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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

健康診断 2009 胃カメラ挿入編健康診断 2009 胃カメラ挿入編

「それじゃあ胃カメラをするところにいきましょうか」 との言葉にうながされ、スリッパのまま冷たい廊下をヒタヒタと進む。

途中、病院特有の無骨で大きなエレベータに乗り込み、ドアが静かに閉まる。

彼女は何も言わぬままボタンを操作し、階数を示すシグナルを見上げたまま動かない。

目的の階についたエレベーターのドアが静かに開き、再び細くて長く、冷たい廊下を歩く。

すでに覚悟を決め、諦めとも開き直りとも言える感情になっていたはずなのに次第に鼓動が速くなり、これから繰り広げられるであろう修羅場が頭をよぎって一気に不安と緊張感が広がる。

検査室に入ると、まずはこれからの手順書を読まされ、胃の中を鮮明に見えるようにするための白くにごった液体を飲まされる。

体を横たえるベッドに腰かけ、次にノドの感覚を麻痺させるゼリー状のものを口に入れられ、それを飲むように言われるのだがそれが実ににがい。

内視鏡を操作する医師が登場し、看護師と何やら打ち合わせをしている。

看護師の 「まるっきり初めてらしいです」 との言葉に医師は 「初めて!?・・・う~ん」 という会話がもれ聞こえ、それに続く医師の言葉を待ったが何も続かず、余計に不安が胸に広がり、ドキドキしながら医師の動きを目だけで追っていた。

そして、さらにノドの感覚を麻痺させるスプレーを口の中に吹きかけられたのだが、それがまた一段とにがく、とても美味しくなかったので顔をしかめていたら看護師さんに笑われてしまった。

医師から 「初めてなんですね」 と言われ、こっくりとうなずくと 「大丈夫ですよ、すぐ終わりますから」 とにこやかに言ってくれたので少し安心していると 「最初は苦しいですけどね」 などと 『ドS』 なセリフを言う。

とたんに表情が曇り、不安そうな顔をしたのだろう、慌てて 「苦しいのは最初だけです、入れるときにちょっと苦しいだけですから」 と医師は言葉を付け加えたが一度広がってしまった不安は簡単には取り除かれないのである。

いよいよマウスピースを装着され、口を閉じれない状態に固定されたままベッドに横たわる。

胃カメラの先端の LED が発光して周りと医師の顔を明るく照らし、それが徐々に近づいてくる。

よほど驚愕の表情を浮かべて先端を見つめていたのだろう、医師があきれた風に笑いながら 「目、つぶりましょうか」 と言うので慌てて目を強く閉じた。

そういえば昔、歯医者さんでも治療器具が口の中に迫ってくるのをジッと見ていて 「目をつぶってください」 と注意されたことがあるので、どうやら医療器具を見つめるのは自分のクセらしい。

そしてとうとう胃カメラが口の中に入れられ、ノドの奥に侵入してきた。

・・・それは同時に地獄への入り口でもあった。

検査室に響き渡る 「オ゛エ゛~ェェェ、オ゛エ゛~ェェェ」 というケダモノのような呻き声、溢れ出るよだれ、涙に鼻水、看護師の 「体の力を抜いてください!」「ゆっくり深呼吸して!!」というセリフ、医師の 「落ち着いてください!」「もう少しですよ!!」という声。

