我々が学生だった頃と違い、まともな英語教育を受けた世代が少しずつ多くなってきた。
中学で最低 3年、高校も合わせて 6年、大学まで進めば 10年間も学ぶのに身につく人はごく一部という実に情けない英語教育を受けた世代と異なり、最近は小さな頃から英語に慣れ親しみ、小学校からネイティブ英語教師の授業を受けるようになってきたので、あと 4-5年もすれば日常会話に困らない程度の語学力を身につけた社会人が世に出てくることだろう。
日本の第二カ国語が英語となり、ヨーロッパとまではいかないが、せめてシンガポールや韓国程度までの語学力を備えた場合、ビジネスにおいても旅行などの娯楽においても言葉の壁は一気に崩れることになる。
そうなった時、英語教室や英語教材をビジネスとしている業者はどうなってしまうだろう。
一気に需要が激減して経営が成り立たなくなってしまわないだろうか。
そして、英語を話すのが普通になった時、最も大きな影響を受けるのは音楽業界ではないかと思う。
今でさえ業界は衰退していて改善の兆しが見えないが、それは似たような皿ばかりプレスして個性も何もないアーティストもどきを量産しているのだから自業自得だと思われる。
その音楽の世界にグローバル化の波が押し寄せたなら、どの程度のアーティスト、レコード会社、プロダクションが生き残れることだろう。
英語を理解し、英語を話せて英語で歌える世代が社会の中心となれば洋楽と邦楽の垣根は崩れ去る。
実力や運、独創性や個性を兼ね備えたアーティストが英語で歌えば全世界で売れるだろうからチャンスが広がるのは確かだ。
日本であれば歴史的な大ヒットを飛ばしても CDセールスは 4-500万枚が限度だが、世界的なヒットとなれば桁が違って億の単位になってくる。
そうなれば印税だって億の単位から100億の単位に跳ね上がり、一発当てたら孫の代まで遊んで暮らせるようになるだろう。
しかし、それは極々一部の才能の持ち主に限られたことであり、中途半端なアーティストは今よりも厳しい環境に身を置き、世に出るチャンスは一段と狭まるに違いない。
難なく英語を使う人が増えたら曲の歌詞は日本語である必要はなく、そうなれば、邦楽と洋楽が同じ土俵で闘うことになる。
そうなった場合、どれだけの日本のアーティストが生き残れるのか。
売れる曲は海外勢が圧倒的で、歌われるカラオケも洋楽が中心となり、日本のアーティストや作詞・作曲家には印税が落ちてこなくなることも大いに考えられる。
実力のないアーティストは葬られ、世界の中で強いものだけが生き残るに違いない。
印刷物も英語のままで良いのだから、今までのように日本のレコード会社が洋楽の版権を得て日本語の解説とか歌詞カードなどを作成する必要がなくなる。
そもそもネットでの音楽配信が主流になった今、そんなものを必要としない人が多いだろう。
直輸入の CDで事が足りるようになり、国境を超えて海外の音楽がデジタル配信されると日本で機能している著作権、版権、原盤権などの面倒な権利関係も吹き飛び、アーティスト自身が権利を得てそれを管理する仕組みになるかも知れない。
そうなったらレコード会社やプロダクションの存在意義はあるのだろうか。
ラジオやテレビ番組もすべて日本語である必要はなくなる日が来るかも知れず、そうなったら海外の番組をそのまま放送すれば良いことになる。
MTVなどの音楽番組、CNNなどの報道番組に字幕や副音声が必要なくなる時代がくれば、番組制作会社に存在意義はあるだろうか。
映画の字幕が不要になれば戸田奈津子さんは生活に困りはしないだろうか。
吹き替えも必要なくなったら声優はアニメ需要しかなくなるのではないだろうか。
・・・。
グローバル化が進むと海外に打って出るチャンスも広がるが、日本国内だからこそ成り立っている産業は窮地に立たされることになるだろう。
少子高齢化、人口減少を見すえ、観光立国を標榜するビジネス展開ばかり注目されるが、実のところ、これから先はローカルビジネスからの転換が最も大切だっりするのかも知れない。