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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

転勤の条件 転勤の条件

  06/22 の雑感の終わりでも少し触れたが、大阪に住むようになったのは仕事での転勤が原因だった。06/22 の繰り返しになってしまうが、転勤を打診された時は父が腎臓ガンのため入院中で、手術が不可能なほど増殖が進んでいた。そのガン細胞がリンパ腺に乗ってしまったため他の臓器への転移も早く年を越せるかどうかという状況だった。

  会社にはその旨を伝えて翌年の春まで転勤を待ってほしいと願い出たが、「本社は君の力を必要としている」 などとおだてられ、「来年になって必要なくなったらどうする」 と脅されてしまった。それでも固辞していると、相談役と呼ばれる ”長老” にまで 「命令を断るということは職を辞するということだ」 と脅しとも助言とも取れる最後通告を受けて転勤を決意した。

  10月から大阪での暮らしが始まり暮れも押し迫った 12月 26日、父が永眠した。・・・と、どよ〜んとした暗い話はここまでである。こちらの願いも空しく転勤を迫られてまで黙って素直に従う性格ではない。それからというものは半分は冗談、半分は本気で嫌がらせとも受け取れる 『転勤の条件』 を会社に突きつけてやった。こっちが無理をしてまで行くのだから、そっちも無理をしてくれという気分だったのである。

  条件を突きつけたといっても給料やボーナスを上げろとか、出世させろなどといった待遇のことではない。要求は住居に関することである。総務部から希望を聞かれたのでワープロ打ちで 100 の条件を作成した。これでは単なる嫌がらせだが、実際には 1 から 100 まで番号をふったものの、最初の 1 から 5 と 95 から 100 に条件を書いただけで 6 から 94 までは空欄だった。

  要求した条件は 『建物の最上階であること』 これは、以前住んでいたマンションで上の階の住人があまりにもうるさく、ほとほと困り果てた経験があったからである。以前の雑感にも書いたが、その住人はうるさいことこのうえない。普段の生活ですらうるさいのに尋常ではない夫婦喧嘩(と思われる)まで勃発する始末で、家にいても心穏やかにくつろげる状態ではなかった。そのため最上階を望んだのである。

  次の条件は 『南向きの窓』 これは贅沢でも何でもなく、普通に人が望むことだと思う。次は 『駅の近く』 以前は駅まで徒歩 2 分という場所に住んでいたため 「バスで駅まで行き、そこから乗り換えて」 などという生活は想像もできなかった。次には 『通勤時間 30分以内』 これも、それまで住んでいた街はそれほど大きくなかったため、東京や大阪の人が 1時間も 2時間もかけて通勤するのが信じられなかったからだ。

  次は 『買物に便利』 という条件だが、退社時間が不規則な仕事だったため、駅または自宅近くに遅くまで営業している店がなければ困ってしまうのだ。ここまでは順調に要求項目を埋めていったのだが、まだ 5項目しかない。冗談半分とはいえ、まだまだ厳しい条件を突きつけて会社を困らせてやらなければ気が収まらない。しかし、腕組みをして 「う〜む」 と考えはしたが頭には何も浮かばなかった。

  最後のささやかな抵抗としてモスバーガー、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツが近くにあることという 3 条件を書き加えた。今はそれほどではないが、当時は毎週のように食べていたので、やはり近くにあった方が便利だったのである。その他にも要求項目は書いたと思うが忘れてしまったので重要な条件ではなかったのであろう。

  書き終えたものを総務部に FAX すると担当者から電話があり 「全部の条件が必要ですか?」 と言ってきたので 「必要じゃ〜!」 と言ってやった。そして今、要求した条件のすべてが満たされたところに住んでいる。駅から徒歩で 10分以内の最上階で居間の窓が南側に面し、買い物にもファーストフード店にも恵まれた場所。総務部の人間や不動産屋さんは苦労したかもしれないが、現状に満足している。

  変わってしまったのは、中でも大好物だったモスバーガーがなくなってしまったことと、職場が変わって通勤に一時間もかかってしまうことくらいだろうか。それでもファーストフード店を利用する回数はめっきり少なくなったことだし、通勤は読書時間として適しているのでストレスは感じていない。現状に大きな不満はないので、これからも当分はここに住み続けることになると思う。

  そんなこんなで 『転勤の条件』 に合致した場所に住み、居心地が良いため今も居座っていたりするのであった。

2003 / 07 / 06 (日) ¦ 固定リンク


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