大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

北方見聞録 2012-2

先週からの続き

翌日はバス時間に余裕があったので、チェックアウト時間をいっぱいに使って部屋を出て、車内で食べる昼ご飯を調達してから実家への土産物などを物色し、北へ向かうバスに乗り込む。

昼ご飯を食べる以外は本を読んだりスマホのゲームをしたりしていたが、その大半は寝て過ごす車内、それでも故郷までこの身を運んでくれる。

現在住んでいる町よりも、札幌よりも故郷は北に位置し、冬は極寒の地で知られる場所であるにも関わらず、その日は信じられないほど異常な暑さで目がくらむ。

実家に着くと室内も異常な暑さだったので、客間の窓を開放したが普段は使わない部屋なので網戸がなく、夜になれば虫の巣窟となって全身刺されまくるのではないかと思われたので、夜の外食の後に蚊取り線香を購入することにした。

家にいても暑いだけなので早々に外出し、日本食レストランに入る。

ここ数年は食べる量を減らしているので外食で出される量が多くて食べるのに必死であり、母親も 『お買い物日記』 担当者も食べきれずに残す中、何とか完食することができたが、後にそれを後悔することに。

店を出てドラッグストアに寄り、蚊取り線香を購入するが、2泊しかしないので最小数量のものを探すとナショナルブランド品ではなく、プライベートブランド品に 10ロールのものがあったのでそれを選択した。

帰宅すると早々に蚊取り線香に火をつけ、寝室の害虫駆除を開始。

酒を飲み始めると肴が山ほど用意されている。

とても一人では、いや、二人だろうと三人だろうと食べきれるはずのない量だったので胃薬を服用しながら必死に食べたが、晩御飯を一人だけ完食してしまったことが災いし、なかなか腹に入って行かない。

長い時間をかけて食べはしたが、やはり食べきれなかったので翌日に持ち越しすることにした。

就寝しようと客間に行くと、安物の蚊取り線香だからか呼吸困難になるほどの煙と臭いで大変なことになっている。

こんな環境では蚊も生きていられるはずはなかろうと火を消して布団に入ったが、強烈な臭いが気になり、酔っているにもかかわらずなかなか寝付けなかった。

翌日、写真館に行って何の記念でもない写真を撮影してもらう。

何の記念でもないが、目的ははっきりしていて、実は前日の夜に家族で話し合い、遺影にするための写真を撮影しておこうということになったのである。

数年前に義兄が亡くなった際、遺影に使えそうなニッコリと笑っている写真がなくて困った経験があり、結果的に緊張した面持ちの証明写真が遺影となってしまったことを、もう老い先短くなっただの葬儀社はここが良いだの最後は葬式をせず家族だけで見送ってほしいだの言い出した母親に言ったところ、実は父親の遺影も同じで、運転免許証の写真を使ったとのことだったので、この際だから全員で遺影に使える写真をスタジオで撮影してもらおうということになった。

そして、三人揃ってアホみたいにニッカニカと笑った写真撮影に成功し、これでいつ誰が死んでも遺影に困ることはないと安堵しつつ、全国的にもスイーツが有名な喫茶店に入って昼食にする。

喫茶店といえばあっても軽食だろうとたかをくくっていたら、やはりでてくる食事の量が多く、再び腹が割れそうになるくらい食べた後、ネットで超有名になったスイーツを購入して帰宅。

そのままダラダラ過ごし、少し腹に余裕ができたところでスイーツを食べ、またゴロゴロしたりシャワーを浴びたりしているうちに日が沈んだ。

母親はその日の夜も外食するつもりでいたが、これ以上の暴食には胃が耐えられないと思われたので、昨日の夜に残した酒の肴と、今夜の分として用意されていた肴をおかずに米だけ炊いて食べることにした。

それでも食べきれる量ではなかったので相当量を残すことになってしまったこともあって、次回から用意するのは半量で良いと母親に伝える。

その後は酒を呑みながら将来について母親と少し話す。

将来といっても互いに歳なので明るい未来について語った訳ではなく、基本的に生活パターンが違いすぎるので今は一緒に暮らせない、暮らしたくないのでギリギリまで一人で頑張れと励まし、いよいよ体が弱ったり足腰が立たなくなったら同居するから心配するなと伝え、それまでは同じ町に暮らす一歳違いの叔母と助けあって暮らすように言い渡して就寝した。

