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健康診断2011年1月 後編健康診断2011年1月 後編

先週からの続き ~

検査室に入ると左右の鼻に麻酔薬を噴霧され、
「ノドに流れるのは飲み込んでください」
と言われるままにゴックンと飲むと、その液体には強い刺激があったのでゲホゲホとむせ返ってしまい、それが口に逆流すると得も言われぬ味がしてひどく気持ちが悪く
「オエっ」
となっているところに情け容赦なく
「はい、もう一度」
と噴霧されるというSMのような光景。

そのまま数分間ほど放置されると、だんだんノドの感覚を失って唾液を飲み込むことすら困難になってくる。

たぶん飲み込めてはいるのだろうが、何せ感覚がないので自分のノドが動いていることも分からなければ唾液が通過した感覚もない。

そして、
「もう一度入れますね~」
と、さらに麻酔薬を噴霧されて再びゲホゲホむせる。

それから数分後、ついに検査医が登場し、胃カメラの先に滑りを良くするジェルを塗りながら
「口からのものより細い分、内部を撮影できる範囲が狭いので時間がかかります」
などとぬかす。

そんな話は聞いていないが、今さら
「こちとら気が短けーんだから口からにしてくんな」
などとも言えないので了承の返事をしようとしたところ、麻酔でノドが麻痺していて声帯までアホになているのか、『はい』と言うつもりが
「はひ」
と声が裏返ってしまう。

いよいよカメラの先が顔に近づき鼻の穴に挿入開始。

最初は簡単に進んだが鼻の奥からノドに差しかかるとき、麻酔が効いているのにもかかわらず痛みを感じるほどの違和感が続く。

あえて言うなら、鼻から水が入ってしまったときにツーンとする 16倍くらいの痛みだ。

そしてノドを通過する際にはやはり嘔吐感があり、
「オ゛エ゛ェェェ」
となってしまう。

看護師さんと検査医に
「ここが一番辛いところですからね~、がんばってくださいね~」
と励まされ、やっとの思いで危機を乗り越える。

確かにそこから先はスムーズで、カメラは一気に胃まで到達したようだ。

空気を送り込まれて胃が膨らんだりするのは前回と同じだが、ゲップのようにボコボコとノドを上がってこないのは管が細いおかげか。

検査医は手元の操作でカメラの位置とか角度を調整しているが、体内で何かが動く感覚というのは決して気持ちの良いものではない。

一通りの撮影が終わり、ズリズリと管を引きぬいて検査は終了。

最後にスポっと鼻の穴からカメラが出ると、ジェルなんだか鼻水なんだか分からないものがダラダラと流れ出るのでティッシュで必至に拭きとる。

医師の説明によると、ポリープの形状、色とも前回と大差なく、良性のまま癌化はしていないので大丈夫とのことで、腸との境目と食道の境目に炎症と突起がみられるものの、これは慢性胃炎であれば誰でもおこる現象なので心配はいらないと説明を受ける。

しかし、自覚症状などなかったので
「慢性胃炎なんですか?」
と聞いたところ、
「まあ、日本人の 90%くらいは無自覚の慢性胃炎ですから」
とのことなので少し安心する。

「経過は問題ありませんでしたけど、定期的に検査しましょう」
と言い渡されてしまったので、また来年も胃カメラ確定である。

健康診断をしている場所に戻り、最後は爺ちゃん医師による面談と触診だ。

血圧を測定すると上が 90の下が 72と低く、
「フラフラしないか?」
と訊かれてしまった。

実は以前から低血圧気味なのは指摘されており、たまにフラフラすることはあったが、その時は気にならなかったので
「大丈夫でふ」
と、まだ麻酔が効いて感覚のにぶいノドで答えておいた。

次に聴診器を当てての診断だが、胸の音を聴かれているときに脇腹がかゆくなり、コリコリっとかくと聴診器には大音響として聞こえるらしく、
「ちょっとかかないでいてね」
と言われてしまったが、背中の音を聴かれているときもかゆみを感じ、ボリボリとかくと
「腹をかかない!」
と叱られてしまった。

それで一通りの検査が終了し、着替えて帰るだけとなったが、相変わらずノドの感覚がなくて唾液を飲み込もうとするとゲホゲホむせてしまう。

仕方なしにトイレの洗面台に吐き出しすこと数回。

清算して病院を出ても感覚は戻らず、普段は絶対にしないことだが、帰宅するまでに何度か地面につばを吐いてしまった。

家に戻ってからも完全には感覚が戻らず、前日の午後9時から飲まず食わずでノドがカラカラに乾いているが水分補給できない。

それから 30分ほどして何とかスムーズに唾液も飲めるようになり、約15時間ぶりに水分補給。

・・・。

少しずつゆっくり飲んだコーヒーの味は格別なものがあった。

健康診断2011年1月

健康診断2011年1月 前編健康診断2011年1月 前編

2011年1月14日金曜日、数日前から北海道上空に居座る寒気の影響で底冷えするほど気温は低く、雲の流れも早くて太陽が見え隠れしており、ただでさえ楽しくはない場所に向かう足取りも重たい。

