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自分解体新書 - 13 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭皮 その2

頭部の筋も張ったり凝ったりするものらしく、自分のこぶしでゴリゴリすると実に気持ちが良い。

握りこぶしを作って頭に当て、反対の手で押しつけるようにしながらグリグリと動かすと痛いような気持ちが良いような微妙な感覚で、肩や背中を揉んでもらっている時と同じような感じになる。

特に頭蓋骨の骨の継ぎ目あたりが効くように感じるので骨がズレているのではないかと思われ、機会があれば整体院で頭蓋骨矯正でもしてもらおうかと考えているところだ。

そこまでせずとも YouTubeの動画を見ながら矯正すれば良いのかもしれないが。

■ 頬(ほほ)

シミやソバカスのできるお年頃である。

いつの間にか頬の数カ所には薄いシミや濃いシミができているのだが、それは本当にいつの間にかであって、少しずつ濃くなってきたとかいう自覚がない。

自覚がない程度の薄さから加速度的に濃くなったので気づくのが遅れたのかも知れないが、ある日突然、あるはずのないものが急に現れてしまったという感じだ。

一番目立つのは左頬に点々と続くシミだが、実はそれは古傷だったりする。

幼い頃に針金を振り回りながら遊んでいて先が自分の頬の肉をえぐったのであるが、大量に出血するわ、危なく目に入るところだったわで母親は半狂乱の大騒ぎとなり、病院に担ぎ込まれる結果となった。

それでも若い細胞は怪我を物ともせず自然治癒し、顔を近づけてじっくり見なければ分からないほどの傷跡しか残らず、うっすらと皮膚の光沢が違っている程度のものだった。

ところが加齢とともに過去に傷ついた細胞をかばいきれなくなってきたようで、色素の崩壊が始まってシミのように赤黒く変色してしまったものと思われる。

年をとると様々なことが表面化するので、あまりヤンチャはしないことだ。

■ 手

季節要因も多分にあるとは思うが、手や指先がカサカサになってタッチ操作が必要な機器が扱いづらい。

まずは主にゲーム機と化しているスマホの操作だが、タッチしてもなかなか反応してくれない。

特にゲームは細かな操作、微妙な位置合わせ、素早いタッチが必要になるのだが、カサカサの指では反応が鈍かったり無反応だったりするのが困りものだ。

そんな訳で、最近ではいつでも快適な操作ができるよう、手の届く場所にハンドクリームを用意したりしている。

回転寿司のタッチパネルも反応が鈍い。

席についてすぐは腹も減っているので早く注文したいのだが、いくらパネルに触れようと、腹がたってグリグリ押してみようと反応しないことがある。

そんな時は仕方がないので用意されたおしぼりで指先を湿らせてタッチするようにしている。

そして、コンビニのレジでもタッチパネルが反応しない。

最近は電子マネーを活用しており、コンビニの精算でもスマホをかざすだけで決済できるのだが、そこで使用する電子マネーの種類をレジに付いているタッチパネルで選択する必要がある。

そこで何度画面にタッチしようが、触る角度を変えてみようが、指にハ~っと息を吹きかけてみようが反応してくれない。

ところがレジの若い店員さんが軽く触れるだけで機械はすみやかに反応し、何事もなかったように決済が完了するではないか。

そんな状況を目の当たりにし、カッサカサの手をした自分は
「へーへー、そうですか」
と、少しいじけてその場を去ったりしているのである。

ちょいサヴァ

自分はちょっとしたサヴァン症候群なのではないかと思う。

サヴァン症候群とは、知的障害があったり自閉症の人のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指す。

たまにテレビとかで紹介されるが、音楽を一度聞いただけで完全に覚えることができたり、歴史の西暦や電話番号、誕生日など数字に関連した膨大な情報を記憶したり、一度見たものを映像として細部まで記憶したりする能力の持ち主だ。

