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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

任命責任任命責任

もう KO 寸前でフラフラと足がもつれながら、やっとの思いでかろうじて立っている麻生政権。

本来であればセコンドについている身内がしっかりとアドバイスしたり支えたりしなければならないのに、それが酔っ払いときたもんだ。

中川昭一財務・金融担当相がヘロヘロ状態で記者会見して全世界に醜態をさらした件で引責辞任に追い込まれ、麻生総理の任命責任が問われている。

すでに顔を見るのも腹立たしい麻生総理をかばう気など毛頭ない。

しかし、本音を言えば 「酒癖悪いの知ってたけど、あそこまでアホだとは思わんかった」 ってとこだろう。

実際に酒癖の悪い奴はいる。

酒に酔って海に落ち、危なく命を落としそうになった奴。

普段は紳士を気取っているくせに酒が入るとドSの本性むき出しに女子社員をいじめる奴。

下ネタ連呼で周りから完全に引かれる奴。

記憶をなくす奴。

自分が一定以上の酒を飲むと記憶がなくなることを知っていて、それを言い訳にする馬鹿もいた。

酒の勢いで散々悪態をついて、途中までそれを自覚しているくせに知らぬ存ぜぬ記憶がないと逃げまくる。

しかしその男、与えられた以上の仕事はできる。

したがって、仕事の重要な位置を占めるポジションを与えてやりたい。

ちょっとドキドキしながらも
「責任ある仕事を自覚せよ」
と言い渡して任に着かせる。

その仕事ぶりを見て
「なかなか張り切ってやっておるわい」
と目を細めているとクライアントとの酒の席で醜態さらして大問題。

身内に酒癖が悪いのを見せることはあっても、自分もそれを自覚しているのだから大事な場面では酒を飲まないとか、一定量でやめておくとか大人な対応ができて当然であって、そういう行動をとるものだとこちらだって期待している。

いや、期待というよりも、それはあまりにも当然のことだ。

人間としてできない方がおかしい。

任命責任を問われても、一般常識がない人物だとは思わなかったのだから仕方がないだろう。

いや、国の命運を左右するほど重要なポストには 1%でもヤバい可能性がある人物を就けてはいけないと思われるので、やっぱり任命した責任は負うべきか。

いろいろな波乱と笑いを振りまいてくれた本件ではあるが、G7が開催されていたローマがあるイタリアのメディアの記事は洒落ていた。

「ここイタリアには、眠気覚ましにいいエスプレッソ・コーヒーがある」

“で” と “が” で大違い“で” と “が” で大違い

日本語は難しいもので、ほんの少しの言い回しや言葉の使い方、選び方で相手に与える影響が大きく異なったり、良い印象を与えたり逆に悪かったり、時には伝わる意味まで異なってしまう場合があるので注意が必要だ。

アメリカ大統領に就任したオバマ氏の演説が好評を博し、関連本が発売されたり英語の教材として取り上げられたりしているが、これは日本の総理大臣にこそ勉強して頂きたいものであり、見習って頂きたいものであり、言葉の持つ力と言うのは極めて重大であって、逆に言えばマイナス効果というのも時によって計り知れない場合があるので注意が必要だと認識していただきたい。

我々庶民においても注意を必要とする場合がある。

仮に取引先のお偉いさんと会食の場なんぞ設けられたと仮定する。

相手にとっては行きつけの店であってもこっちにとっては初めての店。

何が美味しいのか何がお薦めなのかも分からない。

相手より高額なものを注文する訳にもいかず、かと言ってあまり低額なのも何である。

ここで陥りやすい間違いは、相手が注文したものに合わせて
「私もそれでいいです」
などと言ってしまうこと。

「それでいい」 とは何だ 「それで」 とは!?

