慣れ

慣れとは恐ろしいもので、このまま生きていけるだろうかという不安を覚えた大阪の夏の暑さもいつしか受け入れることができたし、忘れていた北海道の冬の寒さにも体は順応した。

何度も同じことを繰り返すことで感覚が麻痺してしまうのだろう。

本当は慣れない方が良い、慣れてはいけないことにまで人は慣れてしまう。

一日で一カ月分に匹敵する過去最高の雨量に達する事例が頻発しているが、ここまで続けば異常気象とは言えなくなり、日本のどこかで毎年のように必ず起こる事態であればそれが通例となってしまうだろう。

夏の暑さもどんどんひどくなり、以前は存在しなかった猛暑日という気象用語まで出来てしまうのだから恐ろしい。

しかし、過去最高気温という記録もどんどん塗り替えられ、それに慣れてそれが日常となってしまう日が来るかもしれない。

「明日の最高気温は 41.3℃、平年並みです」
などと天気予報で伝えるようになったらどうしようと思ってしまう。

そんな日が来ても、人間は少しずつ順応して平気で暮らせるのだろうか。

増水や津波などによる水害、火山噴火などによる災害も数年、または数十年に一度のことであれば指示に従って避難もするだろうが、あまりにも頻繁に避難勧告、避難指示などが出ていると感覚が麻痺して慣れてしまい、
「また始まった」
とか
「どうせ今回も空振りだろう」
などという心理が働いてしまって実際に避難行動を起こす人が減ってしまう。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災がまさにそうで、多くの人が発せられている警告に耳を貸さなかったことから被害がより大きくなってしまった。

それを教訓に気象庁や自治体は
「これまでに経験したことのないような大雨」
「重大な危険が差し迫った異常事態」
などという表現で早期の避難を促すようになったが、今は危機感をいだいていても慣れてしまったら
「また始まった」
「どうせ空振りだろう」
となってしまわないだろうか。

高層マンションで生まれ育った子どもが高いところが平気になってしまい、感覚が麻痺して恐怖心さえも覚えないことを俗に高所平気症というが、これも実に危険なことだ。

事実、何年かに一度くらい子どもが誤って落下する事故がある。

高いところは危険であり、落ちてしまったら大怪我をするか最悪の場合は命を落としてしまうと認識している身分としては、どうして子どもがベランダを乗り越えたりするのかと不思議でたまらないが、感覚が麻痺しているのなら仕方ないのかもしれない。

しかし、それは決して良いことではないので何とかならないものかとは思う。

それほど深刻な問題でもないが、臭いにも慣れてしまうのを実感したことがある。

禁煙を開始してから 7年と 3カ月、今ではすっかりタバコを吸わない生活に慣れた。

自分が吸わないと人から漂ってくるタバコの臭いには敏感になるものだ。

それどころか過去にタバコの煙にさらされていたものに臭いが染み付いているもので、引っ越してきてから一度も手を付けていなかったものを開封したり、棚の奥にしまっていたものを出したりすると、ひどくタバコ臭かったりする。

大阪で暮らした借家は壁も天井も煙草の煙でいぶされて茶色く変色していたが、自分たちがタバコを吸って生活している分にはまったく気にならなかった臭いが染み付いていたに違いない。

ごく稀に来客があったりしたが、さぞかしタバコの臭いに苦しんでおられたことだろう。

大阪から越してきて、この街に住むのも慣れた。

生まれて始めて購入したメガネにも慣れた。

キーボードやマウスが変わると最初は扱いにくいが、2-3日もすれば慣れる。

最初はこのまま停止してしまうのではないかと恐怖心すら覚えた不整脈も今は
「また脈が飛んだな」
程度にしか思わないほど慣れた。

神経的な問題かもしれないが、背中の一部が毎日 24時間、ここ一年間ほどずっと痒い。

最初はポリポリと掻いていたが、今では気にしないことにしている。

その気になれば人間は痒みにも慣れることができるらしい。