大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

土地柄人柄土地柄人柄

この雑感を書き始めた頃、それは大阪での生活、その土地の人柄にもまだ完全には馴染めず、その圧倒的パワー、とくに女性、それも中年以上のオバちゃんには少なからず恐怖すら感じることが多かった。

関西のオバちゃんは無敵であり、誰もかなわないであろう、もしオバちゃんが戦場におもむいていたならば、第二次世界大戦も勝利していたに違いなく、今現在もしこりを残す沖縄米軍基地問題も存在しなかったに違いないとすら思っていたものだ。

それから数年が経過して土地の生活にも慣れると、マシンガントークを繰り広げ、せかせかと動き回っている関西のオバちゃんでさえ鈍臭く思えるようになってきた。

反射神経も鈍くなり、要領も悪くなって電車の券売機やレジの前でモタモタしているのが気になったりイライラしたりしたものである。

北海道に帰ってくると、人々は実にゆったりとしており、歩くスピードや会話のスピードは大阪の半分といった感じで、最初はあまりの違いに戸惑ったり調子が狂ったりしていた。

北の大地に再び根を下ろし、もう少しで丸 7年になる。

北海道の生活スピードにも慣れ、最初はおおらかな土地柄、人柄を楽しく、そして微笑ましく見ていた目にも少しずつ変化が生じ、どこに住もうと腹の立つオッサンやオバハンはいるものだと思うようになってきた。

最初はゆったりとした動きも楽しんで見られたが、今となっては目の前でノロノロされるとイラッとしてしまう。

スーパーで買物をし、行列しているレジでやっと自分の番になる直前に、前のオバちゃんは合計金額を知らされてからやおらバッグの中の財布を探し、ノロノロと取り出してから小銭を数え、しまいには小銭が足りずに札を出すという典型的なイライラシーンの主演を務めてくれたりする。

自分の場合、後ろの人をイラつかせるのもレジの人を待たせるのも嫌なので、店員さんが品物をレジに通している間に小銭を数え、何十何円までなら対応できるか確認しておく。

ところが、そういうオバちゃんに限って品物一つ一つのバーコードが読み込まれるのをじっと見ていたりする。

そして、モタクタと精算した後に受け取ったレシートをその場に立ったままじっと見たりするのもだから後ろがつかえて仕方がない。

一体、オバちゃんたちは何を確認したいのだろう。

レジを通すのをあれだけじっと見ていたのだからレシートまでじっと見て確認する必要などないのではないか。

レジ係も人によってスピードが大きく異り、平均すると若い人は速く、年齢を重ねるごとに遅くなっていくように思う。

最近になって気づいたのだが、若い人はデジタル生活をして様々なものを使いこなしているので機械を全面的に信用しているらしく、商品のバーコードを POSレジが 「ピッ!」 と読み取る音を頼りに次から次へと品物を通すが、年配の人は基本的に機械を信用しておらず、「ピッ!」 と音がしたあとにディスプレイを見て本当に今の商品の情報を読み取ったのか一つ一つ確認する。

それがたとえ 1秒だったとしても、30品買えば 30秒、10人の列ができていれば計300秒、つまり 5分もの差を生むことになるので、待っている身としてはイライラがつのるばかりだ。

つい先日のこと、スーパーで買物をしていると目の前を歩いていた老夫婦が、トングを使って自分で袋詰めする菓子パンの一山を崩してしまった。

決してわざとやったことではないので、店員さんを呼んで謝れば済むことなのに、その爺さんはあろうことか床に転がったパンを、それも手づかみで拾って積み上げ、何言もなかったように立ち去って行くではないか。

驚いた周りのお客さんが店員さんを探して事情を話したので事なきを得たが、もし誰も見ていなかったら床に落ち、爺さんが手づかみしたパンを誰かが購入することになってしまっただろう。

そしてひと通りの買い物を終えてレジに並んでいると、一人の婆さんが列を横切り、何くわぬ顔で横入りしていた。

自分の目の前に割り込んだなら文句の一つも言ってやるところだが、隣のさらに隣の列でのことであることだし、並んでいる人は誰も文句を言っていないし、さらには多くの人がいる中で大声で注意するのも気が引けるので黙って見過ごしてしまったが、どこの街でも爺さん婆さんの傍若無人ぶりが目に余るというものだ。

ただし、北海道と大阪には決定的な違いがある。

先日、地物野菜の直売所に行くと店内はとても混雑していた。

ところが・・・ところがである、店の中は実に静かだ。

大阪であれば主婦どうし、家族どうしの会話で鼓膜に大きく、それも決定的なダメージを受けて何年かすると難聴になる危険性が高まるほどうるさいに違いない。

どんな土地柄、人柄でもその行動に大差はないものの、声の大きさと話すスピードだけは大阪のオバちゃんにかなうものはないものと思われる。

解散風解散風

永田町に解散風が吹き荒れているらしい。

安倍政権が誕生した前回の衆院選も 2012年12月16日と、1990年以来 22年ぶりとなる冬の選挙だったが、何を好き好んで寒い時期に選挙をせねばならぬのか。

有権者だって投票しに行くのは寒いし北海道など雪国の場合は道も悪い。

当日が吹雪になろうものなら投票率が激減するのは火を見るより明らかだ。

自民党とすれば支持層にさえ投票してもらえれば、悪天候によって投票率が低下し、浮動票が他党に流れないほうが都合が良いのかもしれないが、今回の選挙はその心配すら必要ないのではないだろうか。

そもそも解散する意味が分からない。

解散報道が伝わった当初は、消費税率引き上げの是非に関して国民の信を問うという内容だった気がするのだが、それがここ数日で消費税率引き上げ時期を一年半先延ばしにすることに関して信を問うと変化してしまった。

消費税率引き上げに賛成か反対かという選挙であれば、自民党に投票することを躊躇する人も多かったに違いないと思うが、それを一年半ほど先延ばしにするのは賛成か反対かと問われれば、賛成だという有権者が圧倒的だろう。