もう分娩室で赤ちゃんを産むような騒ぎである。

それでも最初の部分を通過すると、それ以降は少し楽になり、看護師や医師の言うとおりにゆっくり呼吸したり気を落ち着かせたりすることができた。

一気に最深部にまでカメラを入れて、少しずつ抜きながら内部を撮影するようで、最初は胃を少し抜けて腸の付近まで到達し何やらゴソゴソと機械を操作している。

次に先端部は胃の中に止まり、医師が機械を操作すると中でエアを噴出させて胃を膨らませる。

お腹がプクーと膨れてくると口から少しずつエアが漏れだし、再びノドに管が通っているのが気になりだして 「オ゛オ゛・・オ゛ガエ゛ッグ」 とゲップまじりの嘔吐感。

看護師と医師は慌てて 「もう少しですよ」 と声をそろえ、「くるしいですけどゲップは我慢してくださいね」 などと指示される。

それから間もなくしてカメラを動かし、胃の入り口付近を調べてやっと口から管が抜かれた。

マウスピースも取り外され、頭も心も真っ白の抜け殻になった自分はベッドの上で放心状態のまましばらくボ~ッとしていた。

そしてすぐに内部を撮影した写真を見ながら医師との話。

「基本的にすごく綺麗な胃ですよ」 (よしよし)
「色も人より綺麗ですしね」 (ふむふむ)
「で、一箇所ポリープがありましてね」 (えぇ!?)
「良性でガン化の心配もないんですけど」 (はぁ・・・)
「たまに急に肥大化することがありましてね」 (え、ええ)
「そうなると食べ物にこすられて出血することがあるんですよ」 (・・・)
「出血が続くと便が黒ずんだり貧血症になったりしますから」 (・・・・・)
「経過観察したほうが良いですね」 (そ、それは・・・)
「ただですね」 (え?)
「ポリープは小さいからレントゲンじゃ写らないんですよ」 (・・・?)
「これから胃カメラを毎年しましょうね」 (あ゛・・・)
「今日でこりました?」
「はい、懲りました!!」
「じゃあ来年は鼻からしましょうか」
「・・・・・・・・・・・・」

という訳で、毎年の胃カメラ検査を言い渡されてしまった。

トボトボと家に帰り、いかに苦しい思いをしたか 『お買い物日記』 担当者に切々と訴えてみたが、来年も検査するように言われるだけだった。

そして、それまでのプレッシャーから開放されたからか、あれだけ出ずに困っていた便が一気にドカンと出たのであった。

健康診断2009

健康診断 2009 序盤戦健康診断 2009 序盤戦

それは 16日から始まった

検便のための採取は提出日の 5日前からとの指示だったので、トイレで頑張ってみたのだが、まるで出る気配がない。

そう、自分は男のクセに便秘体質なのである。

そういえば子どもの頃、あまりにも便が出ないので何度となく病院に連れて行かれ、浣腸をしてまで排便させられていたのを思い出す。

毎日出ないのが普通であり、それでも極端な便秘にはならず数日に一度の割では出るのであまり気にしてはいなかったが、期日内に出さなければいけない場合には考えものだ。

しかし、期日までには何とかなるだろうとその日は諦め、なかば開き直った状態でフテ寝したりしてみたところ、翌 17日の夕方になってお腹がゴボゴボと音をたてはじめて明らかに出る兆候を示し始めたのでトイレに駆け込んで無事に採取することができた。

20日の朝 8時がリミットなので残り 2日でもう一度採取しなければならないのだが、翌日もその翌日もさっぱり出る気配がない。

19日の夜になって、いよいよ焦りも頂点に達し、何度かトイレに行って 「う~~~ん」 と頑張ったりしてみたものの、頭がクラクラするだけでまったく便意をもよおさない。

翌朝になって運良く出るなどということは考え難く、何としてでも今晩中に採取してしまうか、「すみません、一回しか出ませんでした」 と素直に謝るかのどちらかだと切羽詰った状態になって思ったのだが、特に女性はもの凄い便秘の人がいる訳で、2-3日どころか 5日も一週間も出ない人だっているはずであり、世の中には一度しか採取できない人、ひょっとすると期日までに一度も採取できないひとだっているかも知れない。

それならば何も必死になって肛門がはずれそうになるほど頑張らなくても良いのではないかと、開き直りにも似た思いで心を落ち着けて就寝前にトイレに向かうと、まるでウサギか鹿のフンのような硬くてコロコロしたものがポロリと出た。

検査のための準備も整い、翌朝は気合を入れて病院に向かう。

何せ生まれて初めての胃カメラをしなければならず、何日も前から不安と緊張の中で過ごしたが、もうここまでくれば覚悟を決め、ちょっと太いうどんを飲み込んでやるんだくらいの意気込みで向かわなければいけないのである。

受付を済ませ、やっとの思いでひねり出した検便のキットを提出し、着替えを済ませて尿検査のための採取をして検査ロビーのイスに腰をおろす。

この病院の施設は実に合理的にできており、廊下の受付カウンターの正面が着替えのロッカー室、そこから数歩のところに検尿用トイレ、その廊下から受付カウンターの横を通って中に入ると待合のロビーがある。

そのロビーを中心に身長、体重を計測する場所、視力検査の場所、腹回りの計測、聴覚検査室、心電図の部屋、胸のレントゲン室、お腹のレントゲン室、問診、触診のための診察室、採血のカウンターが左回りにぐるりと囲んでいる。

ロビーのイスに座っていれば、すべての部屋が歩いて数歩のところに配置されているため、流れ作業のように検査は進む。

まずは身長と体重の測定で、去年より約 1.5Kg ほど増えていたが、去年の夏に始めた禁煙が今も続いているので、それが原因であろうと容易に想像がつくし、増え続けた体重も今は落ち着いているのでこれ以上の増加をくい止めれば良いと思っている。

