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ショウコトレイコノコト

我が母ショウコと叔母のレイコは相変わらず仲が良いのか悪いのか、互いが互いを敬遠しながらも付かず離れずの関係を保ちつつ、いざという時には支えあったりしている。

いや、ショウコが一方的に頼っているだけであって、レイコがショウコを頼ることはない。

自分が子供ころから『おばちゃん』と呼んでいるので、ショウコもつられて実の妹のことを『おばちゃん』と呼んでいるが、レイコは
「私はあんたの叔母ではない」
と怒りつつもショウコに何かがあれば駆けつけ、面倒を見てくれている。

そんなレイコにすっかり甘えているのはショウコだけではなく、実は自分も頼りっきりにしている面があるのは否定できない。

今回の入院に関しても、『ハハキトク・・・』と大騒ぎして腹立たしい思いをさせられたものの、もしレイコがいてくれなければもっと大変なことになっていただろうし、世によくあるパターンのように 『お買い物日記』 担当者が自分の故郷に行って付きっきりで看病したりする場面だってあったかもしれない。

すぐには行けない自分たちに代わって入院の手続きから医師との打ち合わせ、入院に必要なものの運搬、毎日の見舞いなどもしてくれ、転院になった際も諸手続きなどすべてやってくれた。

そんなレイコにはとても感謝している。

とても感謝しているが、面と向かって話をしたり、電話で話すとついつい腹が立ってしまうこともしばしばだ。

以前の雑感にも書いたようにレイコの話が回りくどく、イライラしてしまうのも要因の一つだが、なんでも決めつけて話を進めようとするのも困ったり腹が立ったりする原因なのである。

今回の端緒であった『ハハキトク・・・』の件も、ショウコのろれつが回らないこと、動けなくなって発見されたこと、意識が混濁していることなどから医師の話を聞く前に勝手に重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断し、危篤状態になっていると思い込んでので大騒ぎになった。

そして、今はショウコの今後に関して勝手に話を大きくしている。

自分のことをいつまで経っても頼りのない、母親の面倒もろくに見ようとしない出来の悪い甥っ子だと思っているのが根本にあるのだろう。

確かに積極的な態度も行動も見せてはいないが、それはショウコとの話し合いの末であって決してショウコのことを心配していない訳でも見捨てた訳でもない。

入院当初は医師から一人暮らしはもう無理だと言われたが、幸いにしてショウコは人並外れた野獣的な回復力をみせており、みるみる元気になっていったので、その超人的回復力に驚いたり喜んだりしつつ、思ったより早めに退院できるようになった場合のことを考えて話をしておいたのである。

ショウコはできるだけ早く家に帰りたいので頑張ってリハビリに励むということ、もし自分たちが暮らしている街の近郊に良い施設が見つからなければ、あとひと冬くらいであれば頑張って一人暮らしするので、できるだけ通いやすい施設を探してほしい旨を宣言した。

施設探しには審査し直すことになった介護認定の結果が必要だ。

現在の要支援より、要介護の方が受け入れる施設も多いので選択肢が広がるのだが、なによりその認定がなければ具体的な行動に移すことができない。

レイコがあれやこれやと口出しするのでショウコもへそを曲げたのか、そんな細かなことを説明するのが面倒なのか、退院後はどうするのかという問いにハッキリとは答えなかったらしく、それは甥っ子である自分が何もしていないからだろうとレイコは考え、ショウコをどうするのかという電話をかけてよこした。

その電話でもレイコの話は回りくどく、何日に伝えたことをショウコが覚えていなかった、先週伝えたことも忘れていた、3日前のことも覚えていないなどと長々とショウコの記憶力があやしくなってきているのではないかということをしゃべり、
「それで退院したらお母さんのことどうするの」
と、最後の最後になって聞いてくる。

確かに寄る年波には勝てず、ショウコの記憶力が衰えてきているのは事実だが、生活に支障があるようなレベルではないし、必要なことは自分なんかより細かく記憶しているのでレイコが大騒ぎすることでもないと憤慨してしまったことと、退院後に関してはすでにショウコと話し合っているのでとやかく言われたくないという感情が入り交じったところに長話につき合わされた腹立たしさも加わってムカムカしてしまい、ついつい声を荒げて
「そんなことは言われなくても分かってるっ!」
と電話を切ってしまった。

その後もショウコのリハビリは順調に進み、もう室内を歩く程度までは足の筋力も回復している。

入院前から外出することもなく、キッチンやトイレまでしか歩いていなかったので、それはつまり以前と同等レベルまで回復しているということだ。

それを医師やスタッフは知らないので、もう少し歩けるようにと病院から出て外を歩くリハビリに移行することとなり、ついては外に出るための靴と服を用意してほしいと医療相談員から連絡がきた。

医療相談員の話では、思ったよりも順調な回復ぶりで、もしかするとあと 2-3週間で退院できるかもしれないとのことである。

その電話の際、レイコがくどくどと言っていた記憶力に関して相談してみると、医師との面談や看護師との会話、リハビリ中の会話でも記憶障害や痴ほうの症状はみられないが、これからも気を付けて見守ってくれると言ってもらえた。

