大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

北の人々北の人々

北海道に帰ってきて来年の 2月で丸 6年が経過する。

元々は北海道で生まれ育った道産子(どさんこ)であるため、その県民性というか道民性は自分にも備わっているものであり今さらながらに認識するものでもないのだが、大阪で 13年も暮らしていると少なからず風土に馴染んで知らず知らずのうちに自分に変化をもたらしたものと思われ、こちらに帰ってきて改めて道産子の特性に気付かされることも多い。

これが一応は政令都市である札幌にでも住めば大きな違いを感じないかもしれないが、人口が数万という地方の町に暮らせばそこに住む人々はいたって大らかであり、流れる時間があまりにもゆっくりしているような感じを覚えたものである。

特に大阪は日本一歩くのが速かったり、じっと信号機が青になるのを待っていられなかったりするほどせっかちな人が多く、そんな中に 10年以上も暮らせば多少は影響を受けて歩くのが早くなったり信号無視したりするようになっていたが、こちらに帰ってくると誰もセカセカと歩いてなどおらず、交通量の極端に少ない道路であっても誰も信号無視して渡ったりしていない。

最初の数カ月間は一台も車の通らない道で信号を守っているのが馬鹿らしく思えたが、今はイライラもせずじっと信号が青になるのを待つようになった。

歩行者であるこちらが交通ルールを守るのも当然のことながら、運転する人もまた実にマナーが良く、いや、あまりにもマナーが良すぎて恐縮してしまうことも少なくない。

今でも続けている毎朝の散歩では信号のない道を歩き、信号のない交差点を通ったりするのだが、道路に立って渡りたそうな気配でも見せようものなら多くの車が止まってくれる。

こちらとしては、その一台さえ通り過ぎれば他には車が来ていないので行くのを待っているつもりなのに、そのたった一台の車が止まってくれてしまうのでペコペコと頭を下げながら小走りで道路を横断することになってしまう。

そんなことをされては逆に気を使ってしまうし、できることなら走りたくもないので可能であればそのまま通り過ぎていただきたいところなのだが、こちらにはとっても親切な人が多くて歩行者を優先させようとしてくれる。

仕方がないので最近では道路を渡りたい素振りを見せず、車が来ていたらわざと車道に背を向けて逆方向を見てみたり、街路樹に生っている実をながめたりしながら 「私は道路を渡りたくなんかありません」 的なオーラを発散させつつ、横目で車が途切れるのを待っているようにした。

建物の敷地から車道に出ようとしている車も歩行者を最優先にしてくれるので、それにもこちらが恐縮してしまうことも多い。

その車からはまだ 5メートルも 10メートルも前を歩いているのだから、大阪の、いや、普通の都会の感覚からすれば先にブオーンと発車してしまえば良いのであって、そうされてもこちらとしては身の危険を感じることも感情を害することもないのだが、こちらの運転手さんはじっと通りすぎるのを待っていてくれる。

いかにも 「待っているから渡ってね」 という雰囲気があれば、こちらとしても早足で通り過ぎたり、お先にどうぞという意思表示をしたりできるのだが、家の中から誰か出てくるのを待っているかのように後ろを見たり、出発の準備をしているかのように後部座席や隣のシートに手をやったりしているので、気にせず普通の速度で歩きながら車の前を通り過ぎると、直後にブオーンと出発して行ったことも一度や二度ではないので、歩行者を優先させてくれる運転手さんがどれだけ多いのかがうかがい知れるというものだ。

今年は少し秋が長く、今は一度降った雪も解けてしまっているが、そろそろ本格的な冬が始まろうとしており、来週は最初から終わりまで連日雪の予報が出ている。

北海道の冬は厳しく、野原は一面の雪に覆われ、冬に実をつける木々もないので野鳥はエサの確保に苦労することだろうが、渡り鳥であれば暖かい地方に移動すれば良いし、カラスであればゴミをあされば良い。

しかしスズメはそうはいかず、小さな体では海を越えて渡っていくのも不可能だろうし、雑食性であるにも関わらずカラスのようにゴミをあさる姿も目にしたことがないので冬の食生活にさぞ困っていることだろうと思っていたが、この町のスズメはみんな丸々としているのが不思議だった。

ところが数日前の独り言にも書いたように、この町には鳥を餌付けしている家が多いことが分かったので、今となってはコロッとしたスズメが多いのもうなずける。

いつも歩く散歩コースだけで 10軒ほど庭に餌台を置いており、そこには多くのスズメが集まって来ているが、いつも決まった道しか歩かないのに 10軒も見るということは、この町全体ではいったい何軒の家に餌台があり、どれだけの量のエサをスズメたちは食べさせてもらっているのか。

北海道の人に、この町の人になぜエサをあげる人が多いのかは不明だが、厳しい冬の時期に鳥たちがお腹を空かせては可哀想だという優しい気持ちの持ち主が多いのかもしれない。

しかし、それにしてもスズメにとっては厳冬どころか労せずエサにありつけるのだから暖かい時期より楽なものであり、2-3軒ほどハシゴすればお腹いっぱいになるだろう。

これほどゆったりとしており、親切でやさしい人々に囲まれながら暮らすことに慣れてしまった今、もう二度と大都会では生活することなどできないかも知れない。

田舎は不便なことも多いが、セコセコと、そしてギスギスとした中で暮らすより、のんびりとした生活をするほうが自分に向いていると改めて実感したりしている今日このごろである。

一か八か一か八か

景気の回復から価格も上向き、消費増税前の駆け込み需要もあってマンション、戸建ての着工、販売が好調だと聞くが、それらは都市圏に限った話しであって経済効果が北海道の田舎にまで及ぶのはまだまだ先のことだと思われるし、効果が波及する前に景気がしぼむなどというのは良くある話しだ。

東京では高級マンション販売も好調で 3億とか 5億の物件も即日完売という賑わいを見せているらしいが、2020年東京オリンピックに向けた投資目的ではなく、本当に居住することを目的としているならば、まだ工事が始まったばかりで現物を見ることも出来ないマンションに億単位の金を払うなどたいした度胸の持ち主だと思わざるを得ない。