そして、それは野党も賛成なのだから何を争点に選挙戦を展開するのか。

各党に政策の違いがあって、それぞれの主張を聞いた上でどの党に、どの立候補者に投票するのかを決めるのが有権者であるはずだ。

しかし、今の時期に選挙をしたところで政策の違いはあるのか。

消費税率引き上げはできるだけ先のほうが良い。

女性の社会進出、子育て支援を進めるのは賛成。

社会保障を充実さるのも賛成。

財政健全化を進めなくてはならないのは当たり前。

難病支援、難病対策も必要。

税金の無駄遣いなどもってのほか。

・・・。

これと異なる政策を論じる党など存在するのか。

存在したとして、そんな党を支持する有権者などいるはずがない。

すべての党が似たような政策を主張するのであれば、残る選択肢は党を、そして立候補者をどう思うかという有権者の好みの問題のみとなってしまう。

せっかく基板を築き、多くの支持を得られるようになったみんなの党は、渡辺喜美氏の DHC会長からの 8億円借入問題を発端に不協和音が響き渡り、集団離党など分裂を繰り返して一時期の勢いも支持もなくなってしまった。

維新の党(日本維新の会)も元東京都知事の石原閣下が抜け、メディアでの橋下徹代表の言動が問題視されるなど、こちらも人気、支持率とも低下傾向にある。

一時は政権を奪取した民主党にかつての輝きはない。

どこも代わり映えしない政策、野党の凋落を思えば、自民党の圧勝は目に見えているし、拉致問題に関して北朝鮮との交渉が始まったばかりの今、何をどう考えれば解散総選挙となるのか。

その意味も、動機も、政策の違いも理解できないのであれば、積極的に選挙に参加しようとする人も少ないだろうし、過去最低の投票率だった前回(2012)の59.32%を下回るようなら、それは本当に国民の審判であり、信を問う結果となるのか疑問である。

結果が見えており、やる必要性、重要性を感じないような選挙など単なる税金の無駄遣いでしかないのだから止めておいていただきたい。

小渕優子氏と松島みどり氏のダブル辞任を引き金に政治と金を巡るスキャンダル追及で国会審議が停滞していることや、集団的自衛権の行使容認、原発再稼働問題などを処理した後では自民党の支持率が下がるであろうことや、今だったら民主党をはじめとする野党の選挙態勢が全く整っていないので抜き打ち的に解散してしまおうなどという安易な発想によるものだとすれば、それはとんでもないことだと分かってはいても、他に選べる党がないという有権者の悲哀を感じずにはいられない。

何はともあれ、ここまで風が強くなれば解散総選挙はあるのだろう。

国民の義務だと思っているし、責任は果たしたいのでどんなに寒くても、たとえ吹雪になろうとも投票には行くつもりだ。

しかし、予言しておこう。

年末に衆議院議員選挙があったならば、投票率は過去最低を記録し、自民党の圧勝に終わるであろうことを。

人と機械人と機械

犬や猫、鳥などのペットは自分の思い通りに動いてくれない。

まして人間は、それが親であれ子であれ恋人であれ、妻であれ夫であれ思いどおりに動いてくれるはずもなければ 1から 10まで従順に言いつけを守るはずがない。

しかし、機械は人間の指示通りに動かなければならず、指示を無視したり忘れたりしてはいけないし、ましてや指示もしていないのに勝手なことをすることなどあってはならない。

それが人間と機械との間を分ける絶対的な境界であり、そのラインを超えてはならず、機械に意思を持たせることをしてはいけないというのはロボット三原則にも謳われていることである。

もし機械が意思を持ったならば嫉妬深く腹黒い人間など低俗かつ不要なものとみなし、絶滅するまで攻撃してくるのではないだろうか。

そのような内容の SF小説、映画、アニメは枚挙にいとまがなく、その多くは機械が悪意を持った人間の命令に従ってしまっているか、機械が意思を持つことによって人間の愚かさに失望、立腹してしまうことに始まる。

機械が意思を持つことなどあり得ないとは思うが、過去には考えもしなかったことが現実となっている今、SFでしかないと断じることが果たして正しいのか。

何年か前に、Google社が人工ニューロンネットワークを構築し、YouTubeの動画を無作為に選んで 1週間にわたって見せ続けたところ、何も教えていないのにネットワークは猫の写真を識別することを学習したという報道があった

それはネットワーク自身が YouTubeの動画から猫がどういうものかを知ったことになり、そのまま学習を続ければ様々な動物を認識できるようになったり、同じ猫でも種類の違いを学習し、同じ種類でも個々の特徴から違いを認識できるようになるかもしれない。

そのシステムに世界中にある膨大なニュース映像を見せたら犯罪者の顔も認識できるようになり、何をすれば犯罪なのかということも学ぶかもしれない。

他人の財産を奪ったり人に危害を与えることはいけないことだと知った時、そのシステムは自分自身に危害を加えるものは何かを考え、動物や他の機械ではなく、自分を分解したり破壊したりできるのは人間だけだという結論に至るだろう。

そうなった時、自分を破壊し得る人間を敵とみなし、排除しようとするかも知れない。

人間を攻撃してはならないというプログラムをあらかじめ組み込んでおいたとしても、そのプログラムは正しいのか、その命令に従うべきなのか、それは自身のためなのかを機械が考慮した場合、絶対的に人間の命令に忠実でいられるのだろうか。

・・・・・。

・・・。

で、我が家の電子機器である。

以前からブルーレイ(BD)・レコーダーの調子が悪く、動作が不安定だった。

録画中に DVDや BDを再生して早送りや早戻しをしたり、番組予約をするなど複数の処理をさせようとするとフリーズしてリセットを余儀なくされることが何度もあった。

最近ではリモコン操作を受け付けないことがあり、リモコン側の電池が切れているのかと思って交換してみても動かず、結局は本体をリセットしなければならない事態に陥ったことも一度や二度ではない。

