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時間

時間というのは地球の自転から割り出されたものであって数学のように全宇宙共通のものではなく、26時間かけて自転する星であれば 1日は 26時間となるし、18時間で一周すれば 1日は 18時間だ。

いや、単に地球と時間の流れが異なるだけで、どんなに自転が遅かろうと早かろうと、一周する間隔を 24で割れば 24時間ということになり、1時間を 60で割れば 1分、また 60で割れば 1秒となるか。

この星と、あの星では 1秒の長さが異なるだけのこと。

つまり、物理的なようであっても実は論理的な事象でしかないのが時間という概念であり、それを受け止めるのが人間のあやふやな感覚であるから時は長くも短くも感じるのだろう。

子供の頃は長く感じた時間も、加齢とともに短く感じるようになるジャネーの法則に関しては以前の雑感にも書いたが、それだけでなく精神状態の有り様によっても時間の流れは変わってくる。

楽しいことをしていると、時間などあっという間に過ぎてしまうが、肉体的、精神的苦痛を伴う場合は時間の経過が遅く感じる。

心に深い傷を負ったり精神が病んだりすると、辛く苦しい状態が未来永劫に続いてしまうような、このまま自分だけが時の流れに置いて行かれてしまうような不安にかられるほど時間が重くゆっくりと流れたりするものだ。

ここのところ、毎日、毎週、毎月がビックリするようなスピードで過ぎ去り、気づけば一年の折り返し地点を過ぎてしまっているような有様で、このままではビックリする間もなく爺さんになってしまっているのではないかと心配にすらなってしまう。

この時の流れの早さに閉口し、『お買い物日記』 担当者と二人でニコニコ笑って過ごすだけでなく、たまには苦悩に満ちた日々でも過ごさなければいけないのではないだろうかと真剣に話し合ったほどだ。

そして、時間というものは環境によっても流れが変わって感じるもので、ハワイや沖縄などのリゾート地に行くと、時間がゆっくり流れているように感じる人も多いだろう。

実際、大阪で流れていた時間と北海道で流れている時間は 2倍以上の差があるように思える。

日本一歩くのが早い大阪人の歩行速度になど到底およばず、ゆっくり歩く人が多いのは言うまでもなく、車が一台も通行していなくても赤信号では立ち止まって青に変わるのを待つ。

帰ってきた当初は思わず渡ってしまいそうになることもあったが、今は信号無視をすることもなくなり、目の前で信号が赤になてもボ~っと待っていられるし、待つのに何の苦痛も感じなくなった。

信号のない道路を渡ろうとすると自動車のほうが止まってくれる。

時々、あまりにも遠くから速度を落として交差点を渡るのを待っていてくれたり、自転車に乗っている自分が通り過ぎるのを待っていてくれたりするものだからこちらも気を使わねばならず、急いで横断するハメになる。

それは、先に述べた信号待ちが苦にならないのと同じように、ドライバーも歩行者が通りすぎるのを待つのが苦にならないのだろう。

それだけ心に、体内時計の刻む流れに余裕がある。

すっかり北海道の時間の流れに慣れてしまったが、いまだに慣れることができないのは約束の時間だ。

仕事関係であればなおさら、訪問の時間を告げた場合は早くて 5分前、遅くても定刻には相手先に到着していなければならないというのは社会人としてのルールだと教えられてきた。

ところが、こちらでアポを取って定刻に訪ねると、相手が慌ててスーツに袖を通しながら現れることが多い。

打ち合わせ場所に、5分や 10分くらい遅れて現れるのはザラである。

どうやら都会とは違う時間が流れているらしいと感じたり 『お買い物日記』 担当者と話したりしてはいたが、少し前の雑感に書いた屋根の修繕工事でそれは決定的となった。

工事自体は 3-4日で終わったのだが、それが始まるまでの見積りやら準備やらで一カ月以上も経過したし、工事が終わったのは6/26なのに、今日になってやっと最終点検しに来て工事の完了を告げて行った。

実にのんびりしたものである。

そして、今朝、最終点検に来るとの連絡があり、15分くらいで到着するとのことだったのに、業者さんが現れたのは 30分以上も経過してからだった。

それをネタに雑感を書こうとしただけなのに、こんなに長文になってしまったのは、やっぱり時間がたっぷりあるからだろうか?