実際にそこに住んでみて、隣だの上下階がとんでもない住人だったらどうするつもりなのか、何の関係もないこちらがドキドキしてしまう。

以前と違って今は近所づきあいもないだろうし、隣にどんな人が住んでいるか知らない場合も多いだろうが、だからこその問題も多いだろう。

今は一軒家に住んでいるが、若い頃から大阪で暮らしていた頃までずっとアパートやマンション暮らしだったので上下左右の住人や近隣住人のことが気になって仕方がない。

最初に暮らしたボロアパートでは、どちらかと言えばこちらが加害者で、朝夕、夜中を問わず友達が出入りし、しまいには外壁を登って窓から入ってくるものまでいたので隣近所には多大なご迷惑をお掛けしたものと思われる。

本当にボロなアパートだったので階下は三部屋続きで空いていたのだが、そこに友人同士というガラの悪い三人が引っ越してきて各部屋で暮らし始め、近隣住人とのトラブルが絶えなかった。

次に引っ越したアパートでは最初は平穏無事に暮らしていたのだが、上の階が空き部屋となったのを機に、その隣で暮らしていた一家が空いた部屋も借りて中学生と小学生が二人という三人兄弟の部屋に割り当てたものだからたまらない。

親の監視が行き届かず三兄弟は暴れ放題、男三人が飛び跳ねたり転がったりするものだから天井が抜けるのではないかと思うほどの大騒音が響き渡る。

何度か親に言ったが、静になるのは当日くらいなもので徐々に動きが激しくなり、三日もすればドッカンドッカッンと壁を揺らす大騒ぎとなり、これは親に言ってもダメだと部屋に怒鳴りこむと、小学生の弟二人は泣き出し、中学生はふて腐れるありさまで、しまいには親が子どもを怖がらせたと文句を言ってくる始末だった。

次に住んだ部屋の上階が大学生で、夜中だろうと朝だろうと構わずドカドカと騒音をたて、文句を言いに行ってもヘラヘラと笑うだけで一向に改善することはなく、ホトホト困り果てたので部屋に殴りこみに行ったほどだ。

次に住んだのは、いわゆる高層マンションだったが、それは自分で購入したものではなく部屋のオーナーが貸し出していたものだった。

そこは名のある不動産会社のマンションで、地下鉄駅から徒歩 3分という恵まれた立地であり、正確なところは忘れてしまったが 20数階建ての 14階に住んでいたのだが、ここは以前の雑感に書いたように上階の住人が恐ろしい。

夜中に女性の悲鳴が聞こえたので何事かと耳を澄ませば、上の階から
「だれか助けてぇ!殺されるぅー!」
という叫び声が聞こえるではないか。

警察に通報すべきかとも思ったが、そこの夫婦喧嘩はいつも激しいので放っておけば収まるだろうと無視していたところ、あまりにも静か過ぎるほど物音ひとつしなくなった。

そこには子どももいたのでソファから飛び降りるドッカーンという音もたまにしていたのに、その悲鳴が聞こえた夜から数日間はまったく音がなく、人の気配すらしなくなってしまったのである。

もしかしてもしかすると、奥さんと子どもは本当に殺されてしまい、夫が逃走したのではないかという不安が胸をよぎったりして落ち着かない日々を過ごしていたが、数日後に再びドッカーンという騒音が聞こえたので変な意味で安心したりしたものだ。

大阪で暮らした 14年弱、一度も引っ越すことなくずっと同じ場所に住んでいた。

まるでマンションの主であるかのように長く暮らしていたのは、その建物の大家さんがとても良い人だったのに加え、何度か入れ替わった他の住人も良い人が多かったことが最大の理由だ。

ただし、近隣住人の一部はあまり好感の持てない人だった。

目の前の道路を挟んで向かい側に止められていた車はエンジン音がうるさく、おまけに女の人の声で 「右に曲がります」 とか 「バックします」 と繰り返し音声が流れる装置を付けており、車の持ち主の爺さんの運転が下手なのか、決まって朝の 5時半ごろに延々と 「バックします」 を繰り返し聞かされる。

眠りが浅くて小さな物音でも目が覚めてしまう自分は、毎朝毎朝ずっと 「バックします」 を聞かされ、「さっさとバックして出発してくれぇ~。」 と心の中で叫ぶ日々が続いた。

反対側の家に住む一家は実に変わっており、奥さんは人嫌いで顔を合わせてもろくに挨拶もせず、旦那さんは酒癖が良くなかった。

夜中に怒鳴り声で目を覚ましたことも一度や二度ではなく、旦那さんが酒によって家族に大声で文句を言っているのが常で、一度など
「たのむ~、たのむから出て行ってくれぇー!」
と叫んでいたが、最後は離婚が成立したらしく、一家離散となって一軒家は売りに出されたので住んでいた当時から家庭は崩壊していたのかもしれない。

そんなこんなで時代は変わって近隣住人との付き合いなどなくなった今でも、誰かが住んで生活を始めれば、互いに少なからず影響しあうものである。

付き合いがなくて直接は言えないことも多く、ストレスが溜まっていきなり暴力沙汰や裁判沙汰に発展してしまう可能性も否定できない。

そんなリスクが存在するにも関わらず、億単位の物件を購入するのは一か八かの賭けのようなものではないだろうか。

とてつもない金持ちであれば転売して他を探せば良いだろうが、ローンまで組んで終の棲家と決めて購入した場合は最悪だ。

それが億単位ではなくても、マンションや戸建住宅の購入には千万単位の金が必要となり、老後の計画までして購入したマンションの上下階、左右の部屋から騒音が響き渡ったり、人間関係が最悪な環境に身を置かなければならなくなってしまったとしたら・・・。

