大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

デジタル化の波 Signal-2デジタル化の波 Signal-2

デジタル化の波 ~目次~

デジタル化の波は想像以上の大きさで、想像以上の速度で全世界を飲み込もうとしており、もはや人類はその勢力から逃れることなど不可能になってしまった。

電話の音声信号は携帯にとどまらず、固定電話もすでにデジタル化されており、気づかぬうちに必要のない周波数が削れられた状態の声を聞いたり送ったりしている。

来年の 7月にはテレビもアナログ放送が終了してデジタル化される。

今は地方によって放送内容が異なるテレビ番組もデジタル化によってネットの回線に乗せられる訳だから、大阪ローカルの番組を北海道で観たり、その逆だって理論上は可能な訳である。

それを実現するには高性能なサーバーと太い回線が必要になるなど、それなりの投資が必要になってしまうので予算の少ない地方局には難しいかも知れないが、基地局、中継局を建設するよりは遥かに低コストであるため、いずれはそういう時代となって北海道でもサンテレビが見られる日が来るかも知れない。

ラジオも少しずつデジタル化が進んでおり、ネットラジオの中継も少しずつ進んでいるので北海道でも地方局の放送が聞ける日が来るかも知れない。

以前の独り言に書いたように FM802が聴きたいのだが、現在試験運用されているネットラジオは地域限定でしかないし、実用化に至ったとしても北海道では聴けない可能性が高い。

全国配信するのに何の障害があるのか分からないが、技術的に難しいことではないので是非とも全国から聴けるようにしていただきたいと切に願っている。

テレビにしてもラジオにしても、地方価格で CMを流せば全国で視聴されるのでスポンサーは喜ぶだろうし、公共の電波に乗ることに変わりはないのだからタレントの出演料、音楽や映像の著作権料だって変わらないと思われるので、全国配信に大きな障害あるとは思えないのだが。

そうなれば実質上の縄張りがなくなり、北海道のテレビ局やラジオ局は東京や大阪の番組を相手に視聴率で戦わなければならないのだから辛くなりはするだろう。

しかし、そこで特色を出して生き残りを図ればこそ、今の漫然とした体質から脱却できるのではないだろうか。

今はどのチャンネルを見ても同じようなタレントを起用した同じような番組ばかりなので、見ていてつまらないどころか腹立たしさすら覚えてしまうので、すっかりテレビ離れが進んでしまった。

厳しい戦いを生き残るには強烈な個性だったり専門性を引き出す必要に迫られるため、CS放送のように朝から晩までニュースを放送しているチャンネルとか、映画ばっかり流しているチャンネル、スポーツ、料理、経済に特化したチャンネル、朝から晩まで通販しているチャンネルなど現れるかもしれない。

そうなればますます地方局が不利になりそうだが、北海道であれば日本ハムファイターズの試合や選手の情報しか放送しない番組を全国に向けて放送するとか、北海道の食材を使った料理番組を流すとかの方法もあるだろうし、北海道の品を通販する番組を朝から晩まで放送したって良いだろう。

豊北は東北で関東は関東なりの、関西は関西、九州は九州なりの料理番組だって通販番組だって可能だろう。

第一、日本は縦長の国なので、東京を中心に春が旬の料理を紹介されても北海道じゃまだ鍋をつついている場合だってあるのである。

夏バテ防止の食材とか、暑いときに涼し気な料理とか言われても北海道は必要ないくらい涼しいのである。

また、地元で話題になっている楽曲だとかタレントなどもあることだろうから、それを全国に配信すれば良いだろう。

大阪に暮らしているとき、やはり北海道のことが気になって話題に飢えていたし、北海道に帰ってくれば大阪の今が気になる。

そんな時、その地方に特化したテレビやラジオが簡単に視聴できたらどんなに良いことだろうと思うのだが、そんな需要はないのだろうか。

デジタル化の波

真の意味での雑感 2真の意味での雑感 2

■ 毒入り餃子事件

日本は中国に遠慮して、中国は日本を小馬鹿にして、なんとなく幕引きかと思われていた事件が一気に進展したが、結果的には茶番でしかなく、中国当局のでっち上げでしかないのではないかとの疑いが濃厚な内容が発表され、中国製品に対する信頼を回復するどころか、やっぱり加工品は口にしたくないという負のイメージだけが残る結果となってしまったように思う。

