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デジタル化の波 ~目次~

国民総背番号制、いわゆる共通番号(マイナンバー)法案を問題視する人は相変わらず多く、個人情報がだだ漏れだの何だのと騒いでいるが、そんな法案が通ろうが廃案になろうが大きな問題ではない。

現代社会においては、すでにプライバシーなどというものはなく、常に誰かに監視、管理されている現実をもっと知るべきで、そこから逃れられない以上はマイナンバーによって利便性が高まることを優先し、個人情報など諦めて受け入れるべきだと思う。

もちろんそれぞれの情報はセキュリティで守られているが、SONYやマイクロソフト、YAHOO!、Gooleなどの大手 IT企業や、アメリカ国防省などの機関ですらセキュリティを破られてサーバーへの侵入を許してしまうのだから、完全、完璧に安心できる情報管理など存在しない。

今、この瞬間も情報は流出しているが、多くの企業や組織はそれを認識していないだけのことだと思われる。

情報は流出してしまうものであるという前提に立つならば、すでに個人情報やプライバシーに意味はなく、すべてさらけ出してしまっていると思ったほうが良い。

例えば運転免許証やパスポート、社員証など顔写真付きの身分を証明できるものはすでにコンピュータで管理されているので、正確な住所や生年月日などの情報が得られる。

また、クレジットカードや銀行口座、キャッシュカード、普及が進んでいる電子マネーは偽名で取得するのは困難なので、そこにも正確な住所が登録されているのは間違いない。

それらの情報をハッキングできたら、どこの誰が何月何日に何を買ったか容易に検索可能になるばかりか、年単位で食材や食品の購入履歴を抽出すれば、食生活まで把握できることになる。

そこから健康状態や将来の発病リスクまで予想可能なので、予防のアドバイス、食生活改善の提案もできるし、発病のリスクによって保険の掛け金を変動させることだってできるだろう。

書籍や音楽、レジャー、娯楽用品の履歴から趣味嗜好を知られ、山のようなダイレクトメールが送られてきたり、ネットではそれ関連の広告ばかりが表示されるという事態になるかも知れない。

原則本名の Facebookは別として、ほとんどのサービスが匿名であることからブログや Twitter、2ちゃんねるに好き勝手なことを書き込んでいる人も多いだろうが、会社のパソコンを使うと上層部に筒抜けになっていることも多いので注意が必要だ。

現在、大企業の 70%以上、中小も含めた全体でも約 57%がパソコンの使用状況をモニタリング(監視)しており、その監視システムの性能は向上の一途をたどっているので誰が何をしたか、どんなサイトを閲覧したのかまで把握されてしまっている。

そのパソコンでは何月何日の何時何分に USBメモリーが接続され、どのファイルがコピーされたのか、いつどんなファイルが印刷されたのか、そのパソコンでどんな e-mailが送受信されたのか、ネットでどんなサイトをどれだけの時間閲覧していたのかなど、ありとあらゆる情報が監視され、数カ月、年単位で履歴が保存されていることも少なくない。

もちろん名目は企業の情報流出を避けるための監視だが、私用メール、ブログ、Twitterへの投稿などによるパソコンの私用の度が過ぎると人事評価に影響を及ぼしたりリストラの対象となる事例も出始めているのは確かだ。

個人宅のパソコンだって盤石ではなく、ネットの世界に入るためには必ずプロバイダが必要になり、そこにはネットの接続履歴が年単位というレベルで保存されている。

それを解析すれば年月日、時間、接続先、送受信したファイルから文字情報まで得ることができるので、匿名も何もあったものではない。

企業の監視データと社員名簿、プロバイダの接続履歴と契約者情報をハッキングし、上述したデータと合わせれば、さらに個人の情報はガラス張りのようになる。

そして、犯罪者の検挙にも大きな役割を果たしはじめた防犯カメラ。

都会であれば、家を一歩出た瞬間から目的地に到着するまでに最低でも数十、都心であれば数百から千の単位のカメラに撮影されることになるはずだ。

これからも増える一方で減ることはないであろう、この監視システムも犯罪抑止だけではなくプライバシーを十分に侵害してくれる可能性がある。

前述の運転免許証、パスポートなどは顔写真とともにデータ化されているので、現在では 90%以上の認識率になった顔認証システムと組み合わせれば、外出先での行動がすべて見られているのと同じだ。

マンションの出入り口、駐車場、地下歩道、店先、商店街、ATM、自動販売機、店内、駅構内などはおろか、最近では個人宅にも防犯カメラが設置されていることがあるので、どれにも映らずに行動することは不可能だろう。

氏名年齢、生年月日、現住所の基本情報のみならず、すべての行動、趣味嗜好、食生活まで知られ、e-mailやブログ、Twitterへの書き込みや携帯電話でのやり取りから思考パターンや思想まで解析され、誰が誰を好きで誰が嫌いか、殺意まで抱いている相手はいないのか、それを実行に移すほどの危険人物か。

そして、狙われているのは誰なのか・・・。

膨大な情報の処理能力がある巨大システムがリアルタイムに解析し、その人物を特定して犯罪、犯行を未然に防ぐ。

そんな内容の海外ドラマが 『PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット』 だ。

このドラマを SFだとみるか、明日にも実現可能な技術とみるか。

繰り返しになるが、各情報はセキュリティで守られているので簡単にはハッキングできず、今が情報流出、個人監視の危機にさらされている訳ではない。

ただし、ハッキングは簡単ではないものの、難しくないのが困りものだが・・・。

デジタル化の波

参院選 2013参院選 2013

7月 4日に公示され、21日に投開票となる参議院選挙だが、各党が何を主張しようと、ねじれ状況をめぐってどんなに舌戦を繰り広げようと自民党の大勝は揺るぎないのではないだろうか。

