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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

自分解体新書 - 18 -自分解体新書 - 18 -

自分解体新書 ~目次~

■ 指

指がカッサカサだ。

それが原因でスマホの操作も反応が鈍い。

そもそも脳の動きも鈍化し、神経伝達物質の絶対量も減少しているものと思われ、思ったように指が動かないのも事実であるが、それ以上に指の保湿性が損なわれて現在のタッチパネルの性能では感知できないのが現状だ。

スマホの操作はもとより、コンビニやファストフード店のレジで電子マネーの種類を選択するタッチパネルも反応してくれないのも常で、何度も指に息を吹きかけたり、人差し指がダメならと親指や中指を試したり、右手がダメなら左手はどうだとか試行錯誤しても反応しないのに、それを見かねた若い店員さんが代わって触れると一瞬にして認識するのだから情けないことこのうえない。

回転寿司で注文するタッチパネルも反応は鈍く、ついついタッチパネルをグリグリと力を入れて押してみたり、おしぼりで指を湿らせてから触れてみるなどの工夫が必要で、そんな面倒なことをするくらいならカウンターに座って店員さんに口頭で注文したほうが遥かに確実で早かったりする。

少し前の独り言にも書いたように、最近は 『hulu』 というネットのサービスを利用して海外ドラマを見ているのだが、見るドラマを選択したり早送りや巻き戻し、一時停止などはすべてタブレットで操作し、それをテレビに接続して大画面で見るようにしている。

食事の後片付けをしたり、トイレに行く際には一時停止するが、それも一発では反応してくれず、なかなか止められずにいる間にどんどんドラマは進んでしまう。

やっと一時停止できて少し巻き戻そうとしても、これがまたなかなか反応してくれず、数十秒で良いところを 5分も 10分も巻き戻ってしまって仕方なくまた同じシーンを見たりしている。

■ 手 その2

指と同じように手も保湿性を失い、油分も不足していることからハンドクリームが必需品になってしまった。

とくに手を洗った後はカサつきがひどく、食事の際に食器を持つ手がすべる。

味噌汁を飲もうとお椀を持つと、すべって落としそうになるので恐くて仕方なく、熱い味噌汁が体にかかったらどうしようと妙な緊迫感を覚えながら食事をしなければならない。

そこで今となっては食卓の前に座り、食べ始める前に 『お買い物日記』 担当者と二人でハンドクリームを塗るのが習慣となっているが、結果的にそれが良かったようで 『お買い物日記』 担当者は冬の手荒れから開放されることになった。

■ 大腸

2月17日に受けた大腸がん検査の結果に問題はなく、複数個の小さな良性ポリープが見つかった程度だったのは喜ばしい限りだが、生命保険の見直しを迫られる事になってしまった。

というのも、加入していた生命保険はガンになったら以降は保険料を支払わなくて良いという内容で、同種の保険に加入していた 『お買い物日記』 担当者は数年前の子宮体がんの発症で適用となって現在は支払う必要がなくなっている。

大腸がん検査で命に関わらない程度の小さな超初期段階のがん細胞でも見つかってくれたなら、自分も以降は支払わなくて良いので昨年末から保険屋さんと検討していた契約内容の見直しを放置していたのである。

しかし幸か不幸かがん細胞が見つからなかったので、次の誕生日を過ぎると月々の保険料がドンと高くなってしまう契約を見直し、年齢によって掛け金が変動しないタイプの契約に切り替えることになった。

死ぬまで一定額というメリットはあるものの、例えガンになっても払い続けなければならない内容なので、末期がんで寝たきりになっても毎月の支払はしなければならないという血も涙もない契約になってしまったのは仕方がない。

■ 肛門

その大腸がん検査で悪性腫瘍は見つからなかったものの、肛門近くに複数のポリープが見つかり、それは痔であるとのことだった。

まだ発症はしていないものの、痔主であることが分かった今、次回の通院で以前に処方してもらったことがある便を柔らかくする薬を出してもらおうと考えている。

独り言やこの雑感で過去に何度も書いているように、子供の頃から男のくせに便秘体質である自分はその通例に反することなく便が硬い。

そのため何度かに一度は肛門が切れて血がにじむということをくり返しているので、このままでは本格的な痔になってしまうのではないかと素人ながらに心配したりしているのである。

内科の先生は大腸がん検査をしてくれた先生と同じであり、どうせ肛門から腹の中まで見られたのだから、腹を割って話してみようかと思っているところだ。

自分解体新書

それぞれの春それぞれの春

新年度になって職場や学校の人間関係が変わり、アパートなどの入所者も入れ替わる。

以前の雑感に書いたように、お客さんである会社に勤めていた人は3月いっぱいで退職した。

個人的には嫌いでもなく、悪く思ったこともないのだが、社員同士はギスギスしていたので彼の退職によって職場環境が改善されるのであれば悪いことではない。

近所のアパートは空室になったり新しい人が入居したりと忙しい。

いつも駐車場に止まっていた車には 『お買い物日記』 担当者がお気に入りのヌイグルミが乗せられていたのだが、この春、忽然と姿を消してしまったのでアパートに住んでいた住人が引越してしまったのだろう。

その車の持ち主は女性で、休日は必ず車がなかったのでそれほど遠くない実家に帰っているか彼氏の家にでも行っているのだろうと勝手に話していたのだが、その彼女がアパートを出たということは親と同居を始めたか、彼氏と結婚したのではないかと、これまた勝手に想像したりしているところだ。

この春も新一年生が誕生した。

体が小さくランドセルがやけに大きく見える小学一年生は、まだ話す内容も幼く友達同士の会話を耳にしても何を言っているのかさっぱり分からない。

それでも互いに笑ったりうなずいたりしているので会話は成り立っているものと思われるが、あの不思議な言語を理解できるのだから親や教師は偉大だ。

この町では交通安全のため蛍光の黄色をしたランドセルのカバーが企業の善意によって小学一年生に配布されるのだが、まだ真新しいので蛍光色が目に眩しい。

子どもたちに乱暴に扱われ、少し色あせて痛みが進んだ去年のカバーをはずし、二年生になった子どもたちはすっかり上級生気分で、グループ登校の際には新一年生の手を引いたりしている。