むしろ中国産の生鮮食品であれば日本側で農薬の濃度とか安全性に関しての検査が行われているので少しは安心だが、加工されてパッケージングされたものに対しては警戒心を抱いてしまい、購入すらしたくないという人も多いだろう。

中国サイドで何があり、何を考えているのか分からないが、すべてのことを包み隠さず公表した方が今後のビジネスの発展に大きく寄与するものであろうと思われる。

■ 経済評論家

そもそも中国製品が大量になだれ込んで来るのも価格競争が激しく、安くなければ買ってもらえないという強迫観念が売り手側にあるからだろう。

現在の日本はデフレであり、冷え込んだ消費者心理がどうたらこうたらと経済評論家やテレビに出演しているコメンテーターは偉そうに語り、何とかして理論に当てはめようとするが、そもそも偉い学者さんが真剣に考えるほど消費者は複雑な思考パターンで行動しておらず、景気などと言うものは “気” という字がつくくらいで、何となくの雰囲気だったり気分的な問題なのである。

節約疲れから少しだけリッチな気分を味わいたくなるとか付加価値の高い物に対しては財布のひもも緩むとか言っているが、そんな面倒な話しでもなかろう。

スーパーで売っているウインナーソーセージやフランクフルトであれば、たとえ 10円でも 5円でも安いものを選んで買うだろうが、祭りの出店とかでは単にそれを焼いてマスタードやケチャップをつけただけなのに一本 300円でも買ってしまう。

スーパーで売っているイカは特売の日に目の色を変えて購入するのに、海の家とかでそれに醤油をつけて香ばしく焼き上げれば 500円でも買ってしまう。

消費者などと言うのはそんなものであり、小難しいことなど考えていないものである。

■ 民主党

割と寛容な目で政権交代を実現した民主党を見守っていたが、それもそろそろ限界近しだ。

ただし、目立ったマイナス点は郵政問題で国民新党の亀井静香氏の持論に押し切られた点と、沖縄米軍基地移転問題でフラフラしている点くらいなもので、それ以外の政策に関しては財源の不安こそあれど、それほどネガティブなイメージはない。

政治とカネの問題も取りざたされてるが、そんなものは自民党でも国民新党でも、つい最近になって発足したジジイ集団、たちあがれ日本だって同じことであり、それが決定的な負のイメージにはなっていない。

様々な改革や何やらと立派にやっていることも多いのに、マイナスに評価されるものに限って目立つ話題だったりするのは民主党の不運か。

それにしても、軸足が定まらずウロウロしている感が否めないは最大の問題であって、そんな危なっかしい船長の指差す先に日本丸という船に乗って進みたくないというのが今の心境だ。

この夏の参院選、このままだと民主党が単独過半数を確保するのは極めて困難だろう。

今のような状態が続けば、渡辺の喜美ちゃん率いる、みんなの党が大躍進して無視できない勢力となり、いずれも過半数を確保できない民主党と自民党から熱烈な、そして切羽詰った連立へのラブコールを送られることになるに違いない。


さて、頭を使うのも疲れたことだし、腰を落ち着けて酒を呑むことにするか。

低レベルな自慢話低レベルな自慢話

過去の雑感にも自慢話が好きではないことは書いたが、それでもまだ自身のことや実績を誇る程度であれば、部分的に感心したり尊敬できたりもするので多少はマシというものであったりすれど、最近は子供じみていてアホみたいな自慢が多いので開いた口がふさがらない・・・いや、逆に閉口してしまうことが多くて困る。

「知り合いに IT企業の社長がいる」 という奴。

「・・・はぁ!?・・・で!?・・・だから!?」 と色んなセリフは頭に浮かぶものの、それはすべて疑問符でしかなく、会話の続けようがない。

知り合いに IT企業の社長がいるのは分かったが、その社長がどうしたという話しでもなく、その会社がどうだという話しでもなく、
「知り合いに IT企業の社長がいるんですよ」
の続きを話さずに、そこで言葉を切って 「フフン」 とせせら笑う感じでこちらを見ている。

