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行く人来る人

今日の午後、無事にショウコが到着して施設に入った。

これでもう故郷に帰る用事も必要もなくなり、帰る家もなくなってしまったのは寂しいが、年に数度とはいえ、長時間の移動を強いられることがなくなったのは少しうれしい。

ショウコが施設に慣れるまで若干の時間を要するかもしれないが、いずれ馴染むことだろう。

ショウコがこの町に来たことで、超高齢者ではあるものの人口が一人増えたことになる。

しかし明日の朝、この町の人口が一人減ってしまう。

なんと、となりの店マユちゃんが家を出て兵庫県に行ってしまうのである。

それも、20歳の若さにして嫁に行ってしまうのだ。

婆さんが越してきて20歳の若者が越して行くのだから、この町の平均年齢にも少なからず変動を与えてしまうではないか。

今日の夕方、妹ちゃんと二人、わざわざ挨拶に来てくれた。

普段は豪快で底抜けに明るい妹ちゃんもさすがに今日は母親の顔で、大きな目にいっぱいの涙をためており、マユちゃんもポロポロ涙をこぼしながら旅立ちの報告・・・。

それでも年末年始には里帰りしてくることが決定しているというから、姿を見られないのは 3カ月間程度だが。

ほっとしたり、寂しかったり、何だか複雑な心境の週末である。

終活

いよいよ来週の今日、10日の土曜日にはショウコがやって来る。

施設に入ると決まった 8月10日から約一カ月、様々なことを通して人生の幕を下ろすために必要なことを学んだ。

生きている間は、あれもほしい、これもほしいと衣類や電化製品などを買ったりするが、最後の最後には邪魔になるだけだし廃棄するには費用まで発生してしまう。

まだ購入して数年しか経っていない一流ブランドの服や家具、新品同様の家電であればそれなりの金額で売れるだろうが、しまむらやユニクロで購入した服が売れるはずもなく、ニトリやホームセンターで購入した家具をお金を払ってまで持って行ってくれる業者などありはしない。

たとえブランド品であっても若いころに着ていた時代遅れの服や、使い込んだバッグなど 100円の価値もないだろう。

そう考えると物を大切にしないとか言われようと、高額で買ったものでも流行遅れになる前に売ってしまう方がよっぽど効率的だし損が少ないと言える。

先週の雑感にも書いたように、ショウコは躊躇なく衣類を取捨選択し、その数を大きく減らした。

同様な作業は昨年の 9月にも行っており、その時やり残したタンスの中の服なども合わせると、最後に残した服の数は 1/30、いや 1/50くらいになったのではないだろうか。

そうなのである。

おしゃれ番長のショウコですら、最後には本当に好きな服が手元に何着かあればよいのである。

我が家のクローゼットには二度と袖を通さないであろう服があり、いつか整理しなければならないと思ってはいたのだが、良い機会なのでショウコの引っ越しが終わって少し落ち着いたら処分しようかと思う。

若いころは見栄を張って有名デザイナーのスーツを着ていたが、今はでっぷりと突き出た腹が邪魔して着ることはできない。

若いころに好んでいた地味なデザインの服も、この歳になって着ると単なる爺さんになってしまう。

ショウコ並みに割り切って整理すればクローゼットの半分近くは空きスペースになるのではないだろうか。

叔母のレイコも終活を始めており、家の中の不要なものを廃棄し、ブランド品のバッグや靴などは姪っ子に譲ったりしながら身の回りを整理している。

それを少しずつ進めて 2-3年で終わらせ、以降は札幌にでも移り住むつもりでいたことは以前の雑感に書いた通りだが、ショウコが急に施設に入ることが決まったことが影響しているのか、今年中に今の持ち家を手放して高齢者が暮らしやすい集合住宅に引っ越すと言い出した。

その物件は同じ町にあるので単なる町内の引っ越しとなるが、一軒家からの移動となると持ち出せるものも限られるので廃棄作業などが大変だろう。

以前、レイコから
「葬式で飾られる写真が妙に若いと恥ずかしい」
と言い、年齢相応の写真を使ってほしいので 5年に一度は写真館で遺影に使える写真撮影をしていると聞いた。

次兄の遺影でも使いたい写真がなくて困ったこともあり、その話を聞いたのでショウコを連れて自分たちも含めた遺影候補の写真を撮影しておいた

これはショウコの終活でもあれば、自分と 『お買い物日記』 担当者の終活の一環でもある。

身の回りのことであれば不要なものを捨てたり必要なことをやっておけば良いが、面倒なのは先祖代々のものだ。

先週の雑感でも触れたように、大きな仏壇は施設にも我が家にも納まらないので魂抜きをしてもらい、位牌と過去帳のみ移動することにした。

現代日本の住宅事情を考慮すると、立派で大きな仏壇を相続するなど不可能に近い。

そこで今度は小さなものにしようと昨日の午後に仏壇店に行ってみたところ、対応してくれた女性が実に感じの良い人で、色々と思い悩んでいることをすべて話し、様々な解決策を教えてもらうことができた。