そして翌日、午前中に高速バスに乗って札幌へ。

札幌では駅周辺をウロウロしたが、物欲がないので買いたいものも見ておきたいものもなく、ただただ徘徊するだけの怪しい二人となってしまった。

夕方に高速バスに乗り込み、ただ惰眠を貪っているうちに今住む町に到着した。

この町も夜だというのに暑く、最初から最後まで暑いことだけが深く記憶に残る旅になってしまったことを思い返しながら近所の店で晩御飯を調達して帰宅。

それから先はドッと疲れが出て、何をしていたのか記憶が定かではない。

北方見聞録 2012-1

今週は遅めの夏期休暇にして帰省してきた。

帰省といっても例によって 2泊しただけだが、それより長居をすると親子喧嘩が勃発するのは火を見るより明らかなので早めに切り上げるのが互いに平和なのである。

帰省の前に札幌に寄って 『お買い物日記』 担当者が定期検診を受けている間は病院の待合室で本を読んだりスマホのゲームをしたりして時間をつぶしていた。

血液検査にCTスキャン、血圧検査と診察が終わったが、想像以上に血圧が高かったので計測器を購入し、毎日でもチェックすべきだということになったらしい。

なんでも、そろそろそういうことに気を使うべき年頃なのだそうである。

昼になったので宿泊するホテルの近くにある店に入り、蕎麦や親子丼を注文。

その日はひどく暑い日だったので丼ものを注文したことを少し後悔したが、後に別の意味で大きな後悔をすることになる。

出てきた親子丼を口にした瞬間、反射的に
「う、うそだっ!」
という思いと
「こ、こんなはずはない」
「何かの間違いだ」
という思いが次々に頭をよぎる。

何とその親子丼が今まで経験したことがなく、ビックリするくらい、そして信じられないくらい甘い。

いや、甘いなどという生易しいものではなく、こめかみがジンジンするほどであり、どんなに砂糖やみりんの分量を間違ってもこの甘さにはならないだろうと思える常識はずれの代物だ。

そこは開店したばかりの歴史の浅い店ではなく、のれんも調度品も歴史を感じる古さであり、すでに午後 1時を回っているというのに数人の客がいるほどなので、その驚きの甘さが店の味であって好きな人にとってはたまらなく美味なのかもしれない。

我が舌を疑ったので 『お買い物日記』 担当者に一口食べてみてもらったが、やはり目を丸くして驚き、泣き笑いのような微妙な表情を浮かべて舌をレロレロしていたので甘さに耐えられなかったのだろう。

貧乏性で普段は出されたものを残さず食べるのだが、その親子丼を完食することはできず、大きな後悔と敗北感を味わいながら店を出ることになった。

店を出て 『お買い物日記』 担当者が病気仲間との再会を果たしている間、自分は札幌駅周辺をウロウロしたり家電量販店で最新デジタル機器などを見て時間を潰していたが、そうそう見るものもないので美容健康に関する売り場に行き、購入しなければならないであろう血圧計を見たり、少し疲れたのでマッサージチェアに座って全身マッサージコースを堪能したりして過ごす。

少し前までマッサージチェア売り場といえば年寄りやオッサンの休憩の場だったが、その場には若いカップルや女子高生までおり、体を揉みほぐしてもらいながらスマホでメールのやりとりをするという不思議な光景が広がっていた。

自分はといえば、気持ち良かったので 15分コースを 3セットもやってしまい、途中で睡魔に襲われて記憶を失ったりしていたが、ホテルのチェックイン時間になったのでその場を後にする。

部屋に入って一息つき、ふとスマホを見ると Wi-Fi利用が可能になっている。

そのホテルではパソコンやスマホにネットワークを開放しており、無料接続が可能になっているようで、ロビーでも部屋でもネットが使い放題だ。

昨年末から自宅でも Wi-Fi接続で利用しており、今回の旅行でも端末を持ってきているので 『お買い物日記』 担当者と自分のスマホ、ネットブック PCの 3台は自由にネット利用できるようにはなっていた。

しかし、『お買い物日記』 担当者と別行動する場合はどれかの機器でネットが使えないという弱点があったのだが、ホテルが Wi-Fiを開放しているのであれば話しは別だ。

来年から別行動する場合に端末を持って出かけるようにして、一人がホテル待機すれば良いのである。

などと一人で感動していると 『お買い物日記』 担当者が戻ってきたので例の居酒屋に向かう。

通常、店では半年しか保管しないボトルを 1年ぶりに開封し、美味い酒を呑みながら料理に舌鼓を打つ。

北海道の食材が良いこともあるが、この店では何を食べても美味い。

しこたま呑んで食べて、また来年になったら開封するであろうボトルを入れて店を後にし、札幌の夜は更けていったのであった。

《 次週につづく 》

順応

北海道に帰ってきて 5度目の夏が終わろうとしている。

ゆっくりではあるが、夏の終わりが近づいてきている気配だ。

まだ紅葉はしていないものの、少しずつ木の葉が落ちてきているし、柿の実もふくらみ始め、栗の樹にも実がつき始めている。

さえずる鳥の声も変わり、ちらほらトンボが姿を見せるようになってきた。

コスモスが風に揺れ、河原ではススキが穂をたれる。

ナスやカボチャ、トマトにトウモロコシなどの夏野菜が収穫期を迎えて地物が店に並ぶ。

サンマ漁も始まり、月末には秋鮭漁も解禁される。

大阪に暮らしていた頃は夏の終わりを待ち遠しく思ったものだが、北海道の短い夏が終わるのは少し寂しい。

その土地の気候風土には 5年もすれば慣れるものだと聞いていたが、確かに少しずつ北海道に順応してきているようで、大阪とは比較にならない程度の気温でも暑く感じるようになってきた。

