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自分解体新書 - 19 -自分解体新書 - 19 -

自分解体新書 ~目次~

■ 毛髪 その3

どんどん白髪化が進んでおり、今は 7:3くらいの割合で白髪が優勢を占めるようになってしまっているが、どうせなら薄毛にならず完全なる白髪になってもらえないかと思っているところだ。

先月の初旬にとなりの店で散髪してもらったのだが、その際に切り落とされた毛を見ると黒よりも圧倒的に白が優勢だったので
「また一段と白くなったなぁ~。」
と独り言とも会話ともつかない言葉が口からもれた。

すると、お兄ちゃんが
「白髪染めでもする?」
と聞いてきたので、少し放っておくと根元から白くなるので頻繁に染める必要があるだろうから面倒だということを伝えると、
「紫とか青とかにすれば生え際は目立たないよ」
などとぬかすではないか。

髪を紫に染めたり真っ赤にしている婆さんと同類の扱いだ。

そんな爺臭いのは嫌だと言うと、
「黒い髪を染めても色が出ないんだけど白髪だと綺麗に発色するんだけどなぁ」
と残念そうにしている。

誰がどんなに勧めようと髪をカラフルな色で染めてたまるか。

■ 歯 その3

06/26に歯医者に行って来たのは独り言に書いた通りだ。

言われた通りに歯を磨いているので汚れの付着もなく、歯石もなかったので一通り口の中を見て治療は終わったのだが、爺ちゃん先生の場合はそれからの小言が長い。

いかに歯が大切かということから始まり、ある程度の歳になったら固いものを食べてはいけないとか、仕事中、運動中に無意識に歯を食いしばらないように気をつけるようにという説教が続く。

それも毎度おなじみのセリフであり、何度も聞かされた内容なのでこちらとしては適当に合槌しつつ、ズリズリとカニ歩きで出口に近づいたりしながら診察室からの脱出を試みる。

それでも説教はなかなか終わらないので
「はいっ、わかりました」
「はいっ」
「はいっ!気をつけま~す」
などと大きな声で良いお返事をしながら部屋を抜け出すのが毎度のパターンだ。

■ 目 その4

それも独り言に書いたように翌 27日は眼科に行ってきた。

視力検査の結果は不明なままだが、急を要するような問題を抱えていないのも事実だ。

眼圧は正常で問題なく、将来的に白内障のリスクは高いようだが今はとってもゆっくりしたペースで進みつつある程度なので治療の必要も手術の必要もない。

今のところは心配するようなことはないが、職業柄、目と指先だけは大切にしなければならないので、これからも眼科での定期検査だけは怠らずに続けようと思っている。

■ 鼻 その3

これは昨年後半のことだが、いつも鼻がグズグズしていてスッキリしないので耳鼻咽喉科に行って検査してもらったところ、やはり慢性鼻炎とのことだった。

いっそのこと蓄膿症と判断されたら手術で治るので楽だったように思う。

鼻炎だと手術で治ることはないので、これから一生の付き合いになってしまうということであり、これからもずっとグズグズ、モヤモヤと付き合わなければならない。

しかし、それはそれで仕方のない事なので諦めるしかないのだろうが。

■ 眉毛 その3

今週のはじめに気づいたのだが・・・ついに眉にまで白い毛が生えた。

定期的にまつ毛に白い毛が生えるのは、この雑感や独り言に書いているし、頭はもちろんのこと鼻毛やヒゲ、その他あっちやこっちの毛にも白いものが混じっているのは自覚しているが、とうとう、ついに、白い毛は眉毛にまで侵食してきたのである。

鏡の前でその白い毛をまじまじと眺め、ある種の悲しみ、虚脱感を感じていたのだが、それがムラムラと怒りに変わり、腹が立ってきたので毛抜を手にとって思いっ切り引っこ抜いてやった。

■ 足裏 その5

何年も続いていた右足の裏の痛みは完治間近といった感じで、今はもう普通の生活では痛みを感じることがなくなったのは嬉しい限りだ。

しかし、今度は先週末からつい先日まで左足の裏に強い痛みを感じていた。

それは普通に歩くのも困難のほどの痛みで、ひょっとすると骨折したのではないかと思ったくらいである。

と言うのも痛くなる数日前の散歩の帰り道、もう少しで家に着くという舗装していない裏道で少し大きな石を踏んでしまい、左足首を思いっ切りひねってしまたからだ。

これは間違いなく捻挫したに違いないと思っていたのにその兆候もなく胸をなでおろしていたのだが、その際に足の指の関節にでもヒビが入ったのではないかと心配していた。

痛いところを触ってみると、明らかに内部にコロッとした何かがあり、そこに激痛が走るので関節が炎症しているか折れて腫れているかのどちらかだろうと勝手に想像していたのである。

ところが 2-3日すると痛みもやわらぎ、昨日までにすっかり良くなった。

長引くようなら病院に行こうと思っていたのでその必要がなくなったのは良かったのだが、何が原因で何が起こっていたのかは今をもって謎のままだったりするのである。

自分解体新書

夏の準備夏の準備

いよいよ北海道にも夏が近づいてきており、あと数日、あと 2-3℃の気温上昇で本格的な夏がやって来たと言えるようになるだろう。

いつ暑くなっても良いように少しずつ夏の準備は進めている。

まずは和室の窓にスダレを掛けた。

これは大阪に住んでいた時に身についた生活の知恵で、北海道に帰ってきてからも夏になれば和室の窓に直射日光と人目を遮り、なおかつ風を通すことができる自然素材のスダレを掛けるようにしている。

