大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

あれからあれから

あれから七年。

できるだけ長く過ごしたかった義兄が逝ってしまったあの日

大阪を離れて北海道に帰ることにした事情。

アメリカに住む義兄が体調を悪くし、帰国したのが 2008年 2月

念のため東京でも検査を受けたが、告げられたのは余命三カ月という辛い現実。

医者の言う余命三カ月は最大値で、もし長く生きられたとしても三カ月ということだが、一日でも長く生きてほしい家族はそう受け取らず、最短でも三カ月は生きていてくれて、もしかすると半年、一年と一緒に過ごせるかもしれないと。

しかし現実はあまりにも残酷で、過ごせたのは帰ってきてたったの三日間。

2008年1月末帰国、2月1日に再会、 2月3日に大阪を離れると決め、2月18日に大阪を後にし、2月19日に北海道着、2月21日に義兄が他界。

あまりに急なことで 2月3日から 18日までの記憶が薄っすらとしかなく、何をどうやって箱詰めして引っ越し準備をしたのか。

通常であれば一カ月前に申し出なければならない部屋の解約も、事情を知って快諾してくれた大家さんに感謝。

今、様々なことを思い出しているのは、アメリカから義兄の知り合いが来てくれて墓参りをしてくれたからだ。

義兄は帰国の途につく際、飼っていた猫 2匹をあずけてきた。

来てくれたのはその猫たちを最後まで世話してくれた人で、今回は天寿を全うした猫たちの遺灰も届けてくれたのだが、それは義兄との約束を果たすためでもあったらしい。

義兄から猫を譲り受けた、あるいはもらったのではなく、あずかると約束したのだそうで、あずかった以上は返すのが筋だと考えておられるようだ。

遠くまで来てくれた礼をすると、たった一言
「あずかるという約束でしたから」
とおっしゃっていた。

墓に向かって手を合わせ、何度もため息をつき、目頭を押さえておられたが、心の中で義兄と何を話したのか。

急ぎ旅の途中だったので、合流してから墓参りをして別れるまで 30分もなかったが、とても濃密な時間を過ごしたように思う。

自分解体新書 - 21 -自分解体新書 - 21 -

自分解体新書 ~目次~

■ 足裏 その6

気づかないうちに足裏の痛みがなくなっていたのは前回の 20でも触れたが、冬の寒い時期、急激な天候の変化など、何かの機会に軽い痛みを感じることがある。

いわゆる 『古傷が痛む』 というやつなのかもしれないが、外傷を負った覚えもないし、足をひねった訳でもなく、そもそも原因が分かっていないので古傷と呼んで良いものやらといったところではあるが、何かの拍子に痛みを感じるのだから少なからず因果関係があるのだろう。

痛みを感じると言っても歩行に支障をきたす訳ではないし、朝から晩まで座りっぱなしの仕事なので大きな問題ではない。

激痛なら朝の散歩も室内運動にも影響が出るが、ちょっと痛いかな?という程度なので今のところは放っておいているし、余程のことがない限り病院に行くこともないだろう。

■ 太腿 その2

これもかなり前に書いたことだが、ハムストリングスがとても痛い時期があった。

それもいつの間にか治っていたようで、普通に生活していると痛みはない。

それでも例の体操などで、普段はしないような姿勢になると張りと痛みを感じるが、一時的なことであるし体操の時だけ気をつけたら良いことなので放置することにしている。

■ アバラ骨

指や首、ヒザなどの関節がポキポキ鳴るのは誰にでもあることだろうが、自分はどういう訳だかアバラ骨もポキっと鳴る。

体を少し後ろに反らしたりするとアバラ骨の中心部、首に近い胸のあたりがポキっと音をたてるのだが、そんなことがあるのだろうかとネットで調べてみると、何人もの人が書き込んでいたり心配して質問したりしているので珍しいことではないのだろう。

そんなこともあって、アバラがポキポキ音を立てても気にしないでいたのだが、数週間前から少し痛みを伴い始めたので、なるべく音が鳴らないように気をつけるようにしていた。

しかし、音が鳴るのが癖になっているようで、昼や夕方の室内運動をしていても、ちょっと疲れて伸びをしても、しまいには仰向けに寝転がっただけでもポキっと音がなる。

そして痛みは日に日に増して激痛と呼べるまでになってしまった。

あまりにも長く続くようなら病院に行かなければと思っていたが、なるべく音が鳴らないように気をつけていたら少しずつ痛みが治まってきたので目下のところは経過観察といったところだ。

■ まつ毛 その5

2-3日前から目の前を綿ぼこりが飛んでいるような、まつ毛に何かが付着しているような、何かが光っているような気がしており、これはまた白いまつ毛が生えてきたのだろと昨日の夜になって鏡で確認してみると、何と左右両目に白いまつ毛が生えていた。