それでもまだ生粋の道産子よりはマシで、室温が28度や29度だと暑くは感じない。

ただし、それには条件があり、湿度が50%台である必要がある。

29度でも60%を超えるとジメッと暑くて気分がよろしくない。

こちらの夏はカラッとしているので湿度が40%台のことが多く、そうなると30度を超えていても暑さを感じずに済む。

今季、室温が 30度を超えて湿度も 60%を超えることが 何日かあったのだが、その時はジトッと汗が出て実に気持ち悪く思ったものだ。

たしか 1年目も北海道にしては暑い夏だったが、大阪から帰った直後の身にとっては実に爽快で暑さなどそれほど感じなかったように思うし、2年目、3年目も周りの人が暑いと言う中、涼しい顔をして過ごしていたような気がする。

しかし、去年から不快に思う暑さを何度か感じるようになり、記憶が新しいこともあって今季はそれがさらに増えたように思う。

やはり少しずつ体が順応し、北海道のような気候でもそれなりに暑かったり不快に感じるようになってきたのかもしれない。

せっかく大阪で鍛えられ、北海道の暑さなど屁とも思わない体になっていたはずなのに、徐々に感覚も記憶も薄れつつある。

それでもまだ北海道に帰ってきてから汗がタラリと流れたことはない。

ジワッと汗をかくものの流れるように汗するほどの暑さを感じていないし、暑くて眠れなかったこともなく、体に汗もができることも、毎晩アイスノンを枕に寝ることもなくなったし、扇風機をつけたまま寝たのも 3日間くらいなものだ。

テレビやラジオで見聞きしたところでは、暑さで食欲をなくしたり寝不足になったりする人がかなりいるらしいが、我家の場合は食欲旺盛、夜も自分なりのペースで眠れている。

まだ暑さに対する免疫が残っていることと、薄れつつある感覚や記憶を呼び戻し、大阪の夏はこんなものじゃなかったと自分自身に言い聞かせているのが奏功しているのだろう。

今後も自分自身を戒めて大阪の記憶が消えないように努め、北海道に順応し過ぎないようにするつもりでいる。

時代

少し前、何度かJRに乗って30分ほどの町に行く機会があったのだが、帰りの電車は学校帰りの学生たちと同じになる。

ペチャクチャと話に花を咲かせる女の子、イヤホンを耳に目を閉じてジッと音楽に聞き入る男の子、寝不足なのか居眠りをする生徒、真面目に教科書を広げて勉強に勤しむ子など車内の状況は様々だが、圧倒的に多いのは携帯電話を操作している学生たちだ。

信じられないスピードで指が動き、あっという間に文章を完成させてメールを送信するのだが、これがまた信じられないほど短い間隔で返事が返ってくる。

現代っ子にとって携帯電話は必需品、コミニュケーション手段として必要不可欠な物なのだろう。

ざっと見渡した限り、従来からの携帯電話が 8割、スマホが 2割といったところであり、いくらスマホの普及率が高くなってこようと学生には高嶺の花といったところか。

実際、高校入学と同時に携帯電話を持つ子も多いだろうから、卒業までの 3年間は機種変更などしないだろうし、親から許してもらえないものと思われる。

親にしてみれば月額7-8000円ほどの固定費を払わなければならないのだろうから、スマホの購入など論外だと言うに違いない。

そんな状況であるのに隣のマユちゃんはスマホを手に入れている。

伯父である散髪担当のお兄ちゃんの話しでは、
「みんな持っているから」
という理由で親である妹ちゃんを説得したらしい。

みんなが持っているなどという理由は小学生から使う子供の常套手段であり、一番多く使われる交渉手段であるのに、まんまと買わせてしまうあたりはさすがにスーパー女子高生だと思う反面、幼稚な交渉手段を用いるあたり、やっぱり今どきの女子高生だと思えて可笑しい。

それにしても確実に時代は変わった。

昔は携帯端末などなかったのはもちろんだが、仮に存在したとしても本体価格 5-6万もするものをポンと我が子に買ってやり、毎月7-8000円も通信費を負担する親などいなかっただろう。

ポケベルからケータイに変わり、ネット接続が可能になって通信速度が向上し、スマホが登場するまでをリアルに体現してきた世代が親となっている現代だからこその潮流か。

時代が変わったといえば、昨日の昼はマクドナルドで食事をしたのだが、店内は中学生でいっぱいだった。

自分が中学生の頃は町にマクドナルドやその他のファストフード店がなかったこともあるが、店が溜まり場になることなどなかったように思う。

もちろん、不良だった自分は喫茶店にも出入りしていたし買い食いするのも平気だったが、結局マサルなどは学生を卒業するまで学校帰りに喫茶店に寄るとか、暑い日にソフトクリームを買って食べながら帰るとかしなかったのではないだろうか。