現在までのところ安倍政権は大きな失敗もなく、民主党政権の停滞、体たらくぶりから比較すると大きな躍進を遂げているかのような好印象を受けやすく、それによって高支持率を維持している状況にある。

閣僚の問題発言とか川口順子氏の解任騒ぎなど多少の波風はあったにせよ、そのたびに社会情勢の大きな変革とか大災害、大事故など世界的ニュースが世間を騒がせるタイミングと重なって、マスコミの総攻撃を回避できるという絶妙なバランスを保っており、その運の良い、ツキのあるリーダーはある意味において何ものにも代えがたい存在であることから今は必要とされている人物、政党だと思わざるを得ない。

順風満帆とまではいかずとも、今のところは逆風らしい逆風が吹いていないのに加え、野党が自滅的な行動や発言で自壊しつつある状況下においてはあまりにも選択肢がなさすぎる。

民主党は与党時代のマイナスイメージが強すぎるので政権を任せる器ではないことは嫌というほど思い知らされているし、日本維新の会は選挙戦目前に迫った段階で橋下共同代表の爆弾・問題発言で国論を二分するかの勢いで騒ぎが大きくなってしまい、多くの層から反発を招いているので国政を任せられるかには大きな疑問符がつく。

生活の党は所詮は小沢党でしかないし、社民党の福島みずほ氏はアドリブでも棒読みでしか話せないという特技の持ち主なので真意も熱意も伝わってこない。

その他の党もそれぞれの主張は分からなくもないが、キレイ事だけで世の中は変えられないし、経済も持ち直さなければ国の借金も返せないし、外交もできないので理想論ばかり聞かされても現実感に乏しく思える。

主義主張に多少は骨があり、現実路線も踏襲していると思えるのは渡辺喜美ちゃん率いるみんなの党くらいなものだが、仮に政権を任せたとしても官僚をコントロールすることができず、民主党政権と同じ道を歩んでしまうのではないかという不安がなくもない。

そうなると結局は自民党しかないという思いが国民の大半を占めるのなら、投票に行っても行かなくても結果は一緒という思いが広がって投票率が大幅に低下し、多くの支持母体を持つ自民党がますます有利になるという結果を招くものと思われる。

ネット選挙が解禁になったとは言え、ネットで投票できる訳ではないので投票率の向上には寄与しないだろう。

以前から何度も主張しているが、投票率を上げるためには投票に行ったことを証明する何かを発行するか、送られてくるハガキに切り取り線をつけて現場で捺印したのち切り離して持ち帰るようにし、その半券がなければ受けられないサービスを各業界が提供すれは良いと思う。

それは単純なことで飲食店では半券を見せたら 10%OFF、コンビニ、スーパーでの買い物は 5%OFF、その他ファッション業界でもなんでも参加して盛り上げたら良いのではないだろうか。

国民として、大人としての義務を果たさないのであれば、半券を持たない社員のボーナスも減額するとか、大学では単位を減らすとかペナルティ的な扱いにする方法だってある。

ここまで偉そうなことを書いている以上、もちろん来週の日曜日は投票場に行くが、今回は支持する候補者が決まっているので、それほど真剣に各党の主張に耳を傾けていないのが現実だ。

そして、これから一週間は選挙カーが通るたびにテレビやラジオの音が聞こえないと文句を言ったりもするだろう。

それでも一応は政治に関心を持ち、責任をもって投票するつもりだ。

進路進路

先週の雑感で隣のマユちゃんが美容師への道を断念したことを書いた。

また新たな道を模索しなければならないのは確かだが、彼女は英語力を生かしてバイト生活をしており、きっとその道で生計を立てていくことになろうことは容易に想像がつく。

つまり、路頭に迷うことなく新たな道を歩み始めることになった訳だが、それは実にすばらしいことであり、現代の若者にしてはとても頼もしいことだと思う。

かなり以前から大学にも関わらず親による授業参観日があるという驚くべき事実は知っていたが、今は入学前の学校説明会も親に向けて開催されるらしく、親が学校を吟味して子の進路を決定したりする時代らしい。

自分の意志というものがなく、将来は何になりたいのかという子供の頃に持っていた夢は二の次、三の次で偏差値と経済力、親の意向を最大限に尊重した大学に進み、専攻したい学問も明確ではないまま数年を過ごし、自身が何者であるのか自分が何をしたいのか不明確なまま単なる安定志向で就職先を選ぶという、誰のためなのか分からない人生を歩み始めることになる。

そして、信念とか目標がない虚無な人生を人事担当に見透かされるがゆえに就職先が決まらず、次から次へと面接を繰り返し、ついには一社からも内定すらもらえず人生初の挫折を嫌というほど味わうことになるのだろう。

子供の頃から、どんな小さなことでも遊びでも運動でも優劣が明確で勝ち負けを経験してきた者と、温室育ちで競争を避け、親に守られて育ってきた者では目の前の大きな壁への対処法、受ける挫折感への処置法において大きな違いが出るものと思われる。

温室育ちは初めて見る目の前の大きな壁と、底知れぬ深さの挫折感を乗り越えることができずに心折れてしまい、そのまま家に引きこもりニート生活へと移行していく確率が高かろうことも容易に想像できるというものだ。

