記憶 Memory-06

過去の記憶

小さいころの記憶として、何度かの祭りの記憶が残っている。

生まれ育った町は当時活気に溢れていた。

日本海側とオホーツク海側、双方からほぼ中央に位置し、周りを山に囲まれていたので林業も盛んで、近くには小さいながらも炭鉱があり、酪農も盛んで乳製品を製造する雪印の工場などもあったため、水産物、材木、石炭、乳製品を輸送するための鉄道網が発達し、近郊の町から町へと集配する要となっていた。

そのため人口は増加の一途をたどり、子どもの数も少子高齢化の現在では信じられないほど多く、一学年 7クラスで 1クラスは 50人以上という状態だ。

町全体にエネルギーが満ちているので祭りも賑やかで、夏祭りのほかに、さっぽろ雪まつりを模して雪像を何基も作成した冬祭りも開催されていた。

その規模はなかなかなもので、一日では回りきれないほど出店や屋台が並び、路上は人で溢れ、迷子のアナウンスが引っ切りなしに流れるほど人で賑わったものである。

街の活気も祭りの規模も大きかった幼き日、神輿の後に獅子舞が連なって進むのを沿道で見ていると、同じような年頃の子供達が獅子舞に頭をカプッとかじられ、鬼のような形相で泣きわめいていた。

父親にか母親にか忘れてしまったが、「獅子舞にかじってもらうと頭が良くなるんだよ」 と教えられたので獅子舞が近づくのをドキドキしながら待っていた。

確かにちょっと怖かったが、頭を食べられてしまう訳でもなく、カプッとされた子どもの頭から血が流れ出ている訳でもないので一大事には至らないと子どもながらに判断していたように思う。

獅子舞が通り過ぎた後は、多くの子どもが泣き叫ぶ地獄絵図のようになっていたが、自分は早くカプッとしてもらいたくてニコニコしながら待っていたのではなかろうか。

いよいよ目の前に獅子の顔が迫ってきたときも、怖がるどころか真正面から凝視していたため、パカッと開いた口の中にオッサンの顔があるのがハッキリ見えた。

それまでニコニコして待っていたものの、獅子の中にオッサンの頭部があるのを見たとたん、どこかの誰かが頭を食いちぎられ、獅子が丸飲みしたものが見えたのだと思って気絶しそうになったのを覚えている。

獅子が去ったあとに 「これで賢くなるね」 などと親に話しかけられたが気もそぞろ、目には獅子の腹の中にあったオッサンの生首が焼き付いている。

それからしばらくは放心状態のままヨタヨタと親の後を歩き、さきほど見たおぞましい光景を親に伝えようとしたところで恐怖心がよみがえり、その時になってやっと涙がでてきた。

親としても獅子は架空の生き物で中に人が入って動いているとは説明しにくかったのか、オッサンの顔があったことを涙ながらに必死に訴えかけても 「気のせいだ」 の一点張りで、なにも認めようとしない。

それからしばらくの間、獅子の腹の中で不気味にニヤリと笑うオッサンの顔が頭から離れず、トラウマとなってしまったのは言うまでもない。

もう一つの祭りの思い出として、互い違いになった傾斜をカプセル入りの薬を大きくしたような物体がカタカタと下っていく、どうということもない玩具に目が釘付けになり、ずっと立ち止まって見ていた記憶だ。

幼少の頃からあれがほしい、これがほしいと駄々をこねることがなかったと聞いているが、その時も父親から 「ほしいのか?」 と聞かれるまで見入っていたという。

「どうせすぐに飽きるんだから」 と言われて諦め、大人しく先に進むのだが出店では同じようなものがアチラコチラで売られているので、その玩具を目にするたびに足を止めてジーッと見つめる。

そんなにほしいのならと、買ってもらったその玩具は完成品が売られているものではなく、その物体が転がり落ちる傾斜した台を組み立てなければならなかった。

帰宅してすぐ両親は食事の支度やら何やらを始めてしまったので組み立ては後回しになったらしいのだが、いざ食事の準備が整ってふと見ると、幼い自分がカタカタと物体が転がるのを見てニコニコしているので腰を抜かさんばかりに驚いたという話しだ。

母親は不器用なので組み立ててやるはずがなく、父親も一切手を触れていないと言う。

残る可能性はまだ幼稚園にも行っていない子どもが一人で組み立てて勝手に遊んでいるという信じがたい状況だが、両親ともに手を貸していないので、それが事実なのであろう。

説明書など読めるはずもないので、祭り会場で凝視し、記憶した完成形を基に手探り状態で組み立てたに違いない。

その記憶はハッキリ残っているし、母親は今でも何かの折にその話を持ち出すので母子ともに強いインパクトを持って覚えているのだろうと思う。