そして、少なくとも中学生くらいであればマサルと同じようにしていた学生が多かったような気がする。

しかし、中学生たちを見ながらそんなことを考えていてふと気づいた。

そういえば自分が若かりし頃、ファストフード店で白髪頭のオッサンが食事をしているところなど見たことがない。

もちろん子供連れ、孫連れの家族単位でなら見たことくらいあるが、年配の夫婦だけでハンバーガーやピザ、パスタ専門店で食事する姿はなかったはずだ。

白髪頭のオッサンなど大衆食堂で昼間っから瓶ビールを横に置きながらカツ丼なんか食べていたものであり、小洒落た店になど入ってこない人種だったはずである。

時代の変化、食文化の変化で人の生活様式も変わる。

昔は有り得なかったことをしているのが自分。

若者が集う店に平気で出入りし、若者が好む食べ物を平気で食べる。

そう、実は自分たちも時代を変えている張本人だったりするのである。

腑に落ちないこと

以前に勤めていたコンピュータ周辺機器メーカーで、当時としては画期的な製品を発売することになった。

外付けのハードディスクなのだが、HDD部分がカートリッジ式になっており、付けたり外したりできるのでドライブだけを購入すれば保存するデータや用途によって交換可能という便利なものだ。

その製品の広告やカタログ、取扱説明書で付け外し可能なことを脱着可能と表記していたら、着ていないものを脱ぐことなどできないのだから、脱着(だっちゃく)ではなく着脱(ちゃくだつ)とするのが正しいと年配の社員が言う。

しかし、国語辞典にも脱着は掲載されており、
「付けたり外したり、着たり脱いだりすること。『着脱』(ちゃくだつ)と同義。」
と書かれているのだから間違いではないだろうと腑に落ちない部分を残しつつ先輩の言うことに従ったりしていた。

以前は語呂が良いからか、着脱(ちゃくだつ)よりも脱着(だっちゃく)のほうが主流だったように思うし、圧倒的に耳に馴染んでいたので何だか着脱とは言い難かったのを覚えている。

ところが今、盛んに放送されているテレビ通販などでは製品の特徴を説明する際に、付け外し可能な機能を着脱可能、着脱自由と言い、圧倒的に着脱(ちゃくだつ)派が主流となってしまった。

主流というより、脱着(だっちゃく)と言っているのを聞いたことがないので絶滅危惧種となってしまった感が強い。

そこであらためて調べてみると、
「脱着(だっちゃく)は工業の機械分野の準専門用語(製造現場用語jargon)で、脱着可能とか自在 mountable,removableといった複合語としての使用頻度が高い。」
という説明があった。

つまり、コンピュータ業界にいたから脱着(だっちゃく)が主流であり、それが耳に馴染んでいただけで一般的には当時から着脱(ちゃくだつ)のほうが広く使われていたのだろうか。

しかしながら、国語辞典に掲載されている脱着(だっちゃく)を使うのは正しくないと言い切った先輩社員の発言には今も違和感を覚えたままだったりする。

なぜなら、服を着たり脱いだりすることは 『脱ぎ着(ぬぎき)する』 と言い、決して 『着脱(きぬぎ)ぎする』 などとは言わないではないか。

先輩社員の言葉を借りれば着てもいないものを脱げるはずがないのは事実だが、実際には脱ぎ着するものであるのだ。

また、よく人が訪ねてくる家や施設を指して 『出入り(ではいり)が激しい』 と言い、決して 『入り出(はいりで)』 とは言わない。

入ってもいない人が出てくるはずがないのに、出るのが先にくる。

同じように収納グッズなどは 『出し入れ(だしいれ)簡単』 なのであって 『入れ出し(いれだし)』 と言うのは聞いたことがない。

これも、入れてもいないものを出せるはずがないのに出すという言葉が先だ。

さらに 『抜き差し(ぬきさし)』 だって同様で、差していないものを抜けるはずがないが、『差し抜き(さしぬき)』 という言葉はない。

いや、世の中の多くの言葉がこのように構成されているのだから、むしろ逆順で言うのが正しいのではないかとすら思えてくる。

たまたま脱着←→着脱と並びが逆の同じ意味を持つ言葉が双方とも間違いではなく共存していることがレアケースであり、本当は脱着(だっちゃく)が先で着脱(ちゃくだつ)は後で生まれたのではないだろうか。

こんなことをゴチャゴチャと考えているのは自分くらいなものだろうが、言われて腑に落ちなかった原因はそこにあると今さらながらに思ったりしている。

そして腑に落ちないの腑はどこであって、何が落ちないのかという疑問が急に頭をもたげ、調べてみると。

腑に落ちないの 『腑』 は、『はらわた』『臓腑』のことであって、『考え』 や 『心』 が宿る場所とされ、そこにスッキリと収まらない、ストンと落ちてこない状態、つまり人の意見が心に入ってこないことを言うのだそうだ。