やはり記憶の件に関してはレイコが気にし過ぎているのだろうが、問題は靴と服である。

それを実家から病院に届けるためだけに帰省するのも面倒だし、早ければ 2-3週間後の退院の際には行かなければならないので何度も往復するのは体力的にもしんどい。

で、ここはやはりレイコに頼むしかないと思われるし、よくよく考えてみれば冒頭に書いたようにレイコには散々お世話になっているにも関わらず、声を荒げて電話を切ってしまった反省から正確に状況を伝えるべきだろうと思い、昨日の午前中に電話をした。

心配していた記憶の件を医療相談員に伝えたこと、今は心配なさそうだということ、周りが思うより順調に回復していること、退院も早そうだということを話し、そのために次の段階のリハビリに進むこと、ついては靴と服が必要なので家から持って行ってやってほしいとお願いすると、レイコは快諾してくれた。

やはり持つべきものは面倒見の良い叔母である。

そしてやはり、レイコが元気でショウコのそばにいてくれることを感謝しなければなるまい。

ショウコノコト 3

6月1日に『ハハキトクスグカエレ』の知らせから始まった今回の大騒動だが、誰も予想し得なかった大団円を迎えようとしている。

ショウコは危篤ではなかったものの重篤な状態で救急搬送され、医者から今後の一人暮らしは無理という判断を下され、医療ソーシャルワーカーからも早い時期に入ることのできる施設を探すべきと促され、これはもう施設の空きをただ待っている状態ではなくなったと覚悟を決め、年内に入居可能な所を探さなければならいと行動する準備にかかっていた。

ところが・・・ところがである。

ショウコは獣なみの回復力をみせ、2-3日後には病状も落ち着いて怪しくなっていたろれつも回るようになり、普段と変わらぬ食欲も取り戻してしまったではないか。

それでもさすがに今回のことがこたえたとみえ、次の冬を一人で越す自信がないと言うので、やはり施設探しはしなければならないと思っていた。

そのためには変更になるであろう介護認定の審査結果を待たなければならない。

今は要支援2というランクだが、2日間もベッドで寝たきりだったため足の筋力がすっかり弱ってしまい、一人で歩くことができなくなっているので要介護の認定になるものと思われる。

要支援と要介護では入れる施設の幅が異なり、選択肢がぐっと広がるため今まで探していたり入居待ちになっている施設以外も対象になり、早く入れる場所が見つかりやすくなるかもしれない。

逆に言えば、その審査結果と認定を待たなければ施設探しはできないということなので、行動できないまま今月二度目の帰省をする日になった。

15日に転院したのでリハビリの歩行訓練も中断となり、また歩けなくなっているのではないかと心配したが、なんと自力で起き上がってベッドから降り、歩行器を使ってではあるものの、病棟の端にあるトイレまで行って帰ってこれられるようになっているではないか。

足の筋力までも年齢の割には鬼のような回復力をみせているショウコだ。

前の病院には医療ソーシャルワーカーがいてくれたが、それは市立病院だからであって転院した個人病院ではどうなってしまうのかと少し戸惑った。

しかし、今は介護保険によって制度が充実したのか、個人病院にも地域医療福祉連携室の医療相談員という人がおり、前の病院の医療ソーシャルワーカーとの打ち合わせも完璧になされているし、地域包括支援センターとの連携も見事に引き継がれている。

リハビリの進み具合や退院の目処などが知りたくても携帯電話を持たないショウコとは日常の連絡が容易ではないため、叔母のレイコに聞くしか手段がないと思っていたが、医療相談員がいてくれるなら安心だし、連絡すれば状況を説明してくれるという。

サラリーマン時代、介護保険制度が始まって給料から天引きされるようになった時にブーブー文句を言ったものだが、今はこれほどありがたい制度はないと実感している。

その医療相談員と医師、看護師が協議したところによると、以前の病院では一人暮らしの継続は困難と通告されたが、一人暮らしは可能であろうし、その時期も思ったより早いだろうとの結論に至ったという。

・・・やはりショウコはスーパー婆さんである。

今回の審査で要介護の認定を受けるだろうが、それは一時的なものであってすぐに以前と同様の暮らしができるようになるに違いない。

当初はショウコも精神的にも弱っていたので、次の冬を越す自信がないと言っていたが、日に日に調子が良くなってきたものだから、次の冬くらいなら一人でも大丈夫かもしれないと言うようになった。

今住んでいるこの街で施設を探してショウコを呼び寄せる計画だが、顔を見に行くのに通いやすい方が良い。

もう一人暮らしが困難なのであればバスや電車で 30分圏内まで範囲を広げようか、1時間圏内で妥協しようか、どうしても見つからなかったら札幌でもどこでも、とにかくすぐに入れる施設を探さなければならないと覚悟していたが、本人が大丈夫だというなら年内、いや、雪が降るまでに決めなければと思っていた施設探しにも時間的余裕が生まれる。

前回の雑感では、とても忙しい2016年の後半になりそうだと書いたが、のんびりはしていられないものの少しだけ精神的ゆとりを持って行動し、過ごすことができそうだ。

それもこれもショウコが奇跡的な回復力をみせているからであり、超高齢者のわりには目も耳も、そして脳もしっかりしていてくれるからこそであろう。

そんなスーパー婆さんに、少しは感謝しなければなるまい。

故郷の風景

また今週も使いにくいタブレットで書いている。

そう、ショウコのことがあるので今月二度目となる帰省中だ。

ショウコが独り暮らしを続ける自信を失ったので、次の冬が来る前に転居先を探し、様々な処理を終わらせようと行動していることもあって、まだ何度も来ることになるだろうが、それが終われば故郷を失うことになってしまうのは少し寂しいように思う。

