老いたるは

09/08 の独り言に書いたように、最近は目の疲れが激しく、とうとう目薬に頼るような有り様だ。

7-8年くらい前までは視力の衰えなどそれほど感じておらず、むしろ目が悪いということが何であるかすら分らずに困っていたくらいだったが、今は人に聴かなくても 『見えない』 という状況がどういうことであるかを思い知らされるように経験しているし、パソコン画面から視線をずらすとなかなか焦点が合わなかったり、夕方になると目がかすんできたりするのも嫌と言うほど味わっている。

数年前から視力の衰えと疲労感は意識していたので毎朝のヨーグルトにブルーベリーを入れて食べたりしていたが、ここのところは目の老いる速度が効果を遥かに上回り、一日にブルーベリーを 326オンスくらい摂取しなければ間に合わないのではないかという勢いに迫っている。

そこで目薬の登場と相成ったわけであるが、それまで滅多に使ったことなどないので使用法が分からない。

いや、いくら何でも目薬の入れ方くらい分かっているのだが、一日に何度くらい使って良いものやら見当もつかないのである。

家にあった目薬は何年前に購入したものか分からないが、説明書はおろか外箱も捨ててしまっているので手がかりすらなく、ネットで調べてみても成分などは表記されているものの用法までは載っておらず、あちこちのページを閲覧していたら余計に目が疲れるという間抜けな結果になってしまった。

とりあえず夕方と就寝前の 2回くらい使ってみることにしたのだが、その効果はてき面で、点眼したとたんに視界が広がり、少し離れている物もくっきりとクリアに見える。

日に 2回も使用して良いのか悪いのか手探り状態で点眼していたが、幸か不幸か目薬の残量は思いのほか少なく、すぐに使い切ってしまったので薬局で新しいものを買い求めた。

その際に選択したのは、もちろんオッサン用の目薬であり、若者が 「キターーッ!」 とか叫ぶような刺激の強いものではないが、その説明書を熟読してみたところ、日に 6回、つまり 3時間に一回くらい使っても良いことが分かった。

ならばビクビクしながら点眼する必要などなく、ちょっと疲れたと思ったらドバドバと眼球に流し込んでやれば良いのであり、別に恐れる必要などないのである。

一日に 12時間もパソコン画面を見ていなければならないのは、それが商売であるにせよなかなか過酷なことであり、それを 20代から続けていて良く今まで持ちこたえたものだと思う。

外を歩いたりテレビを見たり、本を読んだりパソコンに向かったり、普通に生活するぶんにはまだメガネを必要とするほどではないので、変な話ではあるが目は丈夫なほうであったのだろう。

2001年の雑感にも書いたように警戒すべきは視力の低下よりも老眼だったのだが、恐ろしいことに確実に老化は我が眼球にもおよび、近くのものが見えなくなってしまったのである。

普通の生活をしていて唯一困ること、それは爪を切るのに時間がかかることである。

何せ近くが見えないものだから、おのずと爪を切る手と切られる手が徐々に目から離れていく。

しかし、あまり離れすぎると今度は遠くて細かな部分が認識できない。

ほとほと自分の目に愛想が尽きて困ってはいたのだが、できることならば最後の手段はとりたくなく、必死に目を見開いて指先を見つめ、怪我などしないように心がけながら爪を切っていたのだが、あまりにも時間がかかって爪切りを握る手が疲れでプルプルと震えだす始末であり、焦点を合わせるためにどんどん遠ざけていた手も伸びきってしまい、これ以上は遠くにできなくなる日も近いのではないかと思われる。

こうなればもう致し方ないだろうと、先日の買い物でとうとう覚悟を決めて老眼鏡を購入した。

自分がどの程度のものであるのかを試すために生まれて初めて老眼鏡をしてみたところ、全身に衝撃が走り、愕然とその場に立ち尽くしてしまった。

手元がもの凄く良く見える。

今まで郵便局や市役所、銀行などの書類を記入する場所に 「ご自由にお使いください」 と老眼鏡が設置されているのを見ても 「ふんっ」 と小馬鹿にしていたものだが、この衝撃を体験してしまうと馬鹿になどしていられない。

まだ書類を書く際に老眼鏡は必要ないが、近い将来、いや、もしかすると明日からでも必要になったりするのかも知れず、その場に設置されていることを感謝するかもしれない。

ついにオッサンの目薬、ついに老眼鏡。

急に衰えを実感できるようになった今、少しずつ自分の体をいたわりながら過ごしていこうと静かに思ったりしているところである。