その日は年に一度の健康診断を受ける日。

本来であれば昨年末、2010年の11月に受診するつもりだったのだが、申し込みをするタイミングが遅かったことと、胃カメラの空きを待たねばならなかったので今年までずれ込んでしまった。

そう、気が重くなる最大の原因はこの胃カメラであり、前回は口からの挿入で地獄の苦しみを味わったので今回は鼻からの挿入を希望していたものの、恐怖がぬぐい去られた訳では決してなく、むしろ新たなことに挑まねばならぬ不安でいっぱいだ。

それでも鼻からの胃カメラは口からのものと比較してずいぶん楽であり、医師と一緒に映し出される画面を見ながら余裕で会話までできると聞いていたので 2009年の不安よりは少し軽い。

しかし、楽しい事ならいざしらず、嫌なことをされに行くことに変りはないので必然的に足は重くなってしまうのである。

採便した容器の提出と受付を済ませ、検尿用の紙コップを渡されてロッカールームに向かい、着替えながら考えていた。

今は紙コップが多く流通しているが、昔の検尿はどうやっていたのか、ビーカーのようなガラス製の器を使い回していたのか、そう言えば検便も現在はキット化されているが、昔はマッチ箱に入れて持参したと聞いたことがあるが、あれは本当の話なのだろうか。

トイレで採尿も済ませて待合室に行くと、順番待ちしている人の 80%くらいが女性だったので少し驚く。

その女性たちがグループ化しているので職場の人が団体で受診に来たのかも知れないなどと考えていたが、男性の中に白衣を着た人が何人かおり、会話を聴いているとこの病院の医師や看護師らしく、今日は院内の健康診断の日でもあるらしいことが分かった。

最初は胸のレントゲンだったが、それは機械に胸をつけるときにちょっと冷たかったくらいなもので何事もなくクリア。

次は問題の採血である。

この病院の、とくに 2階にある処置室の看護師さんたちとは相性が悪いらしく、血管注射をすると高い確率で腕が紫色になってズキズキ痛む。

ところが今回の人は普段は見かけない人だったので一階の人なのかも知れないが、針の挿入時にも強い痛みは感じず、終わってからも、そして今も腕の色は変わっていないので相性の善し悪しというのは本当にあるのだろう。

次に心電図だが、これも吸盤が異様に冷たかった程度で問題なし。

・・・ちなみに、ここでの 『クリア』 や 『問題なし』 は無事に終わったという程度であり、さらには主観であるため検査結果がどうだったかは約一カ月後にならなければ分からない。

次は身長、体重の測定だが、検査装置に乗ったときの姿勢が悪かったようで、看護師さんが
「あれ?縮んでますね」
と首をひねりながら
「アゴを引いてもう一度乗ってください」
と言うのでやり直してみたところ、
「ああ、やっぱり、去年と同じ身長ですね」
と納得していた。

次は視力検査だが、今回はメガネをして初の検査である。

2009年の検査で視力の悪化に愕然とし、それを機にメガネを買うことになったことを思い出しているところにガーゼを手渡され、それが何を意味するのか分からずボ~っとしていると、
「それで左目のレンズを押さえてください」
と指示された。

黒色のオタマみたいな物はメガネをしてない人が使うもので、メガネをしている人はガーゼでレンズを押さえて検査するということを初めて知った。

メガネを使い始めてから約一年、視力の衰えが進んでいるような気がしたが、1.0以上はあったようなので問題はなさそうだ。

次には腹囲測定と聴力検査。

腹囲はメタボにギリギリ状態で、これ以上は太らないようにと宣告されてしまった。

聴力に関しては電子音が聞こえるには聞こえたが、結果がどうなのか分からない。

そして、いよいよ胃カメラの番である。

健康診断を受ける場所に胃カメラの装置はないので院内を移動して検査を受けに行かなければならないが、前述したように看護師さんたちも検査を受けていたので近くにいた人に案内の人が
「あ、◯◯さん、この方をお願いね」
と引き渡され、検査着姿の看護師さんに連れられて場所を移動した。

途中、気を使ってくれて
「診断は毎年受けられているんですか?」
と話しかけてくれたが、これからのことを考えると気もそぞろで
「はぁ・・・」
などと覇気のない返事をしながらトボトボと歩く。

