想い出の居酒屋 其の陸

想い出の居酒屋 おしながき

例の通り、仕事の話禁止令が発動される中、ただひたすらにくだらない話で盛り上がり、酒と料理で胃袋を満たす日々。 それが何年も続くとさすがに話題にも事欠き、同じ話を何度も繰り返す事態に発展してくる場合も多い。

それは酔いのせいもないことはないが、ほとんどの場合は漫才や落語のネタのように毎度おなじみのパターンであり、水戸黄門でいつも決まった時間帯に助さんや格さんが印籠を出すのにも似た偉大なるマンネリズムのようなものだ。 第一、しらふであっても仕事以外はくだらない話に終始していた。

グリコ森永事件が世間を震撼させていた頃、店でチョコレートを指差し、「気をつけろ!このチョコに毒が入っているぞ」 とネタをふり、「それイチゴ(苺)って読むんです」 という会話も常態化していたし、「港(みなと)じゃ有名な話だ」 などと巷(ちまた)をわざと読み違えたりもする。 そんなグダグダな仲間が酒を飲むと、もっとグダグダになってしまうのは言うまでもない。

条件反射の代名詞として 『パブロフの犬』 という実験がある。 必ず犬に餌を与える前に鈴を鳴らしていると、犬は鈴の音を聞いただけで唾液を分泌するようになるというものだが、いつも決まったパターンの会話を続けていると、ツッコミもパターン化しており、「お前はパブロフの人間か」 と攻めると 「あ~、あの犬が餌食っているの見ると鈴鳴らしたくなるやつ」 という返しのボケまでパターンに組み込まれる。

たまにボケではなく本当に間違えることもある。 月面への第一歩を踏み出したのはアームストロング船長だが、それを 「ルイ・アームストロング船長」 と言って大笑いされたやつがいる。 実に惜しい。 正確にはニール・アームストロング船長であり、ルイ・アームストロングはサッチモと呼ばれた 20世紀のポピュラー音楽における偉大ななミュージシャンである。

その間違いが縁で彼はルイ・アームストロングの CD を購入し、愛聴することになったが、そこまでを 1セットとして酒を飲みながら長く語り継がれることになった。 『ツーと言えばカー』 という言葉があるが、我々の間では 『ツーと言えばヨヒョウ』 というのが定番だった。 ご存知、『夕鶴(鶴の恩返し)』 という物語の主人公で、鶴の化身である 『つう』 と夫の 『与ひょう』 からきたものだ。

とにかく一時が万事、まともとは思えず、普段から酔ったような会話を続けており、そこに酒が入ると訳が分からなくなる。 店の大将も呆れ顔で見ていたが、そんな若者たちをよく面倒見てくれたものだ。 店の売り上げにもある程度は貢献していたと思うが、一週間の疲れを笑って吹き飛ばすため、その店では週末の夜に果てしなき狂宴が長く続けられることになったのであった。