育て方を間違った親、意思を持たぬ子、その双方の自己責任が相当なものであるはずなのに、就職弱者だの雇用システムの問題だのと社会問題が圧倒的に不利な条件を生み出していると逆切れとも言える責任転嫁で政治に不満を持ったりする。

そのくせ成人になっているにも関わらず選挙の投票には出向かず、政治そのものに無関心という誠に自己中心、利己主義的な奴らばかりで腹が立つ。

最初は親に勧められたのか、自分から始めたいと言い出したのか分からないが、マユちゃんが小さな頃から高校を卒業するまで英語や習字を続けてこられたのはそれが嫌いではなかったからだろう。

逆に好きでなければ中学や高校になってまで塾通いを続けるはずもなく、特に習字などは普通であれば通うのを止めて学習塾に切り替えるか、単に面倒とかウザい、かったるいなどという理由で行かなくなる若者は多いはずだ。

それを街を出ることになるまで続けたのも、大学進学ではなく美容の専門学校に進むことを決めたのも彼女の意思で、どの学校に通うのかも自身で決め、大きな障害でその道を断つことを決めたのも彼女自身である。

ふわふわとして信念を持たず、なかなか就職先が決まらないと周囲に不満を持つことしかできない大学生に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

かく言う自分も、実は超利己主義で、信念などとは別の次元でワガママに生きてきたので将来を持たない若者に対して余計に苛立ってしまう。

子供の頃から絵を描くのが好きで、ヒマな授業中はノートに、回答する気のないテストでは用紙の裏に絵を描いて叱られていた。

絵の勉強ができる学校に進み、デザイン事務所にでも就職できればラッキーなどと思っていたが、学生の頃にバイトで始めたレンタルビデオ店での仕事が楽しく、ただで映画やミュージックビデオが見られるのも嬉しかったので、そのまま就職することすら考えた。

親の影響で料理にも興味があったので、レストランの厨房でのアルバイトもやり、料理作りが楽しくなってそのまま料理人を目指そうかと思ったこともある。

しかし、結局は絵とかデザインへの興味は薄れることなく、一日に必ず一枚は絵を描いて寝るという習慣は何年も続けた。

そんなことをしている間に世の中にパソコンや家庭用ゲーム機が浸透し始め、ゲーム三昧の日々を過ごしている中、こんなに楽しいゲームと大好きな絵を活かせる職業はコンピュータグラフィックス制作しかないという思いに至り、社員募集などしていないのに勝手に履歴書を送って面接に漕ぎ着け、どうしても働きたいのだと切々と訴えかけてバイトからという条件付きながら無理矢理に働かせてもらったのがコンピューター業界への入り口だ。

つまり、自分の好きなこと、興味のあることしかしておらず、嫌々ながら仕事をしたことがなく、嫌いなことになど最初から手を出さないという実に身勝手な生き方をしている。

もちろん、絵やデザインだけすれば良いというものではなく、事務処理や外部との交渉、他部署との調整役や、やりたくもない管理職の仕事もやってはきたが、好きな業界の中で働いているので多少のストレスはあったものの大きな苦痛は感じずにすんだ。

そして、色々あった挙句、今は再び Web制作というデザイン系の仕事で、コンピュータを使いながら好きな絵を描いたりもできている。

もちろん運が味方してくれた面もあるし、家族に迷惑をかけた面もなくはないが、身勝手なくらい自分で決め、自分の好きな道を歩んできたという自負があるので、ちょっとしたことで路頭に迷ったふりをして困ったふりをしてるヤツが好きになれない。

その点、隣のマユちゃんはまだ高校を卒業したばかりの女の子だというのに、そこらのボンクラなんかよりしっかりとした足取りで、一歩一歩進んでいる姿が眩しいくらいに美しく見える。

マユちゃんの挫折マユちゃんの挫折

今年の春、翼を大きく広げて旅立ったマユちゃんの前に大きな試練が立ちはだかった。

美容師になると決め、この春から札幌の専門学校に通っていたマユちゃんは、その実習中に腰の痛みを覚えたらしいのだが我慢して立ち続けていたらしい。

痛みは悪化する一方であり、ついにこらえ切れず病院を訪れたところ疲労骨折していたとのことで、美容師さんの前かがみの姿勢が問題視されてしまったとのことだ。

完治させるためには安静が必要で、負担のかかる姿勢を保たなければならない授業を数カ月間は休まなければならないし、これから先も美容師は無理かもしれないという医師からの宣告を受けてしまった。

労せず入れるはずだった大学への進学をも断ち、祖母の代から続く美容師への道を進むという決断をし、大きな夢や希望をもって歩み始めた矢先の出来事である。

あんなに可愛らしく良くできた娘さんに神は何という試練を与えるのだろう。

母親である隣の妹ちゃんと話し合いをした結果、美容師への道をあきらめ専門学校もやめることにしたのだが、挫折感を味わい、心を痛め、一番つらい思いをしているのは当人であるはずなのに、新生活の準備や学費で大きな出費をさせてしまったのに申し訳ないと親を気遣う優しいマユちゃんだ。

実はゴールデンウイークに帰省し、ニコニコ挨拶してくれていたときも、腰の痛みに耐えて授業を受けていたのかと思うと可哀想で仕方がないが、妹ちゃんも話しを聞いてそれは職業病というか、立ち仕事とはそういうものだと激励していたようなので、よもやこんな事態になろうとは夢にも思っていなかっただろう。