しかし、この街にはすでに友人もおらず、知り合いも叔母のレイコが暮らすのみであり、そのレイコも数年後には街を離れる腹積もりらしいので、それほどの未練がある訳でもない。

さらに、故郷の風景も大きく変わったので懐かしさも半減している。

通った小学校は何年も前に建て替わり、当時の面影などないモダンな校舎になっているし、中学校は建て替えどころか場所まで移転してしまってるので何の思い入れもなく、男子校だった高校も今は共学となり、校名まで変わってしまった。

子供の頃によく遊んだ廃車置き場も今はなく、うず高く積まれていた材木置き場も街のあちらこちらから消え、水遊びをしたり魚釣りをした川はコンクリートで固められ、広々とした原っぱには家が密集しており、アスファルトの道ができている。

こっそりタバコを買った商店も、不良仲間とたむろした喫茶店も、躍りにいった店も初めて酒を飲んだスナックも初めて殴りあいの喧嘩をした路地も今はない。

街の中心部も変わり果てている。

それは決して発展的な意味ではなく、過疎化が進行するゆえの縮小的な変わりようで、未来を感じられない悲しい様だ。

古くからの店は数えるほどしかなく、それ以外はシャッターが降りているか、福祉関連ビジネスの店舗になっており、加速度的に高齢化が進んでいることを実感させられる。

子供の頃に家族で行ったレストランも中華料理店もラーメン屋さんもなくなったので、思い出の味すら残っていないと思っていたが、前回の帰省の際に試しに行ってみた場所がある。

それは市役所の食堂で、職員だけではなく一般の人も利用できるのだが、そこは育ち盛りで常に腹を空かせていた中学校時代に何度となく行って腹を満たしていた場所だ。

和食、洋食から中華まで何でもある大衆食堂が作るからなのか、そこで出されるカレーライスはカレーうどんの出汁のような、とっても和風な変わった味がした。

しかし、その独特な味がクセになり、行けば必ずカレーを食べていたし、その味が脳裏の奥深くに刻み込まれていたので、自分でカレーを作る際にも鰹だしを入れてみたり、めんつゆを足してみたりして何とか再現してみようと試みたが、結局たどり着けなかったものである。

あの日以来、長い時を経て久しぶりに口に入れたカレーは、昔懐かしい、あの頃のままの味だった。

長い長い時間が経過し、あらゆるものが様変わりしてしまったが、市役所の食堂のカレーの味だけは変わっていなかった。

ただし、その味だけを求めてこの街に帰ってくることなどないと思われるが・・・。

ショウコトレイコノコト 4

まあ、今週はこの話題に触れない訳にはいかないだろう。

雑感というより、どちらかと言えば『管理人の独り言』に書き散らかしたことのまとめになるが。

レイコから『ハハキトクスグカエレ』の一報が届いたのは 06/01

実はその前にショウコが救急搬送されたという知らせを受けており、正直なところ、
「面倒なことになったな」
とは思ったが、俗に言われる嫌な予感とか胸騒ぎもなく、それほど大事にはならないと思っていた。

というのもショウコは超高齢者なので病院にかつぎ込まれるのは初めてのことではなく、骨折やら大腸炎やら何やらで年に一度くらいのペースで入院していたので、今までがそうであったように、今回も一週間程度の入院だろうと高をくくっていたのである。

ところが、それから約一時間後に受けた知らせが『ハハキトク・・・』。

さすがに頭の中が真っ白になり、ちょっと放心状態で受け答えしたのち電話を切り、『お買い物日記』 担当者に
「危篤だって」
と一言だけ告げた。

それからの行動は実に早かった。

いつも帰省する際にする荷造りに加え、仕事を長く休むことになる可能性があるので関係各所に事情の説明と休業をしらせるメールを一斉配信。

実は当日の午前中に買い物に行ってきたばかりだったので、食パンやヨーグルト、レタスなど賞味/消費期限の短いものをとなりの店や義兄夫妻に貰ってもらうように手配。

そして、普段は持たない喪服や数珠などの葬儀セット、遺産関連で必要になる可能性もあるので預金通帳や実印も準備。

実は翌週の 8日は自分が通院する日で、毎日服用している処方薬の在庫が底をつきかけていたのに加え、予定の日に病院に行けない可能性も高いので、故郷の病院で診察、薬の処方をしてもらえるよう『お薬手帳』や血液の検査結果など一通りの書類も用意。

どの乗り物を利用すれば最速で故郷に帰れるのかルート検索しまくり、いよいよ出発という段になって再び叔母からの電話。

もしかすると、意識が戻らぬまま母は逝ってしまったのかという思いが頭をよぎり、覚悟を決めて電話にでると妙にのんびりした口調のレイコ。

「あのねぇ、お母さん危篤じゃなかったわ」

・・・。

腰が抜けそうな安堵感と一気に頭に血が上るような怒りとが入り混じったが、一気にメーターを振りきって沸点をも軽く超えてしまったので、口からは今まで出したことのない量のため息と呆れ笑いが溢れ出てきた。