以前は北海道でスダレやヨシズを使っている家など皆無で、そんなものは売ってすらいなかったのだが、温暖化が進んだからなのかホームセンターなどで簡単に入手できるようになった。

そう言えばエアコンを設置する家も年々増えているようだし、どう考えても気温は上昇傾向にあるのだろう。

次にパジャマを夏用にした。

まだ長袖、長ズボンのパジャマだが、これは持っている中で最も生地が薄いもので、次の段階に進むと上はノースリーブ、下は短パンという最終形態になる。

以前より暑くなったとは言え、北海道の夏など大阪とは比べ物にならないほど過ごしやすく、帰ってきて 6度の夏を過ごしたが、寝苦しさを感じたことなど 1日たりともないくらいだ。

空気が乾燥しているので昼間は暑くても朝晩は涼しくなり、ちょっと油断して布団を蹴っ飛ばしたりしようものなら朝方に寒くて目が覚めることすらある。

それもこれも大阪で鍛えられたからであり、ずっと北海道に住んでいる人たちは、こんな程度の暑さでも夏バテして食欲がなくなったりするし、暑くて眠れない夜があるらしい。

次に床下や各部屋の通気口も開けた。

今日は曇天の割に蒸し暑く、時折雨がぱらつく空模様なので窓を開けずに各部屋にある通気口を開け、家の基礎部分にある通気口も開けて来たところだ。

発泡酒も仕入れた。

去年は暑い日に、その都度発泡酒を買って飲んでいたが、トータルすると 5-6本は飲んだものと思われるため、それならば 6本セットで割引になっているものを最初から購入すれば良いだろうということになったので、本格的な夏を前に仕入れておいたのである。

以前はジン、今は焼酎とアルコール度数の強い酒ばかり飲んでいるので滅多にビールは飲まず、味の違いもろくに分からないので発泡酒で十分、それもプライベートブランドで売られている安物で良いので炭酸飲料と変わらない価格だ。

冷やし中華のタレも準備が整った。

以前から味が好きなメーカーがあり、それは大阪で売られていなかったので 『お買い物日記』 担当者が手作りしていてくれたのだが、こちらではいつでも手に入るので嬉しい。

その好きな冷やし中華のタレが、滅多にお目にかかれないような価格で特売になっていたので、迷わず今年の秋まで使える量を確保しておいた。

これで思う存分に食べられるというものだが、まだそれほど暑くはないので冷やし中華の出番はなく、タレも冷蔵庫で出場機会を伺っていることだろう。

お茶とコーヒーも冷たくして飲むようになった。

いつも食後と運動後にコーヒーを飲む。

何度も淹れるのは面倒なので、朝にコーヒーメーカーで落としたものを飲んでいるのだが、保温したままだと味が悪くなるので保温性の高い水筒に入れている。

夏になればお茶パックに挽いた豆を入れたものをウォーターピッチと言うのかウォーターポットと呼ぶのか、ドリンクビオと言えば分かってもらえるのか、とにかく水出しの麦茶などを作って冷蔵庫に入れておくあの容器に水と一緒に入れて放置しておけば、翌朝には見事に抽出されてアイスコーヒーが出来あがっている。

その他に同じ方式で水出ししたお茶も常備するようにした。

一カ月前に植えたバジルも大きく育ってきた。

今回は植える手順や間引きの仕方を間違えてしまったので、最初はヒョロヒョロとしか生えてこず、どうなってしまうかと心配したが今は元気に葉をつけて茎もしっかりしてきたので一安心だ。

あと数枚の葉が出れば摘芯して枝を増やし、ワサワサと葉が茂るようにしてやったところで一鉢をとなりの店の妹ちゃんにあげようと思っている。

これからの夏、生野菜とともに、冷製パスタの食材として、朝のパンに乗せる具としてもたっぷりバジルを堪能できることだろう。

色々と夏の準備は整った。

『お買い物日記』 担当者は、きっと冷凍庫のアイスを充実させるに違いない。

通信環境通信環境

Wi-Fi機器の活用で我が家の通信環境が満足のいく状態に整った。

初めから携帯電話会社のパケット通信、いわゆるインターネット、e-mail送受信するための回線は使っておらず、NTTからレンタルしていた機器で Wi-Fi接続してネットを利用していたのだが、それを大幅に見なおして再構築したのである。

パケット通信していなかったのは、単純に外出しないからだ。

お客さんとの打ち合わせ以外は家で仕事をしているし、客先でネットを使うことも極めて少なく、必要に迫られて使わざるを得ないことなど数年に一度のことである。

年に何度か 『お買い物日記』 担当者が札幌の病院に行き、年に一度は帰省のため二人で家を離れるが、その際には携帯用の Wi-Fiルーターを持って出るようにしていた。