考えるのが面倒だから 「それでいい」 のか、どれもこれもパッとしない料理だから適当に 「それでいい」 と答えているのか。

相手と同じものを食べたい、美味しそうだから自分もそれを食べたい。

そう思っているのなら、そんな時は
「私もそれ “が” いいです」
が正解だろう。

もっと言えば
「私も同じものが食べたいです」
であり、「それ “で”」 と 「それ “が”」 では大違いなのである。

テレビ、映画、漫画、何でも良いのだが、恋愛ドラマ系のセリフも同様だ。

「君はそのままでいい」
などと言った日には、もう諦めてどうでもよくなっているのかと受け止められかねなく、一歩間違えると百年の恋も一気に冷め、一瞬にして奈落の底に叩き落される危険性をはらんでいる。

相手に変わらずにいてほしいことを表現、伝えたいのであれば
「君はそのまま “が” いい」
が正解であろう。

ことほど左様に “で” と “が” では大違いな場合があるが、大多数の人にとって
「君はそのままがいい」
などというくっさいセリフを吐くシーンなど、そうそう訪れるものではないので気に留める必要もないのかもしれない。

輿論と世論輿論と世論

輿論 (よろん) と世論 (せろん) は似て非なるものである。 単なる世論調査でしかないくせに、ことのほか重要なデータであるかのように取り上げるマスコミは問題だ。 また、世論(せろん)は 【よろん】 とも読めるが故に混同されやすいのも事実ではある。

人々が考えて回答したものを集約した公的意見が 『輿論(よろん)』 であり、世の中のムードや好き嫌いのようなボンヤリしたものが『世論(せろん)』 であるにも関わらず、世論調査の結果が国民の声や意志であるかのように判断するのは危険だろう。

あくまでも世の中の雰囲気でしかない世論が国政に影響を与えるような重要な問題を尋ねる調査で簡単に使われているのもどうかと思う。 一般人は政治のことを深く考え、理解し、確固たる信念を持ち、自分の意見として回答している訳ではないだろう。

自民党がアホだとか民主党は幼稚だとか、麻生太郎がバカだとか小沢一郎の顔が怖いとか雰囲気や好き嫌いだけで回答しているのが大多数だと思われるし、そもそも世論調査では実施する側に有利な回答が導き出されやすく、誘導された結果が出て利用されやすい。

以前は対面調査で調査員と回答者が実際に会い、30分くらいかけて実施していたので、真面目に答えているのかも目を見れば判断できたし、回答する側も考える時間があったが、今は電話調査が主流になり、面倒だから早く切りたいという意識も働き、深く考えずに答えることが多いものと思われる。 かなり以前のことになるが TBS系の地方テレビ局から世論調査の電話を受けた自分もそうだった。

それはまだ橋本龍太郎総理大臣のときだったが、消費税率を 3%から 5%に引き上げたことによってバブル景気崩壊後、緩やかに回復軌道に乗りつつあった日本経済の足を引っ張る結果になったこともあって相当な批判を浴びていた時期であったことと、当時は政治に対してそれほどの興味を持っていなかったこともあって、世の中の流れに沿って橋龍批判をした記憶がある。

それも最初はちょっと真剣に答えていたのだが、質問項目が多くて面倒になってしまい、深く考えもせずに回答して早く電話を切ろうとしたのも事実であり、そうだったのは自分だけではないと十分に推測されることから、やっぱりそれは世論でしかなく、決して輿論などという高尚なものではないだろう。

これから益々ネットが普及し、そこで世論調査が行われる機会も増えるものと思われるが、そうなれば益々ボンヤリとした雰囲気だけの結果になるのではないだろうか。 無機質な文字データが並び、「はい」 「いいえ」 のラジオボタンが並んだ画面の前で人が真剣に考え、血の通った意見を導き出せるとは思えないし、そもそも 「はい」 「いいえ」 は決して意見ではないし、回答とすら呼べないようにも思う。

小泉首相が好きとか嫌いとかに関わらず郵政民営化は必要だと思っていたので政策を支持していた。 消費税なくしては今の日本は語れず、国は財政破綻を来たしていただろうから竹下首相があそこまで悪く言われる必要があっただろうか。 過去において、世論と自分の考えが同じ時期もあれば異なる時期もあった。

しかし、麻生首相に関しては褒めるべきところ、良いところが顕微鏡で探しても見つからないので、支持率を含めた世論調査の結果は、むしろ輿論に近いのかもしれないと思ったりしている。