同じく先週の雑感に書いた『永代供養墓』の件は、ネットで調べたところ札幌にあることが分かっていたので話してみると、実はこの町にも合祀堂が存在し、宗旨宗派に関わらず永代供養してくれる寺があるという。

それならばお参りに札幌まで行かずに済むし、彼岸や盆にお参りするのも楽だ。

料金も札幌のものと大きな差はない。

それを聞いて喜んでいると、問題点も指摘してくれた。

今までのお寺さんとの関係を断ち、この町で同宗派のお寺さんとの関係を構築しない場合、母親や自分達が死んだときに誰がどこでお経をあげ、初七日や四十九日の法要を誰がやるのかということだ。

都会であればネットでレンタルお坊さんを呼ぶこともできるが、田舎町では難しい。

その永代供養墓をしてくれる寺では年間数千円を支払っておけば、いざという時にお経も上げてくれるし法要も営んでくれるとのことだが、それは事実上の改宗となってしまう。

前回はそんなことまで考えずに提案し、ショウコもいともあっさり同意したが、改宗となるとどうなるだろう。

そして、実家の仏壇にはなぜか位牌が 3つもあるのだが、そんなに必要なのか聞いてみると、亡くなってから一定年数を経過したら過去帳に記載して位牌は処分するものだと教えてくれた。

仏壇も小さくすることだし、これを機に位牌も整理しようと思うが、一応はショウコに確認をとらねばなるまい。

これは少子化が社会問題となっている現代、また晩婚化や生涯独身の人が増えている現代、子供がいなかったり女の子しかいなければ親自身が、一人っ子だったり長男だったりすれば自分自身が、いつか直面する問題である。

そして、先祖代々の代々が長ければ長いほど経済的負担も大きくなる。

永代供養墓に入るにしても料金は発生するが、それは人数分が必要だ。

つまり、墓や納骨堂に納められている遺骨が、例えば両親だけなら二人分、仮に一人 10万円だとすれば 20万円、両親と祖父母となれば 40万円、さらにその先祖となれば 60万円、その他にきょうだいなどが入っていれば・・・。

過去帳にどれだけの人数が記載されているか確認するのが恐ろしい。

格差社会と言われる現代、その経済的負担に耐え切れない人も増えるのではないだろうか。

今、母親であるショウコの代わりに墓や納骨、仏壇のことを心配し、色々と手を打っておくことは自分達の終活でもある。

服を整理し、その他の持ち物も整理し、定期的に遺影を撮影し、少しずつ終わりの準備をしていくべきなのかもしれない。

ショウコノコト 5

ここのところショウコのことばかり書いているが、今は時期が時期なのでしかたがない。

ショウコが施設に入ることになった発端から現在に至るまで、そのドライな性格に助けられたり驚かされたりし通しの毎日だ。

昨年の秋に帰省した際、みずから施設に入りたいと言ってきたのがことの発端だが、その時も故郷に帰ってきてほしいとか、この家で一緒に暮らしてほしいと言わず、介護などで迷惑をかけるつもりはないので、そっちで施設を探してほしいと淡々とした調子で言ってきた。

実はその裏では叔母のレイコが暗躍しており、
「子どもたちがこの街に来ても仕事なんかない」
「こんな冬の厳しいところで生活することはない」
「老々介護など悲惨きわまりないから子どもたちの手を焼かせるな」
「我々世代は年金が充実しているのだから世話にならなくても生きていける」
などと言い含めおいてくれたらしく、ショウコもそれはそうだと納得し、長年住み慣れた街を出て自分たちの住む街で入居できる施設を探してほしいと言ってきたものと思われる。

しかし、そこで変にゴネないで素直に施設に入る決断をするあたりはさすがと言えよう。

こちらの町で施設を探し、候補が見つかったので申し込んだと報告すれば、さっさと家の処分のこととか話を進めようとするので慌てて自制するよう言い渡した。

普通であれば 80年を超える生活の場であった町を離れるのは寂しいだろうし、半世紀以上も住み続けた家には愛着が湧き、離れがたい感情を持ちそうなものだが、そんなことは微塵も感じさせない行動には驚かされる。

今年 6月の『ハハキトク事件』によって長期入院を余儀なくされたショウコはすっかり足の筋力を失い、まともに歩くことができなくなってしまったため、鷹揚と施設に空きが出るのを待っていられなくなり、以前から第二候補と考えていた施設にダメ元で電話してみたところ、何と偶然にも空きがあるという返事だったので急きょ仮押さえして実家に向かったのは今月 9日のこと。