自分の場合は知的障害はないと思われるし、自閉症だと自覚していない。

いや、仕事以外で人付き合いするのは面倒だし、何時間でも何日でも人と話さなくても平気なので少し自閉症気味である可能性はある。

そんな自分にどんな能力があるかといえば、やたらと図形に強いことだ。

サヴァン症候群の人みたいに天才的ではないし、歳とともに衰えてきているので軽いサヴァン、ちょいサヴァといった程度ではあるが、明らかに人とは違っていた。

図形を細部まで瞬時に記憶することはできないが、長く見ていたものは確実に脳に刻まれる。

若かりしころに交通事故にあって頭を打ち、病院に運ばれた際に検査を受けたのだが、あまりにも項目が多くて面倒になってきたことと、相手の態度に腹が立ったこともあって質問に対して適当に答えていたところ、入院が必要と判断されてしまった。

慌てて非礼を詫び、真剣に答えるとすがってみたが、相手も態度の悪い自分に腹が立っていたのか許してもらえず、そのまま神経科に運ばれてしまったのである。

そこが大学附属病院だったのも災いし、まるで実験台のように次の日から鬼のような勢いで様々な検査をされた。

今から考えるとどう考えても不必要だと思われるのだが、地獄に堕ちたほうがましなほど痛い脊髄注射を何度もされ、かなりな量の脊髄液を抜かれたように思う。

脳波検査中に訳の分からない注射をされて気を失い、目を覚ました時には病室のベッドに寝かされていたこともしばしばだ。

検査中は 5-6人の若い男女が周りにいたが、それは白衣は着ていたものの大学の生徒といった感じで、検査というより実験を見学しに来ている雰囲気だった。

受けさせられた様々な検査の中に、まるで小学生に出題されるような知能検査があったのだが、国語、算数など平均でしかなかったのに図形に関しては飛び抜けて IQが高く、検査した側がその結果を信じられずに何度も何度も図形問題を解かされた。

実際の数値を書くと人からドン引きされるので伏せるが、アインシュタインのIQを軽く超える値だったのは間違いない。

その頃は絵の勉強をしていて毎日のように図形を書いていたことも影響していただろうが、他のことはすぐに忘れるくせに絵や図形に関してだけは確かにいつまでも記憶に残っている。

小学校の低学年のことは覚えていないが、一定以上の学年になってから、現在に至るまでに描いた何百、何千という絵はすべて記憶していると思う。

そして、コンピュータ業界に入ってから作成した膨大な数の CG、ドット絵も記憶に残っている。

今は記憶容量が増えたので手法がことなるが、以前のゲームは 255個の部品の組み合わせで背景を描き、255個の部品で動くキャラクターを構成していた。

体調を崩して仕事を休んだ時、どうしても分からないことがあると会社から電話があり、その説明をする際に右から何番目、上から何番目の部品と、あの部品と、この部品を組み合わせれば背景のどの部分ができるということをパソコン画面も見ずにスラスラ答えて驚かれたこともあった。

今まで作成した Webページのデザインもすべて覚えているが、どういうコードを書いたのか覚えていないので修正作業をする際にはコードを思い出すのに苦労をしてしまう。

年齢とともに以前ほどの記憶力がなくなったので今はビックリするほど IQも高くないだろうが、それでも図形に関しては人と違うのではないだろうか。

スマホにしてからゲームアプリを楽しんでおり、その中でも実に面白く 『お買い物日記』 担当者と遊びまくっているゲームがある。

それは人気のゲームでシリーズ化されており、すべて合計すると1000を超えるステージがあるのだが、その画面をすべて記憶していると思う。

パズル的要素があるゲームで、『お買い物日記』 担当者がクリアできずに困っていると、その画面を見ただけで自分がどうやってクリアしたのか思い出す。

などと自慢げに書き綴ってきたが、結局はその程度のことである。

多少は仕事に役立つこともあるが、多くの場合は必要とされない。

こんなことの能力が少しばかり高くても何の役にも立たなかったりするのである。

マユちゃんの進路

となりの店スーパー女子高生マユちゃんは高校三年生で来春には卒業となる。

つい最近まで中学校の制服を着て友達と通学していたと思ったら女子高生となって電車通学となり、自転車で駅まで通うようになったと思ったらもう卒業だ。

木曜の午前中、マユちゃんの伯父であるお兄ちゃんに髪を切ってもらい、世間話の中で
「今年はマユちゃんも大学受験で大変だね」
と話しを向けると、
「いやぁ、もう試験は受けてきたんだよねぇ」
と答える。