状況を整理すると、ショウコは前日から体調不良となって食べたものを嘔吐し、水も飲めないほど気分が悪くなっていたらしい。

翌日になってもそれが治まらないため午後に病院を予約し、そこに向かうためタクシーの予約も済ませた。

そこで気が抜けたのか、ソファーに横になったまま動けなくなったという。

午後になってタクシーが到着し、指名して毎回お世話になっている運転手さんが家のチャイムを鳴らして迎えに来たが、中からショウコの反応がないためドアを開けてみるとカギはかかっておらず、呼びかけてみてもまともな返事がないため心配になって家に入ってみると、意識もうろうとなって動けずにいるショウコがいたらしい。

その運転手さんの問いかけに対して応えるショウコはろれつが回っておらず、これは重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断した運転手さんが救急車を呼んでくれた。

そして、レイコにも連絡してくれ、今から救急搬送されるので病院で待っていてほしいということと、ショウコのろれつが回っていないという症状を伝えたとのことだったので、レイコも同様に脳関連の重病と判断したものと思われる。

救急搬送されたショウコがそのまま病室に向かわず、集中治療室に入ったのでレイコは『ハハキトク・・・』という情報を我が家にもたらしてくれたという訳だ。

結果的にショウコは急性の腎盂腎炎だったとのことで、腎臓のウィルスが全身に回ったため言語(ろれつ)も怪しくなり、高熱を発したことと、運動機能も麻痺したため動けずにいたらしい。

危篤が誤報だと分かったので、その日の移動はとりやめて翌日の早朝の高速バスに乗ることにした。

そして、到着後すぐに病院に行ってみると、ショウコはまだろれつが怪しいものの、コロッと太って顔の血色も良い。

少しするとレイコがやってきたが、口をきくと大喧嘩になってしまいそうだったので無視して病室を出てデイルームで本を読んだりスマホを使って時間をつぶした。

その日はバツが悪そうにシュンとしていたレイコだが、数日後にはしゃべりの達者な憎たらしい婆さんに戻り、転院の際には私が手続きなどしておくとか、もう一人で置いておけないのだから即入居が可能な施設を探せだのと色々と指図してくる。

『ハハキトク・・・』の大誤報を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになったものの、確かにレイコがいればこそ、ショウコのことを頼んで帰ってこれる訳なので怒りをぐっとこらえて丁重にお願いすることにした。

それからのこと、ショウコの回復ぶりなどは 06/03以降の独り言に記した通りだ。

必要以上に神経をすり減らし、もの凄く体力を消耗した今回の帰省。

前日に心配した通り、翌日の自分の通院、血液検査の結果は惨憺たるもので担当医がおろおろするような数値を叩き出した。

放っておけないほどの異常値も認められたので、処方薬を変更したうえで長い期間を置かず、24日に再び病院に行かなければならない。

しかし、その前の 16日から 21日まで、再び『お買い物日記』 担当者の通院と帰省という強行日程を組んでいるので次回の血液検査もどうなるものやらといったところだ。

ショウコは元気になる気満々だが、もう一人暮らしは困難だと思われる。

早急に施設をさがし、年内には転居を完了させたい。

やはり 2016年の後半は、とても忙しいことになりそうである。

表現法

スズキまでもが燃費計測で不正をしていたとの報道があったが、果たして『不正』という表現は適切なのだろうか。

確かに国が定めた基準ではない方法で測定をするのは正しくない。

正しくないことを日本語では不正と言うので、不正という表現は間違いではないのかもしれないが、フォルクスワーゲンも三菱自動車もスズキも十把一絡げにして良いものだろうか。

そもそも国交省が定める走行抵抗測定方法は古く、環境問題に関心が高まっている現在では時代にそぐわないものになっているらしい。

そこで、スズキは環境規制の厳しい欧州の燃費計測方法を採用し、その測定結果を基準としてしまったわけだ。

より厳しく、より正しい解を得られる方法であっても、国が定めた方法とは異なるため、それは正しくない、つまりは不正ということになってしまう。

しかしながら、結果が良くなるように不正に動くプログラムを組み込んだフォルクスワーゲンや、データを改ざんしたり勝手な計算方法でごまかしていた三菱自動車と同等に『不正』の二文字で片付けてしまうのはいかがなものか。

日本のみならず、世界各国が行方を心配していた田野岡 大和くんが無事に保護され全世界が安堵のため息をついた。

この件で幾度となく『置き去り』という言葉を耳にしたが、それは本当に正しい表現なのだろうか。

確かに子供をその場に置き、たとえ5分でも、たとえ500メートルでもその場を去ったのだから、日本語としては置き去りと表現しても間違いではないし、それ以上にしっくり来る日本語は存在しないのかもしれない。

