先月末の雑感に書いた結論を先に述べることに加え、情報の簡略化も重要だ。
先の道がAとBの二股に別れ、どちらに進むべきかを問われた場合、
「Aである」
または
「Bである」
と明確に答え、それ以上の補足を加えない方が良い。
たとえば
「正解はAである」
と答えた後で
「もしBに進んだ場合は行き止まりどころか危険な崖っぷちに立たされることになり、命さえ危ぶまれる事になりかねない」
などと言おうものなら、むしろ進路Bの方が強烈に印象付けられてしまうからだ。
いざ問題の二股で立ち止まった場合、正解はAであるにも関わらず、余計な情報をインプットしてしまい、さらに強烈な印象を与えられてしまったなら進路Bを意識から切り捨てることは難しくなってしまう。
家まで、または会社までの道順を訊かれた場合が顕著である。
「コンビニのある交差点を右に曲がって300メートルのところです」
と教えたら済むのところを
「左に曲がると神社がありますが、そちらではありません」
などと余計な情報を加えると、いざコンビニのある交差点に立った際、右に曲がるという情報しかインプットしていなければ何も迷うことなく右に進むが、
「左は神社だっけ?」
などと考えてしまい、結果的に混乱させる要因となる可能性がある。
手短に、かつ的確に情報を伝えるためには余計な部分をそぎ落として最低限の内容だけ伝えるべきだ。
今年から我が母ショウコの年賀状の宛名印刷をしてやることにした。
帰省した際、年賀状書きの季節になると憂鬱だ、曇って暗い日は書けない、最近は手が震えるようになった、年末まで1日5枚と決めて書かなくてはならないなどなどと愚痴を言いまくる母を見かね、『お買い物日記』 担当者がパソコンで印刷すると申し出たのである。
先日、去年受け取った年賀状と、宛名印刷すべき年賀ハガキが送られてきた。
その中に『引っ越しました』の挨拶状があったのだが、その人から送られたはずの年賀状は入っていない。
年賀状がないので 『お買い物日記』 担当者は不思議そうにしていたが、似たDNAを持つ自分はすぐに理解できた。
引っ越しの知らせがあったのだから住所が変わった訳であり、そうであれば旧住所が書かれている年賀状は必要ないと判断したからだろう。
必要のない情報は与えない、必要のないハガキは送るだけ無駄、無駄なことはしないという合理主義はやはり血筋なのか。
たったそれだけの出来事ではあったが、妙に面白かったのでここに記しておく。
そして、10/31の記事と同様、この雑感も文章を結ぶまで紆余曲折し、様々な無駄な情報をばら撒いているので決して偉そうに言えたことではないことも加えておくことにしようと思う。