まだセンター試験も始まっていないのに試験が終わったとはどういうことなのか尋ねると、なんとマユちゃんは美容師になることにしたのだという。

とても優秀な娘さんで、高校側からは大学への推薦入学も可能と打診されているにも関わらず、本人の希望で美容専門学校に進むことにしたのだそうだ。

当然大学に行くのだろうと思っていたし、彼女であればそれは可能であって労せず進学することもできるのに祖父母や親と同じ道を歩むことを選んだということである。

太陽のように明るくキラキラした子なので、遠くの大学に行ってしまったら寂しくなると 『お買い物日記』 担当者とも話しをしており、東京の大学どころかマユちゃんの語学力があれば海外の大学に行ってしまうかもしれないと他人事ながら不安になったり心配したりしていた。

それが美容師になるというのでさえ驚きなのに、マユちゃんが入学を希望している専門学校が札幌だというので親である妹ちゃんも祖父母であるお父さん、お母さん、そして話をしてくれたお兄ちゃんもさぞかし嬉しいことだろう。

最初は東京の専門学校が念頭にあったらしいのだが、昨年の 3月に発生した東日本大震災で思うところがあったのに加え、最近になって南海トラフ地震の話題が頻繁に取り上げられたり南関東直下地震の発生リスクが 70%を超えていることもあって東京に住むのが怖くなり、札幌の学校に行くことを決めたらしい。

帰宅して早々にマユちゃんの進路が決まったことを 『お買い物日記』 担当者に伝えると、我が娘のことのように喜び、涙ぐんたりしていたので本当に嬉しかったのだろう。

その日は就寝するまでずっとマユちゃんのことを思い出しては
「よかったねぇ~」
と二人で何度も喜んでいた。

となりのお兄ちゃん曰く、美容師になっても帰ってくるかどうか分からないとのことだが、卒業して何年かは修行してもきっと帰ってきてくれるだろう。

美容室の乱立が続き、今もこれからも厳しい時代が続くだろうから都会で店を持って経営するのは困難を極めるに違いない。

となりの店であれば地元の固定客をがっちりとワシづかみにしているので、それを継ぐのが一番だと思われるし、以前の雑感にも書いたように三代そろって店に立つ姿をぜひとも見てみたいものだと心から思う。

しかし、今のマユちゃんはスーパー女子高生であるし、何でも上手にできそうな気がするので、もしかすると全国に名をとどろかせるカリスマ美容師となって東京で仕事をすことになってしまうかもしれない。

もしそうなったらこの町に帰ってくることもないだろうが・・・。

いや、人の娘さんのことをあれやこれや心配していても始まらない。

今はただ、マユちゃんの進路が決まったことを心から喜ぼうと思う。

フラフラの理由

今週はフラフラになってしまった。

それほど大きなダメージを受けている訳ではないが、ずっと寝不足続きでフラフラしている。

スマホのゲームが面白く、夜遅くまで起きているのが原因なので自業自得ではあるが、昼間にボ~っとしたり仕事に若干の影響が出始めていることと、もう若くはないので夜更かしばかりしている訳にもいかないので、来週からはせめて30分くらい早く就寝するように心がけたいと思う。

Webサイトで更新されたファイルを定期的にダウンロードし、それを含めてパソコンのバックアップをするという一連の流れを自動化するプログラムを作成して放っておいても土曜の夜に自動実行するようにしていたのだが、一部のプロセスに問題があって 7月中旬を最後に正常動作していないことが判明。

偶然の作業からそれに気づき、泣きながら修復したのは月曜日

週の初めからそんなことをしたこともあってか、今週はひどく疲れて後半はフラフラになってしまったのである。

子供の頃から貧血気味で、入浴直後に脱衣所で倒れたり体育の授業中に倒れたり、全校集会で校長の長話を聞かされて倒れたりしていた。

それは今でも変わらず週に何度か立ちくらみをしてしまうが、何十年もの経験値と慣れがあるため、さすがに倒れることはない。

フラフラし始めてこれはマズい!と思えばすかさずしゃがみこんだり何かにつかまったりする習慣が身についているので、たとえ目の前が真っ暗になったとしても意識を失いかけても倒れて怪我をすることはないだろう。