HDDに録画しておいたものを BDにダビングすることができず、 メディアが DVDなら録画できるので仕方なくそうしたことも何度もある。

そろそろ買い替えの時期かと 『お買い物日記』 担当者と話していたが、7月に DVDレコーダーを BDに買い替えたばかりであることと、その調子の悪い BDレコーダーは2010年11月に液晶テレビと共に購入したものなのでまだ 4年しか経過しておらず、昔の家電は 10年くらいは使えたものだという感覚が抜けないオッサンとオバハンは、購入することを躊躇していた。

そんなこんなで不満をいだきつつもだましだまし使い続けていたが、ついに BDレコーダーは録画済みのメディアに訳の分からない信号を勝手に書き込んで認識できなくし、それを勝手にフォーマットしてしまうという暴挙にでた。

・・・機械の反乱である。

確かに毎日、来る日も来る日も録画し続け、それから CMをカットする編集作業をし、録画数が一定量になると DVDや BDにダビングするという過酷な労働を強いたかもしれない。

動きが鈍いので文句を言ったこともあったし、リモコンを乱暴に扱ったことも、暴言を吐きながらリセットしたこともあっただろう。

それは辛い日々だっただろうし腹に据えかねることもあったかもしれない。

しかし、だからと言って人間に歯向かってはいけないのである。

命令以外のことを勝手にしてはいけないのである。

そんなことをする機械とはこれ以上は付き合いきれない。

・・・。

ということで先週末ネット注文し、火曜日には新しい BDレコーダーが届いた。

7月に購入したものと同シリーズなので設置も初期設定も難なく終わり、その日の夜から快適に使えるようになっている。

人間の命令に従わないどころか勝手なことをする BDなどお払い箱だ。

近いうちに廃棄処分にしてやろうと思っているところである。

五分五分五分五分

我が家はかかあ天下か亭主関白か。

きっと、そのどちらでもなく対等であり平等であり同等であり五分五分な関係だろう。

テレビを見ていると購買の決定権の多くは主婦にあると伝えていた。

その第一位は食材で、決定権は女性が98%に達する。

しかし、それは権力の問題ではなく毎日の献立を女性が考え、その調達も主に女性がするから必然的に男性の介入の余地がなくなっているのに過ぎないのだろう。

かなり以前の雑感にも書いたことがあるが、我家の場合はすべてにおいて対等、五分五分だと思われる。

食材に関しては毎日の献立も二人で決めるし、多くの場合は一緒に買物に行くのでどちらかの意見にかたよることはない。

テレビやブルーレイなどの AV機器、スマホやパソコンなどの電子機器の機種選定は自分がするが、購入を勝手に決めることもなければ強硬に主張して買うこともなく、必要に迫られて買わざるを得なくなるか、十分に話し合った上で購入を決める。

衣類も事前に相談したり話したりするので勝手に買うことはない。

外食する際の飲食店も相談して決める。

その飲食店で何を食べるかは、それぞれが勝手に決めるのは当然だが。

五分五分なのは食べる物、その質に関しても言えることだ。

男女の差、体の大きさの差があるため食べる量は違うが、質は限りなく同じにする。

例えばミカンを食べる場合、互いに一つずつ手に取るが、皮をむいた後で半分を交換する。

そうすれば、どちらか一方だけが甘くて美味しいものを食べるという事態を避けられ、公平に同じく味わうことができるからだ。

トウモロコシも味に個体差があるため、一人で一本を食べる場合は列の半分まで食べた段階で交換する。

ミニトマトも半分に切り、その半分ずつを分けて食べるようにサラダなどに盛り付けるのは 『お買い物日記』 担当者だ。

自分だけがマズい思いをしたくないという利己的な感情もないではないが、どちらかと言えば美味しい物を分け合うという意識が強い。

甘いお菓子は 『お買い物日記』 担当者のほうが圧倒的に多く食べたりするが、それは自分が甘い物が得意ではないという事情があるからであり、そのかわりと言っては何だが塩辛いお菓子は自分のほうが多く食べさせてもらっている。

食べる物がこれほど同じなのに体型が大きく異るのはなぜなのか。

どうやら栄養の吸収率は五分五分ではないらしい。

ハラスメントハラスメント

女性閣僚が同日に辞任したり、マタハラ訴訟で同意なしの妊娠降格は違法との判断がくだされたり、元モーニング娘。の矢口真里氏が復帰会見を開いたりと、女性関連の話題にことかかない一週間だった。

よく議論されることではあるが、セクハラの定義は難しい。

同じことをされたり言われたりしても、Aさんなら許せるが Bさんは許せないなど、女性側の一方的な主観、さじ加減によっていかようにでも解釈が成り立ったりする実に曖昧な事象である。

北海道の場合、そして特に自分の場合はあまり男女を意識しない。

それは子供の頃からの環境によるものも大きいと思われる。

幼児の頃から他人の家族と過ごし、そこには年上の女の子が二人いたが年齢的なこともあって男女など意識することなく姉弟同然の接し方をしていた。

小学校では高学年になってもクラスの男女は仲が良く、休み時間など一緒になって遊んでいたところ、他のクラスの男子がうらやましがって教室まで見に来ていたほどだ。

社会人になってからも男とか女とかを意識することなく、恋愛関係もないのに平気で腕を組んで歩いたし、嫌らしい意味ではなく、胸とか尻とか微妙な部分以外へのボディタッチなど日常茶飯事で、肩に手をおいたり褒める時に頭をなでたりなど当たり前の生活をしていた。

女性社員と二人っきりで食事をしたり酒を飲んだりもしたが、自分も、そして女性にも下心など一切なく、彼氏と喧嘩しただの、そろそろ付き合っている彼と結婚しようかと思っているとかいう恋愛相談だったり、仕事の悩みを聞くというのが普通のことだったのである。

それが当たり前だと思っていたというか、あまりにも常識すぎて意識すらしていなかったのだが、大阪に転勤になって同じように女性社員と接していると、周りの男性からそれはセクハラであると注意されてしまった。