マサルノコト scene 30

マサルノコト目次

マサルとの関係は社会人になってからも続いていたが、ノブアキを含めた三人で遊ぶことは盆暮れに帰省した際に会って酒を酌み交わす程度となってしまった。

それでも年に二回程度は会い、何時間も懇々と話し続けたものである。

酔った勢いで旧友に電話して呼び出してみたり、中学時代の担任に電話したこともあった。

そのまま話しの流れで翌日に遊びにいく旨を告げたものの、当日になってみれば面倒だったり会って話すことも思いつかなかったりですっかり気を削がれてしまい、担任に会いに行くのを取りやめたのだが、もともとマサルと自分のだけの担任であってノブアキは最初から関係ないという事実があったりする。

他の地域では馴染みが薄いだろうが、当時は北海道が発祥のパークゴルフというスポーツがブームとなっていた。

使用するのはボールの他にクラブ一本と、道具に高額な費用がかかる訳でもなく、短いクラブで低反発のボールを打つため危険が周りに及ばず、子供たちが遊ぶ公園内でも練習や競技が可能、そしてルールが単純であることからゲートボール愛好者、競技者数をあっというまに追い越して、今現在も競技者数が増加し続けている高齢者の人気スポーツだ。

ノブアキは親に連れられてパークゴルフを経験したらしく、酒を飲みながらそのゲームがどれほど楽しいかを力説したことがある。

ゲートボールと同様にお年寄りのスポーツという印象が強かったマサルと自分は、ノブアキの話しを右の耳から左耳に流しながら
「ふんふん」
とか
「ほぉ~」
とか適当に相づちを打っていたが、あまりの力説に屈し、爺さんになる前でも三人が一定以上の年齢に達したら一度集まってプレーしようということで話をおさめておいた。

とにかく三人で飲む酒は楽しく、言い争いをしたことも自慢話をしたことも苦労話をしたこともなく、最初から最後まで笑いっ放しの明るく健全な時間が流れたものだ。

しかし、ただ一度だけノブアキが店の人にキレたことがある。

居酒屋で食事がてらの酒を呑み、良い気分になって二軒目の店を探し、初めて入る小さなスナックに腰を落ち着けた。

三人とも酒に弱くはないのでチビチビと水割りを頼むよりボトルを入れてしまおうということになり、ボトルキープというよりは飲み干すつもりで一本注文して乾杯などしながら飲み始め、カラオケで一曲歌い終わったところで店のママさんが
「そろそろ閉店なんですけど」
と言い出した。

それまでの所要時間は 20分足らずであり、頭の中が真っ白になってポカーンとしてしまったが、ノブアキの血は瞬間湯沸かし器のように一瞬にして煮えたぎり、怒りをぶちまけ始める。

ただし、酔ってはいるものの、それは実に理論的で、店に入った際に閉店時間を告げるべきであるということと、残り時間が短いのであれば、ボトル注文を受け付けず、水割りなどを勧めるべきであろうという内容だ。

そこでママさんが素直に詫びれば良かったのだが、ツンと横を向いてしまったのでノブアキの怒りに拍車がかり、文句を言う内容も言葉遣いも乱暴になってきた。

一人がキレると周りは不思議なほど冷静になるもので、確かにノブアキの言っていることは筋が通ってはいるが、酒の勢いもあって収まりがつかなくなってきたのも事実であるから
「また次に来たときにボトルを飲めばいいから」
とマサルと二人でなだめながら店を出た。

筋の通らないことが嫌いな性格ではあったものの、人に対してあれほど強く意見をしたり詰め寄ったりするノブアキを初めて見たし、10年以上の付き合いで知らなかった一面を見ることになったことに少なからず驚いたりしたものだ。

あの日、あの時、ノブアキがどうして激情したのか謎である。

そしてその後、気分なおしに三軒目の店に向かったのか、空気が悪くなったので解散してしまったのか、記憶が定かではない。

耐久年数

実は数日前から屋根の葺き替え工事と塗装をしてもらっている。

経年劣化で屋根が腐食し、屋根裏に雨水が落ちてくるようになってしまったので業者に見てもらったところ、東西南北に向かって四面ある屋根のうち、東向きの一面が部分的にではなく全面的に葺き替えるべとの判断に至った。

工事の規模にしても金額にしても予想を上回る規模となってしまったが、雨漏りを放っておく訳にもいかず、家の持ち主である義兄に相談したところ修繕工事すべしとの指示があったので見積もりを依頼した。

何度か打ち合わせを重ねるうちに、四面のうちの一面は葺き替えなければいけないが、残りの三面も塗装が耐久年数を超えているので、弱くなった部分から屋根板の腐食が進むかも知れないと業者は言う。