その Wi-Fiルーターは複数の機器を接続することができ、いくら使っても上限が 6,000円程度だったので、携帯電話会社の料金プランにそれぞれが加入し、それぞれが 6,000円、二人で 12,000円も支払うよりずっと安い。

おまけにその機器はパケット通信しなければ 0円というプランだったので、必要な月、つまり病院に行く月や帰省する月だけ料金を支払えば良かったのである。

普通に使う半分以下の料金でネットを利用できていたのだから、それで十分と言えば十分だったのだが、その環境には一つだけ欠点があった。

二人で外出するのであれば問題ないのだが、どちらか一方が外出する際には Wi-Fi接続機器を持ちだしてしまうため、家に残ったもう一方はネット接続できなくなってしまう。

もちろん有線でパソコンはネットに繋がっているので大きな問題ではないのだが、最近はちょっとした調べ物をするのはスマホ、音楽を流しているのはタブレットと、Wi-Fi機器を多用しているためネットが使えないと若干の不便を感じてしまうようになった。

さらには外でもスマホでネット利用したいシーンが増えてきたので、それを実現しようとすると毎月 6,000円の費用が発生してしまう。

だとすれば、どうしたら最低の金額で快適なネット利用が可能かを検討した結果から、今回の見直しに至った訳である。

まずは外出の際に持ち出す携帯用 Wi-Fiルーターを最新の機種に変更し、3G回線の契約だったものを 4G、LTE、3Gの全対応型にして契約も使わない月は 0円というのを諦めて月額 3,696円で使い放題のものに変更した。

そして、それを持ちだしても家の中で Wi-Fiが使えるように 3,000円弱の小さなオモチャみないな機器を購入して使ってみたところ、何の問題もなく使えているのでそれで十分だ。

その機器は有線の LANケーブルのコネクタに取り付ければ Wi-Fiの電波に変換してくれるものなので、導入に当って新たな通信費は発生しない。

つまり、購入するための 3,000円弱の初期費用だけで Wi-Fiが使い放題になるという実に便利なもので、設定も実に簡単、プチ、プチっとケーブルを繋いで電源を入れ、スマホ側で電波を拾ってパスワードを入力するだけでネット接続することができた。

これでどちらか一方が外出しても屋外と屋内の双方でネット利用が可能なので、Skype や LINE で音声通信も文字データのやりとりもすることができる。

普通ならば携帯電話会社の料金プランを利用し、二人で月額 12,000円位上の出費になってしまうところを 4,000円以下で収めることができたのは素晴らしいと自負しているところだ。

つい先日も仕事の用事で 3時間ほど一人で外出してきたが、家にいた 『お買い物日記』 担当者も含めて互いにネット利用することができて便利さを実感している。

ただし、これでよりネット依存度が高まってしまったのは否定できないが・・・。

隣人その2 右隣の一軒家隣人その2 右隣の一軒家

我が家に向かって右隣には、以前ワンプと高校生の息子さん、そしてそのご両親が暮らしていたが、息子さんが高校を卒業して家を出たことと、近くに住む奥さんの親が高齢になったことから、そちらと同居するために引っ越してしまった。

しばらく空き家になっていたその家に入居者が決まり、引っ越してきたのが四月の初旬のことだったが、引越しの挨拶をされていないし表札すら出していないので、今でもどこから来た誰なのか分からない。

すでに二カ月が経過し、窓を開ける季節にもなってきたので何となく住んでいる人は分かるようになってきた。

どうやら老夫婦が一組、その娘らしき女性が一人、その子供らしき中学か高校生くらいの男の子が一人に犬が一匹という家族構成のようだ。

ある程度の年齢になっている人が引越しの挨拶をしないということは、あまり近隣に正体を明かしたくないのかと疑ってしまう。

男の子には母親しかいないようであるから、夫の暴力から逃げているところで、その夫に居場所を知られたくないがために近所付き合いを避けているという可能性もある。

はたまた離婚後に交際した男性がストーカーとなってしまったため、その魔の手から逃れるために身を潜めているのかも知れない。

しかし、男の子は学校に通っているので転校の際には住民票などが必要になるであろうから居場所を突き止められてしまうことになると思われ、夫の暴力やストーカーから逃げる一家という推理は当てはまらないだろう。

だとすれば家族のうちの誰かが犯罪者、あるいは事件事故に巻き込まれた被害者で、好奇の目にさらされたくないがゆえに近所づきあいをしたがらないのだろうか。

いや、家族に見えるが実は他人の集まりで、訳の分からないカルト宗教に属して出家した人たちかも知れない。

もう二か月にもなるのに一言も話しをしていないことによる不安感もある。

家にこもっていることが多い我が家であるため、それも言葉を交わさない一因ではあるかも知れないが、ほんの数回だけ遭遇した際に相手が話したがらないような素振りを見せていることも大きな要因だ。

『お買い物日記』 担当者が家の周りの掃除をしていると、隣の家で玄関を出入りする気配があるものの、声をかけてもらったことはないし、顔を上げるとすでに後ろ姿しか見えないということが何度かあったと聞く。