とっても低いわけではないが、どちらかと言えば低血圧で、平均して上は 110前後、下は 70くらいであり、上が 100に届かず、下は 50台ということも珍しくない。

血圧測定をした医者から
「フラフラしませんか?」
と聞かれるが、貧血でのフラフラと区別がつかないのである。

芸能人や女性が
「私ってば低血圧で朝がとっても弱いの」
などと言っているのを聞くが、自分の場合は眠りが浅く朝も目覚ましの音にビクッと反応して飛び起きるので、影響は少ないように思ってはいるものの、トイレに行ったり着替えたりしている間は少しフワフワ、フラフラしているので実際には低血圧に影響されているのかも知れない。

この歳になれば体のアチコチにメンテナンスが必要となり、3カ月に一度の通院、処方薬が欠かせなくなっている。

現在処方されている薬は 3種類なのだが、そのうちの一つに若干の副作用があり、目まいを生じる危険性があるという。

確かに薬を飲み始めてからフラフラする回数が増えたように思わなくもないが、自分にその副作用が現れているのか定かではない。

今週はフラフラになってしまったと冒頭に書いたが、ここまで触れてきたように多くの原因があるので、自分が一体どれでフラフラしているのか分からないことがよくある。

そもそも、人生そのものがフラフラしているのでそれが主因かもしれないが。

何も思いつかないときは

雑感を書くのにあまり苦労をしたことがなく、何も考えていなくてもパソコンの前に座れば適当な題材が思い浮かび、それを頭の中でまとめもせずキーボードを打ち始めるので、たまに支離滅裂な文章になったり始まりと終わりで内容が変わってしまったりするのはご愛嬌だ。

週一なので年間 50回くらいの更新となり、それを12年以上も続けているので 600本以上のネタを書いたことになる。

たぶん 10本にも満たないと思うが、そのうちの数本はパソコンの前に座っても何も思いつかず、どこかにネタはないかと検索しまくり、余計なことに興味を持ってしまって無駄に時間を消費したりしながら苦労してかいた。

それでも 600本分の数本のことなので、雑感を書くのに苦労はしていないと言っても過言ではないだろう。

そして、しかし、ところが今日である。

今日はパソコンの前に座り、う~むと腕組みしながら思考を凝らしても、ポンっと頭の上で電球が光ることもなく、ネタ探しにネットサーフィンしてみても、興味をそそられるようなニュースがないので何も思いつかぬままとりあえずキーボードを打っているところだ。

今一番の興味はタブレット端末で、アップル社が発売した iPadを皮切りに一気に市場が広がり、各社がこぞって新機種を発売している。

しかし、同じ 4-5万円を支払うのであれば機能を真似た他社製品を購入する必要などなく、やはり iPadを手に入れたい。

数年前に買ったネットブックと呼ばれる超小型のノートパソコンがあるし、今ではスマートフォンも使っているので外出先でもネット接続して様々なことができるのはできるのだが、やはりスマホだと画面が小さすぎて見づらいのと、文字入力にも慣れていないので時間ばかりかかってしまう。

そして、ネットブックは超小型ではあるものの、すでに 5年前の製品であるため小型化、薄型化、軽量化に限度があり、長時間駆動を実現するために大きなバッテリーを搭載しているので意外に重いのに加え、OSが Windows XPで CPUも古いので処理速度が遅い。

そう考えるとタブレット端末の快適な操作性と携帯性は実に魅力的であり、どうしても食指が動いてしまう。

それでもネットブックとスマホでひどく不自由を感じているわけではないので 4万も 5万も出す必要はないだろうと、自分自身に言い聞かせてきた。

しかし、先ごろ Google社から発表された nexus(ネクサス)7は常識をくつがえす 19,800円という価格で、動きを止めていた食指が再び活動を始める結果となってしまったのは言うまでもない。