そこで再び相談すると葺き替えと塗装をすべきとの結論となり、工事費用は家主である義兄が負担してくれる腹積もりがあるとのありがたいお言葉をいただいた。

そして今週から工事が始まったが、屋根の上では複数人の職人さんが動きまわったり工具を使う音が響き渡り、仕事中に聴いているラジオの音など聞こえないほどだ。

まともに生活できるのか少々不安になったりもしたが、もともと仕事に集中すると周りの音が聞こえなくなる性質なので作業に支障はなかったし、暗くなる前に工事は終わるので生活自体に大きな問題はなかった。

工事が終わって塗装に進むという段階で業者さんが報告に来てくれたのだが、その際に
「よく見ると外壁の塗装も耐久年数を超えてますねぇ」
などと言い出した。

家は壁も屋根も同時に完成するに決まっているのだから、同時に耐久年数である 10年に達するのは当たり前のことであって、後になって気づいて言ってくるのはどうかしている。

おまけに業者は、この家を建てた業者だ。

屋根は劣化すると雨漏りなどしてしまうが、壁の塗装が劣化するとどうなるのか分からないし、今のところはその説明もない。

追加でこのままズルズルと工期と金額が膨らむのは嫌なので、とりあえず壁のことは無視することとし、必要と判断すれば数年後にあらためて発注することにしようと思う。

何にでも耐久年数というものはある。

それは体でも同じで、あれだけ冴え渡っていた視界も今は遠くばかりかパソコン画面さえもぼやけて見えるようになってきた。

「年齢のことを考えて、これからは歯も大事に使うように」
と、歯医者さんに行くたびに爺ちゃん先生に説教される。

今はそれなりの性能を発揮している耳も、耐久年数を超えるとだんだん聞こえづらくなって
「はぁあ~?」
とか
「えぇえ~?」
とか聞きなおす回数が増えてくるのだろう。

味覚も衰えて、だんだん濃い味付けを好むようになるかも知れない。

体だけではなく、家も電化製品も大切に使い、せめて耐久年数までは壊わさないように心がけようと思ったりしている今日この頃である。

運動会

今日の午前中、買い物のついでもあったので 『お買い物日記』 担当者の母校でもある小学校で開催されている運動会を見物してきた。

昔は早朝から場所取りをしなければならないほど人が集まったらしいが、今は少子高齢化が進んで父母から祖父母まで応援に駆けつけてもグラウンドから人が溢れることもなく、割と余裕で見物できる感じ混み具合だ。

お兄ちゃんかお姉ちゃんを見に来たらしい小さな子は、見物にもすっかり飽きてしまったらしく、勝手に走りまわって遊んでいる。

家庭用ビデオカメラ、プロ顔負けの機材まで用意して我が子を撮影しようとする光景はどこも同じだが、子供そっちのけで酒盛りをしているパパさんチームもあり、実に家庭的、牧歌的な雰囲気が漂う年中行事である。

しかし、特に都会では、いつの頃から運動会が足の速さや体力ではなく、それ意外を競いあう場となってしまったのか。

勉強のできる子は勉強で、運動が得意な子は運動で、それぞれ活躍していれば良いのであって、幼い頃から他人との違いを少しずつ認識しつつ自分の生きる道、進むべき道というものを模索するなり、見極めるなりすれば良いはずだ。

少し覗いてきた程度なので、この町の小学校がどのような方針、ルールに則って競技しているのか分からないが、全国にある学校の一部では勝敗や順位をつけることを嫌って全員揃ってゴールさせたりするらしい。

そのくせに、親は着るものから広げる弁当の内容まで見栄を張って競い合うのはなぜなのか。

早朝、または前日から弁当作りに精を出すのは、子どもを喜ばせたい親心も当然ながら含まれているだろうが、6-7割は周りから見られることを意識しての自尊心を満足させるだけの行為のように思える。

昔の運動会なんぞは爺さん婆さんがヨレヨレの服を来てゴザの上に正座し、水筒に入れてきた番茶を飲みながら孫の姿を見ていたものあり、親も我が子を応援するのに一生懸命でカメラでバシャバシャ撮影している親など一握りしかいなかった。

弁当も梅干が埋めこまれたゴマ塩おにぎりか巻き寿司、いなり寿司程度のもので、おかずはタマゴ焼きに焼き魚、肉や赤いウインナーなど入っていようものならテンションが上がったものだ。