小心者の自分は恐くて、とてもじゃないけど不動産など購入できそうにない。

残りの人生を一か八かの賭けで決めることなど不可能だ。

消費税が上がるからといって、こぞって不動産購入に走る人をある意味で尊敬し、畏敬の念を抱きつつ遠くから傍観したりしている今日このごろである。

一般用医薬品ネット販売一般用医薬品ネット販売

一般用医薬品のネット販売の規制緩和が不十分だと楽天の三木谷社長が吠えまくっているが、彼の主張が自分の商売の利益しか考えないエゴイズムだったとしてもコンピューター業界に身をおく者としては原則として賛成であるし、何でもかんでも規制すれば良いというものではなく、官僚、業界の利権構造を守るかのような決定には不満を感じないでもない。

今回、政府が固めた方針は、一般用医薬品のネット販売を認めつつも、劇薬 5品目は禁止、市販後間もない 23品目については 3年間かけて安全性を確認できればネット販売を認めるというものだ。

一般用医薬品に占めるこれらの割合は 0.2%程度なので、99.8%の一般用医薬品はネット販売が認められるのだから、これ以上キャンキャン吠える必要はなかろうという論調も目立つ。

確かに一理あるが、その先のことも考慮する必要があるだろう。

アメリカ、イギリス、ドイツなどでは医師が処方する医療用医薬品のネット販売も解禁されており、将来的には日本でもネット解禁の機運が高まってくることが予想されるが、市販薬にすら規制があるのであれば医療用医薬品などネット解禁されるはずもなく、それが最大の問題であるというのが三木谷氏の主張だ。

医師、薬剤師、製薬会社、薬販売店、そして厚生族の政治家や厚労省は、この牙城を死守するべく今の段階から規制を盛り込んでおこうという魂胆が透けて見える。

というのも医療用医薬品の市場は一般用医薬品の 10倍、6兆円以上とも言われ、ここに多くの利権が渦巻いており、ネット解禁によって薬価が値崩れして利益が減ったり店舗への客足が遠のいたりするのを警戒しているのだろう。

中には医療用医薬品のネット販売など危険だと思う人もいるだろうが、医師が患者の具合を見てアレルギーなども把握した上で処方するのだから問題は起こらないものと思われるし、今になって薬局が患者との対話を心がけるように見せかけてはいるが、昔は病院で薬を受け取る際に会話などなく、処方された薬を事務的に渡されていただけだった。

つまり、医者が処方した以上は薬局もそれに従って患者に渡しているだけであって、顔色を見たり会話によって何らかの問題を発見して処方を中止したり薬を変えたりしている訳ではない。

ということは処方箋を提示さえすれば購入先が店舗であってもネットであっても大きな違いはなく、もしそれに反対するのであれば今も広くサービス提供されている FAXでの受付だって顔を合わせないのであるから禁止すべきだろう。

対面販売は薬剤師の五感を働かせて購入者の特徴をつかむことができるなどと、訳の分からないことを言って茶を濁す厚労省だが、医学的に説得力のある説明だとはとても思えない。

そんなこんなで薬のネット販売には基本的に賛成ではあるのだが、その副作用の恐ろしさを経験した今、すべての薬を解禁して良いのか多少なりとも疑問を抱くようになった。

それは火曜の定期通院、CTスキャンを受けた 『お買い物日記』 担当者は前の週に行った健康診断で胃のレントゲン撮影のために飲んだバリウムが大量に残っていることが判明し、これは一大事と医師に処方された下剤を服用したことに始まる。

24時間で出なければ医者に相談するよう促されているバリウムが 5日経っても大腸から小腸にまで残っているのは決して良いことではなく、一刻も早く出してしまうべきとの医師の判断に間違いはないだろうし、その婦人科の医師は 『お買い物日記』 担当者の目の前で内科の医師とも相談して出した結論だった。

処方されたのはラキソベロンという下剤。

副作用の少ない安全な薬であり、重い副作用はまず起こらないので高齢者や妊婦にも使用できるらしいのだが 『お買い物日記』 担当者には当てはまらず、とんでもない副作用に襲われることになってしまった。

その副作用を順に挙げると・・・。

●腹痛
 下剤なので一定程度は仕方がないが、服用して数時間後には腹痛が始まった。

●吐き気・嘔吐(おうと)
 これは辛かったらしく、何度もトイレに駆け込むこととなってしまったが、なにせ下剤の副作用なものだから上から下から状態であり、結果的に使いはしなかったものの念のためトイレ内に洗面器を準備したほどだ。

●目まい
 立っていられないほどの目まいに襲われながらも下剤が効いているのでトイレには行かなければならず、這って行くようなことが何度もあり、トイレの中でもフラフラでドカドカ、ドッカ~ン!という音が鳴り響いたので慌てて見に行くとドアの外に頭を出したまま唇を真っ青にして倒れていたことも一度や二度ではない。

●一過性の意識消失
 顔も唇も色を失い、冷や汗を流しているので貧血を起こしているのかと思っていたのだが、そのうちに問いかけに答えなくなり、眼球が上下左右に激しく動き出したので目まいと意識消失を併発したのだろう。

大量の冷や汗を流したからか、ガタガタと震えだして寒いと訴えたので布団乾燥機で温めた中に寝かせて様子を見ると少し落ち着き顔色も戻ってきた。

少し眠ると症状が緩和されたようだったが吐き気と下痢は続いた。

●頭痛
 夜になってやっと落ち着き、普通に就寝したのだが翌朝になって目を覚ますと 『お買い物日記』 担当者は頭痛になっていた。

ただでさえ頭痛持ちなのに副作用として頭痛を誘発する可能性があるのであれば頭が痛くなってしかるべきといったところではあるが、前日のひどい副作用に続いての頭痛は体力的にも精神的にも辛いことだろう。

便秘は解消し、バリウムも出たことと副作用が辛かったこと、意識消失を担当医にメールで報告すると、救急搬送されるまでの事態に至らず幸いだった旨の返信があったらしい。

人によってはもっと激しい副作用で救急搬送される可能性もあったということか。

副作用の少ない安全な薬とされているものでさえ、体調や体質によっては重篤な副作用を及ぼす危険性があるということは、やはりネットで販売できる薬も一定の規制が必要なのではないかと考えないでもないが、医師が処方して薬局で薬剤師から受け取った薬でも今回のようなことはあるし、厚労省が何を言おうと 『薬剤師の五感を働かせて購入者の特徴をつかむ』 ことなど不可能だという証左でもある。