しかし、しかし、言うなればそれは Android端末でしかなく、『お買い物日記』 担当者の使うスマホが大きくなっただけのことである事実は変わらない。

わざわざそれを購入する必要があるのかは疑問だ。

それでもやっぱりタブレット端末には触れてみたい。

そんな結論の出ないことをつらつらと考えたりしている土曜の午後だ。

今現在の頭の中を書いただけなので、この雑感にオチなどない。

記憶 Memory-12

過去の記憶

世の中広しと言えども、裸馬に乗って遊んだ経験の持ち主は多くないだろう。

過去の記憶に書いた三歳の頃に両親が建てた一軒家は、周りに何もない土地を購入して建築したものだったので、すぐ裏に地主さんの家がある以外は辺り一面の田んぼで、夏の暑い日に窓を開けていたらカエルの鳴き声でテレビの音が聞こえないくらいだった。

数百メートル離れたところに一軒の家があり、そこには小学校の同級生が住んでいて稲作と畑作、酪農と、農業の多角化を進めている家庭だった。

小さな頃から畑の中を走り回り、のどが渇いたり腹が減れば生っているトマトを採って食べ、再び遊びに没頭するということを繰り返していた。

春には畑に蝶が飛び交い、育てているキャベツには青虫がモゾモゾしていたし、雨上がりの畑の土にはミミズがニョロニョロしていた。

夏の田んぼにはアメンボが浮かび、秋にはトンボが群がる。

都会であれば昆虫採集も一苦労だろうが、夏の終わりに田んぼを歩き、稲穂に向かって石を投げれば太陽光がさえぎらられて暗くなるほどのトンボの群れが空に舞う。

冬を前に枯れた牧草を刈り取り、サイロと呼ばれる貯蔵庫に運ぶ。

それは、その家で飼われてる馬や牛の冬の餌となる。

刈ったばかりで太陽の匂いがいっぱいの干し草を運び、馬のところに行くと実に美味しそうに食べるので、どんな味がするのか気になって 1-2本ほど口に入れてみるが、それが美味しいはずもなく直後にペッペッと吐き出したりしていた。

その馬は若かりし頃、北海道特有の競馬、ばんえい競走に出ていたほどの実力で、とても大きく力強い体躯をしているが、子供の頃から調教されていたので人懐っこく、何をしても怒らない優しい目をした本当に大人しい馬だった。

地面においた干し草を食べるには頭を下げなければならないが、その体勢になったらこっちのもので、馬のたてがみを握り、首に足をかけ、体をよじ登って背中に乗ろうとしても、その間も馬はじっとしている。

小さな子供の体重とはいえ毛を引っ張られたら少なからず痛いだろうに、それでも友達と自分の二人が背中にまたがるまで動かずにいてくれるような馬だった。

馬の背中は広く大きく、体温でポカポカと温かい。

馬は子供を喜ばせようとでも思っているのか、しばらくするとパカパカと歩き出し、柵で囲われた中を何周も回ってくれたりする。

その揺れがあまりにも気持ち良く、馬の背中で寝てしまったことも一度や二度ではない。

ふと目が覚めると周りが馬糞だらけの場所で立ち止まったりしており、降りるに降りられなくなって必死に馬の尻を蹴ったりして歩かせようとするものの、無視されて途方に暮れたりしたこともあった。

それでも暗くなる前にはパカパカと歩き出して柵の近くに止まり、子供が降りると馬小屋に向かって歩き出すという、まるでそこまで送り届けてくれたような、そして遊んでやったと言わんばかりの雰囲気を漂わせる不思議な存在だった。

抜けるような青空のもと、干し草香る乾いた空気と優しい日差しに包まれながら遊び、疲れ果てて寝るという毎日。

それが、とても贅沢な時間だったと思える。

今の子供達には経験できない貴重な時を過ごしたものである。

自分解体新書 - 12 -

自分解体新書 ~目次~

■ 盆の窪(ぼんのくぼ)

それがどこなのか知ったのは20歳を過ぎてからだったと思う。

後頭部で首と頭蓋骨の境目、中央のポコンと出っ張った骨の下にあるへこんだ部分であり、凝りをほぐすツボであって、気功では気の入り口がある所だと考えられ、ここを刺されれば呼吸等の機能を停止させて死に至るという必殺シリーズでもおなじみの急所でもあり、アントニオ猪木が得意とする延髄斬りで狙う場所でもあったりする。

