大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

不遇の時代不遇の時代

小学校の何年生だったか忘れてしまったが、ある動きをすると胸に激痛が走る日が続いた。

普段の生活に大きな支障はないとはいえ、飛び跳ねたりしたときの着地、手の上げ下ろし動作の下ろすとき、あとはどんなときだったか思い出せないが、何かの拍子に右胸あたりがズキン!とくるので運動量が激しく暴れまくっていた子供時代においては、なかなか不自由な思いをしたものである。

今から思えば、簡単に折れて知らぬまに治ることで有名な肋骨、いわゆるアバラ骨にヒビでも入っていたのではないかと推測されるが、子供にそんなことが分かるはずもなく、少しくらい怪我をしたり、どこかが痛かったりしても、ちょっとやそっとのことじゃ親に言わなかったこともあって、その状態は半年以上も続いたように記憶している。

それがずっと痛い訳ではなく、ちょっとしたタイミングや体勢によるものなのが面倒であり、余計なトラブルを生む元凶ともなる。

その年の体育の授業で走り高跳びがあったのだが、胸に激痛が走るためなかなか上手に飛ぶことができない。

決して運動神経は悪くなく、むしろクラスでは能力に優れている方なのを知っている教師からは
「真面目にやれ!」
と叱られるのだが、踏みきって体を伸ばした瞬間に痛みが走るので、それが怖くて思い切って飛べなかったり、ヤケクソになって飛んだとしても痛みが走って空中で体が丸まってしまい、そのままボテッと落下してしまう。

とうとうシビレを切らした教師は耳を引っ張って
「どうして真面目にやらないんだ!」
と鬼のような顔をして怒る。

そこでやっと胸が痛いことを
「実は・・・」
と切り出すのだが、休み時間とかには元気に走り回っている姿を見ている教師は、引っ張った耳をグリグリひねって
「嘘をつくな嘘を」
と憎々しげに言う。

高跳びであれば、まだ飛び上がった瞬間だけ痛みに耐えれば良かったが、体育の授業にはさらなる地獄が待ち構えており、その思い出すのもおぞましい、生き地獄とも言えるほど苦しんだ内容とは縄跳びであったりする訳だが、一度のジャンプですら激痛を感じる身をもってして何度も何度も飛べるはずなどないのである。

いつもであれば縄跳びなど何の苦もなくすることができ、二重跳び、三重跳びまで友達に披露していた自分なのに、どんなに耐えたとしてもゆっくり三回ほど跳ぶのが限度で、それ以上は続けることができない。

そんな姿を見てツカツカと近寄ってくるのは例の教師で、怖い顔をしながら耳を引っ張って
「お前はどうして真剣にできないんだ!」
と叱られ、胸が痛いことを言っても
「ふざけるな!」
と一喝されるだけだった。

もともと運動が得意なことも、縄跳びができることも知っているのだから、それができないのは異常なことであると気づいてくれても良さそうなものだと大人になった今からであれば思ったりもするのだが、子供の頭ではそんなことに考えも及ばず、ただくやしい思いをしていた。

水泳の授業でもクロールは何とかなるのだが、平泳ぎの手の動作がダメだったようで、痛くて 2-3回しか水をかくことができない。

そこでも教師は容赦なく叱りつけ、胸が痛いという主張を最後まで信じてもらうことはできず、それまで何があっても図工と体育の成績だけは良かったのに、その学期では初めて通知表に 1をつけられた。

おまけに備考欄には 『体育の授業を真面目に受けない』 的なコメントがなされており、親からもこっぴどく叱られる羽目になってしまったが、大人には胸が痛いことを信じてもらえないと思い込んでしまった自分は、言い訳することもなくただ黙って説教を聞いていたのである。

まさにあの時は教師や親からは叱られ、友達に馬鹿にされるという不遇の時代だった。

鳥たちのいる風景鳥たちのいる風景

去年の今ごろは隣家の換気口に住みついたスズメの夫婦に夢中だったが、子供たちが巣立ってからもしばらく暮らしていた夫婦は冬を前に姿を消してしまい、それ以来は姿を見せることがなくなってしまったので少し寂しい思いをしているものの、自然が豊かなこの町に暮らしているとあちらこちらでペアのスズメを見ることができるし、散歩コースにある公園にはいくつもの巣があるので随分と楽しませてもらったりもしている。