今まで数か月おきくらいの間隔で左右どちらかに生える程度だったのに、最近は少しペースが早まってきたと薄々感じていたが、まさか両目同時に生えるとは・・・。

今はまだ一本ずつだが、この調子だと両目に数本ずつ、そのうちに頭髪と同様に白い毛の方が多くなってしまうのではないだろうか。

あまり濃くないヒゲも最近は白い毛が優勢になりつつある。

まだ眉毛には生えてきていないが、そう遠くはない将来、頭髪、眉毛、まつ毛、ヒゲまですべて白くなってしまうのではなかろうかと少し不安に思ったりしているところだ。

自分解体新書

歯医者六軒目歯医者六軒目

過去に通った歯医者

「腕は確かだが先生が怖い。」
「行くたびに先生に叱られる。」
・・・。

とにかく評判を聞くと、十人が十人ともそう答える歯医者だった。

そして、中には
「もの凄く怖いから絶対に行きたくない」
とまでいう人もいるくらいだ。

しかし、前回の歯医者は懲りていたし、その歯医者は我が家から徒歩 3分程度ということもあり、
「怖かろうと何だろうと命までは取られはしまい」
と自分自身に言い聞かせ、思い切って予約を入れてみたのは前回と同様に差し歯が取れてしまったからである。

電話で問い合わせると
「いつでもいいですよ」
との回答。

前回の歯医者は妙に空いており、それは腕が悪いから患者が離れてしまった結果であろうと結論付けたので我が家も通うのを中止したのだが、こちらの歯医者も日時を指定されることなく、電話した当日の何時でも構わないというくらい空いているのは、あまり良くない事情があってのことではなかろうかと一抹の不安が胸をよぎる。

それでも周りの人の 『怖いが腕は確か』 という評判を信じて行ってみた。

確かに院内で待つ人もなく、すぐに治療台に案内される。

そこに現れたのが後に我が家で 『爺ちゃん先生』 と呼ばれるようになる頭髪が白髪で薄い高齢の歯科医だった。

実はこの先生、見かけより若いらしいのだが、ぱっと見は七十後半に見える老け顔に加え、多少は耳が遠くなっているのか声が大きく、行くたびに同じ話を何度も聞かされるという典型的な御老人といった感じの人なのである。

しかし評判通りに腕は良く、新しく作ってもらった差し歯は一度の調整だけでピッタリと馴染み、それから 5年が経過する今となってもまったく問題がない。

そして、これも評判通りに小言が多い。

叱られるとか、怖いと言う人が多いが、実は患者のことを思っての小言や注意が主なので怒りっぽいとか短気とかいう訳ではなさそうだ。

とにかく毎回のように言われるのが自分の歯をどこまで長持ちさせるかということで、若い頃と違って一定の年齢を過ぎたら硬いものをバリバリ食べてはいけないとか、何かをする際にも歯を食いしばってはいけないと言う。

ひと通りの治療が終わると爺ちゃん先生が毎度この話を始める。

何度も聞かされている話なので適当に相槌を打ちながらジワリジワリと出口に移動し、話の切れ間を狙って診察室から脱出するというのが基本パターンだ。

何もなくても半年に一度の割で歯医者に通い、歯周病になっていないか、虫歯はないか診てもらい、歯石を除去して歯をクリーニングしてもらうということを 5年ほど続けていたが、爺ちゃん先生に言われて歯磨きに歯間ブラシや糸ようじも活用するようになってからは除去すべき歯石もつかなくなった。

それでも半年に一度のペースで診てもらうと
「よし、ちゃんと言うことを聞いてみがいているな」
と褒められ、
「歯石も汚れもないから帰ってよろしい」
と言われ、受付の人には
「今日は何もしていないので料金はいりません」
と言われるようになった。

独り言でも爺ちゃん先生のことには何度も触れたが、とにかく患者思いでビジネスライクなところがなく、普通なら治療するような歯も治療してくれない。

お買い物日記』 担当者にも自分にも虫歯があり、黒く変色しているのだが
「まだ大丈夫だな」
などと言って放っておかれる。

爺ちゃん先生のポリシーとしては、ごく小さな虫食いであっても治療するとなれば周りを大きく犠牲にせねばならず、場合によっては歯の 1/3とか半分を削ることになるが、せっかくの自分の歯を大きく削るのは忍びないので限界まで治療せず、丁寧に歯磨きをすることでなるべく長く自分の歯を使わせてあげたいということらしい。

小さな虫歯であれば治療しない、歯周病や虫歯がないか診るだけなら金をとらない、とにかく患者のこと、長く自分の歯を使うことを第一に考えてくれる実に素晴らしい先生だ。

できることであれば今後もずっと診てもらいたかったのだが・・・。

その歯医者が今月末、つまりあと 3日で閉院になってしまうと知ったのは去年の 12月

その時のショックたるや、どんな言葉でも言い尽くすことはできないような、小さな頃に道に迷ってしまった時のような、女高生がスマホを無くしてしまったような、とにかく路頭に迷うとはこのことだと思えるほどの大きさだった。

それからというもの、となりの店、『お買い物日記』 担当者の友人・知人、我が家を担当してくれている生命保険のお姉ちゃんにまで歯医者情報を聞きまくっているが、なかなか 『これはっ!』 と思う情報を得ていない。

というのもヒマそうに見えて実は多くの患者さんを持っていたらしく、聞く人、聞く人、その多くが爺ちゃん先生に診てもらっており、そのほぼ全員が路頭に迷っている状態だったのである。

次に歯を診てもらおうと予定しているは 6月。

それまでに良い情報を得られるのか、我が家にとって最大の問題なのである。

歯医者

デジタル化の波 Signal-17デジタル化の波 Signal-17

デジタル化の波 ~目次~

文字のデジタル化、音楽のデジタル化、映像のデジタル化と時代は進んでいる。

文字は扱いが簡単で保存容量も大きくないので、コンピューターの登場とともにワープロ、パソコンで文字を入力し、フロッピーディスクと呼ばれる最大で 1メガバイトほどの記録媒体への保存が可能になり、普通の通話と同じ電話回線を利用して通信することで遠隔地への送信も可能になった。

