想い出の居酒屋 其の捌

想い出の居酒屋 おしながき

以前の店から数えると、ママと知り合って 7年くらいは経過しただろうか。

貪欲な胃袋を満たし、金のないときは安い料金でたらふく食べさせてもらい(其の参照)、会社を辞めるために辞表を書いたのもその店だった(其の参照)。

仕事の話は一切せず、いつも楽しく酒を飲んだ(其の参照)。

店が変わってからも毎週のように通い続け(其の参照)、注文していないものやメニューにないものまで食べさせてもらった(其の参照)。

訳の分からない話で盛り上がり(其の参照)、時には謎の歌を歌ったり店主の自室で飲んだりもした(其の参照)。

まだ若かったこともあるが、その時はこれから先も何も変わらず、いつまでも似たような時間が流れるように思っており、それが終わりを告げることになろうとは夢にも思っていなかった。

そう、会社から大阪本社への転勤を命ぜられるまでは。

前の会社から通して 10年も付き合っている仕事仲間たちと別れるのは辛く、長年に渡って通い慣れたその店で、食べ慣れたものを味わえなくなるのも辛かった。

しかし、そこは悲しきサラリーマン。

会社の命令には逆らえず、途中まで進んでいた歯の治療も突貫工事で終わらせて、転勤の準備を開始した。

そして、気の合う仲間と最後の食事をしたのはもちろんこの店だ。

他部署の人間も集まって開いてくれた送別会は別の店だったが、やっぱり最後に本当に心から楽しめるのは、いつもの仲間といつもの店だ。

自分も店の大将もママも、しんみりするのは好きじゃないので相変わらずの大笑い、大騒ぎしながらその店で最後の夜を過ごした。

そしてそれから数日後、楽しかった店、愉快な仲間、住みなれた町に別れを告げて乗り込んだ飛行機の機首は西へ。

翌年、出張で元の職場を訪れて二泊目の夜に店に顔を出したが、仲間のみんなとではなかったのでイマイチ盛り上がりに欠けた。

その翌年、さらに次の年と、帰省の途中で寄っては見たものの、いつもタイミングが悪くて定休日の曜日ばかり。

店の前まで行ってはみたが、店の戸は固く閉ざされ中には灯りもない。

とりあえずは寄ったという証にメモを入れておいた。

そのうちに帰省に利用する空港を変えたため、その店のある昔住み慣れた町を通過することさえなくなってしまった。

そして、店は記憶の中で当時のまま時が止まり、想い出の居酒屋となってしまったのである。