そういう施設というのは入居の意思を伝えてから一カ月以内に引っ越さなければならない。

つまり、9月にはもう長年住み慣れた町を出て施設に入居しなければならないということである。

あまりにも急なことなので、さすがのショウコも戸惑うのではないかと思いつつ、その件を 10日に退院したショウコに伝えると、これまたドライに入所を即決した

それからというもの、短いスパンで帰省して様々な処理をしたりしているが、その要所要所でショウコのドライな性格が垣間見える。

実家にはそこそこ大きな仏壇があるのだが、我が家の家系は自分の代で絶えることが決定しているので、今さら大移動をすることもなかろうという結論に至り、お寺さんにお願いして魂抜きをしてもらうことにした。

その段取りをショウコに任せはした、確かに任せはしたが、8月23日に実家に到着すると
「今朝終わったよ」
などと涼しい顔をして言うではないか。

普通、そういうことは家族がそろっている時とか、せめて長男と一緒にするように調整すると思うのだが、そんなことはお構いなしで、淡々と処理してしまう。

そして、今度は父親の遺骨の話しになるが、やはり絶えることが決定している家系なので、今さら同宗派の寺に墓を建てるのも納骨堂に納まって新たな関係を築くのも面倒なので、多くの人の遺骨と合祀して同じ墓に入る永代供養墓に父親の遺骨を納め、ショウコも自分たちも後に続くというのはどうだろうと、さすがに気を悪くするかもしれないと恐る恐る聞いてみたところ、
「へぇー、にぎやかでいいんじゃない?」
と、いとも簡単に言ってのけた。

翌 24日、わずかな荷物しか持って行かないショウコが家の中に残す全ての物を処分し、土地と家の売買まで一手に引き受けてくれる業者さんと打ち合わせした際も、長年住んだ家を手放す寂しさなど一切見せず、冬を越すと管理が大変だからなるべく早く売ってしまいたいなどと言い切る。

以前に淡々とした作業で選別した衣服だが、それでも施設に持って行くには多すぎるので 25日に更に選別をする作業をした。

今回もやはりソファーにどっかりと座ったショウコに一着ずつ見せ、要/不要の判断を仰ぐ。

そして、やはり前回と同様、
「着る」
「着ない」
に一瞬の迷いもなく、次から次に判断するのだが、あまりにも 『着ない』 のジャッジが多く、
「施設にはそんなに持って行けないんだからね」
と釘を刺しておいた手前、少々戸惑いながら
「もう少し持って行っても大丈夫だよ」
と言ってみたのだが、
「どうせもう着ないと思う」
「毎日どこかに出かける訳じゃないし」
「いっぱい持って行ってもしかたない」
などと言い、衣類の量を 1/10以下に絞り込んでしまった。

タンスに眠っていた貴金属類を指し、
「もう指輪もネックレスもイヤリングもしないから」
と、『お買い物日記』 担当者に使えと言う。

そして、
「デザインも古いし気に入らなければ売っちゃえば?」
などと言ってのける。

実はこの貴金属、父親がせっせと購入してショウコにプレゼントしたものなのだが、そんなことは気にかけていない様子だ。

別の棚を整理していると、若かりし頃の写真、同窓会で友達と集まった際の写真、きょうだいが集合した写真などが次々に見つかったのだが、どれを見せても
「いらない」
と言うショウコ。

そんなこんなで、実家には大量の洋服、写真、受け取った手紙などが残され、業者によって廃棄される。

夕方、家の周りの除雪などをお願いしていた業者さんが来てショウコと外で長話しをして行った。

聞こえてくるのは
「おばさん、元気で長生きしてね」
「本当に何から何までお世話になって・・・」
という会話で、さすがにしんみりしていると思ったら、部屋に帰ってきたショウコは
「よし、一件かたずいた」
などと超事務的に言い、
「あの人はとっても良い人なんだけど話が長くて・・・」
などとのたまう。

その日の夜、以前からの知り合いに電話して
「実は町を出ることになって」
「本当にお世話になって」
「今まで本当にありがとうね」
などという会話をして電話を切ると、
「うん、この件もかたずいた」
と言いながらメモを見ている。

いったいどこまでドライな性格なのだろう。

まだ数回しか故郷を訪れたことのない『お買い物日記』 担当者でさえ、家がなくなるのは寂しいとか最後に町を出るときは泣いてしまうに違いないとか言っているのに、ショウコはいったいどういう神経をしているのだろう。