視力は去年より明らかに悪くなっており、自動車の運転をする場合にはメガネをかけなければいけないレベルになってしまったが、車には乗らないし普段の生活ではテレビに映し出される細かな文字が見えない程度であり、それ以上の不自由は感じていないので気にしないことにした。

聴力は耳が遠くなった気はしていないので問題ないし、心電図はたった 30秒くらいの検査で何もでるはずがないので、はなから気になどしていない。

胸のレントゲンは結果が出るまで分からないし、血液検査も同様だ。

診察室に入り、それまでの結果を踏まえて問診と触診を受ける。

あお向けに寝かされて腹をグニグニされたが痛みもなく、足を組んで金づちみないなものでヒザ下を 「コン」 とされるとつま先までビビーンと跳ね上がるので脚気(かっけ)にもなっていないらしい。

上述した部屋の今回は受けない腹部レントゲン室以外を全て回り終わり、ふと気づいたのだが胃カメラをする部屋がない。

そして、それ以外を先に全て終わらせたということは、途中でできないほど胃カメラとは大変な検査なのかもしれないと、不安感と緊張感に再び襲われる。

書類を持った女性がツカツカと近づいてきて、「それじゃあ胃カメラをするところにいきましょうか」 と、じっとこちらの目をみながら静かに言った。

そして無言のまま彼女の後に続き、冷たい廊下をスリッパのまま進む・・・・・



次週、いよいよ怒涛の 『胃カメラ挿入編』!!
そしてそこに映し出されたものとは!?

健康診断2009

需要と供給需要と供給

資源は供給量を大きく増やしたり減らしたりすることが難しく、常に一定でしかない。

たとえば希少金属である金とかパラジウムなどは需要が多いからといって大量に供給できるものではないのである。

なにせ埋蔵量が決まっているので新たな鉱脈でも見つからない限りは全人類が限りある量を分け合うしかない訳だ。

そこで、高くてもほしいという欲求が生まれ、価格が高騰する。

たとえダイヤモンドであろうと、誰も必要としなければ一円の価値もなく、見向きもされない石ころに過ぎないが、それを欲しがる人がいるから値がつき、欲しい人が多いほど価格は高騰する。

それは石油にしても小麦粉にしても同じだ。

原油価格が高騰しているのは、これから先も中国は発展を続け、インドやブラジル、ロシアも経済が拡大していくものと予想されるためだ。

そうなれば電気が必要になり、発電に必要な石油も需要が膨らむし、中国北部やロシアなどは日本より圧倒的に寒いので暖房のための石油も必要になるだろう、プラスチックなど石油から作られる製品、石油由来成分が含まれる化粧品なども豊かになれば必要とされるだろうし、もっと発展すれば自動車の保有率も上がってガソリンも消費される。

それら全てのことを見込んで原油価格は高騰しているので、これから先も値下がりすることは考えにくい。

世界経済が回復すれば電子機器や自動車の生産も復調するだろう。

それが分かっているから製造に必要な希少金属や鉄などの価格が高騰する。

ところが、その資源を使って生み出される製品は値上がりしないどころか値下げ圧力が強いのがメーカーの頭を悩ませる。

たとえばエコカー減税で売れに売れたトヨタのプリウス。

あれだけ引き合いが強く、生産が追いつかない現状を資源に当てはめれば、大きな需要に対して供給が不足しているのだから値上がりしても良いはずなのに、メーカーは休日返上で増産して供給量を増やそうとする。

値上げどころかライバルのホンダ車、インサイトに負けないように値引きまでして販売している。

原材料価格が上がっているのに値下げしなければならないという矛盾。

今は食べ物の原材料から繊維まで何でも値上がりしているのに物価は上昇しないし、安売りが横行して再びデフレの様相まで呈してきた。

販売価格に対して原材料の占める割合が大きい豆腐とか納豆など、本来であれば現在の倍の価格で売らなければ適正な利益が得られないはずだ。

それなのにスーパーなどの特売の目玉にされることが多く、販売店側の圧力に屈して安く卸すしかないメーカーに明日はあるのか。

資源高と値下げ圧力に耐え切れずメーカーの数が極端に減った場合、大きな需要に対して供給量が極端に細り、今度は売り手側の言い値で販売されることになり、遥か昔にあった定価販売の時代に逆戻りするかもしれない。