その小学校を卒業し、中学に進んだ子どもたちは制服姿となって少し大人びて見える。

すぐに身長が伸びるので大きめのサイズなものだから、まだ制服に着られている感がないでもないが、すぐに大人っぽい骨格になることだろう。

中学生、高校生の通学風景を見て気づいたのだが、最近は学生帽というものがなくなったらしく、誰一人として校章つきの黒い帽子をかぶっていない。

いったいいつ頃から学生帽がなくなったのか気になって調べてみたところ、1990年代初めごろから髪型の自由化が始まったことと、制服が詰め襟からブレザーに変わる学校が増えたため、徐々に着帽を義務付ける学校が減少し、今となっては全国的にもごく少数になったとのことだ。

昔は髪の長さからズボンの裾幅、詰め襟のカラーの高さや丈の長さまで細かく規定されていたものだが、今は子どもたちの自由、人権が優先されるようになったのだろう。

以前、ワンプが住んでいた隣の家はずっと空き家になっていた。

もと住人であるワンプのお母さんの話しによると、別の町に暮らす家主さんがリタイヤして帰って来るらしいとのことだった。

春になって急に業者が内装工事を始めたので、いよいよ帰ってくるのだと思っていたら工事の終了と同時に 『貸家』 の看板が設置され、あっという間に入居者が決まった。

今月の初めに引越し作業が始まって久々に窓に明かり灯り、少しずつ荷物が増えていった。

どうやら近くから引っ越してきているらしく、業者ではなく自分たちで少しずつ荷物を運び、掃除をしながら徐々に居住空間を整えているようだ。

そして約 20日間が過ぎ、もう引越し作業も終わったものと思われるが、隣に越してきた人はまだ挨拶に来ない。

今の時代、都会であれば引越しの挨拶をしない人の方が多いだろうが、この田舎町、さらアパートではなく一軒家に住むとなれば昔から言われる 『向こう三軒両隣』 くらいには挨拶する人が大多数なのだが、まだ一切の会話がないため名前はおろか、家族構成も正確には分からないままである。

家を出て一年になったとなりの店マユちゃんだが、美容師になる道を諦めて今はネイルアートの勉強中だ。

専門学校か講座に通っているのか、この 4月に試験があるとのことで、数日前に帰省して親である妹ちゃんや、伯父であるお兄ちゃんを相手に爪を磨いたりアートしたりと練習して行ったものと思われる。

美容師とは違ってネイルは座り仕事なので、マユちゃんのガラスのようなもろい腰への負担も軽いだろうから技術を身につけて天職となることを願う。

そして、いつの日かとなりの店の一部をネイルコーナーにしてマユちゃんが帰って来てくれたら嬉しいではないか。

今年は去年と比較して新一年生の数が少ないように思う。

そして、四つ角のうち黒柴リュウくんが立つ角を通る新一年生は一人しかいないようだとお母さんが言っていた。

さらに不幸なことに、いつもおやつをくれる女の子は親の転勤でいなくなってしまったらしいので、リュウくんにとっては死活問題と言っても過言ではない。

この頃はさらに太り気味になってきたのでダイエットには良い機会かもしれないが。

真性雑感 第九版真性雑感 第九版

真性雑感 ~目次~

先週に続いて本当の意味での雑感になるが、内容も先週からの続きが多いのは、どうにも納得できないことが多いからだ。

■ STAP細胞

まだ騒動が収まらないどころか泥沼の様相を呈してきた感が否めない本件だが、先週の雑感に書いたように、有りもしない STAP細胞を生み出したなどと大嘘をついても何も得するものがない以上、やはり小保方氏は作製できた、作製できるのだと信じたい。

記者会見が開かれた当日の独り言にも書いたが、論文の正確性がどうのこうのというより、STAP細胞が存在するか否かが鍵だと思われるので、小保方氏が提出していない実験ノート、彼女の頭の中にあるレシピを頼りにどこかの施設で作製してもらえば良いのではないだろうか。

そこで成功すれば論文を取り下げず、追加の完璧な論文を発表すれば良いことだと思われるので、マスコミが小保方氏のプライバシーや過去まで掘り下げて人格を否定するような報道など全くの不必要だし内容に価値などない。

どんなに変わり者であろうと、たとえいい加減な性格であろうと、本当に STAP細胞を作製できるのかだけが重要であって彼女がどんな人物であろうと何ら関係がないだろう。

今、一番注視すべきは彼女の粗探しではなく、技術の流出、国益だ。

このままマスコミの総攻撃に遭い、理研からも否定され、居場所を失った彼女を韓国や中国の企業が救い、そこで STAP細胞の作製技術が確立され、それにまつわるすべての関連技術、関連特許を抑えられでもしたら一大事になる。

ここは慎重に、論点を論文が正確かどうかということや、彼女がどんな人物かなどいう低次元なことから STAP細胞の存在の有無に絞り込むべきだろう。

くだらない争いや低俗な興味より国益を優先せよ。

■ 消費増税後

3月 31日と比較して 4月 1日の客足が鈍いという実に当たり前なことを伝えるバカなマスコミのことを書いた先週からの続きになるが、同じような報道は今でも続いており、百貨店の売り上げ上が前年同月比で 20%も落ち込んだとか、テレビの売り上げ台数が前年比で 30%も落ち込んだとか大騒ぎしている。

年度末、新年度と言えば異動の時期であり、新しく社会人になったり大学生になったりした人、人事異動で転勤する人が新生活を始める。

だいたいは 3月中に引越してしまうだろうが、新生活を開始して初めて必要になったり気づいたりすることもあって 4月になってからも一定の消費があるのが例年だろうが、今年は消費税が引き上げになる前にすべて買い揃えた人が多いだろうから 4月の消費が落ち込むのは当然だ。

また、3月中にあれだけ長期保存可能な食料品や日用品を買い漁ったのだから 4月の消費が落ち込むのも当然だし、家電だってあれほど買ったのだから翌月も買うアホはいなくて当然だろう。

3月のビールの出荷数は 30%以上の伸びで、今世紀最大とも言われてるのは増税前に買いだめをしてほしいという夫の切なる願いを妻が許可したためであろうから、4月になれば驚異的な下落を示すものと思われる。

買いだめというのは、当分の間は購入する必要をなくす行為である訳だから在庫が切れるまでの数カ月は消費が落ち込み、販売店の売り上げが落ちるのは自然の流れであるにも関わらず、どうしてマスコミはヒステリックにギャーギャーと大騒ぎするのだろう。