とどのつまり、やはり利権を守ろうとしているのは医薬業界、官僚、政治家の側であってネット解禁による危険性は規制があった今までと大差ないのかも知れないが・・・。

虚偽表示虚偽表示

老舗百貨店、高級ホテルやレストランなど様々な業界で虚偽表示が発覚して社会問題化しているが、これは今に始まったことなのだろうか。

そもそも世間を騒がせている虚偽表示問題の発端は 5月頃に発覚したディズニーの偽装であり、この事件を受けて各ホテルが内部調査を行った結果、虚偽表示があったことが判明した阪急阪神ホテルズは事実の公表に踏み切った。

それ以降は内部告発で発覚する案件も多いが、どさくさに紛れて今のうちに公表してしまえば集中砲火を避けられるという 『赤信号みんなで渡れば怖くない』 的なノリで発表している企業も少なくないものと思われる。

ウィキペディアにまとめられた内容では一連の流れは 2008年から始まっているようだし、その前の 2005年には 「食べてはいけない」 の基礎知識―食の危機・偽装表示を見抜くという本も出版されているので古くからある事例が一気に噴出しているというのが現状なのかも知れない。

高級だと思っていたものが産地偽装品で実は単価の安い食材を使用しており、原価に見合わない価格を提示されていたというのも腹立たしいが、牛の霜降り肉が実は牛脂注入肉だったという一件は健康被害を引き起こす可能性が高かったこともあって問題が大きい。

というのも、注入される牛脂は小麦、卵、乳を含む場合が多く、それらは食物アレルギー物質であり、過剰反応する人にとっては命に関わることも少なくないので虚偽の表示でしたでは済まないのではないだろうか。

アレルギー反応が出た人も、よもや高い金を払った肉に問題があったなどとは考えもぜず、きっと他の料理と同じ調理油を使用していたのではないかと考えたり、別の食べ物に含まれていたと思っていたに違いない。

企業倫理やモラルの問題ではなく、詐欺罪として刑事告発されたり、アレルギーを引き起こされ、それによって体調を崩したなどと業務上過失障害とか、強いアレルギーで死に至ったとして業務上過失致死傷罪に問われでもしたらどうするつもりなのか。

ホテルやレストランは食材を厳格な基準で調達していないと世界に広く知れ渡れば、宗教上の理由から食べ物を制限し、イスラム法上合法な食品のみをハラル食品としている人々は日本への観光を控えることになるだろうし、信用が失墜すれば他の国の人、他の宗教の人だって観光に二の足を踏むことだろう。

消費者の信頼を裏切ったことがどれだけのダメージとなるか思い知るが良い。

産地偽装もさることながら、その鮮度や美味しさを強調するために付けられるキャッチコピーもよくよく考えてみれば怪しいものが多くある。

スーパーで売られている 『朝採り野菜』 だって本当に今朝なのか分かったものではなく、昨日だって一昨日だって朝に収穫していれば 『朝採り』 ということになるのではないだろうか。

飲食店で 『朝採り野菜のサラダ』 などと表記してあっても、本当に毎日、朝採れたものが確実に入荷しているのか怪しいような気がする。

同じように居酒屋チェーンなどで 『朝取りイカのお造り』 などと表記されたものがあるが、自然を相手にした漁で確実に船を出して間違いなく必要な量の魚が水揚げされる保証などない。

近年、日本では観測史上最高の暴風とか大雨を観測することも珍しくなくなったが、そんな日でも居酒屋に行けば、そんなはずはないのに朝取りの新鮮野菜でサラダを作ってくれ、朝取りのイカをさばいて刺し身にして提供してくれることだろう。

通販サイトを覗いてみても、『朝どれ浜ゆで越前ずわい蟹』 とか 『浜ゆで毛ガニ』 などという文言が目につくが、『朝どれ』 であっても茹でたものが数日後に宅配されるのであれば意味はないし、『浜ゆで』 というのも実に怪しい。

漁師のおっさんやその妻が、寒い中で火をおこし、ドラム缶でグツグツ蟹を茹でている光景が目に浮かぶが、そんなことをしているはずはなく、陸揚げされた蟹はトラックで加工工場に移送され、そこで大きさの選別などをした後で茹でられているに違いなく、その加工工場が海岸沿いに建っているのであればまだしも、単に港町なだけであって決して浜に建築されている訳ではないだろう。

売られている商品の中には冷凍輸入品を海に面していない町の加工場で茹でたものもあるだろうし、『朝取れ』 と 『浜ゆで』 という言葉に間違いはなくても、実は 『数日前の朝』 に取れ、中国や韓国、ロシアの 『浜』 で茹でられた蟹という代物だってあるのではないかと疑ってかかったほうが良いだろう。

今は流通網が発達し、冷凍、冷蔵技術も進んだので自宅にいながらにして全国、全世界の美味しいものを食べることができる。

しかし、やはり昔のように名物、名産品はその土地に行って食べるのが間違いなく、鮮度の高い食材を目の前で調理してくれる寿司屋か料理屋で地酒を呑みながら味わうのが良いのではないだろうか。

金銭的にも時間的にも心のゆとりもない場合は、それが虚偽の食材だったとしても仕方がないと覚悟した上で、それなりの雰囲気だけ味わうのが精神衛生上もよろしいのではないかと思ったりしているところだ。

消費増税の前に消費増税の前に

独り言にも書いたようにプリンターが故障したので買い換えることになってしまったが、結果的にタイミングが良かったのではないかと思っている。

使用頻度は高くないものの購入して 5年以上が経過しており、すでに修理保証の期間を過ぎて交換用部品もなくなっていたので故障は買い替えに直結するため、それが消費増税の直前であったのは幸いだったのかもしれない。

プリンターの価格は 2万円前後と 5年前と大きな差がなく、デフレ下においても極端な値崩れもせず、かと言って高機能化が進んだ割に高額化にもなっていないという不思議な製品だ。