この負のスパイラルを断ち切らなければ、メーカー側も消費者も結果的に誰も幸せになれないような気がする。

だからと言って、その解決策、特効薬を持ち合わせているわけでもなく、買いたいものがあれば一円でも安いものを選んでしまう自分だったりするのではあるが・・・。

初体験初体験

早いもので今日は週末だ。

再来週のことになるが、20日は健康診断を受けに行く。

去年も年末近くに受けているのだが、『お買い物日記』 担当者が大きな病気をして以来、毎年かかさず受診して、万が一にでも何かあった場合でも早期発見ならば何とかなるだろうという思いから、今年も真面目に行くことにしたのである。

胃の具合を診るために去年はレントゲン撮影をしてもらった。

受け付け担当者の言うことにゃ、一年おきにレントゲンと胃カメラを実施したほうが良いらしい。

胃カメラなんぞ生まれてこのかた経験したことがなく、えも言われぬ恐怖感が胃袋のもっと下のほうからオゾオゾと込み上げてきたりするが、レントゲンでは見落とされがちな小さな異常まで発見できる可能性があるとのことなので今年は胃カメラにしてもらったのだが、今は口から入れる他に鼻から入れる少し楽な方法もあるとのこと。

口から入れて苦しそうにしている映像はテレビなどでも見たことがあるので鼻から入れる場合のことを聞いてみると、鼻炎持ちの場合は検査から一週間以上は鼻の痛みと鼻水が続く可能性があるという。

それはもともと鼻炎気味である自分の場合にも当てはまる話なので、それならば検査中は苦しくとも終われば後に苦しみの残らない口からの方が少しはマシなのではないかと思うに至り、決死の覚悟をもって口から入れる胃カメラを選択したのだが、歯の治療でさえゲロゲロ状態になる自分はゲロゲロ状態になって看護師さんに迷惑をかけるのは目にみえている。

歯の型をとるためにペースト状のものを口の中に入れられて固まるまでしばらく待たなければいけないことがあるが、そんな時でさえゲロゲロ状態で目は溢れんばかりの涙できらめき、歯科助手さんが隣で
「もう少しですから頑張ってくださいっ!」
とか
「は、鼻でゆっくり息をして落ち着いてくださいっ!」
などと、まるで出産でもするかのような大騒ぎになってしまう。

鼻で息をせよと言われても、しまいには涙のほかに鼻水まで出かかって、とてもじゃないが鼻呼吸なんかできる状態ではなくなってしまうのである。

子どもの頃、風邪をひいて小児科に行くと金属製の平たい器具で舌を押さえられてノドの奥を見られたものだが、そんなときも必ず 「オエッ」 となっていたし、今でも歯磨きでブラシが奥歯付近にさしかかると 「オ゛エ゛ェェェ~」 となってしまう。

そんな自分が口から内視鏡を挿入され、それがノドを通ったまま何分間も我慢しなければいけないというのは拷問に近く、やってもいない犯行を自白してしまいそうなくらい想像しただけで嘔吐感にさいなまれてしまう。

すでに申し込んでしまったのだから覚悟を決めなければいけないのは分かってはいるが、なかなかまな板の上の鯉のような
「もうどうにでもしてくんな」
的な心境にはなれないでいる。

検査まで二週間をきってどんどん緊張が高まってきており、それに比例して憂鬱度メーターもうなぎのぼりで、すでにレッドゾーンに達しているためメーターを振り切ってしまいそうな勢いだ。

残り数日ともなれば緊張状態は極限にまで達し、胸の鼓動が早まって呼吸もハアハアしてくるかもしれない。

あまりの緊張から夜も眠れず、食欲もなくなってしまうかもしれない。

胃カメラを選択したばかりに、検査を受ける前に病気になってしまいそうな今日この頃である。

健康診断2009

冬支度冬支度

いよいよ明日から 11月。

北海道ではそろそろ冬の準備にとりかかる。

この時期、店を賑わすのはクリスマス用品、ケーキの予約、おせち料理のパンフレットというのが定番だが、北海道の場合はそれよりも広いスペースを割いて漬物コーナーが設けられる。