先祖返り先祖返り

企画から生産、販売までを一体化して手がける業態を SPA と呼ぶ。 SPAは Speciality store retailer of Private label Apparel の略で、Apparel(アパレル)というからには衣料品関連のことであり、80年代に米国のカジュアル衣料ショップ 『GAP(ギャップ)』 が提唱して消費者の支持を集め、日本では 90年代の半ばから 『ユニクロ』 や 『無印良品』 がその手法を取り入れている。

ただし、現在ではアパレル業界に限らず、素材調達、企画、開発、製造、物流、販売、在庫管理、店舗企画などすべての工程を 1つの流れとするビジネスモデルのことと定義されおり、つまりは自分で作ったものを自分で売っていれば何でも SPA というビジネスモデルでくくられる。

最近では大手スーパーに限らず、コンビニ各社まで PB(プライベート・ブランド)を取り揃えるようになったが、あれも SPAの変形、亜種と言えるかも知れない。 製造工場こそ委託しているかも知れないが、自社で企画したものを自社の物流網に乗せて店頭に並べ、自ら在庫管理して販売するのだからビジネスモデル的には SPAと同じである。

それはさておき、この SPAというビジネスモデル、何がメリットなのかと言えば販売する際に顧客の要望などを的確にキャッチできたり売れ行きを早期に判断できるため、情報ネットワークを通じて製造段階にフィードバックすることができ、製造サイドではその情報を基に生産調整をして在庫を減らしたり、人気商品の増産をすることが可能になる。

さらには顧客の意見を反映した商品を開発し、すぐに生産を開始したりもできるので世の中のニーズを的確に捉えることもできるという、誠に企業にとって都合の良い仕組みでるのと同時に、在庫軽減、大量生産を両立させることによるコスト削減効果で単価を低く抑えることができるので安く販売することが可能となり、結果的に顧客の利益にもなる。

ここまで優れたビジネスモデルであれば無敵のようにも思えるが、果たしてそうなのだろうか? 自分で作ったものを自分で売る。 自分で採った野菜を自分で売る。 自分で獲った魚や動物の肉を自分で売る。 これらはすべて経験済みのことであり、その昔はどんな業種の人もそうやって商売をしていた。

それが効率を求めた結果、作る人(生産)、それを運ぶ人(流通)、それの在庫を調整する人(卸売り)、それを売る人(販売)に別れ、それぞれが専門特化したのであり、それを否定してすべてを自社でまかなうということは商売、ビジネスモデルの先祖返りに他ならないのではないだろうか。 昔の何が悪くて業務が細分化されたのか、そして今、それの何が悪くて元に戻ろうとしているのか。

このまま進めばそれぞれの業種が SPA化し、自分の作ったものを自分の店舗で売るようにってスーパーや百貨店などに売ってもらう必要がなくなり、昔ながらの商店街みたいのが復活したりするのだろうか。 そこには人情味あふれる店主と顧客の会話があり、顧客はパック詰めされたものより自分の必要なものを必要な分だけ買う、量り売りも復活するかもしれない。

それが続くと、また一箇所で全てのものが買えたら便利だということになってスーパーや百貨店が出現し・・・・・。 そうやって時代は繰り返されるのかもしれない。

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世の中は受験シーズン真っ盛りで合格祈願グッズやら食べ物で店は溢れかえっているが、当時のマサルや自分にも当然のことながら受験はやってきた訳であり、それはマサルとの付き合いが一番濃密で楽しかった中学校生活にも、そろそろ終わりに近づいてきたことを意味していた。

中学校二年のときの担任とマサルのおかげですっかり更生して学力も向上し、テスト結果も上位に名を連ねるようになり、地元では成績優秀な生徒が集まる進学校への入学も不可能ではないことを教師から告げられていたが、自分は高校へ進学する気などさらさらなかった。

ずっと絵を描くのが好きで絵の勉強をし、絵で生計を立てるのが目標であったのだが、絵を専門に教えてくれる高校など皆無であり、美術系の大学に進むためにも高校には行かなければならないなどという親の説得にはリアリティーを感じることができず、単に世間体を気にして 「高校だけは行ってくれ」 と言われているような気がしたので反抗心すら抱いていた。