なるほど、この件に関しては腑に落ちた。

自分解体新書 - 11 -

自分解体新書 ~目次~

■ 肺

今日でちょうど禁煙してから丸四年が経過し、とうとう五年目に突入した。

すでに禁断症状もなく、体内、あるいは脳、潜在意識の奥深くから喫煙要求がブクブクと表面化することはなくなったので、余程のことがない限りは今後もタバコを吸う事はないだろう。

丸四年が経過すれば、そろそろ肺は綺麗になってきているような気もするが、医療関連のWebページを見るとタールが付着して汚れた肺は二度と元通りにはならないのだそうだ。

ただし、徐々にではあるが改善には向かうらしいので、今はまだ真っ黒かもしれない我が肺も禁煙を続ければ黒ずみが薄れてくるに違いない。

そして肺がんのリスクも徐々に減って健康な肺に戻るだろう。

以前、医者から禁煙を勧められた時は、まだ人類最後の喫煙者になる気満々だったので耳をかさなかったが、世の中にある病気の中で肺がんが最も悲惨なのだと言われた。

どんな病気も悲惨だが、肺がんの場合は苦しみがひどいのと、見た目がかなり汚いのだという。

肺がん末期の呼吸困難を通常の方法で取り除くのは難しく、その苦しみは意識がなくなるか呼吸が止まるまで続き、人によっては意識が残ったまま、数日以上苦しい状態のままということもあるのだそうだ。

吸っても吸っても肺に空気が入らないという生地獄を最低でも何時間か、長ければ数日間も味わうなど考えただけでも恐ろしい。

それを思えば誘惑に負けずこれからも禁煙を続けようという気になるというものだ。

■ 膀胱

これは老化現象なのだろうか。

必ずと言っていいほど夜中にトイレに起きるようになった。

ただでさえ寝付きが悪く、おまけに眠りが浅いのに夜中に目が覚めてしまうのはストレス以外の何物でもなく、できることなら朝まで眠っていたいのだが、1時くらいに眠りについて早ければ2時、多くは3時半前後に目が覚める。

タイミングが良ければトイレから帰ってきてすぐに眠れるが、大抵は再び眠りに落ちるまで15分くらいかかってしまう。

起床までもう少しというタイミング、6時前後に目覚めてしまった場合は眠るのを諦らめてそのまま起きてしまうこともしばしばだ。

常に寝不足を感じるので可能であれば目が覚めずに朝までぐっすり眠りたい。

そして、もう一つの現象はギリギリまで尿意をもよおさず、気づいた時にはすごくトイレに行きたいという困った症状である。

映画や海外ドラマを見ていて物語が佳境に入ったところで尿意を感じても、そこで中断しては集中して見ている 『お買い物日記』 担当者に申し訳ないとは思うのだが、そのあと10分、15分が我慢できない。

家でのことであれば中断もできるが映画館となればそうも行かず、きっと困ったことになると予想されるので劇場での映画鑑賞は避けたほうがよさそうである。

■ 腎臓

毎年の健康診断で腎臓の数値がイマイチなので、水分補給を心がけるよう医者から注意されている。

それほど悪いわけではなく、基準値を微妙に超えたあたりをウロウロしている状態なので薬に頼ることなく済ませたいものだ。

一般的に、医者の言う補給すべき水分というのは純粋な水のことであって、コーヒーや牛乳、ジュース類は含まないと聞いたことがあるので担当医に確認してみると、とにかく液体であれば酒以外なら何でも良いとの回答だった。

酒であれば 1リットルでも 2リットルでも呑めるのに実に残念なことである。

そこで、意識的に水分を補給するように心がけて生活することにした。

目覚めに 200cc、朝昼晩の食後に 200ccの水を飲むようにしたので累計 800cc、朝食のコーヒーと牛乳で 200ccくらいなので累計 1リットル、昼食の味噌汁その他、夕食の味噌汁その他で 600ccくらいなので累計 1600ccだ。