漬物を漬けるのに必要なタル、大量の塩、味噌、たくあんを漬けるための米ぬか、北海道ならではの漬物を漬けるために必要な身欠きにしん、米麹。

そして白菜、キャベツ、大根などが大量に積み上げられ、店の出入り口付近の特等席に陣取る。

その圧巻とも言える光景は決して大阪では見られなかったものだ。

ホームセンターの入り口付近にも、いったい誰が使うのか不思議に思えるほどの巨大なタル、必死にならなければ持ち上げられないような大きな漬物石が売られている。

そして、北海道の家庭には欠かせない除雪道具。

あ~冬が目の前まで来たんだなぁ~と実感することができる。

車を持つ人は冬に向けてタイヤ交換。

これから春になって雪が消えるまで、ずっとスタットレスタイヤを装着したままになる。

そしてワイパーの交換。

冬は雨だけではなく雪をも相手にしなくてはならなず、普通のワイパーでは歯が立たないし、昼間に解けた雪が夜中に凍り、ワイパーと窓が凍り付いてしまうこともあるので雪や寒さに強い樹脂製のワイパーを使う。

我が家には車もないし、漬物を漬ける習慣もないのでどちらもあまり関係のない話であったりするのではあるが・・・。

我が家の冬支度といえば重ね着用のフリースやら暖かいソックス、ニット帽に手袋、冬靴、外出用のモコモコの上着くらいなものだ。

除雪の用具はすぐに取り出せるところに保管してあるので本格的に雪が降ってから玄関に移動すれば良い。

実に簡単な準備であるが、最大の問題は暖房を準備するタイミングだ。

この家はオール電化となっており、暖房は深夜電力を利用して熱を蓄積し、翌朝になってそれを放出する仕組みになっている。

つまり、寒いからちょっとストーブを点けて・・・という訳にいかない。

昨年は北海道に帰ってきて初めての冬で、大阪の建物より構造がしっかりしている寒冷地仕様の家であるため室温はなかなか下がらず、11月 20日になってやっと暖房を使い始めた。

周りの人からは
「死ぬよ」
と脅されたり、
「お願いだから暖房つけて」
と懇願されたりしていたが、当の本人たちがひどく寒いと思っているわけではないので平気な顔をして生活していたものである。

大阪では真冬に部屋の中が 10度を下回ってもエアコンの暖房機能など使わず、厚着をし、コタツに入って暮らすのを 10年以上も続けたのですっかり慣れてしまっていた。

そして二度目の冬。

今日から三日間くらは最低気温が 0度付近、最高気温も 5度前後という日が続くので、ちょっと寒さが身にしみたりしているが、それを過ぎればまた最低 10度、最高 15度前後の日が続く。

せっかく大阪で身につけた寒さへの対処法、今年も 11月の中旬くらいまで暖房なしで乗り切ってやろうとか思ったりしている今日この頃である。

デジタル化の波 Signal-1デジタル化の波 Signal-1

デジタル化の波 ~目次~

なんでもデジタル化され、世の中が便利になりつつも既存のビジネスが成り立たなくなっているケースも多い。

ヨーロッパではインターネットの台頭とフリーペーパーの存在によって大手新聞社の発行部数が激減し、経営が立ち行かなくなるケースが増えている。

フリーペーパーとは無料新聞のことで、地下鉄や電車の駅前など人が多く行き来する場所に置かれている。

そのフリーペーパーだって文字や写真がデジタル処理できるパソコンの普及で発行が容易になり、参入障壁が低くなったことによって数が増えたのだろう。

昔であれば新聞記者が現場に行って取材し、会社に帰ってから撮ってきた写真を現像にまわし、取材メモを見ながら原稿を書いて校正などチェックを繰り返した後に文字写植をして印刷所でゲラが出来上がり、それを最終チェックしてから印刷するという膨大な作業があった。

ところが今では現場でパソコンを使って記事の原稿を書き、撮影したデジタル写真の中から最も良いものを選んて添付して Eメール送信すれば会社のサーバに蓄積され、各所から集まった記事をパソコン上で貼り付けたりレイアウトを整えたりして誤字脱字などがないかプログラムでチェックして印刷所に送信し、そのデータをそのまま印刷すれば新聞の出来上がりである。

このデジタル化によって原稿の締め切り時間が圧倒的に遅くなり、夜中の 1時や 2時のできごとが、その朝の新聞に掲載されていたりするので新聞を発行する側も読む側も受けた恩恵はかなり大きい。

ただし、それほど巨大な組織じゃなくてもコンピュータさえあれば新聞の製作が容易になったのでベンチャー的刊行物も増える。

新規の新聞を一軒、一軒営業して発行部数を増やすのは容易なことではないので、それならばと無料でばら撒いてしまい、購読者を一気に増やして露出度を高め、それを武器に広告を獲得して収入源とするのがビジネスモデルである。