ほら消費が伸び悩んだ、ほら売り上げが落ちた、それ見たことか消費増税は失策だったと騒ぎ立てたいのか、消費者意識を誘導して本当に不景気にしたいのか、再度デフレ・スパイラルに戻したいのか。

■ TTP

農家、畜産農家を守るのは分かる。

国の自給率が下がることを良いとは思わない。

しかし・・・、が、しかしである。

コスト意識のない生産者が作る高いものをなぜ国民は買わなければならないのか。

そもそも米や小麦、豆類などを主食としている国や地域は、それが最も安価に入手できるから主食となった訳であり、その主食たる米をなぜ、何ゆえに高価格帯のまま維持することを国の政策としなければならないのだろう。

農家も保護されるのにすっかり慣れてしまい、経営の効率化、コスト削減などはまったく意識せず、一般の企業が目指す 『より安く、より高品質な商品をお届けする』 などというスローガンとはまったく無縁だ。

そもそも販売価格のみで我々消費者が米を入手できている訳ではない。

需給調整での米価格の高止まり、778%の関税による輸入米価格の高止まりなどによって消費者は 60キロ 9000円で買える米を 1万 5000円で購入させられている。

さらに減反政策に参加する全農家への戸別所得補償で税金を投入したりしていることから、価格と税で二重の負担を負わされているのが現状だ。

それで膨らんだ金額に対して 8%の消費税がかかる訳だから三重の負担と言っても過言ではないだろう。

一気に市場開放せよとまでは言わないが、近隣農家が集まって共同経営して大規模化するなり、異業種企業の農業参入規制をもっと緩和して稲作も可能なようにするなりして、まずは国内の米を安価に生産できるようにしてはどうか。

今でさえ美味しくて安心・安全な日本米は高価でもシンガポール、北京では飛ぶように売れているのだから、安価に作れるようになれば消費者層が拡大し、裕福層だけではなく一般消費者にまで需要は拡大するだろう。

とにかく、現状維持のまま 50年、100年と続けられるはずがないのだから、子の代、孫の代になっても農業が続けられるようにするかどうかは現役農家の人の意識にかかっている。

市場開放された時、国民が国産米に見向きもしなくなるようでは互いに不幸だ。

真性雑感

真性雑感 第八版真性雑感 第八版

真性雑感 ~目次~

■ STAP細胞

先々週に書いた雑感の続きのようになってしまうが、今週初めの 1日、理化学研究所の調査委員会は小保方氏単独による研究不正があったと発表したが、それが事実だとするならば自分の常識の範囲から完全にずれた次元に小保方氏が存在することになる。

研究者であれば不正がバレバレの論文を発表すれば自分の地位を脅かすどころか失墜してしまうことは簡単に想像できるだろうし、世界の物笑いになることも、理化学研究所に迷惑をかけることも、日本の科学技術レベルが疑われることも、不正が簡単に見破られることも、STAP細胞が論文どおりには作り出せないことも容易に想像できるだろう。

それなのに、あえて不正をし、嘘をつき、世間をだますことを人は簡単にするだろうか。

決してそんなはずはないと自分は考えてしまうので、きっと STAP細胞は作り出せたのだろうし、論文も本人が主張しているように不鮮明な画像より綺麗な画像を使いたかったのかもしれないし、勘違いや手違いがあって論文に不備があるものの、その内容に間違いはないと信じたい。

人は意味のないことなどするはずがないので、この世に存在するはずもない STAP細胞を作り出せたなどと荒唐無稽な話しを主張するはずもないと願っている。

過去に何度も同様のことを考え、幾度と無く裏切られ、人は自分の思う常識とはかけ離れたことをすると思い知らされてはいるのだが・・・。

■ 消費増税前夜

同じく週の初めのニュースは消費税率が引き上げられる直前に消費者が奔走する姿を映し出していた。

そして翌日、マスコミは客足もまばらな店、ヒマそうなガソリンスタンドを取材し、客数が激減していて駆け込み需要の反動減が懸念されるなどとぬかす。

前日にしこたま買い物をしたのだから次の日にも買い物に行く人は少ないだろうし、前日に満タンにした車に給油する人もいないのは当然のことなのに、それをもって反動減などと大げさに騒ぐマスコミはどうかしている。

そもそも増税前の駆け込み需要もマスコミが 「いよいよ増税」、「来週から増税」、「明日から増税」 と煽動し、人々の焦燥感を増幅させた結果によるところが大きいのではないかと思う。

大騒ぎして事を大きくし、あたかも消費者心理による行動であるかのように報道するなど正にマッチポンプの典型ではないだろうか。

■ 調査捕鯨

日本の調査捕鯨は国際法に違反するとして、オランダの国際司法裁判は中止を命じた。

そのニュースが駆け巡った時のマスコミの反応はお粗末極まるもので、鯨料理を出す店に行って 「商売が成り立たなくなる」 と言う経営者の窮状を伝えたり、店の客が 「もう食べられなくなる」 などと言うインタビューを流す始末だ。

あくまでも調査捕鯨だと世界に向かって主張しているのに、国内では売ることができない、買うことができない、食べることができないなどと騒いでいる姿ばかり追うとは何ごとぞ。

今の時代、メディアの流す映像や文章はあっという間に世界にネット経由で伝播することくらい誰にでも分かることだ。

建前上は調査捕鯨と銘打って世界に理解を求めているのだから、それが禁止されたら学術的にどのような影響があるのかを問題視すべきであって、子供の頃から食べてきたものがなくなってしまうと嘆くオッサンの姿を映しだしてどうする。

こんなことをしているのだから、世界からの批難を浴び、建前でしかない調査捕鯨を禁じられても仕方ないだろう。

■ 津波注意報

以前までは津波注意報がでると、危険だと警告されているのにも関わらず海岸近くまで行って定点カメラに手を振る不届き者がいた。

先日発生したチリ沖地震によって日本でも津波注意報が発令されたが、今回は各地の定点カメラに映し出される景色に不届き者の姿はない。

津波がどれほど恐ろしいものか、どれほど速く駆け上がり、どれほどの勢いで地上の物を飲み込んでいくかを 3年前の東日本大震災で目の当たりにし、多くのことを学んだ影響か。