何と答えて良いものやら、頭の中には様々な大きさで色とりどりの ?マークがボヨンボヨンしているのだけなので口から出るのは
「はぁ・・・」
というため息にも似た声。

「知り合いが起業してIPOを実現した」 という奴。

その会社に出資していたとか、未公開株でも貰っていて上場益を得られたというなら
「先見の明がありますね~」
とか
「大金を手にされたんでしょうね~」
などとお世辞のひとつも言いようがあるが、話しはそこに及ばず、
「知り合いが作った会社が株式公開したんですよ」
の続きがある訳ではなく、そこで 「ムフフン」 とふんぞり返っている。

その本人の功績でもなければ何でもない話を聞かされて、どうリアクションしたら良いのか分からず、口から出るのは
「ほぉ・・・」
という差し障りのない無機質な返事。

その他にも
「どこそこの市議会議員は知り合い」
とか、
「なんかいう国会議員と食事をしたことがある」
など、そいつの耳を引っ張って引きずり回し、メガホンを持って
「だからどぉーしたぁああああ!」
と今まで出したことがないくらいの大声で叫んでやりたくなる内容ばかりだ。

小学生が
「ウルトラマンは強いんだぞ」
とか
「うちの母ちゃんは美人なんだぞ」
とか
「お姉ちゃんは東大生だぞ」
などと自分以外の自慢にもならない話しをしているのと大差ない。

精神年齢が低いまま外見だけ無残に老けこみ、自慢の “自” に何の意味があるのかも理解できず、なぜか他人の功績を披露して優越感にひたるという変わった人種が存在するのである。

人に妙な話しを聞かせるヒマがあれば、その素晴らしい友達と仲良くなるか利用するかして自分も何かすれば良いだろうし、コネクションを伝って政治家にでも華麗に転身すれば良いだろう。

とにかく、リアクションに困るような会話はやめていただきますよう、お願い申し上げますと心から言っておきたい。

かぶれのわけかぶれのわけ

03/23の独り言に書いたように、まぶたが赤く少し腫れていたので皮膚科に行って診てもらって来た訳だが、その原因はハッキリせず、未だに謎のままとなっている。

2月の初旬に別件で皮膚科に行ったときに症状は現れていたのだが、その時の医師には
「今回処方する薬を塗ってみてください。」
と言われたので指示に従って一週間ほど塗ってみたところ、腫れも赤みも痒みもひいて治ったように思われたため、塗るのを止めると翌日の朝には再発していた。

慌てて薬を塗って再び一週間、症状が治まったので止めると翌日には痒みが出始めて赤くなり、腫れも伴う状態になって皮膚がカサカサしてくる。

これは一度、完全に治さなければいけないのだろうと再び薬を塗り始め、症状が治まったかに思えた一週間後も塗るのを止めず、さらに一週間経過後も念のためにと継続し、計三週間に渡って塗り続け、ここまでやったのだからもう大丈夫だろうと塗るのをやめた。

ところが翌日、まぶたは赤くなり、腫れも痒みもカサカサも復活していた・・・。

これはいよいよ病院に行くしかないだろうと思われたが、それは土曜日だったので少し様子を見て連休が明ける火曜日になっても治まっていなかったら医者に診てもらうことにしたのである。

連休中、痒みに耐えながら何故こうなってしまったのか原因についてあれこれ考えてみた。

まずはメガネをしている時間が長くなってきたこと。

昨年末に購入したものの、一日に 1-2時間しか使うことのなかったメガネだが、どんどん視力が落ちてきているため使用頻度が高くなり、休日ともなるとビデオの消化をするための必需品となっていて、朝から晩まで一日に 10時間もかけていることが多くなった。

メガネが直接どうということはないのだが、過去に若干の金属アレルギー反応が出たことがあるのでフレームなどに使われているメタル素材に何らかの原因があるのではないかと疑えなくもないだろう。

