最近は何かを始める前に色々と考えたりするようにはなった。
考えるというより、準備や情報収集しておかなければ落ち着かず、何の考えもなしに行動できていた若い頃が懐かしい。
今は明日の天気、数日後の天気も気になるし、外出の際は数時間後の天気すら気になる。
しかし、若い頃は今みたいにスマホでいつでも天気の確認ができる訳でもないのに天気予報など見もせず、傘を持つべきかどうかなども考えもせず外出していた。
それでも大雨に降られて帰宅できなかったことなどなかったように思う。
それは単に運が良かったのか、忘れているだけで雨が止むのを待って帰宅していたのか。
友だちと飲みに行く約束をする際も、明日は海に行こうとか遠出してどこかに行こうと話す際も、天気のことなど一切気にしていなかったように思う。
子どもの頃も、どんなに曇り空だろうと雨が降ることなど考えもしないで遊びに行っていたし、雨に濡れるなどと思いもしないで遠くまで出かけていた。
ところが今は、朝の散歩が日課になっていることがあるにせよ、前の晩は翌日の天気が気になって仕方なく、朝になっても一日の天気が気になって仕方がない。
いつも書いているように徹底したインドア派なので外出する予定などないのだから、天気がどうであろうと関係ないというのにである。
天気に関することだけではない。
今は体力的なことを考慮して、連休であっても最後の一日くらいは家でゆっくりとするリハビリ期間を設けなければならないと意識しているが、若い頃はそんなことは一切お構いなしで、前日どころか当日の早朝に帰宅して仮眠をとって仕事に向かうというようなこともしていた。
かなり以前の雑感にも書いたような気がするが、酒を飲みに行っても次の日のことなどあまり考えずに飲みまくり、朝の 3時とか 4時に帰宅して少し眠って二日酔いどころかまだ酔ったままの状態の良い気分で職場に向かったこともある。
若いエネルギーを持て余し、目的地も決めずに車を走らせ、とにかく目に入った道路標識に書かれている街まで進み、その街に到着したらまた道路標識を探して書かれている街を目指すという目的のない旅をしたことも一度や二度ではないことも過去の雑感に書いた。
当時はレギュラーガソリンが 80円台という安値だったこともあり、とにかく進んで疲れたら車中泊、また進んで車中泊ということを繰り返し、何の目的もなく北海道内をただひたすら走り回って気づいたら明日が仕事という状況に愕然として、泣きながら何百キロも離れた場所から帰ってくるという計画性のかけらもない状態だったのである。
それは今から考えると子どもの頃から変わらぬ行動だった。
まるで神風特攻隊が片道だけの燃料で出撃するように、体力の限界、帰り道、帰宅時間など一切考慮せずに行けるところまで行ってしまう。
車がすれ違えないほどの細い道を自転車で山奥まで入っていったり、家の近くにある川はどこから流れてきているのか気になって上流へ、上流へと進んでみたり、何となく行けるような気がして何十キロも離れた街を目指したりと、計画性も何もあったものではない。
子どもの頃はそれで良くても大人になってまで似たようなことをしていたのだから、三つ子の魂百までというのが本当なのか、自分が単なるアホなのか。
それでも年齢とともに少しは先を考えられるようになるものである。
いつも独り言などに書いているように、連休の外出や帰省などでも仕事が始まる 2日前には帰宅するように心がけているし、朝の 3時 4時まで酒を飲むこともなくなった。
外出や旅行前には天気予報を確認し、出先で雨に降られそうな場合は折りたたみの傘を準備する。
翌日のことを考えて深酒をすることもなくなった。
そして、どこかに行くにしても事前に計画をたて、何を準備すべきかも考える。
昔のように家の鍵と金とタバコさえ持って出れば何とかなるなどという無謀なことはしなくなった。
しかし、色々と計画したり準備したりしていると面倒になってしまい、最終的には 「なんとかなる」 と開き直ったりしてしまうあたり、やっぱり自分は無鉄砲だったりするのかもしれない。