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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

田舎にて田舎にて

今年二度目の帰省、それも前回からあまり日をおかずのことなので延々と実家で過ごしているような錯覚におちいる。

ここ、北国の豪雪地帯は冬の雪対策のため道幅が広い。

大阪の道路は車がすれ違うのがやっとという狭い道もあるが、そんな幅だと除雪をしたら道路沿いの家が埋まるか、脇によけた雪で人も歩けなくなってしまう。

こちらの道路は最低でも車が余裕ですれ違える程度の幅があり、ごく普通の道路でさえ 4車線くらいの広さで、交通量の多い道や国道は軽く 6車線、その両側には人が横 6列で楽に歩ける歩道、そしてさらに余裕を持たせて家が建っている。

その建物も高いビルなど存在せず、通常は 2-3階、高くても 5階程度だ。

だだっ広い道に低い家、視界を遮るものがないので空がやけに広く見える。

空気も澄んでいるので夜になれば広い広い空に無数の星が煌めく。

今は分からないが、子供の頃は肉眼で天の川が見られたほどだ。

暗くなると、今の時期は夏の虫と秋の虫が共演し、にぎやかな音を奏でる。

時間がゆっくりと流れているようで、身も心ものんびりしてしまう。

普段の生活ではテレビや音楽など何かしらの音がないと寂しいが、ここではテレビを見る時間も少ない。

食事中も無音のまま、なんやかんやと会話しながら箸を進める。

実に穏やかで優しい時間の中で意識がたゆとう。

•••••。

などと言っている場合ではない!

まだまだ実家の片付け中であり、今こうしている間も 『お買いもの日記』 担当者はドタバタと動き回り、ゴシゴシとあちらこちらを拭いている。

前回も今回も田舎の良さなど実感することなく、バタバタと忙しい毎日を過ごしたりしているところだ。

廃棄処理廃棄処理

これは母親の
「ここにお菓子があるから良かったら食べてね」
という一言に端を発する長い長い戦いの記録である。

8月27日からの帰省では、母親が白内障の手術を受けるため数日間の入院が必要だったので、実家で 『お買い物日記』 担当者と二人で過ごすという、初めての経験が待っていた。

冒頭のセリフは、病院に向かう直前に母親がキッチンにある戸棚を指さして言ったものだ。

病院に行って入院手続きを済ませ、叔母の家で昼を御馳走になってからブラブラと買い物をしたり懐かしい風景を見ながら長い時間をかけて歩いて帰宅し、その疲労感と多少の空腹感から先に聞いていたお菓子でも食べようかと 『お買い物日記』 担当者が戸棚を開けて中を物色すると、とんでもないものが次から次へと姿を現した。

それは、とうの昔に賞味期限の切れたお菓子の数々である。

確かにまだ切れていない物もあるので食べろと言った母親に悪気はないのだろうが、そのまま見なかったことにすることができないほど古いものまで混在しているではないか。

そこで 『お買い物日記』 担当者がはたと気づいた。
「そういえば冷蔵庫でもかなり古いものを見た」

そして、自分もはたと気がついた。
「そういえば冷凍庫で毎年同じものを見かける」

恐る恐る冷蔵庫、冷凍庫を確認すると、驚くほど古い物が奥の奥に押し込められていた。

翌日、病室で賞味期限の切れたものは捨てると母親に伝えたところ、
「うん、いいよ」
と軽く言ってくれる。

捨てられて困るものはないかと尋ねても
「ない」
とキッパリ言い切る始末だ。

それならばと、病院を早目に出て棚の菓子類、冷蔵庫、冷凍庫の食品、キッチン下に収納されている調味料類を徹底的に調べ、賞味期限が過ぎているものの廃棄作業を開始した。

どうやったらこんなに詰め込めるのかと思うほど冷蔵庫の中は食品であふれかえっており、古いものを選別しているとあっという間に大きなゴミ袋 5個にもなってしまったことに戸惑う。

足腰も弱り、体力もなくなった母親が、ずっしりと重いゴミを 5個も 6個も集積所まで持っていけるはずがない。

自分たちが帰るのは月曜日、ゴミ収集日は火曜なのである。

このゴミを捨てるために実家への滞在を一日長くしようかと思わないでもなかったが、これから先を考えるとまだまだ数は増えそうであるし、一般家庭から排出されるゴミの量をはるかに超えるものと予想されるため、家庭ごみを回収してくれる業者はないものかと調べてみると、電話帳には数件の業者が名を連ねていた。

問い合わせてみると一般家庭のゴミも収集可能だが、分別されていることが条件とのことで、分別されていない場合は業者側で作業するので別途料金が発生するということだ。

それならばと、すでに 5袋になったゴミを最初から分別し直し、以降のゴミもプラスチック、ビン、カン、可燃ゴミ、布や金属の埋め立てゴミ、そして生ゴミと細かく分別することにした。

冷蔵庫からは 20世紀に賞味期限が切れ、それから十数年が経過した骨董品に近いものや、得体の知れないドロドロした物体が保存された容器、原型が何だったのか判別不能なほど干からびたものが次々に現れては我々の度肝を抜いてくれる。

