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嗚呼日本人 11

嗚呼日本人 ~目次~

最近も休日にはゴロゴロしながら海外ドラマを見たりしていることが多い。

いつも思うのだが、アメリカというのは思い切りの良い国だと関心してしまう。

多くの場合、制作されるドラマや映画の中ではアメリカの敵として国名、宗教名、テロ組織が実名で扱われる。

冷戦時代にはソ連(現ロシア)を名指しで敵として扱っているものが実に多かった。

歴史的事実に基づいて描かれている作品なら実名で当然だが、それがフィクションであろうとSFであろうと敵はソ連であってアメリカの正義、価値観によって相手を悪とみなす。

最近のドラマを見るとタリバンやアルカイダなどの組織も実名、イランやイラクなど国名、イスラム教など宗教名も実名で登場させてアメリカが正義の鉄槌を下す。

そんなことをして抗議を受けたり恨みを買ってしまったりしないのだろうかと心配になるほどだ。

日本のドラマだと、たとえそれがオウム真理教がモデルになっていようと、仮想敵国が北朝鮮だろうと中国だろうと実名を出すことはなく、架空の団体名だったり架空の国名で登場させる。

事を荒立てないように、揉め事は避けたい、抗議などまっぴらゴメンという逃げもあるだろうが、それは日本的な気配り、配慮だったりもするのだろう。

中東を中心に多発するテロはイスラム過激派によるものが圧倒的だが、日本のテレビや映画がイスラム教徒を悪役に仕立てることはない。

それゆえに日本国内では他国のようにイスラム教を弾圧したりイスラム教徒を差別したりする人は極めて少ないものと思われる。

どんな宗教でも文化でも寛容に受け入れるのは昔からのことではあるが・・・。

クリスマスなど最たる例で、キリスト教徒ではなくバリバリの仏教徒だろうと何だろうと妙に浮かれて大騒ぎし、鶏肉やケーキなんか食べたりしながら酒を飲み、子どもたちはサンタクロースを待ちつつ眠りにつく。

今となっては一年で最も盛り上がり、年末ということもあって日本人のボルテージが最高潮に達する日でもあるかもしれない。

最近はハロウィンという古代ケルト人が起源と考えられている祭りまで定着してきた。

秋の収穫を祝うのはどんな民族でも同じだろうし、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いはほとんどなくなっているらしいので日本人が祝っても不思議でもなければおかしくもないが、急激な勢いで根付かれても頭の硬いオッサンは戸惑うばかりだ。

ここ数年、イースター(復活祭)というキリスト教の行事までも取り入れようとする動きがある。

しかし、イースターの日は毎年変わる移動祝日で日程が固定しないことと、それが3月下旬から4月上旬にかけてのことであるため卒園、卒業、新入学、新生活などに関連した商業イベントが目白押しなことが原因でイマイチ盛り上がってはいない。

それでもイースター・エッグになぞらえ、卵業界、卵を使用した菓子やスイーツなどを販売する業者は虎視眈々と機会を伺っているかもしれないし、どんなことにも首を突っ込んでくる寿司業界も太巻きには卵が入っているだのといって乱入してくる可能性もある。

何でも受け入れる日本人なので、これから深く静かにジワジワと広まり、数年後には一大イベントとなっている可能性も否定はできない。

変化を好まない人種と言われつつ、これほど多様な文化を受け入れる寛容さも持ち合わせた不思議の国の住人であればこそ、外部との無用な摩擦を避けるために名指しすることを良しとしないのだろう。

海外では当然の比較広告も極めて少ないのは消費者庁のガイドラインが厳しすぎるのもあるだろうが、それ以前によそ様の悪口を言うことを日本人は好まない傾向にある。

陰口やうわさ話は大好きなくせに、堂々と他と比較して自分のほうが優れているとか、こっちの方が勝っているなどと発言すると、自慢だとか高慢だとか、おごり、うぬぼれだとか言って嫌悪することが多い。

慎ましやかに、波風立てず、表面上は笑顔で外部と付き合うことに重きを置く日本人。

喧嘩している訳ではなく、自分の意見を主張しあっているだけなのに作り笑顔で間に立って
「まあまあ」
と双方をなだめたりして感謝されるどころか呆れられる日本人。

八方美人で主義主張がなく、世界から小馬鹿にされる日本人。

ネイティブな英語を学び、確固たる信念を持ち、主義主張の異なる相手に堂々と意見を言える世代が日本を引っ張っていく時代になれば、各国が日本を見直す日も来るだろうか。

いや、その前に、その世代がリーダーになる頃には日本国内における世界観も大きく変化しているかもしれない。

バリバリの昭和生まれで、大きな変化を好まないバリバリ保守的なオッサンとしては、世の中が激変するのは自分が死んでからにしてほしいと心の中で小さな声で主張してみたりしてみる。

ショウコノコト 2

我が母ショウコは無類の洋服好きだ。

だが、ファッション性に富んでいるとか美を追求しているとか、そういったことではない。

昔から見かけはコロンとしており、背も小さく、雑誌に掲載されているモデルさんとは明らかに異なる純和風な体型の持ち主であるから似合うものは限られる。

それを本人も分かっているのか、ファッション誌などには一切の興味を示さず、ただ自分が気に入ったものを購入するというのが信条だったようだが、その服選びに付き合わされるのはたまったものではない。

子どもの頃から毎週のように洋品店に連れられて行ったが、そこには実に退屈な時間が流れていた。

ショウコは買う服に迷って 1時間も 2時間も試着を繰り返す。

楽しく買物をする大人にとって 2時間などあっという間だろうが、子どもにとっては退屈な、そしてヒマな地獄の時間なのである。

行きつけの洋品店には同学年くらいの子どもがいたので、その子が店にいれば遊んだりもしたが、そんなチャンスは滅多にあるものではなく、常に無味乾燥で虚無な時間が過ぎるのを大あくびをしながら待っていたように思う。