その横のとてつもなく大きなタッパーを開ければびっしりと漬け物が入れられており、隣に陣取る家庭と回し食いしていたものである。

その漬け物を肴に酒盛りをして、すっかりできあがっているオッサンなどもおり、足元がフラフラのまま父兄参加の競技に出場して見学者を爆笑の渦に巻き込んだりもしていた。

子どもが徒競走などで一着になり、周りから褒められると
「うちの子は勉強はダメで足が速いのだけが取り柄だから」
などと、謙遜しながらも少し嬉しそうにしているのが奥ゆかしい日本の母の姿であり、
「でもお宅の◯◯ちゃんに勉強ではかなわないから」
と相手へのフォローも忘れないのが賢いコミュニケーション法である。

体力が劣ったり足が遅い子の親も、一生懸命に応援し、盛大な拍手でゴールに導く。

そして、どんな着順であったとしても
「よく最後まで走った」
とか、
「頑張ってゴールして偉かった」
などと言って褒めたものだ。

子どもが転んで怪我をしても、騎馬戦とか棒倒しなどを危険とも野蛮とも言わず、
「いけぇええー」
と声を枯らして応援していたものである。

ところが今は親が危険だと勝手に判断したものはさせない、競わせない、争わせない。

いつから日本の運動会はおかしな雰囲気になってしまったのだろうか。

競う場所を間違えた風潮はいつまで続き、そんな中で育った子供はどのような大人になり、日本の将来はどうなってしまうのだろうか。

中近両用メガネ

何とも面倒なことになってしまった。

あれほどの視力を誇っていたのに加齢とともに衰え、とうとう2009年末にメガネを購入。

その当時はテレビを見るためだけに入手したようなものだった。

相変わらず遠くを見るのには困っていないので、散歩、買い物などで外出する際はメガネをする必要はないし、極端に視力は悪化していないものと思われる。

しかし、最近になって肝心かなめの距離、パソコン画面を見るのに支障を来たし始めた。

裸眼では少し画面がにじんで見えるように思って顔を近づけたりするのだが、今度は老眼が仇となり、近づきすぎると焦点が合わないというジレンマにおちいる。

メガネをすると少しマシに見えるのだが、それは素の状態ではなく無意識のうちにピントを合わせているらしく、一定時間以上も画面を見続けると目が疲れて仕方がない。

コンピュータ業界に身を置くものとして視力の衰えと眼精疲労は大敵だ。

そこで少し前からパソコン用のメガネを購入すべきか考えていたのだが、ちょうど買い物に出かける予定だった昨日の朝の新聞にメガネ屋さんの折り込みチラシが入っており、そこには 『パソコン、携帯電話の操作に最適な中近両用メガネ』 の一文が。

絶好のタイミングでもあることだし、試しに見せてもらい、視界が広がるようであれば購入しようと店に行ってみた。

まずは以前にも受けた検査で遠くを見る視力を検査。

とりあえず視力の衰えは平行線をたどっているようで、以前より悪くなってはいない。

眼球に光を照射されたりした後、近くの物体を見ながらの検査をし、数あるレンズの中から複数枚を組み合わせてメガネ状の器具にセットして渡される。

それをかけてパソコン画面と同じような距離のものを見てみると、なるほど良く見えるのではあるが、所有しているメガネ越しに見るのと大差ないような気もしないではない。

店員さんにそれを伝えると、
「目がピントを合わせようとしなくても見えると思いますから疲れませんよ」
という説明。

自分のメガネとメガネ状の器具とを付けたり外したりしながら見比べると、確かに言われたとおりであり、中近両用メガネの方は何の抵抗も努力もすることなく綺麗な映像を見ることができる。

おまけにレンズの下部分を通して見ると、近くのものまでハッキリ見え、わざわざメガネを外さなくても手元が見やすい。

つまりそれは、手元の資料を見ながらそのままパソコン画面を見られるということであり、仕事の効率化を図る上で大きな役割を示すものだと思われる。

そうなると一切の迷いは消え、購入へのアクセルはベタ踏み状態だ。

ただし、老眼も目の調節機能の衰えもまだ進行中であるとのことで、割と早い段階で再びレンズを変えなければならないと予想されるため、今回は最低限の機能で安価に済ませるべきだと判断した。

フレームを選ぶ段になってチラシに掲載されているものはデザイン的にイマイチであることに気づいたが、そのメガネをして外出することもないだろうし、仕事をするときだけ使うものなのでデザイン性より実用性を重視することに決定。

軽くて長時間していても苦にならず、レンズ部分が小さいものよりも、遠・中・近のそれぞれが、ある程度の面積を確保できるように少しレンズが大きめのものをセール対象品の中から選んだ。