別の戸棚からは 136人が虫歯になりそうなほど大量の砂糖、68人の口から火が吹き出しそうな量の唐辛子、74人分はありそうなインスタントのお吸い物、茶碗 186杯分は赤飯が作れそうなアズキの缶詰、723人前以上の煮物が作れそうなだしの素、1019丁の冷奴に使えそうな花かつお、一生使えそうなだけの化学調味料など、老人の一人暮らしとは思えない量が出てきた。

まだ缶切りを必要する時代に作られ、中が膨張して天地が膨らんで開けるのに危険をともなうフルーツの缶詰も大量に見つかって途方に暮れる。

それらを一つ一つ開封し、中は生ゴミ、容器もそれぞれ分別するものだから時間の経過とともに握力を失い、疲労もピークに達してしまった。

作業を中断し、晩御飯を食べて酒を飲み、ドロのように眠る。

翌日も廃棄処理は続く。

53人くらいの子供が喜びそうなあめ玉、41人前はありそうな素麺、29人前くらいのうどん、すでに固形化しているインスタントコーヒーやクリープ、553人分くらいのお茶漬けのもと、325人くらいの年寄りが喜びそうな日本茶、油焼けしてしまって食べることのできない冷凍された肉や魚など、まだまだ出てくるが日が落ち始めたので二日目も終了。

三日目、退院してきた母親に必要か否かを尋ねつつ作業は続く。

何かに使うだろうと保管されていた空きビンやお菓子のカン、もやは何人前になるのか想像もつかないくらい大量な乾燥わかめ、干し椎茸、再び登場したかつお節やだしの素などを開封しては中を生ゴミ、容器を分別という作業を延々と続ける。

途中、前日の作業で捨てるか迷ったラッキョウを母親に見せると
「ああ、それササキさんからもらったの」
と言う。

「ササキさん?・・・」
「あのササキさん?」
「斜め向かいに住んでいたササキさん?」
「むかし良くしてくれたササキさん?」

・・・そのササキさんが娘に引き取られて引っ越し、遠く離れた町で病に伏せ、それがもとで亡くなってしまってからすでに何年も経っている。

「どうしてそんな古いもんを取っておくんだぁ!」
と言うと、
「あることすら忘れてた」
などと平然と言ってのける母親だ。

これでもかというくらい徹底的に棚の中を調べ、怪しい食べ物はすべて廃棄処理したところで少し休憩し、最後に古くなって色が変わってしまった保存容器なども少量だけ残してすべて廃棄処分にした。

最後は力尽きて 5袋ほど分別作業を諦めたが、それを含めると実に総数 26袋、軽トラだと荷台が一杯になってしまうほどのゴミが実家から排出されたのである。

これが、帰宅した翌日になっても疲れがとれず、ボロボロになっていた要因であり、全容だ。

もう二度と残り物を冷凍してはいけない、食べないものは捨てる、おすそ分けをいただいても食べられなかったら捨てる、大袋のものは買わず割高でも小袋のものを買うようにと母親に言い渡して来たが、果たして守っているだろうか。

白内障は両目の手術が必要だが、今回の手術は右目だけだ。

実は来週、12日の金曜日に左目の手術がある。

それに付き添うため 10日から 15日まで再び実家に帰ることにしているのだが、その際に冷蔵庫や戸棚をチェックし、もし食べもしないものが保管されていたらどうしようかと、一抹の不安を抱いたりしているところだ。

更新不能更新不能

帰省中であることと、朝から色々と大変な作業をしていたため、すでに体力の限界間近であり、握力も失われて指先がプルプルと細かく震えている状態なので雑感を書くことが困難だ。

この雑感をいつから書き始めただろう。

そして、いつまで書き続けるのだろう。

何があっても休まずに更新し続けてきたが、ついに今週は休むことになるのか。

そもそも、こうやって疲れ果てる原因となったのは母親であり、どうしてこんなことになってしまったのかを考えると腹立たしさすら覚えてしまう。

いや、もっとさかのぼって考えれば老いた母を一人にしている自分が悪いので怒っても文句を言っても仕方ないことではあるのだが・・・。

今回のことに関しては、ゆっくりと来週の雑感にでも記すとするか。

とにかく、今まで更新し続けてきた雑感が途絶えてしまうのが問題・・・。

いや、こうやって書き綴っているのがすでに雑感なのかもしれない。

そうだ、そういうことにしてしまえば良いのである。

虚栄虚栄

ここ数日の話題になっている 『アイス・バケツ・チャレンジ(氷水バケツ)』 は、自然発生的にネットの世界で広まった、難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)の患者支援と認知度向上のため、ソーシャル・メディア(SNS)上で指名された人が 『寄付をするか頭から氷水をかぶるか』 を選んで実行するキャンペーンだ。

フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ氏、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏、ケネディ一族 20名以上やブッシュ元大統領など、そうそうたる面々が次々に動画を公開し、同時に寄付も行っている。