手書き文書と違って編集も簡単で、誤字脱字などあれば簡単に修正することができるし、それをパソコンでレイアウトして印刷することも可能なので出版業界は革命的に仕事が楽に、そして速くなり、新聞、雑誌の締め切り時間も印刷ぎりぎりまで延ばせるようになったのである。

次にデジタル化が進んだのは音楽で、1980年を境にアナログのレコードからデジタルの CDへと、わずか数年という短い期間で一気に置き換わった。

アナログのほうが音質が良いのは確かなのだがレコードは取り扱いが面倒で、少しの傷やホコリで雑音が混じり、深い傷になれば同じ箇所が無限に再生されたり音飛びが生じたりしたし、レコードの樹脂は高温になる場所、例えば自動車内に置いておくと熱で柔らかくなって変形したりしたものだ。

ところが CDは一定程度までの熱にも強く変形しにくいし、多少の傷や汚れがあっても、例えカッターで表面を切ったとしても問題なく再生できるという利便性、耐久性に優れており、そもそも CD(コンパクト・ディスク)というだけあって小さいので保管も容易になった。

そして、何よりデジタル化されたことによって容量の圧縮も可能になり、小さな機器に何千、何万という曲を録音することが可能になったので自動車内からあふれていたカセットテープが消え、ウォークマン世代も荷物を減らすことができるようになったことからも音楽のデジタル化が一気に進んだのも不思議ではない。

次にデジタル化が進んだのは映像だが、データ容量が大きいため最初は静止画、つまり写真が先にアナログからデジタルへと移行した。

それによって新聞、雑誌社がどれだけ便利になったかは以前に書いたので割愛するが、その恩恵は一般の我々も享受できている。

昔の修学旅行、社員旅行などで撮られた写真は、数日後に簡易的なアルバムに番号入りで回されて来たもので、ほしい番号を胴元というか、その写真を管理する側に知らせ、受け取った管理者はそれぞれの必要枚数を写真屋さんで焼き増した上で希望者に配って歩き、後に代金を回収したものだ。

ところが今となってはそんな手間は必要なく、ネット上に写真を掲載しておけば写真がほしい人は勝手にデータをダウンロードするなり印刷するなりすれば事は足りる時代になった。

回線の高速化、データ圧縮技術の高度化によって動画すらインターネットを使って送受信可能となったことで、今まで見たこともないような映像を見られるようになったのはここ数年のことだ。

ロシアの上空を通過する隕石その直後の衝撃波のすさまじさあの東日本大震災の津波の恐ろしさ台湾の飛行機事故などなど、報道カメラではない一般市民の撮影によるスクープとでも呼べるような映像が世の中にあふれている。

それもこれも映像のデジタル化によって撮影が容易になり、データ圧縮技術、メモリーの大容量化によって保存が可能になり、ネット回線の高速化とインターネット網の発達によって配信が可能になったことで全世界で映像を共有化できるようになった訳だ。

とても便利な世の中になったと思うが、同時にマイナスの影響も出始めている。

最近話題になったのは川崎中一殺害事件で逮捕された 18歳の主犯とされる少年、17歳の少年の顔写真、氏名、住所までがネット上で公開された件だ。

この狂った世の中において、最近では残忍な事件が発生しても客観視していたり、あくまでも他人事として受け止めることが圧倒的に多くなっていたが、これはなぜかニュースを見ていても極端な嫌悪感、そして怒りを覚える事件だった。

容疑者が未成年であろうと更生の道などという甘いことを言わずに実刑をくらわせるべきだと怒りに震えながら思ったりしていたが、だからと言ってネット上にプライバシーを公開するのはいかがなものか。

一応はコンピューター業界に身を置いているので早くから騒ぎになっていることも、ありとあらゆる情報が公開されていることも知っていたが、そういうたぐいの情報には興味が無いので少年の顔写真も、その他の情報も一切見ていない。

以前にも 『酒鬼薔薇事件』、『光市母子殺害事件』 など、大きな事件がある毎にネット上には事件を起こした少年(当時)の素顔や住所等が公開された。

彼らが本当に精神的に未発達で、教育や訓練によって更生できるのであれば、このネット社会でその後の人生を歩むのは極めて困難と言わざるをえない。

どんなに引っ越しても誰かに気づかれて、今の容姿を撮影され、住所などを公開されたら就職したり生活するのは難しいだろう。

そして、ネットの怖い点は、一度流出した情報は消すことができず、いつまでも拡散し続けることにあり、公開された側は二度と元の生活に戻ることはできないことにある。

どんなに法規制、罰則が厳しくなろうと止めることはできない。

高度に発達した便利な社会、その道具は使う側の良識をも試しているようだ。

デジタル化の波

引っ越し引っ越し

先日の独り言に書いたように義兄は転勤族である。

数年単位での引っ越しを繰り返しているので、その段取り、手順、各種手続きなどは慣れているし、普段から引越しのことを考えて必要以上に物を増やさないように心がけていると聞いた。