最初は大手の新聞社も高をくくって見ていたが、あれよあれよと言う間に市民に受け入れられて発行部数を伸ばし、新規参入が増えて内容を充実させる競争が激化した結果、記事の質も向上して有力紙とそん色ないレベルに到達するに至り、もはや市民は料金を払って新聞を購読する必要がなくなってしまった。

慌てふためいたのが有力各紙で、びっくりするような勢いで購読者数が減っていく。

そこで発行元各社が選んだ道は自社の新聞も無料化することだ。

有力紙のネームバリューがあれば数あるフリーペーパーの中でも手にとってもらえる確率が高く、多くの人が目にするようになれば離れていったスポンサー広告も戻ってくるに違いないという目論見だろう。

しかし、記事の質が高まって信頼を得るようになった新規のフリーペーパーも多いことから、目論見どおりに行くか神のみぞ知るというところだろう。

遥か昔、新聞というビジネスの勃興期に星の数ほど生まれた新聞が勢力を競い合い、淘汰されて生き残ったのが現在の新聞社だ。

今から始まるのは戦いの延長ではなく、新たなフィールドでの戦いだと思ったほうが賢明であり、いくら有力紙といえどもスタートラインは他紙と一緒である。

これから数年後にどこが生き残っているのか分からない。

そんな厳しい戦いの時代は、おそらく日本にもやってくるだろう。

今の新聞各社、戦いの準備はできているのか、心の準備はできているのか、少なくとも戦略くらいは練っているのか。

読売新聞のナベツネはいつまでも偉そうにふんぞり返っていられないことを自覚せよ。

その戦いはいつ始まるか分からない。

もうすでに、誰かが水面下で準備しているかもしれないのだから。

デジタル化の波

時事ネタ時事ネタ

ネタがない訳ではないのだが、まだ体が本調子ではなく、少し鼻がグシュグシュしていてあまり集中力もないので、ここは本来の意味である雑感に立ち返り、ツラツラと思ったり考えたりしていることを書いてみようかと。

まずは JR西日本の腹立たしい件だが、『JR福知山線脱線事故』 が発生したころは大阪に住んでいたこともあって今も深く記憶に刻まれているし、被害者やその家族ほどではないにせよ、事の重大さは十分に認識できた。

部外者である自分ですら重大性を認識できるというのに、その後の JRの対応、態度はいったい何だ。

どこまで真剣に考えているのか分からないが、のらりくらりとしたまま 4年も 5年も経過してしまったように思えてならない。

おまけに調査報告書が公表される前に裏から手を回して内容を調べたり、その報告書を取りまとめている有識者と呼ばれる旧国鉄OBに金を渡して裏工作したり、その報告書の前に作成された 『事実調査に関する報告書』 も裏から手を回して入手したりと好き勝手にやり放題だ。

その件について、いくら被害者に対して謝罪と説明会を行ったところで二度と信頼、信用されることなどないだろう。

愚行とも奇行とも言える組織運営しかできないのであれば、日本の政治と同じく役員から役職者までゴッソリ入れ替えるしか体質改善はなされないような気がする。

日本の政治といえば、先の衆院選で民主党が圧勝し、日本の政治が大きく変わろうとしている。

「大きく変わった」 と、まだ断言できない段階ではあるが、少なくとも変えようと、変わろうとしている意気込みだけは伝わってくるので、もうすこし様子を見てやっても良いのではないかと思う。

自民党は政党の活動を助成する目的で国庫から交付される資金、それは税金そのものでもある政党交付金を 40億円以上も使って民主党に対するネガティブ・キャンペーン、つまりは相手のイメージを落とすような宣伝、広告を打ちまくってまで敗北するという惨憺たる状況で、「金返せ」 と言いたくもなるが、あまりにも惨め過ぎて同情してしまう部分もある。

しかし、新総裁を選ぶ段になっても妖怪のような長老議員が幅を利かせて自民党自体は何も変わらない、変われないことを国民の目にさらけ出し、結果選ばれたのがジジイたちの奴隷のような谷垣という有り様を見るにつけ、民主党が余程のポカとしない限りはこれから先、何年もの間にわたって再度の政権交代は有り得ないだろうということが脳裏をよぎる。

数年後には自民党など影も形もないくらいに瓦解し、民主党が 2党に分離して、そっちで二大政党制となっている可能性だってある。

ここは本当に危機感を持って対処しなければいけないということを古い政治家は分かっていないのだろう。

ひるがえって民主党は旧政権である自民党が残した負の遺産が大きすぎて、なかなか思い描いていた通りの政治ができずに苦労しているようだが、ここは毅然とした態度で、まずは自民党が残した負の遺産の整理、腐った部分の除去を行い、その後に民主党が掲げる政治を実行して世の中を作り変えると宣言すべきで、マニフェストに書かれた時間軸が多少はズレて工程表に遅れが出ても仕方ないのではないかと思う。