数羽の群れをなしているのは子供たちだと思うが、まだオスもメスもなく団体行動で空を飛んだり木に止まったり、芝生の上をチョコマカと動き回ってエサを食べている。

やがてその群れは数を減らし、一羽のメスを数羽のオスが取り合ったりするようになり、最終的に一組のペアができあがる。

かなり以前の独り言でスズメは一夫一妻制であるとネットで調べた結果を書いているが、二羽のスズメが寄り添い、本当にピッタリとくっついているのを見ると思わず頬がゆるんでしまい、とっても幸せな気分になれる。

スズメのほっぺたに黒くて丸い模様があるのも可愛いし、首には白いラインがあってマフラーを巻いているように見えるのもまた可愛らしく、その小さくて丸々した体つきと相まって可愛さ倍増であり、色は地味だがインコやカナリヤより可愛いかもしれない。

田舎のスズメは基本的に警戒心がないのか人が近づいてもあまり逃げず、2メートルや 1メートルの距離など当たり前で、中には数十センチの至近距離まで近づいても逃げない場合があり、とくに枯れ草や土の上だと保護色っぽくなっているのでいることに気付かず、踏み潰してしまうのではないかとドキドキすることも多い。


公園には毎年ツバメもやってくるが、これがまた人を警戒していないのか、何羽ものツバメが目の前やすぐ横をヒュンヒュンと飛び回り、びっくりする人間をからかっているかのようだ。

一カ月くらい前のことになるが、散歩していて公園の中央にある池のそばに行くと、黒い物体がいく筋もの弧を描いて池の上を旋回しているのが見えたので、さらに近づいて見てみたら、それは何羽ものツバメがエサを獲る練習をしているところだった。

上空から池に向かって急降下し、水面スレスレで旋回して再び上昇するのだが、その際に口ばしか足で虫を捕獲しようとしているらしく、水面には綺麗な波紋が広がる。

みんな上手に練習にはげむ中、そのうちの一羽がどうにもこうにもヘタクソで、水面ギリギリで旋回することができずに 「ジャブブ」 と水没しそうになっている。

何度も何度も練習するが、そのたびに 「ドブン」 とか 「ズブブ」 などと鈍い音を出し、危なく池に沈みそうになっては慌てて羽ばたき、やっとの思いで上空にいる仲間と合流したりしていた。

最初は 『お買い物日記』 担当者と笑って見ていたのだが、だんだん心配になり、あのツバメはちゃんとエサを獲れるようになっただろうかと今でも思い出して話したりしているところだ。


管理人の独り言で最近は話題を独占しているカモの親子に関しては、そのうちにまとめて雑感のネタにしようと思うので多くは語らないが、とくにかく、ただひたすらに、とっても、もの凄く可愛いらしく、なんとも表現が難しいくらいだ。

野生の生き物はすぐに育ってしまうので、子ガモと親ガモと見分けがつかなくなるも数日のことだと思われるが、それまでは暖かく見守っていこうと思っている。


公園にはその他にもヒバリやウグイス、クマゲラにアオジ、海鳥のカモメ、いまだに名前の分からない鳥など相当な種類と数がおり、いつも綺麗な声で歌のように鳴いてくれるのだが、不思議なことにそこにハトの姿がない。

ハトは平和のシンボルなれど、いっぱいいると鬱陶しいし、糞害もあるので良かったり悪かったりするものではあるが、木立の中でごくまれに野鳩特有の 「ほ~ほ、っほっほ~」 という声がする程度であり、群れをなして空を飛んだりオポオポと首を振って歩いている姿を見たことがない。


公園は鳥の楽園と化しており、たまにカラスが乱入して気が滅入ることもあるにせよ、いつでも鳥たちの可愛らしい姿を見て綺麗な鳴き声を聞くことができるので、ハトなど放つ必要がないだけなのかも知れない。