とても切なく、残念なことではあるが、冷静にマユちゃんの将来を考えると、これは運命的に救われた一面もあるのではないかと思われる。

となりの店は絶えずお客さんが来ている繁盛店ではあるものの、将来に一抹の不安を覚えないでもない。

第一には客層が高齢化の一途をたどっている。

北海道に帰ってきてここに住み始めて 6年、来店客の減少は目立つほどではないものの、妹ちゃんと同世代、それより下の客層は伸びず、若い世代のお客さんは皆無に近いものと思われる。

したがって、何年後かにマユちゃんが店に立ったとしても自分と同世代、それ以下の年齢層のお客さんは新規に開拓しなければならないだろう。

これから田舎の町も都会並み、大阪並に美容室が乱立するものと思われ、全国区の低価格チェーン店も続々と進出してきている時代にあっては、技術とかサービス、接客術だけで競争に勝つことは難しいに違いない。

ましてや少子高齢化で若い世代の人口も減る一方であるし、髪型などを気にして自身でお金を使える一番の客候補である 20代はデフレの申し子であり、失われた 20年を生きてきた節約・倹約世代ときては益々低価格化が進んで利益が圧迫されると予想される。

そんな厳しい世界に身を置くより、挫折したのがやり直しのきく若い時で良かったのかも知れず、まだまだ別の可能性を模索できることは幸いだとポジティブに捉えるべきだろう。

現在、マユちゃんは子供の頃から続けてきた英会話の特技を生かし、アルバイトで生計を立てているらしい。

本格的な英語教育が戦後 68年目にしてやっと日本に導入されようとしている今、英語ができる人材は引く手あまただろうし、事実、1-2時間で万の単位の金額になる仕事も多いのだという。

持ち前の明るさとキラキラした笑顔と、しっかりした信念に語学力があれば無敵に違いなく、これからのマユちゃんは前途洋洋であるに違いない。

同じく子供の頃から続け、人に教えられるほどの腕前である習字を外国人相手に教えるという一風変わったビジネスを始めるという手もあるだろう。

大きなビジネスにはならないだろうが、海外は日本、漢字ブームであり、訳の分からない筆文字がプリントされたTシャツも売れているので、一定の需要はあるのではないだろうか。

そんなことは頭の硬くなったオッサンが心配したり考えたりすることではなく、未来はマユちゃんが自らの足で進み、自らの手で切り開いて行くのだろうが。

残念ながら決めた進路を断たれてしまったマユちゃんではあるが、彼女の持っているポテンシャルは人並み以上であるし、彼女の持つ可能性は無限大である。

焦らずゆっくり考えて、また新たな道を歩み始めてほしいと心から願っている。

マユちゃん

記憶 Memory-15記憶 Memory-15

過去の記憶

度忘れは胴忘れとも書くが、その【 ど 】の意味は、単にど真ん中、ど根性などと同様に意味を強めるための【 ど 】であって、医学的意味も言語的意味ももたないらしい。

度忘れとは、よく知っているはずの事をふと忘れてしまい、どうしても思いだせないことだが、そんなことは今の自分にとって日常茶飯事であって決して珍しいことでもなく、加齢とともに悪化の一途をたどるのを覚悟しなければならないだろう。

以前から 『独り言』 やこの雑感に何度も書いているように、『お買い物日記』 担当者との日常会話もそれはそれはひどいものであり、まるで数学の虫食い算のように穴だらけの中、前後の文脈から何とか穴を埋めつつ予測変換などしながら答えを導き出して会話が成立する。

ある意味、それだけ頭の体操になったりしているのかもしれないが、答えが出ない時は会話そのものが成り立たないので大変だ。

会話に出てくる副題だったり関連する単語だったりするのなら大きな問題はないが、それが主題だったりするので入り口にたったままドアを開けられず、一歩も先に進めないという恐ろしいことになってしまう。

たとえば芸能人の話しをしようとした場合、その人物の名前を思い出すところから始まり、
「あれ誰だっけ?」
というのが会話のスタートとなる。

「ほら、昔何とかいうドラマに出てた目の大きな女優」
・・・こうなると、もう手がかりは目しかない。

そして、目の大きな芸能人は山ほどいるので手がかりとして何の役にもたたない情報であり、結果、名前を特定できず会話をスタートさせることすらできないのだが、それでも諦めきれずに
「いや、最近は見かけないと思ってさ」
などと言ってはみるものの、年間何百という芸能人が排出され、残るのは一握りの数人である現状を鑑みると対象の候補者は数千から数万の単位となり、特定するのは困難を極めるどころか限りなく不可能に近い状況になってしまう。

それでも、長いこと一緒に暮らしていると不思議に意思の疎通が図れるものであり、互いの穴を埋めあってなんとか会話が成立してしまうのは良いことだとは思うが、それに甘んじていると他の人との会話がまともにできなくなってしまうのではないかという不安がなくもない。

度忘れとは別に、どうしても覚えるのが苦手な人名というものがあるらしい。

自分の場合、大阪に暮らしていた時のご近所さんの名前をどうしても覚えられず、何度も 『お買い物日記』 担当者に聞いて呆れられいたが、それは今でも同じで当時の話しをしていて、その苗字を言おうとするとどうしても思い出せないことが多い。