よくもまあ、そんなに洋服を買う金があったものだと今更ながらに思うが、両親とも公務員だったので金持ちではないものの生活に大きな不安はなかったのだろう。

上を見ればきりがない。

当時の日本は好景気で、父方の叔父が勤めていた繊維業、母方の伯父が勤めていた鉄鋼業などは絶好調、給料は公務員の軽く 2倍はあったらしく、両親は二人の給料を合わせても一人分にもならないとボヤいていたものだ。

それでも父親の大酒飲みを除いて二人に趣味と呼べるものはなく、他に金がかからなかったので衣装に家計を回すことができたのだろう。

父親が亡くなり、年金生活となって年老いた今でもショウコは服を買っている。

出歩くことが嫌いな上に足腰が弱ってまったく外出しなくなったショウコを相手に百貨店の経営者が御用聞きとなり、様々な日用品や食料品を調達してくれているが、それだけでは大きな商売にならないとみえて配達の際に服を何着か持ってきては買わせているようだ。

帰るたびに見たことのない服が増え、タンスに入りきらなくなったものが和室の鴨居にぶら下げられている。

外出することもないくせに服ばかり買っても仕方ないだろうとは思うのだが、月に一度の通院、週に一度のデイサービスに行くのにも着ていくものには気を使っているらしい。

多分、前回と同じものは着て行かない、あまり短いローテーションで同じ服は着ないのだろう。

ショウコが白内障の手術をするので帰省した際、病院に 2日続けて同じものを着て行くと文句を言われたのは以前の雑感に書いた通りだが、それは自分がそういうことをしない、したくないから人のことも気になるのだと思われる。

ファッション誌などには一切目を通さないのに妙に流行には敏感で、少しデザインが古くなるともう袖を通したがらない。

何度か袖を通して型崩れしてくるともう着ない。

何となく買ってみたは良いが、実際に着てみると気に入らないものも少なくない。

そうしてまた百貨店の御用聞きが服を持ってやって来る。

そんなこんなで家には着もしない服があふれていた。

そのままにしておくのもいかがなものかと思ったので、
「整理してやろうか」
と聞いたところ、
「うんっ」
という素直な良いお返事だったので、上階にあったハンガーラック 2台を一階に下ろし、そこに掛けられていた服と一階のクローゼットに入れられていた服、そして和室の鴨居にブラブラと掛けられていた服、畳んで床に並べられていた服の中から要不要を選別することにした。

ソファにドッシリと腰を下ろしたショウコを相手に、ハンガーに掛けられた服を一着ずつ見せ、これから先も着るのか着ないのかを判断させる。

そこで少なからず感心してしまったのは、さすが我が母親だけあって選別に迷いがない。

これも以前の雑感に書いたが、物に執着も頓着もしないのが我が家の家系であり、人から呆れられるほどあっさりと物を捨てて過去と決別してしまう。

今回の服選びの際も、次から次に見せる服に対して 「いる」「いらない」 のジャッジが早い。

ホイホイと捨てることにした衣類は山のようになり、普通には処理できそうもない量となってしまったので、前回の廃棄処理でもお願いしてもうすっかりお馴染みになってしまった業者に引き取ってもらうことにした。

今回、廃棄した衣類は総額で100万円近くになるものと思われる。

どうせ数度しか袖を通していない服もあるのだから金の無駄遣いだと思うが、着るものに気を使わなくなってしまったショウコを想像するのは寂しい。

人並みに体が弱り始めてはいるが、見かけだけは若々しいスーパー婆さんでいてくれた方が息子としては嬉しいし、安心もできる。

結局は収まりきらなかったので、ホームセンターに行ってハンガーラックを新たに 1台調達することになってしまったが、何とか残った服をすべて並べることはできた。

もうこれ以上は服を掛ける場所がないので、
「店の人が服を持ってきても安易に買わないように」
とショウコに言い渡すと
「うんっ分かった」
と元気に答えていたが、次に行った時にはまた整理しきれなくなった服が床に置かれているのではないだろうか。

そして、それよりも恐ろしい事実が存在する・・・。

今回整理したのは 1階のクローゼットとハンガーラックから溢れていた服と 2階にあった 2台のハンガーラックのみ。

実はまだ、上階には複数の、それも大きな洋服ダンスが 4-5台あり、その中には山のように洋服が眠っていたりするのであった。

ショウコトレイコノコト

帰省中に雑感を書くのは二度目のことだ。

前回はタブレットでの入力だったにもかかわらず長文になってしまった

今回はパソコンからの入力ではあるが、短文で終わらせようと思っている。

実家といえば、当然のことながら主役は我が母ショウコだ。

あれだけ元気なスーパー婆さんだったショウコも足の痛みには勝てず、今は横になっていることが多くなったので足腰は極端に弱り、まともに歩くことのできない状態になってしまっている。

しかし、本人は治る気満々で、
「足が治ったら亡くなった○○さんの所に香典を届けなきゃ」
などと言っている。

ショウコ自身が、いつ香典をもらってもおかしくない年齢になっており、今は寝たきりになりはしないかと周りに心配されているというのに本人にはまったく自覚がない。

変に弱って心まで折れ、そばにいてほしいと言われるよりマシではあるが、もう少しは婆さんらしくできないものかと呆れてしまう。

この街で唯一の身内であるレイコとは二か月ほど前に大喧嘩し、現在のところ冷戦状態が続いている。

ショウコと同じように足が痛かった人がおり、その人が診てもらった医者は本来であれば足とは関係のないはずの頚椎が原因だということを突き止め、治療してもらったところ見事に回復して今では普通に生活できているという話しを聞いたショウコ。