朝の散歩から帰ってくると隣の人が玄関から出てくるところだったが、目も合わさず、そそくさと車に乗り込み、そのまま発進してしまう。

どう考えても 『話しかけてくれるなオーラ』 を発しているとしか思えない。

数日前、部屋の明かりを点けず、カーテンもしないまま、夕方から夜にかけて例の体操をしていると、南側の大きな窓の外を通る影があった。

気にはなったものの無視していると、影は逆方向に進む。

そして再び右から左に影が動くので窓に近寄り見てみると、右隣の家の老夫婦と思われるうちの女性のほうが、我が家の敷地内を歩いて裏まで行き、再び敷地内を歩いて帰って行った。

部屋を暗くしていたので誰も居ないと思い、勝手に敷地内を歩いているのか、それとも普段から歩いているのをカーテンをしているので気づかずにいただけなのか。

いずれにせよ右隣の住人は我が家にとって不気味な存在であるし、一般常識に欠けているように思えてならない。

左隣の住人が良い人なだけに、右隣の住人の不気味さが際立ってしまうのだろうが・・・。

隣人その1 左隣のお店隣人その1 左隣のお店

一週間前の日曜日隣の店マユちゃんが帰って来たのではと期待したが、どうやら一時的に帰省していただけだったらしく、あれからマユちゃんの部屋に明かりが灯ることはなかった。

我が家に向かって左隣、理美容室を営む隣人をいつも見ている訳でもなければ、のぞき趣味がある訳でもないが、家の構造上の都合から自然に隣家が目に入ってしまう。

トイレに行こうと立ち上がった時、ゴミを捨てようとする時、キッチンに向かう時、そのキッチンで冷蔵庫に向かう時、電子レンジを使う時、トースターを使う時、調味料を手に取ろうとする時、そのすべての動作において北側に位置する窓から隣の店が見えるし、まして 『お買い物日記』 担当者は窓を見る位置でパソコンに向かうので、結果的には頻繁に目にすることになる。

店の駐車スペースに常に車があれば、
「ああ、今日も店は忙しそうだ」
と思い、窓から見える目の前に駐車している主にお兄ちゃん乗っている車、妹ちゃんが乗っている車の二台それぞれがなければ
「お兄ちゃんが出かけたのか」
とか
「妹ちゃんはどこに行ったのか」
と思ったり、お母さんの自転車が玄関先に置いてあれば
「買い物に行ってきたのか」
と思って、お父さんの自転車があれば
「どこに遊びに行ってきたのか」
などと思ったりしている。

夜になれば店の明かりが消えて、それぞれの部屋の明かりが灯る。

我が家から見える左側から順に、お兄ちゃん、妹ちゃん、マユちゃんの部屋だと前に教えてもらったことがあるので、その右側の窓に明かりが灯れば
「マユちゃんが帰って来た!」
と、『お買い物日記』 担当者と二人、勝手に喜んだりしている訳である。

で、話しをマユちゃんのことに戻せば、大型の荷物が業者によって運び込まれ、直後にマユちゃんが帰って来たので札幌のアパートを引き払って実家に戻って来たのだろうと単純に想像していたのだが、それはどうやら違っていたらしく、ここ数日はマユちゃんの部屋に明かりは灯らない。

だとすれば、まるで引越し荷物のようなあれは何だっただろう。

仕送りに頼っていた学生時代と異なり、仕事を始めて自活するにあたり、狭い部屋に引っ越したため荷物が入りきらなくなったのだろうか。

それとも若くしてお嫁さんに行くことになったのだろうか。

『お買い物日記』 担当者が以前に妹ちゃんから聞いた話しによると、できるだけ早く結婚して子を産み、幸せな家庭を築いてほしいという母親としての願いがあるのだそうだ。

そしてマユちゃんには彼女が学生の頃から付き合っている家族公認の彼氏がいるので、さっさと嫁に行ってしまっても決して不思議ではない。

したがって、結婚という選択肢も非現実的なものではなく、可能性の一つとして十分に考えられることであり、彼氏と同居することになったため、部屋に入りきらない余分な荷物は実家に戻したということもあり得るわけだ。

何にせよ、キッチンの窓から見える断片的な情報だけを繋ぎ合わせ、勝手な想像を膨らませているだけなので実際のところは分からないのである。

今月は自分も 『お買い物日記』 担当者も髪を切りに行くので、その際に何か新しい事実が判明するかも知れない。

キンチョーの夏キンチョーの夏

今は異常気象らしいが、北海道でも連日のように夏日、真夏日を記録しており、季節もすっかり夏気分であるが実際には真夏までまだ時間がある。

北海道の学校では 6月に運動会を開催するので、各スーパー、コンビニ、回転寿司から宅配業者まで運動会当日の弁当やオードブルの配達を受け付けているが、いつからこんなことになったのだろう。

昔の運動会といえば巻き寿司や稲荷寿司が超ド定番であり、その他にはゆで玉子、いったい誰がそんなに食べるんだと問いただしたくなるほど大量の漬物がある程度だったが、子供が贅沢になったのか、親同士の見栄の張り合いなのか、食べるものが年々豪華になり、最終的には自分の手に負えなくなって業者に発注するものだから、家庭の味も何もあったものじゃなくなるという無益な状態に陥っている。