さすがにあれだけの経験をした後では海に行って津波が来るのを見ようなどというアホはいなくなったようだが、いずれまた大災害のことは人々の記憶から消えるだろう。

この恐ろしさ、この悲惨さを語り継がなければいけないとは思うが、それを風化させずに教訓とするのは難しいのかも知れない。

真性雑感

消費増税前に消費増税前に

この週末、子供たちは何が何でも買ってもらおうと必死なり、まるで人生のすべてを賭けるがごとく親に最後の説得を試みているに違いない。

買ってほしいものは、もちろんスマホだ。

来週から高校生になるのを機に、そしてあと数日で消費税率が引き上げられるのを口実に、さらには 「みんな持っている」「持っていないのは自分だけだ」 という殺し文句を武器に、最終的には勉強に役立つアプリが多数存在するという強引な口説き文句などを駆使していることだろう。

家族で乗り換えれば何万円ものキャッシュバックが得られるので本体価格は実質的に無料であることなど、パンフレットを熟読して学校の授業よりもはるかに猛勉強して説得し、そのキャッシュバックが問題視されているので近いうちに規制される可能性があるので今が最後のチャンスだと、普段は興味を持たない社会情勢にまで踏み込んだ話題も取り込む巧妙な説得工作を繰り広げているのではないだろうか。

思いのほか売れ行きが好調な家庭用ゲーム機のプレイステーション 4も、4万円という価格帯なので増税で 1,000円以上の差がでてしまうこともあり、この週末に慌てて購入したり必死に親を説得する子どもがいるかもしれない。

我家でも増税前に何か買っておくべきではないかと検討してみたところ、その第一候補はブルーレイ(BD)レコーダーだった。

海外ドラマを見まくっている我が家にとって BDレコーダーは必需品であるが、ここのところ動作が怪しく不安を抱えながらの使用を余儀なくされている。

再生中に映像も音声も止まり、そのまま勝手に再生を中止してみたり、CMをカットする編集作業中にフリーズして本体をリセットしなければならなかったり、予約した録画が実行されなかったりと不具合が多い。

いつ動かなくなるかという不安にかられながらの生活は精神衛生上もよろしくないので、ここは思い切って購入すべきだろうという結論には達してはいたのだが、どうも踏ん切りがつかないまま今日に至ってしまった。

家電製品は値崩れが激しく、増税による 3%など吹き飛んでしまうほど価格が下がることが多いので慌てる必要性はまったくと言っていいほどない。

さらに家電量販店も増税後は客足が遠のくので一段と値下げをしたセールを展開する可能性が高く、むしろ慌てて買わないほうが得策であると判断した訳だ。

次の候補は電動歯ブラシで、こちらの場合はいわゆる電池持ちの問題が生じている。

使われている充電池がメモリー効果と経年劣化によって蓄電量が少なくなり、二人続けて歯磨きするとパワーが落ちてブラシの動きが悪くなってしまうようになった。

これはそろそろ買い替えどきだと判断し、家電量販店で色々と見るところまではしたのだが、まだ購入に至ってはいない。

電動歯ブラシを使い続けて長くなるので、今さら手磨きには戻ることはできないのだが、ただ一つの難点は交換用のブラシがびっくりするほど高いことだ。

本体を低価格で販売し、付属品、消耗品で収益をあげようとするのはパソコン用プリンターやゲーム機の構図と変わらず、3,800円くらいで売られている本体の交換用ブラシが 2,000円近かったりするのが当たり前のこととなっている。

そこで、まずは交換用ブラシを売っているコーナーに行って価格を比較すると、何と一番人気のブランドであるパナソニックのドルツという製品のブラシが数百円で売られていた。

本体価格は 7,000円以上と他社より少し高いのだが、圧倒的に安いブラシの買い替えを思えば 2-3回の交換で元がとれてしまう。

これは間違いなくパナソニックのドルツで決まりだというところまで意見がまとまり、あとは購入するだけという段階にまでなっているし、AV機器と違って値崩れの少ない製品であるため買うなら今だという絶好のタイミングでもある。

が、しかし、それが分かっていてもグズグズしたまま今日になってしまった。

本体と交換用ブラシ 2組くらいをまとめ買いしたとしても価格は 1万円程度であり、増税後との値差は 300円程度のことなので、そこまで必死になる必要性が感じられない。

そして、いくら値崩れがないとは言え、家電量販店が 10%OFFや 20%OFFのセールを実施すれば 300円をはるかに超える値下がりが期待できる。

次の候補は電子レンジなのだが、実はこのレンジ、2008年にガラスでできたターンテーブルを割ってしまい、それ以来ずっとガラスが乗っていた鉄製の部品に温めるものを置いて使っていた。

いくら何でも買い替えどきかと思わないでもないが、我家の場合は温めなおしでの使用が主であり、調理器具としての使用頻度は決して高くない。

高度な活用をするでもなく、単に温まれば良いのであればターンテーブルのガラスがあろうがなかろうが大きな問題ではなく、どうしても新しいものがほしいかと聞かれれば答えは否である。

その他、コンベクションオーブンも購入検討対象となったことがある。

コンベクションオーブンとはオーブン機能はもとより、トースターの役目も果たせば最近流行のノンフライヤー的な使い方もできるという優れもので、価格も 8,000円前後と魅力的だ。

しかし、それも増税後との値差は 240円でしかなく、他のものと同じく量販店のセールがあれば簡単に吸収されてしまう金額なので、今の段階で駆け込み購入するほどのものではない。

そんなこんなで色々と考えないでもなかったが、増税前だからといって実際に購入したものはないし、トイレットペーパーや洗剤などの日用品、缶詰などの長期保存食も買いだめすることはしなかった。

ただし、酒だけは 20リットルほど在庫しているが・・・。

性善説性善説

どうも自分はお人好しなのか、単細胞なのか、人が何かをしでかした場合、その人が結果的に悪人であっても最初はその悪行を信じることができず、誤報であるか、本人の思い違いではないかと思ってしまう。

それは時として世の中の、いや、自分にとっての常識から逸脱し、そんなことがあるはずない、そんな非常識なことがあるはずがないという、完全に理解不能なことが起こるからだ。

かなり以前のことになるが、故横山ノック氏が平成 11(1999)年 4月、大阪府知事選の期間中、運動員の女子大生に対してわいせつな行為をしたとして告訴されて知事を辞任し、翌年に有罪判決を受けた。

