涙腺

年齢のせいなのか最近は涙腺がゆるくなってきたようで、感動的なテレビや映画を見ると、涙がポロっとは出ないまでも瞳がウルっとはするようになった。

子供のころは感受性が豊かなのでアニメを見て泣いたりしていたこともあったが、アニメどころか感動巨編と銘打つ小説を読もうが映画を見ようが、涙がほほを伝うこともなければ深い感動を覚えることもなくなったのは中学生になったころからだろうか。

テレビを見ていると 3年前の供養とか、5年前、10年前、しまいには 70年前に亡くなった人を偲んで思い出話をしながらポロポロ涙をこぼす人がいる。

自分は冷血漢ではないと思うが、過去を振り返って泣くことはない。

決して感情がなくなった訳ではないのだが、祖父や祖母の死に直面しても、友人の死を知らされても悲しい、寂しいとは思うものの涙は出ないし、22年ほど前に父が他界した際も通夜、告別式を通して涙が流れることはなかった。

ところがここ数年、テレビを見ていてもちょっとしたことで感動するようになったし、感動的なシーンでは瞳がウルっとするようになったのは、人間らしくなったと喜ぶべきことなのか、それとも年をとったと憂うべきことなのか。

そんな多少の変化はあるが、だからと言って 22年前の父の死を思い出して泣けるかといえば決してそんなことはないし、たとえ 8年前のことであったとしても義兄の死を思い出しても涙は出てこない。

たとえば
「ファイト~ぉ!いっぱぁ~つ!」
リポビタンDの CMのように、危険極まりない場所で相手を助けようと手を差し出したもののギリギリ届かなかったとか、手を握って引っ張り上げようとしていたのに握力が限界になってしまって手がすべり、深い谷底に相手が落ちてしまったなど、トラウマとして残りそうなシチュエーションであれば何年経っても相手の死を悲しみ、己の力のなさを恨んだり自責の念に駆られたりして涙が出ることもあるだろう。

しかし戦後 70年を過ぎた今、遠く離れた戦地で命を落とした親とかきょうだいを想って泣ける人というのは、何を考え、どこのスイッチが入って涙が出てくるのか。

涙腺がゆるくなってきたこの身でも、何年も前に亡くなった人を想っただけで涙が出るスイッチは持ち合わせていない。

ただし、かなり以前の雑感に書いたように、相変わらずトイレでは号泣と呼べるくらいボロボロと涙をこぼしたりしている。

いったい自分の涙腺はどうなっているのだろう。