それはたまたま通っている病院の先生だったが、ショウコの担当医ではなかったため、次の診察の際には担当医を変更して欲しいと病院に申し出た。

それを聞いたレイコは
「なんたる無礼なことをするのかっ!」
と怒った。

以前にも書いたように定年まで病院勤めをしていたレイコの目には、担当医を変えるなど非常識極まりない行為であると映ったらしく、烈火のごとく怒ったのだろう。

妹から叱られて面白くないのは理解できるが、そこで素直に痛いのが本当に辛いので人から聞いたどんなことでも試してみたい、どんな情報にも頼りたい、だから非常識を承知で担当医を変えてみたいと言えば良いものを、きっとショウコのことなのでレイコに食ってかかったか逆上して怒鳴り返したに違いない。

大喧嘩へと発展した電話口でレイコは
「もう二度とこっちからは連絡しないからねっ!」
と言い放ったとのことだ。

それから二か月、ショウコなりに反省しているのか、レイコに連絡してみようかと電話の前までは行くらしいのだが、何と言ったら良いのか分からず電話するのを躊躇する日々が続いているらしい。

女子高生じゃあるまいし、モジモジしていないで
「どうしてる?」
と話しかけたら済むことなのに、自分から折れるのが嫌なのか、バツが悪いのか冷戦状態は続いたままだという。

そもそも、いい歳をした婆さん姉妹が喧嘩などしなければ良いのである。

そんな馬鹿らしいことに付き合う気はないので仲裁などしてやらずに放っておくつもりだ。

あの超大国のアメリカとソ連ですら政治的、軍事的な駆け引きを乗り越えたことだし、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツも統一されたのだからショウコとレイコも放っておけば和解に至ることだろう。

いつまでも意地の張り合いをしていて、どちらかに何かがあってから後悔しても遅いのである。

もうそういう年齢であることを二人とも理解すべきだ。

唯一の身内であるレイコと大喧嘩までした今回の一件だが、実はとんでもないオチがある。

知り合いが勘違いしたのか、ショウコが聞き違えたのか、その痛みの原因を突き止めたという大先生の情報は正確さに欠いていた。

知り合いが痛かったのは足や腰ではなく肩だったとのことで、肩であれば頚椎が原因だったというのも遠い話ではなく、普通の医者が普通に見つけられるものだったことだろう。

つまり、ショウコは担当医を変える必要などなかったのである。

だとすれば、ショウコとレイコはなぜ大喧嘩せねばならなかったのか。

曖昧な情報に踊ったショウコが悪かったのか、愚かな姉を責めすぎたレイコの罪なのか。

今回、連絡していないとのことなのでレイコとは会わずに明日の朝には帰路に着く。

またこの街での肉親はショウコとレイコだけになる。

この老姉妹の冷戦はいつまで続くことだろう。

日本人は、その道を極めることにこだわり、それを是とするところがある。

華道、茶道、そして武道。

さらに武道は剣道、柔道、合気道、空手道、弓道などなどに分別される。

それぞれ稽古にいそしみ、精神までも鍛えて作法を学び、その道を極めるのは良い。

ただし、日本発祥のものならいざしらず、海外発祥のスポーツまでにそれが及ぶのはいかがなものか。

野球(ベースボール)を野球道と呼んでみたり、ゴルフをゴルフ道などと言ってしまう日本人。

もっと楽しくもっとエンジョイできないものかと呆れてしまうことも少なくないし、海外の人から見ると真面目すぎる日本人が滑稽に見えてしまうこともあるに違いない。

最近、少し競技人口が増えて人気が出始めているというスポーツ吹矢。

少し前、テレビ番組で紹介し、レポーターが体験取材をしていた。

これは日本発祥の競技であるから日本的なルール、作法があっても仕方ないのかもしれないが、遠く離れた外野席であぐらをかいて見ている自分としては、それがあまりにも度が過ぎていて普及の妨げになっているのではないかと思ってしまう。

画面には『一般社団法人 日本スポーツ吹矢協会』なる団体のお偉いさんだと思わる爺さんが登場し、この競技は礼に始まって礼に終わるとか訳の分からないことを言い出した。

レポーターが吹矢の筒を口に当てて的を狙おうとすると、
「いやいや、まずは的に向かって礼をして・・・」
など言って動作をさえぎり、
「次に筒を両手で持って高く持ち上げて構え・・・」
などなど、いちいちうるさい。

同協会のWebページを見ると、なるほど写真と解説つきで細々と説明されているが、要は射的やダーツと同じで的の中心に当てたら良く、それが目的で、それを競う競技であるはずなので最初と最後の礼と構えなどはどうだって良いはずだ。

それをゴチャゴチャと事細かに作法まで決め、それに忠実に従わせようというのが実に日本らしい。

吹矢というものに少なからず興味がないこともないが、こんな面倒な作法を守るのが絶対条件なら興味は半減どころか限りなく0になってしまう。

吹矢などというものは日本だけではなく世界各地に古来から存在するもので、何もこの爺さんたちが創りだしたものではない。

たしかに元々は呼吸法に力点を置いて健康目的のため始めたものであるらしいので、ある程度は仕方のないことかもしれないが、広く普及させようと思ったり子どもまで楽しめるものにしようと思うならば礼だの構えだのにこだわるべきではないと思う。

ビリヤードにしてもダーツにしても酒を飲みながら軽く遊べるから良いのであって、うるさいことを言わないから楽しいのではないだろうか。

協会の設立など早い者勝ち、言い出したもの勝ちだ。

少し前にブームのようになった漢検、その漢字検定を実施している『公益財団法人 日本漢字能力検定協会』は理事長らが法人の利益を私的に流用してみたり、ファミリー企業4社に250億円も不当に流出させていたりとドロドロの組織だった。