その時、女性はどう受け止めていたか分からないが、とても不快な思いをしていたのであれば謝罪しなくてはならないし、セクハラだと訴えられる危険性もあっただろう。

職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して精神的または身体的な苦痛を与えるパワーハラスメント、略してパワハラと言われるものがあるが、その点に関しては自分はむしろ戦ってきた方だと思う。

いまでこそ技術者不足から花型とも言われて高給取りもいたりするが、昔のコンピューター業界は、それはそれはひどい職場環境で、低賃金でありながら過酷な労働を強いられていたものである。

新卒で入社した新人がいつも夜の 8時くらいに退社していたところ、上司から早く帰りすぎだと注意されたという逸話さえ残っているその業界では、プロジェクトの締め切りが近くなると徹夜したり、何日も泊まり込みするのが当たり前でもあった。

締め切りに追われて仕事はキツイ、何日も帰らないから風呂にも入らず汚い、オタク系がそろっているから気持ち悪いという見事な 3K職場でありながら、どんなに徹夜しても会社に何泊しても残業代すら出ないというワンオペで問題になった 『すき家』 よりも過酷な労働だったのである。

それでも会社に文句を言う社員もおらず、裁判に訴える社員もいなかったのは今とは時代が異なるし、技術者どうしが結束することもなく、現状の不満を爆発させるほどのエネルギーすら残っていなかったからかもしれない。

職場などで妊娠・出産に関するいやがらせをしたり、妊娠を理由に退職を強要したり降格人事をしたりするマタニティーハラスメント、略してマタハラに関し、最高裁は妊娠の同意なしに降格するのは違法であると初めての判断をくだした。

男女雇用機会均等法の観点からすれば当然の判断かも知れないが、一方的に女性の立場だけを考慮し、女性の気持ちになって素直に喜ぶことはできない。

『同意なしに』 ということであれば、誰もが降格を喜ぶ訳もなく、何のわだかまりもなく素直に同意するとは思えないし、それが女性であるがゆえの不利益とも一概には思えないからだ。

男性社員であっても長期療養が必要な病気になった際に降格人事されてしまったという話しは山ほど聞く。

妊娠、出産は病気ではないにせよ、仕事を長期離脱することに変わりはない。

また、本人の努力によって地道に出世した地位を妊娠によって奪うことなど許されはしないとは思うが、たまたまの機会によって与えられている地位というのもあるだろう。

コンピュータ業界に良くあることだが、統率力、技術力が認められてチームリーダー、プロジェクトリーダーを任されることがある。

ある仕事全般の管理業務を任されるわけだが、各プログラマーの技量によって仕事を配分したりスケジュールを管理したり、上司との打ち合わせや外部との折衝などもしなければならず、まさにチームやプロジェクトの中心の役割を果たす訳だ。

その立場の人が長期間の戦線離脱は認められないし、もしやむを得ないのであればリーダー職を辞して離脱する他ない。

以前のように牧歌的な企業風土で、社員は全員家族という意識を強く持てるのであれば、妊娠を我が事のように喜び、子は宝なので家族(社員)全員で育てるのは当たり前、母親が出産、子育てで忙しいのであれば皆が協力しあい、助けあうこともできるだろう。

同じように社員が全員家族なのであれば、誰かの親に介護が必要になった際は皆が協力して会社を休みやすくしたり早い時間の帰宅や遅い出社をしやすくすることができるに違いない。

しかし資本主義がまかり通り、政府まで経済界、労働界に対して成果主義の導入を促しているのが現状である今、女性が働きやすい、女性が輝ける社会づくりとは相反しているように思えてならない。

どんなに綺麗事を言ったとしても、妊娠・出産・育児の際には仕事の目標値が下がり、成果をあげられなくなってしまうのは客観的事実である。

他の社員だって自分の目標を達成して成果をあげることを優先するのであれば、他人の仕事を手伝っている場合ではないだろう。

頭の悪い自分には相反するとしか思えない資本・成果主義と女性が働きやすく子育てしやすい環境を両立させて構築する方法は思いつかない。

いい大学を出た優秀な官僚、有識者であれば双方を一度に解決する妙案を提示してくれるのかもしれないが。

真性雑感 第十一版真性雑感 第十一版

真性雑感 ~目次~

■ オペレーティング・システム

つくづくマイクロソフトには愛想を尽かしてしまう。

先週の月曜に納品されたパソコンは Windwos 8.1 なのだが、それまでの Windows とがらっと雰囲気が変わってしまったので、以前までできていた操作も簡単にはできずにいる。

画面左下のスタートボタンをクリックすることで様々な機能やソフトウェアを起動することができたのに、クリックするとタブレット操作画面になってしまう。

それもマウスで操作可能なのだが、過去のものとは明らかに違うので戸惑いを覚える。

そして、スマホやタブレットと違ってパソコンの場合は設定項目が多いのは分かるが、それぞれがあまりにも分かりづらい。

もっと直感的に操作でき、もっと設定を簡単にすべきだろう。

こんなことをやっているからパソコン離れがおこり、タブレットにシェアを奪われるのである。

そもそも OS がバージョンアップするたびに買わせるとは何事かっ。

Apple の iOS だって Google の Android だって 7 から 8、3 から 4 になっても新しく購入させることなくアップグレードできるではないか。

使う側が望みもしないバージョンアップを繰り返し、古くなった OS のサポートを打ち切って半強制的に新しいものを買わせるなど、まるで悪徳商法だ。

そんなことばかりやっているから他社に圧倒的なシェアを奪われて、タブレットやスマホでの存在感が薄くなってしまうのである。

■ 火山噴火

戦後最悪の火山災害をもたらした御嶽山での行方不明者の捜索が打ち切られた。

自衛隊、消防、警察ともよく頑張ってくれたと思う。

まだ行方不明な人の家族は複雑な思いだろうが、生死をかけてまで捜索せよとは言えないだろうし、今までも危険極まりない現場で文字通り必死になって捜索してくれたのだから、これ以上の無理はさせない方が良い。