しかし、その重要性も盆の窪という名称も、子どもの時分や若いころには知る必要もないため、肩こりに悩まされるまでは聞くこともなかったか、聞いても記憶する必要がなかった場所だ。

この盆の窪、確かに何らかの重要性を持っているらしく、夏の暑くて仕方がない時に冷やすと全身が涼しく感じるし、寒い時期に温めると全身が温まる。

北海道にしては異常に暑く、数々の気象記録を塗り替えた今年、保冷剤をタオルに巻いて盆の窪を冷やし、涼をとる日がいかに多かったことか。

就寝時にアイスノンを枕に盆の窪を冷やし、快適に眠ることもできた。

これからの寒い時期、マフラー代わりに首に巻いているタオルを厚手のものにして盆の窪を温めて過ごすつもりでいる。

以前の独り言に書いたように、首のタオルは一年中してはいるのだが・・・。

■ 肌 -その 3-

これも以前から何度も書いているが、男のくせに相変わらず肌が弱く、少しの刺激でもかゆみを覚えるため着るものの素材選びは重要だ。

ウール素材などはチクチクして着られたものではなく、高級カシミアか、むしろレーヨンだのポリウレタンとか化学繊維の安物が肌に合う。

そして、それらの素材を選んだとしても襟元に付けられているタグに刺激されて首の後ろが痒くなってしまうので、Tシャツなどのタグは購入と同時に取ってしまうようにしている。

さらに、縫製で使われている糸がチクチクするので、縫い目がある腕とか脇腹なども痒くなってしまうのが困りものだ。

それを回避するため肌に直接触れる下着類などはすべて裏返して着用するようにしたところ、これがかなり具合がよろしい。

俗に言われる敏感肌とまではいかないが、これから寒い時期には余計に痒みが出るのでちょっと憂鬱だったりする。

■ 膝(ひざ)

木曜日の独り言にも書いたが、以前の雑感でも触れた太腿の痛みは完治しつつあるが、痛みが下に移動しているように思う。

今は右足の裏に痛みが集中しているが、足を深く曲げると左膝も痛い。

この家には仏壇があるので毎朝拝んでいるが、その際の正座でダメージを受け、立ち上がると痛みが走るのである。

しかし、それは数秒程度であり、すぐに治まるので重大事とは捉えておらず、病院にも行ってはいない。

これが長引くようだったり痛みがひどくなるようであれば医者に相談しようかと思っているが、結果はどうせ加齢が原因だと言われるに決っているであろう。

太腿の痛みも数カ月という時間の経過とともに軽減され、今は快方に向かっているので膝も足の裏も放っておけば自然治癒するものと期待しているところだ。

ございます

最近になって、また変な日本語を耳にするようになった。

何でもかんでも末尾に 『ございます』 を付けて話す大人が多く、それは大企業の上層部、政治家にまで及び、側近の誰かが注意してもよさそうなものだと思うのだが、ニュースを伝えるアナウンサーもコメンテーターも言及しないところをみると、その使い方に疑問を持たないということであり、そんなことにこだわって耳障りだと思っているのは自分だけなのだろうか。

野田総理が何かの記者会見で配布済みの資料を指して
「お手元にお配りしてございます」
と言っていたが、そんな日本語が本当にあるのだろうか。

まだ資料を配布している最中であれば
「只今お配りしております」
だろうし、配布済みのものであれば
「お手元にお配りしました」
または
「すでにお配りしております」
であって、
「お配りしてございます」
などという言葉、文章などはググってもヒットしない。

大阪維新の会にすり寄り、結果的に日本維新の会への参加を決めた松野頼久衆院議員は、それまで主張してきた政策との違いに関して合意できるのか記者に問われ、
「一致をしてございます」
と応えていたが、それを言うなら
「一致しております」
とか
「一致いたしております」
であり、もう少しなら
「一致を目指しております」
ではないのだろうか。