そして、新居での荷解きや収納も手際が良いに違いない。

大阪から北海道に帰ることが決まった時、そして北海道で荷物を搬入する時は色々とアドバイスしてもらったものだ。

ただし、聞く側に知識や意識が乏しいためアドバイスが生かされたとは思えないような結果となってしまい、本当にそれがそこにあって不便ではないのかという単純なことすら解決しないまま何となく慣れてしまって現在に至っている。

それというのも引っ越しの経験値が低いのが主たる要因だ。

自分の場合は農耕民族の DNAを色濃く受け継いでいるのか、一箇所に落ち着くと余程のことがない限りは引っ越さない。

最初に一人暮らしを始め、過去の雑感で何度も触れた悪友のたまり場と化していた風呂なしボロアパートには 6年、次の場所には 4年、次も 4年、その次は短くて 1年、そして大阪では一度も引っ越さずに 13年以上くらし、北海道に帰ってきて同じ場所に住み続けて 7年が経過した。

途中、4年ごとに引っ越したのも一人暮らしが二人暮らしになったり結婚があったからだし、最も短い 1年は引っ越したとたんに転勤が決まったからであって大きなイベントがなければ住居を変えることはなかったと思う。

そんなこんなで引っ越しの心構えがないものだから、いざというときに物がまとまっていなかったり住み続けている間に物が増え続けたりしているので大変なのである。

自分は物に執着しないので必要のないものは捨てるのをいとわないが、なかなか捨てることができないのが 『お買い物日記』 担当者だ。

大阪から北海道への引っ越しの際、いくつもあるハンドバッグを大阪に来てから一度も使っていないもの、ここ数年は使っていないものと使用頻度の低い順に並べ、たとえそれが高価なものであろうと使わないものを持っていても、ましてや引越し先に移動しても仕方がないので過去二年間不使用のところでラインを引いて捨てることにした。

それは衣類も同じで、購入価格がどうであろうと時代遅れのものや過去数年は袖を通していないものは廃棄処分とした。

『お買い物日記』 担当者は渋々といった感じだったが、引越し荷物は少ないほうが良いに決まっているので心を鬼にして自分が主導し、かなりな数を処分した。

そして、この家には大きなクローゼットがあり、家具や家電製品もあったので冷蔵庫や電子レンジをはじめとする白物家電とテレビ、食器棚などの大きなものは必要とする人に譲った。

本を読むのが好きだったので知らず知らずのうちに増えてしまった文庫本も、500冊以上は古本屋さんに引き取ってもらった。

北海道では必要のないエアコンも業者に引き取ってもらい、こちらでは必要がなくなるパソコンラックや机、椅子、テレビ台、引っ越し直前に故障してしまったコタツに掃除機など、とにかく処分できるのものはすべて廃棄して身軽になった。

そして北海道に帰ってきて新居に荷物を運び入れる際、胸を張って長兄夫妻に宣言した。

そう、引越し荷物を極限まで少なくしたことを。

しかし、返ってきた返事は
「意外に多いね」
という一言だった。

・・・。

やはり引っ越し慣れしている人にはかなわないようである。

真性雑感 第十五版真性雑感 第十五版

真性雑感 ~目次~

■ ジャーナリズム

以前の独り言に書いた通り、平和ボケしまくっている日本ではその衝撃は大きかったものの、すでに国民の意識や記憶が薄れてしまっている感の否めない IS(Islamic State)による人質殺害だが、テロ集団との戦いは今も続いている。

ISの蛮行によって困窮している人々を取材しようとシリアなどへ渡航しようとするジャーナリストも数多くいる中、新潟に住むフリーカメラマンの男性は外務省にパスポートを返納させられたとして記者会見し、邦人保護か? 報道の自由か? と議論を呼んだのはつい先日のことだ。

個人的には、そんなに行きたかったら勝手に行けば良いと思う。

ただし、たとえ ISに拘束され人質になった場合、救出のための努力は不要、身代金の支払いも不要、ISとの交渉も不要であると一筆したため、完全なる自己責任で海を渡るのだから何があっても放置してもらって結構だという意思表示をしてから行ってほしい。

それは本人のみならず、親兄弟、妻や子供もすべてそれに同意し、全員の署名入り文章を外務省に提出すべきだ。

それでなければ万が一の場合には日本の政治家、外務省職員は行動せねばならず、そうすれば人件費のほか出張費、通信費など莫大な税金を使っての捜索や交渉が必要になってしまう。

前述した文章を提出した上で、もし ISに拘束されたなら舌を噛み切って自害するくらいの気概を持って出国していただきたいものである。

たしかにジャーナリストは、たとえ危険な地域であろうとも実際に行かなければスクープを手にすることはできないだろうし、伝えるべき現場があれば取材したくなるのがジャーナリストの性(さが)であろう。

しかし、渦中の男性は本当にジャーナリズムを持っていたのだろうか。

本当にシリアに渡り、何が何でも ISを取材したかったのであれば、渡航理由には観光だとか、隣国トルコなど安全な地域への取材だと報告し、現地に着いてから秘密裏に行動すれば良い。

この時期にシリアに行くといったところで渡航が許されるわけがなく、旅券法 19条に旅券(パスポート)の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合は返納を命令できると規定されているのだから、パスポートを取り上げられて当然だ。

