想い出の居酒屋 其の玖

想い出の居酒屋 おしながき

その店に最後に行ったのは 1995年、実に 14年もの時が経過してしまっていたが、今まで数々の思い出を残したその店はどうなってしまったのか。

昨年の今日、つまり、2008年の 8月 22日は 『お買い物日記』 担当者の入院二日目で外泊許可がでた日で入院した場所は札幌、あの居酒屋のある町なので、晩御飯をかねて行ってみようと二人で話し合い、地下鉄に乗って最寄り駅に向かった。

その駅は通勤で使っていた駅なので通い慣れているし、駅構内も変わっておらず、出口から外に出て向かうべき方向も体が覚えている。

ところが目の前に広がっているのは記憶にない風景であり、離れていた 14年間で建物がすっかり建て替わって高層化が進んだようで、見える空の面積が極端に狭くなっている。

進んでいる方向に間違いはないはずなのだが、あまりにも町並みが変わってしまったので曲がるべき道が分からない。

店に行くには今進んでいる方向から右に曲がらなくてはいけないのだが、どこの角を曲がるべきか目標がないのである。

それでもそこは通いなれた道、目視に頼ることなく勘と感覚だけを頼りに先に進む。

ビル群を抜け、少し歩くと見慣れた光景が目の前に広がる。

そう、間違いなくあの店がある道だ。

この道をあと数百メートル進むと決して綺麗でもない小さな店があるはずだ。

しかし、ここまで来て急激に不安が胸いっぱいに広がる。

さんざん世話になった店とは言え、その業種は水商売、10年も 15年も続いている保証などあるはずがないし、加えてマスターとママは 『其の肆』 でも触れたようにママが 10歳以上も年上という夫婦であり、二人仲良く暮らしているとも限らない。

まして、この 15年の間にはバブル崩壊、ITバブル崩壊という未曾有の経済危機が日本を飲み込み、飲食店も大きなダメージを受けているので、それらを総合して勘案すれば、むしろ店が残っている確率のほうが極端に低いのではないかとさえ思える。

店に行くのが楽しみなので速く歩きたい気持ちと、もしものことを考えると気が重くて足取りまでも重く感じるような感覚とが入り交じった不思議な状態のまま歩を進める。

店の周りは変わっておらず、昔からあった建物や商店に明かりが灯っているが、目を凝らしてみても店があるはずの建物は薄暗く、看板に明かりが灯っておらず、赤提灯の明かりも見えない。

『お買い物日記』 担当者と二人、「やっぱり・・・」 と言いながら、それでも店がどうなっているのか確認だけはしておこうと近づいて行った。

すると暗い店の前でしゃがみこみ、鉢植えの花に水をやっている人の姿があり、なんとそれはママだった。

ほぼ同時にママもこちらに気づき、ただ呆然とこちらの顔をながめている。

「こんばんは」 と言うと、ママは店に飛び込み、大声で 「めずらしい人が来たよ~」 と叫んだ。

店が暗かったのは、まだ時間が早く仕込みの途中であったことと、折からの不況で少しでも節電しようという意識の表れだと言う。

店内は何ひとつ変わっておらず、マスターもにこやかに迎え入れてくれた。

そう、ここが心の故郷、どんなに小さくても決して綺麗ではなくても心から安心できる空間。

そして、色んな想い出が詰まり、あふれかえりそうな小さな空間だ。

様々な想い出話に花を咲かせ、久しぶりの味を思う存分に楽しんだ。

そして、札幌に来た理由を話すと、実はママもガンにかかり、大きな手術と抗がん剤治療を受けたのだと言う。

「今の医学だったら大丈夫、絶対に治るよ」 と勇気づけられ、「手術だけで済んだら一カ月後くらいにくる。来なかったら抗がん剤治療を受けるんだと思って」 と言い残して店を後にし、それから丸一年が経過した今も顔を出していないので治療を受けたのだと分かっていてくれることだろう。

来週、遅まきながらの夏休みをとり、帰省した帰りに札幌に寄って一泊する。

そのとき、一年ぶりに店に寄ってくるつもりだ。

店とのつながりが現在進行形になったので、もう想い出の居酒屋ではなくなってしまった。

これの続き、『想い出の居酒屋 其の拾』 を書くのはいつの日になることだろう。