少しずつ、そして確実に検査室は近づいてくる。

逃げるなら今しかないが、同行している看護師さんはドーンとしていて体力では勝てそうにない。

そして、ついに検査室の扉が開き、いよいよ中へと足を踏み出す。



・・・が、長くなってきたので次回に続く。

健康診断2011年1月

将来像将来像

新年早々にグズグズと文句を言うのもどうかと思うが、やはり日本は衰退に向かっていると考えて間違いなさそうである。

2003年、JAS法の改訂によってその名前での販売が禁止されるまで 『銀ムツ』 という名で流通していた魚の 『メロ』 だが、今は国内流通量が減少し始めている。

もともとは輸入価格が安く、『ギンダラの』 の代用品、高級魚である 『クエ』 の偽装用として大量輸入されおり、日本とアメリカで漁獲高の 90%を消費していた魚の流通量が減ったのは、健康志向が高まったヨーロッパでの消費量が増えたことと、中国やインド、ブラジルが経済発展して豊かになり、人口の増加もあって各国の輸入量が爆発的に増えているからだ。

現在は、限られた食物、石油や天然ガスなどのエネルギーを各国が奪い合う資源争奪戦が展開されている状況だが、デフレ慣れして価格高騰を消費者が許さない日本は、高値で資源を落札することができず、他の国に買い負けている。

昨年からエビの 『ブラックタイガー』 の国内流通量も減ったが、理由は上述の 『メロ』 とまったく同じだ。

北海道で水揚げされた 『クロマグロ』 が史上最高価格で中国企業に落札されたのは今週のことで、輸入品どころか国内産のものまで海外に出ていってしまう。

日本では商売にならないからと、北海道の一部の漁協などは中国やロシアへの輸出量を大幅に増やしている。

アメリカやオーストラリアから脂身の多い安い牛肉を大量仕入れして牛丼チェーンで低価格販売している一方、日本国内のブランド牛は、その品質の高さや味の良さから海外での人気が高まり、どんどん外に出ていってしまっている。

国民は粗食に耐えながら高級なカカオ豆を輸出していたコートジボワールとか、同様に高価なコーヒー豆を輸出していたブラジルが国力を増し、大量輸入する割に食べ残して大量廃棄していた日本がだんだん国力を失い、粗食しか口に入れられない国民が高級食材を輸出するという立場の逆転がまさに起ころうとしている。

かつて、この世の春を謳歌した家電メーカーも世界では存在感を失い、韓国、中国メーカーに大きくシェアを奪われており、技術の流出にも歯止めがかからないのが現状だ。

VHSや DVD、ブルーレイディスクなど世界標準規格になる製品を開発し続けてこられたのも今は昔、これからは中国や韓国に主導権が移っていくだろう。

ブルーレイに続く次世代規格、テレビ信号の規格、電球のソケットの規格に始まり、今後は全世界で広く普及することが確実視されている電力制御に関する規格のスマートグリッドまで、すでに各国は世界標準規格づくりに向けて政治と官僚、産業界が一体となって邁進しているが、日本は政治がアホで主導権がなく、メーカーが多すぎて利害の調整がつかず国内ですら足並みが揃っていない。

まだ話し合いを始める日程を調整しているような有様では、すでに街そのものを作って実証実験を始めた中国などにかなうはずがないだろう。

今は世界トップレベルの自動車産業もインドや中国に追いつかれる日は遠くないかもしれず、上述した電力制御関連の技術や規格が他国の主導となった場合、今後は間違いなく普及する電気自動車の開発に大きな支障が出てしまうのも確実だ。

日本にはエネルギー資源がないと嘆いてばかりいるが、実は近海に天然ガス資源があるのに中国が先に手をつけて日本側の水域内であるにも関わらず採掘を始めようとしている。

メタンハイドレートも深海ではあるものの日本のすぐ近くに眠っており、それをガス化すれば 200年分にも相当する埋蔵量があるにも関わらず政府は何もしていない。

沖縄沖の水深約 1100mの海底に眠る黒鉱は世界に類を見ないほどの埋蔵量があり、レアアースと呼ばれる希少金属の含有量も高レベルだというのに政府は何もしていない。

ここは一発、増税してでも投資し、今は苦しくとも 10年後、20年後には再び国力を増し、世界から認められて尊敬されるような将来の国家ビジョンを描いていただけないだろうか。

リーダーシップを発揮し、日本を良い方向に引っ張て行ってくれるのであれば、それが共産党でも社民党でも構わない。

もし何の道しるべも示されないのであれば、日本が太平洋に沈んでしまう前に脱出したいと真剣に考えてたりしている今日この頃である。

2011年一発目の雑感2011年一発目の雑感

謹賀新年であって Happy New Yearだったり迎春だったりする訳であって、謹んで新年のお慶びを申し上げたりする次第である。

ちなみに年賀状には
『A Happy New Year』
と書く人が多かったり、サンプルやテンプレート集でもそうなっている場合があるが、正確には間違いであって 『A』 をつける必要がないことはベルリッツのサイトでも解説されているし、三省堂から出ている『日本人がよく間違える英語』という本でも間違いの例として挙げられていたりするので、心当たりのある人は来年から気をつけるが吉だ。