北国の夏北国の夏

千里丘に住んでいるみんなには申し訳ない気分だが、こちらは実に過ごしやすい。

『独り言』 に何度も書いているが、あまりの気持ち良さに体も脳もグンニャリとしてしまい、思考能力は限りなくゼロに近づく。

ましてやそれが食事の後、コーヒーの一杯でも飲んでゴロリと横になると、体が溶けて床の絨毯に染み込んでいくのではないかと心配になってしまうほどだ。

北海道に帰ってきてから二度目の夏なので、そんなに感激することもなかろうと自分でも思うのだが、去年は 2月の引越し直後に義兄に先立たれ、お寺さんが七日ごとのお参りに来てくれるし四十九日がどうしたとか初盆がどうだとか言っているうちに 『お買い物日記』 担当者の病気が発覚して入院、そして手術。

物理的にも精神的にも落ち着かず、ドタバタ、セカセカ、ハラハラ、アクセクしていたので事実上は北海道に帰ってきて、そしてこの町でシーズンを通して夏を過ごすのは初めてなのである。

確か去年は大阪から “無事生還” したばかりで皮膚感覚が寒冷地仕様に戻っておらず、みんなが暑いと言う中、平然と、そして悠々と過ごし、一滴の汗も流すことなく秋になった。

北海道の夏だって 30度になることはあるが、それはひと夏で 5日間もあるかないかであり、たとえ 30度を超えたとしても湿気はとても少なくて湿度が 40数パーセントなどという日が多い。

日が当たればジリジリと肌が焦げそうな暑さを感じるが、日陰に入れば実に心地よく、そのままポワワ~ンとしていたくなる。

昼間は暑くても日が傾けば涼しくなり、快適な夜がやって来る。

『夕涼み』 とは、そういう状態において現される言葉であって、大阪のように夜になっても気温が 30度近くあり、湿度も軽く 60%を超えているような状態では外に出てウロウロしたところでちっとも涼めず、むしろ歩いた分だけ運動になって暑さが増してしまう結果を招く。

夜も寝苦しいどころか暑くて眠れず、冷凍庫でキンキンに凍らせたアイスノンを枕にエアコンを点けっぱなしで布団に入ったものだが、それでも汗が止まることはなく、5分おきくらいに体勢を変えなければ自分の体温で布団が熱くなり、睡眠をとるどころか体力を一方的に消耗する結果となってしまったものだが、北海道で過ごした去年の夏、一度もアイスノンを使うことはなく、扇風機も 10日間ほど使ったかどうかという程度である。

いくらシャワーで汗を流しても、浴室から出て体を拭いている最中からすでに汗が吹き出て、何のためにシャワーを浴びたのか分からないことになってしまう大阪と異なり、こちらの湯上りは実に気持ちが良い。

大阪に暮らしていた頃は汗が滝のように流れて額から首筋、胸や背中をつたったもので、汗もがプチプチできて体が痒く、そがまた睡眠を妨げるという悪循環になっていた。

ところがこちらで過ごした夏は、暑い日になればジンワリと汗は出てくるものの、それが流れることなく乾いた空気で蒸発してしまう。

額とか首、背中や胸をツツーッと汗が伝う、あの感覚をすっかり忘れそうになっているくらいだ。

去年の夏のことはあまりにもドタバタしすぎて正確な記憶が残っていないが、『お買い物日記』 担当者もすっかり元気になったことだし、今年は二人で短い北海道の夏を満喫しようと思う。

となりのお店となりのお店

管理人の独り言』 に何度か書いているように我が家のとなりは理美容室である。

北海道の場合は土地が広いのと雪との関係から家と家は最低でも 2-3m は離れており、大阪のように壁のペンキはどうやって塗ったのか不思議に思えるほど密接はしておらず、さらにとなりの店は駐車場を確保しているため 10歩ほど歩かなくてはならないが、家に向かって左隣、本当の意味でのお隣さんが店舗兼住居の建物になっている。