忙しい現代人、早起きして日が昇る前から家族のためにお手製の弁当を作ることなど難しいのかもしれないが・・・。

子どもたちは運動会の練習に余念がなく、最近はみんなジャージ姿で登校しているが、家族に見せる演技など本番で上手にできるか緊張していることだろう。

そして、大会当日に間違いなく、そして時間通りに食べ物を届けなければいけない業者も緊張しているに違いない。

お父さんたちは、果たしてうまくビデオに我が子の勇姿を収めることができるか今から緊張しているのではないだろうか。

6月になれば高校野球の地区大会も開催されるので、甲子園を夢見る球児にとっては緊張の夏が始まるのだろう。

その後すぐにやってくる夏休みは、はめをはずす子供が多いので親にとっては緊張の夏を強いられることになる。

電力需給のバランス不安で節電を強いられるか緊張の夏となるし、電力会社も安定供給することができるか緊張の夏が始まる。

省エネを意識するあまり熱中症になってしまう危険性をはらんでいるため、お年寄りにとっても緊張の夏になることだろう。

色々と緊張感が漂う夏ではあるが、何はともあれ虫刺されだけはとっても嫌なので、我が家にとっては金鳥の夏といったところだ。

春の終わり春の終わり

5月 6日から始まって昨日の昼まで、実に約三週間も桜を堪能することができたし、今はライラックが満開になっているし、他の花もまだまだ花は咲き誇っているが、店に地物の春野菜が並び始めたということは花の時期も終わって実をつけて、それが収穫期を迎えつつあるということで、それはつまり春の終わりを告げているということでもある。

ツバメのヒナも成長して巣立ち、スズメも子育てに忙しそうだ。

先日、この時期に着られるものがほしくて衣料店に行ってみたところ、すでに店内は夏物ばかりで春秋物は売れ残ったものが店の片隅で投げ売り状態になっている程度しか売られていない。

安く買えるのなら投げ売り品でも構いはしないのだが、気に入ったものがあまりなかったし、ちょっと良いと思ったものは体に合うサイズがなかったので何も買わずに店を出た。

人生の大部分を室内で過ごしているため外出着などあまり必要なく、滅多に衣料店になど行かないので商品サイクルをまったく理解できていないのである。

その長い時間を過ごす部屋でも少しずつ重ね着を減らし、部屋着が初夏仕様になるまでもう少しのところだが、まだ朝晩は寒いくらいなので減らすペースは遅い。

道産子は実気温よりカレンダー通りの服装をする人が多く、すでに子どもや若者は半袖姿で歩いているが、年齢とともにファッションより実用性や快適性を求めるようになった身としては、半袖などまだ一カ月くらい先の服装だと思われる。

朝の散歩着も少しずつ重ね着が減り、今はジャージの上下のみとなったが、その散歩の途中で会う黒柴リュウくん黄色いベストは冬も夏も変わらない。

去年の冬から着るようになったのだが、夏になれば着るのをやめるか薄手のものを作ってもらえるのだろうと思っていたのに、一年を通して同じものを着せられている。

しかし、リュウくんは他の犬と異なり、夏の暑い日でも舌をベロンと出してハーハーしながら体温調節をすることもないので、あまり暑いと感じていないのかもしれない。

その散歩で公園の芝生や木々、遠くの山をみたりしながら歩くのだが、文字通りの若葉色、目にも鮮やかな緑だった草木の色も濃くなってきた。

ここ数年、毎年バジルを育てているが、そろそろ作付をする時期だ。

作付と言っても本格的な畑仕事ではなく、店で売られている栽培キットを買ってきて育てる楽しみ、収穫の楽しみを味わっている。

それでも少しずつ育て方が上手になってきたり、人から育て方を教えてもらったりしたこともあって、2011年は約 200枚の収穫だったものが 2012年には 300枚となり、去年は 600枚ものバジルを収穫することができた。

もちろん天候に左右されるので今年もたくさん収穫できるか分からないが、我が家では摘みたてのバジルを冷製パスタで食べるのがすっかり夏の風物詩となりつつある。

過去に何度か書いたが、大阪に暮らしていた頃は今頃が一年の中で最も憂鬱な時期だった。

もうすぐ鬱陶しい梅雨が始まり、それが終わると地獄のような暑さがやって来て、それが9月の中旬まで延々と続く。

北海道では冬でも寒さを嫌がる人はあまりおらず、寒いものは寒い、冬は寒くて当たり前と捉えているものと思われる。

高齢になって力がなくなり、体力も衰えてくると除雪するのが辛くなって積もる雪にうんざりすることから冬を前に憂鬱になる人がいるが、自分の場合はまだ除雪が苦にならないので冬という季節も嫌いではない。

とにかくあの暑さ、時には沖縄より体温より高い気温に蒸し風呂のような湿気、流れる汗に眠れぬ夜、いつ終わるとも知れぬ地獄のような日々が嫌だった。

それを思うと逃げ出したいような気になり、このまま時が止まってくれたらどんなに良いだろうと妄想するのが今くらいの時期だったのである。

その大阪で鍛えてもらったこともあって、北海道の夏など暑いと言ってもたかが知れており、生粋の道産子が暑がってエアコンを設置したりする中、我が家では昼間に扇風機を使うのはひと夏に 10日もなく、就寝の際に扇風機を回すのも 3日くらいなものだろう。