できあがりは一週間後なのでまだ手にはしていないが、一日の仕事終りに目の疲れがどの程度軽減されるのか、今から少し楽しみにしたりしているところである。

最近の若い者は 3

最近の若い者は ~目次~

オジサンの若かりし頃、子供の頃は
「男児たるもの人前で涙など見せるものではない」
という戦後色濃厚な香りを引きずりつつ親や教師から言い聞かされたものである。

泣くことが許されるのは親きょうだいが亡くなったときくらいなもので、それ以外の場面で涙など見せようものなら同級生からすら笑い者にされてしまうような時代だった。

しかし、最近の男の子は事あるごとにすぐ泣くらしい。

感動的な映画など観て涙する程度であれば、なかなか感受性が豊かでよろしいと思わなくもないが、泣く理由はオジサンからすると到底許容しがたい内容だ。

男と女の間には別れがつきものであるが、昔のドラマや映画、実社会においても別れ際に泣くのは決まって女性であり、それが絵になるからこそ多くの名シーンが誕生したのであって、テレビでも映画でも小説でも時には悲しく、時には美しく、時には狂おしく描かれてきた。

ところが最近では別れ話を持ち出されて泣き出す男が多いのだそうだ。

相手が去っていく後ろ姿を横目にヨヨと泣く、時には追いすがり、すがりつき、足げにされて倒れこみ、涙でにじんで見える彼女の姿を目で追い続ける男・・・。

貫一お宮の立場が入れ替わったようなシーンを見せられては感動も何もあったものではないと思うのだが、今後はそういう物語が主流となって芝居や映画などで人々を感動の渦に巻き込んだりするのだろうか。

別れはそれなりに悲しいことであるので百歩譲って男が泣くことを許したとしよう。

しかし、聞いた話では彼女と喧嘩して泣く男もいるらしい。

もちろん、自分が悪いのであれば謝罪し、許しを乞うことは男女に関係なく必要なことだとは思うが、何も泣くことはあるまい。

たかが男と女の、他人から見れば小さな諍いで始まった喧嘩において、涙ながらに謝罪するほど深刻なことがどこにあろうか。

これは最近読んだ本に書いてあったことの受け売りだが、最近の男の子は会社の上司に叱られた程度でも泣くらしい。

理不尽なことを言われて陰で悔し涙を流すというのなら分からないでもないが、叱られている最中に上司の目の前、周りに社員がいる中でシクシク泣くのだそうだ。

男女雇用機会均等法が徹底され、男女格差がなくなりつつある今、こんなことを言うと叱られそうだが、昔は上司に叱られて泣くのは女性であり、涙を見せられた上司は少したじろいで
「涙は女の武器だ」
とか言ったものであるし、周りの男性社員は
「いいよなぁ~女は。泣けば許してもらえるんだから」
などと嫌味を言ったりしていたものであるが、そんなことも今は昔。

叱っている最中に泣き出す男性社員を相手にした上司は、さぞかし度肝を抜かれることだろうが、それが現実であり、それが今の時代なのだろう。

最近になって少し涙腺がユルユルになりはじめ、映画を観て感動したり、探査機 『はやぶさ』くんの帰還に胸が熱くなって泣きそうになったりもするが、やはり涙を流すのはためらわれる。

人目もはばからず泣く男などと一緒に仕事もしたくないし、部下に持ちたくもないし、そもそもそんなバカは相手にもしたくない。

そんな時代、会社勤めをせずに一人で仕事をしていて本当に良かったと、オジサンは少し安堵したりしているところである。

自分解体新書 - 5 -

自分解体新書 ~目次~

■ 鼻毛

北海道のような空気のきれいな土地に住み始めたのと時期を同じくしてタバコをやめたのが原因なのか、鼻毛が伸びなくなったように思う。

もちろん毛根などは生きているので少しずつは伸びるのだが、大阪で暮らし、タバコを吸っている頃より明らかに伸びるのが遅くなった。

鼻毛という奴は、寝ている間に伸びるものなのか、それともクシャミをするとボッと一気に伸びるものなのか、とにかく気を付けていても知らぬ間に伸びて鼻の穴からチロッと姿を現したりし、人様にぶざまな姿をさらしたのではないかとドキドキさせてくれたりするものである。

その生育の遅くなった鼻毛にも白い毛が混じり、老化をつくづくと思い知らされたりする訳だが、もしかすると白い鼻毛が知らぬ間に伸びて、鼻の穴からチロッと姿をのぞかせても目立たず、人に見つからないのではないかと期待しないでもない。

