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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

偏頭痛の変遷偏頭痛の変遷

一昨日から始まったお買い物日記』 担当者の頭痛はまだ続いている。

そもそも、この偏頭痛が始まったのは知り合って間もないころからであり、それまで定期的な偏頭痛などという症状はなかったらしい。

ひどい時は痛みに耐え切れず床に伏せることもしばしばで、嘔吐感をもともなうので食事もままならず、日常生活に大きな支障をきたすこともあった。

食事ができないので食後の服用を推奨する痛み止めの薬を飲むこともできず、無理に何かを食べて薬を飲んだとしてもすぐに吐いてしまって効果がない。

幸いなことに激しい痛みの中でも眠ることはできたので、頭痛が始まるとただひたすら眠って激痛が治まるのを待つしかないという状況だった。

数年前、『お買い物日記』 担当者は大病を患ったが、術後の化学治療は様々な副作用があり、中には激しい嘔吐感も含まれていたので、それを抑制する薬も処方されていた。

さらに開腹手術の痛みを和らげるために処方されていた痛み止めの薬の効果からか、しばらくの間は頭痛から解放されていた経緯がある。

それらのことから、頭痛が始まると市販薬ではなく処方薬を飲み、嘔吐感を伴った場合は同じく処方された吐き気止めを飲むようにしたところ、症状はかなり軽減されることが判明した。

これはもっけの幸いと、化学治療が終わって 4年が過ぎた今でも痛み止めと吐き気止めは一定間隔で処方してもらっている。

それというのも 『お買い物日記』 担当者の担当医も偏頭痛持ちで、その辛さが分かるので実際には必要のなくなった薬でも処方してくれるのである。

効く人には効くが、試してみなければ分からないという偏頭痛から開放される可能性がある漢方薬を処方してもらって飲んでいたこともあるが、その効果の判断基準である三カ月が経過しても治らなかったので、残念ながら断念せざるを得なかった。

世の中には同じように偏頭痛に苦しんでいる人は多く専門医もいるにはいるが、どんな治療をもってしても劇的な改善を望むことはできないようなので、これからも長く付き合うしかないと話していたところ、新たな情報を耳にする。

担当医が言うには、偏頭痛は加齢とともに症状が軽くなり、いずれ治まるはずだとのことだ。

それから数年、確かに発症回数は減ってきた。

以前は月に一度くらいのペースで痛みに襲われていたが、最近は 2カ月弱に一度くらいになったものと思われる。

そして、その症状は明らかに軽くなっている。

寝こむほどの激痛、嘔吐感を伴う症状は半年に一度くらいしかない。

その多くは軽度で済んでおり、何とか日常生活を送ることができる。

また、嘔吐感がなく食欲不振にもならないので油っこいものや香りのきついもの以外であれば普段と変わらぬ量を食べられることから、痛み止めを労せず飲むことができるのも明るい材料だ。

発症間隔が長くなり、その症状も軽度になっているのは喜ばしいことなのだが・・・。

『お買い物日記』 担当者としては担当医に言われた
「加齢とともに」
という部分がどうしても気になって素直に喜べないらしい。

物持ち物持ち

物持ちが良いとか悪いとか言うが、我家の場合は二人揃って物持ちが良いので、ほとんど骨董品のようなものが家の中に溢れている。

人に不快感を与えてはいけないので外出着には多少なりとも気を使うが、家の中で着るものなど寒さを防ぐ程度に身を守れば良く、夏などは最低限の部分だけ隠れていれば良いので、いったい何年前に購入したのか記憶の片隅にも残っていないほど古いものが多い。

また、着心地だったり肌触りが影響するのか、気に入ったものは身に付ける回数が多く、頻繁に着るがゆえに生地の痛みも早く激しくなるというボロのスパイラルに陥るものもあるが、どんなに古くなっても捨てるに捨てられないものも存在する。

大阪から北海道に引っ越す際に泣く泣く捨ててしまったが、何年も着続けたので良い具合に生地が体に馴染み、まるで肌の一部になったかのような着心地で、その肌触り、手触りも実に柔らかくて気持ちの良かった綿100%の部屋着があった。

あまりにも長く着たものだからヒジやヒザ、尻の部分の生地が薄くなって穴が開いたりしていたが、それをどうしても捨てることができず 『お買い物日記』 担当者につぎあてをしてもらったことも一度や二度ではない。

大阪生活は 13年と 5カ月間に及んだが、最初に住んだアパートから引っ越すことはなかったし、故障したので買い換えたテレビとビデオ以外は、ずっと同じ家電を使い続けた。

しかし、大阪に住むことになって購入したのはエアコン、冷蔵庫、電子レンジくらいなもので、それ以外は北海道から運んだものであるため使用期間は 15年とか 20年に達したものも多かったと思われる。