入り口はひとつだが、そのドアを開けて右にあるもうひとつの扉が理容、左の扉が美容室になっており、まるで男湯と女湯に別れている銭湯のような雰囲気だ。

理容室を担当するのはお父さんと息子さん、美容室を担当するのはお母さんと娘さんで、親子二代で商売をされており、最初は息子さんと娘さんを夫婦だと思っていたが、それはお兄ちゃんと妹ちゃんが正解で、それぞれが理容と美容を継いだことになる。

お父さんとお母さんは、そろそろリタイアする準備に入ったようで、普段はお兄ちゃんと妹ちゃんに店を任せて買い物に行ったり天気の良い日は庭の手入れをしたりしているようだ。

こんな田舎町の繁華街からはずれた立地だが店は繁盛しているようで、駐車場にはいつも車が停まっており、お客さんが多くなってくると親子そろって店に立つ。

それ以外にもお客さんによって担当が決まっている場合もあるらしく、古くからのお馴染みさんでお年を召された人はお母さん、お父さんが髪を切り、ある程度年齢が若い人はお兄ちゃんと妹ちゃんの担当になる。

自分の担当はお兄ちゃんなので、ギリギリながら若者組みに入れてもらえたようだ。

以前にも独り言に書いたが、となりの店の仕事はとても丁寧でサービスも素晴らしい。

大阪での散髪は顔剃り、シャンプーを含めて 30分強くらいで終わったが、となりの店はすべて終わるまで 90分以上もかかる。

髪を切るのは丁寧であるもののそれほど時間がかかるわけではないが、シャンプーをすれば頭皮マッサージまでしてくれるし、それが終われば長い時間をかけて肩や首のマッサージもしてくれてそれが実に気持ち良い。

顔剃りが終わればオイルを使ってのクレンジング、その後にパックまでしてくれて男のくせにお肌しっとりの仕上がり状態であり、あまりにも気持ちよくて眠ってしまうこともしばしばだ。

美容室の妹ちゃんは天性の商売人で、パッと明るくて会話にもよどみがなく、そのうえ気遣いもそつがない誰からも好かれるような人柄で、お客さんを惹きつける何かを持っている。

お買い物日記』 担当者は病気の治療の副作用で頭髪が抜けてしまったため美容室に行く必要はなかったが、店がすいている時間に遊びに行って話し込んでくるほど仲良くしてもらっている。

髪が生え始めて今は 『えなりかずき』 くらいの長さになったので、もう少ししたら毛先を揃えてもらいに行けるかも知れない。

妹ちゃんには現在中学生の娘さんがいるのだが、その娘さんが数年後に美容師なることがあるならば、三代そろって店に立つ姿をみることができる。

そうなればコギャルから老婆まで幅広い客層に対応できるハイパー美容室になることだろう。

想い出の居酒屋 其の捌想い出の居酒屋 其の捌

想い出の居酒屋 おしながき

以前の店から数えると、ママと知り合って 7年くらいは経過しただろうか。

貪欲な胃袋を満たし、金のないときは安い料金でたらふく食べさせてもらい(其の参照)、会社を辞めるために辞表を書いたのもその店だった(其の参照)。

仕事の話は一切せず、いつも楽しく酒を飲んだ(其の参照)。

店が変わってからも毎週のように通い続け(其の参照)、注文していないものやメニューにないものまで食べさせてもらった(其の参照)。

訳の分からない話で盛り上がり(其の参照)、時には謎の歌を歌ったり店主の自室で飲んだりもした(其の参照)。

まだ若かったこともあるが、その時はこれから先も何も変わらず、いつまでも似たような時間が流れるように思っており、それが終わりを告げることになろうとは夢にも思っていなかった。