それでも担任の教師やら親やら、挙げ句の果てには叔母までもが進学せよと迫るので、仕方なく地元の工業高校の建築科を、単に電気課とか機械科よりも設計図を描く分だけ少しは絵に近いかもしれないという理由だけで受験することにした。

自分としてはそれだけで 「どうだ!」 的な思いだったにも関わらず、一応は滑り止めも兼ねて少し離れた町にある、ちょっとランクの低い私立高校も受験しておくべきだなどと周りが勝手に騒ぎ出し、一校を受験するだけで十分だと思っていた自分は面倒だからと強硬に反対したのだが、あーもこーもなく周りの大人たちに押し切られるかたちで受験する羽目になってしまった。

次の日、マサルにブツブツと文句を言うと 「俺もそこ受けるぞ」 と教えられ、まあ、それならそれで修学旅行気分になって楽しく受験するのも悪くないかもしれないと思い直していたのだが、入試日の前日になって高熱を発し、マサルや他のみんなと一緒に前日に現地入りすることができなかった。

母親はオロオロし、心配するやら 「そんなに受験が嫌なのか!」 と怒り出すやら、熱で頭がボ~っとするやら体調が悪いのでイライラするやらで、家に居ても落ち着かなかったり大喧嘩に発展することは必至であるため、熱があるのにも関わらず父親に頼んで入試会場のある町まで送ってもらい、みんなと同様に前日から現地入りして一泊することにした。

不思議なもので宿泊先に到着すると体調が悪いのも忘れて腹一杯に飯を喰らい、受験前日だというのにマクラ投げをしたり布団の上で暴れたりと、修学旅行と変わらぬ夜を過ごし、おまけに夜更かしまでしたものだから発熱との相乗効果でフラフラになりながら試験会場に向かった記憶がある。

しかし、記憶しているのはそこまでであり、実際に受験する高校に着いた記憶も校内に入った記憶も試験を受けた記憶も、はたまたどんな問題がでたのかなどという記憶もすっかり抜け落ちており、それが終わった記憶も学校を出た記憶も何もなく、次に記憶が繋がるのは国鉄(現JR)の駅にみんなで集まり、帰るシーンになってからである。

とにかく発熱で疲れ、前日の大騒ぎで疲れ切っており、フラフラの状態だったので記憶力も低下していたのだと思われるが、もしかしたら試験会場では入試問題を解かずに寝ていたのかもしれないと不安になるほど見事に記憶が飛んでしまっていて、だからといって何もする気にならないほどの疲労感でマサルと何か会話したのかすら覚えていなかった。

電車に乗り込むと車内は溢れんばかりの人で座れる席などまったくなく、立ったまま 1時間以上の移動をしなければいけない状態だったが、とにかく疲れていた自分はマサルを誘ってグリーン車に行き、「車掌さんが来たら席を立つか追加料金を払えばいい」 と相談して空いている席に並んで座り、シートを少し倒したとたんに再び記憶を失った。

それはマサルも同様で二人そろって一瞬にして眠りに落ち、そのまま爆睡してしまったらしく、次に記憶がよみがえったのは電車が自分の住む町に到着したところなのだが、果たして車掌さんは来なかったのか、実際は来たのに気持ち良さそうに眠っている二人の中学生を起こさなかったのか、入試の帰りだと分かっていて、あえて無視してくれたのか。

結局、一応は志望した工業高校に合格したので滑り止めだった私立高校のことなどどうでも良いのだが、自分はまともに試験を受けたのか、果たして合格していたのか、当時は何の興味もなかったので合否を調べもしなかった自分も悪いが、その点についてはいまだに謎に包まれたままなのであった。

マサルノコト

泡沫の夢泡沫の夢

お買い物日記』 担当者は今でも定期的に入院しているが、それは抗がん剤治療を受けるための入院であって決して体の具合が悪くて入退院を繰り返している状況ではなく、副作用には苦しめられるものの、退院する頃には普段と変わらぬ元気な状態になっている。

それでも前日までは食欲もなく、あまりたくさんの量を食べていないので、退院当日の昼食は胃の慣らし運転の意味も含めてうどんを食べるのが定番化しており、そのうどんも天ぷらや油揚げ、肉などがトッピングされていない 『すうどん』、いわゆる 『かけうどん』 が望ましいことから、本格的なうどん屋さんに入る必要もないので駅地下にある 『なか卯』 を利用している。