その映像から他意を感じることはないが、日本の経営者や著名人、政治家の映像は見ていて腹立たしいものが多いのはなぜなのか。

素直に見ることができるのは歌手の浜崎あゆみ氏、サッカー選手の香川真司氏、野球選手の田中将大氏くらいなもので、みんなの党代表の浅尾慶一郎氏、楽天の三木谷氏とその面々、ソフトバンクの孫正義氏らが報道陣のカメラに囲まれて氷水をかぶっているのを見ると虫酸が走る。

こういうものは少数のスタッフ、または友人などに撮影をたのみ、こっそり動画をアップするのがオシャレなのであって、
「今から話題になっている氷水バケツやっちゃいま~す」
的なノリでテレビ局や報道陣を集め、ニコニコしながらカメラ目線でやるものではないだろうし、そんなことをされても心には一切響いてこない。

3年前に発生した東日本大震災の時もそうだった。

台湾からの義援金が 200億円を超えたことが伝えられた時、同じ中国系でありながら反日感情をあらわにする本土とは異なり、親日家が多いお国柄とその善意に心から感謝したものだが、なんとその直後にソフトバンクの孫正義氏は個人のポケットマネーで100億円寄付すると発表したのである。

台湾の人たちがみんなでお金を出し合い、200億円を送ってくれた直後に発表することだろうか。

まして、孫氏の発表は 『寄付した』 ではなく、これから 『寄付する』 という内容であり、実際には 10億とか数億単位に分割されたものが翌2012年までに寄付された。

もちろん寄付したことに変わりはないし、その行為自体は褒められることであろうが、なぜあの時期に、まだ寄付してもいないのに、金額だけをマスコミに大々的に発表する必要があったのかという疑問が浮かぶ。

東日本大震災では多くの芸能人、著名人が寄付をしたが、大物になればなるほど大々的な公表は避け、後になって判明するケースが多かった。

その名前や支援方法などについては、こちらのブログに詳しくまとめられているが、ここに名はなくとも匿名で寄付した人も多いはずだ。

事実、黒柳徹子氏の名前が挙げられていないが、何かの番組で寄付したことを本人が認めていたし、ビートたけし氏も記されているように所ジョージ氏と 2人で 1000万ではなく、匿名でもっと寄付していると何かで聞いたことがある。

きっと高倉健氏だって吉永小百合氏だって歌舞伎界の大物や落語会の大物、大相撲の力士だって寄付しているに違いないし、中堅や若手のお笑い芸人にもひそかに寄付したり支援活動をしている人はいるだろう。

それを偉そうに公表しないのがオシャレなのである。

それを人の注目を集めてでしか実行できない人は虚栄心のかたまりであり、自己の虚栄心を満足させるための行為であるように思え、心から尊敬することができない。

もし自分にアイス・バケツ・チャレンジの指名が来たなら、心臓に難があるので氷水をかぶることはできないが、心ばかりの寄付を、こっそりとさせていただこうかと思う。

有名人から指名されるはずも、記者会見など開かれるはずもないのは分かっているが・・・。

タイミングタイミング

今年の夏はタイミング悪く、まだ 2回しか海でランチができていない。

狙いはカーっと暑く、それでいて空気がカラッと乾燥している日なのだが、それがなかなか難しく、今年はジメッとした日が多いのが困りものだ。

夏の初めの頃、少し寒い日に着られる薄手の長袖シャツがあったら良いということになって探してみたが、すでにどこも店内は夏物一色になっており、長袖など店の片隅で何枚かの売れ残りが寂しそうに吊るされているだけで、デザインの好みも違えばサイズも合わないものばかりだった。

それを教訓にすれば良いものを、学習能力に欠ける自分はそんなことをすっかり忘れており、今週になってから夏の部屋着にしている短パンを買おうと売り場を物色してみたが、店内はすでに秋一色になっていて、短パンなど店の片隅で何枚かの売れ残りが寂しそうに・・・・(以下同文) という間抜け具合全開の有り様だ。

こうなるとタイミングがどうしたということではなく、単に季節感も常識もないのが原因なのかもしれない。

それでも昨日の午後、大型スーパーの衣料品売り場とか全国チェーンの衣料品店ではなく、昔ながらの商店街にある町の洋服屋さんに行ってみたところ、まだまだ夏物の処分セールは続いていた。

その店はベビー服からスポーツ衣料、下着からパジャマ、雨具や腹巻きまでなんでも売っているが、客の年齢層が高いのでベビー服や子供服は祖父母が孫のために購入することが多いのだと思われる。

しかし、そんな庶民的で地域に密着した店であるからこそ、まだ気温が高くて暑い日が続けば夏物の服だって水着だって売っているのだろう。

夜になっても暑い日は発泡酒を飲んでノドを潤し、ぷは~っ!と一日の疲れを吹き飛ばそうと思って 6缶セットを夏の初めに 2つ購入しておいたのだが、なかなかそれを飲む機会がない。