■ つむじ

つむじが二つあると、つむじ曲がり、放浪癖がある、浮気性、意地悪、やんちゃ、気性が荒い、気難しい、関西圏では、わるさでゴンタでイチビリなどと、散々な言われようでるが、自分の場合は何とつむじが三つもあったりする。

頭頂部に二つ、デコとの境目ギリギリに一つ。

つむじが二つでさえ、ろくな事は言われないのに三つもあるとなれば超つむじ曲がり、大泥棒、超浮気性でハーレム状態となりそうなものだが、実のところは大泥棒にもなれなければ、一夫一婦制を堅持する小心者だ。

つむじ曲がりだったり気性が荒かったりするかもしれないが、普通の人と大差ない程度であって、それがもとで大きな混乱を招いたことも身を滅ぼしたこともない。

広く言われていることが、どれくらい当たっているのか統計学的、行動学的に調べていただきたいものである。

■ ヒゲ

今さら変化があるはずもなく、相変わらずヒゲは濃くならずにポヨポヨと生える程度だ。

鼻の下も薄く、口の横にいくにしたがって少し濃く、そこで途切れてアゴに生えているだけで、泥棒ヒゲのように口の周りを一周しない。

頬にも生えないのでモミアゲとつながらず、イチローのようにも FRBバーナンキ議長のようにもなれなかったりする。

毎日剃るほどは伸びてくれないので、2-3日に一度の割で 5分ほど口の周りとアゴをジョリジョリすれば終わりだ。

楽なことこの上ないが、ヒゲをファッションとして楽しむことができない。

松本人志のように、ちょっと無精ヒゲに見えるような雑な感じのヒゲ面になってみたい気もするが、それは夢のまた夢、絶対にかなわぬことだったりするのである。

マサルノコト scene 29

マサルノコト目次

若い頃はとにかく酒を呑んだ。

以前から何度も書いている通り、子供の頃から真面目一本だったマサルは大人になってからもタバコやバクチには無縁だったが、酒だけはよく呑んだ。

自分もそうだが酒に飲まれることはなく、かなり量が進んでも乱れず言語明瞭で、人からは飲み方が足りないと言われることもしばしばであり、滅多なことでは記憶をなくしたりしないタイプなのはマサルも同じだった。

マサルが遊びにきても、帰省して田舎で会っても常に酒を酌み交わし、朝方まで盛り上がったものである。

自分の住む町にマサルが遊びに来た際、家族のように接してもらっていた行きつけの焼き鳥屋で一升ずつ日本酒を呑んだこともあった。

夫婦で切り盛りしている店の一角にある小上がりは、普段は使用されずに夫婦の荷物置場になっているのだが、落ち着いて呑みたいと座敷に上がりこんで料理に舌鼓を打ちながら酒を流し込む。

ひとしきり話をして会話が途切れたところでふと見ると、将棋盤と駒のセットがあった。

マサルも自分も将棋の駒の動かし方くらいは知っているが、そんなに詳しい訳でも本将棋が好きな訳でもなく、おまけに乱れないとは言え酒に酔った状態でまともに指せるはずもないので、子供の頃を懐かしんで将棋崩しなどをやりはじめた。

知っての通り、将棋崩しというのは盤の中央に駒を積み、音を立てずに端まで移動させた駒を自分のものとして、どちらがたくさん取れるのかを競うものだ。

二人とも酔っているので細かな作業をするのが難しく、おまけに酒で三半規管がマヒしかかっているので少しくらいの音がしても聞こえやしない。

まともな勝負などできる状態ではないが、これも酔った勢いなのか、互いにブツブツと文句を言いながら何度も何度も勝負を続け、時間の経過と共に酒も進むので、どんどん判定があいまいになってくるという訳の分からないことになった。

そして、気づけば空になった一升びんが二本、畳の上に転がっていたという訳である。

それが若さのピークであり、それからは体力も下り坂を転げ落ちるように減退してしまったので、朝まで呑み続けるパワーもなく、酔いが回るのも早くなり、酒の量は増えるどころか減っていくという誠に経済的な体になった。

マサルと最後に酒を呑んだのは、もう10年以上も前のことだろうか。

いや、もしかすると15年以上前になるかもしれない。

ここ数年間は電話ですらまともに話しをしていないが、この歳になって酒を酌み交わしたらどうなってしまうのだろう。

もしかすると、小一時間もすれば料理で腹が満たされ、日本酒でも飲もうものならすぐにベロベロになってしまい、ろくに会話が成立しないかも知れない。

依存症

禁煙して 1000日を越えた。

タバコを止める気などさらさらなく、10年以上前の雑感にも書いているように人類最後の喫煙者になるつもりでいたのだが、2008年の7月に前言を撤回し、禁煙を開始してみると自分でも驚くくらいピタリと止められたのである。