それ以外にコーヒー200cc、お茶などを600ccは飲んでいるので累計 2200ccとなる。

それを続けていたら前回の検査で基準値内に収まったので医者の言うとおり、水分補給を心がけていれば腎臓の健康を保つことができるらしい。

ただし、そんなに水分を摂取しているから夜中にトイレで目が覚めるのかもしれないが。

イジメ

ここのところイジメに関する問題が各地で表面化している。

2000年頃を境に減少傾向にあると見られていたが、実は学校や教育委員会が隠ぺいしただけで実数は減っていなかったのではないだろうか。

遊びの延長だったと加害者側の子供は主張しているらしいが、ものごとには限度というものがあるだろう。

自分も知らず知らずのうちにイジメに近いことをしてしまったことはある。

ただし、暴力を振るったり金品を要求したことなど一度もないし、いわゆるパシリ的に誰かに何かを買いに行かせるとか、みんなと申し合わせて無視をしたことも一度もない。

たまたま集団で遊んでいて当人が嫌な思いをしているのを知らずにいただけだ。

中学生の頃、一人が椅子に手をついて台となり、その上に何人が重なって乗ることができるか試す遊びをしていた。

もちろん台になるのは体がごつくて力もある者が選ばれるが、マサルが支えとなって体の大きな順番に乗っていくことが多い。

そして、その内の一人は体は大きくないものの骨格がしっかりしており、力もあったので下段に選ばれることが多かったのだが、本人にすればそれが嫌だったらしいのである。

マサルや自分が体が大きいのに彼の上に乗って苦しむのを見て楽しんだりしているのであればイジメだろうが、彼のほうが自分たちより上におり、辛い思いをしているなど夢にも思わなかったし、嫌なら断れば良いだけの話だったはずだ。

10人くらいで遊んでいて、記録は 7-8人といったところだったので彼が抜けても誰も文句は言わなかっただろうし、そもそも嫌がっているとは思ってもいない。

ところが彼は体が小さいのに下から 4-5人目に選ばれることを不服に思い、それが不当な扱いであってイジメられていると感じていたのだそうだ。

それを思えば本人の自覚なしにイジメてしまっているということはあるだろう。

しかし、殴る蹴るの暴行を加えたり、ゴミや動物の死骸を口に入れさせたり金を取り上げたりするのは決して遊びの延長などではない。

高いところから飛び降りて大怪我をさせるのが楽しい遊びであるはずがない。

なぜそのような陰湿な行為をする子供が増えたのか不思議でならないが、その原因を無理にでもゲームに結びつけたがる大人が現れ、したり顔で解説していることだろう。

しかし、最近は携帯電話やスマートフォンに使う時間と金が増えたので家庭用ゲーム機関連のビジネスは停滞気味であり、因をゲームとするのは無理があるし、そもそもゲームだけが問題ではないと思われる。

殺戮を目的としたゲームも暴力的なゲームも存在するのは確かだが、それを実行してしまうとすれば痛みも知らず、死とは何かを知らなすぎることが問題だろう。

幼い子供は残酷なものであり、虫を殺すことなど意に介さない。

自分もどれだけの数のアリを踏み潰したりトンボの羽をちぎったりしたか分からないし、アリの巣や蛙の口を爆竹で破壊したこともあれば、猫は本当に高いところから落ちても足から着地するのか試そうと机の上から放り投げたこともある。

しかし、少しずつ大人になっていく過程でそれがいけないことだと分かり、無残な死を遂げる虫などを可哀想に思い、死骸を見ると嫌悪感を覚えるようになってくる。

殴られたり蹴られたりすれば痛いということは何度も喧嘩をしていれば分かることだし、殴ったほうの手が痛いことも蹴った足が痛いことも覚え、どこまでが限度で、それ以上の力を加えたらどうなってしまうのかも容易に想像がつくようになる。

そういうプロセスを経て学習することも多いのだから、虫を触ってはいけない、喧嘩するなどもってのほか、野蛮な子供とは遊ばせないなどと言っていたら、まともな子供が育つとは思えない。

ガキ大将がいて取り巻きの子供がいて、仲間が誰かにやられていたら助けに行く。

仲間のピンチはガキ大将へと情報伝達され、子供なりの暴力で問題解決に当たるという小さな社会ルールができあがるのである。

昔のような環境が整わない限り、イジメを根絶するのは不可能なのではないだろうか。

エネルギー政策

先週の雑感の続きのようになってしまうが、計画停電を実施しなければならないのは再稼働した柏崎刈羽原発を除いて日本の原発がすべて停止しているからだが、そもそも原発への依存度が高すぎたからに他ならない。

なぜ原発への依存度が高いかと言えば、日本にはエネルギー資源がなく、火力発電で使用する石油、ガスを輸入に頼らなければいけないからで、急な世界情勢の変化、海路の安全確保などに問題が起こって輸入が途絶えれば途端に発電ができなくなってしまうからだ。

実際、アメリカが発効したイラン原油制裁法で、日本はイラン産の原油輸入量を減らさなければならなくなった。

核開発を進めるイラン許すまじと、原油輸出に打撃を与えて金融面から圧力を強めることを狙ったもので、イランと取り引きした金融機関をアメリカから締め出す制裁を加えるという実に傲慢な法律だが、世界最大の市場であるアメリカには逆らえない。

日本とイランの関係が悪化したわけでも戦争状態になったわけでもないのに、政治的不安定要素で原油の輸入量が減ってしまうわけだ。

今は天然ガスを売りたくて仕方がないのでロシアもニコニコしながら日本に擦り寄って来るが、依存度が高まった途端に態度が急変し、ヨーロッパで起こっているように日本に対しても気に入らないことがあればガスの供給をストップしたりすることだろう。