元日からこのサイトを見ている奇特な人は稀であろうが、とりあえず土曜日なので義務感から更新したりしている。

しかし、今日から三日間は何もせずに呑んだり喰ったり風呂入ったりするつもりなので、真剣にネタを考えて文章化するほどの精神力はなく、こうやって思いつくままにダラダラと書きなぐっているのだが、たまにはこんな感じでも良いのではないかと思う。

この雑感に書くことといえば、何かに対して怒っていたり文句を言っている場合が圧倒的に多く、正月早々そんなことをしている場合ではないのでダラダラするのが調度良い。

ちょっと思いを巡らせれば、菅直人がぐーたらしているので今年も日本の景気浮揚はないだろうとか、韓国とか中国、ドイツにロシアの躍進で日本はますます取り残されて世界競争力も失うだろうとか、官僚がアホで政治家がボンクラだから日本の財政はまもなく破綻するだろうとか、年末年始のテレビ番組は超つまらないとか負の思考でスパイラルしてしまう。

したがって、何も考えずにダラダラ書くのが良い。

北方領土問題も尖閣諸島問題も相手にナメられて解決の糸口さえ見つからないだろうとか、北朝鮮による拉致問題は 1ミリたりとも進まないだろうとか、異常気象はますます進んでしまうだろうとか、そんなこんなで子供など生む気にも育てる気にもならないだろうから少子化は止まらないなどと考えるのは正月らしくないだろう。

だから何も考えずにダラダラ書くのが良い。

ちょっとネタを考えるとろくなことはないので、このまま酔に身を任せ、録画した海外ドラマや映画を見ながら眠くなったら寝る、腹が減ったら喰う、喉が乾いたら飲むという、まるで野生動物のような過ごし方をするつもりだ。

そうやって無駄な三日間を過ごし、今年も残り 362日となってしまうのだろう。

プレゼント大作戦プレゼント大作戦

少し前の独り言に書いたように、今年のクリスマスは狸顔のワンプにプレゼントをあげようと計画し、以前から準備を進めていた。

クリスマス用品が店頭に並ぶようになると、まずは百均に行ってプレゼントを入れるためのサンタブーツを購入。

次は中身であるが、これは以前から知っていたワンプの大好物であるゴン太のササミジャーキーを入れてあげることに決定しており、イオン系スーパーが 5%OFFになる 20日を待って買いに行った。

さっそく準備しようと思ったら、購入した 71枚入りのササミジャーキーは大きすぎてブーツに入らないことが判明。

本当であれば封を切らずにプレゼントしたいところだが、仕方がないので開封して 2パックに分かれている内袋の状態で詰め込み、何とか体裁を繕うことに成功。

ファイル 217-1.jpg

それからの 4日間は、そのブーツを見るたびにニンマリとしてしまい、早くワンプのもとに届けたくてたまらなかった。

24日の夜にコッソリと届けようと 『お買い物日記』 担当者と作戦を立てていたのだが、実はお隣さんは就寝時間が遅いのでそれが困りものだ。

我が家の就寝時間も決して早くはなく、いつも 12:00前後になって床につくのだが、その際に部屋の灯りを消すと隣の窓がまだ明るいことが多い。

おまけに我が家の起床時間は 6:30なのに、その時間にお隣さんはとっくに起きていて、ご主人が職場に持っていく弁当まで出来上がっており、『お買い物日記』 担当者と二人で
「いったいいつ寝ているのだろう?」
と不思議に思っていたのである。

深夜、お隣が寝ついてからプレゼントを届けるべきか、メチャメチャ早起きして届けるべきか。

クリスマスは夜更かしして酒を呑んで寝るのは眼に見えており、お隣より早く起きることなど至難の業に近いものと思われ、そんなことをするくらいなら眠い目をこすってでも夜遅くまで待ったほうが良いという結論に達し、隣の窓の明かりが消えるのを待っていた。

ところが金曜の夜ともなると明かりは点いたままで、深夜 1:00近くになっても消えることなく光がもれたままだ。

まだまだ眠くはなかったが、それ以上起きていると空腹に耐えかねて何か食べてしまいそうだったので、可能な限り静かに置いてくることにした。

家を出て隣に向かって斜めに歩き、お隣りの敷地を玄関に向かって斜めに歩けば見事なVの字ができあがってしまい、ワンプへのプレゼントが我が家の仕業ということがバレバレになてしまうので、玄関を出てから反対方向に向かって斜めに歩き、道路を移動して隣の家を一旦は通り過ぎて反対側から玄関に向かって斜めに歩くという漢数字の八の字作戦を決行。