2月 7日に取り上げられ、翌 8日には記者会見して
「取材と報道の自由どころか、言論の自由を妨げる行為だ」
と吠えまくっていたが、カメラマンは人質事件を巡る新聞のインタビューでシリアに入国する考えを表明した上でシリア渡航を計画したのだからその目的はバレバレで、外務省に返納を命じられるのは至極当然の成り行きだろう。

だとすれば、彼がやったことは単なる売名行為だったのではないだろうか。

最初からシリアに行く気などなく、こうなることが分かっており、そうなったら報道の自由だとか言論の自由だとか騒げばジャーナリストとして名を挙げられると目論んだような気がする。

外務省は前述したような文章を提出すれば行ってもいいよと言ってやれば良い。

それでも行くと言うなら本物のジャーナリストなのだろう。

いや、彼がそうまでして行くとは思えないが。

■ 改憲

改憲は必要か否か。

日本が侵略されていなくても攻撃されていなくても自衛隊の海外派遣を可能にしようと自民党は躍起になっている。

そこにはアメリカの強い意向が見え隠れし、本当に自国を思ってのことなのか。

親日的だったイスラム社会が態度を硬化させたのは自衛隊をイラクに派遣してからのことだというし、周辺諸国がどのように受け止めるのかも多少は気になる。

前述したイスラム教過激派組織 ISが日本人を人質にとり、殺害したのは日本がイラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンを支援したからだという建前だ。

それが ISの本音だとすれば、金銭による支援をしただけで反感を買う危険性を伴うというのに、自衛隊、他国から見ると軍隊にしか見えない組織を派遣した場合、どれだけの反感を買うのかは覚悟しておくべきだろう。

真性雑感

悲喜こもごも悲喜こもごも

水曜日は半年に一度の病院通いをしてきた。

お買い物日記』 担当者 の大病から五年以上が経過し、それまで四カ月に一度だったものが半年に一度という長いスパンに変わったのは去年のことだ。

いつもなら一人で通院するが、今回は自分の母親の骨折のこともあったので一緒に行動している訳である。

『お買い物日記』 担当者が診察室に入っている間、多くの人が座っている待合室にいると、割と体格の良い年配の男性が隣の席に腰をおろした。

少しすると若い女性の看護師さんがやって来て男性のとなりに座ったかと思うと
「どうしました?今日はとても血糖値が高いようですけど」
と心配そうに声をかける。

男性も
「どうしてかなぁ」
と不思議そうだ。

「昨日の夜は何か特別なものを食べました?」
と看護師さん、
「いや、特別なものは・・・」
と男性、
「お一人で外食も多いでしょうけど」
と、たたみかける看護師さん、
「でも昨日は家で食べたから・・・」
と答える男性に対して
「甘いものか脂っこいものでも食べました?」
と追求の手を緩めない看護師さん。

「いや、そんなことは・・・」
と動揺しつつ、男性がポケットに手を入れたかと思うとゴソゴソとアメを取り出して口にいれようとした。

看護師さんが慌てて
「それはダメですよっ!」
とたしなめると男性は
「えっ・・・」
と言ったまま固まっている。

「糖尿なんだからダメに決まってるじゃないですか」
と厳しい口調の看護師さんに男性は
「これが?」
と真顔でアメを指差し、
「それがっ!!」
と看護師さんの怒りをかったりしていた。

どれくらいアメをなめているのかという問いに一日5-6個と男性が答えると、アメにはどれだけの糖分が含まれ、それが糖尿病にどれだけの悪影響を及ぼすか、患者はどのようにして病気に向き合うべきかと看護師さんはこんこんと説明し始める。

しばし大人しく聞いていた男性だったが、話が途切れると
「実は禁煙しててさ」
と言った。

「あらっ!あんなに止められなかったのに凄いじゃないですか!」
と言う看護師さんの言葉に気を良くした男性は、過去にどれだけの失敗を繰り返してきたか、現状がどれだけ苦しいかを切々と訴え、
「口寂しいからアメなめちゃうんだよね」
と看護師さんに水を向けてみたりしてみたが、
「ダメですっ!」
と、キッパリ言い渡されてションボリしていた。

それからも何だかんだと愚痴を言い、
「先生に痩せろって言われてるけど100グラムも減らなくて」
と言うと間髪いれずに
「当たり前ですっ」
と突っ込まれていた。

「禁煙すると太るっていうから・・・」
などと言いかけた男性の言葉は
「アメもですよっ」
という看護師さんの声でかき消される結果となり、
「それじゃあガムでも・・・」
と、妥協案を出したつもりでも
「同じことですっ」
と玉砕されたりして残念そうな顔をする男性だ。

看護師さんに責められてストレスを感じたのか、
「タバコが吸いたくなってきた」
と言い出し、
「せっかく止めたのに」
と、更なる追い打ちを喰らっていた。

その後も丁々発止のやり合いを繰り返し、勝ち目がないと悟った男性は、手に持った2-3個のアメを繁々とながめ、
「そうか~、これかぁ~」
とため息をつく。

看護師さんは少し不憫に思ったのか、
「どうしても口寂しかったら糖分もカロリーもゼロのアメやガムがありますからね」
と慰めるよう言ってその場を去った。

残された男性はまた一つため息をつき、静かに病院をあとにしたのであった。

人生、悲喜こもごも。

色々なことがあるものである。

オリジナリティオリジナリティ

中国や韓国の経済発展、技術革新は著しいが、相変わらずのコピー天国、偽造品、模造品天国であるのと同時に他国の製品、他社の製品を安易に真似たものが横行しており、世界各国から非難を浴びている。