そう、会社から大阪本社への転勤を命ぜられるまでは。


前の会社から通して 10年も付き合っている仕事仲間たちと別れるのは辛く、長年に渡って通い慣れたその店で、食べ慣れたものを味わえなくなるのも辛かった。

しかし、そこは悲しきサラリーマン。

会社の命令には逆らえず、途中まで進んでいた歯の治療も突貫工事で終わらせて、転勤の準備を開始した。

そして、気の合う仲間と最後の食事をしたのはもちろんこの店だ。


他部署の人間も集まって開いてくれた送別会は別の店だったが、やっぱり最後に本当に心から楽しめるのは、いつもの仲間といつもの店だ。

自分も店の大将もママも、しんみりするのは好きじゃないので相変わらずの大笑い、大騒ぎしながらその店で最後の夜を過ごした。

そしてそれから数日後、楽しかった店、愉快な仲間、住みなれた町に別れを告げて乗り込んだ飛行機の機首は西へ。


翌年、出張で元の職場を訪れて二泊目の夜に店に顔を出したが、仲間のみんなとではなかったのでイマイチ盛り上がりに欠けた。

その翌年、さらに次の年と、帰省の途中で寄っては見たものの、いつもタイミングが悪くて定休日の曜日ばかり。

店の前まで行ってはみたが、店の戸は固く閉ざされ中には灯りもない。

とりあえずは寄ったという証にメモを入れておいた。

そのうちに帰省に利用する空港を変えたため、その店のある昔住み慣れた町を通過することさえなくなってしまった。


そして、店は記憶の中で当時のまま時が止まり、想い出の居酒屋となってしまったのである。

想い出の居酒屋

香りの記憶香りの記憶

食べ物の匂いには敏感なので嗅覚がにぶい訳ではないのだろうが、記憶に残っている匂いというものがない。

母親は子供のころから同じメーカーの化粧品を使っていたが、その匂いがどんなものか思い出せないし、匂いを感じたとしても、それがそうだと気付かず、母親を思い出すこともないだろう。


以前に交際していた女性、いわゆる元カノがどんな匂いだったかもまったく記憶がない。

したがって、同じ化粧品を使っている人がいても何も思い出すこともないのは家庭円満、家内安全のためには誠に好ましいことであろう。

ただし、『お買い物日記』 担当者と同じ化粧品を使っている人がいても、それにすら気付かない可能性が濃厚なので本当に好ましいことなのか疑問をぬぐいきれない面もあるが。


畳の匂や木の香りにはどこか懐かしさを感じ、緑の匂いや潮の香りに癒されることはあるので、まったく無関心でもないのだろうが、香りと思い出が直結することがないのである。


出張で何日も家を留守にして久々に帰ってきた時。

そして、久々に自分の布団に入ったときは何となく自分の匂いがして
「あ~帰ってきたんだな~」
とか思うこともあるが、それも一瞬のことである。

さすがに加齢臭を漂わせる歳になったとは思うのだが、今でも体臭がするとか足が臭いとか言われないところをみると自分はもともと微香性なのかもしれない。


冒頭にも書いたが、食べ物の匂いにだけは敏感で、毎朝の散歩の途中、朝食の準備をしているらしい香りに理性を失いかけることも多い。

緑が多いこの町は、朝の空気も澄んでいて、ほのかに樹や緑の匂いがする。

そんな中、どこからともなく魚を焼く良い匂いが漂って来たりして
「ああ、あの家の朝食は焼き魚に御飯なんだなぁ」
などと思ったり、卵やベーコンの焼ける匂いがすれば
「この家の朝食はパンにコーヒーか」
などと想像できる。

朝から揚げ物の匂いを漂わせている家もあり、
「高校生くらいの子供がいて弁当を作っているんだな」
と思いをめぐらせたりしている。

そうこうしているうちに腹の虫が
「ガルルル・・・」
と野獣化し、空腹を我慢できなくなって家路を急ぐ。

他の匂いには鈍感なくせに、食べ物の匂いに敏感なのは食い意地がはっているからだろうか。

ただし、食べ物の匂いであっても、それを元に昔を思い出すことはない。

しかし、食べ物の場合は香りではなく味が記憶に刻まれているので当然といえば当然か。


そんなこんなで香りの記憶に乏しく、匂いによって何かを思い出したり懐かしんだりすることなど皆無なのだが、ひとつだけ懐かしく思うことがある。

それは約 10カ月前にやめたタバコの香りだ。

あまり多くは触れていないが、今のところ禁煙は見事に成功しており、あれから一度もタバコに火をつけずに暮らせている。

もうすぐ一年が経過しようとしているが、タバコを吸っている夢を見たり、何かの拍子にふとタバコが吸いたくなってしまうので完全なるタバコ断ち、いわゆる 『断煙』 には至っていないのだろう。