確かにあまりない名字で耳馴染みがないこともあるが、逆に珍しい苗字であればインパクトが強くて覚えられそうなものなのに、どうしても記憶できないのが不思議だ。

芸能人にも記憶できない人がいるのだが、それは女優の米倉涼子だ。

今、この米倉涼子のことを書こうとしていたのに名前を思い出すのに必死だったくらいで、何度聞いても、何度覚えようとしても、どうしても記憶することができない。

いや、前述のご近所さんだった方の苗字にしても、最終的には思い出すので記憶はしているのだろうが、どうしてもその引き出しが錆び付いていてスムーズに開かないのである。

米倉涼子を思い出そうとすると、涼子はすぐ出てくるのに苗字は出てこず、広末涼子を思い出してしまって頭の中が広末でいっぱいになり、余計に米倉の入り込む余地がなくなるのだろう。

サラリーマン時代、年間の出勤日が 200日として 5年で 1,000日、それを考えると何千という単位で繰り返していたことが思い出せず、とてつもない恐怖に襲われることがあった。

数年に一度のことではあったが、ネクタイの結びかたが分からなくなるのである。

出勤前の着替えでワイシャツを着てスーツのパンツを履き、首の後ろにネクタイを回した所でピタリと動作が止まり、それから先、何をしたら良いのか右手を動かすべきか左手を動かすべきか、どちらの手にあるネクタイを上にすべきか何も思い出せない。

そんな自分が怖くなりつつも必死に結ぼうとするのだが、焦れば焦るほど頭のなかは真っ白になり、このまますべての記憶を失ってしまうのではないかという底知れぬ恐怖感に包まれる。

正確に計測したことなどないが、その度忘れしている時間を長く感じていてもきっと数分間、いや、もしかすると数十秒のことかもしれず、結局は思い出して遅れずに家をでることができるのだが、あのなんとも言えない感覚は二度と味わいたくない。

今はネクタイをすることなど稀になってしまったので、度忘れではなく本当に結び方を忘れてしまう危険性が高くなってはいるのだが。

記憶

真性雑感 第五版真性雑感 第五版

真性雑感 ~目次~

■ プロ野球ペナントレース

セ・リーグで応援している阪神タイガースはジャイアンツと首位争いをしているので実に楽しく、以前の雑感に書いた巨人はスタートダッシュの効果は持続しているものの、じわじわと追い上げられ、日替わりで阪神と首位争いをするなど夢にも思わなかったことだろう。

3位以下を 8.5ゲーム差で引き離している(06/15現在)2強状態なので他球団のファンは面白くないだろうが、関西はきっと盛り上がっているものと予想され、シーズン開幕前の 3/27時点で優勝マジック 144を点灯させた尼崎中央商店街は大盛り上がりになっていることだろう。

北海道に帰ってきてからというもの、すっかり阪神タイガースの情報量が減ってしまい、久しぶりに試合を見ると顔を見ただけでは誰なのか分からない選手も多くなってきた。

逆に情報量が半端ではなく、これでもかというくらい溢れているため、とっても詳しくなってパ・リーグで応援する球団となった日本ハムはダントツの最下位だ。

上にはオリックスの姿が見えるものの、ゲーム差は 3と大きく、神風でも吹かない限りクライマックス・シリーズに進むことすら危ぶまれる。

あるテレビ番組で、応援している球団が弱い年でもプロ野球を楽しむ方法を阪神ファンに教わるという企画をやっていた。

すっかり常勝集団となった阪神タイガースのファンにそんなことを聞くのも失礼というものだが、以前まではファンですら自嘲気味にダメ虎だの何だのと言いつつも、どんなに負けが込もうが連敗しようが熱狂的に応援し続けていた、そんな姿勢に学ぼうと企画されたものだと思われる。

たぶん、それほど危機感が強いのだろう。

4/20の雑感に書いたように、道産子は選手を野次ったり怒鳴ったりすることは稀だが飽きやすいという欠点があり、ペナントレースや試合、球団への興味が薄れてくると何も言わずに去っていく危険性が高い。

そんな北海道民を日本ハムファイターズのファンに留めておくためにも必要な企画で、日ハム離れ、プロ野球離れが進むとテレビ局も高視聴率番組を失いかねず、ひいてはテレビ広告費の減少につながってしまうのでつなぎ止めに必死なのだろう。

交流戦の場合、阪神 vs. 日ハムというカードが実現してしまい、そんな時はどちらを応援したら良いものか困ってしまうが、セ、パ両リーグに好きな球団があるというのはなかなか良いもので、どちらかが低迷していても一方の調子が良ければシーズンを楽しむことができる。

今季は日本シリーズで阪神 vs. 日ハムは実現しないだろうが、いつかその日が来るのを楽しみにプロ野球を楽しもうと思う。

■ アベノリスク

その経済効果がすっかり薄れてアベノミクスはアベノリスクになりつつある的な論調が増え、株価下落と円高基調を憂うマスコミばかりだが、株価の下落は日本株が安いうちに買い越していた海外の投資家が高値で売り抜けたのが要因だと思うし、外国人投資家が日本株を売って資金を比較的安全な資産である円買いに回すのだから円安も当然だろう。

安倍政権が発足してまだ半年である。

もう半年と言えなくもないが、この半年間で示したリーダーシップ、行動力は民主党など足元にも及ばないほど力強く迅速であり、過去の自民党政権にも類を見ない。

他国のリーダーがやっているような、経済界の要人を引き連れての外交、製品や技術を紹介し、それらを売り込むトップセールスなど今まで見たことがなく、とても歯がゆい思いをしていたのだが、安倍首相は精力的に訪問団を構成して外交に努めている。