分かりやすく説明さえしてくれたら国民は多少の時間を民主党に与えるだろう。

それでも少し前の雑感に書いたように、ある程度のスピード感をもって臨まなければ来年の参院選でゆり戻し的現象で大敗する危険性もあるので、あまり時間をかけられないという悲しい事実もあるにはあるのだが。

この難局を乗り越え、国が良くなってきたことを国民が実感できるようになれば、民主党の黄金時代は当面の間続くものと思われる。

似たもの似たもの

長いこと同じ環境で生活すると外見やら性格やらが似てくるものらしい。

それは人間同士でもそうだし、動物と人間にも同じことが言えるように思う。

我が家の場合も同様で、『お買い物日記』 担当者と自分は似ても似つかぬ顔をしていたはずなのに、大阪に住んでいた頃に
「二人はきょうだい?」
と聞かれたことがある。

それはどっちが年上に見られたのかなどという問題はさておき、似て見えたのが顔なのか雰囲気なのか。

長年連れ添った夫婦は顔も似てくるものなのかも知れないと思わされるのは楽天ゴールデンイーグルス現監督の野村克也夫妻。

人はどう思うか知らないが、自分の脳の中では二人の顔が完全に一致する。

監督の人相をとことん悪くして、思いっきり厚化粧をすれば見事な野村沙知代のできあがり。

恰幅の良い男性の横に線の細い女性がいて、それが夫婦ということもあれば、もの凄いパワフルなオバチャンの後ろからヤギのようなオッチャンがトボトボと付いていくような夫婦もいるので一概には言えないと思うが。

しかし、ペットに関しては間違いなく飼い主に似ると思われる。

一説によると飼っている間に似るのではなく、飼い主が自分に似たペットを選んでしまうということもあるらしい。

そう言えば千里丘に暮らしていた頃に近所で飼われていたお気に入りの黒い犬はとても大人しい犬だったが、飼い主であるお父さんもとても静かな人だった。

いつも元気な五郎くんのお母さんもとても元気な人だった。

線路沿いのお宅で飼われていたパグのお父さんは失礼ながらパグにそっくりな顔をしていた。

過去を思い起こしても友達の家で飼われていた犬たちは、それぞれ何となく性格だったり顔だったりが友達に似ていたように思う。

猫を飼っている人は何となく雰囲気が犬系よりも猫系だったようにも思う。

現在、隣のお宅で飼われている犬は狸顔で何となく奥さんと似ているような気がしないでもない。

そして、千里丘で住んでいた借家の斜め向かいの家には実に変わった性格の人が住んでいたのだが、そこで飼われている犬も本当に性格が悪かった。

何度顔を合わせても慣れずに吠え続ける奴で、それも飼い主の足元に隠れるようにしながら卑屈な顔をして吠えている。

今までの様々な実体験からも、ペットは飼い主に似る、または飼い主は自分に似たペットを選んでしまうという説には心から共感できる。

子供の頃、実家で飼っていた犬は言うことを聞かず落ち着きがなく、しょっちゅう脱走して 2-3日は帰ってこないという駄犬を絵に描いたようなバカ犬だったが、あれは誰に似たのだろう・・・。

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思い出そうとしても、それがどういう理由だったのか定かではないのだが、マサルとノブアキの二人が自分の住むアパートを訪ねてきたことがあった。

三人とも暮らす場所はバラバラだったのに、どうしてマサルとノブアキがその町で合流したのか、そして、何の用事があって尋ねてきたのか。

とにかく何だか良く分からないが久々に三人が集まったのである。

最初は思い出話や近況など報告しあい、話しに花を咲かせていたのであるが、なにせ男同士なのでペチャクチャと話すこともそれほど続かない。

ましてや尋ねてきたのが昼間であり、酒が入っているわけでもないので余計に話が盛り上がるはずなどないのである。

そこで何となく家庭用ゲーム機で遊び始めたのが間違いの始まりだったのかもしれない。

選んだソフトはプロレスのゲーム。

無類のプロレス好きであるマサルは目の色を変えて遊びに没頭し始めた。

自分はゲーム制作会社に身を置いていたのでテレビゲームなど毎日目にしていたが、普段はゲームなどしないマサルとノブアキにとっては新鮮だったようで、どんどんゲームの世界にのめり込み、必死になって戦いを繰り広げている。