協会の頂点、茶道や華道の家元、道場の元締めなどは、その看板料だけでえらく儲かる。

日本スポーツ吹矢協会も加盟料を徴収したり、用具を公認してみたり、ガイドブックを出版してみたりと、したたかに金集めをしているようだ。

どうも善意、厚意、仁徳だけで普及に努めているのではないドロドロした部分が垣間見える。

そして、日本のみならず世界に競技を広めようと目論んでいるようだが、それには作法が邪魔をすることだろう。

海外の人を相手に
「まずは礼をせよ」
「作法に従って構えよ」
「最後にまた礼をせよ」
などということが通用するとは思えない。

そもそも新しく生まれたスポーツを高貴な物に昇華させ、吹矢道のようにしようというのに無理がある。

権利とか地位にしがみつく爺さんどもの暗躍は老害でしかないのだから、若い世代を登用し、誰もが楽しく参加できるものにすべきだろう。

そして、爺さんたちは別の場所で私利私欲の道を極めたら良いのである。

自分解体新書 - 22 -

自分解体新書 ~目次~

■ まつ毛 その6

また白いまつ毛が生えてきた。

いや、生えてきたという表現は正確ではないだろう。

左目か右目のどちらかには、もう白いまつ毛は常に生えているようになってしまった。

幸いにしてどちらも一本ずつしかないが、少しずつ本数が増え、まつ毛すべてが白くなってしまったら目の前がまぶしくて仕方ないことになりはしないかと少し不安に感じたりしている。

■ 指 その2

右手の人差し指と中指に異変が起こっている。

第一、第二関節くらいまでの皮膚が硬くなり、表面がボコボコしてきた。

何かに負けたか荒れているのかと思っていたのだが、いつまで経っても治る気配がなく、放っておいているうちに一年が経過しようとしている。

痛くも痒くもないし、生活に何の支障もきたしていない。

たまに皮がむけてくる程度なので気にもせず、それゆえに病院で診てもらうこともせずに放置しているところだ。

なぜ右手の二本の指だけなのか考えてみたが、思い当たるのはマウス操作くらいである。

一日に 8時間以上パソコンに向かっており、マウスを使うのは 1/3だとしても日に 2.6時間、それが毎日のことなので年に 1000時間程度ということだ。

それだけマウスに手を乗せていれば皮が硬くなったりするのかもしれないと納得しようと思ったりもしてみたが、マウスは他の三本の指でも支えている訳だし手のひらだって触っているので症状が全体に広がっても不思議ではないのに、人差し指と中指だけというのが不思議でならない。

いつか別件で皮膚科に行くことがあれば医者に聞いてみようと思う。

■ 腰 その3

火曜の朝に痛くなった腰は順調に回復し、今はほとんど痛みを感じなくなった。

腰痛持ちではないが、ここのところ頻繁に腰を痛めている。

もうすっかり年寄りになってしまったので、立ち上がる時に
「どっこいしょ」
などという声が出てしまう。

今年になって続いている帰省は母親の体調不良が原因だが、症状はとにかく足腰が痛いというものだ。

超高齢で骨粗しょう症になっており、自分でも気づかぬうちに背骨を何箇所か圧迫骨折し、骨の間隔が変わってしまったため神経系統に異常をきたしているのが痛みの原因ではないかというのが目下のところの見解だが、実のところ真の原因は分かっていない。

歩くのもままならず、長く立っていられないため食事の用意もできない母親の姿を見ると、やはり人間というのは歩けてなんぼ、目が見えても耳が聞こえても歯が丈夫でも内蔵が丈夫でも、そしてボケていなくても歩けなくなったら不自由この上ないものだとつくづく思う。

そんな訳で、可能な限り毎朝の散歩と軽い室内運動は、これから先もなるべくサボることなく長く続けようと思ったりしている。

■ 肌 その4

実は色白だ。

子供の頃から色が白いためひ弱に見られていた。

髪が長かった若かりし頃は、色白なことも手伝って何度も女性に間違われたものである。

実は父親も色白だった。

酒焼けしていたことと内蔵に難があったので顔は浅黒かったが、体はびっくりするほど白い。

自分も歳を重ねるごとに顔や手は色がくすんできているが、体はびっくりするほど白かったりする。

子どもの頃は外で遊びまくっていたのでそれなりに日焼けもしたが、それでも他の子どもよりは白かったし夏が終われば一気に日焼けは消えてしまう。

今も毎日の散歩で顔や腕は日焼けするが、それでも薄っすらと赤くなった肌が白く戻ることを繰り返して少し茶色くなる程度だ。

北海道の夏は短いが、今年はとくに短く、すでに秋の気配がプンプンと漂って濃厚になってきている。

この夏の日焼けもすぐに消えてしまうことだろう。

通信販売

通販は便利なものである。

どんなに小さな町に住んでいようと、過疎化の進む山村に住んでいようと、どんな離島に住んでいようと送料の差以外は全国どこでも同じサービスを受けられ、同じ品質のものが手に入る時代になった。

日本では普及が思ったほど急速ではなかったネット通販も、今となっては一定以上の売り上げを記録している。

日本で普及が遅れたのは、そもそもクレジットカードの文化が根付いておらず、ネットでの決済手段がなかったことが大きい。

それに加えて臆病な国民性ゆえ、住所登録したりクレジットカード番号を登録するほどネットのサービスを信頼していかったこともあるだろう。

今では有名企業となった楽天も当初は単なるベンチャーに過ぎず、黒船のごとく現れたアマゾンなども含めてどこの馬の骨かも分からない企業のことなど誰も信用していなかった。

加えて日本の有名企業は老舗百貨店も含めてネットビジネスへの参入に積極的ではなかったため、ネット通販では誰もが知っている名の通ったショップ、信頼の置ける企業が存在しなかったことから、なかなか文化が根付かなかったものと思われる。