本当にできるのかは別問題として、聖域なき構造改革、規制改革も次々に実行しようとしており、この規制緩和ではなく規制改革という呼称には今までにない意気込み、信念が感じられ、できるところまでやってみなはれというサントリー的精神で見守りたくなろうというものだ。

それらの内容が盛り込まれた政策、いわゆるアベノミクスは株主のご機嫌取りでやっている訳ではない。

即効性があれば文句はないのだろうが、そんなに良く効くカンフル剤、劇薬など存在するはずもなく、基礎体力を回復させた上で手術するなり治療するのが王道であり、それ以外の近道など存在しないのではないだろうか。

したがって、本当にアベノミクスの効果が出始めるのに最低でも数カ月単位、年単位の時間がかかるだろう。

前回の衆議院選挙で自民党を選んだのが正しかったのかは、数年後にならなければ答えが出ないだろうし、短期に利益を得ようとする投資家と呼べないようなトレーダーの行動で上下する株価や為替が、アベノミクスの成否を決定づけるものでは決してないのだけは確かだと思う。

真性雑感

男と女の間には男と女の間には

男女平等だの雇用機会均等法だのと言われる世の中ではあるが、やはり持って生まれた性、遺伝子、DNAの違いというのは避けようもなく、意識的に振舞わない限り決定的な差を埋められるものではない。

毎朝の散歩で多くの小学生、中学生、高校生に会うが、中学生ともなれば体つきも男女の差は顕著になり、それが高校生ともなれば如実に現れ、平均的には男の子のほうが背が高く、体つきもゴツくなって男性らしくなってくるし、女性はしなやかに丸みを帯びてくる。

小学生のうちは体つきに大きな差はないし、変声期を迎えるまでは声の高低にも差がないので、見かけでは着ているものや髪型だけが男女の差だ。

しかし、男と女の間には目に見えない何かが確実に存在するらしく、それは小さなうちから行動に現れる。

女の子は小さな頃から母性というものを持ち合わせているらしく、下級生の扱いが実にうまいし、見ていて感動すら覚えることも少なくない。

近所の子なのか、妹や弟なのか、下級生と手をつないで登校する女の子をよく見かけるが、小さな子が文法的に理解困難なことをゴニョゴニョと話しているのを優しい笑顔で聞いてあげている。

男の子が下級生と手をつないで登校する姿もたまに見かけるが、多くの場合は親に言われたから渋々手をつないでいるだけといった雰囲気で、二人の間に会話はない。

下級生が何か困って話しかけたのに対し、上級生の女の子がしゃがんで小さな子と目線を合わせて話を聞いてあげる姿を見て感心したこともある。

そんな時も男の子は下級生の顔を見ることもなく、生返事で適当に相づちを打っているだけで、気持ちはかなり先を行く友だちの方に向いているようだ。

数日前、横断歩道で信号待ちをしている下級生と上級生の女の子がいたのだが、下級生が徒競走でスタートを待つように走る準備をしているのを見た上級生が同じようにポーズをとってあげて、信号が変わった途端に走りだす下級生の後ろをわざとゆっくり走り、先に反対側の歩道に着いて両手を挙げて喜ぶ下級生に向かってパチパチと拍手をしてあげていた。

何と感動的な姿だろう。

これが男の子であれば、相手が年下や女の子であろうと容赦なく、わざと負けてあげて相手をほめるなどということは頭の片隅にもなく、全力疾走で駆け抜けて勝ちを狙いに行くに違いない。

下級生が負けてくやしがったり泣いたりして初めて自分の立場に気づくが、その場を取り繕うこともなく先に進むというのがオチだと思われる。

下級生に優しく接することのできる女の子は、母親に優しく愛情いっぱいに育てられ、自分もそうされたからできるのだろうし、親が弟や妹にするのを見て接し方を覚えたのだろうが、それを実践できるのはやはり母性なり何なりがあるからだろう。

多くの男の子の場合、弟や妹を無事に学校まで送り届けるように親に命じられた義務感、使命感のみで行動するだけで、そこに愛情や思いやりが存在することは少ないのではないだろうか。

下級生のうちから女の子は数人が集まってペチャクチャと話しをしながら歩いていることが多いが、男の子は無意味に走る。

何の目的なのか、先に何がある訳でもなく、ゴールが定められている訳でも、時間に遅れそうな訳でもないのに、誰ということなく急に走り出し、数人が後に続くという謎の行動を良く見かけるのだが、走りだした本人に理由を聞いても答えられないだろうし、偉い先生が研究しても謎は解けないのではないだろうか。

理性や知性では推し量ることのできない行動などは、持って生まれた性(さが)、本能による歴然とした差となって表れているに違いない。

それは太古から続く遺伝子の継承による差でもあるので、無理に平等化、平準化を図る必要があるのか疑問だ。

機会の均等、対価の均等はもちろん必要だが、根本部分さえ均等であれば、細かなことまでルール化する必要などないような気がする。

表現力表現力

もちろん、受け手の解釈力、読解力などの違いによって大きく左右されるが、情報の発信はとても難しいものであり、その深くて険しい谷底に転落してしまった典型が橋下徹大阪市長だろう。

その発言内容の信ぴょう性、的を射てるかどうか、正論か異論か暴論かは別としても、これほどの極論を発する人物に国政は任せられないだろうし、外交なんかもってほのかというのが一般的な意見だと思われる。