平日は酒を飲まないので狙うは暑い週末や休日だが、ずっと暑い日が続いているのに週末になると涼しくなる確率が高く、発泡酒の在庫をなかなか減らせずにいる。

数日前から 9月上旬並という涼しい日が続いており、すっかり夏の終わりを思わせる雰囲気を醸しているが、まだ夏が終わってくれては困るのであり、発泡酒を飲んでぷは~っ!とやりたいと切に願う。

先月の雑感に書いたブルーレイ・レコーダーの買い替えは良いタイミングだったのではないか。

今は 4K対応の機種への切り替わり時期でもあるため、旧型のものは型落ちとなって安く売られていることと、消費増税前の駆け込み需要の反動で販売が落ち込んでいるのに加えて当時の在庫がダブついている可能性が高いので、安売り傾向が続くものと思われる。

本来であれば年末商戦が始まる前、学芸会や学校祭でビデオカメラ需要の高まりに合わせた秋の商戦で一段と値下がりする可能性が高いが、我家の場合は 8月と 9月に長く家をあける事情があるため、外出先からでもネット経由で録画予約できる新しい機種を必要としたのが購入の決断となった。

それでも満足度の高い買い物ができたので、これは我が家にとってベスト・タイミングだったものと思われ、そのきっかけを与えてくれた母親に感謝しなければなるまい。

実は今月と来月の 2回、母親が手術を受けるので家を開けることになった。

手術といっても老人特有の目の病気の治療であり、命に関わるような大病ではないので本来であれば付き添いの必要もないくらいなのだが、普段の親不孝が帳消しにならないまでも、せめて少しでも埋め合わせできるのではないかと思い、2度の手術の際には実家に帰ることにしたのである。

タイミング、手術のキーワードで思うのは 2008年に 『お買い物日記』 担当者が患った大病にまつわる様々なできごとだ。

あの日あの時、アメリカに住む次兄が余命の宣告を受けなければ、北海道に帰るという決断をしなければ、何ごともなく大阪に暮らしていたなら・・・、きっと 『お買い物日記』 担当者は命を落としていたのではないかと思う。

次兄にあんなことがあり、自分が持病の通院先を変える必要があり、その病院が家の近くであったこともあって、嫌がる 『お買い物日記』 担当者を無理にでも病院に行かせることができ、それが早期発見につながった。

あのまま大阪で過ごしていたなら、自分も強硬に病院行きを勧めず本人の意志に任せていただろうし、日々何かに追われているような切羽詰まった感覚の生活の中では体調を気遣う心の余裕もなかったことだろう。

そういう意味においては、北海道に帰ってくるのはあのタイミングしかなかっただろうし、そのきっかけは次兄を端緒とする様々な事情からだ。

今があるのはすべて次兄が与えてくれたタイミングによる結果だと心から感謝しつつ時は過ぎ、今年で 7度目の夏が、お盆が終わろうとしている。

血筋血筋

血は争えないものである。

そう、子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない。

それはとなりの店の一家を見ていても良く分かる。

お父さんは片付けが得意ではないらしく、外出から帰ってきて家の前に自転車を置いたまま放ったらかしにし、雨ざらしになったり放置したまま次の日の朝を迎えることも珍しくなかった。

その自転車を新しくしてからは少し気を使うようになったようだが、それでも鍵をかけずに放置しておき、それに気づいたお兄ちゃんが鍵をしている姿も度々目に入る。

そのお兄ちゃんはお母さんの血を引いたのか、定期的に洗車をするし、物置から出したものは使い終わるとすぐに片付けるようだ。

たまに裏庭で一家揃ってバーベキューなどしているが、食べ終わって後片付けをするのもお兄ちゃんが率先してやっている。

お父さんの血をモロに引いているのは妹ちゃんだ。

自室の窓に洗濯物を下げることがあるのだが、それはどう考えても乾いているはずなのに取り込まれることはない。

何日でも、ともすれば一週間でも二週間でも窓際にかかりっぱなしで、なくなる時は妹ちゃんがそれを着た時だと思われる。

そして、残念なことに、父 → 娘の血は、確実にマユちゃんも受け継いでいるようだ。

部屋の窓に洗濯物を干したりはしていないし、あんなにしっかりしているマユちゃんではあるものの、帰省していて札幌に帰る際、自室の窓を開けたまま行ってしまったことがあり、その後に降りだした雨で我が家が窓を閉めようとしたところ、強風に揺れるマユちゃんの部屋のカーテンに気づき、慌てて妹ちゃんに教えに走ったことがある。

それ以外の細かなことでも、しっかりしているようで、どこか抜けているようで、それを見ていると 「ああ親子なんだなぁ」 とつくづく思う。

また、自動車運転に関しても見事に血筋が出るようで、お父さん、お兄ちゃんの場合はドアを閉めてからニ、三拍おいて発車するが、妹ちゃんとマユちゃんだと一拍もおかずに発車する。

そして、アクセルの踏み込み具合までそっくりなので、エンジン音を聞いただけでは誰が出かけたのか区別できない。

運転免許を取得した直後は運転の練習のため、毎晩のように母娘が二人揃ってドライブに行っていたので運転の仕方が似るのは当然のことかも知れないが、それにしても完コピしたかのように同じなのは運転のクセがそっくりなのであり、それは血のなせる技なのではないかと思う。