日本製品や日本生まれのキャラクター、商品名までパクリ放題でオリジナリティのカケラもない状況ではあるが、戦後復興で無から有を作り上げてきた日本も、当初はアメリカを始めとする先進国の製品や技術を真似て安い人件費と1ドル=360円という固定相場によって低価格製品を大量に輸出していたのだから中国や韓国を責めてばかりもいられない。

しかし、特に中国はすでに日本を追い抜いて世界第二位の経済大国になったのだから、人の真似をしたり、人の商品名を勝手に商標登録するような行為は国家レベルで抑制すべきだろう。

音楽や芸術、デザインも中国や韓国には独特なものがあるのだから、それを活かした作品作りに邁進すべきではないのか。

確かに戦後から劇的な経済成長を遂げた日本も人マネ、猿マネと非難され続けた歴史はあるが、原点を忘れなかったという強みも残っており、その強みを活かして再び世界に挑戦しようという動きも活発になってきた。

そもそも日本人には独創性があると思う。

機械を擬人化したロボットなどはアニメだけにとどまらず、二足歩行、人とのコミュニケーション能力などに磨きをかけて世界トップレベルにあるが、それというのも鉄腕アトムから脈々と受け継がれる人型ロボットが登場するマンガやアニメの歴史なしには語れないに違いない。

擬人化と言えば動物や虫を擬人化したマンガやアニメも日本が初だと思われ、動物が主役の 『ジャングル大帝』 などは明らかにディズニー・アニメの 『ライオン・キング』 に多大な影響を与えているだろうし、『昆虫物語 みなしごハッチ』 は 『バグズ・ライフ』 の原点だろう。

ディズニー・アニメの車を擬人化した 『カーズ』、魚を擬人化した 『ファインディング・ニモ』 もすべて日本アニメの影響から派生したのだろうから、逆にアメリカが日本の真似をしたということだ。

アメリカ映画の 『ロボコップ』 の作者も日本のマンガ、そして特撮テレビ番組にもなった 『ロボット刑事』 が原点であることを認めている。

日本のアイドルが男女を問わず個人からグループ、ユニットへと移行したのはジャニーズ系、モーニング娘。や AKB48グループの影響が絶大なのだろうが、日本でも一時期は人気の高かった K-POPもその大半がグループなのは日本のアイドルの影響なのは間違いないだろう。

インドまたはイギリスから伝わったカレー、中国から伝わったラーメンを海外からは日本食だと認識されるまでに至るほど独自に進化させ、磨きをかけるのも日本だが、その盛り付け、飾り付けがフランス料理に影響を与えるほど独創的で美しい日本食も伝統的に守られているし、その日本食そのものが海外で大ブームになっている。

魚をすり身にして再び練り固めるカマボコやチクワなど世界に類を見ない独特の食べ物であるし、それを応用したカニカマなどはヨーロッパで引っ張りだこの人気食材にまで成長した。

バブル景気の崩壊から、すっかり自信を失ってしまった日本だが、アメリカの真似をしていた昔と違って誇れる独創的な技術や文化、製品があるので中国や韓国に負けない製品を生み出すことは可能だと思われる。

今は海外のサービスを真似ることが多いネットビジネスも、日本人の視点で新たな技術、サービスが生まれる日も近いのではないだろうか。

先に書いた動物などの擬人化もそうだが、特定のものに音楽を用いるのも日本独特の文化なのではないかと思う。

今でこそ世界中で作られるテレビ CMには音楽が流れるが、1980年代くらいまでアメリカのテレビ CMには音楽がなく、機関銃のようにしゃべりまくって製品の特徴を伝えるものばかりだった。

日本には昔から CMソングというものがあり、その製品のイメージを伝えていたし、CMで使われたことによって大ヒットとなった曲もある。

そして、子供に聞かせる物語にまでテーマソングがあるのは日本くらいなものだった。

日本のむかし話、おとぎ話には歌がある。

『桃太郎』、『金太郎』、『浦島太郎』 にはそれぞれテーマソングがあるが、海外のグリム童話などにテーマソングは存在しなかった。

金太郎は 1900年の 『幼年唱歌』 に掲載され、桃太郎、浦島太郎は 1911年の 『尋常小学唱歌』 に掲載されたが、それぞれ実際に作られたのは掲載年より前だろう。

そう考えると 1900年より前から物語が語り継がれ、テーマソングが歌い継がれたことになる。

海外では 1928年に世界最初のトーキーアニメ、ディズニーを代表するキャラクター、ミッキーマウスが登場する 『蒸気船ウィリー』 で流された音楽が初のテーマソングということになるかもしれないが、ミッキーマウスのための、ミッキーマウスのテーマではない。

そうなれば 1937年に公開されたディズニーの長編映画第一作目であり、世界初のカラー長編アニメーション映画である 『白雪姫』 で使われた曲が、初めてグリム童話の中のひとつの物語のために作られたテーマソングということになる。