海外から見て日本人ははっきりと物を言わず主張性に欠けるとは言われているが、何でも考えなしにポンポンと発言して良い訳でもない。

特に外交などは相手のあることであるし、周辺各国の理解を得て味方してもらえるような戦略も必要となる。

日本が北朝鮮による拉致にこだわるあまり、アメリカ、中国、韓国、ロシアと歩調が合わず六カ国協議の足手まといになっている的な論調が一部の国際世論にあるが、韓国だって数百人単位で拉致されているのだから草の根で世論を動かし、拉致被害者の救出という点において共同歩調をとるべきだろう。

その韓国とは竹島問題でトラブっているので共同戦線を呼びかけることはできないが、尖閣諸島問題で対峙する中国の横暴を阻止するためにも、同じように領土問題を抱える国々と一致協力することが重要だと思われる。

中国と領土問題で争う国は実に多く、同国民でありながら争う台湾、モンゴル、ロシア、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ミャンマー、ブータン、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイなど、国境や海域が接するすべての国と紛争ネタを抱えていると言っても過言ではなく、海域が接していながら争いがないのは韓国くらいのものだ。

争いがないものだから韓国と一緒になって日本が悪いと責め立てているが、実は唯一無二の仲間が肩を組んでギャーギャー言っているだけの話しであり、周辺国では孤立状態にあるはずなのだが、そこは外交力でカバーし、日本と北方領土問題を抱えるロシアに接近を図っているし、犬猿の仲と言われるインド、パキスタン両国に対しても経済関係を強化している。

そういう微妙なパワーバランスを保ちつつ、自国の主張を通す繊細な作業が必要な外交で、いきなり日本が何もしないなら東京が尖閣諸島を買うとか言い出し、中国、台湾のみならずアメリカまで腰を抜かさんばかりに驚かせた石原閣下と、何を思ったのか、急に従軍慰安婦は必要な制度とか沖縄米軍は風俗店を活用せよとか言い出す橋下氏が共同代表を務める日本維新の会に、日本の未来を預けられるかと問われれば大きな疑問符が頭の10センチほど上に大きく表示されるだろう。

両者に情報や意見の発信力があるのは認めるが、表現力、説得力が伴っているかは疑問であり、周りとの軋轢が多いことからも、その能力は決して高くないものと思われる。

その点、表現力が不足していることが逆に魅力的で、少ない語句が勝手に肉付けされたり想像力で解釈するのが楽しかったのが小泉純一郎氏であり、その異才を見事なまでに継承しているのが息子であって政治家である小泉進次郎氏だろう。

本人は意識しているのか、いないのか、知ってか知らずか、その短く発する言葉に世間の注目が集まり、それが実に些細なことであっても深く思慮された言葉として解釈される。

なんと得な人柄なのだろう。

どんなに必死に説明しても人に伝わらないこともあるし、どんなに正論を吐いても軽々しい人物に見られてしまう人も多い中、短くボソッと言った言葉を周りが勝手に拡大解釈し、それが重みをもって伝えられるとは。

ただし、それは日本人同士だからこそ成り立つことであって、それが海外に通用するとは限らいとは思うが。

短くて分かりやすく、なおかつ表現力豊かな言葉。

それが身についたら元サッカーの日本代表監督で数々の語録を残したイビチャ・オシムのような名指導者か、アイドルが歌うポップスから大御所の歌う演歌まで手がける秋元康のような名作詞家になれるかもしれない。

解釈解釈

『二兎追うものは一兎をも得ず』 とは文字通り、二羽のウサギを追ったりしていると結果的にどちらも得ることができないという欲を戒めることわざである。

解釈の違いということではないが、これに関しては 『二兎追う者だけが、二兎を得ることができる』 という、貪欲に可能性に挑戦して大きな成果を期待すべきという反論的な言葉もあってなかなか興味深い。

本当に野山を駆けまわって兎狩りをしていたような牧歌的時代であれば前者が正しいように思うが、資本主義、実力主義、個人主義が台頭する殺伐とした現代社会においては後者の方が的を射ているのかも知れない。

そんなこととは一切の関係がなく、それをウサギのこととは知らずに 『二頭追うものは一頭をも得ず』 と何らかの動物を追う言葉だと思っていたのは 『お買い物日記』 担当者だ。

『船頭多くして船山に登る』 とは意思決定の重要性を説いたことわざで、民主党のように本当のリーダーは菅直人なのか鳩山由紀夫なのか、はたまた小沢一郎なのかハッキリせず、互いの顔色を見たり機嫌を伺ったりしていると国家があらぬ方向に進んでしまう危うさ、本来の進むべき道を見失ったり誤ったりした結果、船だというのに山に登ってしまうようなものだという意味である。

ところが、これを独自解釈した知り合いは、優秀な人材がたくさんいると船に乗ってですら山に登ることができる、つまりは不可能を可能にすることができるという意味だと力説していた。

なるほど本来の意味とは異なるが、文字だけ読むとそのような解釈も成り立たないことはなく、単に本来の持つ意味や解釈と異なるだけで文法的に大きな間違いはないだろう。

したがって、間違いなく相手に理解させるには他のことわざで 『役人多くして事絶えず』 を使うか、海外で使われる 『コックが多すぎるとスープがうまくできない』 を用いたほうが伝わりやすいのかも知れない。

ことわざなどという面倒なことではなくても解釈の違いは生まれる。

先週の雑感にも書いた若いころに勤めていたコンピュータ関連会社は若いエネルギーに満ちあふれていたが、当時は業界の慣例ともなっていた超不規則な勤務時間によって極端に体力を失い、エネルギーを奪われていた。

