでいる。

聞くとはなしに聞こえてくる会話ではあるものの、思考は生まれたばかりの遥か以前の記憶をたどっていた。

たぶん、生を受けてから今までで最も古い記憶、それは目の前に鉄格子のような柵があり、その向こうで父親が床に広げた新聞をあぐらをかきながら読んでいる記憶。

そして、自分がいる場所のすぐ右側からは食器のカチャカチャいう音がする。

たぶん台所があると思われるのだが、位置関係からそれを見ることができない。

その鉄格子を越えて自由に動きたいとか、父親のそばに行きたいとか感じている訳ではなく、ただボ~っとその光景を眺めている記憶。

それは母親に言わせると、生まれたばかりのときに住んでいた官舎であり、台所のすぐ横にあった二階に上がるための階段のことではないかと。

台所仕事をしている時にチョロチョロと動き回ってストーブを触ったりしてはいけないと、ちょうど寸法が一緒だったベビーベッドの柵を外して階段の上り口に取り付け、その中に自分を入れておいたのだという。

まだ自力で階段を登ることはできず、ベビーベッドの柵も越えられないので中に入れておけば安心だったのだそうだ。

それをしていたのは生後半年くらいから一歳半くらいまでの間だったとのことで、母親は 「そんな小さい頃の記憶があるはずがない」 と疑うが、自分の脳にはハッキリとした映像と音声が刻み込まれているのである。

生まれ育った町に帰り、その陽射しを浴び、その空気を吸うと様々な記憶がよみがえってきた。

自分が歳をとって忘れてしまわないうちに、これから少しずつ書き留めておくことにしようと思う。

老いたるは

09/08 の独り言に書いたように、最近は目の疲れが激しく、とうとう目薬に頼るような有り様だ。

7-8年くらい前までは視力の衰えなどそれほど感じておらず、むしろ目が悪いということが何であるかすら分らずに困っていたくらいだったが、今は人に聴かなくても 『見えない』 という状況がどういうことであるかを思い知らされるように経験しているし、パソコン画面から視線をずらすとなかなか焦点が合わなかったり、夕方になると目がかすんできたりするのも嫌と言うほど味わっている。

数年前から視力の衰えと疲労感は意識していたので毎朝のヨーグルトにブルーベリーを入れて食べたりしていたが、ここのところは目の老いる速度が効果を遥かに上回り、一日にブルーベリーを 326オンスくらい摂取しなければ間に合わないのではないかという勢いに迫っている。

そこで目薬の登場と相成ったわけであるが、それまで滅多に使ったことなどないので使用法が分からない。

いや、いくら何でも目薬の入れ方くらい分かっているのだが、一日に何度くらい使って良いものやら見当もつかないのである。

家にあった目薬は何年前に購入したものか分からないが、説明書はおろか外箱も捨ててしまっているので手がかりすらなく、ネットで調べてみても成分などは表記されているものの用法までは載っておらず、あちこちのページを閲覧していたら余計に目が疲れるという間抜けな結果になってしまった。

とりあえず夕方と就寝前の 2回くらい使ってみることにしたのだが、その効果はてき面で、点眼したとたんに視界が広がり、少し離れている物もくっきりとクリアに見える。

日に 2回も使用して良いのか悪いのか手探り状態で点眼していたが、幸か不幸か目薬の残量は思いのほか少なく、すぐに使い切ってしまったので薬局で新しいものを買い求めた。

その際に選択したのは、もちろんオッサン用の目薬であり、若者が 「キターーッ!」 とか叫ぶような刺激の強いものではないが、その説明書を熟読してみたところ、日に 6回、つまり 3時間に一回くらい使っても良いことが分かった。

ならばビクビクしながら点眼する必要などなく、ちょっと疲れたと思ったらドバドバと眼球に流し込んでやれば良いのであり、別に恐れる必要などないのである。

一日に 12時間もパソコン画面を見ていなければならないのは、それが商売であるにせよなかなか過酷なことであり、それを 20代から続けていて良く今まで持ちこたえたものだと思う。

外を歩いたりテレビを見たり、本を読んだりパソコンに向かったり、普通に生活するぶんにはまだメガネを必要とするほどではないので、変な話ではあるが目は丈夫なほうであったのだろう。

2001年の雑感にも書いたように警戒すべきは視力の低下よりも老眼だったのだが、恐ろしいことに確実に老化は我が眼球にもおよび、近くのものが見えなくなってしまったのである。

普通の生活をしていて唯一困ること、それは爪を切るのに時間がかかることである。

何せ近くが見えないものだから、おのずと爪を切る手と切られる手が徐々に目から離れていく。

しかし、あまり離れすぎると今度は遠くて細かな部分が認識できない。

ほとほと自分の目に愛想が尽きて困ってはいたのだが、できることならば最後の手段はとりたくなく、必死に目を見開いて指先を見つめ、怪我などしないように心がけながら爪を切っていたのだが、あまりにも時間がかかって爪切りを握る手が疲れでプルプルと震えだす始末であり、焦点を合わせるためにどんどん遠ざけていた手も伸びきってしまい、これ以上は遠くにできなくなる日も近いのではないかと思われる。