もちろん、少なからずニコチンに依存していたので多少の辛さはあった。

一人で禁煙を始めたら挫折していたかも知れない。

極端にイライラすることもなかったが、何十年も習慣になっていたことは簡単に止められるはずもなく、食事の後、風呂上り、起床時、そして仕事が一段落した瞬間には無性にタバコが吸いたくなったものだ。

この家に越してきてから換気扇の下で吸っており、タバコも灰皿もその場所に置いたままにしていたので、ついフラフラと近寄って行っては自分が禁煙中だったことをハタと思い出す。

もう吸ってしまおうかと挫折しかかったのは数える程度で、だいたいはスゴスゴと席に戻り、ポコポコとキーボード打っていた。

止めようと思ったのは大病を患ったことが発覚した 『お買い物日記』 担当者の禁煙で、それなりに大きなインパクトのあるできごとがきっかけとなっていたし、それからの入院生活、それに合わせて宿泊施設での寝泊りと、朝から晩まで病院内で過ごすという非日常的な生活が禁煙の辛さを忘れさせてくれたのが成功の要因かもしれない。

去年の10月から税が大幅にアップし、2倍近い価格にタバコが値上がりした際、多くの人が禁煙に挑戦したが、今でも続いているのは 2割以下だという。

そろそろ再出荷となるが、震災の影響で一カ月近くタバコの供給がストップしていたので再び禁煙に挑戦した人もいるだろうが、果たしてどれくらいが成功に至るだろうか。

禁煙は、それほど難しいものであるのに一度で成功することができたのだから、その幸運を素直に喜ぶべきだろう。

そして、タバコ程度のものですら止めるのが難しいのだから、性欲、食欲と同様に本能の一部になってしまう麻薬への依存を断ち切るのは並大抵のことではない。

とにかく、腹がへったとか、眠いとかと同等のレベルでクスリが欲しくなり、食べなければ、眠らなくては生きられないのと同じようにクスリなしでは生きられなくなってしまうらしく、逮捕されても何度でも再犯を繰り返してしまう。

よく言われるように、二度と止められなくなるくらいなら最初から手を出さないのが吉であり、覚せい剤にまでエスカレートしないよう、大麻やマリファナ、非合法のドラッグにも手を出さないということが本当に重要だ。

アルコール依存症というのもあるが、自分の場合は依存率は高くないものと思われる。

酒の力を借りるのは、何日も眠れなかったり高ぶった神経を落ち着かせるくらいなもので、何かの行動をおこすために酒の力を借りることはない。

また、連休とあらば 7日間でも 10日間でも晩酌するが、平日に酒を呑むことは滅多にない。

もしも何らかの病気で医者から酒を止められたら明日からでも苦労せずに止められるだろう。

自分は男であるし、『お買い物日記』 担当者も大きな興味はないようだが、女性の中には完全に化粧に依存している人がいる。

もっと綺麗に、もっと美しく、もっと美白に、もっとシミを目立たなく、もっとシワを目立たなく・・・と、どんどん厚塗りになっていく。

中には原型をとどめない特殊メイクでも施したのではないかと思える人もいる。

それが一定の年齢以上であれば理解できなくもないし、化粧もせずに外出するなどもってのほかと言いたくなる人もいるのは確かだが、中学生や高校生であれば話は違う。

ところが芸能人の影響なのだろうが、今はどこからどう見ても子供顔なのに目の周りを真っ黒にして真っ赤な唇をした女の子が多い。

若い頃はそれだけで十分であり、隠すべきシワもシミもないのにベタベタと化粧をしなければ人前に出られないなどというのは、自己による歪んだ美意識に他ならないだろう。

それぞれ美意識が異なるため一概には言えないが、若い子の化粧は自己の欲求を満たすためだけだと思われるので、どんどんエスカレートする前に依存症から脱却し、一定の年齢になるまで厚塗りは控えたほうがよろしいのではないかとオジサンは思ったりしている。