以前の雑感にも書いたように、マユちゃんの天性の明るさや人懐っこさ、愛想の良さは客商売をしてきた親子の血であろうし、本人は気にしてダイエットしているようだが、そんなことを気にする必要などないくらい体の線が細いのも祖母 → 母 → 娘と継いだ血筋だと思われる。

お買い物日記』 担当者の血筋に関しては以前の雑感に何度も書いたが、二人の兄と誰がどう見てもきょうだいに間違いないと言うほど顔が似ているし、ちょっとした仕草や表情もそっくりだ。

そして極めつけは寝姿で、暖かい時は三人とも手を上げて、バンザイ姿勢で寝る。

残念ながら次兄は若くして亡くなってしまったが、生きていて、そして近くに住んでいたならまだまだ似ているところが見つかったことだろう。

自分は父の血を確実に継承しているという自覚がある。

母は下戸で父は大酒飲み。

その酒がたたって命を落としたようなものだから、それを反面教師として深酒も毎日の飲酒もしないように心がけてはいるが、その気になれば自分でもビックリするほど飲むことができる。

かなり飲んでも、どれだけ飲んでも記憶をなくしたことはないし、酔いつぶれて他人に迷惑をかけたこともなく、吐くまで飲んだことも数えるほどしかないと思う。

相当量を飲めば酔いもまわり、声が大きくなったり陽気になったりするが、それすらも滅多になく、最初から最後まで変わることなく淡々と飲んでいる。

同じ飲むならポリフェノールを摂取できる赤ワインが良いのではないかと 『お買い物日記』 担当者が言うので試してみたところ、いくら飲んでも酔わないのでボトル一本を空けてしまい、仕方がないのでその後で焼酎を飲み直したこともあったくらいだ。

アルコールに強いのはまさに父親の血であろう。

そしてもうひとつ自覚しているのは骨格だ。

とくに足などはそっくりだと思っており、自分の足のすねを見ると父親を思い出すほどである。

父が亡くなって間もない頃、冬に帰省して家の周りを除雪したことがあるのだが、父が使っていた防寒着を身にまとっていたこともあってか、近所に住む人は父が生き返ったのか、幽霊でも見ているのかと腰を抜かさんばかりに驚いたと聞く。

身長もほぼ同じ、骨格もそっくりなので幽霊と勘違いされても仕方がないくらい周りから見ると似ていたものと思われる。

そんなこんなで、心からつくづく思う。

本当に血は争えないものである。

肩書き肩書き

日本ほど肩書きを重視する国はないだろう。

まずは学歴に始まり、どれだけ有名な会社で働いているか、そしてその役職がどうであるかを誇ったとしても何にもならないとは思うのだが、それを自慢気に披露する人がいるかと思えば、多くの日本人はその経歴を聞いただけで圧倒されたり、その人を無条件で高評価してしまうところがあるようだ。

どんなに有名校を卒業していても、たとえそれが日本最高学府と言われる東京大学であってもアホはアホであるし、勉強ができるからといって仕事ができたりリーダーの資質があったりする訳ではない。

過去の知り合いで、誰もが知っている大学を卒業しながら社会に適合できず、変わり者のレッテルを貼られてまともに就職できない人や、人付き合いが苦手で孤立しがちな人が何人かいた。

以前の雑感にも書いたことがあるが、80年代の終わりにバブルが弾けて日本経済に未曾有の危機が訪れた際、各企業はリストラの名の下に大規模な人員削減、希望退職者を募り、多くの失業者が世の中に溢れ出たが、再就職を目指す面接で
「あなたは何ができますか」
という問いに対して
「部長ができます」
などと答える人がいたなどという笑うに笑えないエピソードがあった。

今でこそキャリア・アップだのスキル・アップだのと言われ、専門性を身につけたりすることを目指す人も多くなったが、単なる肩書きに満足し、それだけを目指していた人の末路は哀れだったというのに今でも日本社会には肩書きへの固執、執着が多いのは何故なのだろう。

芸能人、それ以外にテレビ出演する文化人を見ていても同じことを思う。

歌う訳でもなく、芝居をする訳でもなく、単にテレビに出ている人はタレントと呼ばれるし、一時期は露出の多かったグラビアアイドル、モデルもそのままの肩書きで呼ばれるが、ろくなレッスンも受けず勢いだけで CDの一枚も発売すれば、とたんに肩書きは歌手となる。

そしてドラマや映画に出演すれば、女優や俳優という肩書きに変わってテレビでもそのように紹介されるようになり、本人もそれを照れくさく思ったりしていないようだし、どんなに大根な演技をしていようと恥じらうことなく、むしろ誇らしげな表情で紹介を受けているところをみると、芸能人における肩書きの最高ランクは女優、俳優らしい。