暑さで眠れないことも夜中に目を覚ますこともなく、窓を閉め切ったままでも何の問題もなく朝を迎えることができる。

以前までは暑さが過ぎて空気が乾燥する秋が一年で最も好きな季節だったが、今は風雪に耐えた草花が命を吹き返して一気に色づく春、そして夏に向かうこの時期が一番好きかもしれない。

銭湯銭湯

全国で銭湯の数が減り、2005年現在で 5,000軒程度だ。

家を出て、一人暮らしの始まりは風呂なしアパートだったので、そこを出るまでの 6-7年間は銭湯通いをしていた。

今の世の中には人付き合い、裸の付き合いなどなくなってしまったが、当時は友達と銭湯に行くこともあり、互いに背中を流したり湯船に浸かってくだらない話しに花を咲かせたりと、それなりにコミュニケーションを図っていた訳である。

ある日、その銭湯に行くと先に友達が来ていて洗髪をしているのを見つけた。

シャンプーが終わり、洗い流す段になったので後ろにそっと近づき、上から少しずつシャンプーを垂らしてやったところ、いつまでも泡が消えず、必死に頭をジャブジャブとすすいでいる。

それを不審に思った友達が目の前の鏡越しに自分に気付き、やっと事態を把握したかと思うと洗面器に冷水を入れてぶちまけて反撃に出たりするのだが、それが知らないオッサンにかかったりして怒鳴られたりもした。

湯船に入って何だかんだと話しをしていると、知らないオッサンやジイさんが会話に乱入してくることもあり、そこで知り合いの輪が広がったりもしたが、今ではそんな風情も失われてしまったことだろう。

そもそも最近は風呂なしのアパートなど希少物件で、各部屋に風呂もトイレも完備されているのが常識となったため、銭湯の客は減る一方で廃業が増えるのも致し方ないことかも知れない。

かなり以前の雑感にも書いたように、若い頃は髪を長く伸ばしており、今も濃くないヒゲは当時まったくと言って良いほど生えておらず、誰がどう見ても性別不明などいうものではなく、まごうことなき女として認知されるような外見だった。

それは番台のオバちゃんも同様で、ガラガラと戸を開けて男湯に入っていくたびに
「違うっ!女湯はあっち!」
と注意された。

脱衣場で服を脱ぐ際も番台のオバちゃんや周りのオッサンの注目の的で、みんなが好奇な目でこちらを見ており、どうにも落ち着かないし、いくら男同士であっても何人もの目がこちらに向けられている中で服を脱ぐのはこっ恥ずかしい。

そんなことが続き、すっかり風呂嫌いというか銭湯嫌いになってしまった自分は、人の目を気にせず入浴できる家族風呂に通うようになった。

家族風呂とは脱衣場から浴室までが個室になっている公衆浴場で、当時は銭湯の 2.5倍ほどの料金で貸し切ることができた。

家族 3人であれば、むしろ安いか、小さな子供連れだと同額で個室が使えるのだが、それを一人で使うとなると金のない学生の身分とあっては回数を減らさざるを得ない。

大衆の目にさらされて服を脱ぐ恥ずかしさに耐えてでも清潔を保つか、回数を減らして多少は頭や体の痒みに耐えてでも気兼ねなく入浴するかを検討した結果、彼女がいる訳でもモテたい訳でもない以上、家族風呂を選択するという結論に至った。

しかし、金額が 2.5倍というだけではなく、家族風呂のある場所が銭湯の 3倍の距離であったため、想像以上に入浴間隔があき、ちょっと不潔な状態が続くことになってしまったのは反省の意味も込めて記しておかねばなるまい。

しかし、が、しかしである。

うら若き青年が好奇の目にさらされて裸になるのは想像以上に恥ずかしく、想像以上にストレスを感じるものであり、不潔だと分かっていても、なかなか銭湯に足が向かなかったのである。

だったら髪を切れば良いという話しもないではないが、当時はその考えがまったく頭に浮かばず、数千円で散髪することよりも、月々数万円ほど出費が増えてでも風呂付きの部屋に引っ越すという暴挙に及び、ますます貧乏学生に拍車がかかってしまったのであった。

今は家族で風呂に入るとすればスーパー銭湯というものがあるので家族風呂という業態も減ったに違いない。

今後も公衆浴場は減り続け、古き良き文化は失われるだろう。

しかし、これも時代の流れ。

個人が使えるものがあれば公衆のものが必要とされなくなるのは電話も同じで、今では電話ボックスを見つけるのも一苦労だ。

公衆電話は 1984年の 934,903台をピークに減少が続き、2012年には約 1/4の 210,448台、銭湯は 1965年の約 22,000軒をピークに 2005年には公衆電話と同じように約 1/4となる 5,267軒となっている。

数自体は銭湯の方が少ないが、携帯電話の普及、それを使わない年齢層の人口減を考えると公衆電話のほうが早いペースで数が減っていくのではないだろうか。

いや、銭湯の利用客も高齢化が進んでいるので人口減は客数の減少に直結する。

公衆電話と銭湯、果たしてどちらが先に絶滅するのだろう。

差別差別

※ お断り - 今回の雑感には表現の必要上、差別用語が含まれています。

ここのところ、テレビで差別をテーマにした議論を何度か見た。

自分自身は過去の雑感に書いたように差別意識はほとんどなく、もしかすると子供の頃に差別用語を口走ってしまったこともあるかもしれないが、物心がついて以降は人を差別したり差別するようなことを口にしたりしてこなかったつもりだ。