次に目薬。

時を同じくして使い始めたのがドラッグストア独自ブランドである安物の目薬であり、こっちが主犯格なのではないかと嫌疑をかけてみたりしている。

思い当たるふしは多く、薬を塗るのを止めた夜には必ずと言って良いほど目薬を入れて就寝していることからも疑惑は濃厚なのではないだろうか。

そして火曜日、状況は改善することなく結局は病院に行くことになってしまった訳であるが、念のために使用しているメガネと目薬を持って出かけた。

もし原因がどちらでもなくアトピー性皮膚炎でも患ってしまったのであれば、これから一生の付き合いとなり辛い毎日を送らなければならないなどと余計なことまで頭に浮かぶ。

恐る恐る診察室に入り、いろいろと話した結果、予想される原因としてはやはり目薬である可能性が高いとのことだ。

点眼薬による皮膚の炎症は、それほど珍しいことではないらしい。

ただし、それは女性に多いらしく男のくせに目の周りを赤くして病院に来るのは稀なのだそうだ。

他にも女性の場合は化粧品が合わなかったり洗顔フォームが合わなかったりと、お肌に関するトラブルは多いと言う。

そして、目の周りの炎症のやっかいな点は、治ったと思ったら再び悪化するということを繰り返し、なかなか完治しないことらしく、どうりで何度も症状が現れるはずだと変に納得させられる。

とりあえず痒みを止める薬と炎症を抑える薬を混ぜたものを処方してもらうことになり、一週間して治らなかったら再び診察してもらうことになった。

それから 5日が経過したが、今のところは症状も治まり、腫れも赤みも痒みもなくなっている。

しかし、なかなか完治せずに症状が繰り返し現れるというから油断は禁物である。

とにかく 30日までは薬を塗るのを怠らず、せっせと目の周りをギトギト状態にしておこうと思う。

そして、薬を止めてからも目薬を使わずに様子を見てみようと思う。

それでメガネを長時間していても再発しなければ原因は目薬にあったと断定し、全速力で海まで走っていって
「バカヤロー!」
などと叫びながら目薬を捨ててやろうかと思っているが、まだ寒いのでそれは暖かくなってからの実行になるかもしれない。

真の意味での雑感真の意味での雑感

今週は疲れ果てて思考能力が限りなく 0に近い状態であるため、いつもであればネタがなくても何とか必死に絞り出せたりするものであるが、今日は必死になる気にすらならないとういう抜け殻状態であり、とりあえず頭に浮かんだことを断片的にでも書いていくことにしようと思う。

まずはトヨタ。

アメリカの自動車大手の年間売上台数を抜いて世界一になるかならないか、いよいよ頂点に立ったかという絶妙のタイミングで GMが破綻してしまい、勝手に坂道を転げ落ちていってしまったので労せず世界一の座についたかと思った矢先に大規模なリコール問題が勃発し、一転して窮地に立たされるという皮肉な結果になっている。

兵站線が伸び切っていたというのはトヨタ側の弁明でもあり、確かに販路や生産工場、生産台数が急速に拡大したことで人材の育成や品質管理、危機管理が追いつかずネガティブな情報が上に聞こえて来なくなった面はあるだろうが、そんなことは何年も前の奥田社長の時代から指摘されていたことで、今になって気づくようなことではなかろう。

それとも現社長である創業者一族、豊田家の章男ちゃんには悪い情報が伝わりにくくなっていたのかという疑問すら湧きあがり、そう言えばちょっと我(が)が強そうな顔つきなんじゃないかとか、アメリカ議会の公聴会の後で販売店向けの挨拶で流した涙の色や風貌が 2000年11月に勃発してショボショボ状態になった加藤の乱で目に涙をためた加藤紘一氏と類似する点が多いのではないかと悪いイメージばかりが浮かんでは消える。

奥田氏、張氏、渡辺氏と順調に業績を拡大し、リーマン・ショックによる販売車数激減の危機を創業家からの社長人事によって求心力を発揮してもらい、全社一丸となって乗り越えようと言うのが社長交代に対する表向きの説明だが、実は販売台数世界一が目前に迫っていたので創業家一族をトップに据え、花を持たせようとしたのではないかと疑っている。

