最近の若い者は 6

最近の若い者は ~目次~

平成生まれの社会人が現れたときにも少なからず心がざわついたが、あと4-5年もすれば 21世紀生まれの社会人が登場することになるだろうし、もうすでに芸能界で活躍するアイドルの中に少なからず 21世紀生まれがいるのであろうと想像すると、隔世の感を禁じ得なかったりしてしまう。

もちろん自分にだって若い頃はあり、当時の大人たちからは新人類とか呼ばれたりしたもので、妙に鼻っ柱が強く、先輩を先輩とも、上司を上司とも思わず、必要以上に尖っていて周りの人を傷つけたり先輩や上司に疎ましがられていたものと思われる。

決してそれが良いことだとは思わないが、それにしても最近の若い者は妙に良い子すぎて気持ち悪さを感じないでもない。

古くはゴルフでプロデビューしたてだった石川遼、最近ではフィギュア・スケートの羽生結弦などがそうだが、インタビューの答えが優等生過ぎて若さを感じないほどだ。

今年、就任一年目にして福岡ソフトバンクホークスをプロ野球日本一に導いた工藤公康監督も、新人の頃は当時の若者らしくハチャメチャな言動で諸先輩方を困らせたり呆れさせたりしていたが、最近のプロ野球の新人選手はインタビューにもそつなく答えて波風を立てることもない。

そんな若者たちを見て世のお母様がたは
「なんて良い子なんでしょ」
とか
「んまぁ~、うちの子にしたいくらいだわぁ~」
などと、うっとりした表情で見たりしているが、根ががさつで根性のひん曲がった自分などは
「なんじゃそりゃ」
とか
「判で押したような答えしかできんのか」
などと文句の一つも言ってやりたくなってしまう。

しかし、それは今の時代の子であり、昔とは何かが明らかに異なっているようだ。

高校野球でインタビューを受ける選手も実にしっかりとした受け答えをしている。

自分が同じ年の頃など大人から何を聞かれても反抗していたし、そもそもボキャブラリーが乏しくて自分の思いを正確に言葉で表現することなどできなかった。

今は中学生であっても、小学生であってもテレビでマイクを向けられると驚くほど流暢に話し、敬語を使いこなしたりしている。

自分が小学生の頃など何か聞かれたとしても
「はい」
という返事くらいしか出来なかっただろうし、どう思うか聞かれても何をどう話して良いのか分からず、ただもじもじしていたに違いない。

それほど言葉巧みに自分の意思を伝えることができたり何かを表現したりできるのに、人とのコミュニケーションを図るのが苦手な若者が多いのが不思議だ。

ただし、決して自分の殻にとじこもっている訳でも対人関係が面倒な訳でもないらしい。

昔は会社での人付き合いが面倒で、歓送迎会や忘・新年会などもお断り、上司と飲みに行くなどまっぴら、社内旅行などもってのほかという若者が多かったが、今は逆に社内旅行、社内運動会などに参加したがる子が増えており、先輩や上司とも積極的に飲みに行ったりするらしい。

自分が若いころなど人と関わるのが面倒で、近所付き合い、地域ネットワーク、コミュニティなどに一切の興味はなく、アパートやマンションの隣の部屋に誰が住んでいるのかすら知らなかった。

それは、自分だけがそうだった訳ではなく、社会全体がそういう傾向にあり、コミュニティの崩壊とか地域のつながりの希薄化などと言われていたものである。

ところが今では下宿、寮生活、シェアハウスなどといった共同生活を好む若者が増えているらしい。

初めての一人暮らしをする際、親は下宿を勧めたが、他人との共同生活など考えられず、自由気ままに暮らせるアパート暮らししか頭になかった自分とは大違いだ。

いや、自分だけではなく少なくとも20数年前、バブル期からバブル崩壊後にかけての若者は、みなが一様に他人との深い関わりを嫌う傾向にあった。

それから今までの間に何があったのだろう。

長期的な経済の低迷、デフレ期で子どもにかける費用の減少によって、以前のように車を買ったり身分不相応のファッションに身を包んだりできなくなり、低家賃の借家に住みながら学費の足しに働く学生が増え、それなりに社会との繋がりが多くなって価値観に変化をもたらしたのか。

阪神・淡路大震災、新潟県中越沖地震、そしてまだ記憶に新しい東日本大震災を経験し、家族の絆、地域コミュニティの重要性を思い知り、大切さを身をもって実感した当時の若者達が親となり、当時の子どもが大人になって風潮が大きく変化したのかもしれない。

しかし、中には常識では考えられない罪を犯す輩がいたり、人に注意されると極端に機嫌を損ねる何の価値もない極薄のプライドの持ち主がいたり、外界との交流を一切遮断して引きこもる子も確実に増えていることを考えると、二極化が進んでいるような気がする。

それがなぜなのかも含め、最近の若い者のことは良く分からなかったりするのだが・・・。