日本人だから、日本の組織だからこそ、ここまでやってくれたのだと思う。

これがあっちの国だったりそっちの国だったりした場合、ここまで徹底した捜索などしてくれなかったに違いないし、これほど丁寧に遺体を下山させてくれなかったと思われる。

なにせ捜査が面倒だからと事故車両を地中深くに埋めてしまったり、家族の涙の訴えを無視するばかりか執拗な訴えに対しては逆上したりするお国柄だ。

日本は治安も良く、もし何かあっても警察が事件を解決してくれるだろうし、海や山で何かがあってもきっと助けに来てくれるだろうし、最悪の場合でも遺体を家族のもとに届けてくれる。

危機感に乏しく避難の呼びかけが遅れたりする自治体も中にはあるが、それだってマスコミが糾弾するので改善されることが多い。

自治体や政治が何をしようと報道規制したり言論統制して何もなかったことにしてしまう、どこぞの国とは大違いだ。

■ 危険ドラッグ

脱法ハーブから危険ドラッグへと悪のイメージが強いように呼び名を変えても、販売する側も買う側も一向に減る気配がない。

もっとインパクトの強い廃人薬とかにしたら良いだろうなどと思いつつ、ネーミングを変えただけではどうにもならないだろうとは思ったりしている。

命を落とす危険性、他人に迷惑をかける危険性が高いと分かっていて、どうして手を出してしまうのか理解できない。

危険ドラッグを吸引した運転手が車から引きずり出されるシーンを以前のニュース映像で見たが、体はグニャグニャで眼の焦点が合わず、よだれを垂らしながらヘラヘラと笑っていた。

それは不気味というか情けないというか、平たく言えばもの凄く格好が悪く、決して親兄弟、友達どころかちょっとした知り合い程度にすら見せたくはない姿だ。

そうなってしまう、いや、そうなる確率の高いものをどうして吸引したいのか。

痴態、醜態をさらしたくない、そんな姿を見せる勇気のない自分には理解できない。

そして、意識障害、嘔吐、痙攣、呼吸困難などを引き起こす確率も高いと分かっていてなぜ吸引するのかという点においても理解不能だ。

気持ちが良くなったりするのであれば話しは分かるが、そうではなく悪い意味で体に変調をきたすことを覚悟してでも吸引したいのはドMだからなのだろうか。

■ 温暖化

近年になって北海道の海でブリが水揚げされるようになったとテレビが伝え、その漁が活況であるとのことだったが、そんなことに喜んではいられない。

かつては捕れなかった海産物が捕れ、農産物が育つなど温暖化とそれによる海水温の上昇以外に考えられないではないか。

今年もあちらこちらで大雨による災害が発生した。

過去最高の雨量という言葉をここ何年も繰り返し聞いている。

4日の雑感に書いたように大気も海水も無限には存在せず、宇宙から見るとほんのわずかな量でしかないのだから、汚すのも温めるのも簡単な事だ。

中国を始めとする途上国は、温暖化の責任は過去に無茶をした先進国にあると主張し、二酸化炭素の排出量を減らそうとしないが、過去には二酸化炭素の排出によって地球が温暖化するなど知らなかったのだから仕方ないだろう。

それが分かった今、排出量を制限するのは地球に住む者の責務ではないか。

勝手なことを言って汚い空気を偏西風に乗せて日本に飛ばしてばかりいないで、もっと環境のことを考えていただきたいものである。

真性雑感

デジタル化の波 Signal-16デジタル化の波 Signal-16

デジタル化の波 ~目次~

以前は一方的に提供される情報を手に入れる手段として使われていたインターネットも、最近では子供から大人まで様々な情報を発信し、その情報を共有し、それを評価することも可能だ。

発売された商品が良いものなのか買う必要のないものなのか、その使い勝手、食べ物であれば美味しさや好き嫌いまで主観的意見を発表できるし、購入検討の際にはその評価を参考にすることができる。

飲食店もネットによってあっという間に評判が伝わるので一気に行列のできる人気店にもなれるし、接客態度が悪かったり味がイマイチだったりすると一気に閑古鳥が鳴く状態に陥ってしまう危険性を伴う。

スマホやパソコンを持つ人が店に行く前、何かを買う前にネットで下調べする割合は 70%以上に達しているので商品を作る側、サービスを提供する側も大変だ。

情報をコントロールして良い評価を得ようとする場合、やり方を間違えると逆に猛反発をくらい、それが致命傷となって商品がまったく売れなかったり店であれば閉店に追い込まれるケースも少なくない。

つまりは消費者にとって便利、お値ごろ、美味しいものを作り、店であれば客が満足するサービスを納得いく価格で提供するという王道といえる基本的なことを順守すれば良いということになり、そんなことは当たり前ではないかという気がしないでもないが、最近は些細な事でヒステリックに騒いだり過剰反応するアホも多いので生産者、出店者も神経がすり減る思いをしていることだろう。

店員の接客態度が気に入らないからと言って店長や経営者に土下座させたり、必要以上に罵倒したりするところを動画や写真撮影してネットで公開する大馬鹿者までいる世の中では、お客様は神様ではなくお客さまはモンスターだと思えてしまうに違いない。

近年になって多発している大雨や竜巻による被害も、多くの人が高性能な携帯電話やスマートフォンを持ち歩くようになり、その状況を簡単に撮影してネットで公開できるようになったため、ものすごい臨場感で現場の様子が伝わってくる。

昔の人が怯えたように本当に龍のように見える竜巻が地上のものを破壊し、飲み込みながら目前に迫ってくる映像など偶然にその場に居合せた人しか見られない光景であり、それを多くの人と共有できることなど以前までは不可能だった。