北海道の玄関は扉の前にもう一枚引き戸があって風除室というスペースが設けられていることが多いのだが、そこにサンタブーツを静かに置いたところ、玄関の中からゴソゴソッという音が聞こえて少し慌てる。

どうやらワンプが玄関に入れられているようで、物音とササミジャーキーの香りに反応して向こうから様子を伺っているらしい。

静かに引き戸を閉め、ワンプ以外の誰にも気づかれることなく一目散に家に駆けこんできたが、運悪く外は吹雪模様で体が真っ白になってしまった。

無事に作戦が成功したことを互いに褒め称えながら昨日の夜は眠りにつくことに。

そして今朝、まだ布団の中でグズグズしている時間に 『お買い物日記』 担当者の携帯電話にメールの着信。

それは隣りの奥さんからで、ワンプのところにサンタが来てプレゼントを置いて行ったとの知らせ。

文章には
「もしかして隣のサンタさん?」
との一文があったが、
「さあどうでしょう?」
と、しらばっくれたまま今も正体を明かしてはいない。

しかし、あんなに綿密に計画を練り、見事な八の字作戦でコッソリとプレゼントを置き、朝には雪で足あとも消えていたはずなのに、我が家の仕業とバレバレなのはどういう訳だろう。

ワンプ

テレビが難しいテレビが難しい

色々な意味でテレビが難しい。

■ 国際競争で勝ち残るのが難しい。

テレビは家電の中心にあり、決して負けてはいけない分野だが日本メーカーは韓国勢にやられっ放しで海外シェアを落とし続けている。

将来的にはエアコンから洗濯機、冷蔵庫までネットワークで結ばれ、消費電力や細かな設定などをコントロールすることになるが、それの中心にはテレビがあり、核となる技術が詰め込まれることになるはずだ。

技術力、品質で世界を席巻してきた日本だが、デジタル化とともに技術の差がつきにくく、機械化によって品質も一定になってしまい、デザインと価格だけが重要視されるようになった今では将来的にテレビを開発、販売し続けることは難しいかも知れない。

そして家庭の中核となるテレビは他国の技術が優先し、その周りの家電もネットワークの接続性、操作性などから同国のものが選ばれ、利益を享受できるのはごく限られた国やメーカーになってしまうだろう。

■ 高視聴率を獲得するのが難しい。

テレビ業界の自業自得な面も大きいが、今では余程のイベントでもない限り 20%とか 30%の視聴率を獲得することができなくなってしまった。

趣味が多様化し、衛星放送などを含めてチャンネル数が膨大になった今、視聴されるチャンネルも分散するのは当然のことではあるが、根本的には以前からある地上波放送の内容がつまらなくなり、質の低下に歯止めがかからないのが大きな要因だと思われる。

同様のことは以前の雑感にも書いたので多くは語らないが、このままでは衰退の一途をたどるしか残された道はないように思う。

■ テレビを見るのが難しい。

上述したが、やれデータ放送だ、BSだ CSだと見られるチャンネル数は膨大になり、テレビの機能で表示可能な番組表に頼らなければ見たい番組を見つけることすらできない。

おまけにネットワーク接続すれば回線経由で様々な情報を得られたりビデオ・オン・デマンドで好きな時間に好きな映画やドラマを見ることもできるが、それなりに複雑な操作を強いられる。

それにともない、リモコンのボタンは増える一方であり、携帯電話やパソコンのキーボードのように、手元を見ずに操作するブラインドタッチができるようにならなければ快適なテレビライフを送れない時代が来るかも知れず、そうなれば脱落者も増えると予想される。

事実、我が母はデジタルテレビのリモコンを使いこなせず、電気屋さんを呼んで設定してもらい、昔のテレビに付属していたリモコンを使っている。

電源の ON/OFFと地上波のチャンネル切り替えしかできず、デジタル放送の恩恵を受けいないデジタルデバイド、情報格差社会の底辺に存在したりしているのだ。

■ テレビを見る時間をつくるのが難しい。

今の時代、インターネットに携帯電話、テレビゲームに山登り、釣りに女子会と、特に女性は時間がない。

そんな楽しい時間を割いてまで見たい番組を製作するのは容易ではないだろうが、それに勝てなければテレビの時代は終焉を迎えることだろう。

■ テレビと付き合うのが難しい。

何だか視聴者に向けた番組というより、演者たちが一方的に楽しんでしまっている内容が多いように思う。

島田紳助氏は典型で、『クイズ!ヘキサゴンII』 とか 『行列のできる法律相談所』 など高視聴率番組を多く持ってはいるが、どうも仲良しクラブ的要素が強くて見る気になれない。