その肩書きを手にすることは、たとえ身の丈を超えていたとしても臆することなく受け入れたい名誉だったりするのだろう。

文化人と呼ばれる人たちの場合も医者、弁護士などの専門職を除けば出世魚のように肩書きが変わっていく場合がある。

その多くは物書きの人たちだが、最初はエッセイスト、コラムニストと紹介されていた人たちが、その作品が話題にならなくても、何の賞ももらえなくても、例え売れなくても小説さえ書いて出版すれば、その瞬間に肩書きは小説家となり、本人もそれを甘受しているようだ。

芸能人における肩書きの最高峰が女優、俳優だとすれば、物書きにとっては小説家と呼ばれるのが最高峰なのだろう。

ビジネスパーソンにとっての頂点は社長なのかもしれないが、今は規制緩和によって株式会社の設立に 1,000万円も必要なく、1円でも良いのだから社長など会社登記すれば誰でもなれるではないか。

事実、自分も会社を作っているので肩書き上は社長ということになる。

しかし、社長などと言ってほしくないし呼ばれたくもない。

昔は CGデザイナーなどという呼び名に憧れもしたが、今はそんな呼ばれ方よりドット絵師など職人的な呼ばれ方が嬉しいし、Webページ制作を主な生業としているので、Webデザイナーとかクリエイターなどと呼ばれることを好む人も多いだろうが、ここはやはり Web職人とか、デジタル編集人などと呼ばれたいと思う。

チャラチャラした肩書きや、偉そうな肩書きよりも、聞いただけで何をする人なのかが分かり、その道のプロフェッショナルと思ってもらえるような肩書きがほしい。

そして、できればそれを自分から名乗るのではなく、周りから言ってもらえるようになりたいし、そうなってこそ本物だと思う。

目指すのがそこなので、経営者として成功できなかったりするのかも知れないが・・・。

デジタル化の波 Signal-15デジタル化の波 Signal-15

デジタル化の波 ~目次~

21日の独り言に書いたブルーレイ・レコーダーは24日に届いた。

2008年 8月 9日に購入した DVD/HDDレコーダー、2010年 11月 12日に液晶テレビとともに届いた BDレコーダーに続く、我が家にとっては 3台目のデジタル録画機器である。

前回の購入から約 4年の時を経て、デジタル技術は大きく進化していた。

まず単純に動作が軽快だ。

4年前の製品とは比較にならないほど各種機能の操作画面、テレビ番組表の表示、スクロールが速く、ストレス無しに操作することができる。

そして驚くべきはネット接続によって広がる利便性だ。

まずは BDレコーダー本体をネット接続する必要があるが、今回購入したものは標準で Wi-Fi機能を有しているため、機械まかせにすれば自動的に無線 LANの電波を認識してくれる。

その無線を使うためのパスワードなどは入力する必要があるが、逆に言えばそのパスワードさえ入力してやれば苦労することなくネット接続することができるという訳だ。

ネットにさえ繋がってしまえばレンタルビデオ配信のサービス、すっかり定着した動画配信サービスの YouTube、定額で映画やドラマ、アニメが見放題の huluなどなど、様々なサービスを利用することができる。

ただし、技術の進歩はそれだけに留まらず、スマホやタブレットを使えばさらに利便性が向上し、今までは考えられなかったことまでできるようになっていた。

まずはスマホ、タブレットをリモコン替わりにすることができる。

電源の ON/OFFはもちろん、チャンネルの切替、録画、再生など、付属のリモコンでできる基本的な操作が可能なので、リモコンの電池が切れたり壊れたりした時に代用が可能だ。

次に機器をネット経由で遠隔操作することができる。

録画予約も可能なので、予定より帰宅時間が遅れてしまう場合、出張や旅行が長引いてしまった場合など、日本、いや、世界のどこにいてもスマホやタブレットなどの携帯端末、手元のパソコンから録画予約することができるので、いつもの番組を見逃してしまうこともなくなるだろう。

また、その録画も実に簡単で、画面には YAHOO!などでお馴染みのフォーマットでテレビ番組表が表示され、各番組欄に [ 録画予約 ] ボタンがあるので、見たい番組のボタンをクリック (タップ) するだけだ。

もちろんドラマ、スポーツ、ニュースなどジャンル別で番組を探すこともできるしキーワード検索することも可能なので、もしかすると付属のリモコンで予約するより簡単かもしれない。

予約済みの一覧も見ることができ、不要な予約を取り消したりすることもできるので、どんな場所にいても自宅の実機の前で操作しているのと何ら変わらぬことができる。

さらにネットを利用して録画済みの番組を見ることもできる。

自宅にある BDレコーダーの HDDに撮り溜めている番組の一覧を取得し、それを再生することができるので、通勤通学の電車内、旅行や出張の宿泊先で録画した番組を楽しむことができるのは、日本のネット環境が業者間の競争によって高速化された恩恵ではあるものの、やはり技術革新の賜物だろう。

録画したものを時間と場所を選ばず見ることができるということは、テレビ各局が有料で展開しているビデオ・オン・デマンドを利用する必要がないということだ。

見たい番組はとりあえず録画しておけば、どこにいても、何時であっても手元の携帯端末やパソコンでみることができるのだから有料のサービスを利用する必要がない。

そして、ネットを利用すれば放送中のテレビも見ることができる。

ワンセグ放送を受信すればテレビを見られるが、それとは比較にならないほどの高画質で視聴できるのが魅力ではあるものの、そもそも録画機器を利用してオンタイムでテレビを見る必要があるのか疑問が残るが。