普段から終電に間に合うかどうかの帰宅時間で、マスターアップと呼ばれる仕事の納期が近づくと連日の泊まり込み、徹夜作業が常態化していたのである。

そんな時、三共製薬(現在の第一三共ヘルスケア)から画期的な風邪薬が発売された。

風邪の症状を抑える薬の多くは眠気をともなうため運転時や仕事中に服用するのをためらう人が多かったが、三共製薬から新発売になった風邪薬は眠気を起こす成分を含んでおらず、そのキャッチコピーは 『眠くならないカコナール』 というものだ。

ところが、そのキャッチコピーだけが強烈なインパクトを与え、風邪薬であると知らなかった若手社員は、徹夜のための準備として皆が薬局でカフェインなどを調達する中、カコナールを 10本ほど指名買いしてくるという暴挙におよび、先輩社員から大爆笑されるという事態に至った。

確かに商品を知らず、『眠くならないカコナール』 というコピーだけ脳にインプットされればカフェインなどと同様に眠気覚ましドリンクの一種だと思ってしまうことだろう。

酒を飲む自分を心配し、『お買い物日記』 担当者は肝臓に作用するゼリア新薬の 『ヘパリーゼ』 を買ってくれている。

テレビ CMでも飲み会などで疲れた肝臓に効くと謳っている、肝臓をいたわり、肝臓の動きをサポートする市販薬だ。

ここのところは酒を飲み始める前に服用するのが習慣になっている。

そして、薬を飲む際には
「酒を無限に飲めるようになる薬を飲まなきゃ」
とか
「酒を何杯飲んでも良くなる薬を飲まなきゃ」
などと、勝手な解釈を披露しているのだが、そのたびに
「ちがうでしょ」
と、『お買い物日記』 担当者の冷たいツッコミを受けている日々である。

記憶 Memory-14記憶 Memory-14

過去の記憶

今回は今までのネタと異なり、子供の頃の記憶ではない。

ましてや自分の記憶にまつわることでもないことを取り上げることになるが、実際、身近に起こった出来事ではある。

若いころに勤めていた会社はいわゆるコンピュータ産業で、世にパソコンというものが広まる時期であったので技術者の平均年齢は 20代前半と若く、エネルギーに満ち溢れた職場だった。

そのエネルギーは休憩時間にも発散され、昼休みともなると外にあるテニスコートで汗を流す者、体育館でバスケットに興じる者など様々だったが、スポーツに興味のない自分は社屋の裏にある未開の地を進み、流れる小川に何か生き物はいないか観察したりしていたのである。

他にも何人か同じように休み時間を過ごす仲間がいたのだが、そのうちの一人が足を滑らせ仰向けに倒れたところ、そこに大きめの石があって頭部を強打してしまった。

幸いに怪我もなく、大事に至らなかったと思った矢先、今自分がどこにいて何をしているのか分からないと言い出す。

今は会社の裏手にある林の中であると、何度も教えているのに 30秒もしないうちに今どこにいるのかと尋ねてくる。

普段から冗談を言ったりする奴だったので、最初はふざけているのだろうと思っていたのだが、あまりにも執拗に場所を聞いてくるので冗談ではなく本気で言っているのか、本当に分からないのか確認したところ、転ぶ寸前までの記憶はあるが、それ以降はまったく覚えておらず、今している会話すら数秒後には記憶から消えるのだと言う。

これは大変なことになったと状況を上司に説明し、打ちどころが悪かったに違いないと脳神経外科に連れて行くことにした。

レントゲンや脳波の検査などが終わって医者が説明するには一過性全健忘(TGA)であり、何かのきっかけに突然発症するが、通常は 24時間位内に自然治癒するのだという。

今回の場合は頭を強打したことによるものだが、外傷も内出血も骨折もないので特に治療の必要もなく、一晩寝て起きれば治っているだろうとのことだった。

医者や本人が言うには記憶できないのは頭を打った瞬間からのことで、それ以前の記憶はあるので一人で帰宅できるとのことだが、やはり心配なので先輩の車で送り届けることにした。

その車の中でも 30秒おきに、それも延々と今日は何月何日なのかと聞かれて閉口したが、しつこいとかうるさいとか叱っても仕方のないことなので、ため息混じりに今日の日付を 30秒おきに、そして延々と答えていたところ、その会話とも言えない虚無な言葉のやりとりが急に止まる。

そして、すでに車内ではケンボーと呼ばれるようになってしまった健忘症の彼が
「今、道路に金髪のネーチャンの本が落ちていた」
などと言い出す。

一過性健忘であり、今は何も記憶できないという症状ではないのか!?

という大きな疑問を抱きつつも、金髪ネーチャンにのみ反応し、そんなことだけは記憶できる彼の性格というか脳のことが可笑しくてたまらない。

自宅に送り届けても、30秒おきに今日の日付を、47秒おきに金髪ネーチャンのことを繰り返す彼を見守っていると同棲中の彼女が知らせを聞き、仕事を早退して帰宅したので後を託して会社に戻った。

翌日、医者の言う通り症状は治まり、見事に社会復帰した彼は言う。

どうしても道路に落ちていた金髪ネーチャンの本が気になったので見に行くと、それは金髪ロン毛のロック歌手の写真が載った 『ヤングギター』 だったと。

それから何カ月もの間、彼は職場でエロケンボーと呼ばれるようになったのであった。

記憶