しかし、今やネット通販は数少ない成長産業で、これからも益々参入企業が増えて消費者にとっては選択肢も広がり、便利な世の中になっていくことだろう。

しかし、テレビやラジオで放送している通販も含め、当たり前のことだが売り手は良いことしか言わないので、消費者は本質を見極めることが大事になってくる。

まずは価格だ。

これは悪意を持ったスーパーなどの実店舗でも同じことが言えるが、特売と銘打っていながら普段と大差ない価格で販売している場合が少なからずある。

20%OFF、30%OFFなどと謳いながら、実は普段から似たような価格で販売しているか、通常¥1,000 → 特売価格¥500などと告知していても普段から¥600くらいで売っているなどということもあるだろう。

実際、数年前にプロ野球で東北楽天ゴールデンイーグルスが優勝した時、楽天がスーパーセールを開催したが、その際には上述したような悪質な行為が多く見られた。

普段からネット通販を利用しており、いつも価格を見比べている人なら気づくだろうが、その特売価格とお祭り気分で初めてサイトを訪れた人には知る由もない。

テレビでよく見る化粧品や健康食品の販売価格にしても、あまりにも適当で笑えてくる。

「今回に限り半額の・・・」
「今回ご注文のお客様に限り、2個で 1つ分のお値段・・・」
などという文言をよく聞くが、それは
「初めてご購入のお客様に限り・・・」
という初回限定のサービスならいざ知らず、そんな限定などなく常に半額だの何だのと言っている。

常に半額で買えるのであれば、それが通常価格であり特価でも何でもないではないか。

むしろ、
「いったい、いつになれば通常価格で売るんだぁ!」
とテレビ画面に向かって絶叫したくなってしまう。

次に気をつけなければならないのはプライバシーポリシー(個人情報保護方針)だ。

どこのネット通販の規約を見ても、プライバシーの保護には万全を期していると書いているが、Aの場合、または Bの場合は、しかるべき手順に則った上でメールアドレス、住所などを利用する場合があると、長い規約文章の中に埋もれるようにひっそりと書かれていたりする。

アマゾンは実にしっかりした企業で、商品を発送する業者、アマゾンに出店している業者が注文を受けた時ですらユーザーのメールアドレスを知らせることはない。

ユーザーと業者を繋ぐのはアマゾンのシステムであり、何か質問があった場合でも互いのアドレスを知らずともすべてアマゾンのサーバーを通して連絡しあう仕組みになっている。

従って、サイトに住所や電話番号、メールアドレスを登録してもサイバー攻撃を受けて情報が流出しない限りは誰にも知られることはない。

ところが楽天はその点がとてもルーズだ。

楽天にユーザー登録し、どこかで買い物でもしようものなら、その数時間後から山のようなジャンクメールが届くようになる。

もちろんサイトから送られてくる宣伝メールが大多数だが、楽天はアマゾンのように堅牢なシステムづくりをしていないので業者にはユーザーの住所からメールアドレス、電話番号まで筒抜けだ。

従って、モラルの低い業者に個人情報を知られた場合は名簿業者に売られることも覚悟しなければならないし、どこの誰か分からないところから低俗、下劣なメールが来るかもしれないことを覚悟しなければならない。

実際、楽天で買物をするようになってからというもの毎日びっくりするような数のジャンクメールが届くようになった。

楽天で買物をする場合は Gmailや Yahoo!メールなど、いつでも捨てられるアドレスを利用すべきだろう。

そして最近、見るたびに腹の立つ通販商品がある。

それは、母親のために開発したという触れ込みで、しみ・そばかすの緩和に飲んで効くと謳う『キミエホワイト』だ。

CM冒頭のセリフ
「私の母になりますがぁ・・・」
・・・なんだ、その訳の分からない日本語は。

「私の母の“こと”になりますが・・・」
であれば理解できるし、母親の写真を見せながら
「こちらが私の母になりますが」
と言うのなら分からないでもない。

今から話すことが母親のことであるという意味であれば、
「私の母になりますがぁ・・・」
は、明らかに間違っている。

で、その母親のキミエさんが悩んで性格まで暗くなっていたのは 6年前の話しらしいが、そこで一発奮起してキミエホワイトを完成、販売したのであれば息子である社員は超ド天才だと思う。

一般的に薬の開発というのは莫大な費用と期間を要し、有効成分を発見するまでに早くて数年、効果を実証するまでに早くて数年、医薬品としての申請をして認可されるまで数年という遠くて長い道のりだ。

そのプロセスを 6年でやってのけたのだとすれば、よほどの強運の持ち主、よほどの頭脳の持ち主なのだろうが、そんな偶然などある訳がないので、あの CMは一切信用していない。

やはり通販というものは、すでに存在する定番商品を、どんな場所からでも都会の人と同じ価格で 24時間注文することができ、個人情報が守られつつ迅速に届けられるのが一番だと思う。

今の今まで見たこともないのに
「業界売り上げ No.1!!」
とか
「もっとも支持されている」
などという大風呂敷を広げたようなものに手を出さないのが吉だと思われる。

夏季休暇

お盆真っ只中である。

真っ只中ではあるが、先祖を敬い、感謝し・・・などという尊信の念は薄い。

祖父母が眠る墓にはもう30年以上は行っていないのではなだろうか。

そして1994年に亡くなり、20年以上が経った我が父が眠る墓標など一度も見たことがない。

帰省すれば実家にある仏壇に手を合わせはするが、それとて初日だけであって最終日に線香もあげずに実家を後にするのが毎度のこととなってしまっている。

そもそも我が家は親の代から信仰心というものが薄く、帰省の際に父親の眠る寺に行ってみようか、一度くらいは行ってみたいと伝えても
「行かなくてもいいんじゃない?」
とか
「大丈夫、お寺さんがちゃんとやってくれてるから」
などと言って母親は重い腰を上げようとしない。