人によっては禁煙したとたんに極端な嫌煙家になってタバコから逃げ回る場合もあるが、自分の場合は決して嫌いになった訳ではない。

たまに荷物の配達をしてくれる人が車の中でタバコを吸っていたらしく、応対に出ると体からプンプンと香りを漂わせたりしている場合があるが、その匂いに嫌悪感はなく、むしろ懐かしさを感じるほどだ。


そのタバコが自分にある唯一の香りの記憶かもしれない。

マサルノコト scene 23マサルノコト scene 23

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そして自分とマサル、そしてノブアキは高校生になった。

マサルと自分は同じ高校だったが、学科が異なるため当然ながら教室も違えば授業も異なってたまに廊下ですれ違う程度となってしまい、ノブアキとは学校も違うのでまったく会う機会がなくなってしまった。

scene 15 に書いた転校していってしまったセイジ宛の 『声の便り』 も作ることがなくなり、三人で会う機会はまったくなくなってしまったに等しく、それぞれが違う道を歩き始めた。

自分は生まれ育った町を出て絵の勉強をするためにアルバイトをしながら学校に通い、新たに知り合った仲間と夜な夜な車に乗って遊びまわったりしており、違う町の大学に通う友達から急にセイジの消息を知らされて家を襲撃してみたりしていた。

学校を卒業後もすぐには定職につかず、厨房でバイトをしながらマージャンやパチンコで生活しているような暮らしぶりだ。

マサルは卒業と同時に就職し、超有名なその会社の研修中に教官と衝突して日本最北の町に跳ばされて半分ふてくされながら、それでもその土地に溶け込んで生活していた。

ノブアキは何浪かして大学に入り、何度も留年して卒業したため社会に出るのが遅く、かなり長いこと学生生活を謳歌していた。

それぞれが生まれ育った町を離れ、それぞれの生活をしていたので三人が顔を合わせるのは盆や正月に帰省したときくらいなものであるし、年賀状のやり取りくらいなものである。

この 『マサルノコト』 を書き始めることになったのはマサルからの年賀状が届かなかったのがきっかけだが、ノブアキも似たり寄ったりだ。

ある年、正月に帰省した際に三人で会い、酒を飲んでいるとノブアキがハガキを二枚出してマサルと自分に渡し、宛名を書けという。

意味が分からずにキョトンとしていると、ハガキの宛名を書く面に自分の郵便番号と住所、名前を書けとペンを取り出しながら偉そうに命令する。

訳が分からず、渋々ながら書き終えてノブアキにハガキを渡しておいたのだが、それから何日も経ってそのハガキの裏面に新年の挨拶を書いた年賀状が家に届いた。

ノブアキは宛名を書くのが面倒なものだから、会う機会があればそれぞれ自分自身に対する宛名書きをさせていやがったという、とんでもない奴なのである。

マサルと二人、「なんてふざけた奴だ」、「あいつだけは許せん」 などとノブアキへ罵詈雑言を浴びせてやったりしていたが、帰省するたびに三人そろって酒を酌み交わすことは、それから何年も何年も続いたのであった。

マサルノコト

我が町の交通事情我が町の交通事情

車の運転手がもの凄く親切で照れる。

信号で横断歩道を渡ろうとしたとき、左折車だったらまだしも、右折の場合は対向車の進路をふさぐことになってしまうことがあるので車を先に通してあげようと立ち止まっているのだが、それでも車は停止して歩行者を優先させようとするため、さっさと通り過ぎてしまわないと逆に迷惑をかけてしまう事態になることがあり、大阪とはあまりにも異なる交通事情に戸惑いすら覚えてしまうことがある。