いろいろなことはあるにせよ、トヨタは世界に名だたる日本企業であり、技術立国、環境立国日本の象徴的存在でもあった訳であるから、勝手に石につまずいて転んでもらっては困るのであり、まだまだ世界に通用している日本製品の品質神話が崩壊するようなまねをしてもらっては困るのである。

次にマグロ。

とりあえずはワシントン条約に加えられて禁漁、輸出入の禁止という最悪のシナリオは回避されたが、日本人が世界の水揚げ量の 80%に達するほどアホみたいにマグロを食べまくって絶滅が危惧されるまでになったのは問題であり、これから先もちょっとは考えなければいけないことだけは事実だ。

代理店が企画する旅行や日帰りバスツアーなどで、『マグロ食べ放題』 とか 『マグロ食い尽くし』 などという頭のおかしなネーミングはやめた方がよろしかろうと思われる。

限りある資源が 『食べ放題』 にできるはずもなく、ましてや 『食い尽くし』 て良いはずがないだろうから、今後は 『ありがたくマグロを頂く』 とか 『大間の皆さんにマグロを食べさせて頂く』 などとすべきだろう。

昔は高級品だったマグロが安く提供されるのは嬉しいことかも知れないし、輸入ルート、輸送ルートを確保して世界中から仕入れ、それを店先にならべてサービスするという努力をした企業は賞賛に値するのかも知れないが、日本近海で獲れる魚や養殖できる貝より安く売られているのはどう考えてもおかしい。

これから先、禁漁にはならなかったが漁獲量の割り当てが激減するだろうし、マグロの美味しさを知ってしまった中国やヨーロッパとの争奪戦が始まることを考慮すれば高騰することは避けられないことだろうが、それは決して理不尽なことではなく、単に適正な水準、昔のままの高級魚に戻るだけのことである。

・・・。

ネタがないため思いつくまま適当に書いてみたが、実はこういう方が雑感と呼ぶにふさわしい気がしないでもない。

記憶 Memory-03記憶 Memory-03

Memory 01 02

前回書いたように、病院ですらニコニコしている赤ちゃんだったのだが、とにかく風呂が嫌いだったようで、親はとても苦労したらしい。

頭や体を洗っている間はニコニコして遊んだりしているくせに、いざ湯船に入れようとすると火が着いたように泣き叫び、必死に足を縮めて湯につかることを拒否するのだという。

時は昭和、両親とも公務員をしていたのだが、その住まいである官舎には風呂がなく、当時はどこにでもあった銭湯に通っていた。

来るたびに耳をつんざくような大声で泣き叫ぶものだから、すっかり銭湯では有名人となっており、番台のおじさんに
「おっ、また来たな」
などと言われていたらしい。

つまり、生まれてすぐは病弱だったので病院の有名人、ギャーギャー泣き叫ぶので銭湯でも有名人、小学生になると粗暴なガキ大将となって有名人、中学時代は不良となって有名人と、自覚はないのだがずっと目立つ存在であったらしいのである。

それはさておき、なぜ、何ゆえに入浴を極度に嫌ったかという件についてであるが、それはまったくと言って良いほど記憶がない。

親に言わせると生まれた直後に入れられる産湯が看護師さんの手違いか何かによって異常に熱く、それがトラウマとなってしまったのではないかとのことだが、さすがにこの世に生を受けた直後の記憶は残っておらず、真相は闇の中だったりするのであるが、何事もなくトラウマになったりするはずもないので、案外その説は正しいのかも知れない。

また、へその緒が首だか体だかに巻き付いていたのが原因で、なかなか呼吸を開始せず鳴き声を上げることもできず、左半身が紫色になった状態で生まれたらしく、母親は可哀想な子を産んでしまったと思ったらしいのだが、そういう状態だったからこそ人よりも産湯が熱く感じたか、刺すように肌に沁みたりしてトラウマになった可能性もある。

その記憶を今でも引きずっているのかどうか定かではないが、実を言えば今でもそんなに風呂が好きではない。

先日行った湯治のように、実際に温泉に浸かれば気持ち良く過ごせるのは分かってはいるのだが、なかなか自分から進んで温泉に行こうとか、ゆっくり風呂に入ろうという気にならない。