しかし、聞き分けのない子供に反省させるための行為として、それほど常識から逸脱したものだろうか。

昔の親は、言うことを聞かない子供を押し入れに閉じ込めたり、家から外に出したりしたものである。

今回の件も、
「玄関の外に立ってろ!」
と子供を出し、5分後に見に行ったらいなくなっていたという状況と大差ないように思う。

子供が可哀想、親が悪いという構図がすっかりできあがってしまっているが、果たして本当にそうなのだろうか。

大和くんには申し訳ないが、どうも彼は普通の子ではないように思えてならない。

普通の子であれば、置いていかれそうになれば泣きながら後を追うものと思われるし、置いていかれたからといって直後にその場を離れるようなことはしないのではないだろうか。

反省の色なく、その場に残され、
「ちぇっ」
とふて腐れてどこかに行ってしまうなど、たいしたタマだ、見上げた根性だと、元不良の自分なんかは思ってしまう。

つまりは子供のゴネ勝ちであって、世間やマスコミから一斉に非難されるようになってしまった親の負けだろう。

これは単なる推測にしか過ぎないが、仮にそうだとするならば、やはり『我が子を置き去りにした親』というレッテルはそぐわないと思わざるを得ない。

今、この雑感は故郷で書いている。

パソコンではなく、使いづらいタブレットで書いている。

それというのも叔母のレイコが
「ハハキトクスグカエレ」
と大騒ぎしたからである。

命に関わる問題でもないのに危篤と表現するのはいかがなものか。

以前にショウコが骨折した際も
「これで寝たきりになることだってあるんだからね」
と脅し、ショウコが大腸炎で入院したときも
「体が衰弱してこのままダメになるかもね」
などと縁起でもないことを言うレイコである。

今後はレイコの誇大表現に最大限の注意を払わなければならないだろう。

自分解体新書 - 24 -

自分解体新書 ~目次~

■ まつ毛 その8

もう、このタイトルで雑感を書く時には完全に定番化した感のあるまつ毛だが、今回も御多分にもれず白い毛が生えている。

右目にあるのは知っていたが、数日前に左目の端でキラキラ光るものがあって気になり、『お買い物日記』 担当者に見てもらったところ、案の定というか、やっぱり白い毛が生えていた。

少しすると慣れるのだが、それまでなかったところに生えると妙な違和感、視界に入るきらめきが気になって仕方がない。

今は左右の目尻の近くで生える白い毛が常態化しつつあるので、違和感も何もあったものじゃなくなるかもしれないが。

■ 太腿 その3

先月の散歩で急に激痛が走った右足の太腿だが、その後は何事もなく、そして再発することもなく過ごしている。

そして、それを気にするでもなく忘れていたのだが、数日前に Webで調べ物をしていると血管が痙攣すると激痛が走るという記述を見つけた。

そして今、検索してそのページを探してみても見つからないのだが、皮膚の表面から始まって奥に向かって電流が走るような激痛は、痙攣したと言われると感覚的に納得できるような気がする。

素人が勝手に判断してはいけないのだろうが、ここはひとつ、血管の痙攣だったということで。

■ 指 その4

指先がボロボロになった件で、3月末に病院から処方された薬を実は今も塗り続けている。

もうすっかり良くなり、かゆみも肌荒れも発疹も消え去ったと思ったのだが、ここ数日また調子が悪く、人差し指と中指の先端が固くなって皮がむけてきたのと同時にポコポコと発疹も現れはじめた。

毎日かかさず薬を塗ってきたのにどうして今になって再発したのだろう。

使い続けてきた薬も底をつき、今夜塗ったら終わりだ。

来週、また皮膚科に行ったほうが良いだろうか。

■ 胃 その2

今月の初め、せっかくのゴールデンウイークなのだから料理などすることもあるまいと、約一年ぶりに外食してきた。

外食といっても近所の『びっくりドンキー』に行ってきただけだが・・・。

店に行く前、そろそろ 300gのハンバークを食べきるのは辛いのではないか、年齢的にも食べる量を減らすほうが良いだろうなどと『お買い物日記』 担当者と話し合った。

二人で 150gを注文し、『お買い物日記』 担当者のハンバーグを少しもらう・・・のは、『お買い物日記』 担当者がもの凄く寂しそうな顔をするので却下。

ならば同じ 150gを注文して『お買い物日記』 担当者のライスを小ではなく普通盛りにし、そのライスを分けてもらう・・・。

そうだ、もしかすると今までどおりに自分は 300gを注文するが、ライスを小にすれば良いではないか。

実に素晴らしいアイデアがひらめいたものだと二人で意気揚々と出かけ、店で張り切って注文したが、食べ進むにつれ腹がいっぱいになって苦しくなってきてしまった。

やはり歳には勝てず、もう多くの量は食べられないのだと自覚し、少ししょんぼりしながら帰宅する。

■ 脳 その4

その夜、『お買い物日記』 担当者が一年前に行ったびっくりドンキーでの注文を確認すると、今回とまったく同じオーダーをしているではないか。

あれだけ悩んでオーダーを決めたというのに、去年のことなど 1ピコ秒も思い出さなかった。

食べる量ばかりか、脳の衰えをも自覚せざるを得ないとは。

まあ、それも仕方のない事だろう。

昨日の夜に何を食べたのかを思い出すのでさえ時間がかかるのに、一年前のことなど覚えているはずがなかろうと、今は開き直ったりしているところである。

モバイルWi-Fi

ずっと検討していたモバイル通信のキャリアに関しては、料金の安さと我が家の利用形態にマッチすることから FREETELという会社のサービスを利用することに決定した。