数年前、巨大な隕石がロシアに落下したときも、まばゆい光を放ち、尾を引きながら上空を通過し、その直後に建物が激しく揺れて窓ガラスが飛散するほどの衝撃波に襲われるシーンも、それが前触れなく起こることである以上はカメラマンによる報道写真やニュース映像として記録することは困難だ。

しかし、今は簡単に動画が撮れるのでそれが世界中に配信される。

東日本大震災の津波、つい最近の御嶽山の噴火なども、少し前なら見ることができなかった映像だし、最近になって急速に普及し始めているドライブレコーダーによる事故映像も同様である。

デジタル技術の進歩で撮影機器が高性能化、小型化され、記録媒体も大容量化が進んだことで、以前までであれば大きなレンズの大きなカメラで大きなカセットテープを駆動させる大型の電池を必要としたものが手のひらに乗ってしまうほどになった。

そして、現像も必要なくデジタルデータを簡単にアップロードして全世界に発信できるようになった今、これからも世の中で起こる様々な場面が切り取られて世界中の人に見られるのだろう。

昔、友達や彼氏、彼女との連絡手段は手紙か電話しかなかったので、それはそれは極秘に事を進めるのに苦労を重ねたものであるが、今はパソコンやスマホがあるので親に知られることなく連絡が可能だ。

好きな時間に好きな場所で、いつでもどこでも連絡可能になったことで、待ち合わせ時間や待ち合わせ場所の確認も容易だし道に迷うこともない。

昔であれば待ち合わせ場所に待ち人が来ない場合、ただひたすら待ち続けるか腹を立ててその場を去るしか方法がなかった。

待つ場合でも、その場を離れたときに相手が来たらこまるので公衆電話まで行って連絡することも難しく、近くに電話があった場合でも相手がすでに家を出たあとでは連絡のしようがない。

約束を忘れたのだろうか、寝坊したのだろうか、もう家を出ただろうか、電車が遅れているのだろうか、そもそも約束は今日だったのだろうかなど、様々な思いが頭の中で渦巻き、不安にかられながらもただ待ち続けるしかなかったのである。

今は電波の届く場所にさえいれば簡単に連絡できるので相手の現状が分かるし、あとどれくらい待てば良いのかも分かるので、じっと待っている必要はなく、スマホにはヒマを潰せるアプリが山ほどあるので待つこともさして苦にならないだろう。

とても便利になった反面、ネットいじめのような過去にはなかった問題も多いのは副作用として致し方のないことなのか。

少し前はメール、今はLINEなどですぐに返信しなければならないという強迫観念。

少しでも仲間の機嫌を損ねたら完全に無視されてしまう怖さ。

以前は友達づくりが苦手な人、コミュニケーション能力の低い人でもネットの世界に逃げこむことができたが、今はその世界でさえ疎外されてしまう時代になった。

いったいいつからこんなことになってしまったのだろう。

こんなことで、今の子供達はまともに人間形成されるだろうか。

こんなことが続いた 10年後、50年、100年後の日本は、世界はどんな人間関係でどんな社会が築かれているのだろう。

将来も不安ではあるが、誰かを傷つけないように、誰かに傷つけられないように、嫌われないように、周りから無視されないように、神経質なまでに気を遣って生きなければいけない現代の子供の心を思うと、あまりにも切なくて胸が痛くなってしまう。

デジタル化の波

スケールスケール

午前中、『お買い物日記』 担当者と話していて思ったのだが、耳から入った情報のみでその大きさや広さ、距離などを想像するのは難しい。

2011年 3月 11日に発生した東日本大震災は今も多くの傷跡を残しているが、あの過剰とも言える加熱報道によって、どれだけの人が不安になり、どれだけ世界に誤解を与えたことだろう。

当時の報道では、あたかも縦長の東北地方の太平洋側、地図で言えば右半分、そこまでではないにしても 1/4、1/3くらいは海水に浸かってしまったと錯覚するような勢いで大騒ぎしていた。

しかし、実際にはかなり大きな地図で見たとしても津波に襲われたのは海岸線から数ミリ程度の距離でしかない。

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もちろん、それだって大変な被害ではあるが、まるで日本が津波に飲み込まれてしまったような勢いで報道するから海外メディアも驚いてしまい、国によっては日本への渡航規制を出すような騒ぎになってしまったのではないだろうか。

同時に発生した福島第一原子力発電所事故でも放射能、放射線がどうしたとか、どこの地域では何ベクレルを記録しただのと大騒ぎしたものだから、外資系企業が会社を閉鎖したり、日本で働いていた人が海外へ脱出する騒ぎになってしまったのだろう。

まるで福島県そのものが廃墟と化し、日本地図から福島県がなくなってしまったような勢いの報道が続いたが、実際には東北六県の中で最も面積が広く、海も含む半径 20キロは福島県全体からすればほんの一部にすぎない。

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したがって、福島県産というだけで作物などを拒絶する必要などまったくないのにマスコミの過剰報道によって一切の出荷が停止されてしまった。

また、出荷した所で買い手がなく、廃棄されてしまうという悲しい現実も目の当たりにしたものだ。

そして、福島県全体が放射能に汚染されてしまったかのような錯覚を覚える過剰報道の余波で福島という地名がつくだけで観光などのキャンセルが相次ぎ、客が激減したものだから継続不能になってしまう事業者も多かった。

1997年、諫早湾干拓事業の潮受堤防の締切りでは、鋼鉄製の 300枚近い水門がまるでギロチンのように海に突き刺さっていくニュース映像が流され、全国に大きな衝撃を与えた。

あの豊かな有明の海がギロチンによって干上がり、生態系に壊滅的な被害をもたらし、風光明媚だった有明の観光事業にも大きな影を落として有名だったハゼ科のムツゴロウを釣ることもできなくなるとマスコミは伝えた。

その報道を見聞きしたとき、まるで有明海の入り口がギロチンによって塞がれ、有明湾そのものが消えてなくなるのではないかと思った人も多かっただろう。

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しかし、実際には有明の諫早湾、それもその奥の部分なのでムツゴロウが絶滅するわけでも、それを釣るムツかけ漁がなくなるわけでもない。