しかし、海外ドラマを見ていると今でもアメリカやヨーロッパには人種差別が根深く存在するのは厳然たる事実であろうし、ここ数日ニュースで伝えられているようにイスラム社会では歴然たる女性差別がある。

この世から差別をなくすことは不可能なのかもしれないと思うのは、差別をしないように神経質になりすぎると逆差別を生み、それをなくそうと別の言葉に置き換えても、その言葉を不快に思う人が現れてまた差別用語になってしまうということをくり返しているからだ。

以前は体のどこかに障害があることを 『カタワ』 と総称しており、知能に問題があることを 『キチガイ』 と総称していたが、それが問題視されて今ではそれぞれ身体障害者、知的障害者と表現されている。

しかし、最近になって障害者というワードに含まれる 『害』 という字が気に入らないと言い出した団体があるらしい。

世の中の害みたいにとらえられる危険性があるからだという。

だとすれば何と表現すればよいのか、どう言ってほしいのかという対案も提示せず、一方的に気に入らない、問題だと騒ぎ立てる人や団体まで気遣っていると差別はなくなるどころか逆差別という変質した状態で残り続けるのではないだろうか。

キチガイが差別用語となったため、それから派生した一切の言葉を使うことができなくなってしまったのは困りもので、例えば趣味などに没頭する人のことを「○○キチ」と表現することすら望ましくないと言われている。

マージャン好きの雀キチ、音楽好きの音キチ、車好きのカーキチ、阪神タイガースの応援に没頭するトラキチも使用することは望ましくないため、テレビやラジオの電波に乗ったり新聞紙面に載ることはない。

以前、少年誌に連載されていた漫画 『釣りキチ三平』 も 『釣りマニア三平』 に改めるべきかどうかと議論されたこともあったと聞く。

確かに神経質に考えるとそれらの表現は好ましくないのかもしれず、言われて不快に思うのなら改めるべきかとも思うが、自身を指して自嘲気味に
「わたし実は囲碁に目がない碁キチでして・・・」
と言うくらいは差し支えないのではないだろうか。

・・・と、書いてみたが、実はこの 『目がない』 も使用するのは望ましくない表現の一つだったりするので、気にしはじめるとテレビやラジオで何も話せず、何の文章も書けなくなってしまうような気がする。

種が混じると昔は 『アイノコ』 などと言ったりしたものだが、それが差別用語となったので人種の違う親から生まれた子を 『ハーフ』 と呼んでいたところ、それすらも好ましくないと言われるようになってしまった。

犬種が混じった犬もアイノコ、ハーフなどと言っていたのを改めて今ではミックスと呼ぶようになったが、それを人間に使用して血が混じった人を指してミックスなどと言おうものなら非難轟々となってしまうという実に面倒な状況下にある。

すでに意識も運動機能も失われ、生命維持装置によって生きている人を 『植物人間』 と表現せず植物状態になってしまった人と言わねばならず、書類に目を通さず捺印することを 『めくら判』 と言ってはならず、中途半端で完成度の低いことを 『片手落ち』 と言ってはならない。

屠殺場ではなく食肉解体業が好ましく、給仕ではなく接客係で、百姓ではなく農業従事者、女工は女子工員、日雇いは自由労働者、坊主は僧侶、親方はチーフ、町医者は開業医、床屋は理容室、板前は調理師、共稼ぎは共働き・・・・・などなど、まだまだあるが、それらは本当に差別的な表現であって言われると不快に思う人が多いのだろうか。

あまりにも締め付けが強くなると、芸能人のお馬鹿キャラをイジるような、昔のクイズヘキサゴンみたいな番組は成立しなくなるかもしれない。

このままエスカレートすれば、トンチンカンなことを言う人、常識のない人、小学生程度の問題を解けない人をイジって笑うような番組を放送すれば、それは差別だとか何だとか言い出す団体が出そうな気がする。

身体であれ、知的であれ、障害を持つ人を差別する気は昔も今もないが、このまま気を使いすぎると、いや、今の時点ですら、もうすでに逆差別の領域に入っているのではないだろうかという気がしてしまう。

体の一部が不自由な人は、障害があるのではなく、それは個性だと五体不満足の著者でもある乙武洋匡氏が言っていた。

それが核心なのでないかと自分も思うし、それが正しく、障害を持つ人も障害者に接する人も本心からそう思える時が差別が消える時なのではないかと思う。

本当に身体的個性や特徴をイジるのが良くないのであれば、ハゲとかデブ、ブスに出っ歯とかだってテレビやラジオの電波に乗せるべきではないし、印刷物に掲載すべきではない。

