先月、9年ぶりに帰省して母親と会ってきたが、実は久々の再会を楽しみにするより、ちょっとした恐怖心というか若干の抵抗というものがあった。
何せ会うのが 9年ぶりのことであり、ということは当たり前のことながら、お互いに 9年の歳を重ねたということであり、いったいどれだけ老け込んでしまっているのかと思えば顔を見るのがちょっと怖くもあり、憂鬱でもあったり。
しかし、長いこと顔を見せない親不孝をしていたのは自分であるからして、たとえどれだけ老け込んでヨボヨボの婆さんになっていようと現実として受け止めなければならないのであり、今さら帰省を取りやめることなどできるはずもないのだからと覚悟を決めて実家に乗り込んだ。
実際に会ってみると見た目は以前とさして変わらず、さすがに多少は老けた顔をしているものの、覚悟していたような老け込み方はしていなかったので少し安心したり拍子抜けしたりした。
見かけはさほど老化は進んでいたなかったものの、悲しいかな確実に老化は進んでいるようで、帰るたびに同じ話を何度も聞かされるのは仕方のないことか。
そこで 「それは前に聞いた」 とか 「何回も同じ話をするな」 と言うから喧嘩になるのであって、とりあえず聞いているふりをしていれば丸く収まるということを最近になって学習した自分は聞き役を 『お買い物日記』 担当者に任せてテレビを見たり持参したパソコンに向かったりしていた。
それでも時々は聞こえてくる会話に耳を傾けると自分が子供の頃、赤ん坊の頃のことにまで話が及んでいる。
聞くとはなしに聞こえてくる会話ではあるものの、思考は生まれたばかりの遥か以前の記憶をたどっていた。
たぶん、生を受けてから今までで最も古い記憶、それは目の前に鉄格子のような柵があり、その向こうで父親が床に広げた新聞をあぐらをかきながら読んでいる記憶。
そして、自分がいる場所のすぐ右側からは食器のカチャカチャいう音がする。
たぶん台所があると思われるのだが、位置関係からそれを見ることができない。
その鉄格子を越えて自由に動きたいとか、父親のそばに行きたいとか感じている訳ではなく、ただボ~っとその光景を眺めている記憶。
それは母親に言わせると、生まれたばかりのときに住んでいた官舎であり、台所のすぐ横にあった二階に上がるための階段のことではないかと。
台所仕事をしている時にチョロチョロと動き回ってストーブを触ったりしてはいけないと、ちょうど寸法が一緒だったベビーベッドの柵を外して階段の上り口に取り付け、その中に自分を入れておいたのだという。
まだ自力で階段を登ることはできず、ベビーベッドの柵も越えられないので中に入れておけば安心だったのだそうだ。
それをしていたのは生後半年くらいから一歳半くらいまでの間だったとのことで、母親は 「そんな小さい頃の記憶があるはずがない」 と疑うが、自分の脳にはハッキリとした映像と音声が刻み込まれているのである。
生まれ育った町に帰り、その陽射しを浴び、その空気を吸うと様々な記憶がよみがえってきた。
自分が歳をとって忘れてしまわないうちに、これから少しずつ書き留めておくことにしようと思う。