あの調子だと、最後に家を出て町を離れるときも
「じゃぁねぇ~」
とニコニコしながら手を振りながら出てくるのではないだろうか。

まあ、メソメソ、ジメジメされたのではたまらないし、そのほうがショウコらしいのではあるが・・・。

ショウコノコト 4

契約が完了した。

午前中、ショウコが入る施設に行き、様々な説明を受けた上で契約書に署名捺印してきたので、もう安心である。

これで施設に入れることが 100%確定した訳であり、ショウコの気が変わらない限りは同じ町で暮らせるということで、故郷を失ってしまうのは少し寂しいが、年に何度かの帰省で体力を極端に消耗することもなくなる訳だ。

ただし、ショウコの移動が完了し、実家の処分が終わるまで、まだ何度か行かなければならないだろう。

とりあえず来週は帰省、翌週は家にいるが、次の週はまた帰省し、いよいよショウコが故郷を離れることになる。

来週の帰省では不用品の処分から土地と建物の売却まで任せる業者と打ち合わせしたり、引っ越し業者と打ち合わせして見積りしてもらわなければならない。

そして、タイミングを見て荷物を移動してもらってこちらの町で受け取り、もういつでも出入り可能になった施設の部屋で荷ほどきして受け入れ態勢を整える。

実家にある仏壇は移動できないので、お寺さんに魂抜きをしてもらって位牌などだけ移動できるように手はずを整えておく。

ショウコの移動手段をあらかじめ確保しておき、家の中の何を持って行かれても困らない状態にした後に家の売却をお願いする業者にカギを渡して町を出る。

それ以外にも寺の納骨堂にある父親の遺骨をどのタイミングで移動すべきかとか、家の売却が決まったら諸手続きのために行かなければならないが、その際にはもう実家に寝泊まりする訳にはいかないのでどうするかなどなど、やらなければならないことが山積みだ。

確かに言った。

自分たちが様々なことを処理するからショウコは何もしなくて良いと。

確かにそう言ったが、
「はいはい」
と素直過ぎる態度で鷹揚に構えていられると若干の腹立たしさを覚えないでもない。

しかし、年齢相応の記憶力になってしまったショウコに日程の調整やら引っ越しの段取り、細かな打ち合わせなどは困難だと思われるので仕方がないか。

前回の帰省の際、近所に住むショウコの友達が遊びに来た。

そもそもは、電話で退院を伝えようとしたのだが先方の電話機の調子が悪く、会話にならなかったため話を聞きに来てくれたのだが、その会話の内容をまともに聞いていると疲れてしまう。

まずはその電話機の調子が悪いという話、次にショウコが入院するに至った理由、その二点が延々と繰り返される。

互いに高齢化に伴う記憶力の低下から、同じ話を何度も繰り返すし、何度でも同じ話を聞いては
「あら、そう」
とか
「大変だったねぇ」
と、そのたびに新鮮なリアクションを示す。

二人の会話は 2時間近く続いたが、大まかにはその二点と、最後に歳をとると記憶力が悪くなるということしか話していなかったのではないだろうか。

そのおぞましい会話からも分かるように、今更ショウコに事務処理だのスケジューリングなどさせようと思っても無理だと諦めているので、実家を処分して施設に移り住む手はずや段取り、契約関係から本籍や住民票の移動から何から何までやってやらなければならないのである。

色々なことを考えて頭が爆発しそうになっていたが、今日の契約で一段落だ。

かなり肩の荷が下りて気分も楽になった。

しかし、安心して気が緩んでしまったのか、あちらこちらで冷房の風に当たったからか、鼻がグシュグシュし始め風邪のウイルスが体内で繁殖しているような気がする。

今夜はひとまずの祝杯をあげ、早めに寝ることにしようと思う。

ショウコトレイコノコト 5

元気になって退院したショウコだが、以前とは若干の違いがある。

どうやら記憶力が低下しているようだ。

痴呆の症状は認められず年齢相応だと病院で言われてはいるが、以前までが年齢不相応の記憶力の持ち主だったので、急に衰えてしまった感が否めない。

以前までであれば一度言えば覚えたことも、二度三度言わなければならなかったり、覚えたはずのことを翌日には忘れてしまうこともしばしばだ。

それでも相変わらず数字には強く、支払いが必要だった 3百数十円のことも忘れず、日時に関しても割りと正確に記憶し、それを忘れることもないらしい。

確かに呆けた訳ではなさそうだが、今までが今までだっただけに少し寂しい気がする。

そして、レイコは相変わらずだ。

少し耳が遠いのも相変わらずだが、いつまでもシャキシャキした婆さんである。

ショウコが入院していた約二カ月間、本当にお世話になった。

ショウコと 2歳しか違わない超高齢者なのに、雨の日以外は毎日かかさず病室を訪れ、洗濯したものを届けて汚れ物を持ち帰る。

たまに実家に来て郵便物の整理をし、重要そうなものは病室に届けてくれた。

そこまでやってもらっているにも関わらず、ショウコが女王様のように振る舞い、勝手なことを言うものだから、たまに細かなことでの言い争いになったりする。

そんな衝突の絶えない姉妹だが、長年続いたその関係も近く終わりを告げることになった。

そう、9月になればショウコは住み慣れたこの街を去り、自分達が暮らす町の施設に入る。

今は互いに気にしていない風を装っており、レイコなどはせいせいすると強がったりしているが、それもまた本心であろうとも、半世紀を軽く越える時を共に過ごし、寄り添ったり大喧嘩したりしながら歩んできた道が二手に別れてしまうことを多少は寂しく思っているだろうし、時が経つにつれ実感がわいてくるに違いない。