こちらに戻ってから住む家には多くのものが揃っていたので、冷蔵庫や洗濯機に乾燥機、電子レンジなどのいわゆる白物家電や家具は人に譲ったり廃棄したりしたため、そこで使用年数はストップしてしまったが、鍋などの調理器具、食器類は一緒に津軽海峡を渡って北海道に戻った。

それらのものは結婚当初に買ったものも存在するが、それより遥か以前、自分が初めて一人暮らしする際、『お買い物日記』 担当者が初めて一人暮らしする時に買い揃えたものも含まれる。

その時に買い揃えたものどころか、実家ですでに使い込んでいたのを持たされたものも少なからずあり、中には子供の頃の記憶に残っている食器まであるという物持ちの良さだ。

昔の鍋やヤカンは丈夫にできているのか、今でも問題なく使えるし、『お買い物日記』 担当者も自分も数年に一度くらいしか食器を割らないので、驚くほどの保存状態で相当な数が昔のまま残っている。

それには、あの阪神・淡路大震災の揺れでも被害を受けなかった強い作りのアパートに住んだ幸運も大きく関わっているだろうし、『お買い物日記』 担当者がヒステリーで喧嘩のたびに食器が宙を舞うということがないのも一因であろう。

そもそも喧嘩をしたことがないので 『お買い物日記』 担当者が食器を投げつけたりするかも分からなかったりするのではあるが。

食品の保存容器などもそうだが、かなり古いものをしげしげと見つめながら
「これってどっちが持っていたものだっけ?」
と話すことが多い。

そして、それは俺が、それは私が、結婚前から、一人暮らしを始めるときに、いやいや子供の頃から・・・などと記憶の糸をたぐりよせながら出処を確認したりしている。

もしかすると、それはボケ防止にわずかながらの効果があるかも知れない。

情報化時代情報化時代

どんな情報でもネットで得られる時代になった。

高度な技術的内容、科学知識、学術的な内容から下世話なことまで手にはいらないことはないと言っても過言ではないだろう。

ロンドン・マラソン会場での爆弾テロ事件も使われた爆弾はネットで手に入れた情報を元に造られたし、ピストル、ライフルなどの銃器類の設計図だって手に入る。

さらに恐ろしいことに、最近になって普及し始めた 3Dプリンタと呼ばれる立体物を作ることのできる装置を利用し、銃器類の設計図を使えば誰でも製造することができるようになった。

以前は超高額だった 3Dプリンタも今では数十万円で入手可能となったので、本当に誰でも、組織ではなく個人でも容易に武器製造ができてしまう。

さらにネットでは銃刀法違反になる刃物も売っているし、薬事法、麻薬法に抵触する怪しげな薬品や植物も売られている。

もちろん、それらを手にすることは違法であるとか、危険性を説いた情報もたくさんあるが、好奇心から実際に購入して使ってみた感想もまた溢れるほど掲載されているのが現状だ。

パスポートを持たずとも、意識せずとも簡単に国境を飛び越えるネットの世界では、ポルノ規制はすでに用をなさないほどアダルト画像、動画が溢れており、無修正画像やら動画も簡単に見ることができる。

自分が子供の頃は、いくら好奇心満々でも入手できる情報など限られており、すでに経験済みの友だちやら先輩から耳の表面積を 30倍くらいに大きくして話しを聞いたり、原っぱになぜか落ちているエロ本を拾って見たり、どういうルートなのか定かではないが、普段は付き合いのない同級生も一丸となって協力し、教科書よりもヨレヨレになるほど使い込まれたエロ本が回ってきたりしたものだ。

そのような本や写真は屋根裏やらベッドマットの下にひそませておくのが定番だったが、どんなに巧妙に隠ぺいしてもなぜか親にバレるのが世の中の七不思議といえるだろう。

今では物理的ではなく、デジタルデータとしてパソコンのハードディスクに隠せば良く、使い方がよく解らない親に発見されるリスクは極めて少ないのだから子どもたちもやり放題に違いない。

その他にもネットには自殺の方法から集団自殺の誘い、犯罪組織の勧誘からカルト的宗教の勧誘まで、ありとあらゆる情報がある。

実社会においても犯罪への誘い、誘惑はあるが、ネットでは時間も場所も年齢をも問わず同一の情報に触れてしまうのが問題だ。

もちろん悪いことばかりでなく、食材の処理から調理法、植物や動物の育て方から宇宙の成り立ちまでどんなことでも調べられるし、一般的レベルの疑問であれば解決できないことはないというほどの情報量を備えている。

数年前の入試で問題になったように、たまにはネットを使ってデジタル・カンニングなどする輩もいたりするが、学問以外にも普段の生活における疑問に答えたり生活のヒントになる知恵袋的な情報も多い。

冠婚葬祭のマナーから一般常識、礼状や手紙を書くときに使える様々な文例集もあり、退職願の書き方から借金の催促状まで網羅しているし、嫌われない断り方から結婚式のスピーチや葬儀での親族代表あいさつの仕方まで何でも調べられる。