こうなればもう致し方ないだろうと、先日の買い物でとうとう覚悟を決めて老眼鏡を購入した。

自分がどの程度のものであるのかを試すために生まれて初めて老眼鏡をしてみたところ、全身に衝撃が走り、愕然とその場に立ち尽くしてしまった。

手元がもの凄く良く見える。

今まで郵便局や市役所、銀行などの書類を記入する場所に 「ご自由にお使いください」 と老眼鏡が設置されているのを見ても 「ふんっ」 と小馬鹿にしていたものだが、この衝撃を体験してしまうと馬鹿になどしていられない。

まだ書類を書く際に老眼鏡は必要ないが、近い将来、いや、もしかすると明日からでも必要になったりするのかも知れず、その場に設置されていることを感謝するかもしれない。

ついにオッサンの目薬、ついに老眼鏡。

急に衰えを実感できるようになった今、少しずつ自分の体をいたわりながら過ごしていこうと静かに思ったりしているところである。

夏の終わりに

そろそろ本格的な秋に向かいつつある北海道。

急に寒くなるわけではなく、これから 10月の下旬くらいまで少しずつ、少しずつ日が短くなり、気温も低くなってくる。

大阪に住んでいた頃、何度となく 「春が短い」 とか 「秋が短い」 と 『管理人の独り言』 に書いたものだ。

実際、昨日まで寒かったと思ったら今日は急に暑いとか、昨日まで暑かったのに今日は急に寒いとかいうことがよくあった。

それは北海道の気候は気持ちの良い時期が長いため、余計に感じていたのかもしれない。

ゴールデンウイークあたりから 7月中旬までの 2カ月半、ギンギンに暑くなることもなくポカポカとした陽気に包まれる。

そして 8月中旬から 10月下旬までの 2カ月半、極端な残暑も寒さもなく暖かい太陽の光が射し、乾いた空気が大地を駆け抜ける。

もちろん、日によって多少は暑かったり寒かったりするが、全般的には気持ちの良い気候が続く。

本当に暑く感じる夏は 7月中旬から 8月中旬の約一カ月間だが、それでも真夏日になるのはほんの数日で、猛暑日になることなど数年に一度くらいなものだろう。

冬は 11月から 4月まで半年間も続くが、ずっと寒いわけでもずっと雪があるわけでもない。

以前から言っているように寒さに対しては厚着をするなり暖房するなりして対抗する手段がある。

ところが暑さに対しては薄着にも限度というものがあるし、さらには冷房の空気が苦手な自分にとっては抵抗のしようがない。

つまり自分は暑い場所より少しくらいは寒い場所のほうが生息に適している訳である。

いくら涼しさを好むとは言え、今年の気候は本当に異常だった。

7月は気象庁が異常気象と認定するくらいの日照不足と降雨量で、太陽の姿を見たことなどほんの数日しかない。

8月の後半は例年に近づいたものの、前半は曇りや雨の日が多かった。

お買い物日記』 担当者も独り言に書いているように、せっかく扇風機を準備したのに一度も使わないまま夏が終わってしまった。

寝苦しい夜に備えて冷凍庫にはアイスノンがキンキンに冷されているが、暑くて眠れない夜など皆無である。

いくら暑さに弱いとは言え、やっぱり夏は夏らしく、多少は暑くなってもらわなければイマイチ気分が盛り上がらない。

来年の夏は、異常気象と呼ばれない程度にしっかりと暑くなってもらいたいものである。

審判の日

審判の日は明日。

第45回衆議院選挙の投票日を迎える。

マスコミが騒ぐほど民主党の圧勝にはならないような気がするが、自民党が敗北するのだけは間違いないことだろう。

何年間も既得権益、私利私欲にまみれて国民不在の政治をしてきた罪に対する裁きを受ける。

今さら明るい未来を描いたマニフェストを用意して自民党なら、自民党だからできるなどと、うわ言のように連呼したところで誰も耳を貸すはずがない。

まるで決戦前から下野したかのごとく民主党批判を繰り返す選挙戦術は下品きわまりなく、窮鼠猫を噛みたくても噛めずにジタバタともがき、負け犬の遠吠えのようにギャーギャーわめいて声を嗄らしているのには哀れみさえ漂う。

ここまで徹底的に無残な姿をさらけ出すと若干の同情票が集まり、投票の当日になって有権者の意識に若干の変化が現れるかもしれないが、今の流れは強すぎて自民党に向かうのはごく僅かでしかないものと思われるので大勢に大きな影響を及ぼすことはないだろう。