紳助ファミリーの世界観や思想にこちらから歩み寄り、わざわざ仲間に入れてもらわなければいけないような雰囲気だ。

他のバラエティー番組、お笑い番組も内輪ウケ的内容が多く、そのバックグラウンドまで理解していなければ笑えないことも多々ある。

また、あまりにも突き抜けた感性やセンスで笑いをとろうとされると、こちらがお笑い芸人の感性に合わせたり内容を理解しなければならない。

視聴者が合わせるのではなく、テレビ側がこちらに合わせるのが本筋ではないだろうか。


・・・。


いろいろと文句ばかり書いてきたが、ハード的にもソフト的にもテレビには難しい問題が山積しており、地球温暖化とは逆にテレビ業界には冬の時代が待ち受けているような気がしてならない。

閉塞感閉塞感

バブル崩壊以降、多少の景気浮揚はあったものの、ずっと日本経済は低空飛行を続けている感が強く、足腰がしっかりしないまま危険なバランスを保った状態であるため、リーマンショック、ギリシャ、ドバイショックなどの外的要因に大きな影響を受け、なかなか株価が上昇しない割には少しのショックで大きく下落する状態が続いている。

数年前にデフレ脱却を宣言したが、実は好転の兆しが見えかけていただけで本格回復には至っておらず、いまも深く静かにデフレは進行している。

何年も前にも書いたが、デフレという病魔は簡単に克服できず何十年もの歳月を要するものらしく、うろ覚えではあるが 17世紀初頭にローマで発生したデフレは 40年間ほど続いたとされているし、産業革命後にイギリスで起こったデフレも 20年間くらい続いた。

そして、どちらも革命、革新的な社会構造の転換や作り直しによって、やっと経済復興に至った訳であり、現状のまま政治、経済の体制などを温存したままこの難局を乗り切るのは不可能であろうと思われる。

人はおぼろげながらでも、このままではいけないということを敏感に感じ取り、政治に強いリーダーシップを求めて小泉純一郎という総理大臣を誕生させたのであろう。

独裁的とまで言われても絶大な人気と広い支持を得て長期政権を維持することができたのは、人々が求めていたリーダー像と見事に合致したからにほかならない。

国民にとっての不幸は、小泉元総理に百年の計とか国家ビジョンというものが希薄で、真の目的が郵政民営化でしかなかったことにある。

それを成し遂げるといとも簡単に総理の椅子を明け渡し、当人はさっさと引退してしまった。

代わりに政界入りした息子の小泉進次郎氏という立派な人気者を遺伝子レベルで残してくれたことは功績であるかも知れないが、後継者として安倍晋三氏を事実上の指名に近いかたちで推したのはいただけない。

たしかに小泉氏が自民党をぶっ壊したのが原因かも知れないが、それからの政権運営は目を覆いたくなるほど惨憺たるものであり、このまま自民党に主導させていたのでは日本がどこに向かってしまうのか不安でならなかったため政権交代が起こって民主与党が誕生したのであろう。

ところが、いざ蓋を開けてみるとこの有様で、日本という国自体が迷走しており、すっかり世界から取り残されることになってしまった。

唯一の評価を受けた事業仕分けも実行力が伴わず、どの省庁、どの官僚もさっぱり言う事を利かず勝手なことをやっているのが明らかになっただけだ。

何とか実行できたのは中途半端に支給が開始された子ども手当くらいなもので、大風呂敷を広げた割には中には何も入っていないというお粗末な結果だけが国民の目に映る。

この先、日本がどこに進むのか分からず、いつになったら政治主導になって官僚の無駄遣いがなくなるのか分からず、年金がどうなるのか分からず、デフレが克服できるのかも分からず、どういう未来が待っているのか分からない。

そんな時代に子孫を残そうという意識は芽生えないどころか、本能的に絶対数を減らそうとするのが DNAに刻まれた生物の性(さが)であるからして、少子化に歯止めがかかるはずなどないだろう。

また政界の雲行きが何だか怪しげで、ナベツネがゴソゴソ動き、今や日本のリーダーとも思えない政治家を操ろうとしているようだが、国民の意志と乖離していることに気づかないのだろうか。

国民の求めるリーダーは政治家の中に見当たらない。

カルロス・ゴーン、星野仙一、小泉進次郎あたりを政府の要職に付けるくらいの大変革をしない限り、少なくてもそれくらいの意識改革をしない限り、デフレを克服して今の日本を救うことは不可能だと思われる。