最近は静かになったが、国家機密や企業秘密まで入手可能なWikiLeaks(ウィキリークス)というサイトまであった。

冒頭に書いたように手にはいらない情報など皆無だろう。

しかし、そんなネットでも普通の手段では入手不可能なものがある。

それは個人情報だ。

これだけ情報が溢れ、拡散のスピードが高速化すれば逆に守らなければいけないものがあって当然で、個人情報はそれの最たるものである。

しかし、個人情報保護法によって神経質になり過ぎている面は否定できない。

今の時代、学校の生徒、父兄が繋がる唯一の方法だった連絡網など存在しないらしいし、年賀状を出す上で便利極まりなかった社員名簿なども存在しないらしい。

確かに紙で渡されても入力の手間がかかるのでデジタルデータで名簿がほしくなり、それを誤ってネットに公開してしまおうものなら数百単位のイタズラ電話、数千単位の迷惑メールが押し寄せてくること必至なので、そのリスクを回避するためにも最初から名簿化しないのが得策なのかもしれないが。

人間関係が希薄で隣人さえ信用ならず、外部の人に知られたくないということもあって今のマンション住人は郵便受けに名前も載せない。

隣に誰が住んでいるのかすら分からないことも珍しくないだろう。

まったく不思議な世の中になったものだ。

これだけ様々な情報が入手可能な時代に隣の住人の名前も分からないとは・・・。

プロ野球開幕プロ野球開幕

以前から何度か書いているように、北海道に帰ってきてからというもの毎日が日ハム漬けとも言えるほど膨大な情報を与えられたため、パ・リーグではすっかり北海道日本ハムファイターズのファンになってしまっている。

が、しかし、今年は開幕ダッシュどころかラインについてスタートの合図とともに転んでしまい、立ち上がったと思ったら足をくじいていたような状況で、最下位を独走中というありさまだ。

昨シーズンは栗山監督の就任一年目で、さらにダルビッシュを手放した状態でのリーグ優勝はできすぎだったとしても、あまりにもギャップが激しすぎるのではないだろうか。

それでも北海道人、つまり道産子は優しく、温かい目で球団を見守り、どんなに連敗しようと野次ることも少なく、ビールの空き缶を投げ入れたりすることもないのが阪神ファンとの大きな違いだ。

しかし、愛のムチがないというのも決して喜ばしいことではなく、選手を甘やかす結果となってしまうのではないかという一抹の不安もないではないが。

2008年の中田翔の入団を皮切りに、2010年には斎藤佑樹を獲得、2011年には巨人の原辰徳の甥っ子であるがゆえに誰しもがジャイアンツの単独指名だと決め込んでいた菅野智之をドラフト 1位で指名して原辰徳の目を点にさせたばかりか、抽選で交渉権まで獲得して原辰徳を石化させてみたり、2012年にはアメリカ行きが決定的だと思われていたため誰も指名しなかった大谷翔平を 1位指名して口説き落とすなど話題に事欠かない日ハムの人気は確かにすごい。

球団が北海道に移転して 10年、選手やスタッフ、球団のひたむきな努力もあって阪神なみにファンをがっちりつかみ、札幌ドームも黒字経営になるほどの観客動員数を誇るが、いかんせん道産子は飽きっぽいという特性を持つ。

2004年に北海道へ移転してからわずか 3年目のという実に短い期間でリーグ優勝、さらには日本シリーズまでも制して日本一になり、翌年の2007年もリーグ制覇、その後も2009年、2012年にリーグ優勝しているし、2010年の 4位以外はすべて Aクラス入りを果たすという好成績を維持していることから注目度も高く、さらに情報量が増えてファン層が広がるという好循環を維持する結果となっている。

球場での観戦もさることながら、すっかり北海道に根付いた日ハムは小さな子供からお年寄り、それまで野球に無関心だった女性、とくに主婦を味方に付けたものだからチャンネル争いが勃発せず、テレビ中継でも驚くような視聴率を稼ぐ。

今の時代、視聴率は 15%を超えれば御の字、20%超えしようものなら万歳三唱するほどテレビ業界は低迷しているが、日ハムの野球中継は楽に 15%を超え、シーズン後半でクライマックス・シリーズの出場権がかかる試合ともなれば 35%を超えて 40%近い数字を叩き出す。

ゴールデンタイムにキー局が力を入れる番組を、土曜とか日曜の昼間の放送に組み替えてでもプロ野球中継する地方局など全国にどれだけ存在することだろう。

それだけ日ハムのファンが多いことの証明でもあるが、先に述べたように道産子は熱しやすく冷めやすい面があり、飽きっぽいところもあるので注意が必要だ。

今までの日ハムは常勝軍団であり、いつも話題を提供してくれることで人気を保ってきたが、低迷が 2-3年も続くと一気にファン離れが起こりそうな気がしないでもない。

そこが阪神ファンとの違いで、どんなに低迷しても、どんなに弱くても応援し続けるのは難しいのではないだろうか。

移転後すぐに優勝し、それから上位であり続けたため弱い日ハムを道産子は知らない。

昔のプロ野球の巨人ファン、大相撲の大鵬ファン、昭和初期の力道山ファンのように強さにあこがれ、強さゆえにファン層が拡大するという大衆心理が好循環する状況に日ハムは置かれていた。