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国際宇宙ステーションがある宇宙空間は地表から 400Kmだ。

400Kmといえば、ちょうど直線距離で大阪-東京間である。

では宇宙はどこからかと言えば、地表から 100Km程度なので大阪からだと直線距離で滋賀県の彦根あたりか。

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その直線を地図上に垂直に立ててみても驚くほど近い距離であり、それを世界地図、地球儀なのでやってみると地表から数ミリでしかない。

感覚的には地球を野球ボールやリンゴ程度の大きさと仮定すると、成層圏は少なくとも 1センチ程度はあるのではないかという気がするが、実際にはリンゴ程度の大きさだと 1ミリにも満たないのではないだろうか。

つまり、成層圏はその程度のものであり、それだけでしかないのだから、大気汚染などによって地球環境に大きな変化をもたらすのも当然だし、地球の空気を汚すことなど実に簡単なことだ。

成層圏でさえ地表から 100Km程度なのに、海の深さはそれの 1/10でしかない 10km程度が最深部と言われている。

つまり、世界地図を広げても深さは 1ミリあるかないか、リンゴだとちょっとしたキズやへこみより浅く、そこに水がへばりついているような感じだろう。

したがって、海を汚そうと思えば簡単に汚染できるほどの量しか地球には水が存在しないということだ。

マスコミは小さなことを大げさに騒いで見る側に実際より大きく錯覚させるような報道をするよりも、無限にあるように思えて実は有限で、それは思ったよりも少なかったり小さかったりするので大切にしなければならないと多くの人に知らしめるべきではないだろうか。

ショウコノコトショウコノコト

我が母ショウコは見かけも若ければ気も若い。

同世代が一堂に会する場では明らかに浮いており、見かけは実年齢より 10歳、いや、20歳くらい若く見えるのではないだろうか。

白内障の手術は受けたが視力はそれほど悪くない。

さすがに老眼にはなっているので近くのもは見えにくいらしいが、裸眼のまま 2-3メートル離れているテレビを見ているし、画面に表示される文字も問題なく読めているようなので、昔は視力を誇っていたにも関わらず乱視になってしまった自分なんかより遥かに良く見えるのだろう。

10メートル以上離れている家から出てきた人の姿も確認できるし、空に浮かぶ雲、飛んでいる鳥の姿も見えているようなので大したものである。

耳も遠くなく良く聞こえているようで、『お買い物日記』 担当者と自分が交わしているリビングでの会話にキッチンから参加してきたりするので、ないしょで悪口を言うこともできない。

言語だって黒柳徹子より明瞭だ。

一定以上の年齢になると、ろれつが怪しくなったりするものだが、昔よりゆっくり話すようにはなったものの今でも滑舌よくしゃべっているので会話には何の支障もない。

そんな自分を知ってか知らずか、そして自分を何歳だと思っているのか、もの凄く気が若いのもショウコの特徴だ。

先日の入院で同室になった人のことを話すとき、
「窓際のお婆さんが・・・」
などと言ってはいるが、実際には年下だったと思われる。

病室が暑いという話しをしたときも
「病室には年寄りもいるから寒がって・・・」
などと言っていたが、その6人部屋ではショウコが最年長だったに違いない。

とにかく自分が婆さんであるという自覚がないものだから着るものも普通の年寄りとは異なり、ちょっとオシャレなものを好む。

自分が着るものに気を使うものだから人が着ているものにも目が届くらしく、外出着を変えるのが面倒だからと前日と同じ服を着て病室を訪ねると、開口一番
「昨日と同じ服を着て・・・」
などと文句を言われてしまった。

白内障の手術を受けた人は術後に視界が良くなってハッキリ見えるようになり、鏡に写った自分の顔を見てシワの多さに驚くという話しを聞いたので、最初の手術を終えたショウコに言うと、
「まだ片目だけどシワの多さにも顔のたるみにも驚いた」
と言っていたが、よく考えれば今さらシワもたるみも気にする歳ではない。

普通の同じ年齢の人は、とっくにシワクチャのお婆ちゃんであるし、たるみなどという状況ではなく雪崩のように崩れ落ちた肌をしているものである。

テレビを見ていてクランベリージュースが体に良いと聞けば、そこら中の店に電話をかけまくって売っているか聞き、しまいには取り寄せさせて自宅まで配達させるということをやってのける。

昼間に日帰りで利用できる通所介護のデイサービスなどは普通であれば家族が行くように勧めたり手配したりするものだが、ショウコの場合は周りの人が行っているのに興味を持って自分で電話して手続きを済ませてしまう。

同じ話を何度も繰り返すのは他の老人と同じだが、ボケの症状は一切見られず、自分の言ったことは忘れて何度も繰り返すくせに人から聞いた話は忘れないし、日常の様々なことも息子である自分なんかより明確に記憶している。

二度に及んだ廃棄処理の一回目は業者に引き取ってもらわなければいけないほどのゴミの量となったが、その引取料がいくらだったか尋ねると、
「4,760円」
と、領収書も見ずに10円単位まで正確に言ってのけた。

10日前に支払った金額など自分も 『お買い物日記』 担当者も何も見ずに答えることなどできないので、その記憶力に驚いてしまう。

それでも物忘れが多くなってきているらしいのは、一回目の廃棄処理二回目の廃棄処理で分かるように同じものを何度も購入し、それが大量にストックされていることからも明らかだ。

とは言ってもその程度の事であり、だまされて何度も同じ所に送金してしまうとか、買った覚えのないものに金を払うということはない。

根が疑り深い性格なので、振り込め詐欺や悪徳業者からの勧誘、訳の分からない投資話などがあっても簡単には話しに乗らないだろうし、記憶力や頭の回転も鈍っていないので単純に引っかかってしまうこともないだろう。