この閉塞感を打ち破ってくれるのであれば、日本のリーダーが独裁者であっても構わないと思うのは自分だけだろうか。

冬の訪れ冬の訪れ

北海道に帰ってきて三度目の冬はもう目の前。

本来であればもう冬なのだが今年は今日現在も晩秋と初冬がせめぎ合い、かろうじて秋が優勢に立っているような状況だ。

来週には冬が優勢となって一気に気温下がるだろう。

いつも書いていることだが、大阪の夏は辛かった。

ゴールデンウイークが終わって少しずつ暖かくなり、梅雨や夏が近づいてくると毎日が憂鬱で仕方なかった。

できることなら渡り鳥のように少しずつ北に移動して、猛暑、酷暑の中に身を置かずに済む方法はないものかと真剣に考えたこともある。

北海道の夏は逆に待ち遠しいし、寒い冬が近づいてきても決して憂鬱にならないのが不思議だ。

冬なのだから寒くて当然と割り切れる。

夏なのだから暑くて当然と割り切れなかった大阪とは大違いだ。

多少なりとも危惧しているのは降雪量であり、昨年のように数十年に一度の大雪は、本当に数十年に一度だけにしていただきたいと思っている。

まだ足腰が弱る歳ではないので、面倒ではあるものの除雪が辛い訳ではない。

降り積もった雪を綺麗に片付けた後は、ある種の満足感に浸ることもできるし、普段の運動不足の解消にもつながることも期待できるので心から敬遠している訳ではないのだが、何せ面倒なのである。

第一に外に出るためには着替えなくてはならない。

冬は身につけなければいけないものも多く、それだけで時間がかかる。

除雪作業も最短で 10分、積もった雪が多かったり湿って重たい場合は 30分前後の時間を要するのが通例だ。

昨年は日に 2度も 3度も除雪しなければいけないほどの大雪だったので、1時間以上は雪と格闘していたことになる。

今となってはそれすらも笑って話せることであり、決して笑っては話せない大阪の夏の暑さとは雲泥の差ではあるのだが。

北海道の人は家の中を必要以上に暖かくして冬でも薄着で過ごすという生態だったりするのだが、大阪での冬の過ごし方に慣れた我が家では今でもそれを踏襲し、重ね着をして体温の低下を防ぎつつ部屋の中はさほど暖かくせずに過ごしている。

寒くなっても暖房せずにいて人から驚かれたりもするが、すっかりそういう生活に慣れているので何の苦にもならないどころか、それが割と快適だと思えたりもするので問題はない。

今はさすがに部屋の中を暖房しているが、先週より気温が高いので設定を 『大』 から 『中』 に下げている。

最高気温が 10℃以下になったら暖房を開始し、5℃以下になったら 『大』 にするというのが一応の目安だ。

しかし、いずれの場合も室内の温度設定は 18℃なので、一般家庭と比較すると極端に低い。

それでも冬なのだから寒くて当然と割りきって厚着でコロコロになりながら生活している。

これから数カ月、北海道の冬を楽しみながら過ごしていこうと思う。

デジタル化の波 Signal-6デジタル化の波 Signal-6

デジタル化の波 ~目次~

やっとデジタル薄型テレビを購入し、その能力を堪能している訳だが、あまりにも機能が多すぎてすべてを理解するに至ってはいない。

まずはデータを受信して地域のニュースを見てみたりイベントの情報を得たりしているが、これがなかなか便利である。

出不精なのでイベントがあっても出かけることはないが、何が行われているのか知っておいて損はない。

さらに便利に使っているのは天気予報。

もうNHKローカル局の天気予報を見逃したとしても困らない。

いつでも数時間先の予報まで表示しているし、週間天気予報だって見られる。

おまけに我が町の現在の気温まで分かるとあっては、テレビ番組としての天気予報など必要ないと感じてしまうほどだ。

今までもパソコンがあり、ネットでいつでも天気や気温など確認できたが、わざわざテレビの前からパソコンに移動しなければならなかったので少々面倒を感じていたところにこの機能である。

テレビ局と双方向にデータのやり取りができるため、クイズに参加したり視聴者プレゼントなどにテレビ画面から応募できたりもするのが凄い。

ただし、あまりクイズ番組も見なくなってしまったし、バラエティも何もかも見る番組が極端に減っているのでプレゼントそのものをやっているのかどうかも分からないのが難点だ。

テレビとブルーレイやDVDもデジタル制御されているのでリモコンひとつで様々な操作ができる。

ブルーレイが見たい場合もテレビ画面から操作すれば自動的に電源が入ったり再生、早送りなどの操作も可能だ。

我家の場合はずっと海外ドラマのDVDを観る日々が続いているので、この機能の恩恵を存分に受けている。

2008年の8月に購入した HDD/DVD レコーダと、今回の BDレコーダを合わせると 4番組が同時に録画可能なので年末年始の特番の録画に頭を悩ますこともなく、画質にこだわらなければ何百時間でも録画できるので番組を選ぶ必要もない。