実に日本から 37年遅れのことだ。

そもそも日本には世界に類を見ないテーマソングが多数存在する。

学校ごとに存在する校歌は世界を探しても中国と韓国、そして日本にしかないし、会社の社歌がある海外企業は数社のみだ。

日本にはその他にも相撲界で享保から伝わる 『相撲甚句』、明治から伝わる 『鉄道唱歌』、江戸時代から伝わる火消し鳶職の 『木遣り唄』、そして民謡には炭鉱夫、漁師、農家など様々な職業の曲がある。

お茶の産地には茶摘み歌、子供のためには童謡、遊びのためだけの歌など、日本は音楽が溢れている国だ。

そう考えると日本人は根本的に歌が好きなのかもしれない。

独自性がないと言われ続け、経済の落ち込みから技術やものづくりに対する自信すら失ってしまった日本ではあるが、独自の文化を持ち、独自の感性を持った国民なのだからオリジナリティ溢れる独特の製品、サービスを生み出すことが必ずできることだろう。

真性雑感 第十四版真性雑感 第十四版

真性雑感 ~目次~

■ 男と女

男とか女などは乱暴な呼び方なのだろうか。

ニュースでも被害にあった人は男性、女性と言い、容疑者は男、女と言うケースが圧倒的だ。

「昨夜 10時ごろ、道路を横断中の男性が車にはねられ・・・」
「逃走したのは 30代の男で・・・」

「女性の絞殺死体が発見され・・・」
「警察は知り合いの女に任意同行をもとめ・・・」

などなど、あたかも男性や女性が、男や女の丁寧語であるかのようだ。

テレビでの会話や一般の会話でも
「男(女)って・・・」
ではなく、
「男の人(女の人)って・・・」、「男性(女性)って・・・」、「男子(女子)って・・・」
などと言うのが普通となっている。

同性のことを話す時に自嘲気味、自虐気味に
「男なんて」
とか
「男ってやつは」
などと言うことはあっても、異性のことを話す時に
「女って・・・」
と始めると、あとに続くのは悪口であるかのような錯覚を覚える。

本来、男とか女などというのは単に性別を表すものであって、男性を男と呼ぶのは田中さんを田中と呼び捨てにしているのとは違うはずだ。

それなのに、乱暴な呼び方に聞こえてしまうのは少しずつ言葉の使われ方が変化し、それに慣れてしまっているからなのだろうか。

■ 竜巻とみられる

昨日も神奈川県厚木市で空高く渦巻く姿を動画撮影されたものを
「竜巻とみられる突風」
とニュースで伝えていたが、屋根などを吹き飛ばすほどの勢いがある空気が渦を巻いた自然現象を竜巻でなければ何だというのか。

テレビ局側としては気象庁が竜巻と断定していない以上は、まだ竜巻と断言できないのだから竜巻とみられると表現しているのだと言うだろう。

しかし、1994年のオウム真理教による犯行だった松本サリン事件で、実際には被害者の一人にすぎない河野義行氏を犯人と決めつけるような新聞の予測記事を堂々と伝えたのもテレビのニュース番組だ。

出来事・事件・事故などを取材し、事実のみを伝えるのが報道であるはずなのに、実際には事実をありのまま伝えるのではなく、報道各社の主観を組み入れたり、自己または組織の政治的なイデオロギーを優先的に反映させたりする、とても公平とは言いがたい意図的な編集が行われているではないか。

とても報道とは呼べないような芸能人のゴシップ記事を本人への確認どころか、事実関係の確認すらしないままに垂れ流しているのも同じ報道という名の下で活動している集団である。

そこまで好き勝手にやるくせに、誰がどう見ても竜巻にしか見えないものを
「竜巻とみられる突風」
と弱腰にしか伝えられない神経が理解できない。

■ ・・・と言う。

特にテレ朝系の番組に顕著なのだが、ニュース番組のナレーションが
「・・・という。」
で終わることが異様に多い。

例えば
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げたという。」
などなどだが、最後を
「・・・という。」
で結ぶと、
「・・・だったらしい。」
「・・・のようだ。」
などのように、その内容に責任を持っていないのと同じではないのか。

きちんと取材をした結果を伝えるのであれば、
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
ではなく
「・・・被害額は数千万円に達する。」
だろうし、
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げた。」
だろう。

「・・・という」
には、
「犯人らしき男が北に向かって走っていったらしいよ」
「目撃者がそう言っているだけで実際には分かんないけどさ」
「別の人に聞いたら違うこというかもしれないし」
というような責任回避をしたい意志が混じっているように聞こえてしまう。

■ テロップで使われる漢字

ニュース番組で使われる漢字が減ってきた。

今日は『きょう』、明後日は『あさって』など平仮名表記が多い。

それらは限りなく当て字に近く、正確な漢字の読みではないからだろう。

今日の場合、今(きょ)日(う)でも今(き)日(よう)でもなく、本来であれば読めるはずのない漢字が当てられている。

だとすれば数年前から二十歳を『はたち』と読むことをやめ、ニュースでも
「にじっさい」
と言うようになったのだから今日も
「こんにち」
と言うようにすればよさそうなものだが、逆に漢字を捨てて平仮名にした。

今夜(こんや)は今(こん)夜(や)で正当な読みだが、今朝(けさ)は今(け)朝(さ)と、真っ当な読み方ではないので平仮名が使われる。

それはそれで良いのかもしれないが、日本的な情緒というか風情が損なわれていくような気がしてならない。

そして、それに反比例するように誰にも読めない当て字を使って我が子を名付ける親が増えている現状を憂いたりするのは、ますますオッサン化が進んでしまった証拠なのだろうか。

