ヴィクトル・ユーゴーと出版社のやりとりが世界で一番短い手紙だといわれている。
「?」(ユーゴーより「本は売れているか?」という意味の一文字)
「!」(出版社から「それはもう、びっくりするほど!」)
このたった二文字で互いに意味を理解し、意思の疎通ができているのだからすごい。
我が日本では徳川家康の家臣だった本多作左衛門重次が戦場から妻に送った手紙、
「一筆啓上。火の用心。おせん泣かすな。馬肥やせ。」
これが広く知られており、簡潔にして要を得たこの文は手紙文の手本として今日でもよく紹介されている。
手紙に限らずメールでも会話でも、言いたいことを過不足なく伝えることは意外に難しいものだ。
とくに仕事関連で、お客さんから、または上司からの質問に対する回答であれば記述式でいうところの『結論』を先に述べるのが常識とされている。
質問に対して、まずは『 YES 』か『 NO 』か、または『 A は B である』などだ。
もし理由を問われたなら結論の次に根拠を述べる。
「なぜかと言えば」
で始まり、
「 A には C という要素があり、D を加味した結果 B だと結論付けた」
などなどだ。
この順序を間違えると顧客や上司を苛立たせたり呆れられたりしてしまう危険性が高い。
「実は、コレコレという観点からアッチ方面に問い合わせてソレを加味してみましたが、色よい返答が得られず、仕方がないのでナニを簡略化した上でソッチにも問い合わせましたが、結局は分からず仕舞いでして・・・」
などとやると、長話しを聞かされるわ、結論はないわ、答えが分からないわで
「なぁーんじゃそりゃぁーー!!」
と鬼のように突っ込まれることになるのは必至だ。
以前に勤めていた会社にも話しが長く、結論を言うまでにえらく時間のかかる社員がおり、上司はおろか同僚からも避けられていた。
本人にその自覚がなく、
「だれも俺の話を聞いてくれない」
と憤慨していたが、それは人の忠告を無視した結果であり、自業自得というやつだ。
彼が何かを話し始めるとイライラするので
「で?何が言いたいの?」
とか
「で?結論は?」
と促すのだが、
「いや、最後まで話しを聞いて」
などと言って話しをやめようとしない。
お客さんから問い合わせの電話があり、自分には分からなかったので電話を保留し、彼に
「◯◯の件って分かる?」
と聞くと、
「なぜ?」
と聞き返してくる。
お客さんを待たせているのだから理由はどうあれ、まずは分かるのか分からないのか答えるべきだ。
あれをこうして、なにをそうしたところ、これこれ、こういう訳であんなことになってしまったからお客さんが困っているんだけど、この件に関して答えを持っているか否かなどと長々話しているヒマはない。
社会人になった際に上司、または先輩から話し方の基礎を教わらなかったのか、人の教えなど無視しているのか分からないが、社内ですらそうなのだから社外の人にはもっと評判が悪く、担当を変えてほしいとお客さんからクレームがきたこともあった。
今、その彼が何をしているか知らないが、相変わらず長話をして人から嫌がられているに違いない。
以前はそんなことはなかったのに、最近は我が母ショウコもそういう傾向が顕著になってきた。
足が悪くなってから杖をついて歩いているのだが、デイサービスに行った時、その杖の先の滑り止めの樹脂が減っていて危険だと言われたという話しを長々と聞かされた。
やっと話が終わったと思ったら、そこで始めて
「どこそこの店では杖の先を交換してくれるらしくて・・・」
と言い出し、おまけにその最後の
「らしくて・・・」
以降はだまっている。
だから交換してきてほしいということで、それを察してほしいのだろうが、そういう話し方をされるのがとても嫌いだ。
そもそもショウコはそういうことは言わず、何かしてほしかったらハッキリ言うほうだった。
年老いて体が不自由になり、何度も帰省してくる息子に気を使ったのか、遠慮したのかもしれないが、はっきり意思表示しなくなったことが腹立たしかったり寂しかったりする。
しかし、それは一定の年齢を過ぎるとみんな同じようなものなのか、あれほど明快な物言いをしていたレイコでさえそうだった。
以前の雑感にも書いた、レースのカーテンの洗濯の件がそうだったのだが、来客があるので少し汚れのあるレースのカーテンを洗濯せよと指示すれば済むものを訳の分からない話からジワジワと結論を導き出そうとする。
叔母いわく、数日前にショウコのレントゲン写真を見たところ脱臼と思われる箇所があったので、病院に写真を持って行って医者に確認しようとしたら写真が違って見え、ショウコが間違って持ってきたのかとも思ったが、そうではなく実は実家の部屋が薄暗くてよく見えていなかったものと思われ、それはレースのカーテンが汚れているのが原因ではなかろうかということだ。
話しにイライラしながら
「ふーん」
と適当な返事をしていると、最後になって
「だからカーテンを洗濯しておいたほうがいいと思うんだけど」
と、やっと結論を言ってくる。
そもそも太陽光をさえぎって部屋の中が暗くなるほど汚れてなどいないのだから、ちょっと気になるから洗濯してほしいと言えば済む程度の話しを大袈裟に言う理由が分からない。
そういう察してほしい的な言い方をされた場合は、以前から、それが叔母や母親でなくても、会社の上司であっても誰であっても完全に無視することにしている。
気の利かない奴と思われようと、優しくないと言われようと、そういう回りくどい言い方をする奴が悪いのであって、そんな面倒な話しになど付き合っていられない。
政治家は地元の様々な人の話しを聞いて取りまとめ、それを中央に上げるのが基本的な仕事だ。
それなのに人の話しを途中でさえぎってまで自分の意見を通そうとするし、その意見すらも何を言っているのか良く分からないことが多い。
おまけに回りくどいだけではなく、回ったまま本筋に話しが帰ってこないことすら多々ある。
2017年に消費税を10%に引き上げるのかという問いに対し、景気動向を十分に鑑み・・・と始まって景気浮揚策がどうした、中国の成長率鈍化で景気減速がどうの、中東情勢の不安定化など総合的に考慮した上で日本国内のインフレ率、賃金上昇率があれだから・・・。
などなどと延々と続いた挙句、結果的にどうするのか、どうしたいのか、どうしなければならないのかという点には一切触れない。
そんな決断力もなく、将来のビジョンもない政治家ごときに日本の未来を託して良いのだろうか。
そして、そんな回りくどい長話しかできず、結論にたどり着かない奴らばかりが集まって国策を議論させておいて良いのだろうか。
・・・。
この雑感もダラダラとした長文であり、結論に至らないことも少なからずあるので、あまり偉そうには言えなかったりするのだが・・・。