最近、また気になっている言葉がある。
「~じゃないですか」
とかも相変わらず気になるというか、耳障りではあるし、
「ほぼほぼ」
とかも気にならないではないが、2-3年前から芸能人が使い始め、今では民放各局はおろか、NHKのアナウンサーまで使うようになったので、すっかり市民権を得た言葉なのだろう。
二度繰り返すのが正式な『ぎりぎり』が『ぎり』と短く使われるようになったのも最近のことで、
「ぎり助かった」
とか
「ぎり間に合った」
などというのは頻繁に聞かれる。
それとは逆に、繰り返さないのが正式な『ほぼ』が『ほぼほぼ』と繰り返されるようになったのは、
「ほぼ正解」
よりも、もっと答えに近い、それこそギリギリ、すれすれで実に惜しい状態を
「ほぼほぼ正解」
と言ったりするのか、そのさじ加減がおっさんには分からないが、『ぎりぎり』が『ぎり』と簡略化されたように、『ほぼほぼ』も簡略化され、いつか正解の『ほぼ』に戻ったりするかもしれないと思ったりしているところである。
それはさておき、今の段階で最も気になっているのは『大丈夫』の使い方だ。
『大丈夫』とはそもそも立派な男子を指す言葉として中国から伝わり、『非常に強い』『非常にしっかりしている』『非常に健康である』といった意味へ派生し、さらに『間違いない』『確かである』という意味でも使われるようになったものである。
テレビの料理番組を見ていると
「大根は輪切りにして面取りしていただければ大丈夫です」
とか、
「10分ほど煮ていただければ大丈夫です」
などと、やたらと『大丈夫』という言葉が出てくるし、その使い方も変なので気になって仕方がない。
なぜ普通に
「大根は輪切りにして面取りしておいてください」
「10分ほど煮たら火が通ってやわからくなります」
と言えないのだろう。
それとも本来の意味の通り
「大根は輪切りにして面取りしておけば間違いない」
「10分ほど煮たら確かである」
と言いたかったのだろうか。
そんな言い方をするのは、きっとその料理の先生の口癖だからなのだろうと思っていたのだが、先月の『お買い物日記』 担当者の通院後に寄った薬局で、受付の人がお客さんに向かって
「座ってお待ちいただいて大丈夫ですよ」
と言う。
その時も
「何が大丈夫なんだ?!」
「立ったまま待つと大丈夫じゃないのかっ!」
「つまりは危険なのかっ!」
と激しく詰問してやりたくなってしまった。
なぜ普通に
「座ってお待ち下さい」
と言えないのか。
世の中どんどん言葉が変化していくもので、自分も若いころは大人たちに何という言葉を使っているのかと言われたり、言葉の乱れがどうたらとか言われたものだが、それは新語、流行語、略語を使っていたくらいなもので本来の意味をはき違えたり、間違った日本語の使い方はしていなかったように思う。
こんなことで日本は大丈夫なのだろうか。
誰も間違っているとか変だと思わず、みんなが使うようになれば大丈夫か。
きっと大丈夫だ。
大丈夫に違いない。
ほぼほぼ大丈夫。
大丈夫じゃないのは、それが気になって仕方のない自分くらいなものなのだろう。