祖父母の眠る墓には子供の頃から何度か行ったことはあるが、それも毎年という訳ではなく何年かに一度、天候に恵まれ、たまたま気が向けば行くという感じだったので父親も信仰心というものが希薄だったのだろう。

そんな親であるからして、超親不孝者の自分が墓参りをしないからと言って恨みもしないだろうし、化けてでてくることもないものと思われる。

よくよく考えてみると、祖父母の新しい墓があるということは祖父は長男ではなかったのだろうが、その先祖の墓にお参りに行ったこともないし、それどころか墓がどこにあるのかも知らない。

つまり祖父母は親の墓参りをあまりしなかったのではないだろうか。

ということは信仰心のなさは祖父母の代から脈々と続く家系なのかもしれない。

そう言えば子供の頃から盆に何らかの法事をしたこともないような気がする。

祖父母が健在だった頃、その家に父親を含めた七人きょうだいが勢揃いし、飲めや歌えやの大騒ぎをするのが盆暮れの習わしだったが、祖父の父母、つまり自分にとっての曽祖父、曽祖母の法事などただの一度も経験したことがない。

祖父が、そしてその三年後に祖母が他界したが、祖父との別れが人生で初めての法事だった。

しかし、その祖父の三回忌、七回忌など営まれた記憶もないし、祖母のそれも同じだ。

父親の三回忌までは出席したが七回忌、十三回忌は帰省すらしなかったように思う。

十七回忌も自宅で簡単に済ませたように思うが正確な記憶はない。

本来であれば母親に任せっきりにしないで、長男なのだから自分が色々とやらなければいけないのだろうが、何せそういう家系なのでまったくと言っていいほど気が回らないのである。

そもそも、北海道に帰ってきて帰省を再開したものの、盆はみんなが帰省するので交通機関も宿泊先も混んでいて面倒だったり億劫だったりするという理由から、九月になってから帰省することが常態化しているので法事も何もあったものではない。

そんなこんなで、ただひたすらに、とことん親不孝、先祖不孝を続けている自分だが、父親も祖父母も文句は言えないだろうし、言えた義理ではないはずだ。

世間一般にお盆は地獄の釜の蓋が開く日であり、この日を境に墓参などしてご先祖様等をお迎えする日ではあるが、そんな自分にとって夏季休暇は単なる夏休みにしか過ぎなかったりするのである。

真性雑感 第十六版

真性雑感 ~目次~

決して詳しくはないので今回は広く浅く、多少の勘違いなども認めつつ。

■ セスナ機事故

先月の25日、調布市の住宅にセスナ機が墜落して乗員2名と民家にいた1名が死亡するという惨事が発生した。

ニュースでは現場の惨状を伝えるとともに墜落の原因究明と、都が運営する調布飛行場がいかに危険な場所にあるかということと、羽田空港の発着便を増やすために計画されている新たな飛行経路が都心を通過することに対する安全性への疑問を投げかけていた。

それと同時に大阪(伊丹)空港、福岡空港など市街地に接した空港の騒音問題と安全対策に関しても問題視していたが、それどころではないリスクを抱える沖縄の米軍普天間飛行場に関して触れないのはなぜなのか。

政府からの圧力を恐れてのことなのか、マスコミが無神経なのか。

■ 沖縄

その沖縄は日本政府に対して3千億円台の2016年度沖縄関係予算を要請したが、普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の差し止め要求をした際、沖縄経済は米軍に頼っているという認識は間違いであり自立できていると豪語していたではないか。

それなのに以前からの約束は約束だから3千億円だせというのは腑に落ちない。

沖縄に米軍施設の約74パーセントが集中している事態が正常だとは思わないが、もう米軍は日本に必要ないとは言えないだろう。

■ 米軍と安保

そのアメリカに対しての姿勢、米軍駐留の必要性を論じる前に日本がどうあるべきかを考えるべきだ。

今の国会で最大の争点となっている安全保障関連法案に関しても日本国民全員が共産党員にでもなったかのように同法案を『戦争法案』などと呼称し、一様に反対の声を上げるのはなぜなのか。

日本が戦争を放棄している以上、戦争をするための、戦争をしやすくするための法案であろうはずがない。

ただし、法案が通れば戦争のリスクが少なからず高まるのも事実だと思われる。

IS(Islamic State(イスラム国))が拉致していた日本人を殺害した理由は、難民支援、人道支援という名目でイラクやレバノンに2億ドルを支援することを決定したからだ。

たとえそれが言いがかりだとしても、日本がとる行動を相手がどう解釈するか分からない。

イスラム国と敵対関係にある国を金で支援しただけで日本人が殺害されるのであれば、アメリカと敵対関係にある国をアメリカ軍を支援して攻撃したなら、どのようなリアクションが返ってくるのか想像するのは容易なことだ。

■ 戦争と平和

戦争より悲惨なものはない。
戦争は絶対悪。
いかなる戦争も許さない。
戦争などしてはいけない。

・・・したがって、戦争のことを議論することも許さず、そのための予算などもってのほか、憲法改正、憲法解釈の変更など論外、今のままの日本であり続け、戦争のことなど考えたくもない。

