あれから七年。
できるだけ長く過ごしたかった義兄が逝ってしまったあの日。
大阪を離れて北海道に帰ることにした事情。
アメリカに住む義兄が体調を悪くし、帰国したのが 2008年 2月。
念のため東京でも検査を受けたが、告げられたのは余命三カ月という辛い現実。
医者の言う余命三カ月は最大値で、もし長く生きられたとしても三カ月ということだが、一日でも長く生きてほしい家族はそう受け取らず、最短でも三カ月は生きていてくれて、もしかすると半年、一年と一緒に過ごせるかもしれないと。
しかし現実はあまりにも残酷で、過ごせたのは帰ってきてたったの三日間。
2008年1月末帰国、2月1日に再会、 2月3日に大阪を離れると決め、2月18日に大阪を後にし、2月19日に北海道着、2月21日に義兄が他界。
あまりに急なことで 2月3日から 18日までの記憶が薄っすらとしかなく、何をどうやって箱詰めして引っ越し準備をしたのか。
通常であれば一カ月前に申し出なければならない部屋の解約も、事情を知って快諾してくれた大家さんに感謝。
今、様々なことを思い出しているのは、アメリカから義兄の知り合いが来てくれて墓参りをしてくれたからだ。
義兄は帰国の途につく際、飼っていた猫 2匹をあずけてきた。
来てくれたのはその猫たちを最後まで世話してくれた人で、今回は天寿を全うした猫たちの遺灰も届けてくれたのだが、それは義兄との約束を果たすためでもあったらしい。
義兄から猫を譲り受けた、あるいはもらったのではなく、あずかると約束したのだそうで、あずかった以上は返すのが筋だと考えておられるようだ。
遠くまで来てくれた礼をすると、たった一言
「あずかるという約束でしたから」
とおっしゃっていた。
墓に向かって手を合わせ、何度もため息をつき、目頭を押さえておられたが、心の中で義兄と何を話したのか。
急ぎ旅の途中だったので、合流してから墓参りをして別れるまで 30分もなかったが、とても濃密な時間を過ごしたように思う。