あの国とは北方領土問題を抱えているだけに関係は微妙だ。

アメリカでシェールガスの開発、採掘技術の飛躍的な向上が進み、天然ガス価格が半値近くまで下落しているが、自由貿易協定(FTA)締結国への輸出が優先されるとの理由から日本に多くは入ってこない。

資源のない日本にとってエネルギーは綱渡り状態となっているが、そもそも本当に日本には資源がないのだろうか。

日本近海に確認されている油田の数は30を超えるが実際に採掘しているのは北海道、新潟県、秋田県に存在する5箇所のみだし、ガス田も11箇所以上が確認されているが、実際に採掘しているのは数カ所のみだ。

また、日本の領海内にはメタンハイドレートと呼ばれる海底資源、簡単に言えば凍っているガスが使用料換算で200年分も眠っている。

それらの資源の採掘は採算が合わないという理由で放置されたり研究が進んでいなかったりするが、原油価格が以前の 4倍も 5倍もになっている現状ではビジネスになるのではないだろうか。

また、最近になって再生可能エネルギー発電に注目が集まり、風力発電、太陽光発電の建設が各地で盛んになっているが、火山大国、温泉大国の日本においては地熱発電が最も適しているのではないかと思う。

しかし、ここで厄介なのは利害関係で、地熱発電所を建設すれば温泉が枯渇するのではないかと地権や温泉権を保有する人が難色を示す。

これだけ全国に温泉地帯がありながら日本に存在する地熱発電は一か所でしかない。

地熱発電に適した候補地の多くが自然公園内にあり、自由に開発を進められないという要因もあるが、景観を維持すれば良いなど、法律を柔軟に対応させれば済む話しだろう。

大阪だか京都だかの大学は宇宙でのソーラー発電に関して画期的な技術を有しており、予算さえあればすぐにでも実現可能なのだが、国は関心を示していない。

確かに数億円規模の話しではないが、原発事故が起これば一瞬にして数兆円規模の予算を投じて事態を収拾しなければならないのだから、未来に予算を回しても良いではないか。

大雨続きで九州地方が大変なことになっているが、水害を防ぐなどという名目でダム建設や堤防の大規模修繕に莫大な予算を計上するくらいなら、ついでにダムにも発電設備、護岸工事では水力発電設備を設けるくらいのことをすべきだろう。

消費税率を上げるのであれば、福祉はもちろんのことだがエネルギー政策にも予算を回していただきたい。

日本各地に再生可能エネルギー発電の施設ができて、原油にもガスにも、そして何より原子力に頼らなくても電力需要をまかなえるようにするくらいの気概を示し、一大産業を築き上げるようなビジョンを提示して日本を率いてくれるような政治家、政党の誕生を心から願うばかりである。

計画停電

原発が停止しているので、ここ北海道でも今年は計画停電が実施される可能性があり、全体で 7%の節電が要望されている。

もちろん我が家も全面的に協力するつもりではあるが、もともと 『お買い物日記』 担当者の節電意識が高く、普段から気をつけているので更なる節電は難しい。

かなり暗くなるまで照明を点けないし、点けたとしても自分たちが必要とする最低限の明るさ、電球色のボール型蛍光灯を一か所だけ点灯して夜を過ごしている。

もちろん料理をする時はキッチンの照明も使うが、それも蛍光管が一本だけの小さなものだ。

待機電力をカットするため電子レンジや炊飯器はおろか、通電していないトースターやコーヒーメーカーまで念のためコンセントを抜いているし、テレビも主電源を切って就寝している。

パソコンもスリープ状態にせずに完全にシャットダウンしているし、CDプレーヤーもコンセントを抜くなど徹底しているつもりだ。

しかし、どうしても待機電力をカットできない機器がある。

それは HDDレコーダーであり、完全に中毒になっている海外ドラマをかなり多く録画予約している現状としては、コンセントを抜くなどできるはずがない。

独り言にも何度か書いたと思うが、この家はオール電化であるため節電には限界もある。

給湯器は深夜電力を活用して夜中に加熱しているし、調理器具は 100%電力に頼っているので毎日のご飯支度では必ず電気を使う。

電子レンジを活用して節電料理をしようにも、毎日のことであるし、それを一カ月間も続けるほど豊富なレシピはない。

つまり、我が家でできる節電は昼間のパソコンをやめることくらいだが、それでは仕事にならないので現実的ではなく、打つ手がないのが現状だ。

みんなが節電に勤しむのなら計画停電は避けられるだろうが、人は利己的なものであるから、自分が計画の対象でなければ節電などしないだろう。

計画では停電になるブロックが日にちと時間帯によって変わり、順番に当番制のように割り当てられているが、自分の住む地域が対象となっている時間帯は停電になったら困るので節電意識は高まるに違いない。