移動距離約 350km、車での移動は休憩なしで約 6時間。

簡単に会いに行ける距離ではない。

来月に迫った別れが、生きて会える最後の機会となってしまうものと思われる。

真性雑感 第二十一版

真性雑感 ~目次~

■ 東京都知事選挙

先月の雑感で鳥越氏が優勢になるようなことを書いてしまったが、予想通り、いや、予想以上に小池百合子氏は選挙に強かった。

そして、知名度はあれど鳥越俊太郎氏は予想以上に人気がなかった。

さらに、増田寛也氏は・・・さておき、醜態をさらしまくっているのは石原伸晃氏だ。

あれだけテレビカメラの前に立つのが大好きなくせに、都知事選でかついだ増田氏が惨敗すると急にメディアの前から姿を消した。

そのメンタルの弱さは以前から目立っており、2015年に彼の政党支部が国交省の補助金交付が決まっていた企業から寄付を受けていたことが発覚した際も、スーッとマスコミの前から消えている。

他の政治家の不祥事の際には説明責任を果たしていないとか、国民に事実を伝えるのが政治家だとか偉そうに言っておきながら、自分のこととなると逃げるわ隠れるわ説明しないわで、とても豪傑な石原慎太郎閣下のご子息とは思えない。

今回は姿を消しただけではなく、急に出現したと思ったら都議選での敗戦の責任は現在入院中の谷垣氏にあると記者会でほざき、それがしっかりと報道され、テレビで映像まで流れているのにも関わらず、2-3日前から急にそんなことは言っていないと弁解を始めた。

もうメンタルが弱いだけでなく、頭がおかしくなったか精神が崩壊したか、神経に異常をきたしたとしか思えず、自民党本部もそんな奴について増田氏を公認しなければ良かったのではないだろうか。

しかし、小池百合子氏と安倍晋三氏はキツネとタヌキのようにうまいこと相手をだましたり化かしあいをしながら徐々に良好な関係にもっていくことだろう。

小池氏は VS.自民本部ではなく VS.自民党都連という構図にいち早く展開したし、安倍氏は小池氏との会談で懐の深さを見事に演出できた。

これではっきりしたのは、任期を終えて小池氏が国政に復帰した際には女性初の総理大臣の道もうっすら見えてきたのに対し、石原伸晃氏は出世街道から大きく外れ、藪の中をかき分けてやっと目の前が開けたと思ったら崖っぷちだったという状況に追い込まれてしまったということではないだろうか。

■ ポケモンGO

社会現象とまで言われているポケモンGOだが、実はまだ遊んだことがない。

いや、正確には遊ぶことができなかったりする。

推奨されている動作環境が対応OS:iOS 8 – 9、対応端末:iPhone 5以上となっており、自分の iPhone 4sは対応外であるため遊べないことはないかもしれないが、保証はされていないので問題が発生したり大きなトラブルに見舞われるかもしれない。

このポケモンGO効果で中古スマホがえらい勢いで売れているという。

ゲームは激しく電力を消費するためポケモン専用機として買う人もいれば、子供に遊ばせるために買い求める親も多いらしい。

自分の場合、そこまでして遊びたいとも思わないし、今年の 12月には買い替えるつもりでいるので、あと 3-4カ月のことである。

若いころはあれだけゲームに熱中したというのに、今は小一時間もプレーすれば目はショボショボしてくるし集中力も途切れてしまう。

それに加えて家を出てウロウロ歩き回らなければならないのだから、体力的にも精神力的にもポケモンGOで遊ぶのは無理な年齢になってしまったと思われる。

何でもかんでもゲームのせいにしてほしくはないと過去に何度も書いてきた。

青少年による暴力的犯罪が発生すればゲームのせい、性犯罪もゲームのせい、イジメも引きこもりもゲームが悪いとマスコミが取り上げてきたが、ポケモンGOでは歩きスマホが増えたとか非常識な場所に立ち入った、交通事故を引き起こしたなどと騒いでいる。

しかし、その一方で好意的なとらえ方をしている報道もあった。

価格下落に歯止めがかからなかった任天堂の株が上昇に転じたとか、客離れによる業績低迷が続いていたマクドナルドもポケモンGOの運営会社と協力してイベントを仕掛けた結果、神風が吹いて客足が戻った上に客単価まで上昇したと伝えられている。