信号のない路地の交差点でもそれは変わらない。

道路を渡ろうとして車が来ている場合、車が通り過ぎるのを待つのが大阪では当然だったし、それが正しいとか間違っているとか、常識だとか非常識だと考える前にごくごく当たり前のこととして何も考えずに立ち止まっていたのだが、こちらでは 100%近い確率で車が停止し、歩行者を優先させてくれる。

道には優先順位というものがあり、交差点にも必ず一旦停止しなければならない道はある。

そちらの車が停まってくれるのならある程度は理解もできるし、堂々と道を渡ることができるのだが、優先順位の高いほうの車までが停まってくれるものだから何となく申し訳ない気分になってペコペコしながら道を渡ることになってしまう。

極めつけは道路の横断だ。

信号などなく、ましてや交差点でもなく、横断歩道があるわけでもない道の途中、反対側に渡ろうと来ている車が通り過ぎるのを待っていると、車のほうが停まって道路を横断させてくれる。

いやいやいや。

ここは田舎町。

交通量が多いわけではない。

左右確認しても視界にある車は一台だけだ。

したがって、その車さえ通り過ぎれば何も気にせずゆっくりと道を渡ることができる。

だからわざわざ停まってくれる必要などなく、ビュンと通り過ぎてくれれば良い。

ところが車は目の前に近づくとピタリと停まり、じーっとこちらが横切るのを待っている。

こちらとしては、慌てるやら恐縮してしまうやらで、ものすごい勢いでペコペコしながら道路を横断する羽目になるのだ。

こちらに引っ越してから、常にペコペコと恐縮しながら道を歩いているような気がしないでもない。

それというのも運転手が親切すぎて、大阪のように歩行者に対してスパルタな環境で 16年も鍛えたれた我が身にとっては馴染めなかったり慣れなかったり戸惑ったりで、もの凄く照れくさかったり恐縮してしまったりする。

最近では車の通行の邪魔をしないように、ちょっとコソコソしながら交差点を通過したり、道を渡ったりしている自分たちなのである。

基準値基準値

何の番組か忘れてしまったが、テレビを見ていると料理の話をしており、料理が苦手な女の子が調味料の配分について
「そもそも 1対1 って何?」
とか言っていた。

確かに、その 1というのがどういう基準なのか。

それは 10cc なのか 100cc なのか分からなければ
「砂糖と酢を 1対1 で」
とか、
「同量を混ぜ合わせます」
なんて言っても意味がない。

1カップは何cc なのか、そもそも大さじとか小さじが何であり、それがそれぞれ何cc なのか。

計量カップというものや計量スプーンというものが売られているのだという根本的なことから教えてやらなければならないのは、何でもかんでもマニュアル化されている現代教育のひずみなのかも知れない。