民主党が主張する脱官僚は理想だが、政治家だけで国を動かすのも簡単なことではないのだから、上手に官僚を使いこなすか危機感を持たせることが重要だと思われる。

そういう意味からも政権交代は重要で、何も民主党が良いわけではないが、いつまでも自民党の顔色を見て仕事をし、自民党議員を手玉に取っていれば省庁は、国家公務員は安泰だという現実を打破することができる。

それが良いことか悪いことかは別にして、他国のように政権が変わったら官僚も総入れ替えになるくらいの大規模な人事異動をすれば良いのである。

自民党よりの官僚、民主党よりの官僚が総入れ替えになれば、次期選挙で敗北しないように、そして自分の身が可愛いのであればなおさら国を良くするように身を粉にして必死に働き、有権者の支持を得られるように頑張り抜くだろう。

くだらない税金の使い方をしたり、国民を馬鹿にするような政治や仕事をしていると次の選挙では政権交代となって議員はただの人となり、官僚も人事異動で首が飛ぶ。

官僚組織の中に自民派と民主派ができれば互いが互いを監視、悪く言えば足の引っ張り合いをするだろうから天下りや税金の無駄遣いも減るのではないか。

国民が納得し、支持が得られる政治、仕事をしなければ自分の立場がなくなるという緊張感を持てば必死に国を良くしようとするだろう。

そういう意味から有権者さえその気になれば、いつでも政権はひっくり返るのだと言うことを政治家や官僚に見せつけておかねばならない。

とりあえず今回は民主党政権になりそうな勢いだが、それが現実となったら私利私欲を捨てて必死に頑張っていただきたい。

来年には参議院選挙がある。

大きな緊張感とスピード感を持ってやらなければ国民は再び大きな決断をするだろう。

そうなれば衆院民主、参院自民という現在とはまったく逆のねじれ国会になってしまい、政権運営に大きな障害となって重くのしかかる。

政治家でいられること、第一党でいられること、官僚でいられ、税金から給料をもらえることは、すべて国民のための政治をし、国民のために仕事をしての結果だと言うことを胸に刻んでいただきたいものである。

想い出の居酒屋 其の玖

想い出の居酒屋 おしながき

その店に最後に行ったのは 1995年、実に 14年もの時が経過してしまっていたが、今まで数々の思い出を残したその店はどうなってしまったのか。

昨年の今日、つまり、2008年の 8月 22日は 『お買い物日記』 担当者の入院二日目で外泊許可がでた日で入院した場所は札幌、あの居酒屋のある町なので、晩御飯をかねて行ってみようと二人で話し合い、地下鉄に乗って最寄り駅に向かった。

その駅は通勤で使っていた駅なので通い慣れているし、駅構内も変わっておらず、出口から外に出て向かうべき方向も体が覚えている。

ところが目の前に広がっているのは記憶にない風景であり、離れていた 14年間で建物がすっかり建て替わって高層化が進んだようで、見える空の面積が極端に狭くなっている。

進んでいる方向に間違いはないはずなのだが、あまりにも町並みが変わってしまったので曲がるべき道が分からない。

店に行くには今進んでいる方向から右に曲がらなくてはいけないのだが、どこの角を曲がるべきか目標がないのである。

それでもそこは通いなれた道、目視に頼ることなく勘と感覚だけを頼りに先に進む。

ビル群を抜け、少し歩くと見慣れた光景が目の前に広がる。

そう、間違いなくあの店がある道だ。

この道をあと数百メートル進むと決して綺麗でもない小さな店があるはずだ。

しかし、ここまで来て急激に不安が胸いっぱいに広がる。

さんざん世話になった店とは言え、その業種は水商売、10年も 15年も続いている保証などあるはずがないし、加えてマスターとママは 『其の肆』 でも触れたようにママが 10歳以上も年上という夫婦であり、二人仲良く暮らしているとも限らない。

まして、この 15年の間にはバブル崩壊、ITバブル崩壊という未曾有の経済危機が日本を飲み込み、飲食店も大きなダメージを受けているので、それらを総合して勘案すれば、むしろ店が残っている確率のほうが極端に低いのではないかとさえ思える。

店に行くのが楽しみなので速く歩きたい気持ちと、もしものことを考えると気が重くて足取りまでも重く感じるような感覚とが入り交じった不思議な状態のまま歩を進める。

店の周りは変わっておらず、昔からあった建物や商店に明かりが灯っているが、目を凝らしてみても店があるはずの建物は薄暗く、看板に明かりが灯っておらず、赤提灯の明かりも見えない。