また、何年も引きこもっていた人がポケモンGOやりたさに家から出て、人とのコミュニケーション能力を復活させたという話も聞く。

様々な国や場所で、様々な影響を及ぼしているポケモンGOだが、この人気は一過性のものに終わらず持続させることができるだろうか。

自分が機種変更し、プレーできるようになる今年末までブームが続いているとは考えにくいが。

げんかつぎ

いつの頃からか、プロ野球では期間限定ユニフォームとか復刻版ユニフォームで試合をする機会が多くなった。

それは観客を喜ばせる意味もあるだろうが、実のところは様々なデザインを用意してファンにレプリカを買わせようとする実にビジネスライクなことなのだと思う。

メジャーリーグでは、その復刻版ユニフォームを着るのを拒絶して出場停止処分になった選手がいる。

球団や野球機構としては選手が着用することによって宣伝効果を発揮するため、有名選手にほど着てほしいという事情があるだろうし、ビジネスなのだからそれは分からないでもない。

しかし、スポーツ選手、勝負師には験担ぎ(げんかつぎ)する人が多い。

好調が続いているときは、なるべくパターンを崩したくないだろう。

相撲でも連勝中の力士がヒゲを剃らないことが多いし、高校野球でもずっとヒゲを剃らない選手、監督もいるし、大会中は断酒する監督も多い。

また、一躍有名になったラグビーの五郎丸選手が、ペナルティキックやコンバージョンキックの前に必ず行う動作や、メジャーリーガーのイチロー選手がベンチを出てからバッターボックスに入るまでに行う十数種類の一定の規定動作はルーティーンとして知られているが、それは集中力を高める動作であると同時に一定のげんかつぎもあるのではないかと思われる。

中継ぎや抑えのピッチャーでマウンドに向かう際は絶対にラインを踏まない人もいるし、バッターボックスに向かう際に素振りしていたマスコットバットの置き方にこだわる人もいるのは、すべてその人の決まり事だったりげんかつぎな訳だ。

調子が良かったとき、運が向いていたときに行った動作や、食べたものなどがあれば、げんをかついで次の機会にも同じ動作をするし、試合前に同じものを食べたりしたくなるだろう。

そういうこだわりは一般人よりも多いのだろうから、復刻版ユニフォームを着るのを拒否する人がいても不思議ではない。

それなのに 5試合の出場停止と 1万2700ドル(日本円約 150万円)の罰金処分は厳しすぎやしないだろうか。

この選手、クリス・セール投手の場合、復刻ユニフォームの着心地が悪いと感じたので球団に訴えたところ激怒されて強制帰宅を命じられたらしく、それに対して怒りが爆発してハサミで予備のユニフォームを切り刻んだというのだから、げんかつぎとは少々異なったりするのだが・・・。

それにしても、冒頭に書いたように日本のプロ野球もコロコロとユニフォームを変えているが、連勝中のチームやピッチャー、打撃好調な野手など、せっかく調子がよいのだから今はユニフォームを変えたなくないと思うことだってあるのではないだろうか。

球団事務所なのか社長なのか、それとも広報なのか分からないが、変えたくないと思っているところを無理に着替えさせ、調子が悪くなって恨まれでもしたらどうするのだろう。

クリス・セール投手のニュースを見て色々と考えさせられた。

自分の場合、それほど大きなこだわりはなく、勝負もしていないのでげんかつぎもしない。

夜に口笛は吹かないとか、夜に爪は切らない、北枕で寝ない、ズボンは右足から履かないなど、言い伝えとしてやってはいけないと言われていることはやらないくらいなものだ。

そういえば若気の至りでマージャンやパチンコに明け暮れていたころは、なにがしかのげんかつぎをしていた。

パチンコ屋で席に着いたら最初にタバコに火をつけ、ライターとタバコはいつもの位置に置くようにしていたのも、マージャンを始める前には必ず手を洗っていたのも、すべて以前に大勝ちしたときにやったことである。

やはり、勝負師というのはげんをかつぐものだと思われるので、あまりにもコロコロとユニフォームを変えたりするのはいかがなものかと、ペナントレース後半に入った日本プロ野球で今年も阪神 vs. 日ハムの日本シリーズは実現しないと実感しつつ思ったりしているところだ。

真性雑感 第二十版

真性雑感 ~目次~

■ 東京都知事選挙

北海道に住んでいるが、東京都知事が誰になろうと関係ないとも言ってはいられない。

3代続けて任期を全うせず、猪瀬、舛添氏にあっては金銭がらみのドロドロした内容で事実上の辞任に追い込まれた形になっているので、今度こそはクリーンで任期の最後まで勤め上げられる人が選ばれてほしいものだ。