仮に 2万円だとすれば消費税 5%で 21000円、8%で 21600円と、その差 600円でしかないが、それでもちょっと得した気分である。

お買い物日記』 担当者のスマホがヨレヨレなのは以前の雑感に書いた通りなので、いよいよ 2-3日中に買い換えるつもりでいるが、それも消費増税の前で良かったのではないかと思う。

スマホはパソコンと比較して性能は劣るものの、その技術革新のスピードはパソコンを上まっており、年に何度も新製品が投入されるので最新機種もすぐに陳腐化してしまう。

どうせ数年で買い換えなければならないのであれば、消費税が引き上げられる前で良かったのではないだろうか。

購入しようとしている機種は約 7万円なので消費税 5%で 73500円、8%だと 75600と、その差 2100円なので保護フィルムやケースなどアクセサリを購入できる金額だ。

自分の使っている iPhoneはまだ元気に動いているし、それほど最新機種を持つことを重要視していないし、Apple製品は年に一度しか新製品が発売にならないのに加え、少しずつ低価格化が進んでいるので今回は機種変更を見送るつもりでいる。

どうせ 6万円も 7万円も使うのであれば、今はパソコンの買い替えを優先して検討すべきだと考えているところだ。

Windows 8の評判の悪かった部分が改良され、Windows 8.1が登場したことと、日本で広く普及している Windows XPのサポート期間が間もなく終了することからパソコンの買い替えも進むものと思われる。

そうなると我が家も仕事用に Windows 8.1を入手して最新 OS上で動作検証などする必要があるだろう。

アベノミクス効果で一時期より 25%ほど円安が進み、その多くが海外製ユニットで構成されているパソコンの価格も 20%以上は高くなっている。

欧米は日本が経験したデフレ基調に突入しそうな雰囲気で、経済に暗雲がたれこめ始めているらしいが、それが現実のものとなると円安はまだ進むものと思われ、そうなればパソコン価格も上昇するに違いない。

そうなる前に、そして消費税が引き上げられる前にパソコンを購入しておくべきか目下のところ思案中だ。

そろそろブルーレイレコーダーも買い換えたいと思っている。

どうもシャープの製品は使い勝手が良くなく、ソフト的不具合が多いにも関わらず迅速な対応がなされないのでストレスが溜まってしまう。

購入して 3年が経過し、ハード的にも少しずつ動作が怪しくなってきた。

海外ドラマにどっぷり浸かっている今はブルーレイレコーダーが生命線であり、もしそれが故障でもしようものなら我が家にとって一大事である。

もう一台あれば、いざという時に B-CASカードを差し替えるだけで継続して録画もできれば視聴も可能だ。

これはパソコンより優先度を高くしなければいけないかもしれないが、型落ち品であれば 4万円以下で手に入るので消費税引き上げによる価格差はそれほど大きくない。

いろいろと考えてはいるものの、実際に購入したのはプリンター、購入が決定しているのはスマホだけであとはすべて思案中、検討中のものばかりである。

はたして来年の 4月までにどれだけの買い替えが進むだろう。

存在意義存在意義

世の中には本当に必要とされているのか分からないものが多数あるが、自分がその筆頭に挙げるのは手提げ金庫だ。

金庫というからには貴重品、現金など保管することになるのだろうが、手提げとなると簡単に持ち運びできるということであり、盗むことを目的とした場合はこれほど便利なものはない。

なにせ中には貴重なものが入っていると分かりきっているし、持ち運びも容易ともなれば、便利この上ないアイテムなのではないだろうか。

高額なものであればいざ知らず、一般的なものは耐久性も高くなく、ちょっと大きめのハンマーかツルハシでもあれば簡単に破壊して中の物を取り出すことができるだろう。

さらに耐火性も高くないので火災が発生すれば中のものは短時間で灰と化すに違いなく、それらすべてのことを勘案すれば手提げ金庫の存在意義は限りなく無意味であり、存在価値も極端に薄れると思われるのだが、今でも販売されているのが不思議だ。

次に存在意義が分からないのは玄関マットである。

多くの家庭の玄関の上がり口にはマットが敷かれているものと思われるが、あれは何のためにあるのだろう。

足の汚れを落とすためのものだとすれば、それは入る時、出る時のどちらなのか。

日本家屋の場合、外から中に入るときは靴を脱ぐのが一般的であり、今の今まで靴を履いていたのだから足が汚れているはずはないのでマットは必要ない。

逆に家から外に出るときも足が汚れているはずはないので必要ないだろう。

だとすれば、あの玄関マットに何の意味があり、どんな用途があるのか不思議で仕方がなく、靴のまま室内に入る海外の文化をそのまま真似して玄関にマットを敷いているのだとすれば実に滑稽なことだが、我が家の玄関にもマットが敷いてあるのであまり大きな声で存在意義を問うことは出来なかったりする。

すでに解散したのでどうでも良いことであるが、ファンキーモンキーベイビーズ、略してファンモンと呼ばれ、若者に人気のあった音楽グループの真ん中にいた坊さんの息子の DJケミカル、彼の存在意義はさっぱり分からなかった。

3人組の 2人が歌っており、彼は後部中央で踊ったり手拍子しているだけだ。

正直なところ万人受けするどころか万人が笑うルックスをしており、若い女性からキャーキャー言われるグループに参加していること自体が不思議で、彼が作詞や作曲をしているのなら必要不可欠なメンバーと言えるだろうが、ほとんど関わっていなかったのが実情らしく、ますます存在意義が不明である。

DJプレイには定評があるらしいのにテレビやプロモーションビデオでは一切やらず、興味がないので見ていないからライブでもやっていたのか分からないが、DJケミカルという芸名で音楽グループに所属しているにも関わらず DJプレイすらしないのであれば存在価値も意義もあったものでないだろう。

次に存在意義を問いたいのは体育会系タレントだ。

古くは池谷幸雄から最近では武井壮まで、専門知識を必要とされる番組やスポーツ中継の解説ならいざ知らず、バラエティー番組に出演しても気の利いたコメントの一つも言えず、笑いの一つもとれないのであれば芸能界にいる必要はないだろう。