その循環が止まった時、または逆回転を始めた時、経験の浅い日ハムのファンはどうするのか想像しがたいものがある。

気になっているもう一つの球団はもちろん阪神タイガース。

4/20 15:00現在はセ・リーグで 2位と好位置につけてはいるが、いかんせん巨人が強すぎる。

18試合で 13勝 3敗 2引分の勝率 8割超えなど信じられない猛ダッシュだ。

阪神は 2位につけているとは言え勝率はやっと 5割を超えたところであり、最下位のヤクルトまで 3ゲーム差の中でひしめき合っている。

レースというのは団子状態が楽しいのであり、一つの球団だけ飛び抜けていては楽しくない。

ナベツネは巨人が強くなって昔のように勝ち続ければプロ野球人気が復活すると思い込んでいるようだが、きっとそれは真逆であり、もしそんな状況下になれば楽しいのは巨人ファンのみで、負けても文句を言いながら応援し続けるドM体質の阪神ファンが何とか支える程度の規模に縮小されてしまうことだろう。

そうならないためにも阪神には頑張っていただきたいし、巨人がつまずいて態勢を崩した挙句にすっ転んで 10連敗くらいしてもらいたいと心から願ってやまない。

専門分野専門分野

自分は大きなくくりで言うとコンピュータ関連の仕事をしている。

ものすごく大雑把なくくりでコンピュータ関連ではあるが、コンピュータに関するあらゆる知識がある訳ではない。

一般の人よりも広く浅く知ってはいるが、専門にしているのは Web関連のことなのでパソコン本体のことや、その中のハードウェアのことを聞かれても知らないことのほうが多いのは当然だ。

ソフトウェアに関しても使ったことのあるものであれば知っている限りのことに答えられるが、世の中のすべてのソフトを使ったことがある訳ではないので回答できることは限られる。

それでもやはりコンピュータ関連の仕事をしていれば様々なことを聞かれるし、様々なことを頼まれてしまう。

分からないことを聞かれても
「さぁ~どうなんでしょぉ~」
と長嶋茂雄みたいに受け答えできたり、知らないものは知らないと突っぱねられたら良いのだが、頼られた以上は色々調べて回答するようにしている。

そうすると次に分からないことがあればまた質問されるという悪循環?好循環?いや、どちらか分からない謎のスパイラルに陥ってしまう。

結果的に自分のため、スキルアップにもつながるので悪いことではないが、特に質問の多い OS関連、Windowsの設定やら何やらを調べて答えているとマイクロソフト社からサポートの委託料でも支払ってもらいたくなる。

自分が作成したプログラムの数倍以上はマイクロソフト製品のサポートをしているからだ。

それもまあ、仕方のない事なので今後も続けていくつもりでいるし、マイクロソフトからサポート料をもらえるはずがないのも分かっているが、今後増えるであろう新 OSの質問に対応するため、 Windows 8くらいは無料で配布していただけないものだろうか。

専門分野のことであれば普段から接しているのでそれなりの知識もあり、質問に難なく答えられるが、専門外のことはそれなりに勉強したり回答するための準備が必要なのである。

マサルはコンピュータの保守を仕事としている。

今は東京で内勤になっているが、若いころは広い北海道の現場を飛び回ってコンピュータや端末機の修理などをしていた。

そこでよく言われたのが、ついでにテレビの調子が悪いので見てほしいとか、洗濯機の調子が悪い、挙げ句の果てには炊飯器が時間通りに米を炊き上げてくれないという内容だったという。

コンピュータのような複雑で精密な機械を修理できるのであれば、家電など簡単に直せると思われてしまうのであろう。

先日、循環器科と内科を受診しに病院に行った。

循環器の先生が転勤になると聞かされ、そのことを内科の先生と話していると、
「ところであなたの症状なんですけど」
と、循環器の話をしてくる。

聞けば内科の先生も循環器に不安があるらしく、
「私はこう感じるんですけどあなたはどうですか」
という問いに対して
「ああ、同じですよ、これこれこういう感じがします」
と答えると
「ですよねぇ~」
と妙に安心したような感じでニコニコしながら応じる。

「私はこういう症状で、こういう違和感があるんですけど・・・」
と細かく聞かれたので、
「ああ、そんな感じです」
と応えると、何十年ぶりかで戦友に再会したかのようにパッと明るい顔になり、
「で、ですよね~」
「そうです、そうなんですよね~」
とニコニコしていた。

どうやら専門分野以外のことが分からないのは医者も同じらしい。

au顛末記 - 2パケット目au顛末記 - 2パケット目

・・・ au顛末記 - 1パケット目 からの続き

希望した最低金額のプランがスマホで利用できないなど初耳だったし、どうにも納得がいかないので帰宅してからネットで調べてみると、どこにもそんな記述はないどころか、スマホで利用可能なマークが表示されている。