小国の国家予算に匹敵する税収がある東京の行く末は、日本の未来を左右することになるだろうし、それだけの首都の長が選ばれるということに世界の関心も一定程度は集まっている。

自分には投票権がないので何を言っても無駄だが、有力三候補である鳥越俊太郎、増田寛也、小池百合子(立候補届け出順)のうち、言っていることに現実味や妥当性があり、実務能力も兼ね備えていそうなのは増田氏くらいなものだが、やはり知名度の高い鳥越氏と小池氏のトップ争いになるのだろう。

石原伸晃氏はつまらない意地を張ったり過去の確執にこだわったりしないで、素直に小池氏をかつげば良かっただろうし、自民党本部も得意の「まあまあ」作戦で玉虫色に染め上げ、候補を一本化すべきだったのではないか。

自民党員、支援団体の票が割れ、増田氏と小池氏が取り合えば、いくら野合と批判しようと一応は結集した野党連合に負ける危険性が高いものと思われる。

鳥越氏が文春のスキャンダル報道を切り抜け、身の潔白を証明できたなら、今の勢いを保持したまま一気にゴールを駆け抜けるのではないだろうか。

■ アメリカ大統領選挙

色々あるがトランプ氏の勢いが止まらない。

強いアメリカ、アメリカの利益、アメリカのための政治を最優先事項としているあまり、彼が大統領になった場合には外交戦略の見直しを余儀なくされるかもしれない日本も含めた世界各国は、選挙戦の行方を固唾を飲んで見守っている。

日本で大問題になりそうなのは TPPと防衛だが、特に防衛に関しては本気で心配しなければならないだろう。

単純にはアメリカに守ってほしければ費用を全額負担せよ、それが嫌ならアメリカ軍を撤退させるから自衛せよ、核の傘がなくなるのが不安なら核武装せよというのがトランプ氏の言い分だ。

もし仮に、本当にそうなって日本が
「はいそうですか」
と言って核武装した軍隊を持つことにでもなったらどうするのか。

そうなって困るのはアメリカそのものであり、周辺各国も半狂乱になるに違いない。

事実、先月の20日にアメリカ副大統領のバイデン氏が
日本は実質的に一夜で核武装する能力がある
と発言しただけで世界がざわついた。

トランプ氏が大統領になったら困るのは、日本よりも中国だろう。

そして、何よりそれを恐れているのは北朝鮮に違いない。

なにせ彼は金正恩書記に対して
「こいつは悪い独裁者野郎だ」
「暗殺以上に最悪の運命が待っているだろう」
などと毒を吐いているし、
「北朝鮮問題を解決しないなら、中国を潰してしまえ」
と息巻いている。

そして、軍撤退、核武装などの話しを持ち出すのは日本に対して北朝鮮攻撃を期待している表れではないかととらえる向きもあるらしい。

そうなってはたまらないはずの北朝鮮メディアが『賢い政治家』のトランプ氏を『支持』と表明したのは褒め殺し作戦なのだろうか。

ヒラリー・クリントン氏も人気のない政治家の上位にランキングされているので支持はイマイチ広がらないが、中国、韓国、北朝鮮が必死にトランプ氏の当選阻止を図るだろうから少しだけ有利なのではないかと思われる。

■ ポケモンGO

昨日の独り言にも書いたが、いよいよ日本でもポケモンGOの配信が開始となった。

妖怪ウォッチに押されつつも、いまだに人気のキャラクターだけに子供から大人までを巻き込む一大ムーブメントとなることだろう。

家庭用ゲーム機の不振で業績低迷が続いていた任天堂だが、ここにきて一発逆転の大ヒット作品が生まれて一息ついているのではないだろうか。

しかし、ハードウェアからソフトウェアに軸足を移したとなると、いかに全世界でヒットする作品を作り続けられるかが存続の鍵となる。

任天堂にとっての勝負はこれからだろう。

大丈夫

最近、また気になっている言葉がある。

「~じゃないですか」
とかも相変わらず気になるというか、耳障りではあるし、
「ほぼほぼ」
とかも気にならないではないが、2-3年前から芸能人が使い始め、今では民放各局はおろか、NHKのアナウンサーまで使うようになったので、すっかり市民権を得た言葉なのだろう。

二度繰り返すのが正式な『ぎりぎり』が『ぎり』と短く使われるようになったのも最近のことで、
「ぎり助かった」
とか
「ぎり間に合った」
などというのは頻繁に聞かれる。

それとは逆に、繰り返さないのが正式な『ほぼ』が『ほぼほぼ』と繰り返されるようになったのは、
「ほぼ正解」
よりも、もっと答えに近い、それこそギリギリ、すれすれで実に惜しい状態を
「ほぼほぼ正解」
と言ったりするのか、そのさじ加減がおっさんには分からないが、『ぎりぎり』が『ぎり』と簡略化されたように、『ほぼほぼ』も簡略化され、いつか正解の『ほぼ』に戻ったりするかもしれないと思ったりしているところである。