そんな状況になったにも関わらず、すでにテレビに興味を無くしてしまい、録画してまで見たい番組がそれほど無いものと思われるのが実に悲しいところだ。

いつかテレビ業界も我に返り、初心に返り、原点に帰り、楽しい番組作りをして頂ければと願ってやまない。

そして最近の家電はネットワーク対応になっており、LAN接続すればネット回線を利用して様々なことができる。

パソコンで見ているWebページをそのまま閲覧することもできるし、掲示板やブログへの書き込みだって可能だ。

ただし、文字入力はリモコンボタンを使って携帯電話の文字入力と同様の操作をしなければならないので面倒である。

やはりキーボードに慣れているのでそちらの方が圧倒的に使いやすい。

そのネットワーク経由で様々な映像配信サービスを受けることも可能で、まるでレンタルビデオのように好きな時間に好きな映画を楽しむことができる。

タイトル数はそれほど多くなく、配信料が 1作品300円前後なのでリアルの世界のレンタルビデオにかなわないが、店がない過疎地などではかなり優良なサービスになり得るだろうし、利用者と事業者が増えて競争が激化すれば価格も下がってコンテンツも充実してくることだろう。

我家の場合は義兄から借りている大量の海外ドラマがあるし、撮るだけ撮って見ていない映画も数十本はあるので当分の間は映像配信サービスを利用することはないものと思われる。

さて、我が家のデジタル化は進み、様々なサービスや機能に触れてみたものの、ここまで書いてきたように有りがたみを実感できるシーンはそれほど多くはない。

実は今まで、テレビ本体のBS受信機に難があり、毎晩決まった番組を見る際にはテレビを外部入力にし、ビデオセレクターのスイッチを切り替え、ビデオデッキの電源を入れ、そこでBSのチャンネルを選択するという面倒な操作が必要だった。

テレビを買い換えて最も喜んでいるのは、その操作から解放され、リモコンボタンひとつで目的が達せられるという、実にアナログな部分だったりするのであった。

デジタル化の波

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自分解体新書 ~目次~

■ 目

この雑感や管理人の独り言で、ことあるごとに触れているが、視力の低下は加速度的に進んでいるようであり、昨年末に購入したメガネの使用頻度も比例して増えているのが現状だ。

14日の独り言に書いたようにパソコンに向かう時もメガネをかけた方がハッキリと画面を見ることができるのは事実だが、焦点をあわせる必要があるらしく、少し目に負担がかかっているようで疲れやすい。

妙な見え方をしているのは以前と変わらず、ある一定の距離だけが見づらいだけで遠くの景色とかは相変わらず裸眼でハッキリ見えている。

100メートル以上離れると道路標識や信号機、歩いている人が男性か女性か、散歩させている犬の種類は何かまで識別可能だし、遠くの山にある建物、道を走る車、木々に葉は有りや無しやも見えているのが不思議でならない。

散歩をする際、試しにメガネをして家を出たことがあるが、極端に視界が広がったりクリアになったりすることはなかった。

いったいどういう状態になってしまったのだろう。

老眼の状況も進み、読書の際の本と目の距離はどんどん離れていっている。

相変わらず布団に入ってからも本を読んでおり、その際には腕を伸ばして距離を保たなければならないが、それは日を追うごとに遠く離さなければいけなくなっていて、そろそろ腕の長さも限界に達しようかという状態であるのに加え、冬を間近にして手が鬼のように冷たい。

そろそろ就寝前の読書をやめるか、枕元に老眼鏡を常備しなければいけないお年頃になってしまったのだろうか。

■ 耳

聴覚はそれなりに衰えてきており、年齢によって聞こえる周波数が異なるのを利用したモスキート音も、歳相応の範囲しか聴き取ることができない。

若者がたむろするのを防ぐためにコンビニの駐車場などで音を発生させている場合もあるようだが、そんな中でも平気でスタスタ歩ける自分が嬉しいやら悲しいやらだ。

キーンという甲高い神経に障る音に耐えられないから若者は退散するのだろうが、この歳になるとキーンのキの字も聞こえない。

テレビでその音を流していたのだが、10歳までにしか聞こえない音は隣にいた中学生くらいの子にも聞こえないという実に興味深い結果で、確実に年齢によって聞き取れる周波数がことなることが証明されたことになる。

ちょっと若い気がしていた自分も確実に対象年齢の周波数になるまで聞こえなかったので少しガッカリだったが、『お買い物日記』 担当者は対象年齢の音ですらギリギリ聞こえる程度だったらしく、横でションボリしていた。

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