吉野家に松屋、そしてなか卯といえば少し前まで男のオアシスであり、小遣いを減らされたサラリーマン、あまり金を持たない学生の心のよりどころ、スタミナの供給源であって店内に女性の姿を見ることなど皆無と言っても過言ではなかったのだが、退院のたびに立ち寄るなか卯では若いカップル、女性だけのグループ、中には若い女性が一人で牛丼をかき込んだりする姿が見受けられ、そこに大きな時代の変化を感じてしまう。

1980年代の後半、日本全土がバブル経済に酔いしれ、その余波は金など持っているはずのない学生や若者の懐までを潤し、高級ブランドの洋服で身を固め、高級ブランドのバッグを持ち、高級車を乗り回して高級レストランで食事をするのが当たり前にすらなり、安さが売り物の外食チェーン店など女性から見向きもされていなかった。

女王様のように着飾った女性たちはアッシー君(死語)に高級レストランまで送らせ、メッシー君(死語)と食事を共にし、タクシーで夜の街に繰り出して狂喜乱舞し、鼻の下を伸ばした不動産屋のオッサンに高級アクセサリーや金を貰い、再びアッシー君に迎えに来させて分不相応な高家賃マンションに帰るという生活を当時は続けていたはずである。

最近の若者は堅実で贅沢をせず、それ相応の楽しみ方を知っているので無駄な出費もせず、自分専用の自家用車など望みもせず、むしろ必要性すら感じず、高級な場所で食事をする必要性も必然性も感じないから、味さえ良ければ低価格な外食チェーンであろうと人目を気にすることなく入店するのだろう。

そもそも人の目とは、その時代や経済状況によって容易に変質し、移ろいやすいものであるから、バブル期における見栄やプライド最優先の価値観とは明らかに異なっており、そういう店で食事をしている人を見て 「フフン」 と鼻で笑う人も今となってはいないのであろう。

そう、20年前のあの時、日本は狂っていたのであり、その後に大きな代償を払い、10年間以上も苦しむなどとは誰も気づかず、バブル(泡)が壊れやすいことも忘れて泡沫(うたかた)の夢に酔いしれていただけで、今が正常な世の中なのだろう。

本音本音

官僚が 『年越し派遣村』 に関して 「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」 と発言したことが問題となり、マスコミがギャーギャー騒いだ結果、謝罪するに至るという誠に日本的な結末になったのは実に浪花節的である。

しかし、官僚の言ったことには一理あり、少し言い方を間違えただけで 「まじめに働こうとしている人たち “だけ” が」 とすれば何の問題もなく、むしろ派遣村で起こっていた問題点を的確に世に知らしめる結果となって賞賛に値する内容だったのではないかとさえ思える。

集まった 500人とも 600人とも言われる人の全てが派遣切りの憂き目を見て不幸な環境におかれていたとは思えず、寝床と食料にありつけるという理由から、もともと働く気がないホームレスだって相当数が紛れ込んでいたと思われる。

1995年に発生した阪神・淡路大震災の時だってそうだったが、神戸に行けば少なくとも屋根のある避難場所で寝泊りでき、三食昼寝つきで一週間に一度くらいは入浴もできることが分かると、被災者でもないのに大勢の人が神戸に向かい、大阪のホームレスの数が激減した事実がある。

派遣切りに遭ったのは事実だろうが、何らかの事情で派遣契約しかできなかった人ばかりではなく、自由に転職でき、自由に働く期間を決められることを望んで派遣登録していた人も大勢いるはずであり、それを楽しんだり謳歌していたくせに、いざこのような事態になると態度を変え、派遣村に紛れ込んで 「けしからん」 とか 「自分は弱者だ」 と騒いでいる人もいるはずだ。

官僚が言った 「学生運動的な戦略のようなものが垣間見える」 との発言も、ある程度は的を得ていると納得できるシーン、それは、協力を要請されて厚労省が施設を緊急避難所として開放する決断を下した結果に対して 「感謝します」 ではなく 「評価する」 と言い放つ姿がテレビに映し出されていた件であり、何様のつもりかと胸ぐらをつかんで問いただしたくなってしまう。