大企業の社長がリストラに伴う工場閉鎖、組合との折衝に関し、
「鋭意取り組んでございます」
と言っていたが、
「鋭意取り組んでおります」
だと思われる。

株主総会で海外進出の遅れを指摘された経営幹部が、その点に関して
「準備してございます」
・・・それは
「準備しております」
だろう。

着工した道路建設の工事予定を聞かれ、十数年後の日付を答えた上、
「完成を目指してございます」
・・・。
「目指しております」
だ。

政界、経済界などで急激に浸透してきた流行語なのか、最初に言い出した奴はいったい誰なのか、なぜ誰も変だと思わないのか不思議でならない。

この 『ございます』 の使い方があまりにも目立つので、もしかしたらそれが正しく、自分が間違っているのではないかと不安にすらなるが、上述したすべての 『◯◯ございます』 は、どれ一つとして検索結果を得られないので世の中にそのような文章も議事録もないということなのだろう。

ただし、それは同時に、それを指摘する文章も存在しないことを意味する。

では、やはり、そんなことを糾弾する自分が間違っているのだろうか。

慣れ その2

最近になって、やっとメガネに慣れてきた。

いや、視力が低下したという自覚がやっと芽生えたとでも言うべきか。

過去の雑感で何度も触れたように、視力が良いことが唯一の自慢だった。

若い頃からコンピュータ業界に身を置き、朝から晩までディスプレーを見続け、画面の 1ドットを見ながら絵を書いていたにも関わらず中年になっても視力は 2.0を維持しており、揺れる電車の中で本を読み、帰宅してからもテレビゲームで画面を凝視し、布団に入ってからも本を読むという、目に負担のかかることばかりしていたのに視力が衰えないので安心しきっていたのである。

いつの頃からか仕事帰りに外に出ると街灯の明かりや町のネオンがにじんで見えるようになり、疲れ目は意識するようになったが、すぐに回復するので大きな問題だとは捉えていなかった。

しかし、視力の低下は確実かつ、加速度的に襲ってくる。

それでも最初は自分が乱視になりかけているとは思いもせず、少し遠くがぼやけて見えるのは目にゴミが入ったか、目やにのせいか、まつ毛にゴミでも付いているのだろうと思い、頻繁に目をこすっていた。

目の良い期間があまりにも長く続いたために視力低下の自覚が持てず、目をこすらなくなってきたのは最近のことで、頭では分かっているのに、ついつい手が目にいってしまう。

その頻度が徐々に減って、今では視界がぼやけているのは目が悪くなったからだと認められるようになった。

独り言にも何度か書いているように、どうも妙な乱視らしく、一定以上、一定以内の限られた範囲は見づらいが、その範囲外はかなりクリアに見えるのが不思議だ。

4-50センチ離れているパソコン画面は、それ専用のメガネを使って見ているのだが、そのメガネでテレビは見えないし、遠くも見えない。

テレビを見る時に使っているメガネだとパソコン画面は見づらいし、遠くを見るときには必要以上に焦点を合わせようとするらしく目が疲れる。

裸眼ではパソコンが見づらく、テレビは文字がにじんで見えないが、遠くは労せず見ることができるという妙な具合だ。

そんな訳で、パソコンに向かう時、テレビを見る時はそれぞれ違うメガネを使い、爪切りや手元の作業をする時は老眼鏡をかけ、食事をする時、トイレに立つ時、外出するときは裸眼という実に面倒な生活をしている。

そして、常にメガネをしている訳ではないので、装着している自分にもなかなか慣れることができなかった。

ついついメガネをしていることを忘れ、いや、メガネをしている自覚がなく、目が痒かったり少し遠くがぼやけて見える時は目をゴシゴシしようとしてレンズをゴシゴシしてしまったことも一度や二度ではない。

暑さと寒さが微妙な時期は、日に何度も服を着たり脱いだりするが、メガネをしていることを忘れたまま首を通そうとしてズリズリとアゴの下までズレてしまったりすることも日常茶飯事だ。

それが最近になってやっと慣れてきて、目が痒くてレンズをゴシゴシすることもメガネをしたまま着替えることもしなくなってきた。

しかし、まだひとつだけ慣れないことがある。

メガネの位置を直す動作で、レンズとレンズ間の鼻の部分、俗にブリッジと呼ばれる部分に人差し指を当てて位置を補正する方法、簡単に言えば亡くなった横山のやっさんが 「おこるでしかし」 と言いながらメガネをなおす、あの仕草を自然にすることができない。