言われて不快に思う人、傷つく人がいる以上、それは放送禁止用語、差別用語と何ら変わりないではないか。

それらの言葉を使用禁止にするか、それらと同様、同等程度の言葉まで差別用語とする現在の風潮を変えるべきではないかと思う。

あまりにも神経質になりすぎて逆差別状態が拡大すると、互いが同一社会で暮らすこと自体が困難になってしまうような気がする。

誤報誤報

以前に住んでいた街札幌、大阪に引っ越す直前まで 24階建て高層マンションの 14階で暮らしていた。

購入したのではなく、分譲マンションであるその部屋を購入した人が賃貸物件としていたので月々の家賃を支払って住んでいたのである。

以前の雑感にも書いたように、そこでは上階の住人に悩まされたので分譲マンションを購入したり、一軒家を建てる場合は一か八かの覚悟が必要だと思ったりしたが、住人が多いだけにマンション住まいのほうがリスクが大きいかも知れない。

マンション内の住人との付き合いもさることながら、それだけ人がいると様々なトラブルも発生するものだ。

仕事から帰って食事をし、のんびりテレビなど見ながらくつろいでいたある夜、火災報知機の非常ベルがマンション中に響き渡る。

窓から上下階を見てみても炎はおろか煙さえも出ていないが、燃えているのが上階ならまだしも下階だった場合は避難が難しくなるので早めに行動すべきか迷っていると、マンションの外に避難する人の姿が見え始め、数台の消防車も到着した。

これはいよいよ脱出すべきか、その前に貴重品をまとめるべきかと 『お買い物日記』 担当者と話しながら、それでも窓から下を見ていたのだが消防車は一向に放水を開始する気配がない。

消防署員の動きも機敏ではなく、なんとなく手持ち無沙汰なようであり、歩く速度ものんびりしている。

これは何かがおかしいと感じ始めた頃、外に出ていた人たちがマンション内に戻り始めているらしく、少しずつ人数が減ってきたかと思うと駆けつけた消防車もサイレンを鳴らさずに帰って行く。

誰かがイタズラで火災警報器を鳴らしたのか、何かの勘違いで実は火事ではなかったのか、いずれにしても大事には至らず騒動は収まった。

後日、『お買い物日記』 担当者が聞いてきた話しによると、空き部屋に虫が出たので管理人さんがバルサンを焚き、それに火災報知機が反応したのが騒動の原因だったらしい。

まったく人騒がせなことではあったが、多くの人が一箇所に暮らすとこういうことも少なからず起こるのだろう。

大阪で約 14年間ほど暮らしていた 4世帯が暮らせるアパートでも夜中に何度か火災報知器が鳴った。

眠りの浅い自分はすぐに飛び起きて、どこが燃えているか外に出て確認したりするのだが、残り三軒の住人は外に出ることもなく、部屋の明かりが灯ることもない。

あれだけの音がしても人は起きずに寝ていられるのかと変に感心したり、これで火災警報の意味があるのだろうかと疑問に思ったりしたものだ。

警報は数分で消え、結局はどこも火事になっていないし、誰かが起きていてバルサンを焚いた訳でもなさそうなので装置が誤動作したのだろう。

かなり若い頃、札幌のススキノで酒を飲んでいると、ビルの火災警報機が鳴り響いた。

若い客が集まるパブの若い従業員ではあったが、それなりに訓練されているのか冷静に行動するよう客を落ち着かせ、いざとなったら脱出用シュートがあると説明を繰り返す。

それは滑り台のようなもので、そのビルより低い隣のビルの屋上に防火繊維でできた筒状の布を下ろし、その中を滑り降りるものなのだが、非常出口となっている窓の横に設置された容器の中を見た従業員が 「ああっ!」 と焦ったような声を出した。

なんとその繊維は防火性に優れているのかもしれないが防虫性はなかったらしく、虫食いでボロボロになってしまって使いものにならない。

ならば早めに避難すべきと客を店の外に誘導し、すでにエレベーターが使用停止になっていたので非常階段を降りるよう指示を出す。

ところが先に降り始めた人が逆走してきて 「煙が下から登ってくるので階下が燃えているらしい」 と言い、それでは下は危険だろうから屋上に行って救出を待つしかないということになった。

自分はどうにかなるだろうという変な自信があったので割りと落ち着いて行動していたが、中にはパニック状態になって大声を上げながら階段を駆け上がる人もいる。

その階段を上がっている途中、妙に間延びした声で館内放送が始まった。

「え~、今、火災警報器が作動しておりますが、これは私が七輪でサンマを焼いたからでありまして、火事ではありませんので避難の必要はございません」

・・・。

なんとその警備員、夜食用にサンマを持参し、サンマは炭火で焼くのが一番と七輪に火をおこし、こともあろうか狭い警備員室では煙たいからと、非常階段の踊り場で焼いていたのだという。

事情を知って怒り出す客もいたが自分は可笑しくて仕方がなく、酒で楽しい気分になっていたのも手伝って、しばらく笑いが止まらなかった。

ゾロゾロと店に戻って飲み直す者、これが潮時と会計を済ませて帰る人など様々だったが、客の何人かは店に戻ってこなかったので、騒ぎに乗じて金を払わず逃げたものと思われる。

色々なことがあるものだが、経験したのは誤報だけで実際の火事に遭遇したことは一度もない。

火事になど遭わないに越したことはないし、火事の現場を野次馬的に見たことすらないので火災には縁がないものと思われ、それならそれで少ない財産ではるが、それを失うこともないということなので喜ぶべきことなのだろうと思っている。