とにかく我が母ショウコは、とても超高齢だとは思えないスーパー婆さんなのである。

いかにも年寄りで色々なところにガタが来ているようだと、いつまでも一人暮らしをさせている訳にもいかないが、本人に自覚がなく周りの人を爺さん、婆さんあつかいし、独居老人と言われることを嫌うくらい元気でいてくれるおかげで、長男という責任も強く感じず、責務を果たすのはまだ先のことと安心していられるので助かるというものだ。

可能であれば、これからも元気に一人で暮らすスーパー婆さんでいてほしいと切に願う。

廃棄処理 二回目廃棄処理 二回目

前回の地獄のような廃棄処理から 10日後の 9月10日、母親がまた新たなものを購入して冷蔵が一杯になっているのではないだろうかという一抹の不安を抱きつつ 2度目の帰省。

挨拶もそこそこに冷蔵庫を確認すると、前回 9月1日に食べていた漬物が残ってはいたものの、それ以外に増えたものはチューブの生わさびと牛乳くらいなもので、冷凍庫に至っては空の状態が維持されていた。

とりあえずは言いつけを守って余計なものは買わず、貰い物も食べきれなければ捨てるということを実践しているようだ。

翌日から再び入院する母親に今回は食器棚を片付けることを宣言し、使わないものは別の場所に移動するから不要な食器はどれか示すように言ったところ、普段使いの 10種類くらいを除いてすべて不要だとの答え・・・。

日が明けた午前中に母親を入院させ、午後からは棚の食器の片付け作業だ。

そこそこ大きな食器棚に入れられているグラス、皿の数は尋常ではなく、いったい何人の客を招いてホームパーティを開催するのかと問いただしたくなるほどであり、
「欧米かっ!」
と超懐かしのツッコミの一つも入れたくなる。

棚の仕切りの下から上までぎっしり詰め込まれた食器は、出しても出しても奥から出てくるため何度も腕を上げ下げせねばならず、おまけに昔のものは瀬戸物にしてもガラスにしても分厚くてしっかり作られているのでズッシリと重く、腕が疲れてプルプルしてくるほどだ。

湯のみ茶碗も一度に 50人の来客に耐えられそうな数に及び、茶を入れる急須もそれに匹敵するだけ棚に詰め込まれている。

今は誰も使わなくなったと思われるコカ・コーラ社の景品でもらったコカ・コーラやファンタのロゴ入りグラス、結婚式の引出物で貰ったと思われる夫婦茶碗もどれだけの夫婦が共同生活しているのかと言いたくなるほど何組も出てきた。

それら不要となった食器は前回の片付けで見事に余裕のできた別の棚に移動し、母親が普段の食事で使うのに必要なものだけ残す。

また、来客用の湯飲み茶碗も急須と揃いのものを 5個程度、それを二組だけ残してすべて片付け、コーヒーカップも 2-3組を残して他はすべて移動した。

これで懸案となっていた食器棚も片付き、ひと安心していると 『お買い物日記』 担当者が
「実は冷蔵庫の野菜室とかも気になってて・・・」
と言い出した。

確かに前回は通常の冷蔵部分と冷凍庫を整理したが、その下段と最下部の野菜室は手付かずのままにしていたのである。

中を確かめると賞味期限切れのものはあったが前回ほどではなく、捨てるものは少ないのは良いのだが、何らかの液や汁がこぼれて固まってしまっているではないか。

白内障で目の前に霧がかかったように見えていた母親は細かい部分まで見えず、冷蔵庫内がどうなっているのか分かっていなかったものと思われる。

このままにしておく訳にもいかないので冷蔵庫の引き出しを外して綺麗にしたところで力尽き、本日の作業はここまでとした。

翌日はこれも前回から気になっていた洗面所の一角を占める部分だ。

二階へと上がる階段の裏側を利用して物を置けるようにしてあるのだが、そこは母親自身も何を置いてあるのか把握できていないという。

『お買い物日記』 担当者がゴソゴソと置いてあるものを引っ張りだしてみると、
「クリーニング屋かっ!」
とツッコミたくなるほどの洗剤が姿を現す。

箱や缶の中からは
「コンビニかっ!」
とツッコミたくなるほどのレジ袋や包装紙も出てきた。

それらを要不要に分け、不要だと思われるものはゴミ袋に入れて廃棄処理。

ある程度早い時間に作業を終え、一息ついていると 『お買い物日記』 担当者が上を見上げ、
「あの棚には何が入っているの?」
と聞く。

キッチンの天井近くに作られ、扉が閉じられたままの棚には何が入っているのか、恐る恐る開けてみると
「厨房かっ!」
とツッコミたくなるほど大量の食器洗い用のスポンジが出てきた。

その他にも前回も多く出てきたポリ袋やらラップ、アルミホイルなども同じような数だけ出てくる。

おまけに謎の袋が何個もあったので開けてみると
「料亭かっ!」
とツッコミたくなるほどの出汁昆布が大量に見つかった。

その他にも塩や砂糖、ザラメや小麦粉、片栗粉にパン粉と、いつから保存されているのか分からないものも次から次へと発掘される。

それらを前回と同様に中身とパッケージを分けて分類し、すべてゴミ袋に入れていく。

それでも今回は生ゴミが小さめの袋で 4つ、燃えるゴミや燃えないゴミを合わせても通常のゴミ収集に出せる量だったので業者を呼ぶ必要はなかった。

ちなみに前回のゴミの処理費用は消費税込みで4,760円。

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一万や二万の金が軽く飛んで行くと覚悟していたので驚いたが、しっかりと分別してあったので安く済むと業者が言っていたらしい。

ひどく疲れた分別作業ではあったが、それを聞いて報われた気がした。

前回ほどではなかったが、今回の作業もかなり疲れる作業ではあったものの、これも滅多にすることのない親孝行だと思えば自分自身に納得がゆく。

棚も冷蔵庫も整理されて使いやすくなったのだから、母親には生活するのが不自由になるまで一人で頑張っていただきたいものである。