記憶 Memory-06

過去の記憶

小さいころの記憶として、何度かの祭りの記憶が残っている。

生まれ育った町は当時活気に溢れていた。

日本海側とオホーツク海側、双方からほぼ中央に位置し、周りを山に囲まれていたので林業も盛んで、近くには小さいながらも炭鉱があり、酪農も盛んで乳製品を製造する雪印の工場などもあったため、水産物、材木、石炭、乳製品を輸送するための鉄道網が発達し、近郊の町から町へと集配する要となっていた。

そのため人口は増加の一途をたどり、子どもの数も少子高齢化の現在では信じられないほど多く、一学年 7クラスで 1クラスは 50人以上という状態だ。

町全体にエネルギーが満ちているので祭りも賑やかで、夏祭りのほかに、さっぽろ雪まつりを模して雪像を何基も作成した冬祭りも開催されていた。

その規模はなかなかなもので、一日では回りきれないほど出店や屋台が並び、路上は人で溢れ、迷子のアナウンスが引っ切りなしに流れるほど人で賑わったものである。

街の活気も祭りの規模も大きかった幼き日、神輿の後に獅子舞が連なって進むのを沿道で見ていると、同じような年頃の子供達が獅子舞に頭をカプッとかじられ、鬼のような形相で泣きわめいていた。

父親にか母親にか忘れてしまったが、「獅子舞にかじってもらうと頭が良くなるんだよ」 と教えられたので獅子舞が近づくのをドキドキしながら待っていた。

確かにちょっと怖かったが、頭を食べられてしまう訳でもなく、カプッとされた子どもの頭から血が流れ出ている訳でもないので一大事には至らないと子どもながらに判断していたように思う。

獅子舞が通り過ぎた後は、多くの子どもが泣き叫ぶ地獄絵図のようになっていたが、自分は早くカプッとしてもらいたくてニコニコしながら待っていたのではなかろうか。

いよいよ目の前に獅子の顔が迫ってきたときも、怖がるどころか真正面から凝視していたため、パカッと開いた口の中にオッサンの顔があるのがハッキリ見えた。

それまでニコニコして待っていたものの、獅子の中にオッサンの頭部があるのを見たとたん、どこかの誰かが頭を食いちぎられ、獅子が丸飲みしたものが見えたのだと思って気絶しそうになったのを覚えている。

獅子が去ったあとに 「これで賢くなるね」 などと親に話しかけられたが気もそぞろ、目には獅子の腹の中にあったオッサンの生首が焼き付いている。

それからしばらくは放心状態のままヨタヨタと親の後を歩き、さきほど見たおぞましい光景を親に伝えようとしたところで恐怖心がよみがえり、その時になってやっと涙がでてきた。

親としても獅子は架空の生き物で中に人が入って動いているとは説明しにくかったのか、オッサンの顔があったことを涙ながらに必死に訴えかけても 「気のせいだ」 の一点張りで、なにも認めようとしない。

それからしばらくの間、獅子の腹の中で不気味にニヤリと笑うオッサンの顔が頭から離れず、トラウマとなってしまったのは言うまでもない。

もう一つの祭りの思い出として、互い違いになった傾斜をカプセル入りの薬を大きくしたような物体がカタカタと下っていく、どうということもない玩具に目が釘付けになり、ずっと立ち止まって見ていた記憶だ。

幼少の頃からあれがほしい、これがほしいと駄々をこねることがなかったと聞いているが、その時も父親から 「ほしいのか?」 と聞かれるまで見入っていたという。

「どうせすぐに飽きるんだから」 と言われて諦め、大人しく先に進むのだが出店では同じようなものがアチラコチラで売られているので、その玩具を目にするたびに足を止めてジーッと見つめる。

そんなにほしいのならと、買ってもらったその玩具は完成品が売られているものではなく、その物体が転がり落ちる傾斜した台を組み立てなければならなかった。

帰宅してすぐ両親は食事の支度やら何やらを始めてしまったので組み立ては後回しになったらしいのだが、いざ食事の準備が整ってふと見ると、幼い自分がカタカタと物体が転がるのを見てニコニコしているので腰を抜かさんばかりに驚いたという話しだ。

母親は不器用なので組み立ててやるはずがなく、父親も一切手を触れていないと言う。

残る可能性はまだ幼稚園にも行っていない子どもが一人で組み立てて勝手に遊んでいるという信じがたい状況だが、両親ともに手を貸していないので、それが事実なのであろう。

説明書など読めるはずもないので、祭り会場で凝視し、記憶した完成形を基に手探り状態で組み立てたに違いない。

その記憶はハッキリ残っているし、母親は今でも何かの折にその話を持ち出すので母子ともに強いインパクトを持って覚えているのだろうと思う。