FREETELのサービスにはプランという概念がない。

他社であれば、月に 3GB使うとか、5GB、10GBなどと選ばなければならず、料金を抑えようと低額のプランを選択した場合、大量のデータ通信が必要になった際には、その前月にプランを変更しておかなければならないのに加え、また翌月には低額なプランに戻したりという作業が必要になってしまう。

ところが FREETELは月に 100MBしか使わなければ 299円、使った容量によって徐々に料金が加算されるが最大(10GB以上)でも 2,470円止まりという内容だ。

我家の場合、家の中では室内の Wi-Fiがあるので事実上の使い放題であるし、ほとんど外出しないので普段の使用頻度は極めて低い。

使うのは 『お買い物日記』 担当者が札幌の病院に行くとき、年に数回の帰省のときくらいなものである。

つまり、年に 4-5カ月だけ大量のデータ通信をするが、それ以外の通信量は極めて 0に近い。

今は母親が弱っているので年に何度か帰省するが、こちらの施設に入居できれば故郷に帰る理由も家もなくなってしまうので、その後は 『お買い物日記』 担当者が 4カ月に一度の通院で使うのみとなる。

そうなれば、ますます普段の維持費が低額であればあるほど好ましい。

そして、面倒な手続きなしに使いたいときは思いっきり使い、そういう使い方をしても莫大な費用を請求されたり速度制限されたりしないサービスが望ましくなる。

FREETELは Webページ上で簡単に通常利用と節約モード(低速利用)を切り替えられ、節約モードを選択した場合は 200kbpsという低速ながら、月の容量制限なしに 50GBでも 100GBでも 299円で使い放題にできるのも魅力だ。

今の時代、200kbpsでは画像を多く使った Webページを閲覧すれば表示が遅く、動画サイトなど見ることもできないが、外出先でそんなサイトを見ることはないので我が家では問題ないし、定額回線の走りだった NTTの ISDNなどは 64kbpsだったので、それからくらべると格段に速いので十分である。

さらに、FREETELには 3日間で 1GBとかの使用制限もない。

一般的なキャリアは 1日の使用量を控えさせるため、3日間で 1GBを超えると速度制限がかかってしまい、FREETELの節約モードである 200kbpsより遥かに遅い通信速度になってしまう。

我が家のように、普段は使わないものの帰省の際などには複数のサイトやブログをスマホやタブレットで更新するため、一気に大量のデータ通信が必要になるという使用形態だと、すぐに使い物にならなくなってしまうのである。

事実、今まで利用していたキャリアは制限があるため、実家で作業していると 3日目には遅くて使い物にならなくなった。

それら諸々のことを勘案すれば、FREETELのサービスが我が家の利用形態にピッタリだ。

新規参入の企業で、サービス開始直後こそ混乱もあって通信速度が極端に低下したりしたらしいが、今は経営も設備も安定して通信品質に問題はなくなったらしい。

中継基地は自前の設備ではなく docomoのものを利用しているのでカバーエリアも広く、天災などがあっても復旧が早いと思われる。

ということでキャリアは FREETELに決定した。

docomo、au、SoftBankや Y!mobileなどは通信端末の料金込みの価格だが、FREETELの場合は端末は自分で用意しなければならない。

それでも我が家で購入した NEC製のものは 2万円程度で売られていたので、毎月 3,900円も払っていた通信費が 299円になるということは毎月 3,600円も安くなるということであり、端末の料金など半年もしないうちに元が取れる計算だ。

その NEC製端末は Amazonで注文しておいたのだが、先週の 12日の午前中に、FREETELの SIMと同時に宅配業者が配達してくれた。

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午後からいよいよセットアップである。

NECの端末機に SIMをセットし、端末機の説明書に従って設定し、添付されていた QRコードをスマホやタブレットで読み込めば、あっという間に認識完了。

ところが、ネット接続が完了せず Web閲覧することができない。

FREETELのサイトには SIMが届いたら『利用登録せよ』との記述があったので、それをしなければならないのだろうと Webページから何度も製造番号やら何やら入力したがエラーとなってしまう。

仕方がないのでサポートに電話すると、ネットで注文した場合はすでに登録が完了しているので必要ないとのこと。

設定が終わった端末機の電源を一度切り、再起動してみてほしいとのことだったので、その手順に従うと何の問題もなくスルッとネット接続することができるではないか。

初めて使う機器、初めて利用するキャリアだったので少しスッタモンダしてしまったが、結果的には自分が物事を複雑に解釈していただけであって、実に簡単にセットアップは完了した。

それから何度か外出の際に携帯してみたが、メール送受信、LINE送受信、通信が必要なゲームなど、節約(低速)モードでも何の支障もない。

Webの閲覧も覚悟していたほど遅くはなく、我慢できる範囲だ。

これなら問題ないだろうと、今までのキャリアには今月いっぱいで解約する旨を通知し、今日の午前中に受理したとの返信があったので 4年の長きに渡って高額な通信費を支払っていた業者とも縁を切ることができる。

色々と悩んで選定したキャリアだが、様々な制限やストレスから開放され、維持費も普段は 1/10以下に抑えられることが決定したので、今は実に清々しく、充実した気分である。