そこで auのサポートに電話して確認すると、携帯専用というプランなどなく、すべてスマホでも利用できるとの回答だった。

その電話を切ると同時に怒りの炎がメラメラと燃え上がる。

auショップに電話して希望と違うプランにさせられるわ、ウソの説明されるわで、一体どうなっているんだと激しく詰め寄り、責任者に電話を変わってほしいと言ったところ、なんとその責任者というのが最初に希望と違うプランにしてくれた奴だと言う。

責任者がそれでは真摯な対応など期待すべくもないのかもしれない。

しかし、間違ったプランになっていることに気づかずサインしたこちらにも少なからず落ち度はあるのは自覚しつつも、4カ月間、月々5,000円近くも高い料金を二人で支払っていたのだから 4万円ほど損した計算になるのは事実で、こちらのニーズとは異なるプランにした店に何の責任もないというのは納得できない。

そのことを怒り気味に伝え、おまけに希望したプランがスマホでは利用できないなどとデタラメなことを言われて少し高額なプランに入れさせるとは何ごとかと言ってやった。

そこで店側も事の重大さに気づいたのか、それとも勉強不足を恥じたのか、急に態度を軟化させ、差額の返金も視野に入れた上でどういった対応ができるか au本体とも検討して連絡しますということになった。

こちらにも落ち度があることは分かっているので、差額分を返金してもらうつもりで文句を言った訳でもなく、急な展開に多少慌ててしまったが、とりあえず連絡を待つことにした。

お買い物日記』 担当者とは、もし返金してもらえなくても粗品とかスマホのアクセサリーとかがもらえたらそれで良いとか、何ももらえなくても誠意を持って対応してくれたし、謝罪さえしてもらえれば良いとか、もしも返金してもらえたとしても、金額が金額だけに機種変更でもして店にお金を戻すことにしようかなどと話したりしながら連絡を待つ。

そして翌日、auショップから電話が来て、なんと差額分をすべて返金すると言う。

ただし、現金での精算ではなく、これから差額分が 0円になるまで利用料金から相殺という方法にしてもらえないかという提案だ。

まさか返金してもらえるなどと思っていなかったので、それが相殺だろうと何だろうとこちらとしては一向にかまわない。

しかし、これから請求されるであろう金額は月額 780円のプランに様々なオプションを加えた程度のものであり、二人合わせても 3,000円に満たないと思われるので、相殺が終わるまで 1年以上かかると予想される。

返金されるなら機種変更などと考えてもいたが、毎月少しずつの相殺ということであれば購入意欲もしぼんでしまい、申し出をありがたく受けて細々と差額に達するまで 0円の請求書を受け取ることにした。

それで一件落着とはなったが、今回のことで勉強になった点も多い。

仕事でクライアントの要望を聞いた場合、間違いがないかを最終確認してお互いの考えを一致させておくのは重要だ。

そして、技術的なことでも何でも質問を受けた場合、あいまいな記憶で回答をしてはいけない。

それが誤りだった場合、信頼や信用を裏切ることになるし、それによって支障が生じた場合に責任を問われる危険性を伴う。

この業界の場合、ある程度の慣習や常識から、どのソフトウェアでも同じような操作をすれば同じような結果を得られることは多いが、中にはまったく異なる動作を示す場合もあるかも知れない。

問い合わせに対して一般論で答えてしまい、大切なデータを失ってしまうような事態を避けておくのが無難だ。

使ったこともないソフトウェアなど、分からないことは分からないと正直に言うべきで、何となくこうだろうとか、こうに違いないとか曖昧に答えることはしないようにしようと思う。

あの auショップを反面教師として、クライアントには誠実かつ正直に対応していこうと、あらためて思っている今日このごろである。

au顛末記 - 1パケット目au顛末記 - 1パケット目

それは 『お買い物日記』 担当者の不安げな声から始まった。

スマホの料金プランを間違って設定してしまったのではないかと言うのである。

我家の場合、Wi-Fi(ワイファイ)と言う無線ネットワークで通信が可能なため、家の中では携帯電話会社の電波を利用する必要がない。

そして、外出の際も電話さえできれば良いのであって、買い物などで近所をウロウロする程度であればネット接続できなくても大きな問題はない。

最近はセブンイレブン、ローソンなどが Wi-Fi接続のサービスをしており、店の近くに行けばメールの送受信も Webページの閲覧も可能だ。

帰省の際など、二人揃って遠出をする場合は Wi-Fi端末を持って行けば、その端末の通信費用だけで二人のスマホとノートパソコンもネット接続することができる。

つまり、一人分にも満たない通信費用で複数の機器が使えるし、携帯せずに家の中に設置している場合は端末を光回線に有線接続しているので電波を使用せず、費用は一切かからない。