嫌なことは考えたくもないというのが、世界から見た日本の国民性なのだという。

今のままの日本であり続けるのも良し、戦争のことなど考えないのも良い。

しかし、必ず戦争は起こるだろう。

暴走した北朝鮮が日本に攻めてくるかもしれない。

いい気になって勢いづいた中国がアジアの覇権を目指して攻めてくるかもしれない。

冷戦が終わったとは言え、やはりギクシャクしているアメリカとロシアがやっぱり戦争状態になり、ついでに気に入らない日本を攻撃してくるかもしれない。

今のままの日本であり続け、戦争のことなど考えずにいたら3日もしないうちに占領されるだろう。

■ 武装か金か

イラン・イラク戦争の時がそうであったように、日本は戦争ができない、してはならないのだから金で解決する方法もある。

だとすれば、いくら戦費を要求されようと、思いやり予算と称される在日米軍駐留経費負担の金額がいくら跳ね上がろうと文句は言えない。

日本はアメリカが攻撃されていても見ているだけ、もし日本が攻められたら守ってねアメリカさん、でもお金を払うのは嫌・・・そんな身勝手が許されるはずがなかろう。

安全保障関連法案に反対するのも自由、戦争を嫌悪するのも自由だ。

他国の侵略があった場合、座して死を待つのも勝手だ。

しかし、それが嫌なら、日本を守りたいのであれば、それでも戦争が嫌なのであれば戦費を支払って守ってもらうしかない。

それも国民全員が保険のように、または安全保障税として国に収めてアメリカに支払う。

それくらいの覚悟が必要だろう。

■ 原爆

8月6日には広島市、9日には長崎市に原子爆弾が投下された。

8月15日は終戦の日。

今でも原爆は必要悪、投下によって戦争を早期終結することができたと答えるアメリカ人は多い。

しかし1945年、6年間に及ぶ戦争で日本に体力など残っていなかった。

何もしなくても年内に日本の敗北によって終戦を迎えていたのではないだろうか。

それをたった数か月短くするために使われたにしては原爆の力は強大すぎた。

歯医者七軒目

過去に通った歯医者

2014年末に爺ちゃん先生の歯科医院が翌年 3月末で終わることを知り、それからというもの様々な情報を集めまくったが、なかなか次に通うべき歯医者さんを決めかねているうちに鬼のような早さで時は過ぎ、あっという間に半年が経過してしまった。

我が家は半年に一度のペースで歯の検査をしてもらっているので、そろそろどこかに決めて診てもらわなければと焦りつつも、母親の体調が思わしくないため6月は帰省したり少し仕事が立て込んでいたりしたので時間に余裕がなく、7月になってからやっと重い腰を上げて近所の歯医者さんに行くことにしたのである。

その歯医者さんの選定理由は単に家から近いということのみ。

爺ちゃん先生の歯医者さんは家から徒歩2分くらいで、今回の歯医者さんは3分程度の距離だ。

この半年間、色々とリサーチしまくったが結果的に評価は分かれており、どこの歯医者さんの評判が一番ということがなかったので、それならば治療に通うことを考慮した場合は最も近いところが便利であろうという結論に至ったのである。

7月9日に初めて訪れた歯医者さんの第一印象は悪くない。

先生は人当たりもよく、口の中の状態、これからする作業は何のためにどういうことをするのかなどを丁寧に説明してくれるし、爺ちゃん先生からも言われていた小さな虫歯もすぐには治療しないと申し出たところ気分を害することもなく快諾してくれた。

もう20年以上前に思い出しただけも腹が立つ歯医者で治療してもらった奥歯、そのかぶせ物が経年劣化でグラついてきているらしいが、それも今すぐではなく限界が来たら作り直してもらうという自分からの意見を尊重してくれる。

これは悪くはないと思ったので、初日だけでは歯石除去が終わらなかったのもレントゲン撮影、歯周病検査が終わってからの作業で時間がなかったからだろうと単純に解釈した。

お買い物日記』 担当者も治療を終えて診察室から出てきたので支払いをして帰ろうと思ったが、なかなか受付で名前を呼んでくれない。

その受付というのがかなり年季の入ったご婦人で、予約した時は家族の中で最長老のお婆さんが電話に出たのに違いないと 『お買い物日記』 担当者と話していた人だろうと思われるのだが、このデジタルな世の中にあって今でもソロバンを使っているという希少な人物だ。

受付カウンターの奥からは、何度も何度もソロバンをジャーっとリセットする音と、パチパチと計算する音が聞こえるが、一向に名前を呼ばれる気配がない。

それでも今の時代、デジタルな生活を送っている者にとってはスマホという強力な武器があるので、ネットサーフィンしたりゲームをしたりしながらいくらでも時間は潰せる。

果たして何分待たされたか定かではないが、いよいよスマホの画面を見る目が疲れ始めたころになってやっと名前を呼ばれたので二人分の治療費を支払い、次回の予約をして帰宅した。

家に戻ってから 『お買い物日記』 担当者と話し、それほど悪くはない歯医者さんが近所で見つかって良かったと安堵したのだが・・・。

数日後に行った二度目の治療でも歯石除去が終わらず、三度目でも四度目でも終わらない。

あと何回くらい通わねばならないのか医者に聞いたところ、
「そうだなぁ~、あと2-3回かな」
などと言うではないか。

週に一度の治療が5回も6回も続けば1カ月が経過することになる。

それではたまらないので
「そんなに時間はないんですよ」
と伝えると、
「じゃあ何とか次で終わらせるか」
ということになり、今回の歯医者通いは五回で終了となった。

それまで治療費を支払っても明細どころか領収書もくれかなったが、一通りの治療が終わった段階で発行するシステムだったようで、例の老婆に近い受付の人がこれまでより数倍の時間をかけてパチパチとソロバンで計算して作成した内訳を含む領収書をくれたものの、それは何度も検算をして間違い部分に打ち消し線を引いただけのもので訂正印すら押されていない一般には領収書として通用しないものだった。

初回の初診料、レントゲン、歯周病検査を含む金額がそれなりになるのは理解できるが、次の歯石除去が500円だったのにその次、またその次、最終日とどんどん費用が高額化したのはどういう訳か。