その物言いは完全に学生運動的、政治活動家的なものであり、本人が否定したとて他人にそういう印象を持たれてもなんら不思議ではない発言、態度の人が主たる役割を果たして組織化され、派遣村が形成されていたとすれば 『学生運動的な戦略』 と見なされ、または警戒されるのは当然だ。

実際に派遣村でリーダー的な役割を果たしていた人の中には政治活動家も多くおり、貧困層に政治思想を植え付ける活動を行っていたという指摘も様々な方面で広く語られていた訳であるから、マスコミがその情報をキャッチできていないはずはなく、万が一キャッチできていない程度の情報収集能力であるとするならば 「報道なんかやめてしまえ」 と言いたい。

そんな事実すら勘案せずに (派遣村の住人 = 弱者) > ((派遣切り企業 + 政治)= 悪者) という図式を一方的に組み立て、弱者保護、間違った正義感丸出しに騒ぎ立てて世論をミスリードしているのは罪ではないのかとすら思えてくる。

人材派遣に関する規制緩和の行き過ぎ、小泉政権時代の負の遺産などとアホみたいに吠えているが、そうしなければ日本企業はグローバル市場で戦えなかったのは事実であり、もし製造業への派遣を規制しようものなら、過去のアメリカのように製造業が海外にシフトして日本国内から産業が消え失せ、結果的に大きく雇用を失う結果となるのは自明の理であろう。

問題視された官僚の発言は本音だったと思われるが、それが本当に問題だったのかどうか、マスコミは派遣村に集まった多くの人に取材して、なんちゃって弱者がいなかったのか、妙な思想家はいなかったのかを調べてから報道すべきだっただろう。

北の味覚北の味覚

一昨年末までの出来事がまるで嘘であるかのように、昨年末にゆっくりと正月を迎える準備をすることができたのは、北海道に帰ってきて最初の年末年始であることから要領をつかむことができずに状況を静観していたことと、北海道で暮らしていた以前の記憶がさっぱりよみがえってこないことに加えて、『お買い物日記』 担当者の体調を考えて無理をしなかったことが要因だ。

いつもの年末、いくら大売出しがあろうとスーパーには普段より高い食材が並び、「どこが年末セールなんだ!」 と文句の一つも言いたくなるような価格設定に腹立たしさすら覚えたものであり、そういう事態を想定済みな 『お買い物日記』 担当者は事前に購入したカマボコなどを冷凍保存できないものかと試行錯誤したりしていたものである。

昨年末、北海道の場合は年末に近づくに従って食材の価格が高くなるのか、ハッキリした記憶がないまま 「今年は勉強」 と割り切り、事前の買いだめや準備をしないまま年末セールを迎えたのだが、その価格は一部の製品を除いて普段よりむしろ安くなっており、あの大阪での出来事はいったい何だったのかと大きなクエスチョンマークが頭上でボヨンボヨン揺れることとなった。

誰もが必要とし、消費期限の短いカマボコなどは年末ギリギリに買い求めるしか方法はなく、だとすればスポット的にその期間だけ価格を上げても消費者は諦めて泣く泣く購入せざるを得ない状況に追い込まれ、店側の思う壺であることは分かっていても 「まあ、せっかくの正月だから少々高くても」 という理由にも後押しされて財布の紐を緩めてしまう。

商売としてはそれが王道、定石なのであろうし、店側もそれで普段より大きな利益を得て楽しい正月を迎えることができるのであろうから、ある意味において仕方のないことだとも思えるが、北海道の場合は全く逆で、普段よりも安い価格で提供されることに多少の驚きを感じつつも、年末になって必死にやりくりする必要がないのは何とありがたいことかと感謝すらしてしまう。

きっと関西は商売優先、北海道は商売よりも 「みんなで正月を楽しみましょう」 的雰囲気が優先されるものと思われ、その点においては故郷である北海道の方が自分たちに合っていると、しみじみと感慨にふけったりした年末だった。