さらに白状すれば、その温泉で 10年以上ぶりに湯船に入ったのである。

大阪で過ごした 13年間、そこで住んでいた借家にあるバスタブに一度も入ったことはない。

北海道に帰ってきて 2年、この家のバスタブにも一度も入っていない。

普段の生活で使うのはシャワーのみで、湯船にお湯をためたことがないのである。

そして、不潔にしている訳にもいかないのでシャワーは浴びるが、それですら渋々といった感じであり、相当な覚悟と気合をもって浴室に向かうのである。

これはきっと、生まれた直後に起こった 『何か』 が起因しているに違いない。

ご迷惑とご心配ご迷惑とご心配

名だたる大企業であるトヨタの経営者が大規模リコールで。

名だたる大企業である日本航空の経営者が事実上の経営破綻で。

大政治家である小沢氏が秘書の逮捕で。

大政治家である鳩山氏が故人献金疑惑で。

その他にも企業の不祥事、犯罪行為、食の安全を脅かすような問題。

そのすべての経営者、当事者が記者会見の場において判で捺したように
「みなさまに多大なご迷惑とご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」
などとぬかす。

まともな謝罪のしかたも知らないのであれば経営者や政治家などやってほしくないものである。

いくら前段に 『多大な』 を付けようと、『迷惑』 などという軽いものではないだろう。

迷惑とは相手に戸惑いを与えたり不快にさせる程度の意味であり、庭の水まきをしていて、そのしぶきが通行人にかかってしまったくらいの、水が乾けば何の支障もないくらい軽微な意味でしかなく、他人の生命に関わったり人生に関わったりするほど重大な過失を謝罪する場で使うに値しない言葉である。

また、それに続く 『ご心配』 とは何ぞや。

このセリフを聞かされる度に
「テメーのことなんか心配するかボケっ」
「従業員以外はお前の会社のことなんて心配してねーよ」
などと心の中で毒づいている。

そもそも、この
「ご迷惑とご心配・・・」
という謝罪は芸能人から始まったと記憶している。

人を死に至らしめる場に居た押尾氏とか覚せい剤に手を出した酒井氏も使っていたが、それが始まりでなく、誰が最初かは忘れてしまったが、もっと軽い場での謝罪だったはずだ。

本人が怪我をして仕事を休んでしまった後の復帰会見だったか、あるいは病気だったと思うのだが、その場で使われたセリフとしては的を得ている。

仕事を休んだことでスタッフや共演者、所属事務所などに 『ご迷惑をおかけし』、応援してくれるファンの皆様に 『ご心配をおかけしました』 ことを深く 『お詫び申し上げます』 という種のものだ。

これなら何の違和感を覚えることもなく
「ああそうだね、元気になって良かったね」
という気分にもなれると言うものだ。

ところが最近では冒頭に触れたように、どんな立場の人であろうと、どんなに重大な過失や案件であろうとみな同じセリフを使う。

直近の話題で、例えばトヨタの場合、『ご迷惑』 などという一言ではなく、一体何をやらかしてしまったのか明確にすべきであり、『ご心配をおかけ』 したのではなく、『不安をあたえ』 たり 『ご心痛をおかけ』 してしまったのだろう。

トヨタの記者会見、あいさつで同社の Webページに掲載されている最初の二行はユーザを軽視、小馬鹿にしたようなものだ。
http://www.toyota.co.jp/announcement/100205.html

本来であれば 『ご迷惑』 などという言葉は使わずに
「お客様の命に関わるほどの重大な欠陥を生み、さらには対応の遅れまでも引き起こし、迅速な処置をすることができず」
と、何に対して謝罪するのかを明確にし、『ご心配』 など誰もしていないのだから
「お客様に不安を与え、ご心痛をおかけしましたことを」
と、正確な日本語に改め、『お詫び』 などという軽いものではなく
「深く謝罪いたします」
と結ぶのが正しい謝り方なのではないかと思う。