そう言えば三度目以降は口内から出血している訳でもないのにチョコチョコっと歯茎に薬を塗っていたが、あの行為、あの薬だけで 1000円も加算されたのか。

一口に1000円と言っても患者は三割負担なので、ざっくり3000円ということになる。

ここに来てやはり大きな疑問が頭をもたげるようになった。

果たしてこの歯医者さんを選択し、今後も通い続けるべきか。

前の爺ちゃん先生が立派すぎるだけで普通の歯医者さんであれば歯石除去に何度も通うことになるということは義姉にも言われたが、どうにもこうにもスッキリしない。

初回を除く歯石除去だけで支払った金額は4000円近い。

爺ちゃん先生であれば一回で終わるので500円程度だ。

単に我が家の財布事情だけを問題視している訳ではない。

患者は三割負担なので今回の治療費は実質13000円ほどで、その金額が社会保険診療報酬支払基金に請求されることになる。

それが二人分なので26000円。

爺ちゃん先生であれば二人で3000円程度だろう。

つまり、23000円も多く支払基金に請求されるということであり、社会保障費の増大が大きな負担となっている国庫を圧迫するということに他ならない。

さらには治療前に待たされ、治療する時間があり、終わってからたっぷり時間をかけてパチパチとソロバンで治療費を算出するので一時間弱の時間を要する。

それが一度では終わらず5回も6回も通うのであれば失う時間も大きいではないか。

たかが歯石除去にそんなに時間も金もかけていられない。

尊敬してやまない爺ちゃん先生が言っていた。

「今は歯医者でもセカンド・オピニオンが必要な時代でな・・・」

実は次に近い歯医者さんが徒歩4分くらいのところにある。

次の検査である年末にはそちらに行ってみて、どちらが信頼できるか比較してみようかと思っているところだ。

確率

とてつもなく古い2005年09月03日の雑感で自分と『お買い物日記』 担当者が同じ薬で同じ副作用が表れたことに触れ、それが十万分の一の確率だと書いているが、その同じ副作用を持つ者が夫婦でいる確率まで計算すると、天文学的数字になるのではないかと思われる。

2012年、三幸製菓の『ぱりんこ』を買ったところ、小袋は2枚入りのはずなのに3枚入っているものがあった。

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ネットで画像検索してみたところ、少なからず情報はあるものの、その数は決して多くはない。

つまり、機械処理している製造過程で小袋に3枚入ってしまうことは稀であり、検品までくぐり抜けて出荷されるのは何十万とか何百万に一度のことではないだろうか。

若いころ入り浸っていた喫茶店のマスターが雪深い冬の北海道で車の鍵を落としてしまった。

降り積もった雪の中に落とした鍵を見つけられる確率など限りなくゼロに等しい。

しかし、以前にも鍵を紛失していて今回落としてしまった鍵はすでにスペアキーだったので、何が何でも見つけ出さねば車のエンジンをかけることができないという最悪の状況だった。

雪の降りしきる中、マスターと自分、そして他にも 2人、手で雪を掘ったりしながら必死で鍵を探すこと 1時間。

もう見つからないと諦めかけたその時!!

・・・もの凄い確率に当たって見つかったという話しではない。

何を思ったのか、マスターが自分の家の鍵を車のドアに挿して回してみたところ、何の抵抗も示さずドアが開くではないか。

そして、おもむろにイグニッションキーの穴に家の鍵を入れて回すと見事にエンジンが始動した。

・・・。

何という偶然、何という確率。

同じメーカーの同車種であれば、何十万台に一台か何百万台に一台の確率で鍵が合うこともあるかも知れないが、家のドアの鍵で車のエンジンがかかるなど、どんな専門家が計算したところでその確率を導き出すことはできないのではないだろうか。

マスターが購入した車は中古車で、家は築十年以上が経過していたので、家の鍵は経年劣化で凹凸が削れ、中古車の鍵穴も良い具合に摩耗した結果、なんだか良い具合になった偶然が奇跡を呼んだのではないかと思っていたが、その後に作った家の合鍵でもエンジンは始動したので偶然にも凹凸の形状が極めて類似していたのだろう。

つい最近も驚きの偶然、極めて低い確率の一般には起こらないことが身の回りで起きた。

自分の持つWi-Fi端末と、義兄のそれが競合したのである。

こちらはまだソフトバンクに買収される前の EMOBILE、義兄は買収後の Y!MOBILEで、端末機は製造元が違う。

しかし、その2台が稼働しているとネット接続ができないことが判明した。

最初は互いに接続ができないと悩んでいたが、どちらか一方の端末の電源を切ると正常動作することに気づき、色々と試してみた結果、機器が干渉し合っているという結論に至った。

今の時代、だれでも簡単に使えるように面倒な設定は機器が自動判別したり製品の出荷時に設定を終わらせているものが大半だ。

通常はそのまま最短の手順で使って問題ないが、稀にこういう事態が発生する。

低い確率ながらも、そのような事態に遭遇してしまった場合は手動でチャンネルを変更するか、どちらかを使用中止にするしかない。

今回のケース場合、義兄と一緒にいる時は自分の端末の使用を止め、義兄の端末に接続させてもらうことにした。

しかし、無線通信の機器が増える一方の今、家庭内で同様の事態が発生する確率は高まっている。

無線通信には 2.4GHz帯と、5GHz帯があるが、多くの場合は 2.4GHz帯で使用する設定で出荷されており、外でも家の中でもとても混雑している状況だ。

今はスマホやタブレット、パソコンの無線LANやワイヤレスマウスに加えてテレビやHDDレコーダ、ワイヤレスヘッドホンなどのAV機器、コードレス電話機までも Wi-Fiや同じ 2.4GHz帯の bluetooth(ブルートゥース)を使っていることがあるし、電子レンジのマイクロ波も実は 2.4GHz帯なので干渉しないとは言えない。

これからもエアコンや冷蔵庫に無線通信機能が搭載されるだろうから電波の大渋滞が起こるに違いない。

偶然が偶然ではなく、高い確率で問題が発生するようになる日は近い。

そういう日が到来する確率はとっても高いものと思われる。