したがって、『お買い物日記』 担当者が通院で札幌に行く月だけ必要に応じて auの料金プランを変更すれば良く、それ以外はパケット通信のサービスそのものを必要としないのである。

昨年の 11月までは月々1,000円分の無料通話ができるという理由で一応はネット接続も可能なプランを選んでいたが、外出することが少ないのでスマホで電話することなどないし、自分と 『お買い物日記』 担当者の通話は家族間で無料なので、その 1,000円すら減ることがなく、繰越で常に上限の 5,000円分まで使える状態になっていた。

それならば無料通話など必要ないし、ネット接続のパケット通信も必要はない。

そうなれば、そもそもスマホを持つ必要があるのかという根本的な疑問が生じないでもないが、そこはやはりイザという時のために所有している必要はあるのではないかということになり、であるならば最低限のプランで維持しようという結論に至った。

auのショップに行って使用環境を説明し、それならばということで月々 780円という最低のプランに変更すると伝え、手続きをしてもらった。

それから約 4カ月、何も気にすることなく使い続けていた所で冒頭の 『お買い物日記』 担当者の不安げな発言である。

調べてみると、プランを変更となった 12月分の料金から請求額が 6000円以上に跳ね上がり、それがずっと継続しているので不安になって自分の設定も調べてみると、なんと同じように 12月分から請求額が 6000円を超えていた。

どうなっているのかとネットで契約状況を調べてみると、なんと最大限にパケット通信を利用する最高額のプランに変更されているではないか。

これは 『お買い物日記』 担当者がスマホからの操作で誤ったプランを選択してしまったのではなく、auショップが間違た手続きをしたものと思われる。

最低金額を目論んだのに最高金額を支払わされたのでは意味がない。

auショップでは手続内容を確認して最後にサインをすることになっているので、きっと間違ったプランになっているのに気づかず二人で署名してしまったものと思われ、それに今さら腹を立てても仕方ないが、苦情の一つも言ってやらなければ気が済まないと、翌日になって店に行った。

11月に受け付けてくれた人とは違う人だったが、とにかく事情を話すと、こちらの手違いでプランを間違うことはない、きちんと内容を説明したはずだの一点張りで取り付く島もない。

しかし、我が家としては最低のプランを希望して相談し、最低金額で済むようにプラン変更するのが目的で店を訪れたのに、わざわざ最高金額に変更するはずがないではないか。

店員が丁寧に誠意を持って対応してくれるなり、申し訳ないの一言でもあれば渋々ながら引き下がるつもりでいたのに、こちらに間違いはない、最終確認のサインももらっていると冷たくあしらわれたことに腹が立ち、ついつい強い口調になり、語気を荒げて
「もういいから、さっさと最低のプランにせぇ!」
と言ってしまったのだが、店員は
「こちらは携帯電話のみ対応可能なプランで、スマートフォンではご利用になれません」
と、これまた初めて耳にする説明を始め、だから前回も話しが噛み合わず、間違ったプランを選択したのではないかと言わんばかりの態度だ。

とってもムカムカしたが、店内で大暴れするには歳を取り過ぎてしまったので、腸が煮えくり返りながらも憮然とした態度で店を出た。

・・・ au顛末記 - 2パケット目 に続く

巣立ちの時巣立ちの時

北海道に帰ってきた時にはまだ中学生だったとなりの店マユちゃんも巣立ちの時を迎えた。

英語か習字を一緒に習っていた縁なのか分からないが、どういう訳だか下級生の女の子が毎朝迎えに来て一緒に通学するという中学生活で、毎朝の散歩の途中で顔を合わせるとニコニコとまぶしい笑顔で挨拶してくれたマユちゃん。

裏の自家菜園でできた採れたて野菜を持ってきてくれたり、ドライブがてらに狩ってきたイチゴ、店のお客さんからいただいた野菜などのお裾分けをニコニコ笑顔で持ってきてくれたマユちゃん。

高校生になってもグレることなく明るいままで、こちらが気づかなくても姿を見かけると大きな声で挨拶してくれたし、通学のため駅に向かう自転車で、元気に挨拶しながら散歩中の自分たちを追い越して行ったマユちゃん。

生まれた直後に両親が離婚したため父親の顔を見ずに生きてきたが、母親である妹ちゃん、伯父であるお兄ちゃん、祖父母であるお父さんとお母さんの愛を一身に受けて明るく元気に真っ直ぐ育ったマユちゃん。

そんな彼女がとうとう巣立って行く。

専門学校生となるのでまだまだ親掛かりではあるものの、生まれ育った家を出ての一人暮らし、自炊生活がいよいよ始まる。

就職活動、大学入学試験などがあるので年が明けた 1月から 3年生には学校の授業がなく、すでに美容学校への入学が決定していたマユちゃんにとっては事実上の休みに等しい。