そんなこんなでデジタル機器は驚くべき進化を遂げているが、上述したことをすべて実現しようとすると機器のネット接続だけではなく、各携帯端末にアプリをインストールする必要があったり、遠隔操作が可能になる手続きを踏みつつ Webサイトに会員登録したりしなければならないので、誰もが容易に使えるシステムにはなっていない。

デジタル機器、ネットに詳しい電気屋さんに設置から各種セットアップまで任せられるなら良いが、家電量販店で買ってきたり通販で購入したりした場合はすべて自力でやらなくてはならないので知識がないと大変だろう。

これらすべての煩雑な設定をせずとも簡単に様々な機能を使えるようになれば、世の中はもっと便利になり、もっと可能性が広がることだろう。

デジタル化の波

何もネタがない時は何もネタがない時は

過去にも何度か書いたように、この雑感を書こうとパソコンの前に座ればそれほど苦労することなくネタが浮かぶのが常なのだが、年に何度かは何も思いつかず真っ白な空間を埋めることができないことがある。

まさしく今日がそれであり、パソコンの前で 10分ほど腕組みしながらう~むと唸ってみたが、スカスカの脳は何の活動もせず、ただ流れる音楽を聴いていたりする始末で、このままでは何もネタが思い浮かばないと判断したため、とりあえずはキーボードをポコポコ打っていれば流れで何とかなるだろうと思ったものの、今こうしている間もさっぱり書くことが決まらず途方に暮れたりしているところだ。

そう言えば先月の雑感に書いた右隣の家だが、すでに越してきてから三カ月が経過するというのに一言も話しをしたこともなければ挨拶もしたことがなく、相変わらず 『話しかけてほしくありません』 的なオーラを放っており、目も合わそうとしないのでこちらとしてもお近づきにはなろうと思わず、積極的に関わろうとはしていない。

この地区の町内会では右隣の家から回覧板を受け取って左の家に回すのだが、以前までと同様に少し離れた家の人が持ってきてくれるので、右隣の家は町内会にも入っていないものと思われ、とにかく、とことん近隣住人と関わり合いになりたくないようだ。

数日前、散歩帰りに隣の家の横を通った際、カーテンの下から顔を出し、こちらを見ている犬の姿があり、住んでいる人間は好きになれなくても犬は別なのでじっと見返していると、横から黒猫も顔を出してきた。

以前の独り言に書いたように、その犬は住人がすべて出払うと寂しくて狂ったように鳴き続けると思っていたのだが、遊び相手の猫がいるのであれば寂しくはないだろう。

もしかすると、飼い主がいなくなったのを良いことに猫が犬をいじめ、犬が 「やめてくれ~、やめてくれ~」 と吠え続けているのだろうか。

好きにはなれないお隣さんではあるものの、我が家の中で一番大きな窓の目の前に家があるので否が応でも行動が目に入ってしまうことがある。

数日前、スズメの夫婦が暮らして子育てを終えた換気口の中から巣として使われていた小枝や枯れ草を取り出していたのだが、その量たるや驚くほど膨大なものであり、いったいあの小さな換気口にどうやって入れたのかと思うほどぎっしり詰め込まれていたようで、出されたものはゴミ袋の半分ほどになっていた。

掃除を終えたあと、換気口には目の細かなネットが張られてしまったので、二度とスズメが住み着くことはないだろう。

それはそれで寂しい気もするが、早朝からスズメが大騒ぎして起こされることもないだろうから少し嬉しい気もしないではない。

そして、スズメたちを追い出すのではなく、少なくとも子育てが終わってスズメたちが巣立つのを待ってから換気口を掃除したのだから隣の住人にも少なからず優しさはあるようだ。

ここ数日、暑い日が続いている。

今年は冷夏になるという長期予報が出ていたというのに、それが直後に撤回されて例年より暑くなるなどと 180度異なる予報に変わったのはいかがなものかと思わないでもないが、長いことずっと天気を見守り、天気と戦ってきた漁業、農業従事者の方々は経験と勘から独自の予想をされるらしい。

仕事の関係で農業をされている方と夏のはじめに話しをしたのだが、その際に世間話として今年は冷夏という予報がでているので作物の生育など心配なのではないかと尋ねたところ、長期予報は当たらない、今年はそれほど悪くないとおっしゃっていた。

その時はそういうものなのかと適当に相槌を打っていたが、実際に長期予報が変更されたので驚きつつも、やはり経験に裏打ちされた何かが人工衛星やコンピュータなどの科学技術をも上回る精度で的確に予測できるのだからすごいものであると深く納得させられた。