どいつもこいつも顧客を軽くあしらっているのか、頭が悪いのか、そんな謝罪の仕方だと事態に対して真摯に取り組む気があるのか疑わしくすらなってくる。

経営者や政治家の周りには高学歴のものもいれば、賢者、老獪な人もいるのだろうから誰か一人くらい注意してやっても良さそうなものだと思うのだが。

超多忙につき超多忙につき

雑感を書くヒマがなかったので更新するのをやめようかと思ったりしたのではあるが、せっかく毎週の更新を休まずに続けていることであるし、ここで更新が途切れるのもいかがなものかと考え、やっぱり数行でも何か書いておくべきであろうという思いに至り、こうして適当なことを綴っていたなら何か面白い話題でも浮かぶのではないかと期待したものの、そんな甘い期待は淡くも消え去って楽しいネタなど思いつかぬまま、ただいたずらに文字数だけをかせいでいる状態であるのは誰の目から見ても明らかだったりするのであって、これ以上は時間の無駄だったりハードディスクの無駄遣いだったりするのであろうから、「いい加減にしろ!」 と叱られる前にやめておいた方が良さそうな気がしないでもない。

一過性のものかも知れないが、とにかく今は超多忙なのである。

犬たちのいる風景 2010年冬の2犬たちのいる風景 2010年冬の2

今年は例年になく雪の多い年なのだそうで、何度も除雪しなければならないことと、その雪の捨て場所の確保に困り、ずっと格闘が続いている。

しかし去年もそうだったように、今年の冬も雪が積もって楽しいことだってある。

家の前に積もった雪には去年と同様にお母さんと犬の足跡が残っている。

いつも必ずある足跡なので、それがないと心配になってしまうくらいだ。

実はその足跡を目で追うと、隣の家の敷地に入って行く跡と、そこから出てくる跡がある。

お買い物日記』 担当者が隣の奥さんに聞いてきた話しだと、その犬とお母さんは以前の雑感に書いた隣で飼われている狸顔の犬と友達なのだそうで、いつも立ち寄っては少し遊んで帰っていくのだそうである。

で、その狸顔の犬は独り言に書いたようにカラスが怖い。

悪いことに隣の家の角がごみステーションになっているため、ゴミの日となると何羽ものカラスがやって来て塀の上や電線にとまっている。

そうなったら狸顔の犬はもうダメで、「くぅ~ん、くぅ~ん」 と実に悲しげな声で奥さんを呼び、なんとかして家の中に入れてもらおうと必死になるのだ。

散歩帰りにいつも犬小屋を見るのだが、ちょうど同じ頃に散歩に出かけていることが多く、なかなか姿を見ることができない。

逆に奥さんが外にいてゴミ出しの準備をしていたり除雪をしていたりすると犬小屋にいるということになるので、朝の挨拶もそこそこにジッと小屋に視線を送ることが多くなってしまう。