その 1月はずっとマユちゃんの姿が見えず、とても心配しており 2月になって帰ってきたときは心底安心したものだが、その不在だった理由を妹ちゃんから聞いてきたお買い物日記』 担当者によると、校則が厳しく在学中は自動車の運転免許を取得することができなかったので、時間が自由になる短い期間に取ってしまおうと合宿免許に参加していたのだそうだ。

隣の誰かが夜な夜な外出し、主に妹ちゃんが乗っている車がいつもなくなっている日が続き、親戚かなにか体調の悪い人を看病に行っているのだろうかと 『お買い物日記』 担当者と話していたが、それも免許を取得したマユちゃんが運転の練習のために、毎晩妹ちゃんと車で出かけているのだということが同時に判明し、色々と心配したり疑問だったことがいっぺんに片付いた。

余計な心配を勝手にしていただけなので隣の一家には何の関係もないのだが、まるで我が子のことのように隣に住むオッチャンとオバチャンは気を揉んでいたのである。

ずっと笑顔で接してくれたマユちゃんが高校を卒業して家を出て、違う土地で一人暮らしを始める節目ということで、親戚でも縁戚でもないのは重々承知の上だが何かしてあげたいと思い、卒業祝いのプレゼントを購入した。

そして卒業式の日を迎えてもどうやって何のタイミングで渡すのかは決めておらず、2週間ほど部屋の中に置きっぱなしにしていたが、翌週の火曜日、買い物に出かけるついでにマユちゃんに直接手渡すことができた。

店のお客さんからも色々と戴き物を受け取ることが多いので、そういう時は妙な遠慮をすることなく満面の笑みで気持ち良く受け取ってくれる。

しかし、何の変哲もないコンビニのレジ袋に包装することなく無造作に入れたお菓子の下にはちょっとだけ高価なプレゼントを潜ませておいた。

高価と言っても高校の卒業祝いとして無難な線で、決して常識はずれな金額のものではなく、送り主が赤の他人でなければ妥当なところだと思われる。

が、やはり赤の他人からだと気兼ねするらしく、買い物から帰ってくると妹ちゃんとマユちゃんが二人揃い、あらためてお礼を言いに来てくれた。

しかし、本当に遠慮せず、気兼ねなく受け取ってプレゼントしたものを使ってほしい。

マユちゃんには金額なんかでは換算できないほど楽しい気分、幸せな気分にしてもらったし、祖父母や親と同じ道を歩むと決断してくれたことに他人事ながら本当に感謝している。

隣のオッチャンとオバチャンは、いつかマユちゃんが店を継いでくれたなら、一番最初のお客さんになろうと思ったりしているのである。

マユちゃんの巣立ちの時、それは明日・・・。

目が覚める頃には家を出てしまっているかもしれない。

大きく大きく羽ばたいてほしいと心から願っている。

マユちゃん

言葉の変遷 3言葉の変遷 3

言葉の変遷 ~目次~

時代とともに使われる言葉は変わっていくものだが、とくにカタカナ読みの陳腐化は激しく、一昔前の読みで話そうものなら若者から失笑されること請け合いであり、どんなに若いふりをしていても一瞬にしてジェネレーションギャップを肌で感じてしまうのは間違いないことだろう。

今でも社名や看板に残っているのはヂーゼル、ビルヂングで、これは今となっては誰も発音しなければ表記することもなくなってしまい、すべてディーゼル、ビルディングに置き換わっている。

昔、アメ車の Mustangはムスタングと読んだものだが、今はマスタングが常識となった。

少し前にテレビなどで良く言われたのは、今はディスコと言わずにクラブと言うということだったが、2000年代初期のユーロブームに乗せたパラパラという日本発祥の踊りが大流行したのを最後に飲んで踊るクラブも、枝分かれして大人の社交場となったディスコも衰退し、今となっては店そのものが存在しないものと思われる。

男女が一緒にいるのはカップルであって、アベックとは言わなくなった。

グッドデザイン賞 (Good Design Award) を代表とする、何らかの賞を与えるイベントに冠する Award は、デザインアワード、クリエイティブアワードなど、アワードと読まれることが多かったが、最近になってアウォードと発音することが多くなってきたようだ。

メインはメーンと表記されることが多くなってきており、バリバリ昭和生まれの自分としては、森田芳光が監督し、薬師丸ひろ子が主演した 『メインテーマ』 が 『メーンテーマ』 では間が抜けているような気がするし、『宇宙戦艦ヤマト』 で沖田艦長が
「メーンエンジン点火」
などと言ったら力が抜けてしまいそうな気がしてしまう。

仕事をしている人はサラリーマンからビジネスマンへと変わり、働いているのは男だけではなかろうということで最近はビジネスパーソンと呼ばれるようになった。

昔はサラリーマンに対して女性社員は OL(Office Lady(オフィス・レディ)) と使い分けられていたが、男女雇用機会均等法、差別、格差の撤廃によって男女問わず使える総称が必要になったのだろう。