この事件、失礼ながら当初は女子大生の狂言か反対陣営の策略的な中傷だと思い、単なるスポーツ新聞、週刊誌ネタ的な騒動であろうと思っていたのである。

なぜならば、世の中の、いや、自分にとっての常識からすれば、まさか選挙期間中に、スキャンダルが致命傷となって落選の危険性がある選挙期間中に、それも自陣営で自分のために一緒に戦ってくれている女子大生に、しかも全国区の知名度があって府知事を務め再選を目指している人が、さらには選挙運動中の選挙カーの中でそんな暴挙に及ぶなど、にわかには信じられないし、そんなことがあるはずがないという思考パターンでしか脳が働かなかったからだ。

そのような状況でわいせつ行為をする理由も意味も動機も分からない。

しかし、自分の常識など通用せず、見事に裏切られ、横山ノック氏は裁判で大筋を認めて懲役 1年 6カ月、執行猶予 3年の有罪判決を受けた。

その時、世の中には自分の理解を超えたことが起こりえるのだと自覚したはずなのだが、それから 7年後に発覚した小室哲哉氏の 5億円詐欺事件も最初は耳を疑い、やはり誤報かスポーツ新聞、週刊誌ネタ程度のものであろうと思ったのである。

なぜならば、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室氏にはピークを超えたとは言え莫大な資産があるだろうし、著作権による印税収入だけで一生遊んで暮らせるはずなので詐欺などという犯罪に手を染める必要などあろうはずがないという思考パターンで脳が働いたからだ。

きっと間違いだろうし、それが事実だったとしても小室氏本人ではなく、周りにいる良からぬ考えの持ち主が小室氏の名を語って金をだまし取ったに違いない。

詐欺といえば言葉巧みに人をだまし、その嘘を信じこませなければならない犯罪だが、小室氏には口が達者とか雄弁とかいうイメージがなく、むしろボソボソと話す印象だったので口八丁で人から金をだまし取ることなどできないだろう。

つまり、小室氏は加害者ではなく名を語られた被害者ではないかと思えて仕方がなかった。

しかし、この件に関しても見事に裏切られ、自分の常識を超えたところで事件は起こっており、常識を超えた金遣いで小室氏の資産は枯渇していたどころか、だまし取った金は借金返済に充てていたということだ。

これは人間の本性は基本的に善であるとする性善説を捨て、人間の本性は基本的に悪であるという性悪説で物事を見なければならないのかも知れないと思い知らされた一件だった。

それでもやはり自分はお人好しなのか単細胞なのか、大きな事故、事件にまで発展した JR北海道の問題も、最初は不運な事故が重なっただけであり、次から次へと発覚する問題も監視の目が厳しくなったゆえの出来事であろうととらえていたのである。

飛行機事故があると、どういう訳だか事故が続き、整備不良などが次から次へと発覚する負のスパイラルに陥ることがあるので、JR北海道の件も同様であろうと最初は思っていたし、事故が続いたり部品の脱落や出火があったり運転士が薬物依存だったりドアが開いたまま走行したりという単純ミスも JR北海道に向けられた厳しい目が粗探し的に問題を見つけ出しているからだろうと思っていた。

むしろ、あまりにもトラブルが続く JR北海道を気の毒に思い、もしかしたら呪われているか JR北海道という企業そのものが大殺界期間中なのではないかと同情すらしていたほどだ。

そして、乗客の安全を最優先しているはずの JRが、貨物を安全確実に届けるはずの JRが、そんなずさんな管理をするはずがないし、それが常識だと心の中では思っていたのだろう。

ところが、またしても期待は裏切られ、自分の常識が世の中には通用しないと思い知らされることになる。

調べが進むうちに問題が出るわ出るわの大騒ぎで、もうこの文書では列挙が不可能なほどの数の不備やトラブル、隠ぺいが目白押しの大安売りの大放出状態であり、すでに JR北海道は貨物事業会社の体をなしていない。

ここまでずさんな管理体制で、よく今まで事故が起きなかったと不思議なくらいだ。

こうも期待を裏切られ続けたのだから、次からは世の中に起こる理解に苦しむ事件も甘んじて受け入れたほうが良いのかもしれない。

そんなはずがないとか、普通はあり得ないだろうとか、常識的に考えると信じられないなどと思っても、どうせ人間の本性は基本的に悪なのだろうから。

ワクチン後進国ワクチン後進国

先進国の一員である我が国日本も、ことワクチンに関しては後進国だ。

第一にワクチンの製造能力が低く、新型インフルエンザが流行した場合に国民が接種するワクチンを自国でまかなうことができず、輸入に頼らざるを得ないほどの脆弱ぶりである。

第二に日本ではワクチン接種を義務化していなかったり無料化している数が極めて少ないため、他の先進国はおろか、南米大陸でもとっくに絶滅、撲滅させている麻疹(はしか)が定期的に流行し、重い後遺症に苦しんだり命を奪われたりする子どもが後を絶たない。

そして、それぞれには大きな理由がある。

それは日本人の価値観、国民性によるものであり、自業自得の感が否めない。

その責任の端緒であり、主悪の根源とも言えるのはマスコミで、その情報を自分なりに解釈もせず鵜呑みにしてしまい、右にも左にも大きく振れる国民性によって増幅し、極端な反応を示してしまうのが要因だ。

ワクチンとは異なるが、2007年頃に大騒ぎしたインフルエンザ治療薬である 『タミフル』 に関する報道が良い例で、当時の雑感にも書いたがタミフルを処方された子どもに異常行動が見られ、それによって死者まで出たことを連日のようにマスコミは伝え、副作用の危険性とそれを処方する責任、はたまた薬の製造責任まで問う勢いだった。

しかし、タミフルと異常行動の因果関係が薄いとなると、マスコミは潮が引いたように本件に触れるのをやめ、あれだけ大騒ぎしたにも関わらず適当なデータで見当違いの報道をしたことを詫びもせず、製造元である中外製薬に謝罪もしないままこっそりフェードアウトして何ごともなかったような顔をしている。