隣の奥さんもそれに気づいているらしく、つい先日も朝の挨拶をした後に犬小屋を見ていたら 「今日は寒いから玄関に入れているの」 と先回りして言われてしまった。

玄関にマットを敷いてあげて、その下に使い捨てカイロを入れてやったところ、ことのほかそれが気に入ったようで、犬はその上でジッとしたまま動かないそうだ。

猫はコタツで丸くなっても犬は喜び庭駆け回るものである。

それがホカホカのマットの上で丸くなって動かないとは何という奴か。

そして、この近所で飼われている犬は血統書などない雑種でもみんな可愛がられて幸せそうだ。

近所にある薬屋さんで飼われていた犬も雑種ではあるもののとても可愛い犬だった。

家の裏の広い範囲が金網で囲まれ、その中で自由に動き回っている犬だった。

昼間は日当たりの良い庭につながれ、夏の日差しが眩しい日などは木陰て昼寝している優雅な暮らしぶりの犬だった。

あまり番犬としては役に立たないだろうが、一度も吠えられたことはなく、ほんの数回しか声を聞いたことがない犬だった。

どこかボーっとしていて横を車や人が通ろうが気にすることなく、いつも遠くを見ている犬だった。

餌を食べていると周りをカラスが取り囲み、すきを狙って横取りされるような間抜けな犬だった。

あまり機敏に動くほうではないのに朝の散歩で通りかかると体を斜めにして家の裏からこちらを見てくれる犬だった。

・・・。

この冬、その犬が姿を消した。

・・・。

例年になく寒い日が続いたので、最初は家の中に入れてもらっているのだと思っていた。

一週間が過ぎても二週間が過ぎても犬は姿を表さなかった。

そして犬が飼われていた場所に雪が積もり、二度と足跡がつくことはなかった。

・・・。

とても大好きな犬だっただけに、居なくなってしまったことはとても悲しいし寂しい。

しかし、愛情いっぱいに育てられたのだから、幸せで満足できる飼い犬生活だったことだろう。

生あるものには必ず死があるのだから現実として受け止めなければいけない。

そして、その他の犬たちには一日でも長く生きてもらって楽しませてくれることを願うとしよう。

犬たちのいる風景 2010年冬の1犬たちのいる風景 2010年冬の1

この町に住み始めて二年、ずいぶん顔なじみの犬が増えた。

ずっと続けている散歩で良く顔をあわせる犬もいれば、近所で飼われている犬もいる。

散歩帰りに会うのは独り言に何度か書いたポメラニアンだが、最初の夏は毛を短く切られ、生まれたての熊ようにも見える何だか犬種の分からない妙な奴だったのだが、今はフサフサの毛をなびかせて歩く立派なポメラニアンとなった。

片足を上げてマーキングした後に、そのまま逆立ちをして進むのは相変わらずで、もうすっかり見慣れた光景となっている。

小さな体で短い足を高速回転させて狭い通りから姿を表し、次の四つ角までたまに逆立ちしながらチョコマカと進み、少し立ち止まって引き返したかと思うと近くの草むらでプリッと糞をして、後ろ足で土を蹴ってあらぬ方向に飛ばして満足気な顔をしつつ帰ろうとする後ろで、お父さんはせっせと糞をひろってビニール袋に入れて持ち帰る。

その距離、たかだか 100メートルくらいなものだと思われるが、体が小さいので散歩の距離としては満足できるのかも知れない。

なかなかタイミングは合わないが、たまにポメラニアンの帰りとすれ違い、すぐ横を通る際には自分より 『お買い物日記』 担当者に興味があるようで、必ず寄ってきては顔を見上げてみたり、前足で触ってきたりするのが可愛らしい。

そのポメラニアンと別れた後、脇道を通って帰路に着くのだが、その細い道にある家のベランダの窓から、いつもヨークシャー・テリアが外を眺めている。

最初の頃はワンワンと吠えられたが、最近は見慣れたのかジーッとこちらを見ているだけだ。

この犬を可愛がっているのは家のご主人なのだが、たまに散歩帰りの姿を見かけると犬は自分で歩かず腕に抱かれて帰宅する。

トコトコ歩いている姿を見かけたこともあるので決して老犬で足腰が弱っているという訳ではなく、単に甘えているものと思われるのだが、飼い主は抱っこを要求されると半分は仕方なく、そして半分は喜んで抱いているのだろう。

以前の雑感にも書いた近所にある美容室の横で飼われている実にボーっとしており、いらぬ心配をさせられた犬は相変わらずボーっとはしているものの、とりあえずは元気そうだ。

以前は顔を見る度に 「ぼふ」 っと吠えられたが、今年になってからなぜだか吠えられなくなった。

いくら吠えて威嚇してもニコニコと手を振っていたので、「ダメだこりゃ」(©いかりや長介) と諦めたか呆れてしまったかしたのかも知れない。

家の人には相変わらず可愛がられており、雪が吹き込まないように犬小屋の前に塀を作ってもらったり、とても寒い日には中に毛布まで敷いてもらっている。

ところが朝の散歩の時に見ると入り口から毛布が蹴り出されていることもあったりするのだが、寝ていて暑く感じるのだろうか。

朝の散歩の第二コースにいる美形な犬も、少しボーっとしているが相変わらず元気そうだ。

ごく稀に会うゴールデンレトリバーや、まるで熊のようにモコモコで大きな犬も元気にしている。

ただ一匹の犬を除いては・・・続く。