やはり熟練の技とか経験というのはすごいものである。

などと書いているうちに、ほどよき感じになったので今週の雑感はおしまいにしようと思う。

真性雑感 第十版真性雑感 第十版

真性雑感 ~目次~

■ 台風

いつもの通り、北海道には大きな影響を与えないまま台風は過ぎ去った。

北海道の場合は台風の直撃を受ける可能性は極めて低いが、大阪に住んでいた頃は台風が接近すると普段は使っていないシャッター式の雨戸を閉めたりしたものだ。

そして、いつになったら再接近するのか気になってニュース番組ばかり見たり、各地で発生している被害状況を気にしたりしていた。

その時の感覚が残っているのか、滅多に上陸しない北海道に住んでいる今も台風情報が気になってニュース番組に目が釘付けになったりする。

若いころは社会情勢にも日々の事件や事故にも興味がなく、新聞を読まないどころかニュース番組すら見ることはなかった。

そもそも昼間はパチンコ、夜はマージャン、夜中になると車で走り回るのに忙しく、新聞を読んだりニュースを見る時間がなかったのも事実だ。

したがって、滅多に来ない台風が原型をとどめたまま北海道に上陸するかも知れないなどという情報を得られるはずもなく、突然の豪雨と暴風に驚くなどということも珍しくなかった。

夜から翌朝までゲームセンターやらボウリング場やらを併設しているレジャービル内で過ごし、帰宅途中に町の街路樹や公園の木々が根こそぎ倒れているのを見て何が起こったのか理解できず、悪友とこの世の終わり、世紀末が訪れたのではないかと本気で心配したこともある。

よもや台風が接近しているなどと思わず車で遠出をし、海岸線沿いの道を走っていると海の波が道路にまで打ち寄せて引き波に車ごと持って行かれそうになって慌てたり、土砂崩れで道路が寸断されていて引き返さざるを得なくなったりと、世の中では当たり前の情報を知らぬがために無謀な行動をしていたものだ。

先日も台風関連のニュース番組を見ていて、帰宅困難になっている若者や、せっかくのお洒落着なのにずぶ濡れになっている若い女性が映っているのを見ながら、
「どうして台風が来てるの分かってて出かけるんだか」
などと文句を言っていたが、彼ら、彼女らも若い頃の自分と同じで時事関係には興味がなく、台風が接近していることすら知らなかったのかもしれない。

■ 脱法ハーブと集団的自衛権

ここのところ脱法ハーブを吸って車を運転し、大きな事故を引き起こすという案件が続いている。

どのニュース番組、コメンテーターの話しを聞いても法で取り締まるのは難しい、禁止薬物の種類を増やしても対象外の合成麻薬がすぐに作られるので追いつかないという意見ばかりだ。

政府自民党と公明党はろくに国民の意見を聞かぬまま、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定をしてしまった。

なぜ脱法ハーブと集団的自衛権を同じテーブルに乗せたかというと、一方は画一的に法の定義に当てはめられて運用されているのに対し、一方はとても曖昧で幅が広すぎるからだ。

集団的自衛権を容認するためであれば、たとえ憲法で定められていることであっても解釈を変更することができるというのは実に曖昧で、文章のニュアンスを様々に解釈すればどのようにでも受け取れてしまうことになる。

だとすれば、脱法ハーブに関わる薬事法だったり禁止薬物に関しても成分や化学式、薬名など関係なく、気分が落ち込んだり高揚したりする可能性のある薬物、幻覚及び幻聴を引き起こす可能性のある薬物、依存性の高い薬物はすべて医師免許、あるいは薬剤師資格を持たないものが処方、販売することを禁ずるというように、曖昧な表現にして拡大解釈できるようにしておけば良いだろう。

それで医療行為などに問題が出るようであれば、それはそのときに修正すれば良い話であるし、万が一にも医者や薬剤師が法に抵触してしまうことがあっても起訴しなければ良いだけのことではないか。

とにかく憲法、法律というものが解釈を変えて運用することが可能であることが集団的自衛権関連で明確になったのだから、もっと現実に則したところで知恵を使って頂きたいものである。

■ STAP細胞

ついに小保方ユニットリーダーが自ら STAP細胞の存在を証明する作業に入った。

以前から何度も書いているように、STAP細胞が存在するか否かだけが重要だ。

もし小保方氏が作製に成功すれば、その細かな過程、レシピを完璧に資料化し、関連特許などの海外流出を避けつつ世界に発表すれば良い。

一連の騒ぎから三カ月が経過した。

この段階になってやっと小保方氏の手による検証が実現したのはどういうことか。

マスコミや世間が自らの手で証明せよと訴えなければ、今回の措置はなされなかったものと思われ、理研がそこまでかたくなな態度を示すのはどういう訳なのだろう。

この件を雑感で書き始めた頃と考えは変わっていない。

ありもしないSTAP細胞を作れると世界中に発表して小保方氏に何の得があるのか。

一瞬だけ名声を得てマスコミに騒がれ、世間の注目をあびることはできたとしても、論文が嘘であることは世界の科学者が検証すれば容易に分かってしまうだろう。

果たしてそんな馬鹿げた嘘をつく必要があるのだろうか。

世の中にそんなアホはいないと信じたいので、数カ月ののち、
「STAP細胞はありましたぁ」
と記者会見する小保方氏の姿を見ることができると信じたい。

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