その戦いは終わることを知らず、どちらが勝っても負けても
「もう一回!」
と、どんどん深みにはまっていくようだ。

時間はどんどん経過して、ついにあたりが暗くなり始めた。

その日、我が家で少し遊んだ後はマサルの運転する車にノブアキを乗せて、三人共通の故郷まで帰省する予定でいたのだが、すっかりゲームに夢中になってしまった二人は予定を変更して泊まっていくと言い出した。

そのころの我が家には常に誰か彼か友達が遊びに来ており、夜を徹して遊ぶことなどざらだったので二人が泊まっていくのに何の支障もない。

とりあえず晩御飯がてら居酒屋に行き、しこたま食べて飲んで語り明かした。

帰宅後は再び戦いが始まり、それは深夜にまで及んだので翌朝早くに出発できるはずがない。

何となくテレビゲーム機の電源を入れ、戦いが始まるともうだめだ。

「もう一回!」
が部屋にこだまし、エンドレスに戦いは続く。

結局、マサルとノブアキが何泊したのか、どうやって帰省したのか、はたまた本当に帰省したのか今となっては思い出せもしないが、それからしばらくの間、マサルの母親から
「君と遊んでばかりでさっぱり家に帰ってこない」
と責められたものだった。

自分の場合もそうだが、帰省して親の小言を聞いているより友達と遊んでいるほうが楽しいに決まっている。

そんな訳で帰省のたびに三人で会い、酒を酌み交わす日々はまだまだ続いていくのであった。

マサルノコト

ところ変わればところ変われば

北海道に帰ってきて 1年と 7カ月が経過したが、今でも時々は大阪に住んでいるような感覚を覚えることがある。

それがどういうタイミングで感じるのか定かではないが、例えば買い物をしているときなど周りの買い物客の会話が耳に入ってくることがあり、その言葉を聴いたときに関西弁ではないのを不思議に思う瞬間があるのである。

ここは北海道であり、大阪から帰ってきたのだと実感できる瞬間だ。

この町にも様々な土地からやってくる人があり、稀にではあるが関西弁で話す夫婦もおられるので、その会話を聞いてひどく懐かしく感じたりもしている。

一般的な生活をしていると関西弁に触れる機会などそうあるものではないが、テレビを見るとそこには関西の言葉が溢れている。

テレビ局自身が番組制作能力を失い、ジャニーズ事務所やら吉本興業が企画制作する機会が多いので、おのずと関西人の露出が多くなる。

おまけに以前の独り言にも書いたように北海道では多くの関西ローカル番組を見ることができるので、ここでも関西弁を聞くことができる。

そして極めつけは日本ハムファイターズの野球中継、ファイターズにまつわるテレビ番組だ。

北海道に帰ってきて驚いたのだが、ファイターズの扱いが関西における阪神タイガースの扱いとほぼ同等であり、デーゲーム、ナイターを問わず試合があればテレビ中継されることが多く、その結果を伝えるファイターズのためのテレビ番組もあり、北海道ローカルのワイドショー、バラエティ番組にはファイターズのコーナーもあるし、深夜には録画の試合を放送していたりする。

「こんなことになっていたのか」 と愕然とすると同時にもう一つ驚いたのが、2006年に現役を引退して阪神を退団した片岡篤史がシーズンの間、ほぼ北海道に常駐してテレビに出まくっている。

さらに大阪府八尾市出身でバリバリの関西人である岩本勉も片岡以上に北海道に入り浸り、テレビでの露出度は極めて高い。

二人ともファイターズ出身であるとは言え、すっかり北海道に根付いてレギュラー番組まで持つ超有名人となっているのは驚きだ。

大阪に住んでいたころ片岡は阪神タイガースで現役だったし、2005年に引退するまで岩本の姿もテレビで良く見ていた。

そんな二人を北海道に帰ってきてまで見ることになろうとは、誰が想像し得ただろうか。

昔から 「ところ変われば品変わる」 と言い、土地が違えば、それに従って風俗、習慣、言語などが違うものであるし、水も空気も食べ物も変わるものである。

食べ物に関しては少し前の雑感に書いたように味の違いを実感しているが、近所づきあいも少なく家にこもりっ放しで会話も少ない自分には言葉の違いを実感する機会が少なく、テレビから流れてくる言語は圧倒的に関西のものが多いので、いまだに北海道で暮らしていることを忘れる瞬間があるのだろう。

それにしても関西人恐るべしである。