そもそもテレビ局側も何が目的で彼らに何を期待して出演依頼するのか。

大嫌いなガッツ石松もそうだが、早くテレビ画面から消えてほしい。

同じ元プロボクサーでも具志堅用高、輪島功一などは超天然ボケなのが笑えるし、じっくり話しを聞けば深みもあり、それなりの苦労や人生経験があるので人との接し方も好感が持てる。

ところがガッツ石松はくだらないギャグを言うだけで面白くも何ともなく、自分を何様だと思っているのか納得できる仕事しか受けないと言ってみたり、脇役でテレビや映画に出演しただけなのに俳優としての成功者だと言わんばかりの態度に腹が立つ。

話しを聞いてもためにならず、面白いことも言えないのであればテレビに出る価値も芸能界での存在価値も意義もないだろう。

第二、第三のガッツ石松を生み出さないためにも体育会系タレントなど一刻も早く全滅していただきたいものである。

そして、ほんとうに存在意義を問いたいのは核兵器だ。

もし使ったら国際的批判をあびるのに決まっており、その後の経済制裁、国交断絶などによって国が立ち行かなくなって破綻するのは目に見えているのだから相手のみならず自国にも壊滅的な被害をもたらすことになる。

1発の核ミサイルでさえ破壊力、放射能などによる土壌、大気汚染などが大きな問題になるのに各国が保有する何百、何千という核ミサイルを報復だなんだとバカスカ打ち合えば国のみならず地球に壊滅的な被害をもたらすことになるだろう。

つまり、『その後』 を考えれば核兵器など保有していても使えるはずがないのであり、どうせ使えないのであれば保有する意味、その存在意義すら見いだせないはずなのに抑止力の名のもとで一向に根絶に向かう気配がない。

人類とは何と愚かな存在なのかと思うし、地球からすれば人類の存在意義が疑問だろう。

肝っ玉肝っ玉

小心者なのか剛の者 (ごうのもの) なのか、自分のことがよく分からない。

何かを始める前、例えば旅行にしても事前の準備では様々なことが心配になり、すべて怠りなく整っていないと不安になるし、予定の時間などは分単位で気になってしまう。

ところが前日や当日になるとすっかり開き直ってしまい、持ち物などは多少の忘れ物があろうと金さえ忘れなければ必要なときに買えば良いし、金で買うことができない時間にしても何とかなるだろうと予定時刻もさほど気にならなくなる。

仕事も同様で、例えば Webサイトの公開前には不具合がないか、正常に動作するか、設定のし忘れはないかなど様々なことが心配になり、最悪な事態を想定して対処法を準備したりする。

しかし、いざ公開となると例え何か問題が発生したとしてもどうにかなるだろう、何かあっても対処可能で大きなトラブルもなく解決できるだろうと開き直ってしまう。

人からは逆境に強いとか肝っ玉が座っているなどと評されることもあるが、それよりも悩みぬいた挙句に考えたり心配するのが面倒になり、思考停止に近い状態か、完全に開き直って尻を捲ってしまうような、あまり褒められたものではない心理になっているような気がしないでもない。

心配症なのは母親譲りで、実際に事が起こっている訳でもないのにアレコレ心配したり、小さなことが気になったり、些細な事で思い悩んだり心を痛めたりしてしまう。

開き直ったり尻を捲ったりするのは父親譲りだと思われ、良く言えば何事にも動じず、波風が強い中でも飄々と漂うように涼しい顔をして進んでいくように見えるが、実のところ何も考えていないだけだったりすることも少なくない。

かなり以前の雑感にも書いたことがあるが、自分は二重人格、多重人格ではないかと思うことすらあり、なぜあれほど細かいことを気にしていたのか後になって分からないこともあれば、逆になぜそこまで大胆に振る舞えるのか、後になって冷や汗を流すこともある。

きっと人間としての器が小さく、おちょこみたいな小さな中で表面張力も手伝ったギリギリのところまで考えたり悩んだりしても、すぐに溢れだすのと同時に脳もデロリンと溶け出してしまい、思考能力の低下に至るのではないだろうか。

お買い物日記』 担当者が大きな病気をした時も、最初は大きなショックを受けるとともに先行きが不安になったり将来を絶望したりしたが、数日悩んだ挙句、何の根拠もないまま無事に回復し、平穏無事な生活が戻ると確信するに至り、極めて冷静に、そして少し楽しみながら闘病生活を共に送ることができた。

最近、義兄が大腸カメラの検査でポリープが見つかって切除し、今は結果待ちとなっているが、最初に知らされたときはポリープが悪性だったらどうしようとか心配したが、今はきっと何の問題もないだろうと楽観的になっている。

数年前、胃カメラでポリープが見つかって病理検査に回しますと言われたが、それは今回の義兄と同様に悪性か否かを検査する内容だったにも関わらず、自分の場合はそれほど事態を深刻に受け止めるような脳の働きをせず、ぼんやりと話しを聞き、一切の心配をすることなく日々の暮らしを送っていた。

数カ月後の定期通院で内科の医者に
「良かったですね~、検査結果は問題ありませんでしたよ」
と言われ、やっと心配に値する事態だったのだと気づく有り様だ。

つまり、小心者であるかどうかという前に、単に頭が悪いか勘が鈍いのではないかという疑念が生じ、逆境に強い訳でも肝っ玉が座っている訳でもなく、人からは 『おめでたいヤツ』 と冷ややかな目で見られている可能性も決して低くはないような気がしはじめた今日このごろなのである。

外食外食

昨夜は徒歩数分の距離にある回転寿司に行ってきた。

大阪で暮らした 14年弱の間、外食したのは数えるほどしかない。

仕事関係であれば何度となく外食しているが、『お買い物日記』 担当者と二人で出かけることは極めて少なく、最初は店で食べていたハンバーガーやお好み焼きもテイクアウトするようになったので、年に 1度あるかないかのことだった。