しかし、無関係な時間帯であれば気にすることなく、暑ければエアコンも使うだろうし使っていない部屋の照明も消さないのではないだろうか。

人に迷惑をかけてはいけないなどという道徳観は現代の日本人からすっかり消え去っており、自分さえ良ければ構わないという風潮が定着してしまっている。

それらのことを勘案すれば、停電は当番制ではなく実績による連帯責任にすべきで、電力供給が逼迫し、テレビやラジオ、インターネットを通じて発表して以降、最も使用料が減らなかった、つまり節電に非協力的だった地域への電力供給を止めるべきだと思う。

連帯責任となれば必死に節電するだろうし、それがどの地域になるのか分からなければ、全地域の人が節電するに違いないので、それこそ公平な役割分担と言えるのではないだろうか。

それにしても停電は避けてほしいし、停電にならずに済むことを心底願う。

停電になったら何もすることができない。

現代社会においては影響を受けない仕事、家庭など皆無であろうが、コンピュータ業界にとっては本当に致命的だ。

肝心のパソコンが動かなければ何もできない。

ノートパソコンのバッテリーをフル充電しておけば数時間の作業は可能だが、作業したところでそれをアップロードするネットが繋がらないので無意味である。

仕事にならないのでゲームでもしようかと思っても、そのゲームすらパソコンに電気が通らなければ遊ぶことができないし、ゲーム機も動作しない。

仕方ないので海外ドラマでも見ようかなどと思っても、テレビもデッキも使うことができないので不可能だ。

そうなったらスマホのゲームでもしながら時間を潰すしかないので、スマホの充電はいつも満タン近くにしておかなければならないだろう。

とにかく電気がなければ仕事も楽しみも失われてしまうのが現代なのである。

仕事ができないことも大きいが、先に述べたように、何よりも海外ドラマの予約が実行できない事態になりはしないかと恐れているのが一番だったりするのではあるが・・・。

自分解体新書 - 10 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭皮

今のところ髪は一定の本数を保っており、頭皮が露出するほど薄毛にはなっていないが、もしそうなった場合は9:1分けにしたりバーコード頭にしたりせず、思い切って坊主頭にするかスキンヘッドにしてしまおうと考えている。

しかし、そこで問題になるのは頭に残る傷だ。

怪我をして前頭部を 7針、側頭部を 1針、後頭部を 3針縫っているのでキズたらけのズタズタ状態なのである。

ただでさえスキンヘッドにすると周りの人から怖がられる危険性をはらんでいるのに、それに輪をかけて傷だらけの頭皮となると危険性は増すばかりかも知れない。

確かにヤンチャ小僧だった頃に負ったキズもあるので仕方ないような気もしないでもないが、どうしたものかちょっと悩みどころだ。

■ 肌 -その 2-

敏感肌なのは相変わらずであり、それはずっと以前からのことである。

これから夏本番になるが、大阪で暮らした十数年間の夏は本当に辛かった。

いくらシャワーで洗い流そうと、浴室から出た途端に暑さが襲ってくるので一瞬にして汗まみれになってしまい、体のアチラコチラに痒みをを覚える。

それが続くとプツプツと発疹が現れ、寝ても覚めても痒みは治まってくれない。

梅雨の終わりから彼岸を過ぎて少し涼しくなるまで痒みとの戦いは続く。

就寝前には身体中にベビーパウダーを塗布し、全身真っ白になって床につくのが日課となるが、それでも夜中に暑さと痒さで目が覚めてしまう。

あの暑さと汗の量であれば、肌が弱かろうと強かろうと汗疹もできれば痒みも出るかもしれないが、とにかく辛かったことを本格的な夏が来る前に思い出したりしている。

■ のど -その 2-

タバコをやめてからはタンが絡まなくなった。

以前はかなり短い間隔で咳払いをしており、人からは機嫌が悪いのかと思われがちだったが、今はほとんどすることがなくなったように思う。

お買い物日記』 担当者の病気をきっかけに禁煙を始めて もうすぐ丸四年になるが、タンが絡まなくなったのは実に喜ばしいことで、人に不快な思いをさせないで済むのもありがたいことだ。

後に聞いた話だが、仕事中も無意識に咳払いをしていたようで、女性社員は怯えていたという。

私語をしていて笑ったりするタイミングと咳払いが重なると、私語を注意されているか、それが気に入らなくて咳払いをしていると受け止めていたらしい。

度が過ぎると問題ではあるが、たまの私語など気にもしないし、笑い声も職場が明るくなるので悪くはないと思っているので気に入らなくて咳払いをしたことなど一度もないはずだ。

それでも人に良くない印象を与えてしまうのであれば咳払いなど止めたほうが良いに決まっているが、無意識だったので注意のしようもなかった。

それが今、禁煙によって回数が大幅に減ったのは喜ばしいことだ。

ただし、今は一人で仕事をしているので周りを気遣う必要もなく、恩恵をうけられないのだが。