その OLも昭和初期まで BG(Business Girl(ビジネス・ガール)) と言われていたらしいが、さすがにそれを耳にしたことはないので、前述したヂーゼル、ビルヂングと同時期なのだろうか。

読みが複数あるものの代表例は、吸うと鼻やノドがスースーするメンソールで、タバコの商品名では 100%近くメンソールと表記されているが、もう一つのメントールという呼び名もガムやキャンディー、アロマオイルなどで広く使用されている。

いつまで経ってもどちらかに統一されることがなく、どちらを使っても失笑されたりバカにされたりしない不思議な呼び名だ。

最近になって変化を遂げているのが Artistで、アーティストと言われるのが今でも体勢を占めているが、一部ではアーチストと発音、表記されるようになってきている。

一般的な感覚としてはアーチストが古い表記で、小さな 『ィ』 が入るアーティストが新しいと受け止められるだろうが、逆のパターンもあるのだと実感したりしたところだ。

確かに、日本人には何でもかんでも小さな 『ィ』 を入れたがる傾向があるようで、髪を固めるジェル剤をデップと発音すると失笑されることが多い。

しかし、デップ(Dep)はデップであって、決してディップではない。

デスクトップ(Desktop)パソコンがディスクトップではなく、デパート(Depart)をディパートなどと言わないのと一緒である。

そして、日本人はろくに知りもしないくせにカタカナを使いたがる傾向にあり、平気な顔をして堂々と間違っていることも多い。

最近特に多いのはフィーチャーをフューチャーと言う間違いだ。

音楽でよく使われるのだが、曲のタイトルなどに付けられている A featuring B は、フィーチャリングであってフューチャリングではない。

Aさんの曲に Bさんがフィーチャーリング(featuring(客演))するという意味で、それはフィーチャー(feature(呼び物、聞き物))であって、フューチャー(future(未来))することなど文法的にもあり得ないのである。

オッサンが若い二人を見てアベックと言うのを笑う前に、知ったかぶりをして妙なカタカナを使うのをやめていただきたいものだ。

言葉の変遷

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■ 爪

昨年末、左手親指の爪の端が縦に割れ、そこが何かに引っかかり、今度は横にヒビが入った。

それが広がって爪が剥がれては一大事と、ネットで調べた瞬間接着剤とティッシュペーパーによるネイル強化などを試してみるも効果を得られず、仕方がないので絆創膏を巻いていた。

絆創膏は指先に巻くのには大きすぎるので粘着部分だけ切って使っていたが、それではあまりにも無駄だ。

そこで、包帯を留めておいたりガーゼを腕などに貼り付けておくサージカルテープを使ってみたのだが、これがなかなか具合がよろしい。

爪がギザギザになっている部分はテープが破れやすいので、最初に小さくカットしたテープを貼ってから長くカットしたテープを指に巻く。

最初はシワシワになったりしていたが、3カ月が経過した今となっては自分でも惚れ惚れするほど綺麗な仕上がり状態に巻くことができる。

これ専門の商売があればプロ級の腕前なのに、世の中にそんな商売がないのが実に惜しい。

横割れは爪の先から 5-6ミリの所にできていたが、爪の伸びとともに先に移動し、もう少しで切ってしまえそうな位置まで来ている。

明日の爪切りでひび割れがなくなり、サージカルテープ生活が終わることを期待しているのだが実際にはどうなることだろう。

■ 土踏まず

2月 6日の独り言にも書いたように、昨年の 9月くらいから痛くなった土踏まずの痛みが少しずつではあるものの緩和されてきている。

しかし、そのペースは実に遅く、2月時点で 8程度だった痛みが 7になった訳ではなく、まだ 7.5とかいう感覚だ。

土踏まずというくらいなので地面に接触することのない部分だが、何かの拍子に痛みが走る。

早く治ってほしいと切に願ってはいるが、焦っても仕方がないので、これからもじっくり付きあおうと思っているところだ。

■ 胸

男だって胸がたれる。

とくに女性は胸がたれただのバストトップの位置が下がっただのと気にし、それを矯正したり一時的にごまかしたりする下着も山のように売られているが、男だって下がるものは下がる。

入浴前に鏡の前に立つと、あるべきものがあるべきところになく、視線を下に動かしてやっとそれを確認できるという状態だ。

若いころ、まだプロレスラーのジャイアント馬場が健在で、寄る年波に負けることなくリングに上がり、老体にムチ打って息子のようなレスラー相手にノソノソと戦ったりしていた。

それをテレビで見て、
「どうしてジャイアント馬場の乳首はあんなに下にあるのだろう」
と、とても不思議に思っていた。

ところがである、あそこまで下がってはいないものの、若いころにあったはずの場所から明らかに乳首は落下し、もうすぐ馬場状態という段階に入ってきている。

女性と違って男の場合は矯正したりごまかしたりする下着がないし、あったところでそんなものを身につけて薄着をする勇気など持ち合わせていない。

ここは自然の摂理に従い、なされるがまま逆らわずに放っておくしかなさそうだ。

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