それに比べれば北海道に帰ってきてからは外食の頻度が飛躍的に高まったような気がしていたが、それでも年に数えるほどしかないということに気付かされたのは、昨夜の店で発行してもらったポイントカードによってである。

500円で 1ポイントとなり、それが貯まるとポイント数によって様々なサービスを受けられるが、それは期限付きであるため前回発行してもらったものを提示すると無効だと言われてしまった。

それで今回も新しくカードを発行されたのだが、今のペースで来店した場合、期間内には最低限のサービスしか受けられないものと思われる。

長兄夫妻が来てくれたときは外食するが、二人だけで外食することは今も決して多くはなく、年に一度の焼き肉屋、年に一度のハンバーグ屋、年に 4-5回の回転寿司くらいなものだ。

ちょっと気に入って何度か行ったカレー専門店も物価高による原価削減を敢行したのか、量的に質的にもレベルダウンしたように感じ、さっぱり足が向かなくなってしまった。

ただし、それは晩御飯に限ったことで、昼食は外食やテイクアウトで済ますことは少なくない。

以前は晩ご飯として食べていた大好物のモスバーガーも最近は昼食に充てることが多く、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどのファストフードもほとんどが昼に食べるようになった。

若いころとは異なり、高カロリー高たんぱく質食品を夜に摂取しようものなら胃もたれ胸焼けを引き起こす危険性が高く、ただでさえ代謝の衰えが著しいお年ごろにあっては体内に脂肪として蓄積される一方であることは明白であるため遅い時間に食べるのを避けるようになったのである。

たまに無性に食べたくなり、年に一度だけのり弁を買って食べるのも昼、最近になって見つけたカツ丼がとても美味しい店も行くのは昼だ。

そして、これからの寒い時期は亡くなった次兄の大好物だったラーメンの季節で、我が家も月に一度は通おうと思っているが、それも昼食であって夜に行くことはない。

今頃になってロースカツサンドの美味しさを覚え、中毒的に食をそそられるようになった 『お買い物日記』 担当者だが、あまり食べ過ぎるのは良くないと月イチ程度にしようと思っているのも昼食の話しだ。

つまり、今でも夜は外食やテイクアウトとか惣菜などの中食で済ませることは多くなく、内食するのがもっぱらなのである。

以前の雑感にも書いたことだが、外食していても食べ終わるとすぐに帰りたくなるし、しまいには食べている途中から尻がムズムズしてしまい、早く食べて早く帰ろうという気になってしまう。

周りを気にせず食事を楽しめば良いと分かっていても、家族連れを見れば子どもが店内を走り回ったりするのが気になるし、幼児がテーブルの上の何かをこぼさないかも気になるし、他のテーブルの料理が出てくるのが遅ければそれも気になり、店の人が忙しそうにしていれば注文するのすら申し訳ないような気になってしまい、どうにもこうにも落ち着かない。

結果、どんなに美味しいものを食べても精神的な疲労が激しく、やっぱり家で食べるのが一番と思ってしまう。

そんなこんなで、今後も夜の外食が増えることはないものと思われる。

スマホ買い替え考察スマホ買い替え考察

この年末、スマホ購入から 2年が経過する。

自分は iPhone、『お買い物日記』 担当者は Android端末だ。

最近は iPhone 5sとか 5cの話題が多く、正直なところ 4sユーザーの自分としては食指が動かないこともないのだが、動作が少し遅いものの最新の iOSは動くし、バッテリーの持ちもさほど低下していないことから積極的に買い換える大きな理由はない。

3シリーズのように最新の iOSが使えないのであれば買い替えも検討するが、どうせ来年の夏になれば 6が登場するものと予想されるし、一段の低価格化が進むのではないかとの期待感もあるので今は買い時ではないと判断している。

『お買い物日記』 担当者のスマホは購入当時に製品知識が不足していたこともあり、何をどう間違えたのか世の中で最低スペックの製品を選んでしまったので、とても動作が遅いのに加えてメモリー容量が極端に乏しく、何かひとつ処理させるにもウンウンと唸り声をあげながら必死に動いてる感がありありであって、見ていて痛々しさすら感じてしまうほどだ。

さらに記憶容量も極めて小さく本体のメモリーはすでにパンパン状態で、もう何のアプリもインストールできないどころか、すでに入れているアプリのアップデートもままならず、あのアプリを最新にしようと思ったら、そっちのアプリを一旦は削除して・・・などと必死にやりくりしなければならない。

楽しく遊んでいるゲームも動作が怪しくなって先に進むことすらできない状態になることが多く、何度も最初からやり直す羽目となっては先に進んでまた使用不能状態に陥るということを繰り返し、とうとう試合放棄を余儀なくされてしまったゲームもある。

そんなこんなで購入から 2年が経過する来月末か 12月には、Android端末だけは機種変更しようと目論んでおり、今は各メーカーの製品を比較検討している段階だ。

技術の進化は日進月歩どころか分進秒歩と言われており、人間の進歩より遥かに早いことから 1年が人の 7年に相当するほど成長の早い犬になぞらえ、技術革新など変化の激しさをドッグイヤーと言うが、あれから 2年が経過したということは単純計算で 14年分ほどの技術革新がなされたということになる。

そして今が 8歳の黒柴リュウくんは人間の年齢に換算すると 56歳ということになり、自分より歳上なのでリュウくんではなくリュウ先輩だったりするのだと唐突に思ったりしているところであるが、話を元に戻せばスマホもかなり進化しているであろうから、今度こそ慎重に吟味して良い製品を手に入れたい。

しかしスマホは戦略商品であり、各社は技術の粋を集めて製品化しているので大きな機能の差や特徴は少なく、どこも似たり寄ったりの仕様と価格になっているのが悩ましいところだ。

1万~2万円の差があるとはいえ、いきなり韓国製を購入するのもためらわれ、ならば国産と思っても世界では負け組の日本勢にあって何とか見劣りしないものを作っているのはソニーとシャープくらいなものである。