近年になって問題視されたのは子宮頸がんワクチン 『サーバリックス』 に関してだ。

2010年 11月から 2013年 3月までに推計 328万人が接種し、このうち計 1,196件の副反応が報告され、うち 106件は重篤だったことがメディアで話題になったが、発症率を単純計算すると副作用を引き起こす人は 0.036%、重篤な副作用を引き起こす人は 0.0032%ということになる。

子宮頸がんは 1年間に約 10,000~15,000人の女性が発症し、毎年約 3,500人が亡くなる重大な病気だ。

そのうちの 70%である 7,000~10,500人はウィスル感染によるものであり、死亡者数は 2,450人となるが、学会で報告された通りに 90%の予防効果が期待できるのであれば年間の感染者は 700~1,050人となって死亡者数も 245人となる。

つまり、ワクチン接種によって 6,300~9,450人が子宮摘出手術を受けたり辛い科学療法を受けずに済み、2,205人の命が救われる計算だ。

我が娘が重篤な副作用が出たら・・・、生活に支障が出るほどの痛みやしびれに襲われてしまったら・・・などと考えてしまい、ワクチン接種に二の足を踏むのは理解できないこともない。

しかし、が、しかしである。

先に述べたように重篤な副作用を引き起こす人は 0.0032%にすぎない。

確かに 0%であるに越したことはないが、年間に交通事故にあう確率の 0.007%の半分に過ぎないではないか。

そして、たとえ重篤な副作用に襲われたとしても 65%の人は治療によって改善しているので、本当に重篤で生活に支障をきたしている人は 37人(0.001%)だ。

0.001%と言えば 10万人に 1人という確率であり、自分が先月の中旬に受けた大腸がんの内視鏡検査による死亡率と同じ値である。

それで死んでしまったら、それで副作用が出たら仕方がない、不運だったと諦めのつく数値なのではないだろうか。

品質にしても安全性にしても日本人は厳しすぎる。

何かがあってはいけない、何かあったら困る、何かあったら誰が責任を取るのか、何かあれば誰がどうやって補償するのかという議論に終始し、わずかでもデメリットがあれば、どんなに大きなメリットがあろうと先に進まないどころか後戻りしてしまう。

厚生労働省は子宮頸がんワクチンの接種を強く推奨する立場から、副作用問題の発覚によってそれを中止するに至った。

当初、その措置を妥当としていた日本産科婦人科学会が、ここにきて一刻も早い推奨の再開を求める声明を出したのは、同会がマスコミに振り回されていることを如実に物語る。

ヒステリックなマスコミや国民の反応に、それこそ過剰反応して右往左往してしまうのが日本政府、官僚の実態で、安全性という名のもとにワクチン接種をおざなりにして必要性を説くこともなく放置し続け、いつまでも病気を撲滅できず麻疹輸出国という烙印を押されている事実を甘受しているのが現状だ。

我が子が副作用に襲われたら・・・。

それは避けようのない不安であることは理解できる。

しかし、子宮頸がんワクチンの例で見たように 1人の副作用をなくすために数千人の命を犠牲にして良いものだろうか。

諸外国では数千、数万の命を救うためであれば、わずかな副作用もやむなしと毅然とした態度で挑み、国民もそれを納得しているが、日本は例え何千人の死者が出ようと、1人たりとも副作用による犠牲者を出すべからずというマスコミの論調や、それに迎合する団体、国民の意見に引きずられるがゆえに病気による多くの犠牲者を出し続けている。

それが冒頭に述べた第二の理由、ワクチン接種を義務化したり強く推奨できないことにつながり、接種率が低くワクチン販売量を見込めないので国内製薬メーカーが設備投資できず、いざという時に供給できないという第一の理由にまで至る訳だ。

マスコミが過剰・異常報道、国民が過剰・異常反応を続ける限り、日本ではいつまでも病気によって亡くなったり後遺症を負う子どもたちや女性たちが減らないことだろう。

想い出の居酒屋 其の拾想い出の居酒屋 其の拾

想い出の居酒屋 おしながき

2月 25日、いつもの居酒屋で飲んで食べて話して来た。

実は店のママも過去にガンを患っており、親身に話を聞いてくれていたのである。

ところが、そのママがくも膜下出血で倒れたのが先月のことだとマスターは言う。

記憶に新しいところでは料理研究家の小林カツ代さんが、その病気で亡くなったばかりだ。

それでママの姿が見えないのかと、目の前が暗くなりかけた時、
「いやぁ~命は助かったんだけどさぁ」
とマスターが言う。

手遅れになれば命は助からず、助かったとしても上下、または左右や言語が麻痺するという後遺症に苦しむ人が多い。

ママが店に出ていないということは、体のどこかに異常をきたしてしまったのではないだろうかと再び暗くなりかけた時、
「それがどこもマヒしなかったんだよねぇ」
と、マスターが言葉を続ける。

「い、いっぺんに言わんかいっ!」
と突っ込んでやりたくなったが、命にも体にも異常ないのは幸いである。

仕事中に倒れたということだったが、それは突然の頭痛に始まったらしい。

店は昼も営業しており、近所の会社員が昼ごはんを食べに来るのだが、それの準備中にママが座敷に座り込んで頭痛を訴えた。

マスターが様子を見ると、顔色を失い真っ青になって倒れてしまったので慌てて救急車を呼ぶことになったという。

マスターも心配のあまりに顔色を失い、病院に同行して救急治療を終えるのを待ったが、今後のことを考えると目の前が暗くなり、重い後遺症を抱えるくらいなら命が助からないほうが良いのではないかという究極の考えまで頭をよぎったと素直に話してくれた。

しかし、ママは医者も驚くほど奇跡的に後遺症もなく、身体的にも脳も言語にもまったく支障をきたさず 2週間ほどで退院に至ったということで、マスターは
「あいつは化け物だ」
とか、
「殺しても死なん」
などと言っていたが実のところは幸運を喜んでいる。

そんな話しをしていると、退院間もないのにママが顔を見せてくれた。

確かに元気そうではあったが、その言葉は弱々しい。

あんなに大きな声で話し、快活に笑う人だったのに、すぐそばで会話しているにも関わらず聞き取るのがやっとという感じだった。

実はマスターとママの夫婦は年齢差 25という年の差婚だ。

しかも歳上なのはママであって、すでに70歳を超えている。

25歳差と言えば友達のお母さんと結婚して世間を騒がせた元ヤクルトスワローズでベネズエラ出身のペタジーニ選手と同じであり、親子ほども年の違う二人が結婚して前に勤めていた焼き鳥屋チェーンから独立したとき、実のところママが若い男にダマされて金を注ぎ込み、店を持たせてやったのではないかと思わないでもなかったが、二人はいつまでも仲良く店も開店 20周年を超えたところだった。