それをしようとすると左右どちらかのレンズに指紋をつけてしまうのが常で、精神統一してゆっくりと人差し指を眉間に近づけ、慎重にブリッジを捉えなくてはならず、すぐにはズレたメガネの位置を直すことができずにいる。

これも慣れであろうから、いつか無意識に手が勝手に動くようになるだろうとは思っているが、まだすこし時間がかかりそうな気がしないでもない。

慣れ その1

例年よりずっと遅く、北海道にもやっと秋の気配が漂う。

自然界に目をやれば、ナナカマドの実は色づき始め、栗のイガも立派になってきているし、花をつける草木も変わり、空を行く鳥も今までと違う声で鳴いているので確実に秋は近づいているのだろうが、数日前までの異常な暑さで夏の終わりを実感できずにいた。

管理人の独り言に何度も書いているように、今年の北海道は記録的な暑さ、長引く残暑で季節感を失い、いつまで経っても夏が終わらないような感覚に襲われる。

40年ぶり、60年ぶりに気温に関する記録に達したかと思えば、過去 100年の観測史上で類を見ない記録も次々に樹立し、涼を求めて北海道に来た観光客の期待を見事に裏切った今年の夏。

春から夏にかけては 25度を超えると暑く感じるが、夏から秋にかけて 25度台まで気温が下がると肌寒く感じてしまうのが不思議だ。

これは、寒さへの慣れ、暑さへの慣れからくる感覚的なものだろう。

大阪に暮らしていた頃、冷房を使わずにいると室内は 40度に達しようかという程の灼熱地獄になったが、どうしても冷房の空気が好きになれないのでエアコンの除湿運転で乗り切ろうと試みてはみたものの、さすがに 34度を超えると我慢の限界に達して冷房運転に切り替えたりしていた。

そんな生活を続けていると体が順応するらしく、秋になって室温が 30度くらいになると寒く感じ、感覚が麻痺してしまったのではないかと我が身を疑ったものだ。

日本で一番暑い夏、湿気が多くジメジメした夏を十数年ほど味わったのちに北海道に帰ってくると、あまりにも夏が快適すぎて天国のようだと思った。

人からは 5年もすれば慣れて北海道でも夏は暑いと感じるようになると言われたが、あの大阪の記憶があれば決してそんなことはなく、いつまでも快適に過ごせそうな気がしていた。

そして今年が 5度目の夏、確かに記録ずくめの暑い夏ではあったが、確実に暑さに弱くなってしまったような気がする。

連日の暑さもたかが夏日であり、真夏日でも猛暑日でもない。

嫌なジメジメも湿度は 60%前後で、65%になったのは数日のことだ。

大阪では真夏日、猛暑日が日常で 60%以上の湿度は当たり前のことであり、それが約 2カ月ほど続くのだから、たかが数週間程度のことでダメージを受けていては生きていられない。

そんな土地で 10年以上も暮らしていたのに、たった 5年でこの体たらくは何事ぞっ!と、自分を戒めてはみるが、頭では分かっていても皮膚感覚、肌感覚がすっかりこちらの気候に慣れてしまい、自身でのコントロールは不可能だ。

ただし、大阪はもっとひどかったとか、大阪の暑さはこんなものではなかったという記憶は薄れることなく鮮明に残っているので、北海道の夏しか知らない人よりは耐性が強い。

昨日もこの町の最高気温は 27度を超え、北海道内の場所によっては30度を超える真夏日となり、まだまだ残暑厳しいとテレビでは伝えていたが、湿度が 50%以下だったので大阪帰りの身には実に快適で爽快に感じられる。

相変わらずジメジメとした湿気には弱いが、暑さに対してはまだ抵抗力が残っているようだ。

来年、再来年と、月日の経過とともに肌や脳が気候に慣れて耐性が薄れ、いつか北海道の夏ですら暑くて我慢できなくなる日は来るのだろうか。

そうはならないよう、たまに大阪に遊びに行って地獄の夏を経験するのも悪くないかもしれないと、頭のほんの片隅で思わないこともないが、わざわざそんな経験をすることもなかろうという思いのほうが脳の圧倒的部分を支配しているので実行に移すことはないだろう。