それはさておき、今の段階で最も気になっているのは『大丈夫』の使い方だ。

『大丈夫』とはそもそも立派な男子を指す言葉として中国から伝わり、『非常に強い』『非常にしっかりしている』『非常に健康である』といった意味へ派生し、さらに『間違いない』『確かである』という意味でも使われるようになったものである。

テレビの料理番組を見ていると
「大根は輪切りにして面取りしていただければ大丈夫です」
とか、
「10分ほど煮ていただければ大丈夫です」
などと、やたらと『大丈夫』という言葉が出てくるし、その使い方も変なので気になって仕方がない。

なぜ普通に
「大根は輪切りにして面取りしておいてください」
「10分ほど煮たら火が通ってやわからくなります」
と言えないのだろう。

それとも本来の意味の通り
「大根は輪切りにして面取りしておけば間違いない」
「10分ほど煮たら確かである」
と言いたかったのだろうか。

そんな言い方をするのは、きっとその料理の先生の口癖だからなのだろうと思っていたのだが、先月の『お買い物日記』 担当者の通院後に寄った薬局で、受付の人がお客さんに向かって
「座ってお待ちいただいて大丈夫ですよ」
と言う。

その時も
「何が大丈夫なんだ?!」
「立ったまま待つと大丈夫じゃないのかっ!」
「つまりは危険なのかっ!」
と激しく詰問してやりたくなってしまった。

なぜ普通に
「座ってお待ち下さい」
と言えないのか。

世の中どんどん言葉が変化していくもので、自分も若いころは大人たちに何という言葉を使っているのかと言われたり、言葉の乱れがどうたらとか言われたものだが、それは新語、流行語、略語を使っていたくらいなもので本来の意味をはき違えたり、間違った日本語の使い方はしていなかったように思う。

こんなことで日本は大丈夫なのだろうか。

誰も間違っているとか変だと思わず、みんなが使うようになれば大丈夫か。

きっと大丈夫だ。

大丈夫に違いない。

ほぼほぼ大丈夫。

大丈夫じゃないのは、それが気になって仕方のない自分くらいなものなのだろう。

涙腺

年齢のせいなのか最近は涙腺がゆるくなってきたようで、感動的なテレビや映画を見ると、涙がポロっとは出ないまでも瞳がウルっとはするようになった。

子供のころは感受性が豊かなのでアニメを見て泣いたりしていたこともあったが、アニメどころか感動巨編と銘打つ小説を読もうが映画を見ようが、涙がほほを伝うこともなければ深い感動を覚えることもなくなったのは中学生になったころからだろうか。

テレビを見ていると 3年前の供養とか、5年前、10年前、しまいには 70年前に亡くなった人を偲んで思い出話をしながらポロポロ涙をこぼす人がいる。

自分は冷血漢ではないと思うが、過去を振り返って泣くことはない。

決して感情がなくなった訳ではないのだが、祖父や祖母の死に直面しても、友人の死を知らされても悲しい、寂しいとは思うものの涙は出ないし、22年ほど前に父が他界した際も通夜、告別式を通して涙が流れることはなかった。

ところがここ数年、テレビを見ていてもちょっとしたことで感動するようになったし、感動的なシーンでは瞳がウルっとするようになったのは、人間らしくなったと喜ぶべきことなのか、それとも年をとったと憂うべきことなのか。

そんな多少の変化はあるが、だからと言って 22年前の父の死を思い出して泣けるかといえば決してそんなことはないし、たとえ 8年前のことであったとしても義兄の死を思い出しても涙は出てこない。

たとえば
「ファイト~ぉ!いっぱぁ~つ!」
リポビタンDの CMのように、危険極まりない場所で相手を助けようと手を差し出したもののギリギリ届かなかったとか、手を握って引っ張り上げようとしていたのに握力が限界になってしまって手がすべり、深い谷底に相手が落ちてしまったなど、トラウマとして残りそうなシチュエーションであれば何年経っても相手の死を悲しみ、己の力のなさを恨んだり自責の念に駆られたりして涙が出ることもあるだろう。

しかし戦後 70年を過ぎた今、遠く離れた戦地で命を落とした親とかきょうだいを想って泣ける人というのは、何を考え、どこのスイッチが入って涙が出てくるのか。

涙腺がゆるくなってきたこの身でも、何年も前に亡くなった人を想っただけで涙が出るスイッチは持ち合わせていない。

ただし、かなり以前の雑感に書いたように、相変わらずトイレでは号泣と呼べるくらいボロボロと涙をこぼしたりしている。

いったい自分の涙腺はどうなっているのだろう。