大きな病気を二度もしたし、すでに体がシンドイと感じていたので今回の病を機に店に出るのを止めようと考えているらしく、マスターもママに無理はさせられないと分かっているので一人で何とか切り盛りしようとしている。

忘新年会シーズンや歓送迎会が重なる時などは一人だと大変だが、人を雇うほど店は儲かっていないと、いろいろ考えることがあって大変そうだ。

札幌に住んでいれば、自分には水商売でのバイト経験もあるので忙しい時だけ店を手伝ってあげることもできるのだが、離れた場所に住んでいるのでそうもいかない。

年に何度も行くことはできないが、また今年の夏の終わりに店を訪れるつもりだ。

無理はしてほしくないが、できれば店で元気に働くママに会いたいものである。

想い出の居酒屋

大腸がん検査 その時大腸がん検査 その時

先週からの続き ~

大腸がんの内視鏡検査は肛門からスコープを挿入するので、検査のための着替えでは男性用下着にある俗称 『社会の窓』 が尻側についているような構造の使い捨てパンツを履く。

それに着替えてからも便意は止まらず、看護師さんにことわってからトイレに行ったが、検査台に横になって医者の登場を待っているうちに再び模様して再度トイレに。

それでやっと落ち着いて検査を始めることになった。

最初に検査しやすいよう、腸の動きを止める筋肉注射をする。

下剤を飲む前には薬で動きを活発化させられ、直後に動きを止められるというのだから腸もなかなか大変だ。

「筋肉注射ですから痛いですよ~」
などと脅かされながら右肩にうたれたが、最初だけチクッとしたものの言われるほどの痛みを感じることがなかったのは、幼児の頃は喘息持ちで体が弱く、医者から
「まいどさん」
と言われるほど病院通いし、何度も何度も注射されたことによって痛みに慣れてしまったか、痛点がなくなってしまったのだろうか。

そして、医者が
「カメラを入れやすくするためローションを塗りますね」
と言いながら尻に塗ったかと思ったら、いきなり肛門に指を入れられたので
「おおっ!」
と驚きの声を上げてしまった。

子供の頃から便秘体質で、何度か病院で浣腸されたり医者や看護師に指を入れられたりしたが、その時の感覚の記憶はすでになく、大人になってから座薬を入れたことはあるものの、それ以上の大きさの異物が肛門を逆行したことなどないので生まれて初めてに近い妙な感覚だ。

医者が笑いながら
「次はカメラが入りますよぉ~」
と言う。

やはり、その感覚はとても馴染めるようなものではかったが、ぬ゛~と体内への侵入を許すと、もうどうにでもしてくれ~という、すべてを諦めきってしまったような、何らかの悟りを開いたような気になった。

人によっては痛みを感じることもあるらしいが、自分が痛みに鈍感なのか、操作する医者の技術が高いのか何の痛みも感じないままカメラは体内を進む。

途中、
「腸を広げるために空気を入れますね」
と言われ、機械からプシューという音がすると、腸内に空気が入る不思議な感覚に襲われたのだが、それはまるで大道芸人が犬やウサギを作るマジックバルーンが膨らむかのごとく、自分の腹の中で腸が肛門側から胃に向かって順に膨らんでくるのが分かる。

「空気を入れているのでオナラがしたくなったら構わず出してください」
とか、
「今、盲腸を通過しました」
とか、
「もう少しで小腸付近です」
などと説明を受けながら、『どうにでもしてくれ~』 状態は続き、やっと大腸の終わり、小腸の手前までカメラが達した。

そこでモニターをこちらに向けられ、
「これからゆっくり抜きながら見ていきますね」
「途中、説明しますから一緒に見ましょう」
ということだったので自分の腸内を見ながら話しを聞く。

「ここが小腸と大腸の境目です」
などと言われても素人目にはわかるはずもなく、ただ
「はぁ」
という生返事しかでてこない。

途中、カメラの動きを止めて
「ここにポリープがありますね」
と見せられたが、確かにピンク色の丸い突起物がある。

それは 3ミリ以下の小さなもので、がん化もしていなければ、がん化のリスクも小さいということで切除の必要はなく、今後も経過観察するということになった。

医者は言う。

がん化したものは、いかにもガンですっ!といった感じで見かけも黒ずんでおり、形状もいびつなお世辞にも綺麗と言えないものだが、見えているポリープは薄いピンク色でツヤツヤしており、形状もまん丸で綺麗なので何の問題もないと。

その言葉を聞いて安心していると、再びカメラを動かしていた手が止まり、
「右上の方に黒っぽいものが見えますよね」
などと言う。

確かに周りとは明らかに色の違う、ドス黒い影が画面に映し出されており、先ほどの医者の言葉が頭の中をこだまする。

「がんは黒ずんでいて・・いて・・いて・て」
「いかにもガンですっ!・・です・・です・す」
「お世辞にも綺麗とはいえない・・ない・・ない・い」

目の前が暗くなるような不安を覚えた瞬間、
「あの影は肝臓が透けて見えてるんですよ」
などと軽~く言ってのけるではないか。

「それを先に言えーーーっ!」
とか、
「ふ、ふざけるなぁーーっ!」
と胸ぐらをつかんで怒鳴ってやりたい衝動に駆られたが、なにせこっちは肛門からカメラを入れられている身であるため、
「ほほ~、そうなんですかぁ~」
などと適当な相づちをうつしかない。

その後もいくつかのポリープを発見しつつカメラは出口に近づいた。

そして、肛門付近になると医者が
「いくつか痔がありますね」
と言ってカメラを近づけてくれたものの、素人目には今まで見てきたポリープとの差が分からなかったが、確かにポコポコと丸いものが連なっていたのでそれが痔だったのだろう。

検査の結果、とても小さく綺麗なものとはいえ、実はかなりな数のポリープが存在していることと、発症はしていないものの痔主であることが判明した。

ポリープは経過観察となったため 2年に一度は大腸がん検査を受けたほうが良いということと、それを受けるのであれば毎年の健康診断で受けている検便による大腸がん検査は必要ないとのことである。

