ございます

最近になって、また変な日本語を耳にするようになった。

何でもかんでも末尾に 『ございます』 を付けて話す大人が多く、それは大企業の上層部、政治家にまで及び、側近の誰かが注意してもよさそうなものだと思うのだが、ニュースを伝えるアナウンサーもコメンテーターも言及しないところをみると、その使い方に疑問を持たないということであり、そんなことにこだわって耳障りだと思っているのは自分だけなのだろうか。

野田総理が何かの記者会見で配布済みの資料を指して
「お手元にお配りしてございます」
と言っていたが、そんな日本語が本当にあるのだろうか。

まだ資料を配布している最中であれば
「只今お配りしております」
だろうし、配布済みのものであれば
「お手元にお配りしました」
または
「すでにお配りしております」
であって、
「お配りしてございます」
などという言葉、文章などはググってもヒットしない。

大阪維新の会にすり寄り、結果的に日本維新の会への参加を決めた松野頼久衆院議員は、それまで主張してきた政策との違いに関して合意できるのか記者に問われ、
「一致をしてございます」
と応えていたが、それを言うなら
「一致しております」
とか
「一致いたしております」
であり、もう少しなら
「一致を目指しております」
ではないのだろうか。

大企業の社長がリストラに伴う工場閉鎖、組合との折衝に関し、
「鋭意取り組んでございます」
と言っていたが、
「鋭意取り組んでおります」
だと思われる。

株主総会で海外進出の遅れを指摘された経営幹部が、その点に関して
「準備してございます」
・・・それは
「準備しております」
だろう。

着工した道路建設の工事予定を聞かれ、十数年後の日付を答えた上、
「完成を目指してございます」
・・・。
「目指しております」
だ。

政界、経済界などで急激に浸透してきた流行語なのか、最初に言い出した奴はいったい誰なのか、なぜ誰も変だと思わないのか不思議でならない。

この 『ございます』 の使い方があまりにも目立つので、もしかしたらそれが正しく、自分が間違っているのではないかと不安にすらなるが、上述したすべての 『◯◯ございます』 は、どれ一つとして検索結果を得られないので世の中にそのような文章も議事録もないということなのだろう。

ただし、それは同時に、それを指摘する文章も存在しないことを意味する。

では、やはり、そんなことを糾弾する自分が間違っているのだろうか。