『お買い物日記』 担当者と二人、「やっぱり・・・」 と言いながら、それでも店がどうなっているのか確認だけはしておこうと近づいて行った。

すると暗い店の前でしゃがみこみ、鉢植えの花に水をやっている人の姿があり、なんとそれはママだった。

ほぼ同時にママもこちらに気づき、ただ呆然とこちらの顔をながめている。

「こんばんは」 と言うと、ママは店に飛び込み、大声で 「めずらしい人が来たよ~」 と叫んだ。

店が暗かったのは、まだ時間が早く仕込みの途中であったことと、折からの不況で少しでも節電しようという意識の表れだと言う。

店内は何ひとつ変わっておらず、マスターもにこやかに迎え入れてくれた。

そう、ここが心の故郷、どんなに小さくても決して綺麗ではなくても心から安心できる空間。

そして、色んな想い出が詰まり、あふれかえりそうな小さな空間だ。

様々な想い出話に花を咲かせ、久しぶりの味を思う存分に楽しんだ。

そして、札幌に来た理由を話すと、実はママもガンにかかり、大きな手術と抗がん剤治療を受けたのだと言う。

「今の医学だったら大丈夫、絶対に治るよ」 と勇気づけられ、「手術だけで済んだら一カ月後くらいにくる。来なかったら抗がん剤治療を受けるんだと思って」 と言い残して店を後にし、それから丸一年が経過した今も顔を出していないので治療を受けたのだと分かっていてくれることだろう。

来週、遅まきながらの夏休みをとり、帰省した帰りに札幌に寄って一泊する。

そのとき、一年ぶりに店に寄ってくるつもりだ。

店とのつながりが現在進行形になったので、もう想い出の居酒屋ではなくなってしまった。

これの続き、『想い出の居酒屋 其の拾』 を書くのはいつの日になることだろう。

老化の弊害

08/01の雑感にボケ度合いが進んでいることを書き、それでも二人同時にボケたなら、それはそれで良いのではないか的な意味合いで文章を結んでいるが、果たして本当にそうなのだろうか。

あれからまだ二週間しか経過していないのに、すでに色んなことを何度も忘れ、二人の頭の上には大きなクエスチョンマークがボヨンボヨンと浮かんでは消えたりしている。

今日の昼食は冷麺を食べたのだが、去年は冷麺を食べたのか食べていないのか。

お買い物日記』 担当者の入院などもあり、ただでさえ衰えた記憶力に忙しさが加わって食事のことなど余計に記憶が薄れている。

第一、2-3日前の食事を思い出すのでさえ時間がかかり、脳をフル回転させなければ記憶を引き出すことができないのに、一年前に何を食べていたかなど 1psec(ピコ秒) の記憶もあるはずもなく、逆立ちしたってヘッドバンギングしたって思い出せるはずがないのである。

どんなに記憶力が悪くなろうと、仕事や生活に支障がなければかまわないだろう。

仕事でプログラム命令のスペルを忘れても調べたら分かることだし、約束ごとも手帳にメモするとか携帯電話にでも登録しておけば忘れることはない。

普通に生活していて一週間前の記憶が定かではなくても、それが原因で大きな問題が発生することはないだろう。

しかし、普通ではない状態、たとえば何らかの事件に巻き込まれて犯人と疑われた場合、アリバイを聞かれたところで何も思い出せない可能性が高い。

3日前、一週間前なら油汗を 6ガロンほど流して考えれば何とか思い出せるかもしれないが、一カ月前ともなるとお手上げ状態だ。

おまけに自分の場合は自宅にこもりっきりで散歩とちょっとした買い物の荷物持ちくらいしか外出しない。

薄暗い警察の取調室、ネズミ色したスチール製の机に裸電球のスタンド、金属製の灰皿にはタバコの吸殻が山のようになっており、ネクタイを緩め、くわえタバコの刑事が脚を組んで
「一カ月前の 7月 15日、どこで何をした!?」
などという昭和の刑事ドラマ丸出しのシチュエーションで迫られても何も思い出すことはできないだろう。

「ずっと家の中にいました」
「外出はしていません」
「何を食べたのかも思い出せません」

そもそも家から出ることがないので、ずっと外出していないことを証明してくれるのは 『お買い物日記』 担当者のみであり、第三者がアリバイを証明してくれることなど有り得ない。

仕事に関する e-mail の送受信記録は残っているだろうが、何せデジタルな情報ゆえに本人ではなくても取り扱い可能なのが弱い点だ。

つまり、間違いなく自分が文章を作成し、その時間にみずからの手によって送信したことなど証明できない。

これで記憶が鮮明であれば、昼食は何時から始めて何を食べ、見ていたテレビでは何を伝えており、その時どんな会話をしたのかを事細かに説明し、なおかつそれが 『お買い物日記』 担当者の記憶と寸分の違いもなければ少しは信憑性も増すというものだ。

しかし、まことに残念ながらボケボケ二人組みでは、そんなことは望むべくもなく・・・。

自分の周りで妙な事件などが起こらないことを願うばかりである。