売られているものは肉、魚、野菜とも圧倒的に地元のものが多く、地元のものがなくても北海道産、それがなくても国産、それがなくてやっと輸入物という割合で、さすがに自給率 200%の土地柄だと感心してしまうのと同時に、全国的にブランドとなっている北海道の食材を新鮮なうちに、さらには安価で手に入れられることに対して感謝すらしたい気分である。

化学の味が嫌いなのでお節料理もなるべく手作りにしている我が家だが、作るのが超面倒だったりするものは既製品に頼っており、今回久々に地場産業の既製品を食べてみたところ、その味付けはやはり体に合っているらしく、もちろん関西風の味付けや京風の味付けも美味しかったのは事実としても、体に染み渡り、遠い記憶を呼び覚まされるような懐かしい味わいは最高だ。

空気や水、食材や味が体に合うか合わないかは最低限なことでもあるが、日々積み重なっていくものであるから最高水準の条件であったりするので、今のところはきっかけが何であったにせよ、北海道に帰ってきて本当に良かったと 『お買い物日記』 担当者と二人、心から喜んでいるところである。

2008年の終わりに2008年の終わりに

いよいよ今年になって 51回目の雑感であり、今年最後の雑感である訳だが、あまりにも色々なことがあり過ぎであり、若者風に書けば有り杉であり、とてつもなく長い一年だったような、あまりにも早い一年だったようにも感じる、誠に特殊な出来事が積み重なった年だった。

世の中的にも激動の一年で、春先までは大手各社とも過去最高益を更新する決算発表でまさに我が世の春を謳歌し、世界経済も膨張を続けているゆえにエネルギーや資源が不足するだろうという憶測からウランや原油はもちろん、希少金属(レアメタル)から鉄やパルプ、果ては小麦から海産物、乳製品に至るまで、ありとあらゆる資源が高騰してハイパーインフレ時代への突入が危惧されていた。

ところがアメリカ発のサブプライムローンに端を発する金融危機から世界経済は真っ逆さまな下降線をたどり、今となっては大幅な減収減益、赤字決算も視野に入ったことから非正規雇用者をかわきりにリストラが加速し始め、新卒者の内定取り消し、正社員のリストラまで事態は悪化するに至り、やっと退治したと思われていたデフレという悪魔の影が再び日本や世界に忍び寄ろうとしている。

独り言』 に何度となく書いたが、数カ月前から世界のあちらこちらで予兆はあり、危ういバランスの上で経済が成り立っていることくらいは十分に分かりきっていたものと思われるのに、株で生計を立てている、セミプロであるはずのデイトレーダーや本当にプロでなければいけない金融機関はどうして投資を中止し、資金を引き上げることができなかったのか不思議でならない。

こんな時くらいはしっかりしてほしい政治も混迷の度を深めているが、福田氏の後で誰が総理になろうと自民党に関心が向いて支持率が上がるはずもなく、簡単に総選挙に打って出れないことくらいは容易に想像できたことであり、何を今さら KY 空気読めないとか KY 漢字読めないとかで騒いでいるのかと実にアホらしくなってしまうが、とりあえず一人造反した渡辺喜美氏はちょっと面白いなと。

世の中のことはさておき自分の身の周りにも重大な出来事が山積した一年で、まずは年初の義兄重病の知らせから始まり、東京での診察、余命の宣告を受けて引越しの決断、怒涛の作業を終えての引越し、努力も虚しく訪れた義兄の死、それにも関わらずこの町への定住の決断、絶対に止めない宣言をしていたにも関わらず禁煙を始め、『お買い物日記』 担当者の重病発覚、今も続く治療。

通常は何年もかけて身に降りかかることが一度に襲ってきた感じであり、体力、精神のバランスを保つのがやっとな一年だったと心の底から思えるのと同時に、北海道に帰ってきたことが結果的に幸いしているものと思われ、以前の雑感にも書いたように、すべては義兄が導いてくれたのではないかとさえ思えたりする。

『お買い物日記』 担当者が大病を患ったのは不幸なことだが、あのまま大阪で暮らしていたら病院など行かず、結果的に手遅れになったであろう事は容易に想像することができ、また、全国的に産科医が不足する昨今において、この町の日本赤十字病院は医師を確保して 7月から産婦人科を再開したばかりというタイミングの良さも味方してくれた。