切り方も同じだ。

『いちょう切り』
銀杏の樹も葉も見たことがなければ形すら想像できないだろう。


『拍子切り』
正確には “拍子木切り” であり、文字通り拍子木のような形状にするのだが、その拍子木すら見たことがなければ理解不能だろう。


『マッチ棒くらいの太さに千切り』
現代っ子はマッチすら見たことがないものと思われる。

昔はガスコンロの着火にもマッチが必要だったし、タバコを吸うのだってマッチで火をつけていた。

しかし、現在では電気の力でガスコンロは着火するし、IHクッキングヒーターが世の主流になればガスコンロすら骨董品になるかもしれない。

タバコは百円ライターがその役を取って代わり、マッチの姿を見かけることがなくなってしまった。

マッチ棒を見たことがなければ、
「その太さにせよ」
と言われてもできるはずがない。


『だし汁 2カップ』
上述したようにカップとは何ぞや、そして、だし汁と一口に言っても、かつお、こぶ、にぼしなど様々あるうちのどれなのか。


『ニンニク 1片』
だいたいどうやって読むのか。

文語的な表記法「にんにくいっぺん」、口語なら「にんにくひとかけ」 といったところか。

そして、ニンニクを見たことがない人には想像もつかないだろうが、簡単に言えば食べられる部分がミカンのように分かれており、その一房分が 1片となる。

ただし、日本産のニンニクは 1球(1個)が 6片に分かれているが、中国産のものは 9~12片に分かれているので量が異なる。

国産だと 1片が約 12g だが中国産は 6g と、倍も違うので注意が必要だ。
(参考:グラムのわかる写真館


『調味料のさしすせそ』
最近は常識クイズみたいなテレビ番組が多いので、それが
砂糖(とう)、塩(お)、酢()、醤油(許容仮名遣の「うゆ」に由来)、味噌(み
だと知っている人は多いだろうが、さらに調味料を加える順番にもなっていることを知っている人はどれくらいいるだろう。

 1. 甘味は浸透しにくいので砂糖を入れるのは早い方が良い。
  (塩や醤油を先に入れてしまうと食材に甘味が付きにくくなる。)
 2. 塩は浸透圧が高く食材から水分を呼び出すため、煮汁の味を決める初期に入れる。
 3. 酢を入れるのが早すぎると酸味がとんでしまうので調理進行を見計らって入れる。
 4. 醤油、味噌は風味を楽しむものなので仕上がり直前に入れるのが望ましい。

それを知らなくても本やホームページを見れば手順が載っているので完成させることができるが、やっぱり誰かがどこかで基本を教えておいたほうが良いだろう。


自分の場合は何度か書いているように、若かりし頃に厨房でのバイト経験があるので料理用語で困ったことはないが、現代のように情報が溢れている割には基準や基本を教えることが少なくなり、さらには基礎を知らない世代が親となって伝承することすら困難になっていると思われる。


これから先、頼れるのは料理本かネットしかないのか。

引っ越しの条件引っ越しの条件

以前の雑感に 『転勤の条件』 というのを書いたが、それは同時に引っ越しの条件でもあった。

約1年半前、突然の知らせで義兄の病気を知り、引越しを決断

そこには条件も何もなく、ただ 『お買い物日記』 担当者を含むきょうだい三人が生まれ育った町で暮らせれば良かった。

願いもむなしく、間もなく義兄が他界してしまい、本来であればこの町に住む意味を失ってしまったのだが、色々と考えた結果と、家の持ち主である長兄の許可を得ることができたことから、そのままこの地に根を張っている。

何の条件もなく暮らし始めた町だが、大阪への転勤の際に提示した条件の多くが満たされていることに今さらながらあらためて気づく。



【 建物の最上階であること 】

ここは一軒家で上階も下階もなく、建物に住んでいるのは自分たちだけなので何の問題もない。



【 南向きの窓 】

当然、南側に大きな窓がある。



【 通勤時間 30分以内 】

通勤なんかしていないので、すでに条件にすらならない。



【 買物に便利 】

この件に関しては、折に触れて 『管理人の独り言』 に書いているが、買い物をするにはもの凄く便利な場所だ。

徒歩 3分で農協系スーパー、5分でダイエー系スーパー、徒歩 10分でイオン系スーパー。

自転車を使えば 10分圏内に生協系スーパーと地元資本のスーパーが 3店舗もある。

同じく自転車 10分圏内にドラッグストアが 4店も 5店もあるし、徒歩 2分、5分、6分の場所それぞれにコンビニもある。

大阪で暮らしていた頃の 『お買い物日記』 担当者は自転車に飛び乗って近所をビュンビュン走り回っており、片道 20分以上もある吹田くらいまでは平気で行っていたので、こちらに来てからはむしろ運動不足ぎみなくらいだ。



【 ファストフード店がそろっていること 】

持ち帰り弁当の店、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツ、そして大好物のモスバーガー。

徒歩 2分から 10分以内の範囲にすべてそろっているので何の問題もない。



『お買い物日記』 担当者が患ったような大きな病気の場合は北海道の中央である札幌まで出向かなければいけないが、徒歩 3分の場所に高速バスの乗り場があるし、自転車で 10分も走れば JRの駅に着く。

どこをとっても不満のない条件で暮らしているので、ますます張った根が太く深くなりそうだ。