日本ほど肩書きを重視する国はないだろう。
まずは学歴に始まり、どれだけ有名な会社で働いているか、そしてその役職がどうであるかを誇ったとしても何にもならないとは思うのだが、それを自慢気に披露する人がいるかと思えば、多くの日本人はその経歴を聞いただけで圧倒されたり、その人を無条件で高評価してしまうところがあるようだ。
どんなに有名校を卒業していても、たとえそれが日本最高学府と言われる東京大学であってもアホはアホであるし、勉強ができるからといって仕事ができたりリーダーの資質があったりする訳ではない。
過去の知り合いで、誰もが知っている大学を卒業しながら社会に適合できず、変わり者のレッテルを貼られてまともに就職できない人や、人付き合いが苦手で孤立しがちな人が何人かいた。
以前の雑感にも書いたことがあるが、80年代の終わりにバブルが弾けて日本経済に未曾有の危機が訪れた際、各企業はリストラの名の下に大規模な人員削減、希望退職者を募り、多くの失業者が世の中に溢れ出たが、再就職を目指す面接で
「あなたは何ができますか」
という問いに対して
「部長ができます」
などと答える人がいたなどという笑うに笑えないエピソードがあった。
今でこそキャリア・アップだのスキル・アップだのと言われ、専門性を身につけたりすることを目指す人も多くなったが、単なる肩書きに満足し、それだけを目指していた人の末路は哀れだったというのに今でも日本社会には肩書きへの固執、執着が多いのは何故なのだろう。
芸能人、それ以外にテレビ出演する文化人を見ていても同じことを思う。
歌う訳でもなく、芝居をする訳でもなく、単にテレビに出ている人はタレントと呼ばれるし、一時期は露出の多かったグラビアアイドル、モデルもそのままの肩書きで呼ばれるが、ろくなレッスンも受けず勢いだけで CDの一枚も発売すれば、とたんに肩書きは歌手となる。
そしてドラマや映画に出演すれば、女優や俳優という肩書きに変わってテレビでもそのように紹介されるようになり、本人もそれを照れくさく思ったりしていないようだし、どんなに大根な演技をしていようと恥じらうことなく、むしろ誇らしげな表情で紹介を受けているところをみると、芸能人における肩書きの最高ランクは女優、俳優らしい。
その肩書きを手にすることは、たとえ身の丈を超えていたとしても臆することなく受け入れたい名誉だったりするのだろう。
文化人と呼ばれる人たちの場合も医者、弁護士などの専門職を除けば出世魚のように肩書きが変わっていく場合がある。
その多くは物書きの人たちだが、最初はエッセイスト、コラムニストと紹介されていた人たちが、その作品が話題にならなくても、何の賞ももらえなくても、例え売れなくても小説さえ書いて出版すれば、その瞬間に肩書きは小説家となり、本人もそれを甘受しているようだ。
芸能人における肩書きの最高峰が女優、俳優だとすれば、物書きにとっては小説家と呼ばれるのが最高峰なのだろう。
ビジネスパーソンにとっての頂点は社長なのかもしれないが、今は規制緩和によって株式会社の設立に 1,000万円も必要なく、1円でも良いのだから社長など会社登記すれば誰でもなれるではないか。
事実、自分も会社を作っているので肩書き上は社長ということになる。
しかし、社長などと言ってほしくないし呼ばれたくもない。
昔は CGデザイナーなどという呼び名に憧れもしたが、今はそんな呼ばれ方よりドット絵師など職人的な呼ばれ方が嬉しいし、Webページ制作を主な生業としているので、Webデザイナーとかクリエイターなどと呼ばれることを好む人も多いだろうが、ここはやはり Web職人とか、デジタル編集人などと呼ばれたいと思う。
チャラチャラした肩書きや、偉そうな肩書きよりも、聞いただけで何をする人なのかが分かり、その道のプロフェッショナルと思ってもらえるような肩書きがほしい。
そして、できればそれを自分から名乗るのではなく、周りから言ってもらえるようになりたいし、そうなってこそ本物だと思う。
目指すのがそこなので、経営者として成功できなかったりするのかも知れないが・・・。