また、良い病院で治療を受けられるのも北海道に住む叔母の紹介があったからであり、入院患者との交流や看護師さんとのふれあいも、生まれ育った北海道の人柄、言葉に触れていられることは心穏やかに、安心して入院したり治療を続けられる大きな要因になっているものと思われ、長期間の闘病生活にとって言葉で表せないようなプラス作用があるだろう。

世の中もプライベートも本当に色々あったし、世の中は来年も大変なことになるのは間違いないだろうが、ちょっと利己主義であるのは自覚しつつも今は他人のことまで思いやる心の余裕がなく、自分たちと、その周りの身内、ごく一部の人たちが幸せであることだけが望みだ。

そんな小さな幸せを願いつつ、今年の雑感を終わろうと思う。

しっぺ返ししっぺ返し

まだまだ 『派遣切り』 は終わりそうもなく、年の瀬だというのに職を失い、住む場所まで奪われる人がいるのは誠に気の毒だとは思うが、やっぱり今の報道は偏向し過ぎており、必ず弱者に皺寄せという話になる。

3月末までの契約だった人が年末に契約解除されて路頭に迷ってしまうのは分からないでもないが、だからと言ってあと三カ月、正規に契約が切れるまで雇用を継続したからといって何か幸せな、バラ色の未来でも待っているのかといえば決してそんなことがあるはずもなく、三カ月後に景気が回復しているはずがない以上は、2009年の春に起こることが前倒しで 2008年の末に起こっているだけのことだ。

内定取り消しも問題視されているが、心情はどうあれ雇用契約を結んでいない以上は決して違法ではなく、また、ここでもめて内定の取り消しを撤回させたとしても、特に不動産関連は来年の三月まで会社が存在する保証はないだろうし、内定を取り消さざるを得ないということは相当にヤバくなっている証拠なのだから、ここは素直に別の就職先を探すか、大学を留年して来期に賭けた方が良いのではないか。

そうは言っても会社側に問題がないのかと問われれば決してそんなことはなく、半年ほど前まで、労働人口の減少による人手不足から、日本も移民を受け入れるべきだと大騒ぎしていたのは何だったのかという話であり、ここにきて外国人労働者を真っ先に雇用契約解除の対象にしているのはどういうことかと小一時間くらい問い詰めたくなってしまう。

街に職のない外国人が溢れ出し、治安が乱れるかもしれないという事態を想定した上で移民のことを考えたり、選挙権の問題や老後、社会保障の問題まで、移民者に対してどう対処すべきか考えた上で発言していたとは思えず、単に安い賃金で 3K と言われる 『きつい』『汚い』『危険』 な職業や、新3K と言われる 『きつい』『帰れない』『給料安い』 仕事をさせるのが狙いだったのではないか。

外国人労働者を狙い撃ちして切り捨てるようなことを続けていたら、彼らが本国に帰った際に悪評をばら撒かれ、自社のブランドが傷つき自社製品が売れなくなるというしっぺ返しを喰らう可能性も少なからずあることを肝に銘じておくべきであり、派遣切りや雇用調整をしている大企業は、庶民が生活の不安、将来の不安を覚えて消費が縮み、自社の製品が売れなくなるというしっぺ返しを覚悟しておくことだ。

そしてますます業績が悪化し、正社員のリストラにまで手を付け、それは社会不安にまで発展し、さらに消費が冷え込んで物が売れなくなるという負のスパイラルに陥り、価格を下げなければ売れず、価格を下げることによって利益が細り、賃金カットを進めて消費者の財布の紐がさらに固くなるというデフレスパイラルにまで発展していくかもしれない。

企業は社会の公器と言われ、事実それはパナソニックの経営理念でもあり、オムロンの企業理念でもあり、その他多くの会社も理念として掲げているが、今はその公(おおやけ)の器(うつわ)が壊れてしまい、不安や不満があふれ出してしまっている状態で、そんな不安を世の中に与えていることは、将来、大きなしっぺ返しとなって企業に降りかかってくるものと思われる。