ところが我が家、以前からソニー製品とは相性が悪く、購入したものは保証期間が過ぎるのと同時に狙っているのではないかと疑いたくなるほど見事に故障するということが続いており、先に触れた『お買い物日記』 担当者の今のスマホもソニー製であって満足度が低いのも相変わらずだ。

そして、液晶テレビとブルーレイレコーダーでシャープ製品を使用しているが、ソフトウェアの作りこみが粗いというか雑なものだから使用感が良くない。

特にスマホは機械と人との間をとりもつソフトの出来がとても重要であって、OSは世界共通の Androidであってもそこにシャープのインターフェースが乗るのかと思うと若干の不安を感じる。

単純にスペックで比較するとカメラは圧倒的にソニー製が優れており、ブログなどに写真を掲載することの多い 『お買い物日記』 担当者にとっては評価が高くなる部分だ。

しかし、シャープの製品は世界に誇る IGZOディスプレイを搭載しており、バッテリーの持ち時間が圧倒的に長いという強みを持つ。

数カ月に一度の割で検診のため札幌に行く 『お買い物日記』 担当者にとっては長時間使用も魅力の一つとなる。

あれこれ考えていて結論には至っていないが、次なる選択肢は価格だ。

最新機種の場合、どのメーカーのものを選んでも 5万円以上になり、優遇されるのは機種変更ではなく他社からの乗り換えユーザーばかりで、せっかく長く使っているユーザーが得られるメリットは少ない。

それならば我が家も auからドコモやソフトバンクへ乗り換えてやろうかと思わないでもなく、実際に他社からの乗り換えなら本体価格実質 0円などという広告が目立つ。

5万も 6万もする端末が 0円なのであれば決して悪い話しではないが、問題になってくるのはメールアドレスだ。

MNP(携帯電話番号ポータビリティー)によって今は電話番号が変わることはないが、メールアドレスだけは他社に引き継ぐことができない。

自分の場合は宣伝メールしか来ないので大きな問題はないが、『お買い物日記』 担当者には少なからず友人などからメールが届くので、アドレスの変更を周知徹底するのは手間暇かかる。

若い世代であれば携帯キャリアから割り当てられた電話番号もメールアドレスも利用せず、LINEなどのアプリを徹底活用するであろうから、どの会社に乗り換えても大きな問題はないだろう。

そう、前述した長期利用者へのメリットが少ない点と、無料通話アプリの浸透によって電話番号もメールアドレスも必要なくなったことから、今の若い子たちは他社へ他社へと渡り歩き、実質 0円で最新の端末を手に入れてスマホライフを満喫しているのではないだろうか。

しかし、自分は利用していても周りに LINEユーザーの少ない我々の世代は簡単にキャリア変更ができない。

おまけに実質 0円とはいえ、パケットサービスは最高額のつなぎ放題プランで 2年間などいう縛りがあるに決まっているので、1年もすれば 6万円以上の料金を徴収されることになるであろうから我が家のように特殊な使い方をしている場合は決して得にはならないだろう。

ここはやはり auで機種変更することになるだろうから、年末までの約 2カ月間、みっちりスマホ最新機種の勉強をしようと思っているところである。

法事でプチ旅行法事でプチ旅行

今日は法事があったので電車に揺られて一時間程度の町に行ってきた。

JRの駅に着くと駅員さんに乗り換えの接続やら出発時間やら色々と聞くことが多く、時間がかかっている年配の男性がみどりの窓口に。

後ろに人が並んでいるのに気づき、切符の購入は今日ではなく、話を聞きたいだけだからという理由から、窓口を離れて客がいなくなるまで待合室のベンチで待っていた。

気遣いがなく、無遠慮な人であれば、どんなに人が並ぼうと自分の知りたいことを最後まで聞き続けただろう。

人がいなくなり、再び駅員さんと話し始めた男性だったが、また後ろに人が並ぶと窓口を離れる。

実に良い人だと心から感心してしまった。

休日ともあって電車の乗車率は 100%を超えており、探しても空席は見つからなかったが、おっさん一人が荷物を載せて二席を占領している。

通路に立っている人もいるのに、なんと傲慢な奴かと思っていると、車掌さんがやって来て注意され、すごすごと荷物を網棚に上げていた。

その後も荷物は座席に置かぬようと車内アナウンスが流れ、肩身の狭い思いをしたことだろうから、最初から周りに気を遣えば良かったのである。

みどりの窓口で見た男性とは大違いであり、見知らぬ者同士ではあるものの、その男性の爪の垢を煎じて 37杯くらい飲むことを強くお勧めしたい。

座れないのでデッキに立っていると、そこも人であふれ、狭い空間の温度は上昇していく。

そんな中、やけに鼻をグシュグシュさせ、ときおりブーンと鼻をかむ男性がいた。

自分も鼻炎でよく鼻がグシュグシュ状態になるので偉そうなことは言えないが、この狭い空間を風邪ひきさんと共有するのは勘弁願いたい。

帰路であれば帰宅してすぐ手洗いとうがいをすることができるが、法事の寺でうがいするのも、JRの駅のトイレでうがいするのもためらわれる。

ここで風邪などうつされてたまるものかと、なるべくその場の空気吸うのは最小限に控えようと、できるだけ小さく呼吸をして時間を過ごした。

法事のお寺さんは凄くしゃべりの達者な人で、まるで落語家さんのような話に引き込まれる。

坊さんの話しなど退屈なものが多いが、説教ではなく世間話のような実に巧みな話術だったので最後まで興味深く聞くことができた。

その後は会食。

コースで次々に出される料理に満腹感を覚え、昼間から酒を飲んだことも手伝って睡魔に襲われながら会場を後にした。

帰りの電車も混んでいたが、ラッキーな事に 『お買い物日記』 担当者と並んで座ることができ、ゆっくりと目を閉じた瞬間から記憶がなくなって気づいたのは下車する駅の直前だった。

土曜日は何があろうとパスタの日と決めているが、今日は帰宅時間が遅くなったことと、食事の会場で折り詰めを頂いたので、それを晩ご飯に充てて後はのんびりとした夜を過ごしている。