記憶 Memory-19

過去の記憶

今はなくなってしまったが、子どものころ家の近所にあった会社は土木関連事業から自動車の整備まで行う複合企業だった。

うず高く積まれた古タイヤ、廃車置場にもなっている敷地内は、子どもにとって恰好の遊び場である。

言うまでもなく外を飛び回って遊んでいた自分も例外ではない。

何十本も綺麗に重ね、高く積まれたタイヤをよじ登り、頂上からタイヤの穴を下りて遊んだりしたものだ。

下まで行っても単に地面があるだけなので何が楽しかったのか今となっては理解できないが、とにかく意味もなくタイヤの穴の中を出たり入ったりしていたのである。

廃車となったトラックや自家用車に乗り込んで運転する真似をしてみたり、ボンネットや屋根に上って飛び跳ねたりもした。

自動車の部品を並べている鉄骨製の大きな棚に登って遊んだり、トラックの荷台で遊んだりと、そこに行けば退屈することなく暗くなるまで遊べたのでる。

そして、冬になれば雪が積もって足元が柔らかいので大型トラックの荷台から前方宙返りやバク宙で飛び降りたりしていたが、今から思えば廃車を扱う会社の敷地内なので、地面に何が落ちているか分かったものではなく、もし鉄骨が縦になったまま雪に埋もれていたら、四角くて分厚い鉄板の角が上を向いて雪の中にあったら、大怪我どころか死に至っていたかもしれないと背筋のあたりがゾワゾワしないでもない。

しかし、無鉄砲で怖いもの知らずの子どもは余計な心配などせず、2メートルも 3メートルもある大きな車の上からニコニコしながら飛び降りていた。

極寒、豪雪地帯ならではのことだが、屋根に厚く積もった雪が凍り、そのままゆっくりと降りている最中にまた雪が積もるということを繰り返し、それが屋根から地面まで繋がって、まるでサーフィンで波の中をくぐれるチューブと似たような状態になることがあるのだが、北国で暮らしたことのない人、極寒&豪雪地帯で暮らしたことのない人に文字で書いて説明しても伝わららないだろう。

なのでイメージに近い写真を貼っておく。
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これは奥行きが 4-5メートル程度だと思われるが自動車整備工場も事務所もある大きな建物だったので、これの4-5倍、つまり 20メートルも 30メートルも続く雪のチューブは子供心に迫るものがあり、否応無しに冒険心に火がついてしまうというものだ。

真っ暗で先の見えない雪のチューブの中を進み、途中で遊んだりしながら反対側から外に出る。

これも、無鉄砲で命知らずの子どもだからこそできる芸当であり、大人となった今では崩れ落ちるのが心配で中に入ることなどできないだろう。

冬は割れる心配もせずに凍る川の上で遊んだり、夏は流される心配もせずに川で泳いだりもしていたが、今から考えると恐ろしいことこの上なく、よく死なずに済んだと思うことばかりである。

話しは廃車置場に戻るが、ある夏の日、一台のブルドーザーが敷地の中心に置かれており、働く車に目がない子どもが何人も集まって運転席に座ったりボンネットによじ登ったりして遊び、運転席の横にあるレバーをガチャガチャ動かしたりもしていた。

レバーの横にあるスイッチを押したりダイヤルを回したりしていると、何かの拍子にブルドーザーが
「ブロロン」
と音を立てた。

それに強い興味を持ったので自動車で言うならアクセルに相当すると思われる足元のペダルを踏み込みながらまた同じような操作をすると、何とエンジンがかかってしまったのである。

それに慌てふためき逃げ出す仲間もいたが、自分は何とかエンジンを止めようと必死になっていた。

回したダイヤルのようなものを反対に回せば止まるのではないかと思ったが、何をどうやっても唸り声のような音を立てたままエンジンは止まってくれない。

そのまま放置してその場から逃げることも考えないではなかったが、純朴な心を持った少年は何とかして解決しようと無い知恵を絞り、仲間の父親がその会社に勤めていることを思い出した。

その仲間を連れて会社の事務所に行き、その父親に事情を話してブルドーザーのエンジンを止めてくれるように頼んだが、父親はニヤニヤと笑いながら工場部門にいるササキという人にお願いしろと言う。

実はこのササキという人、子どもたちから恐れられている人で、それまでにも何度となく叱られて身の縮む思いをしていたのである。

それを知っていて仲間の父親はニヤニヤしていたのだろうが、顔を思い出しただけでも泣きそうになってしまう。

仕方なくガクガクと震える足をひきずりながら工場に行き、そのササキさんに事情を話した。

ただでさえ恐いササキさんの顔がみるみる大魔神のようになり、真っ赤になって頭から湯気が出そうな勢いだ。

と、その時、ササキさんが近くにあった大きな大きなスパナを手に取り、
「このクソガキどもがぁ!」
とブンブン振り回しながら鬼のような形相で追いかけてくるではないか。

大人になった今となっては、二度と子どもたちが危険なことをしないようにという配慮から、ここはこっぴどく叱るべきだと判断しての行為だと理解できるが、その時は本当に殺されると思い、もつれる足を必死で動かして逃げ惑った。