人から聞いたり勝手に想像していたより検査前の下剤は辛くなかったし、検査自体も尻の穴を見られるという羞恥心がある程度で痛くも何ともなく、むしろ毎年の胃カメラのほうが苦しいくらいであるし、便秘症ゆえに検便に間に合うかという毎年のプレッシャーからも開放されるのであれば、2年に一度くらい内視鏡による大腸がん検査を受けるのも悪くない。

それで仮に大腸がんになったとしても早期発見できるだろうから、ここは素直に医者の意見に従おうと思っているところである。

大腸がん検査 その準備大腸がん検査 その準備

それは昨年11月に受けた健康診断で便潜血が認められたことが発端だ。

どうせ受けなければいけないのであればグズグズしていても仕方がないということで 2/18に予約を入れたのだが、その前の日曜、16日に法事があることをすっかり忘れていた。

検査の 3日前、2月 15日から食事制限しなければならず、法事前の会食でも食べるものが限定されてしまうため、出前をとるにしても外食するにしても検査前に食べても良い食材を選んで注文することが可能か微妙なところではあったが、食べに行くのが消化の良いうどんも出してくれる蕎麦屋になったので、みんなと一緒に食事をすることができる。

その前日の 15日、昼はうどんと同じ成分で太さだけが異なる素麺をふわふわの卵とじにゅう麺にして食べ、夜は指定時間より 2分も長くゆでて柔らかくしたパスタと、これまた長時間炒めて柔らかくした野菜をケチャップで味付けしたナポリタンに目玉焼きを乗せて食べた。

いつもの土曜日は酒を呑み、深夜に夜食を食べたりするのだがアルコールも好ましくないリストに掲載されていたので酒も夜食もなしの土曜の夜。

翌日の昼は予定通りに蕎麦屋で会食となったが、みんなが蕎麦を注文する中、ひとりだけうどんを頼み、斜め切りにされていた長ネギを偏食が直らない子どものように残して食べたが、別注されたエビの天ぷらはできるだけ衣を落として口にした。

その日の夜は法事に来てくれた親戚がみやげにくれた鯖の棒寿司と、塩麹に漬けて柔らかくした脂分の少ない鳥の胸肉だったが、白身魚は食べて良いものの鯖は酢で身がしまっているので普段の倍ほどかんでから飲み込むように気を使う。

翌日の朝はトースト、昼は鶏肉の残りと玉子焼きなどで軽く済ませ、夜は完全に具なしの素うどんを食べ、いよいよ夜の 8時、去年の 11月に 『お買い物日記』 担当者が服用し、とんでもない副作用に襲われたものと同じ下剤を飲む時がきた。

かなりドキドキしながら覚悟をもって服用したが、結果的には何の副作用もなく、いや、副作用がないどころか薬が効いているのかいないのか、腹はコロッともグルッともいわず、さっぱり便意を模様してこない。

前に大腸がん検査を受けた義兄の話しでは薬はすぐに効いて夜中まで何度もトイレ通いすることになったとのことだったが、便秘体質の自分にはさっぱり効果がなく、夜中に腹がグーと鳴ったものの、それは下剤が効いたからではなく空腹によるものだ。

その夜は何事もなく就寝し、夜中に目が覚めたがそれは便意ではなく尿意であり、そのまま朝を迎えることになった。

このまま病院に行くことになるのだろうかと不安と焦りが入り混じった感情のまま刻々と時間は過ぎ、そろそろ家を出る準備をしなければいけないという段階になってやっと便意を模様したが、下剤を飲んだとは思えぬくらい普通の量の便が普通程度の硬さで出ただけだった。

病院に行って下剤が用意された部屋に入ると、そこには他にも三人いて全員が検査を受ける人だった。

テーブルには 1リットル入の下剤がそれぞれ用意され、その前に着席すると看護師さんから下剤の飲み方の説明を受ける。

30分で 500cc、1時間かけて 1リットルを飲み干すようにとのことで、トイレに行きたくなったら我慢せずに行き、排泄したらそれを流さずに見せてほしいとのことだ。

最初に腸の動きを良くする薬を飲み、その場にいる四人が一斉に下剤を飲み始め、それぞれが本を読んだり目を閉じたりしながらひたすらトイレに行きたくなるのを待つ。

最初に 50代前半と思われる女性が席を立ち、続いて同じく 50代前半くらいの男性がトイレに向かうが、自分には一向に薬が効いてくる気配がない。

そして 、ついに 70代後半と思われる女性も立ち上がって残るは自分だけになってしまった。

一度トイレに行くと堰を切ったように何度も行きたくなるようで、50代前半の女性などは腹痛まで伴う下痢状態になっている。

30分して看護師さんが現れ、それぞれ順調に 500ccまで飲んでいることを確認し、トイレに何回行ったか尋ねられたが、みんなが 3回、4回と答える中、自分だけまだ 1回も行っていないと言うと、たまにそういう人もいると慰めとも同情ともつかぬ返事。

みんなが頻繁に席を立ち、5回、6回と回を重ねたころ、やっと自分にも便意が。

確かに一度便意に襲われると短い間隔で何度もトイレに行きたくなる。

その下剤は腸内をきれいにし、カメラで見やすくするために飲むものなので、便に不純物がなくなるまで何度もトイレに行き、看護師さんに確認してもらう必要があるのだが、同じ量の下剤と水を飲んで出しているのに人によって明らかな差があるようだ。

腹痛までおこして辛そうに何度もトイレに行く女性と 50代前半の男性は 7-8回目でも不純物があったのに自分は 3回目で不純物がなくなり、念のため 4回目を出した時点で検査室への移動が許可された。

その後すぐに腹痛の女性、70代後半の女性が下剤から開放されたが、50代前半の男性は
「まだ黒いものが混じっていますね~」
と言われ、
「ゴマとか貝類とか食べませんでしたか?」
「薬の他にサプリメントとか飲んでませんか?」
など聞かれていたが、食べていないとか飲んでいないとか言い張る。

結果、いつまで経っても不純物が消えないので腸洗浄することになってしまい、別室に連れられていく男性を見ながら、色々と面倒だったがやはり病院からの指示に従って食べ物に気をつけておいて良かったと胸をなでおろしつつ内視鏡検査室に向かったのであった。

次週へ続く