真性雑感

趣味嗜好趣味嗜好

年齢とともに趣味や嗜好は変わる。

この雑感や管理人の独り言に幾度となく書いていることではあるが、自分でも一番驚く変化は食べ物の好みだ。

子供の頃から好き嫌いがなく、世の子供が泣きながら食べさせられるピーマンやニンジン、ネギだろうと何だろうと平気だったが、それでも山菜類や香りの強い野菜などは嫌いではないまでも決して喜んでは食べなかった。

ところが今はそういう物が食べたい。

昨日の買い物でも売られていたタラの芽の天ぷらに心奪われ、ついつい購入して春の訪れを待ちわびながら美味しくいただいた。

タラの芽だとかフキノトウ、菜の花や春菊など、この時期に旬を迎えるものは香りが強く多少の苦味を伴うものが多いので、あまり子供たちには人気がないだろうが、この歳になるとたまらなく美味しい。

タラの芽やフキノトウ、菜の花などは流通網が発達していなかった昔は簡単に手に入るものではなかったので、それほど食卓に上ることはなかったが、鍋料理に春菊はどっさりと入っていた。

親は美味しと言って食べるが、子供にとっては美味しくも何ともなく、弁当や寿司折りに飾りや仕切りとして入っている緑色のバランと同程度の単なる彩りくらいだと思っていたものだ。

ところが今となっては春菊が食べたくて鍋料理をすると言っても過言ではないほどであり、他の具材はその時々で肉であったり魚であったりするものの、この時期の鍋に春菊は欠かせない。

食べてもさほど味のしないコンニャク類も好んで食べなかったが、今はブリブリと歯ごたえのある白滝などはとても美味しいし、おでんにコンニャクが入らないことなど考えられないことだ。

磯の香りが強いイカの塩辛や北海道特有の海の幸の保存食なども子供の頃は好んで食べなかったが、今は大好物となっているし、酢の物なども好んで食べる。

以前にも書いたが子どもの頃に酸味、苦味を拒絶するのは毒性のあるものを食べてしまわないように備わった人間の本能なので、単なる好き嫌いとは次元が違う。

そして、匂いのきついものや発酵食品を嫌うのも腐ったものを食べてしまわないように本能的に避けているので子供が嫌うのは自然なことだ。

それらのものを食べられるようにするのが親の教育であったりしつけである訳だが、そんなにうるさく言わなくても年齢を重ねれば自然に食べられるようになるのだから不思議ものである。

これも何度も書いていることだが、テレビ番組の好みも大きく変わった。

最近のテレビがあまりにもつまらないというのもあるが、芸能人が集合してガチャガチャと騒いでいるような番組には一切の興味を失い、何かのテーマに真摯に取り組むような番組を好んで見ている。

そして、最近は聞き取る能力が衰えてきたのか、あまりにも早口でまくし立てられると何を言っているのか分からない。

子供の頃、紳助竜介の漫才を見た親が
「すごい早口だから何を言っているのか分からない」
と言うのを聞いて、そんなことがあるのだろうかと思っていたが、2013年末の 『THE MANZAI』 で優勝したウーマンラッシュアワーの漫才を見た時に何をしゃべっているのかまったくと言っていいほど聞き取れない自分がそこにいた。

その漫才で会場の人は笑っていたので若い子は十分に聞き取れているのだろう。

そういうこともあってか、落ち着いて見られる番組ばかり選ぶようになった結果、我家の場合は選ぶチャンネルの 90%以上がテレビ東京系ということになっている。

しかし、民放キー局が売上高、純利益とも前年実績を大きく下回る中、唯一伸びを見せたのがテレビ東京であったことからも、他局は番組制作能力が低下しているがテレビ東京だけは視聴者が満足する番組を作り、スポンサーからも評価されていることになるのだろう。

したがって、我が家だけがテレ東を好んでみている訳ではないだろうから好みが変わったというより他局がだらしないだけかもしれない。

いろいろと趣味嗜好が変わる中、音楽の好みは変わらない。

邦楽は聴く価値もないと感じるようになったことや、洋楽であっても最近の曲は面白みに欠け、聴いていてつまらないと独り言にも書いたが、Jangoというアプリで洋楽を聞くようになってから益々その思いを強くした。

十代の頃に聞いていたハードロックなどを選んで再生すると、やはり当時の曲は素晴らしい。

当時、親からは
「そんなガチャガチャした曲なんか聴いて」
と小言を言われ、
「うるさいだけで何が良いのか分からない」
と虐げられていたが、今聴いても良いと思うのだから好みが変わっていないのだろう。

そこで思うのは、今の自分は当時の親と同じ感覚で、今の若者は当時の自分と同じ感覚なのだろうかという素朴な疑問だ。

つまり、自分は今の曲をうるさいと思うしつまらないと思っている。

しかし、今の若者はうるさく思わず、良い曲だと感じているのか。

これから 20年後、30、40年後に今の曲を聴いたなら、30、40、50歳になっている今の若者は懐かしさを覚え、やはりあの頃の曲は良いと感想をもらすのだろうか。

とてもそうは思えない自分は時代に置いて行かれたのだろうか。

脳や思考の柔軟性を失い、新しいものを受け入れられなくなってしまったのだろうか。

単なる爺さんになってしまったのだろうか・・・。