最近も休日にはゴロゴロしながら海外ドラマを見たりしていることが多い。
いつも思うのだが、アメリカというのは思い切りの良い国だと関心してしまう。
多くの場合、制作されるドラマや映画の中ではアメリカの敵として国名、宗教名、テロ組織が実名で扱われる。
冷戦時代にはソ連(現ロシア)を名指しで敵として扱っているものが実に多かった。
歴史的事実に基づいて描かれている作品なら実名で当然だが、それがフィクションであろうとSFであろうと敵はソ連であってアメリカの正義、価値観によって相手を悪とみなす。
最近のドラマを見るとタリバンやアルカイダなどの組織も実名、イランやイラクなど国名、イスラム教など宗教名も実名で登場させてアメリカが正義の鉄槌を下す。
そんなことをして抗議を受けたり恨みを買ってしまったりしないのだろうかと心配になるほどだ。
日本のドラマだと、たとえそれがオウム真理教がモデルになっていようと、仮想敵国が北朝鮮だろうと中国だろうと実名を出すことはなく、架空の団体名だったり架空の国名で登場させる。
事を荒立てないように、揉め事は避けたい、抗議などまっぴらゴメンという逃げもあるだろうが、それは日本的な気配り、配慮だったりもするのだろう。
中東を中心に多発するテロはイスラム過激派によるものが圧倒的だが、日本のテレビや映画がイスラム教徒を悪役に仕立てることはない。
それゆえに日本国内では他国のようにイスラム教を弾圧したりイスラム教徒を差別したりする人は極めて少ないものと思われる。
どんな宗教でも文化でも寛容に受け入れるのは昔からのことではあるが・・・。
クリスマスなど最たる例で、キリスト教徒ではなくバリバリの仏教徒だろうと何だろうと妙に浮かれて大騒ぎし、鶏肉やケーキなんか食べたりしながら酒を飲み、子どもたちはサンタクロースを待ちつつ眠りにつく。
今となっては一年で最も盛り上がり、年末ということもあって日本人のボルテージが最高潮に達する日でもあるかもしれない。
最近はハロウィンという古代ケルト人が起源と考えられている祭りまで定着してきた。
秋の収穫を祝うのはどんな民族でも同じだろうし、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いはほとんどなくなっているらしいので日本人が祝っても不思議でもなければおかしくもないが、急激な勢いで根付かれても頭の硬いオッサンは戸惑うばかりだ。
ここ数年、イースター(復活祭)というキリスト教の行事までも取り入れようとする動きがある。
しかし、イースターの日は毎年変わる移動祝日で日程が固定しないことと、それが3月下旬から4月上旬にかけてのことであるため卒園、卒業、新入学、新生活などに関連した商業イベントが目白押しなことが原因でイマイチ盛り上がってはいない。
それでもイースター・エッグになぞらえ、卵業界、卵を使用した菓子やスイーツなどを販売する業者は虎視眈々と機会を伺っているかもしれないし、どんなことにも首を突っ込んでくる寿司業界も太巻きには卵が入っているだのといって乱入してくる可能性もある。
何でも受け入れる日本人なので、これから深く静かにジワジワと広まり、数年後には一大イベントとなっている可能性も否定はできない。
変化を好まない人種と言われつつ、これほど多様な文化を受け入れる寛容さも持ち合わせた不思議の国の住人であればこそ、外部との無用な摩擦を避けるために名指しすることを良しとしないのだろう。
海外では当然の比較広告も極めて少ないのは消費者庁のガイドラインが厳しすぎるのもあるだろうが、それ以前によそ様の悪口を言うことを日本人は好まない傾向にある。
陰口やうわさ話は大好きなくせに、堂々と他と比較して自分のほうが優れているとか、こっちの方が勝っているなどと発言すると、自慢だとか高慢だとか、おごり、うぬぼれだとか言って嫌悪することが多い。
慎ましやかに、波風立てず、表面上は笑顔で外部と付き合うことに重きを置く日本人。
喧嘩している訳ではなく、自分の意見を主張しあっているだけなのに作り笑顔で間に立って
「まあまあ」
と双方をなだめたりして感謝されるどころか呆れられる日本人。
八方美人で主義主張がなく、世界から小馬鹿にされる日本人。
ネイティブな英語を学び、確固たる信念を持ち、主義主張の異なる相手に堂々と意見を言える世代が日本を引っ張っていく時代になれば、各国が日本を見直す日も来るだろうか。
いや、その前に、その世代がリーダーになる頃には日本国内における世界観も大きく変化しているかもしれない。
バリバリの昭和生まれで、大きな変化を好まないバリバリ保守的なオッサンとしては、世の中が激変するのは自分が死んでからにしてほしいと心の中で小さな声で主張してみたりしてみる。