仲間と遠くまで走って逃げ切った後は放心状態となってボーっとしまま動けない。

泣きじゃくっている仲間に申し訳ないという気も沸々と湧いてくる。

そう、何を隠そう、ブルドーザーのエンジンをかけた張本人は自分だったりするのであった。

分散化

長ければ10連休というゴールデンウイークも終わろうとしている。

今年も海外旅行、国内旅行で民族大移動となり、高速道路や空港は大混雑となった。

海外旅行ではイタリア、フランスなど相変わらずヨーロッパが人気なようだが、いつテロ事件が発生してもおかしくない状況において、わざわざターゲットになりやすい地域に出向くというのだから余程のチャレンジャーが多いのだろう。

やはりテロの危険性を認識してなのか、グアム、台湾、シンガポール、ベトナムなど近場を選ぶ人も多かったようだが、もしかすると費用の問題かも知れない。

バブル崩壊直後は『安・近・短』、つまり安くて近くて短い旅行がクローズアップされ、まるでそれがトレンドであるかのようにもてはやされた時期もあった。

今は格差社会と言われるように、あるところに金はあるが、ないところには無いという実にわかりやすい状況で、海外に行ける人もいれば国内旅行にすら行けない人もいるだろう。

  1. お金がないから旅行や行楽に行けない
  2. 旅行や行楽で消費しないから店や企業が儲からない
  3. 儲からないから人件費(給料)を抑制する
  4. 給料が上がらないから自由に使えるお金がない
  5. 1に戻る

という訳で、よく言われる負のスパイラルの完成だ。

もう一つのスパイラルは、

  1. 混雑しているから旅行や行楽は控える
  2. 旅行や行楽での消費額が減少するから店や企業が儲からない
  3. 儲からないから人件費(給料)を抑制する
  4. 給料が上がらないから自由に使えるお金がない

という過程を経てから上記 1~4の繰り返し(スパイラル)に入り込む。

せめて後述のスパイラルを避けようと休暇の分散化が提唱されているが、そんなものは今に始まったことではなく、もう30年も前から言われていることだが、長い時を経ても一向に解決に至らない課題だったりする。

どうも日本人は横並びが好きなようで、いっせーのーで休まなければ働いている人に気兼ねしてしまうところがあったり、自分が休んでいる間に何か重要な事が起こったらどうしようと心配してしまう真面目な国民性だ。

しかし、世の中はそんなに個人を重要視しておらず、一人くらい休んだからといって重要事項が頓挫したり棚上げになったりすることなどなく、自分が働いている時に誰が休みで遊んでいたからといって気に留めることもない。

気にされているとか、重要な処理は自分が・・・などいうのは単なる自惚れに過ぎないだろう。

それでも日本の場合は数%の大企業に残りの零細企業がぶら下がっている構図なので、大企業が働いているのだから下請け会社は休みづらいという微妙な圧力を無視することはできないかもしれない。

大企業が使う原材料や部品を納めている会社が休みだからという理由で納品をストップするわけにはいかないのも事実だ。

つまり、大企業に合わせて下々の者は働いたり休んだりするしかない。

やはり今の日本では休暇分散化など夢のまた夢なのだろうか。

ストレス

最近は何でもかんでもストレスのせいにする傾向にあるように思う。

飛鳥涼が薬物に手を出したのも、清原和博が薬物に手を出したのもストレスのせい。

どっかの変態が痴漢行為をしたのもストレス。

万引きしてしまうのもストレスが原因。

訳の分からない奴が無差別殺人をしたのもストレスのせい。

施設の老人を介護職員が虐待するのもストレス。

ストレスさえ言い訳にしていれば何でも通用するかのようだ。

たしかにストレスは便利な言葉で、犯罪の動機が明確になっていない場合などにストレスだとしておけばマスコミも報道しやすいし、罪を犯した本人ですら自分自身の心理を細かく表現するよりストレスだと言っておけば簡単である。

また、ストレスが原因で逸脱行為に走ってしまったとしておけば、『魔が差した』と同様に自覚がない、またはその気はなかったのについやってしまったとか、ストレスで精神に異常をきたしてしまって記憶がないなどと、逃げたり言い訳したりするのにも便利だ。

同じような境遇にあっても犯罪に手を染めない人が大半なのに、ストレスに耐えられなかったとか、ストレスを発散したかったなどと言うのは真面目に生活している人に対してもストレスに対しても失礼だろう。

何でもかんでもストレスのせいにされたのではストレスもたまったものではない。

前にも書いたように、自分が若いころの技術者は低賃金、超長時間労働でストレスも相当なものだったが、犯罪に手を染めた知人は一人もいないし、無差別殺人の犯人がストレスの溜まった技術者だというニュースも見たことがなかった。

本当にストレスが原因で薬物依存症になったり盗みを働いたり痴漢行為、殺人を犯すのなら熊本の地震で避難生活を送っている人たちが集団で犯罪者になるというのか。

阪神・淡路大震災、東日本大震災の際に避難生活を強いられていた人たちの間で犯罪率が増加したのか。

極限状態とも言えるストレスに耐えている人たちがいる中、よくもストレスという単純な逃げ道を選べるものだ。

この雑感を書いていて何だかイライラしてきてしまった。

このままだとストレスで犯罪に走ってしまいそうなので今回は早々にやめておくことにする。